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285 4/6(火)
00:43:08
 早稲田の没落  メール転送 芦田宏直  10727 

 
 先週も忙しかった。特に金曜日に高校の先生を招いての専門学校見学研修会、土曜日の16年度入学生保護者説明会。前者は約1時間。後者は1時間半の講演形式。二日続いて、こういった形で人前に立つのはさすがに疲れる。保護者に学校の教育方針を説明するというのは当たり前で、一生懸命に話せば通じるが、しかし高校の教員にわが学園の授業評価システムを話すのは緊張する。授業評価を嫌う教員が多いからだ。案の定、「授業はプライベートなものですが … 」と質問する高校教員がいた。「そんなわけないだろ」と心の中で叫んだが、そうも言えず、「一人で悩むことはないでしょ」とかわしておいた。しかし、全般に質問は活発に出て、授業評価についての関心はやはり高い。

 その前日、息子の早稲田の入学式(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=268.124.54)に午前中1時間ほど参加してきた(入院中の母親代わり)。朝九時からで場所は文学部の記念会堂。ここはほぼ30年前、京都から出てきた私も入学式で入場した会場だ。35歳くらいまでは私も早稲田にいたから久しぶりの文学部中庭だったが、息子の入学式でふたたび記念会堂に入るなんて感慨ひとしお、と思っていたら、入り口で止められた。「保護者の方ですか?」「そうですが」「もう保護者席は満杯で入れません」「あっ、そう」。たしかに9:00開始の五分前だったから致し方ない。しかし地方から『青春の門』ふうに「ここが早稲田か」と思いながらやってきた家族の方にはひどい措置だったと思う。

 私は中に入れないならもう帰ろうと思って、桜の花咲く記念会堂の中庭(満杯の家族であふれもする中庭)を携帯カメラで取って病院の家内に送り、タクシーに乗ろうとしたが、まてよ、私も来週には入学式の式辞を話すのだから、早大総長の式辞を聞いておくのも勉強だと思い、もう一度小走りに戻ってそこにとどまった。中庭には式場内を映す大きな液晶ビジョンとスピーカーが設置してあり、中の様子がうかがえる。前半は早稲田の校歌。振り落とす腕の勢いがまだ新入生にはなく、中庭で部活勧誘する上級生がその様子を見ながら小声で笑っている。なかなかいい風景だ。

 総長の式辞が始まった。今の総長は白井克彦(http://www.waseda.ac.jp/jp/president/index.html)。理工学部出身だそうだが(私は全く知らない)、この総長の式辞がまたひどい。こんな総長、何で選んでいるのだろう。工学博士のくせに、ソクラテスを引用し、大隈重信(http://www.waseda.ac.jp/jp/president/successive.html)についての言及も外面的だった。全体に脈絡のない出まかせの式辞だった。最後がまた軽薄で、「みなさん早慶戦に行きましょう」だって(そんな話は学生部か応援団に任せればよいのだ)。バカじゃないの。こういった式辞しかしゃべれない総長というのは、ソクラテスを孫引きで読み、総長になってしか大隈の著作を読んでいない軽薄な総長にすぎない。だから、早稲田の歴史を(いい意味でも悪い意味でも)体現できない総長でしかない。

 なぜ、早稲田(や慶応)は堕落するのか。理由は簡単。早稲田(や慶応)の先生たちはほとんどが早稲田出身の先生。こういった“一流”大学はほとんどすべての教授を自前の大学院出身者で形成している。そもそも大学院というのは自前の教授を形成するためにこそあるからだ。ところが、“一流半”の中央大学、明治大学、法政大学、立教大学などの大学ではその大学院を出ても、その大学の教授にはなれない。

 大概は東大崩れの先生たち(場合によっては早稲田や慶応の先生たち)がそれらの“一流半”の大学の教授になっている。だから逆にこれらの“一流半”の大学の方がいい先生(あるいは“有名な”先生)が多い。他の大学に入るためにはそれなりの実績(業績)が必要だからだ。それに東大の先生たちは放っておいても勉強するという天性のまじめさがある。毎年単行本の一冊や二冊は必ずといってよいほど出し続ける意欲がある。それに比べれば、早稲田の先生たちはほとんどすべて教科書か博士論文しか“執筆”できない。古本屋では500円にもならない本の類しか“執筆”できない。

 そうなるのは、早稲田や慶応は自前の大学院生を徒弟制度さながら教授に抜擢するため、他流試合をする前に“就職”が決まってしまうからだ。要するに“鞄持ち”で就職が決まる。こうなると業績よりは上下の人間関係だけが前面化する。こうして「先生三流、学生一流」の構造ができあがる。大学院が充実し、自前で教員を供給する体制が「先生三流」の源泉である。そうやって挙げ句の果てに総長にまで登り詰め、専門でもないソクラテスを孫引きしてまで式辞をしゃべろうとする。総長になるまで勉強したこともない大隈重信に通俗的に言及する。地位を得ると言うことが変わる。これはその人間に本当の意味での“教養”がないことを証している。情けないことだ。

 早稲田が本気で再生しようとするのなら、自前の大学院生を10年間は自校で採用しないことだ(そういうルールを作ることだ)。外で専門業績を認められた者だけをふたたび招く、という形を取らない限り、没落は止まらないと思う。私が20代のときにもはや早稲田は死滅したのだ。

 その死滅した早稲田に入学した息子は、以下の科目を登録した。「計量分析入門T・U」「統計学A・B」「政治学A・B」「経済数学入門T・U」「日本経済論入門T・U」「経済学入門T・U」「解析学入門T・U」「線形代数」、あとは英語とフランス語。どれもこれもまともな教授は誰もいない。勉強は自分でするものだ。早稲田の学生はみんなそう思っている。それが早稲田精神というものだ。


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