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188 9/5(金)
00:01:01
 橋本派の地盤沈下?  メール転送 芦田宏直  2209 

 
 「鉄の結束を誇った橋本派が分裂状態」などという見出しが最近の新聞・TVに踊っているが、馬鹿なことを言っている。石原都知事は、橋本派(旧田中派)の分裂について「ざまをみやがれ」と言ったらしいが、それも間違っている。派閥の統制が効かなくなっているのは、橋本派のコントロール不足ではなく、小選挙区制の所為だ。だから橋本派だけではなく、堀内派(宏池会)も分裂状態だし、他の派閥も機能してはいない(江藤・亀井派だってあやしい)。

 〈派閥〉は、中選挙区制の所産に過ぎない。一つの選挙区で同じ党の当選者が複数出る。それが中選挙区制だ。そうなると一つの党自体の中で別の人が当選する理由が必要になる。主流派と非主流派に別れて選挙を戦うことになる。党内与党と党内野党の戦いだ。そういった党内の戦い方の現れ方が、〈派閥〉という機能だったのである。中選挙区時代は、従って、政権交代がほとんどおこらなかった。党内野党が、野党の存在の意義を希薄なものにし続けたからである。というより、希薄でも存在し得たのが中選挙区制だった。だから、与党に五つの派閥があるとすれば、六つ目の派閥が野党だったのである(だから田中派のお金は社会党にまできちんと回っていた)。そして六つとも党の政策と全く違うことを言い続けてきた。政権選択と選挙とは全く関係のないものであり続けたのである。だからこそ、“金権選挙(親分選挙)”だった。

 小選挙区になるとその選挙区内で党を代表するのは、自分一人ということになる。党首や党が実行する政策を自分自身が担わねばならない。だから派閥の長よりも、党首(総理大臣)が何を言うのか、何をしようとしているのかの方が、(議員一人一人にとって)はるかに関心の高い対象になる。選挙の味方は派閥の長のばらまくお金ではなく、党首の“人気”(あるいは党の政策)なのである。だから橋本派でさえ、求心力を失う。というより、派閥そのものが求心力を失う。これは強烈な小選挙区論者、小沢一郎の描いた戦略の中での出来事に過ぎない。

 かといって、小選挙区制は政策論争にはなりづらい。ちょっとした失政(ゴシップも含めて)が政権交代のきっかけになるため、野党はいつ政権を取るチャンスが転がり込んでくるかわからない。ということは、旧社会党や、共産党のような夢のような政策ばかりを掲げていられない。実際政権を取るとそう大胆な政策を遂行するわけにもいかない。そういうことがわかるというのが、政権党になるということだ(つまり格好の悪いことも引き受けなければならないというのが与党「である」ということの意味だ)。そうやって、非武装中立の社会党・村山富市の社会党も政権党になった途端に、安保条約を認めたのである。だから党是が是々非々の公明党が政権党についているというのは、無茶苦茶なことなのである。政権党というのは、すべてが「是(肯定)」でなければならない立場に立つということなのだから。

 それゆえ小選挙区制では、与党と野党とが裏返しの政策論争をやり続けることになる。たとえば、郵政民営化は民主党も自民党と同じくらいの反対論があるというように。どちらが政権を取っても同じように「抵抗勢力」は存在することになる。したがって小選挙区制での代議士は、政党(や政策)に関心を持つ前に、どこに所属すれば勝てるのかだけを(一発勝負のように)考えることになる(派閥の強いときには、派閥は教育機能を持っていたから、勝つことはその結果に過ぎなかった)。与党も野党もないのだから。政策論争は小沢が考えたようには展開しない。政策の上の差異は、政権交代が現実的な分、微細であり、微細な差異だけが与党と野党を分ける。だから勝ち負けだけが前面化する。相手が負ければ、こちらが(弱くても)勝つ。絶対的なように見えて、勝負は相対的なのである。それが小選挙区制の本質だ。これを小沢一郎のように、「小選挙区制がもたらす政権交代のダイナミクス」と言うのはむずかしい。政権交代が起こりうるのは、その差異が微細だからこそだ、とも言えるからである。政治が世の中を動かす、なんて考えるのはだからそもそも間違いなのである。まして田原総一郎(ジャーナリズム)が宮沢喜一を追い落とした(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=184)なんていうのももっとくだらない幻想なのかもしれない。


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