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1128 12/25(日)
11:39:16
 それでもサンタクロースは存在している…  メール転送 芦田宏直  2674 

 
金曜日の祝日に続いて、昨日(24日土曜日)も忙しかった。11:00には、例の年明け1月16日入院(http://ashida.sakura.ne.jp/blog/2005/11/post_22.html#more)の慈恵医大に入院前検査。CT検査、血液検査、尿検査、心電図、肺活量検査、レントゲン検査。6つの検査。肺活量は何のため? と肺活量検査の担当お姉さんに聞いたら、全身麻酔に耐えられる肺機能があるかどうかの検査らしい。全身麻酔は生命機能自体を全体的に低下させるため、心肺機能の基礎能力が問われるらしい。「この能力がないと(この世に)戻ってこられなくなりますから」。結構さらりと怖いことを言ってくれる。

結局、14:00近くまでかかった。祝日の翌日はよく混んでいるらしい。

家内の退院の出迎えは、その後。新橋の慈恵医大から、河田町の東京女子医大まではクルマで15分くらい。

実はこの二週間、女子医大脳神経病棟4階(家内の入院病棟)は院内感染で大騒動。ノロウイルス(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9)にやられてしまって、家内も感染。看護師や医師も何人か感染したらしい。家内も点滴の毎日だった。看病にも行けない(行かなくてもいい言い訳ができてしまった)。退院間近の“事件”で心配したが、なんとか予定通りの退院となった。しかし、そんなことになってしまって大変な不祥事なのに婦長も挨拶に出てこない。お世話になったから仕方がないが、隠しておきたいのかもしれない。私も聞かなかったことにしておこう。

自宅に戻ってきたのは、16:00近く。クルマを自宅マンション内の敷地に止めて、荷物と家内とを自宅8階に“搬送”して下りて来たら、ちょうどフランスベッドメディカルサービス(http://www.homecare.ne.jp/index.html)の介護ベッドのトラックが私の車の後ろに止まっていた(http://ashida.sakura.ne.jp/blog/cat8/)。タイミングがいい。

そのまま、昨日の完璧な準備のできた寝室に持ち込んでベッドを組み立て。二人の担当者の方が組み立ててくださり、約30分で作業終了。「このベッド楽しいよね。介護ベッドなんて言うから売れないのよ。安楽ベッドとか、多機能ベッドとか呼べばもっと売れるのにね」「うまいこといいますね。私もそう思います」なんて会話を交わしながらの作業。

家内はその間にもまったく一変した書斎=寝室を見て、びっくり。「すごい」の一言。特に木パネルの造形(木目を交互に入れ替えた造形)に感激していた。これはオリバーの河合ちゃんのアイデア。「河合ちゃんすごい」とのこと(http://ashida.sakura.ne.jp/blog/2005/12/_10.html#more)。

2台の“介護ベッド”は見事に収まったが、二台並べても1900センチ足らず。普通のシングルベッド二つよりははるかにコンパクト。

疲れて、20:00〜21:30くらいまで“昼寝”をしたが、1点だけ不満を感じた。スプリングがよくない。全身が飛び上がるほどの大きなくしゃみをしたときに、スプリングの収束がよくない。少しはねてしまう。以前のベッドは、シモンズベッド(http://www.simmons.co.jp/)だったが、これははねずに上手に振動を抑えていた。

ベッドのマット評価には、三つの要素がある(と私は思う)。

一つは、熱の発散。夏などに背中にこもる熱を感じさせないこと。ひどいマットは背中の熱をためてしまって、熱くて眠れない。

二つめは、ダブルベッドなどで隣に人が寝ても、マットの中央部がへこんで傾かないこと。

三つ目は、ハクション、と身体全体が飛び上がるような大きなくしゃみをしても、スプリングの振動を即座に収束させるスプリングの構成になっていること。

この三つが揃えば、いいマットだと言える。シモンズはこのいずれも悪くはなかった。介護ベッドに、これらの機能を求めても“無い物ねだり”なのかもしれないが、少しスプリングがはねすぎる。それが当日の段階での評価。

昨日・今日はクリスマス。クリスマスプレゼントを用意するには息子の太郎は大きくなりすぎたが(現在20才)、しかしクリスマスプレゼントには思い出がある。

私たち(私と家内)は、サンタがいることを息子には20才になるまで信じ込ませよう、という作戦を立てた。

さすがに小学校4年、5年くらいになるとこの作戦は困難を極めた。「太郎、サンタなんているわけないじゃん。お父さんかお母さんかが枕元に置いているんだよ」なんてお節介なアドバイスをする(=ませた)友達が出てくる。

さらに、敵はテレビ。ニュースでもバラエティショーでも無神経に、サンタはお父さん、なんてばらすような情報を流したりする。こんなときにはすぐにチャンネルを変える必要がある。サンタがテレビに登場したら、とにもかくにも即座にチャンネルを変える。テレビに出てくるサンタで本物のサンタは誰ひとりいないからだ。「あっ、ここにもサンタがいる、ここにもいる、何でこんなに早く移動できるの?」なんて聞かれた時には、冷や汗ものだ。「サンタさん、本当に忙しそうだね」と言うしかない。

次には、プレゼントを包む包装紙。一度、世田谷のヤマギワ電気(今は世田谷ヤマギワ店はなくなったが)でプレゼントを買ったときがあって、太郎が「サンタさん、ヤマギワで買っている」と指摘。ドキッとしたが、すぐさま反論。「世界中の子供たちに、品物を届けるサンタが、最初からすべてのプレゼントを持って運んでいたら大変でしょ。サンタは現地調達するのよ」「なるほど」。急場をしのいだ。

強敵は、「サンタはお父さん」説。これにはこう答えた。「それはたしかに正しい。ただし、お父さんがサンタになる人は、一年間の中で、勉強をしてこなかった人や友達に親切ができなかった人、悪いことを一つでもした人。そんな人には本当のサンタは来ない。だからそんな子供に、お父さんがかわいそうに思って、お父さんがサンタになるのよ。要は自分の行いを信じること、信じることができるように行いを自分で正すこと。そう信じる人だけにサンタはやって来る。サンタを信じることができないかわいそうな友達の言うことは無視していればいい」「わかった」。

しかし危機をもたらしたのは意外にも学校の先生だった。6年生の時に、担任の中嶋先生(世田谷区立塚度小学校)が、「サンタさんが本当にいると思っている人、手を挙げて」なんてくだらない問いを発したのだ。何でこんなデリカシーのない民主主義に走るのだ、中嶋先生。私はあなたを一生恨みます。

そこで手を挙げたのは2人。1人は真っ先に元気いっぱいに手を挙げた、息子の太郎。すでに周りの友達は苦笑。もう1人がいけなかった。クラスで一番信用のない(太郎もいつも軽蔑している)Y君。

太郎は周りの友人が苦笑して自分をバカにしていることなどは何も気にしていなかったが(さすが我が息子)、他でもないY君がサンタを信じていることにショック。そこからサンタ疑惑が始まった。ここで我が家の20才サンタ計画は挫折。いっそうのこと、Y君が手を挙げなければまだなんとか2、3年は持ったと思うが、しかしそんなことに手を挙げさせる先生の気がしれない。

「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画(http://www.asmik-ace.com/LifeIsBeautiful/ )を思い出します。迫り来るナチの暴虐に対して主人公は自分の子どもにウソを言い続けました。そのことによって、彼は子供を救済することに成功します(彼自身は道化者として最後まで笑いながらスクリーンから消えていきましたが)。

家族はもともと反社会的なものです。どんな社会的な評価も受け入れないからこそ、家族は生産的なのです。「家族は社会の基本単位」などという社会学はすべてデタラメです。ましてサンタが存在すると思う人、手を挙げなさい、なんて極限のファシズムです。嗚呼、中嶋先生。


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