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 番号 日付  題名 投稿者 返信元  読出数
1038 4/11(月)
01:06:04
 2005年入学式式辞の周辺  メール転送 芦田宏直  No.1036  3623 

 
式辞は本当に難しい。原稿を読み上げると迫力はなくなる。というより、式の参加者は、そもそも聞き手なのだから、読むというのは失礼だ。書いたものを読む、というのは、自己芝居に過ぎないからだ。

相手が聞き手である限り、話すというモードを維持するのが筋というものだ。ところが、話す、というのは、どうしても冗長になったり、散漫になったり、通俗的になったりもする。話すというのは、思考や深遠さとはほど遠いメディアだから。

たとえば、関西弁は、話し言葉の代表のような言葉だが、あの言葉に深遠さを見出す人はいないだろう。関西弁の特質は、たえず、言葉の意味が〈現在〉に集約する。話し続けることが話し続けること自体を拒絶している。絶えず自分が話したこと、言葉の連鎖を自己解体するようにして言葉を現在へ、現在へと押し出すように関西弁は存在している。

それは構築する言語ではなくて、自己解体する言語だ(話し言葉にはそもそもそういった傾向があるが、関西弁はその極値)。だから、明石家さんまの語りを文字(書き言葉)にしても全然笑えない。書き言葉にこそ真実は宿るが、だから逆に関西弁の大学教授には真実(=構築)がない。

それゆえ、話し続けねばならない式辞では深い話ができない。かといって、通俗に走るのも気が引ける。

書くように構築的に語り、かつ相手が(読み手ではなく)聞き手であることを前提にした式辞はありえないのか。これが毎年、私を悩ませる式辞のスピーチというものだ。

だから、何度やっても式辞はうまくいかない。高邁にも通俗にも徹しきれないというのが、スピーチというものだ。東大の元総長蓮実重彦のスピーチ(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130033182/qid=1113145087/sr=1-45/ref=sr_1_2_45/249-9943953-0703563)なんて、その意味では聴いていられない。あれなら、そこらの政治家(通俗の極み)のスピーチの方がはるかにまともだ。スピーチというものは、通俗を受け入れる勇気(あるいは諦め)がないと名手にはなれない。蓮実は単に臆病なだけなのだ。

私の場合は、原稿を覚えるというよりは、原稿の流れを頭に入れて(小見出しを刻むように)、それを何度か反芻して頭の中にたたき込む(そしてそれをはき出す)というようにしか話せない(だから私の話はスピーチにはなっていない)。話しながら、いくつもいくつも脇道にそれてさまざまな題材に触れたくなる誘惑に何度も駆られるが、それをやり始めると戻り道(本道の流れ)を忘れてしまい、何が話したかったのか忘れてしまう。だから脇道に逸れるのは、最小限に留めないと大失敗してしまう。

もう一つは、小見出しを一つ、あるいは二つ飛ばしてしまう、という危険。これは論理の飛躍になり、聞き手に理解の無理強いを強いることになる。今回は、小見出しはそれほど飛ばさなかったが、それでも小さなアクセントをいくつか飛ばしてしまっている。

7日入学式の前の晩には、海外短期研修提携先のアメリカ・サギノーバレー州立大学教務担当のハイジさんをその仲介をしてくれた栄陽子留学研究所(http://www.ryugaku.com/)に迎え、挨拶。ところがその日は栄陽子女史の誕生日(何歳かは不明だが)。

「芦田君、6日は私の誕生日だがら、それに研究所の前の桜坂も満開できれいだから、私のところで、ハイジさんを迎えましょう」との栄先生の言葉で、そうなったのだが、私は(明日の式辞のことを考えれば)そんなことに付き合っている場合ではない(まだほとんど何を話すのか考えてはいない)。ところが、研究所に着いたとたん、みんなでワインや日本酒をコップに入れて(私はいつもの通りウーロン茶)、赤坂全日空ホテルを背後でぐるっと取り巻く桜坂(霊南坂教会あたり)をみんなで徘徊。それは確かに見事な桜並木だったが(下記写真参照のこと)、明日の入学式を前にして私は片手にウーロン茶、頭上には150本のソメイヨシノ。ゆったりとひたっていたいところだが、私には楽しいそうに桜を愛でる人たちの“ゆとり”が憎たらしい。

20分くらいの散策の後、研究所に戻って、栄先生が用意された『なだ万』(http://www.nadaman.co.jp/menu_f.htm)の弁当をいただくことになったが、これがいけない。チラシ寿司のような弁当のそこかしこに漬け物が入っている。漬け物なんて生まれてこの方食べたことがない。みんなはおいしそうに食べているのだが、私は、別に用意してあるパンとフライドチキンばかりをやけくそで食べていた(運の悪いことは続くものだ)。それに肝心のサギノーのハイジが来るのが遅れていて、夜の8時になってもまだ来ない。「そういえば、ハイジには天丼が用意されているけれど、芦田先生、それ食べます?」と栄先生の秘書の矢野さんがこっそり教えてくれた。

「天丼? いいね。ちょっと見せて」と天丼が隠してある部屋に矢野さんと行ったが、どう考えても、私が食べたら、ハイジの分が無くなる程度にしか用意されていない。「これはまずいよ」とまた暗くなる私。

また席に戻って、チラシ寿司弁当をあけたまま食べていない私をめざとく見つけた栄先生。「どうしたの? 芦田先生、食べてないじゃないの」「いやー、漬け物が地雷のようにまぶしてあって食べられないんですよ」「そう言えば、あなた、好き嫌い多かったのよね。そういうこともあるかと、あなたの分だけ、天丼もう一つ、隠して取っておいたはずよ。矢野さん、キッチンの方見てみて」。さすが、栄先生。しばらくすると、「ありました」と矢野さん。ここでやっと落ち着いたが、もう8時半。

とにもかくにも食べるものだけ食べて、あとはハイジと握手さえすれば、私は、ハイジを栄先生に任せて逃げ去るしかない。私としてはハイジさんに、まともな式と式辞(ハイジさんもまた入学式の来賓として迎えていた)を捧げることが本来の仕事なのだから、ここは、挨拶に留めて早めに逃げ去るしかない。そう勝手な思いこみの中で、ハイジを9時前に迎え、NICE TO MEET YOU。この数秒後に私は徐々に席を研究所の出口へと移動しながら、栄先生に挨拶もせず、にぎわう桜坂を後にしながら消え去った。何で、こんな日に桜坂、と思いながら。

忙しいときには忙しいことがよく続く。仕事というものは、こんなものだ。どんな一流の人も時間がない中での仕事を、それでもなお一流とみなされている。というよりも一流の仕事というのは、8割や7割の仕事であってもそう思われることを言うのだ。われわれのような凡人は、「もう少し時間があればもっといい仕事ができるのに」と思いがちだが、しかし、仕事のできる人は、もっと時間がない中で仕事をし続けている。それが「仕事ができる」ということの意味だ。そのようにだんだん悲壮な感じになって、最後にはやけくそになっていたが、やっと私の春=式辞の季節は終わった。
 


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