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1029 | 3/25(金) 08:39:10 |
ライブドア騒動 ― ここまでの感想 | 芦田宏直 | 1 | 3082 |
しかし、ニッポン放送やフジテレビの社員は、どうかしている。どんなときでも上層部の戦略決定や戦術決定に不満な社員はいるはず。なぜ、経営方針を批判する株主が現れたら、一丸となって(と表向きはそうなっている)、社長を“守る”のか。声高に批判する必要はないが、黙っていればいいだけのこと。それが社員(現場)の強みだ。 “現在の”社員というものは、いつでも方針や戦略が違って離反した影の社員の存在(つまりその影の会社や組織)を前提に成り立っている。それは単純に勝者(=現在の会社)と敗者(=影の会社)というようには存在していない。一つの会社が存在するということは、いくつもの会社が存在している(存在しうる)ことと同じことを意味している。 亀渕社長なんて誰も評価してはいなかったし(伊集院光http://www.tbs.co.jp/radio/1101/ でさえ、亀渕を“正しく”批判していた)、日枝社長も鹿内家批判だけを錦の御旗にしてきた無能な社長なのに、なぜ彼らを擁護する? ホリエモンのしまりのない顔も身体も許せないが、亀渕も日枝も下部いじめでは陰湿な感じがする。 結局、社内の批判勢力というのは、いつでもその程度のものだということだ。強い者を倒すのに、別の強い者の力を借りようとする。それは勢力争いというものであって、〈批判〉ではない。 だから、この種の争いは会社や組織を大きくはしない(衰退させるばかりだ)。それはフジテレビの社員やニッポン放送の社員が自分たちの会社を擁護する姿勢が会社を大きくしないのと同じことだ。もちろん、社内には(社内にさえ)亀渕にも日枝にも批判的な者がいるはずなのに、マスコミはそれを報道しない。マスメディア自身が同族的に自己形成しているからだ。 株式会社にとって、本来の他者は、株主であって、それは他者であるからこそ、会社の“持ち主”なのである。株式会社の他者とは、マーケット(市場)ではなくて、株主である。それを覆い隠してきたのは、奥村宏が1980年前後に喝破した日本的経営=「法人資本主義」だ。そこでは株主こそが社員や社長を相対化して、会社をマーケットへ開かせる原理だということが全く忘れ去られている。 メディアは本来「公共的」なもの、お金で買えるものではない、などとバカなことを言ってはいけません。資本主義とは、お金こそが最も“公共的”という原理で動いているものであって、“公共的”なものにこそ、お金が(速やかに、合理的に)集まるようにできあがっているのが、資本主義(株式会社)というもの。それは、近代的な“公共性”の健全さを示すものであって、その逆ではない。社会主義の公共性は、この資本の公共性にはるかに及ばなかった。それが歴史の教訓だ。 「ライブドアに買収されたら、私は番組を降板する」と言うタレントたち(江本孟紀、中島みゆき、タモリ、倉本聡、市川森一など)の方がはるかに質の悪い(たちの悪い)社会ファシストなのだ。フジグループの社員やタレントはどうかしている。その背後でチャンスを狙っている影の社員や影のタレント(マスメディアが故意に隠している社員やタレントたち)が、次世代を形成していくのだということをすっかり忘れている。それは消えゆく世代(や勢力)の一つのおごりというものだ。それこそがもっとも非公共的なもの(たち)なのである。 |
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