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1020 3/6(日)
19:57:10
 会食編 ― IT革命は、日報と朝礼のあり方を変える  メール転送 芦田宏直  6130 

 
リコーテクノシステムズ川村社長との会食の席(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=1019)で私が話したことは、以下のような話だった。帰りに、リコーの浜田広会長(現最高顧問)の著作(『浜田広が語る「随所に主となる」人間経営学』講談社)や前東京リコーの相澤将之社長の著作(『営業の理』ダイヤモンド社)を頂いたが、いくつか私も共鳴するところがあったので、それを補って私が当日話したことを整理してみた。


私もまた、仕事上多くの営業と出会う。我が学園は、残念ながらコピー機はZEROX、輪転機はリソグラフだが、その営業やサービスマンのみならず、広報・募集の営業など一々付き合っていたら自分の仕事ができないくらいだ。

営業はいつも街を歩き回っている(顧客をつかまえられずにさまよっている)。この“行動”を把握するのは難しい。売り上げ数字で把握するだけ。数字で伸びないなら、「もっと頑張れ」と言うだけ(言われるだけ)。とりあえず売り上げを達成した場合は(来月の売り上げのために、後の有望顧客分の成績は残しておいて)、今月の残った後半は喫茶店で休んでいるか、自分の買い物をしている。そんな感じか。数字だけで管理するなら、私が営業をやってもそうなるかもしれない。

私なら、たぶん、日報(営業日報)を重視する。毎日A4一枚(1000字〜1200文字)以上の日報を書かせる。

営業は会社の中で顧客(マーケット)に一番近いところにいる存在。どんなマーケット調査にも届かない情報がそこに眠っている。

たとえば、コピー機のサービスマンは、コピー機のガラス面をクリーニングしながら、その会社のフロアーで流れる“顧客情報”を無意識のうちに聞き取っている。コピー機のサービスマンと営業の違いは、営業はその会社のチャンピオン(社内でコピー機購入についての決定権を持った人間)を間違う場合があるが、サービスマンは、その訪問頻度からしてチャンピオンを把握している。

私の学校でも、科長や教務担当の者や事務長と、“業者”とが応接フロアーで長々と話しているのをよく見かけるが、ここでの話が校長の私にまで上がってきたことなどここ3年間一度もない。私の職員と長々と話し続けた営業は全くの無駄話をし続けたことになる。

また“業者”との、こういった話に長々と付き合っている職員ほど、“残業”が多く、私の前では(組合に対しても)「忙しい、忙しい」「時間がない、時間がない」と訴える。最近、私はこの件に関して、業者との面会全面禁止という“御触れ”を出した。「業者が何か提案してきたら、私が最初に会うから(最初にあって、重要だと判断した場合には関連部署に振るから)、あなた達が、業者と面会するのは禁止します」というものだ。そもそも現場も中間管理者もルーティン業務が存在している(ルーティン業務のある者を“現場”、“中間職”と言うのだがら)。そんな業務の中で任意の業者の提案にいちいち関わっていたら、「仕事ができない」のは当たり前。一般に業者と付き合うのが好きな職員というのは、自分が(顧客として扱われて)持ち上げられるのが好きな覇権主義者。会社や組織のことなど何も考えていない。

そういった騙されやすい営業と違って、コピーのサービスマンたちは、作業中の背中で会社の何かを感じている。勢いのある会社かどうかは、営業よりもコピーのサービスマンの方がはるかに正確に早期に社内情報をつかんでいる。誰が会社のキーマン(チャンピオン)かも社内の会話を聞いていればすぐにわかる。キーマンは担当部署や役職者の“外”にいる場合も多くあるが、これは形式的なアポを取りながらの訪問営業ではなかなか見えてこないし、社内フロアーには簡単に入れない営業マン営業の限界だ。その点、簡単にフロアー内に入り込めるサービスマンははるかに有利。コピー機や事務機の場合などは、営業よりも訪問回数が圧倒的に多いためサービスマンの感度や情報の方がはるかに重要だ。

営業マンに日報を書かせるだけではなく、サービスマンにも機械故障の報告や記録にとどまらない営業日報的な情報を上げさせるべきだ。

営業日報管理の基本は、以下の通り。

A4・1枚くらい(1000字〜1200字)以上の文字情報を上げさせる。「以下」ではなく「以上」が大切。雑誌原稿ではないのだから、「以上」規定が必要。

有りもしないことをでっち上げで書く場合もあるが、ありもしないことを1000字以上も書ければ、それはそれで貴重な能力。通常は書くのが苦手な者が営業マンやサービスマンになっている場合が多いが、そのせいで、逆に書くためには、顧客情報を真剣に聞き取るようになる。書くことが苦手であればあるほど、“ネタ”がなければ書けないからだ。

営業マンが熱心に書き始めても、それを読む者(評価する者)がいなければ、すぐに日報は空虚なものになる。毎日の日報を評価する体制が必要。上長は、日報評価をたとえば、我が学園のAG評価のようにグレード評価し(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=297)、売り上げ数値に繋がる言葉を見出す訓練をする必要がある。書く能力は読む能力(書かれたものを評価する能力)なしには育たない。

さらに営業日報は、一つのサーバーに全国的な規模で集約し、それら一つ一つの言葉のすべてをフルテキスト検索したり、KJ法のようにキーワードでグループ化、体系化したりできなければならない。単なる“現場イジメ”のような日報記録ではなく、会社の全部署で再活用できるような検索データベース(シソーラスが自動生成するような)が存在していなければならない。

たとえば、
@全国の営業日報で、今月、あるいは今日、一番たくさんの文字数の日報を書いたのは誰か。その順位がいつでも見える。
A全国の営業日報で、今月、あるいは今週、あるいは昨日、上長の評価グレードの高い日報が一番多い営業所はどこか。いつまでたっても日報評価が上がらない営業所がわかったり、上長自身の評価力が見えやすくなる。
B日報の言葉の中で一番多い言葉(特に名詞)は何か。その順位がいつでも見える。これらの営業日報の諸々の言葉は、現在の自社の商品を取り巻く無意識の(=将来の)顧客ニーズと言える。それを日報に散在する言葉の変化を通して読み取れるデータベースでなければならない。
C売り上げ数値と日報評価との関係が見えやすいデータベースとすること。売り上げ数値との相関が一番高い日報の言葉がなんであるのかがたえず(全社をあげて)議論できるデータベースとすること。

そうやって、商品開発(や商品改善)、売り上げ増に貢献したキーワードをたくさん供給した営業や営業所を表彰する(評価する)体制を築き上げることが必要。書かせたことに対する全社上げての評価体制(日報を放置しないということ)がますます現場での情報収集力を先鋭化する。それは結果的にはサービスマンも含めた営業マンの顧客への姿勢を最適化する。リコー会長の浜田広は「セールスとは質問を集めて歩くこと…。お客様の質問を引き出しながら歩かなければものは売れない」と言っている。「話し合い」は「聞き合い」だと言っている(前掲書103ページ)。自社製品についてこちら側の情報ばかり伝えようとする営業は良い日報が書けない。同じことしか書けないからだ。自社製品を平面的にしか解釈できていない(自社製品を一番理解していない者を“営業”というのである)。しかし製品は「お客様」の意見を“聞く”ことによって表情を変える。そこに日報が豊かになる根拠がある。逆に言えば、日報を書くことを意識することが「話し合い」を「聞き合い」に変える契機になる。相澤将之の言う「営業の“余り”」(前掲書59ページ)も、この「聞き合い」に関わっている。

また現場の営業日報が、中間管理者を超えて、各部署で(そして)トップまで再整理されながら閲覧できるようになると、中間管理者の日報評価自体が“問題”視されるようになり、中間管理者自体も日報評価を先鋭化することになり、現場指導の活性化に寄与する。現場の沈滞は、ほとんどの場合、中間管理者の無評価、無指導が原因だからだ。

通常、営業管理は売り上げ結果でしか管理できていない。その結果へ到る内容はほとんど闇の中。中間管理者は営業マン個人の根拠のない性格的な分析(心理主義的、人間主義的)に終始している。それ以外には、「文句や理屈を言う前に、1社でも多く顧客訪問しろ」という“行動”主義に終始する。結局のところ、中間管理者は、営業を個人的に批判しているだけ。

これでは、会社の組織としての営業ノウハウは蓄積しない。売る奴は売る、売れない奴は売れない。それだけのことになる。日報の評価や分析が日常的になってくると、結果を出す営業のノウハウがどこにあるのかが、見えやすくなる。それをデータベースで集約していくとノウハウ解析の精度も上がってくる。それは中間管理者の評価ノウハウを相対的に上昇させる。場合によっては、心理主義的、人間主義的な評価しかできない、あるいは売り上げ結果的な評価しかできない中間管理者を追放することもできる。中間管理者自体を必要としないかもしれない。

結果(数値)だけで評価するのであれば、中間管理者の存在意義はない。もともと数値管理は、現場を管理するためのものではなくて、管理職の部下評価の情緒性の横暴を阻止するためのもの。それは、憲法遵守が、法理論的には、国民の義務ではなく、為政者(時の権力者)が守るべき義務であるように、組織に於ける数値目標や評価の数値化は、管理職の評価横暴を適正化するときにこそ意味がある。売り上げ結果の数値だけで評価か決まるのなら、もとから中間管理は必要がないのである。

中間管理の意味は、部下の育成にこそ最大の意義がある。部下育成の要(かなめ)は、プロセス評価。毎日の活動に毎日の評価を与えることが部下育成の鍵を握っている。評価のない組織では人は育たない。

〈朝礼〉で昨日の総括や、今日の目標が報告されない組織では期末目標は達成できない。〈朝礼〉は、組織の中で開催される“会議”の最も重要な会議であって、〈朝礼〉の集結性と集約性と迅速性(要するに、ダラダラと集まらないこと、その日のすべての案件が期末目標に向かって明示されていること、短時間で重要なことが示されるだけの共通語が用意されているということ)は組織の命運を握っている。〈朝礼〉は世間話や訓話をするところではない。

朝礼(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=40)が引き締まらないのは、前日の総括ができていないから。今日が何のためにあるのかがわからないまま一日が始まろうとしているからである。これでは期末目標は達成できない。一日が始まってしまえば、もうその日の指導は雲散霧消してしまう。そういった場合、中間管理者は、その日一日一度も部下と話す機会がないまま終えることになる(こういった中間管理者に限って部下の帰社を待たずに、帰宅してしまう)。そしてそれが何日も続くことになる。気づいたときにはもう遅い。

なぜ、そうなるのか。それは(中間管理者が)前日の総括を次の日の朝になってもやり終えていないからである。だから指示が出せない。指示が遅れる。これでは部下育成や目標達成はできない。

日報が存在しない。存在していても、上長が目を通していない。上長が目を通していないために日報の中身が形式的になる。形式的だから(役に立たないから)、上長も真剣に読まない。こういった悪循環が日報管理を空虚なものにしている。日報管理ができていない組織はしたがって朝礼が形式化している。

日報と朝礼を粗末にする組織は、目標達成ができない。達成できても継続しない。つまり自覚的な成長ができない。

とまあ、こんな話を酒も飲まずに(私は酒が飲めない)、話し続けたが、要は、講演で話したりなかった分の反省みたいなものだった。リコーグループは、ロータスノーツを使っており(“使っている”だけではなく、有力な商品の一つとして販売もしている)、ノーツの最大の意義はフルテキストデータベースの構築であったはずなのに(私の学校も96年来ノーツで授業管理を行っている)、肝心の日報テキストの評価管理システムが構築できていないのが、私の最大の不満だった。

講演終了後「給与明細もノーツで一元化しています」なんてくだらないRICOHノーツ活用プレゼンを担当者から1時間も聞かされたのだが、そんなことは本来のIT活用ではない。朝礼に間に合う前日総括がIT活用のすべて。ルーティン業務をIT化するというのは、“合理化”にすぎないが(いわゆる10年前、20年前の“OA革命”レベル)、現在のIT革命の本領は、〈変化〉(それも将来に繋がる微細な変化)を読み取る段階。これは、日報のあり方と、朝礼のあり方を根本的に変えつつある。社内をIT化しておいて、未だに朝礼で訓話をしている会社に将来はない。


1020 会食編 ― IT革命は、日報と朝礼のあり方を変える by 芦田宏直
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