モバイル『芦田の毎日』

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「一流」とは何か?(2001-04-17 02:01:21)へのコメント

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by 学生(2008-02-27 16:50:48)

通俗的で無くなるにはどうすればいいのですか?


by ashida(2008-02-27 19:11:58)

まっすぐでいい質問ですね。

簡単なことです。

1)新刊書を読まないこと
2)どの分野でもいいから、自分で何とか読めそうな古典を一冊丁寧に読み切ることです(どのページからでもいいから)

以上。


by 学生(2008-02-29 08:22:36)

実行します。ありがとうございました。


by 社会人(2010-07-30 02:29:27)

人事部署が、私の目標管理制度の申告内容を、勝手に悪い見本として研修に使用。具体的業務が書いてあり、人によっては容易に私のだとわかる。そのことを、人事担当に意見しました。

この程度のことで、文句言ったことが良かったのか気になってたら、先ほど、芦田先生のこの記事を読む機会に恵まれました。

他者の評価を気にしすぎですね。
自分は三流、いや問題外か。
人事の取り扱いは釈然としませんが、胸のつかえはとれました。ありがとうございました。


by puyo_maruo(2010-07-30 03:22:42)

先日ツイッターでも質問させていただいたものです。

>つまり社会評価は、評価にはならない。
その通りだと思いました。

他方で、
>一人の人間が、こつこつと努力してそれが認められてメジャーになる。いわゆる「出世」。
>たとえば、お笑いの西川きよしが「出世」して国会議員になる。お笑いのたけしが「出世」して映画監督になる。同じくお笑いの島田紳助が「出世」してニュースキャスターになる。
>しかしこういった「出世」はどことなくうさんくさい。
とも書かれています。

私の中では、ここで批判されているような「出世」も、「社会的地位」や「表現方法」が変わっただけであり、後段で書かれているように、『大きな会社から誘いを受けたり、多額の給料を提示されたり、芥川賞を取ったりしたら、急に偉くなったような気になって、態度が変わり始める。』となれば、批判されるべきかとは思いますが、そうでないならば、「出世」自体は必ずしも否定されるものではないのではないかと思いました。

お考えの中で、「芸人」よりも「国会議員」や「映画監督」の方が社会的評価が上、という芦田さん自身の「社会的価値観」を感じました。
私は、どのような社会的地位にあっても「たけし」は「たけし」ですし、「紳介」は「紳介」です。
彼らが以前と比べて変化しているのは感じますが、私は、その変化が地位の変化−芦田さんのおっしゃる「出世」−によって生じたものだとは思いません。

本文で、『(彼らが)自分にコンプレックスがあるのだろう。』と書かれていますが、失礼ながら、芦田さんに、「社会的地位」に対するコンプレックスがあるのではないかと感じてしまいました。

そこで、質問があります。
本文で書かれている、『しかしこういった「出世」はどことなくうさんくさい。』について、?どういった状況が「出世」なのか、?なぜそれがうさんくさいのか。
について、お考えをお聞かせいただけますか。

長文失礼いたしました。


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