by 埼玉のS.I.より(2014-04-25 19:41:15)
初めてメール差し上げます。
埼玉在住のISと申します。
芦田先生を「新報道2001」で初めて拝見しました。先生の、小保方問題に対する見解に賛同致します。
お暇な時でも見て頂けましたら嬉しく思います。
私は論文不正の問題が浮上してから、理研をはじめ世の中の外野共が、問題の本質であるSTAP細胞の存在の可否よりも、コピペにばかり囚われている様が、大変異常だと思っている一人です。
先日のテレビでも 、科学ジャーナリストの方は一般論ばかりに執着されて、あの場にはふさわしくないゲストでした。
野村さんは、安全保障や歴史問題では比較的まともなことを言うコメンテータと思い好感を持っていましたが、先日の発言は、芦田先生の言う趣旨を理解せずに的はずれな反論ばかりで、正直がっかりしました。
世の意見を、擁護派と反対派に大きく2分した場合、擁護派は不正よりもSTAP細胞に期待するスタンスであり、反対派は論文不正にのみ囚われて、STAP細胞の可否が欠落した意見が殆どです。
論文不正を戒めながらも、STAP細胞について言及するならまだましなのですが、論文不正-->STAP否定の構図です。
この論法は、左翼の方たちの言動パターンに共通するも のと感じております。マイナス面ばかりを強調して、プラス面は無視すると言うバランスの欠如です。
今回の問題で、日本人が外交以外でも外圧に弱いことをさらけ出すことになったと思います。謝罪そのものは日本文化としていい面はあるのですが、事今回のように歴史を揺るがす大発見の可能性に係わる重大事項に対しても、一企業の不祥事の謝罪のような風体は如何なものかと思います。
理研は論文撤回を表明しておりますが、もし、他の機関ですでにSTAP細胞の再現実験に成功しており、理研が撤回するのをてぐすねひいて待っている可能性も無きにしもあらずと思っております。
小生は小保方さんに期待はしますが、全面的に信用しているわけではありません。95%は 間違いないと思いますが、稀代の詐欺師の可能性は否定できません。
しかし、STAP細胞は、仮に1万分の1の可能性でも国レベルで取り組む価値のある問題と思っております。
理研が小保方さん抜きに検証する方針ですが、多分失敗するでしょう。STAP細胞の製作は、多分小保方さんの職人的な感覚と感性が必要なのではないかと想像します。
理研の最善の策は、小保方さんに再度研究の場を与えてSTAP細胞の可否を明らかにすることと思います。上手く行けばおめでた、失敗しても基に戻るだけで、週刊誌に批判される程度のリスクで済みます。
しかし、小保方さんが他の研究施設で検証した場合、それこそ理研のリスクは絶大でしょう。最悪、中国か韓国に移って検証した りしたら、理研の存続に係わる事態になるでしょう。その上、ノーベルの名誉だけでなく、医療の経済効果を考えると国益を大きく損なう問題となります。
理研はそのようなリスクも想定した上での判断なのでしょうか。
日本の過度な謝罪文化にお灸を据える意味では、そのような展開を期待する気持ちも多少有ります。せいぜい古巣のハーバードくらいにして、中国、韓国は避けて欲しいですけど。
とにかく、世のほとんどの意見は、論文不正にのみ囚われて、問題の本質を見失っているとしか思えません。樹を見て森を見ない(この場合はその逆かな)、日本人の欠点かと思います。
個々の技術は優秀なのに、統合してシステム化する能力に劣るところがあると日頃感じております。
科学者にとって、最も大事な要件は、モラルよりも想像力と洞察力と思います。理研の首脳陣やコメント学者はそれに欠けているように思われます。
その点、ips細胞の中山先生は、インタビューに対して、慎重なコメントを述べておるようです。さすがと思っております。
私はエンジニアの端くれで文章が下手なので(エンジニアでも上手な人は沢山いますが)、先生のような理路整然とした文章ではなく、取り留めのない文章になりましたが、この機会を持って、最近の不満を述べさせて頂きました。
先生の意見に反論したプログ等が散見されますが、全て感情的な中傷だけで、暇だなーという思いです。
最初に論文コピペを見つけた11jigenさんなる者も、所詮他人のあら 捜しに喜びを感じるオタクと思っております。
根拠のない誹謗中傷を気にされずに、今後共、将来の日本を担う若い人材を育成することに尽力されることを願っております。
失礼致します。
埼玉県在住 SIより
by ジャムおじさん(2014-04-29 18:23:06)
フジテレビ「新報道2001」を拝見しました。先生の発言は単純に当たり前のコトを言われているだけですが、巷に蔓延している「情緒的な小保方バッシング」のなか、よくぞ言って下さったと感激致しました。
STAP現象のネーチャー論文の写真が故意か過失かは別にして、小保方氏の博士論文の写真が誤って掲載されたのは事実のようですが、これをもって捏造と結論づけられるかは早計だと思います。
「捏造論者」の主張は「こんな大切な写真を間違える訳がないから意図的捏造のハズ」と断定していますが、視点を変えれば「意図的捏造をしようとする人間が、よっぽど間抜けな奴でない限り、捏造がばれるかもしれない発表済の写真の流用はしないのでは?」という考え方もできるのではないでしょうか?
この「視点を変えた発想」に多くの人が思い至らないのは、論文に掲載された写真に対して根本的な誤解があるからだと思います。
それは「STAP現象が本当に存在して、その現象を捉えた写真なら、専門化が見ればSTAP現象の存否を判断できるハズ」という誤解です。
論文の掲載写真なんかは単なる飾りであり、実際、ネーチャーの専門家は、論文の写真が全く関係ない流用写真であるにも関わらず、その間違いに気づかず論文をパスさせました。これはネーチャーの専門家が迂闊な訳ではなく、少し考えればわかる話ですが、STAP現象で生成された細胞だからといって、細胞自体にSTAPという文字が書いてあるのでもなければ、DNAの塩基配列が目視で確認できる訳でもないのだから、写真を見て真否を判定するのは不可能ということです。
それに気が付けば、捏造するための写真は幾らでも手に入るのだから、余程の間抜けで無い限り、ばれる恐れのある博士論文の写真という発表済みの写真を流用しないのでは?という考えにも一定の説得力があるコトがわかるハズです。
今回の捏造論も「発表済の写真を流用」したからばれた?のであって、未発表の適当な写真なら決してばれるコトはなかったのです。
つまり、写真の取り違えの件で「黒」か「白」かを論じても、真実は小保方氏本人しかわからない水掛け論に終始することになり、記者会見で明らかにすることなど、どだい無理な話なのです。
では、小保方氏が「黒」か「白」かを判別するのに大切なのは何か?と言えば、それは「小保方氏及び理研が、STAP現象が存在すると確信するに至った、一連の実験」が存在するか否かです。
仮に将来的にSTAP現象が否定されるにしても、発表の時点で「STAP現象が存在すると確信するに至る一連の実験」が確かに存在するならば、小保方氏が写真を捏造する必要性が無いというのは、一定の説得力があることになります。
では、「STAP現象が存在すると確信するに至る一連の実験」が存在したのか否か?なのですが、ここからが肝心でメディアとかで指摘するのを見たコトが無いのですが、そして先生が指摘されたのも正にこの点だと思うのですが、この点に関しての理研の態度は意味不明です。
理研は調査委員会なるもので「小保方氏は捏造」つまり「一連の実験の存在」を完全否定したのは、それは別に良いのだけれど、それなら「1年を掛けてSTAP現象の存否を再検証する」などというのは、全く無意味で金の無駄なハズ。だって小保方氏は捏造したと「断定した」のですから。
逆に言えば「1年を掛けてSTAP現象の存否を再検証する」というのは、小保方氏は研究者として未熟で、一連の実験は杜撰極まりなく、論文の執筆過程に大いに疑義があっても、理研の仲間としては「一連の実験の存在には一定の確信がある」から再検証をするということのハズ。
つまり「小保方氏が捏造でない可能性」を少しでも信じてるから再検証するのであろうコトを考えれば、現時点で「捏造」と断定するのは理研の自己矛盾だと思います。
余談ながら、小保方氏の博士論文でのコピペが問題になっているみたいですが、これも何が問題か意味不明です。小保方氏が「iPS細胞を発見しました」とか、他人の実績を自分のモノのように発表したなら問題ですが、論文の導入や背景説明は単なる事実の羅列であり、コピペしても問題無い。コピペ元に間違いがあった場合に、コピペ元に責任転嫁しない覚悟がありさえすれば、コピペは何の問題もない。
「ゆとり世代」批判が言われて久しいが、「コピペが問題だ」という非論的な発言を平気で垂れ流す学者が蔓延している問題は、「ゆとり世代」問題と比較にならないくらい致命的な問題だと思います。