by 礼隆(2012-03-18 03:07:10)
吉本隆明さんが亡くなったことを昨日の芦田先生のtwitterで知り、こちらの記事を読みました。
私の名前は礼隆と書くのですが、あなたの” 隆”はお父さんが学生の頃に大好きだったヨシモトタカアキっていう人の字と一緒なんだよ、という話を小学校の時に母から聞いたことを思いだしました。
吉本の思想や著作についてはその頃から全く知らないままでしたが、芦田先生のこちらの記事のおかげで少し知ることができた気がします。ありがとうございます。
昔、父に一度だけ作文の宿題を見てもらったことがあります。編集者だった父は、子供の(私の)作文を容赦なく真っ赤に直して、さんざん文句をいった後に「文章は像というかイメージが読み手に伝わるかどうかなんだよなぁ。わからないかなー。」とぽつりとつぶやいていました。
推測ですが、父も「言語にとって美とは何か」を読んで<像>概念に影響を受けた読者の一人だったのかな、と思い当たります。
私は芦田先生のtweetが好きで、いつも楽しみにしています。実際は、勉強をあまり真面目にしてこなかった私には難しくてわからないことのほうが多いのですが。
なぜ芦田先生に惹かれるのかは自分でもわかりませんでしたが、誤解を恐れずに言えば、芦田先生と父に相通ずるものを感じているからかもしれません。父がいろいろしゃべってくれているような嬉しさを感じてしまうのかもしれません。
今回の記事を読んで、芦田先生と私の父が似ている(ようにみえる)のは、それはほぼ同じ時代に早稲田大学で学生運動に参加し、吉本の本を熱心に読んでいたことがおおきかったのではないかという気がします。
それほど吉本隆明の思想が切実で、学生に影響を与えた時代があったんだな、と思いました。娘のよしもとばななさんが「最高のお父さんでした」と新聞にコメントしていたそうですが、吉本さんはいろんな人のお父さんだったんだな、という気がします。
以上、とりとめのない感想ですがご容赦ください。ありがとうございました。これからもtweetと芦田の毎日、楽しみにしています。
by a_togaki(2012-03-28 10:19:09)
芦田先生の吉本に関する文章を、吉本ばななさんの一連のツィート(原発問題のインタビューへのフォロー、介護や告別式を終えてのつぶやきなど)と並べて読んでいると、芦田先生が吉本隆明さんの本当の息子のように見えてきます。
吉本隆明さんの追悼のなかに紛れ込むようにして、芦田先生が実父を語るツィートをしたからかもしれません。
「悔いのない父親なんて、子供には存在しない。」
感想欄に投稿された礼隆さんが語る父親像もあわせて、父の追悼とは一体何なのだろうか、と考え直さざるを得なくなります。
そのとき、なぜだか、ハイデッガーが好んでいたと言われる芭蕉の「雲雀より上にやすらふ峠かな」の句が、頭のなかで何度も何度もリフレインされてきます。
by ネタギ(2012-07-12 23:20:56)
素晴らしい考察ですね、吉本解釈を二編かな、拝読いたしました。
そのうち、「共同幻想論」のこともレクチャーしてくださいませ。
個人的に、あれが気になって気になって。
歴史もからむために、情報として今では受容できない部分があると思うんですが、でもすごいと思っています。