by MIRACLE(2009-01-15 08:14:48)
はじめまして。芦田様。
初めて書かせていただきます。たいしたことはかけませんが。
私は三流大学を卒業したのですが、やはり「教授」が多すぎて、教えるというようなところでの実践的な「准教授(当時は助教授と呼ばれていました。)」が少なくて、教える側の組織(教授会)といったものが機能していないようでした。
ただ、私の大学では、当時、学年担当という制度があって、その学部・その学年ごとに学生の窓口になってくれる先生(私のときの担当は教授の方でした。)がいました。
ほかの大学にはそのような制度はあったのでしょうか。
あとは、当たり前ですが私の大学でも「基礎教養」の学科があったのですが、私の感想としても、「専門学科」よりも「基礎教養」のほうが重要な感じがしました。
社会人になったあとでも、「基礎教養」のなかで習ったことのほうが、役に立っていると感じています。
すいません、仕事に行かなくてはいけないもので今日はこれくらいにさせてください。
by 大田(2009-01-15 12:29:37)
キャリアパスとは何か、それはどの分野でも(比較的)シンプルに記述可能なものなのか、キャリアパスそのものの変容に学校はどう対処(準備)するのか、お聞きしたいです。
by ashida(2009-01-15 23:51:02)
ご返事、遅くなってスミマセン。
>MIRACLEさん
「基礎教養」、つまり1年や2年のカリキュラム(科目編成)はいくら保守的な大学でも毎年改善傾向が見られます。
しかし、それは(私に言わせれば)逆に肝心の3年、4年のカリキュラム(科目編成)を変えないための処置です。「変えない」と言うよりは、「手を付けられない」のです。
3、4年生の担当教授たちは、講座主義の牙城のような「ゼミ」を隠れ蓑にして、何一つ改革しようとはしていません。学生を引き回しているだけです。
たとえば、大学の「教育改革」と言えば、必ず触れられる金沢工業大学さえ、3年、4年のカリキュラムは何も変わっていません。1、2年生と高学年課程との間には溝があり、カリキュラム全体の改革にはなっていません。「特色GP」の常連のこの大学でもそうです。
1、2年生の「基礎」課程の改革が成功するかどうかは、高学年の教育目標が「高度化」するかどうかにかかわっていますが、そんな報告を金沢工大から聞いたことは一度もありません。「技術者であるまえに人間教育だ」なんてわけのわからないことを言いつづけています。大学の3年、4年は教授たちの伏魔殿(=パラダイス)なのです。
だから、あなたのような感慨(「専門学科」よりも「基礎教養」のほうが重要な感じがしました)を持つ学生がいても不思議でも何でもない。
「学年担当」という制度に関しては、最近の大学では「学年担当」どころか「担任制」を強化する傾向があります。これもしかし、「カリキュラム」の不全を補うための隠れもののようなものです。そもそもカリキュラムと履修判定がしっかりしていないのに、「学年」という概念が成り立つのか、という問題があり、「担任制」に関して言えば、カリキュラムの不備、教育の不満を人間的、心理主義的に解消しようとする大学や専門学校は、どんどん担任制を強化しようとしています。要するに「学年担当」も「担任制」も言わば「苦情処理係」のようなもの。教務上のラインでもないでもない。「苦情処理係」の本質的な仕事は、「苦情」を門前で処理することです。
>大田さんへ
「シンプル」になるかどうかは、その教員(私の以前の学校では「カリキュラムリーダー」という職制を置いていました)の「専門性」次第ではないでしょうか。ただし、どの分野も「キャリアパス」は存在すると思います。存在しないとすれば、その分野は「高度教育」の必要ではない分野に過ぎない。専門学校の資格主義業界には、明確に「キャリアパス」を描けない分野もあるかもしれません。それは、要するに「経験」で何とかなる、という世界です。「技能」主義の世界です。この世界は逆に「変化」も少ない。
専門学校が「技能」主義教育から「技術」教育に進んで、〈変化〉に対応しようとすれば、まともな「教務担当」(カリキュラム開発と履修管理の業務)を置いて、その職制を授業担当や担任業務から解放する必要があります。そのためには、今の専門学校の教員組織をもっともっと階層化する必要があります。今の専門学校の実習授業教員(実は技能実習しかできない教員)にはお金をかけすぎていて、肝心の「教務担当」が貧弱すぎるのです。現状では「教務担当」は(カリキュラムではなく)「時間割」(と教場配置表)を作っているだけです。
by ある専門学校教員より(2009-01-17 23:05:11)
芦田さんの専門学校教育論、大学教育論を読んでいると、燃えてきます。
芦田さんの吉本論( http://www.ashida.info/blog/2009/01/nhketv.html#more )を読んでいると、ちょっと勝てない気がしてへこみます。
by 大学教員(2009-01-17 23:08:16)
芦田先生
寒中お見舞い申し上げます。本年もよろしくお願いします。
今回のご報告,大変な力作ですね。それぞれに輝く100の項目が見事に連鎖する形式は,ベンヤミンの「パサージュ論」のようだと感じました(僕が「パサージュ論」を多少でも理解できているかどうかは怪しいのですが,「パサージュ論」のところどころの輝きはとても印象的です)。
カリキュラムを通して教育と就職が結びつけなければいけないというご指摘(をされていると思うのですが)は,とても重要だと思いました。容易なことではないと思いますが,企業の姿勢をも揺るがすような教育改革が実現するといいですね(と思いました)。