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「MSキャビン」の中田郷子は間違っている ― 患者団体はなぜ反動的になるのか(いくつかのコメントを頂きました)(2008-10-20 00:50:15)へのコメント

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by ashida(2009-05-27 01:35:10)

「医師の判断なしに患者が自己判断」すればいいと、私がどこで言ってるのですか。

中田さんが「自己診断することへの警鐘」をするのなら、同じように医師が誤診することへの警鐘や製薬会社の利益主義にも警鐘を鳴らさなければならない。場合によっては厚労省の過誤にも言及しなければならない。

患者の自己診断も怪しいのですが(かなり怪しい)、同じように医療の専門家たちも間違う場合がある。そして患者団体のリーダーも間違う場合がある。私はそう言っているのです。

「話した上での感想」などどうでもいいのです。私は書かれていることがおかしいと言っているのです。


by ユウキ(2010-05-05 22:20:51)

記事を拝見させていただきました。

何点か言いたいことがあったので書かせていただきます。

芦田さんは「社会でも弱者は配慮されない、されない者を弱者と呼ぶ」とおっしゃっていましたが、芦田さん自身病気を抱えている方々を「弱者」だと感じているということですよね。そしてその「弱者」が社会的に配慮されていないということも。

病気を抱えている方々は故意的に「弱者」になったわけではないはずです。

社会が配慮してくれない状態で「特権化」してしまうのはある意味自然な行為だと私は感じます。生きていく上での条件がそもそも平等ではないのだから。

というかまず、「特権化」という表現がそもそも失礼かと。

さらに、「弱さそれ自体(同情)を組織化しようとする」とありましたが芦田さんの考えている同情の組織は、私からしたら一人一人が立ち上がろうとする徒党です。

頼れるはずの医師から治せない、わからないという言葉を聞いて不安にならないはずがありません。

頼れるものがない時に同じ病気を持った仲間と励ましあったり、相談したりする、これは同情ですか?

私はみんなが前に進もうとしていると感じます。

一概に批判できる立場に、芦田さんがいるとは私には思えません。

「単独で情報を集めるべき」、確かに自分の病気の知識をつけようとすることは大切です。しかし専門家でもない人たちにとってはそれにも限界があります。そして頼るところは同じ人たちの意見であったりするわけです。

「仮説で家内が犠牲…」とありましたが、社会的に治療法が手探り状態の病気に対して仮説も何もないような…

犠牲なんて言葉をだしたら、芦田さんの奥さんだけじゃないです。私の母もそうです。

きりがないんです、何かのせいにしても。

全てが行き当たりばったりなのだから。芦田さんが中田さんの意見をおかしいと言ったように、私も芦田さんの意見を同じように批判してみました。

こんな風に人の意見は十人十色です。

芦田さんの意見に励まされる人がいるように、中田さんの意見、芦田さんが批判したもので励まされている人もいます。

自分の意見を述べるのは大切ですが、まちがっている、おかしいなどと意見を押し付けるのはやめたほうがいいと思います。そういうつもりがなかったとしても、少なくとも私からはそう受け取れましたので。

長々と失礼しました。


by ashida(2010-05-06 16:15:01)

身内に難病患者を抱えながら、よくもまあこんな「失礼な」ことを「長々と」書けますねぇ。

私は中田さんの人格(ヒューマニティ)を批判してるのではなく、彼女がMSキャビンで取ってきたベータフェロンやNMOに対する態度を具体的に批判しているだけのこと。

その点に触れないあなたの意見、しかも形式的な「十人十色」意見など話になりません。そういった形式論がこの病気の治療の啓蒙を妨げているのです。

バカなことを言わずに出直しなさい。あなたのお母さんも浮かばれないよ、そんなことでは。


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