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退職しました(その2のプレ議論) ― 専門学校に於ける情報リテラシ教育とは何か?(2008-10-10 08:12:30)へのコメント

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by 教員より(2008-10-11 10:45:02)

ハイパーテキスト論は分かりやすい内容で読みやすかったですよ(95年当時はまだ東京工科の教員ではありませんでしたが)。

自分も東京工科専門学校の教員になる前は(物理的な)経験から技術や知識を広げていくことしかできないアイランド的な技術者だったのですが、この学校のコンピュータ教育とPowerPoint講義授業構築のおかげで数々の「目から鱗」的体験を今もしています。

データベースには無限に情報があるし(当然、真偽を確かめなくてはならないが…)次々に沸いてくる「何で?」をある程度簡単に調べることができる。様々な分野の専門家の知識がリアルな映像と共に吸収できる(とは言えその時点での個々の脳力にも関係してくるが)。

こんな時代に専門学校の授業では何を教えればいいのか? それが最初の壁でしたが。

ディスクブレーキパッドの交換作業実習においてはどこまで知識が理解されているかの確認、もしくは知識を思い出すためのキーとしての役割なのではないかと思います。

パッドを見たらパブロフの犬のように無性に交換したくなる、兵隊のような技術者を養成しているわけではないので、大事なことは、パッド(やディスクロータ)に対する知識。技術者として必要な知識(原理、種類、材質、特性、機能、付随部品に対する知識など)が必要。

そこが理解できていないとまともなパッド交換はできない。開発を目指している学生以外はこれぐらいの理解でいいと思う(もっともそういう学生は自らハイパーテキストするだろう)。

しかし、このような内容は教科書には詳しく書かれていない。これを知ったらたかがディスクパッド(と一般には思われているだろう)という物がものすごくおもしろいものに見えてくるのではないだろうか。

教えるほうも楽しいし、教わるほうもおもしろい。興味を持てば自分から調べるようになるだろうし。本当の意味での学生になれる。卒業して就業していても、お客様との会話もおもしろい。職場でのコミュニケーションにも使える。ちょっと期待しすぎかもしれないがそういう可能性もあるなと。

我々が学生だった頃は教科書ベースでの授業。スクリーンがあってもOHPぐらい。それに比べれば学生(生徒)も教員ももっとおもしろい授業ができるはずな時代だと思っていますが日本の教育は相変わらずな状況なのはどうしてなんでしょうかねぇ。

このままだとこの国は滅びますよ。


by HABS(2008-10-12 19:18:56)

1995年8月に、すでにこんな情報リテラシー論が学内で議論されていたというのは驚きです。

驚きの理由はふたつあります。

ひとつは、 Windows 95日本語版の発売(1995年11月23日)よりも前、つまり日本国内でのインターネット普及よりも遙か以前という状況であったこと。もうひとつは、13年も前にこれだけの議論を行っていながら、学内での情報リテラシーの普及は、なかなか進まなかったこと(1年ほど前まで、カルテの得点集計をノーツで自動処理していたのは、まだ私ぐらいだったことを思い出しました)。

しかし大学や他の専門学校に比べて、教材データベース、履修管理のデータベースがこれほどまでに充実している学校は絶対ないでしょう。全ての教員が少なくともパワーポイントにインターネットの豊富な教材を集約している学校は東京工科専門学校以外にはありません。

95年のこの議論が生きていると思います(私もこの議論に参加したかった)。


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