by 通行人A(2008-10-07 17:40:17)
真の「職業教育」を実現しようという情熱は、現在の専門学校業界の内部に、まだ少しでも残っているのでしょうか。
この記事を読んだ専門学校の現関係者(経営者、教員、学生)は、この記事をどのように受け止めるのでしょうか。
この記事を書かれた芦田様自身が専門学校を退職されたとのこと。それ自体が、専門学校は所詮5流以下の大学で終わることを物語っているように思いました。
by 中央工OB(2008-10-07 19:42:39)
先生ご無沙汰しています。
中央工OBです。
退職・・・・・お疲れ様でした。
新しい旅立ちまで時間有りましたら是非一杯!
by さかひと(2008-10-08 02:22:07)
芦田先生お疲れ様でした。
勝手に先生と呼ばせていただいてますが、確かにあなたは私の先生でした。
二年前に、まったく経験のない専門学校の世界に飛び込んだ私にとって、どうすれば魅力ある学校になるのか、学生を満足させる学校となるのか、教職員がやる気をもてる学校とできるのか、まったくわかりませんでした。
そんなときに先生の自己点検、自己評価の考えを拝見し、そこに道が開けた思いがいたしました。
理事長、学校長、教職員に、このBLOGを紹介し、すこしづつ取り組んでいたところです。
残念ながらその歩みは遅く、これからも芦田先生の取り組みを、参考にしたいと思っておりました。
先生の学校の見学が出来なくなった今となり、一度も見学に行かなかった自分が悔やまれてなりません。
我が学園の者達も、きっと同じ思いを持つ者が多いはずです。
最後になりましたが、出来ることならば以前先生もBLOGに書かれていました、「自己点検・自己評価」をまとめた本、期待しております。是非是非発刊お願い致します。
by ashida(2008-10-08 04:40:02)
>通行人Aさん
難しい話しだなぁ(苦笑)。でも私が声高に「改革」を叫ぶより、学園に残った者が、自分の言葉で、自分の思想で一歩一歩確かめながら進むことも大切なような気がします。それは確かに小さな、そして遅い歩みかも知れませんが、誰からも指図されない自分の理解である分、逆に強い、本来の力になるかも知れません。
私が学園にいるかぎり、いつもの私の「声高」な指導の分、「改革」はインフレーションしていたと思えば、私が学園にいないことはそれ自体「改革」の契機でしょう。右往左往すること自体が地歩を固める良い契機になる、と思います。頑張ってもらいたい。
>さかひとさん
ありがたいお言葉、感謝します(泣)。8月1日以来、ずーっと自宅にこもっていますので、こんなお言葉を頂くと、私も「社会人」だったのかと思い直しています。
ワイシャツのクリーニング屋さんやマンションの管理人が、なぜ芦田のワイシャツは最近出てこない、なぜ芦田は朝方出ていかないなどといぶかり、不審者のような扱いを受けていますが、「さかひと」さんのコメントを読むと、私も仕事をしていたんだと再認します(喜)。
8月1日以降、何もする気が起こらず、その気になったのは、 iPhone 3G とPS3のオーディオ活用くらい(笑)の日々でした。未だに仕事をする気が起こりません。
来週、ある大学のFDコンサルの話が来ていますが、どこまでお役に立てるか(でも頑張るつもりです)。
また11月からは、月に一回(年をまたぎ)「これからの専門学校を考える」( http://www.ashida.info/blog/2008/09/post_300.html#more )の泊まり込み研修が東京・高田馬場で始まります。是非参加して下さい(お安くします)。
いずれにしても、私が教育の現場から離れる事はないと思いますから(家内の病気のコンサルくらいはやるかもしれませんが・笑)、いつかまたお会いしてお話しできるときもあるでしょう。理事長、学校長、教職員のみなさんによろしくお伝え下さい。
見学については、私が仲介しますから、いつでもどうぞ。
出版については、この際生活費もかせがなくてはなりませんから真剣に考えていますが(苦笑)、「家内の症状報告」( http://www.ashida.info/blog/cat8/ )の方が売れるような気がします(苦笑)。今しばらくお待ち下さい。
by 703号(2008-10-08 04:57:03)
芦田先生
ご無沙汰しています。ブログ、読ませていただきました。読んでいるうちに,以前に小山学園の会議にて,芦田先生と「専門学校卒業生はブレーキパッドの交換作業の向こうに自動車の全体世界を見通せるか?」といった議論をしていたことなどが思い浮かび,とても緊張しました。専門学校も大学も難しいですね。一言,感想を書かせてください。
僕は3年ほど前に1年間,アメリカの大学に居候をしていました。アメリカはとてもヘンな国だと思いますが,日本で生活をしていると,日本もかなりヘンな国だと思えます。僕はアメリカのほんの一部分を知っているに過ぎないので,ステレオタイプな話しかできませんが,当たるも八卦当たらぬも八卦の余興で,アメリカと日本を比較させてください。
僕はアメリカ(の一部)と日本(の一部)には以下のような違いがあるように感じます。
■アメリカ(の一面)
大学(というより大学院)は何かができるようになる学生を育てる(大学では教養教育の比重が高いが,大学院は専門教育に特化しているといえるのではないだろうか)。
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企業は何かができる学生を採用する。大学/大学院における評価(成績,学位など)が非常に重視される(したがって学生はよく勉強する)。評価が高いことが「何かができる」ことの証明と考えられている。
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学生は採用時にすでに何かができるわけなので,入社後の研修というのは基本的に存在しない(研修はすでに大学/大学院の中で行われている)。
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企業は学生の能力に応じた給料を支払う(初任給が一律ということはありえない)。
↓
社員は常に評価と競争にさらされ,給料の増減や昇進やクビと闘い続ける(しかし,そこに能力の向上もある)。
↓
自分の価値=能力=給料を上げたければ大学/大学院に進めばよい。企業は,年齢に関わらず能力がある人材をいつも求めているので,中途採用は比較的容易である。
■日本(の一面)
企業は能力ではなく素質のある学生を採用する。SPI試験(一般常識テスト/適正検査)は重視するが大学の成績は気にしていない。学生は,授業をさぼって会社訪問をし「元気いっぱいいい質問をすること」がもっとも重要である。
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初任給は一律である。
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仕事をする能力は研修を通じて企業が養成する(企業は大学に期待をしていない)。
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基本的に終身雇用であるため,企業内の競争は熾烈ではない(難しい人間関係とかはあるのだろうが…)。
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一定の競争を図るために評価制度が試みられたりもするが,評価方法が定着しているとは思えない。企業は学位も信用していない(特に博士号は信用されていない)。
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能力を測る方法が定着していないため,中途採用も定着しない。
ようするにアメリカは競争社会で,競争社会を成り立たせるための方法が確立していると思います。日本では競争を成り立たせるための方法が曖昧で,馴れ合いが横行していると思います。よく言われる話ですが,アメリカではハーバードやイエールを出ていないと大統領になれないかもしれませんが,日本では東大・京大を出ていないても総理大臣になれそうです。
実に不思議なことだと思うのですが,日本では,大学入試が個人の能力(教養力)を計るモノサシとして不思議にうまく機能していて,企業は,その教養力+SPI試験で学生を評価できてしまっていたりしないでしょうか? だとすれば,大学がやっていることは,高校までに身についてしまった教養力に多少の幅を持たせることくらいなんでしょうか?
日本はヘンですが,しかし,アメリカの方が優れているといえるはずはなく,アメリカにもヘンな矛盾はたくさんあります(競争をあきらめてしまっている人がたくさんいるのも矛盾かなと思います)。それでも,日本はどうしようもなくアメリカを向いて,アメリカ化を目指しているように思えます。最近のFD(ファカルティ・ディベロプメント)もそんな流れではないでしょうか? ご存じのように,日本の大学では,最近,アメリカでは当たり前だった授業評価アンケートやシラバスの厳格化(詳細化)が急速に整備されつつあったりします。大学の人事も任期制度などのアメリカ型を目指して変化していると思えます(アメリカの大学で感心したのは,学科長が大変に偉いということでした。日本の学科長(学科主任)は単なるお世話役としか思えないのですが…)。日本がアメリカを目指しても,なかなかうまくはいかないだろうなと思えてなりません。
僕の周りでも大学の専門学校化(講義を軽視して演習を重視する傾向。研究を軽視して実務を重視する傾向)が進んでいるように思えます。しかし,それでいいのかという疑問を大いに感じます。一方,研究が何の役に立つのかと問われれば「わかりません」としか答えられなかったりします(学生には「自分で考えなさい」と答えますが…)。
またいろいろ教えてください。どこかでお会いできるといいですね。