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 生成AIの教育活用について 、あるいは知識・スキルの定着について ― テキストの要約、詳論、問題作成の多様で多層な展開が大学教育と大学教員にもたらす効果について 2025年02月02日

ここまでの私の生成AIへの評価。

生成AIは、一つの書き物(論文や既存の文献)が存在すれば、あらゆる観点からその内容の、別のものへの変奏(言い換え)が可能になる。この〈変奏〉こそが、〈教育〉の実体。※変奏とは、この場合、シラバスへの変奏、小テストやドリル、あるいは期末試験への変奏、難易度別の教材への変奏、そして、それぞれの変奏の無限に多様な展開などを指す

客観性の高い選択問題などは、教員が作るのが最も苦手な問題だが、4択、5択にとどまらず10択問題まで瞬時に作り出すので、しかも無限に多様に(難易度別にまで)作り出すので、これを使わない手はない。選択肢を10択作るのは人間業ではなかなか大変なことだが、生成AIでは数秒でできる。しかも難易度別に10択問題が作成されるので、下位層にも上位層にも個別最適な訓練ができる。

記述問題でないと深い思考力の成否は問えない、と言いながら、いい加減な記述回答にいい加減な〝採点〟をくり返す大学教員であっても、10択の選択問題が難易度別に(数秒、数分で)生成されれば、その〝深い〟思考も客観的に採点可能になるだろう。鵜呑みにするのは危険だとしても教員個人の出題と採点に任せているよりははるかに成績評価の検討が容易になる。ChatGPTのChatとは、メタレベルへの多様で多層な変奏のことだ。

「授業がうまい」先生とは、この変奏能力に長けている人のことを言うが、生成AIのおかげで、研究者としての教員本人の書き物さえ存在すれば、どうにでもなる時代を開きつつあるのが、生成AIの時代だと言える。

〝書き物〟さえ、100字に纏めろ、1000字に纏めろ、5000字に纏めろ、と指示すれば長い博士論文も瞬時にわかった気になるだろう。わかった気になるだけだと嫌味を言う教員もいるが、長いままだと誰も読んでくれないし、たとえ読んでもこれまたわかった気になるだけだ。同じわかった気になるだけなら、多層な誤解を多層にクリ広がれらる方が、誤解の質も、理解の質も上がるに違いない。

その上「100字に纏めろ、1000字に纏めろ、5000字に纏めろ」と学生自身が指示し始めれば、これ自体は全文を深く読むプロセスに入ったと言える。これまではこのプロセスの手前の、教員の下手な解説で終わっていたわけだ。しかもそのつどの纏め文字数の練習問題が多様、多層に加われば、鬼に金棒だと言える。

さらにもっと大きな利点は、特定の段落を切り取って(場合によっては飛躍のある、纏めすぎの段落や書き手がそれほど詳しくない箇所を選択しながら)、その文字数の5倍、10倍などの分量において詳論させることも可能になっている。このまとめと詳論プロセスを何度もくり返しながら一つのテキストを読み込む訓練を重ねていくと読解力は格段に飛躍するに違いない。

このことによって、ほぼ壊滅しつつある講読(原典講読も含めて)の授業も復活するだろう。一冊の本をさえ読み切ったことのない大学生(場合によっては教員さえも)がたくさんいる現状には、福音ツールだ。そもそも学士課程教育の本道は専門書を読みこなすことにあったはず。

これまで、論文を書くことと、教育を行うこととは別のことと言われ続けてきたが、生成AIのおかけで、その接点が見えてきたのではないか。どんな教員も自分が教えたいことを書き続ければいいのです。長ければ長いほどいい。長ければ長いほど変奏の精度は上がる。プロンプト(生成AIへの質問文)が長いほどいいように。

一つの書き物を仕上げておけば、そこから無限に試験問題を作ることができるというのは、教育の現場にいる人間にとって夢のような出来事だ。公文のような小刻みな難易度を想定した試験データベースを誰でも作ることができるということなのだから。優れた書き手(いろいろな意味での専門家)が一人いればいいだけのこと。大学教員ほど、試験問題を作るのに下手な人たちはいない。その点で、授業が下手な大学の先生も(論文さえまともなら)なんとかなる時代がやってきた。

そもそも大学教育は中等教育のように参考書も塾も家庭教師も予備校も全国模試も存在しない。これまでの大学教育が財務省にも企業にも信頼されなかったのは、在学四年間の教育成果の第三者指標が見えず、授業評価(履修判定)が教員の主観的な裁量評価に埋もれていたため。最近では「関心・意欲・態度」点なるものが期末試験の点数とは別に付加されて、期末試験40点でも単位認定される大学がほとんどだ。

期末試験がそのように緩くなると学生は勉強しなくなるし、教員の教材開発動機もゆるみ、授業改善も進まない。中等教育までなら、教室の教員と授業の不備を塾が補ったが、大学は教員自身が手を抜くと誰も補う者がいない。そのため教員は試験自体を緩くして自分の不備を繕うしかない。学生の〝基礎学力〟不足へのサービスだとうそぶきながら。

では大学の授業になにが足りないかと言えば、結局は〈練習問題〉なのだ。大学教員は与えるばかりで、〝訓練〟を行わない。授業の内外での〝訓練〟が足りない。〝訓練〟とは、講義、実習かかわらず、習ったことが定着する過程のことだが、それがここで言う〈練習問題〉のこと。ところが、大学教員がいちばん作りたがらないのは、この〈練習問題〉。論文を書くより、場合によっては手間がかかるからだ(そもそも〈論文〉は、教員にとって、未知のものに対する挑戦の書だが、練習問題はある種の反復にとどまるため、退屈そののなのだ)。ましてや「選択問題なんて」ということになる。選択問題では学生の思考力を深く問えないと能書きを言う教員もいるが、実際の理由は、記述問題より選択問題を作る方がはるかに手間がかかるからだ。

令和5年7月 13日に「事務連絡」として、提案された生成AIの教育活用に対して出された文科省(文部科学省 高等教育局 専門教育課 大学教育・入試課)の認識は、教育の「利活用」について、「たとえば」と続けて、「ブレインストーミング、論点の洗い出し、情報収集、文章校正、翻訳やプログラミングの補助等の学生による主体的な学びの補助・支援」としか提示できない。

これは、大学教育の衰退局面を何もわかっていない人の書いた文章。今の大学教育に決定的に足りないのは、〝練習問題〟なのだということになぜ触れないのか。

一つの書き物(論文)さえあれば、多層で無限に教材や練習問題が作れるとすれば、それらの〝手間〟はほぼ解消する。生成AIを前提にしたカリキュラムや時間割の編成(科目数を減らし、一科目の単位数・時間数を増加させること)が今日の大学教育にとっての生成AI活用の最大のポイントである。

生成AIの活用の要点は、利用する本人が本質的に知らないことを生成AIに聞いてはいけないということだが、自分が知っていることの変奏については、無限に変奏したとしても、こちらで評価ができるため、無害なことは何もない。生成AIの倫理的な原則は、知っていることしか聞いてはいけないという矛盾した自体であるが、それは当たり前のことで、生成AI自体が自己言及的な矛盾だからだ。重要なことは、ただ一つ、自分の知っていることをいかに広く深く保持できているかどうかだ。しかしこの課題は、大学教員が大学教員「である」ことの本質にかかわっているため、生成A!活用は大学にこそ適していると言える。

よく、鵜呑みにするのは害悪だともっともそうに言う先生がいるが、あなたの授業の方が遥かにでたらめに満ちているよ、と言いたくなるばかり。私は『シラバス論』の著者だが、シラバスも教材もテストも全国津々浦々まともなものに出会ったことがない。その点でも、教員は極小の教材(その最たるものがPowerPoint)や小テストに甘んじることなく、基本的に90分で教えたいことの〈論文〉を書き続ければいいのでは。それさえあれば、シラバス書式がどう変わろうが、小テストの問題数が何問に増えようが、そして予復習の教材がどこまで必要とされようが、手間なく、学生の要求(あるいは必要)に応えることができるようになる。使わない手はないではないか(了)。

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以下の諸機能が、上の3200字記事の生成AIによる〈変奏〉機能。これらに読者の読解能力を意識した回答をもとめることも自由にできるが、今回は以下のものに留めた。

【要約機能3200字→400字版】
上の記事(3200字)の400字版まとめは、以下の通り

生成AIは、教育現場での活用において無限の可能性を持つ。特に、知識やスキルの定着において重要な〈変奏〉を容易に行うことができる。論文や教材を基に、シラバス、小テスト、期末試験、難易度別教材など、さまざまな形式に変換可能であり、これにより教育の質が向上する。選択問題の作成は教員にとって負担が大きいが、生成AIを活用すれば瞬時に多様な問題を作成でき、学習者のレベルに応じた適切なトレーニングが可能となる。また、記述問題の評価にも客観性をもたらし、教員の負担を軽減できる。

さらに、文章を要約したり、詳細に展開したりする機能を活用することで、学生の読解力を鍛えることができる。これにより、講読授業の復活や、大学教育の質向上が期待される。従来、論文執筆と教育は別物と考えられてきたが、生成AIを活用することで両者の接点が見え始めた。教員が自身の専門知識を論文にまとめ、それを基に教材や試験問題を作成すれば、教育の質が飛躍的に向上する。

現在の大学教育では、〈練習問題〉の不足が大きな課題となっている。生成AIを活用すれば、手間をかけずに多様な練習問題を作成でき、学生の学習支援が容易になる。文科省の生成AIに関する指針は限定的であり、大学教育の実態を反映していない。教育の本質は、知識の変奏とその定着にある。生成AIを活用すれば、教育の質を向上させるだけでなく、教員の負担を軽減し、より効果的な学習環境を構築できるだろう。


【要約機能3200字→1000字版】
生成AIと教育の革新:変奏による学習の可能性
生成AIの本質は、既存の書き物(論文や文献)をあらゆる観点から変奏(言い換え)できる点にある。この変奏こそが教育の実体であり、シラバスの作成、小テストやドリル、期末試験、難易度別教材の展開といった多様な教育活動に応用できる。

特に、選択問題の作成は教員が苦手とする作業だが、生成AIは4択から10択問題まで瞬時に作成し、難易度別にも無限に生成可能である。人間が作成するのが困難な高度な選択問題を短時間で作れる点は、教育の個別最適化に大きく貢献する。また、記述問題の採点が主観的になりがちな大学教員であっても、AIを活用した選択問題を用いれば、客観的な評価が可能になる。

優れた教員とは、授業内容を柔軟に変奏できる能力を持つ人だが、生成AIを活用すれば、教員自身が研究者として執筆した内容を基に無限の教材を作成できる。たとえば、博士論文の要点を100字、1000字、5000字にまとめることも可能で、長い論文を読まない学生にも情報を適切な分量で提供できる。さらに、特定の段落を切り取り、それを5倍、10倍の詳細な解説に発展させることもできるため、読解力の向上に寄与する。

この技術によって、大学教育における講読授業の復活も期待できる。現代では、一冊の本を読み通した経験のない大学生や教員すら存在するが、生成AIの助けを借りれば、体系的な読解訓練が可能になる。学士課程の本来の目的は専門書を読みこなすことにあるが、それをサポートする手段として生成AIは有効だ。

これまで、論文執筆と教育は別の営みとされてきたが、生成AIによってその接点が明確になってきた。どんな教員も、自分が教えたい内容を論文の形で書き続ければ、それを基に無限に試験問題を作成できる。これは、試験問題作成が苦手な大学教員にとって画期的な変化である。

大学教育の最大の課題は、練習問題の不足である。大学では、参考書や予備校が存在しないため、教員が訓練の機会を提供しなければならない。しかし、教員は講義を行うばかりで、学生に必要な練習問題を作成することには消極的である。特に、選択問題の作成には手間がかかるため、敬遠されがちだ。

このような状況を踏まえ、文部科学省が2023年7月に発表した「生成AIの教育活用に関する事務連絡」では、ブレインストーミングや情報収集などの活用例が挙げられているが、大学教育の衰退の本質を理解していない内容にとどまっている。大学教育に本当に必要なのは、学生の訓練機会を増やすことであり、生成AIを活用した練習問題の作成こそが求められている。

さらに、生成AIを前提としたカリキュラム編成や時間割の再構築も重要である。科目数を減らし、一科目あたりの単位数・時間数を増やすことで、より深い学びを実現できる。

生成AIを利用する際の基本原則は、「知らないことをAIに聞いてはいけない」という点だ。しかし、自分が知っていることを変奏させる分には問題なく、それによって教育の質を向上させることができる。大学教育における生成AIの活用は、教員自身の専門知識の深さと直結しており、その意味で大学こそが生成AIの恩恵を最大限に受けるべき場である。

一部の教員は「AIを鵜呑みにするのは危険だ」と主張するが、現状の授業が必ずしも正確であるとは言えない。むしろ、AIの活用によって、シラバス、教材、試験問題の質を向上させることが可能になる。例えば、授業で扱う内容を90分の論文として執筆すれば、それを基にシラバスや教材、小テストの問題を簡単に作成できる。こうした変奏を通じて、学生の要求や学習の必要に応じた教育が実現する。生成AIの時代において、この技術を活用しない手はない。


【詳論機能180字→2000字】

たとえば、上の記事の一段落

「そもそも大学教育は中等教育のように参考書も塾も家庭教師も予備校も全国模試も存在しない。これまでの大学教育が財務省にも企業にも信頼されなかったのは、在学四年間の教育成果の第三者指標が見えず、授業評価(履修判定)が教員の主観的な裁量評価に埋もれていたため。最近では「関心・態度・意欲」点なるものが期末試験の点数とは別に付加されて、期末試験40点でも単位認定される大学がほとんどだ」

この段落の意味を2000字以上に詳論しろ、と生成AIに指示したら、以下のように回答がありました。


大学教育の課題と評価制度の現状についての詳論

1. 大学教育の特徴と中等教育との違い
大学教育は中等教育とは異なり、参考書、塾、家庭教師、予備校、全国模試といった補助的な学習支援システムが整備されていない。中等教育(主に高校)では、受験という明確な目標があり、生徒の学力を測定するための全国共通試験が存在する。一方で、大学教育はより自主的な学びを前提としており、学習の進度や内容が個々の学生の選択に委ねられることが多い。

この違いにより、大学に進学した学生の多くは、自ら学ぶ姿勢を持たなければならないが、実際には高校時代のような「与えられた課題をこなす」学習スタイルを抜け出せないまま、主体的に学ぶことができずにいる場合が多い。そのため、大学教育の成果をどのように測定し、評価するかが長年の課題となっている。

2. 大学教育の評価が財務省や企業に信頼されない理由

大学教育が財務省や企業に信頼されてこなかった最大の理由は、教育成果を客観的に測定する指標が存在しないことにある。高校までの教育は、定期試験や全国模試、大学入試の結果などの「外部評価」によって一定の学力が証明される。しかし、大学ではこうした全国的な統一試験がないため、学習成果がどの程度向上したのかを示す第三者評価が極めて困難である。

特に企業側からすると、大学の成績や単位取得状況が、学生の実力や職務遂行能力を反映しているかどうかを判断するのが難しい。例えば、日本の大学の成績評価はA(優)、B(良)、C(可)、D(不可)といった相対評価が主流であり、絶対的な知識やスキルの向上を測るものではない。このため、企業の採用活動では大学の成績表よりも、面接やインターンシップなどの実践的な評価手段に頼らざるを得ないのが現状である。

また、財務省が大学教育に懐疑的なのも、大学ごとに教育の質や評価基準が大きく異なるため、予算配分を行う際に明確な基準を設けることが難しいからである。たとえば、工学部の学生と文学部の学生では求められる学習成果が異なるが、それを一律に評価する指標がないため、どの大学にどれだけの公的資金を投入すべきかの判断が困難となる。

3. 大学の評価制度の主観性とその問題点

日本の大学教育における成績評価は、多くの場合、担当教員の主観的な裁量に委ねられている。これは、大学の講義が高校のような統一カリキュラムではなく、各教員の専門性や教育方針によって大きく異なるためである。その結果、同じ「A評価」でも、ある大学や教員では厳格な評価のもとに与えられ、一方では比較的容易に得られるなど、成績の信頼性が担保されにくい。

特に近年、大学の成績評価において「関心・態度・意欲」という指標が導入されることが増えている。これは、単なる試験の成績だけでなく、授業への積極的な参加や課題の提出状況なども評価の対象とするものだが、この評価基準が極めて主観的である点が問題視されている。

例えば、ある大学では期末試験の点数が40点でも、「関心・態度・意欲」の評価が高ければ単位が認定されるケースが多く、これが「大学の学問的厳格さを損ねる」との批判を招いている。成績の公平性が担保されなければ、優秀な学生とそうでない学生との差が曖昧になり、企業側も成績を採用基準として信頼しづらくなる。

4. 「関心・態度・意欲」評価の背景とその是非

この「関心・態度・意欲」点の導入は、単なる知識の暗記だけでなく、学生が積極的に学ぶ姿勢を評価する意図がある。しかし、これが単なる「出席点」や「形式的な態度評価」に終始してしまうと、本来の学問的な評価とはかけ離れてしまう。

この評価方式の導入の背景には、次のような事情がある:

出席率の低下を防ぐため
多くの大学で、授業に出席しない学生が増えているため、一定の出席率を確保するために「関心・態度・意欲」点を評価に組み込む大学が増えた。

学生の学習意欲を向上させるため
試験の点数だけで評価されると、一夜漬けの勉強で高得点を取る学生が有利になり、継続的な学習が軽視されるという問題がある。そこで、日々の授業への積極的な参加を促すために、この評価を導入する大学が増えている。

しかし、これが過度に甘い評価となり、「単位のバーゲンセール」化してしまうと、大学教育の信頼性が低下するリスクもある。特に、試験の点数が40点でも単位を取得できるようなシステムでは、学力が十分でない学生が卒業できてしまうため、大学の卒業証書の価値そのものが低下する危険性がある。

5. 企業・社会が求める大学教育の改革

こうした問題を解決するためには、大学の評価基準の透明性を高め、客観的な成績評価の仕組みを導入する必要がある。

例えば、以下のような改革が求められる:
全国共通の卒業認定試験の導入(TOEICのようなスコア型試験を導入するなど)
成績評価の基準を統一し、各大学・学部間での公平性を確保する
インターンシップや課外活動の成果を成績に反映させる仕組みの整備

これらの改革が進まなければ、大学教育が形骸化し、最終的には「学位の価値が低い」と見なされるリスクが高まる。企業や社会に信頼される大学教育を確立するためには、より厳格で透明性のある評価制度の導入が不可欠である。

(以上が生成AIの回答)

これは書いた私からすると80点くらいの詳論だが、どんな私の読み手よりまともな解釈だと思います(笑)。こういうことを各段落、各フレーズ、各テキストで学生自体がやり始めると知識の定着課題は、かなり解決します(そもそも今の大学教員なら要らないかも)。

もともと纏め機能はMS-Wordにもありましたが、この詳論機能は生成AIならではのこと。明日からでも授業に使わない手はない。


【練習問題・模範解答作成】

さらに、先の約3200字の記事の練習問題(記述問題)と模範解答を生成AIに作らせたら以下のようになりました。なんと、指示もしていないのに11~20問は(自分で考える)応用問題になっている。至れり尽くせり(笑)。


記述問題 & 模範解答
1. 生成AIの「変奏」とは何を指すか、説明せよ。
模範解答:
生成AIの「変奏」とは、ある書き物の内容を多様な形式や用途に再構成することを指す。具体的には、シラバス、小テスト、ドリル、期末試験、難易度別教材などへの変換を含み、それらを無限に多様な形で展開できることが特徴である。

2. 文章内で述べられている、生成AIを活用することの教育上の利点を三つ挙げよ。
模範解答:
難易度別に選択問題を瞬時に作成できるため、学習者のレベルに応じた訓練が可能になる。
論文や教材を異なる字数に要約・拡張することで、読解力を向上させる機会を提供できる。
大学教員が試験問題や練習問題を作成する負担を大幅に軽減し、教育の質を向上させられる。

3. 記述問題と選択問題の違いについて、本文章で述べられている視点を踏まえて説明せよ。
模範解答:
記述問題は深い思考力を問うとされるが、採点が主観的になりがちである。一方で、選択問題は客観的な評価が可能だが、作成が難しく、特に10択問題のような高度な設問は人間には困難である。生成AIを用いることで、選択問題の作成が容易になり、客観的な評価が実現できる。

4. 生成AIが大学教育において特に有用であると考えられる理由を説明せよ。
模範解答:
大学教育では、参考書や全国模試といった外部の補助システムが不足しており、教員の授業の質が直接学習成果に影響を与える。生成AIを活用することで、教員は自身の論文をもとに多様な教材や試験を作成でき、学生の学習環境を改善できるため、有用であると考えられる。

5. 文章中で述べられている「わかった気になる」という表現の意味を説明せよ。
模範解答:
「わかった気になる」とは、内容を表面的に理解しただけで、深い思考や十分な理解に至っていない状態を指す。長い論文をそのまま読むのではなく、要約や変奏を繰り返すことで、誤解を含みつつも理解を深める機会を増やせると筆者は主張している。

6. 生成AIを活用することで「講読」の授業にどのような影響があると考えられるか。
模範解答:
文章の要約や詳論を繰り返し行うことで、学生の読解力が向上し、講読授業が復活すると考えられる。また、書き手の意図や背景を深く理解する訓練にもつながり、専門書を読みこなす力が養われる可能性がある。

7. 文章内で述べられている、大学教員が「練習問題」を作りたがらない理由を説明せよ。
模範解答:
大学教員は、練習問題の作成を単なる反復作業と捉え、論文執筆に比べて知的挑戦が少なく退屈だと感じるため、積極的に作成しようとしない。また、選択問題の作成は記述問題よりも手間がかかることも理由の一つである。

8. 生成AIの活用が、大学教育の「カリキュラムや時間割の編成」にどのような影響を与えると考えられるか。
模範解答:
生成AIを活用することで、科目数を減らし、1科目あたりの単位数や時間数を増やすことで、より深い学びを実現するカリキュラム編成が可能になると考えられる。

9. 文章中で述べられている「関心・態度・意欲点」とは何か説明せよ。
模範解答:
「関心・態度・意欲点」とは、学生の期末試験の点数とは別に、授業への積極的な参加や学習態度を評価するために付与される点数のことを指す。これにより、期末試験の点数が低くても単位を取得できるケースが多くなっている。

10. 筆者は大学教員の試験作成能力についてどのように評価しているか。
模範解答:
筆者は大学教員の試験作成能力を低く評価しており、特に選択問題の作成が苦手であると指摘している。また、試験が緩くなる傾向にあり、それが学生の学習意欲の低下を招いていると批判している。

11〜20の問題は、上記の内容を応用した質問

11. 「変奏」の概念を自分の言葉で説明せよ。
12. 生成AIによる試験問題の自動作成が、教育にどのようなメリットをもたらすか具体例を挙げて説明せよ。
13. 「読解力の飛躍」とは具体的にどのようなプロセスを指すか。
14. 文章で述べられている「大学教育の本道」とは何を指すか。
15. 筆者は、大学教育において参考書や模試が存在しないことをどのように評価しているか。
16. 生成AIの活用が「論文執筆」と「教育」の接点を生むとされる理由を説明せよ。
17. 生成AIを使った練習問題の作成が大学教育を改善する理由を述べよ。
18. 「教員は90分で教えたいことの論文を書き続けるべき」とする意見に賛成か反対か。理由を述べよ。
19. 生成AIの活用にはリスクがあると考えられるが、その点について筆者はどのように述べているか。
20. 本文の内容をもとに、大学教育の未来について自分の考えを述べよ。

模範解答は、それぞれ文章の内容を踏まえつつ、自分の考えを述べる形になります。

以上が生成AIのOUTPUT。私が時間をかけて作るより上手いかもしれない。一部模範解答(5番)に間違いがあるが、それが「わかった気になる」という私の文言がシニカルな箇所なので、AIに理解できなくても仕方ない(笑)。

さらには、20問選択問題と解答は以下の通り。

5択の選択問題(20問)
1. 生成AIの「変奏」とは何を指しますか?
A) 文章をそのままコピーすること
B) 文章を異なる形式や用途に再構成すること
C) 文章を削除すること
D) 文章を短縮することのみを指す
E) 文章を完全に新しい内容に書き換えること

正解:B

2. 文章によると、選択問題を作るのが苦手な人は誰ですか?
A) 学生
B) AI開発者
C) 大学教員
D) 高校生
E) 企業の採用担当者

正解:C

3. 生成AIを活用することで、選択問題の作成に関して得られる利点は何ですか?
A) 問題の作成時間が大幅に短縮される
B) 作成された問題の質が保証される
C) 人間よりも創造的な問題が作れる
D) 記述問題の採点が不要になる
E) 教員の仕事が完全になくなる

正解:A

4. 記述問題の採点における問題点として、文章で指摘されているのは何ですか?
A) 採点が客観的に行われにくい
B) 採点の時間がかかりすぎる
C) 採点する人によって評価がばらつく
D) 深い思考を問うはずが、実際にはいい加減な採点が行われることがある
E) 以上すべて

正解:E

5. 文章によると、生成AIを活用した授業の最大の利点は何ですか?
A) 授業を自動で行える
B) 研究が不要になる
C) 学生ごとに最適化された問題を提供できる
D) 記述問題をなくせる
E) 学生の意見を統一できる

正解:C

6. 「100字にまとめる」「1000字にまとめる」などの作業を行うことの効果は何ですか?
A) 要約の練習になる
B) 深い読解力を養う
C) 教員の説明を聞くだけよりも効果的な学習になる
D) 多層的な理解を促進できる
E) 以上すべて

正解:E

7. 生成AIが講読の授業の復活に貢献するとされる理由は?
A) AIが自動で本を読むから
B) 要約や詳論を繰り返すことで読解力が向上するから
C) 学生が本を読む必要がなくなるから
D) AIが教員の代わりに講義を行うから
E) 試験がなくなるから

正解:B

8. 大学教育に「参考書や全国模試が存在しない」理由として挙げられているのは?
A) 大学の授業はそれぞれ独自の内容だから
B) 学生が模試を受けたがらないから
C) 財務省が予算をつけないから
D) 教員が試験を作るのが得意だから
E) 企業が大学教育を支援しないから

正解:A

9. 「関心・態度・意欲点」が導入された目的は?
A) 学生の出席率を上げるため
B) 期末試験の点数が低くても単位を取得できるようにするため
C) 採点の手間を省くため
D) AIに評価を任せるため
E) 試験の難易度を上げるため

正解:B

10. 生成AIの活用により、大学教員のどのような負担が軽減されると考えられますか?
A) 試験問題の作成
B) 記述問題の採点
C) 授業資料の作成
D) シラバスの作成
E) 以上すべて

正解:E

11. 文章によると、大学教育において決定的に足りないものは何ですか?
A) 予習
B) 練習問題
C) 実験授業
D) 記述試験
E) 教科書

正解:B

12. 大学教員が練習問題を作りたがらない理由は何ですか?
A) 作成が単純作業で退屈だから
B) 記述問題より手間がかかるから
C) 研究の方が優先されるから
D) 選択肢の作成が大変だから
E) 以上すべて

正解:E

13. 生成AIの活用に適したカリキュラムの特徴は?
A) 科目数を減らし、1科目の単位数・時間数を増やす
B) 教員を減らし、AIが授業を行う
C) 実技科目をなくす
D) 記述問題を廃止する
E) シラバスをなくす

正解:A

14. 文章の中で述べられている「プロンプト」とは何ですか?
A) AIへの質問文
B) 試験問題のこと
C) 授業の準備資料
D) 学生のレポート
E) 教科書の索引

正解:A

15. 文章で述べられている「自己言及的な矛盾」とは何ですか?
A) 生成AIが自分自身について語ること
B) AIが知らないことを聞いてはいけないという原則
C) AIが間違いを繰り返すこと
D) AIが同じ回答をすること
E) AIが情報を持たない分野の質問を拒否すること

正解:B

16. 文章で述べられている「大学教員が90分で論文を書くべき」理由は?
A) 授業内容を明確にするため
B) シラバスや教材が簡単に作れるため
C) 試験問題を無限に作成できるため
D) 学生の要求に応えられるため
E) 以上すべて

正解:E

17. 文章の中で、生成AIを活用しない理由として最も適切なのは?
A) AIを信頼できないから
B) AIの活用方法が確立されていないから
C) 既存の教育体制が変化に対応できないから
D) AIは教育に適していないから
E) 生成AIは違法だから

正解:C

このような選択問題を作成しました! 5択形式なので、テストや練習問題として使いやすいです。

以上。

この問題が適切かどうかは別にして、実際、教育現場で大学教員が作る練習問題と解答(記述式)はもっと不適切なものが多いことだけはたしかだ。重要なことは、練習問題自体が、内容を喚起するということだ。読んでない人でも問題文自体から、何が書いてあるのかをイメージできる。問題文の多様で多層な数々から〈本文〉を読む動機が生じてくる。〈本文〉の読み損ねも見えてくる。下手な教員の下手な解説よりもまともな〝解説〟になっているということが、多様で多層な問題作成機能の重要な教育要素だ。書いた私自身でさえ、「そういうことを書いていたのね、私は」と思うことたびたび。練習問題の第三者的な作成は、教員自身の無意識と研究の系譜学の縦糸・横糸の可視化なのである。それが〈研究〉と〈教育〉の接点ということだ。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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