【増補版】一生に一度の披露宴謝辞(親族を代表して) 2023年06月12日
●最後にして最初の披露宴謝辞
※当日は流れに身を任せて、と思って話す内容をまとめて原稿にすることはなく、記憶をさぐって一週間かけて自己文字起こししました)
「それでは両家を代表して、新郎のお父様、アシダヒロナオさまより御挨拶でございます」(司会・久富慶子)。
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今日のこの披露宴、最初のつかみの演出がよかっただけで、あとは何というかありがちな演出で、なんだかなぁと(会場・笑)。
先ほどの新婦の、ご両親への言葉も長すぎてつまらないし(新婦から「ひどーい」の悲鳴、吉村崇さんから「言い過ぎだろー」会場・大笑)。
プロデューサーというものは(会場・笑)、表現者なのですから、個人的な出来事に騒いだりしてはいけないのです。普段は控えめで、公私共々いろいろな出来事を心に収めて(治めて、納めて)、それらすべての思いを〈作品〉に集中して爆発させる、それが〈表現〉というもの、「プロデューサー」というもの(「そのとおりだぁ」という吉村崇さんの大きな掛け声が。大笑)。
だから、こんなところで盛り上がっていてはいけないのです。その意味で今日の披露宴は、62点でした(「点数が高すぎるぞー」と大声の吉村崇さん。大笑。そこで私は「身内のえこひいきと許してください(笑)と)。
先ほどは新婦のナツコさんからご両親への御挨拶の中にもありましたが、もしナツコさんのお父様が「優しい」お父様だとすれば、芦田の家系は皮肉やいじわるや批判の遺伝子の固まりで、この両家が一緒になることは、それはそれで人類にとっては(会場・笑)、いいことではないかと思っております。
その批判的精神で、『巨人の星』の星一徹のようになって鍛えたきっかけがフジテレビの『めちゃイケ』でした(「他局かよー」の声、笑)。土曜日20:00にはテレビの前に座って、「太郎、この演出の意味がわかるか、このテレビカメラの、この画角の意味がわかるか、ここでディレクターが指示出しているぞ」(会場・大笑)などと毎週私は解説し続けたのです。太郎は黙って聞いていましたが、結果的にはそのことが積もり積もって、テレビ局にお世話になることになったのかなと思っています。
学生時代、ろくに勉強もしていなかった太郎ですが、なぜか就職には強くて、三井物産、電通、博報堂、テレビ朝日と次次に内定をもらいまして、毎回面接を終える度に〝家族会議〟を開いていました。「人生で一度くらいはまともな勉強をしないと」と言って、私は三井物産を押していました。太郎もその気になっていましたが、テレ朝の人事担当が、「物産に行くのは仕方ないけど、最後にわれわれのお願いだけは聞いて欲しい」と、生放送のミュージックステーションの現場を太郎に見せてくれたわけです。これがいけなかった(会場・笑)。
秒単位で一挙手一投足乱れず動く、大道具さん、小道具さん、タレントさん達の動きをみて、「自分の仕事場はここにしかない」と太郎は思ったようです。「NHK紅白のスタッフもこの生放送演出の現場を勉強のために見に来るらしいよ」と家に帰ってきて興奮して彼は喋っていました。電通のゴルフ焼けした役員には、「テレビなんて俺たちが作ってんだよ」(会場・笑い)と驚かされても、太郎の決断は変わることはありませんでした。これも親のテレビ好きの自業自得かな、と私は諦めざるを得ませんでした。
そんな太郎にとって、この一年は大変な年でした。昨年(2022年)1月にアマゾンスタディオ(Amazon Studios)から引き抜きの話があって、テレ朝を辞めるという話を私が知ったのは昨年の7月。引き抜きとは言っても、一ヶ月に一回程度アメリカ本社の面接を英語で受けて、決まったのが7月。引き抜きという外面的なきっかけとは言え、彼の動機は、高齢者寄りにますます試聴層が限られつつあるテレビとはまた別のプラットフォームで仕事をしたいというものでした。
私は〝昭和の人間〟ですので、太郎がテレ朝に就職したときから、絶対辞めるな、やるなら役員を目指せ、と言っていましたから、まさに「寝耳に水」でしたが、条件はただ一つ「〝円満退社〟であること」でした。
テレ朝があなたを育ててくれたのだから、これまで一緒に仕事をさせて頂いた、今日この会場にもたくさん来て頂いている演者さんのみなさん、またテレ朝の先輩・同期・後輩のみなさんとも、今後一緒に仕事ができるような辞め方をしないと、意味がない。その関係が築けていないのなら辞める資格も権利もないと私は言いました。
辞める過程の中で、印象に残ったことがありました。テレ朝の名プロデューサー、加地さんが太郎に語った言葉です。「私もあなたの立場だったら、同じ行動を取ったかもしれない。でも私は演者たち(芸人さんたち)を捨てることが出来なかった」と。さきほどサーヤさんも御挨拶の中で「裏切り者め…(笑)」と言われていましたが、よりよい作品を作りたいといつも奮闘されている演者さんからすれば当然のことではないかと(「そうだー」と会場の声、笑)。
この演者さんたちの気持ちを断ち切らないためにも〝円満退社〟は必須だったわけです。なによりも演者さん自身がそれを望んでいたのだと思います。今日はすべてがテレ朝演出のような披露宴になっていますが、これこそが演者さんへの恩返しだったのではないかと思います(会場・「そうだぁー」の声、笑)。
お正月には帰ってくる太郎に、「売れる芸人さんって何が違うの?」と聞いたことがあります。「人間性かな」と太郎は答えました。「長い間トップレベルの仕事をし続けている人は、特に人間性だよ」と。
なんだか、と私はその時思いましたが、芸人さんの人間性ってどういうことだろうと、それ以来私はずっと考えていました。
太郎はずっとバラエティ部門での作品作りをやってきました。『めちゃイケ』以降、演者さんの作り出す〈笑い〉が、息子の、生涯の作品作りを決めたわけです。〈笑い〉の世界が特殊なのは、さんまさんや松本人志さんでも〝すべった〟時には顔を赤らめて恥ずかしい顔をする。笑いの大家(プロ中のプロ)でもとても反省される。大学教員は、どんなに授業を失敗しても反省しない(会場・笑)。「学生の学力が低い」とまで開き直る。特に大家になればなるほど開き直る。しかし笑いの大家は、大家でさえも素直に恥ずかしいと、顔を赤らめます。
この違いはなんなのか。〈笑い〉は準備が効かない。大学教授や研究者の優劣は、準備(ストック)の量や質で決まる。準備をすればするほど、授業の質も高まる。論文の質も高まる。でも、〈笑い〉はどんなに脚本やネタを準備してもすべるときはすべる。新人も大家も受けるときもあればすべるときもある。〈笑い〉の失敗は、平等に存在しているわけです。この平等性を、カントは緊張と弛緩との関係、ベルグソンは秩序からの逸脱と考えました。優れた考察だったと思います。
同時通訳の天才、村松増美さんは、「芦田先生、同時通訳で訳せないもの、一番難しいものは何だと思いますか。ジョークなんです」と、私に言われたことがありました。西洋人の常識である新旧聖書やシェークスピアの全文を熟読していても(ここまでは大学研究者の仕事ですが)、それを使ったジョークで、その会場を実際笑わせることは、また別の問題なわけです。〈文献〉への知識だけでは、あるいは精確な〈翻訳〉だけでは会場を笑わせることはできない。
村松さんは「国際ユーモア学会理事」という経歴をお持ちでした。なんで?といつも私は思っていましたが、そのときはじめて私はその理由がわかりました。〈笑い〉は訳せないのです。アリストテレスやヘーゲルの文献を訳すようには〈笑い〉は訳せない。知識や辞書や準備だけでは訳せない。
そういう局面にいつも立たされている人たちが、〈芸人〉さんです。観客を相手にして、「あなたたちは笑いの学力が足らない」などとは言えないわけです(会場・「そうだぁ-」の声・笑)。いわば、顧客志向の頂点に立っている人たちが芸人さんです。
「顧客志向」と言えば、なんだかマーケティング「理論」のような月並みな言葉に聞こえるかもしれませんが、もちろんこれはマーケティングでもなんでもない。問答無用の、ケチを付けることの出来ない相手、全肯定しなければいけない〝お客さん〟を相手にし続けているのが、芸人さん達なのです。突然大声をあげる芸人さんや客をいじる芸人さんがいますが、あれは、〝お客さん〟が怖くて怖くてしようがないからなのです(会場・「そうだぁ-」の声・大笑)。
息子の太郎が魅力を感じたのは、キャリアの上下を問わない、こういった芸人さん達の、顧客に向かう、真摯で謙虚な態度だったのではないでしょうか。そのことを、太郎は「人間性だよ」、と言ったのだと思います。
私の生涯の仕事は、準備に次ぐ準備を経ないと生まれないような言葉を紡ぐことですが、太郎の仕事の核は、どんな準備をしても、どんなにキャリアを積んでも解体を余儀なくされる芸人さんたちの覚悟を共有するものだったわけです。たしかにそれは魅力的なものでしょう。大学教員も含めて、「プロ」と呼ばれている人たちの中でももっとも〝謙虚な〟人たちが芸人さんたちだったのですから。
こんなふうに親と子供とで、対極の仕事をすることになった、これも家族の在り方の一つだと思います。新婦のお父様の優しさと私の意地悪な精神との対極と同じように、仕事の上でも対極なものが結びついた方が、よりパワーのある家族、未来を切り開く力のある家族になっていくのではないでしょうか(会場・「そうだぁー」の声、笑)。
さて、そんな家族のとば口に立った若い、今日の二人に言っておくことがあります。最近は心理学者や臨床家さえ読まないフロイトですが、彼には「女性の性について」という論文があります。
そこで、フロイトは、女性(あるいは男性)を卓抜な仕方で〝定義〟しています。〈女性〉とは最初に愛された者(最初に愛された性)が同性のものを言う、と。逆に言うと〈男性〉とは最初に愛された者(最初に愛された性)が異性である者のことを言う、ということです。これが彼の〈性〉の〝定義〟です(まだまだフロイトは複雑なことを言っていますが、それはここでは省略します)。
「最初に愛された者」とは簡単に言うと〈母親〉のことです。〝女の子〟の恋愛は、だから同性に対する恋ですから、大失恋に終わる運命(禁じられた恋)なわけです。男子は、思春期になって、母親(異性)の像を反復するだけでよい(これはちまたで言われる〝マザコン〟とは少し違いますが)。
この二つの〈性〉の違いは大きい。相対的に言って、男性は、いつでも女性の好き嫌い(女性の選別基準)が明確ですが、女性は、愛すべき(愛されるべき)原型を原初に逸している分、とても曖昧です。
一言で言うと、女性は、男性に愛されることによってはじめて愛し返すパワーを得るということです。一方、男性は、自分が(相手のことを)大好き!と思うだけでもう恋愛は終わっているわけです。男性の恋愛は最初から終わっている。いつでも好きで選んだ女性は満点以上なわけです。不満はない。「えっ、こんな女のどこが」とみんなに言われても関係ない。
女性はその逆で、どんな男性に選ばれても不安なままです。原型がないからです。「大好き!」と毎日男性から言われ続けないと(言葉だけではなく、行動でも示さないと)、いつでもどこへでも飛んでいく存在です(よく言えば、まさにその種の花粉 ― 生物学では花粉は精子らしいのですが ― のような仕方で、女性の柔軟な生命力が存在しているのですが)。
生涯、相手に対して「満点」をつけることがないのが女性の本質です。定年退職の日に、妻に、三つ指つかれて「お世話になりました」と、別離を告げられ動転する亭主がいますが、原初の両性の異質な体験がそうさせているわけです。満点だった、わざわざ「好き」と言うまでもなく好きな女性(妻)から突然「別れたい」と言われるのだから、そりゃ、大変なことです。男性からすれば「突然」であっても、女性からすればつもりに積もった我慢がそこで爆発したわけです。
はたして、うちの太郎は、いま新婦のナツコさんからみて何点の男なんでしょうか。(先ほどの二人のなれそめのビデオを見ていたら)いつもデートするとき何メートルも前を勝手に歩く太郎の後ろ姿をみて、ナツコさんは、「この人が好きだ」と思ったらしいのですが ― その勝手に先を歩く癖は私の癖そのものだったのですが ― 、そんなに距離を置いて、これから何十年にも渡る男の身勝手な〝愛〟がもつのでしょうか(会場・笑)。
ナツコさんの謝辞によれば、私は「シャイ」な人らしいのですが、たしかに50年以上に渡る家内との関係の中で「好きだ」と家内に言ったことは一度もありません。中学校以来50年以上も(正確に言えば55年以上も)そんな勝手な愛し方をすると(家内とは同級生恋愛でした)、その家内は2003年に難病(初期には「多発性硬化症」と誤診され、結局「視神経脊髄炎」ということに)で倒れてしまい車椅子生活を余儀なくされ、20年に渡る過剰なステロイド投薬で「ムーンフェイス&バッファローショルダー」のおデブさんになった (家内に代わって弁解すると、彼女のステロイド投薬以前の体重は48キロ、身長は中学校以来162センチでした。今日ここにきている世田谷区立千歳中学校の同級生たちは、「太郎のおかあさん、あんなにデブだっけ」とびっくりしていると思いますが、これは〝ステロイドデブ〟です)。
今日は結婚式+披露宴+開式前の準備など8時間あまり車椅子のままなんとかもちましたが、この会場には別室に休憩用のベッドを用意、ヘルパーも2名待機しておりました。無事終えることができそうでホッとしておりますが、こんなことを親子に渡ってくり返してはいけません。『めちゃイケ』では私の指導が効いて少しは見倣ってくれたところがあったかと思いますが、これからは、しっかりナツコさんをホールドし、夫婦揃って元気に添い遂げていただきたいと思います。
今日は、台風一過の快晴になりましたが、(岐阜在住の)新婦のお父様は、昨夜から新幹線移動ができず、本日正午からやっと動きはじめた新幹線名古屋駅構内で5時間立ちん坊で並ばれ、やっと乗車できた新幹線の中では1.5時間立ちっぱなしだったそうです。次女(ナツコさん)で、最後の娘の結婚式には特別な感慨があったでしょうが、さぞ悔いが残る5時間+1.5時間だったでしょう。そんな中でもお父様は同じように名古屋駅構内で待ち並ぶ幼い子どもたちやその家族を(自分より)先へ先へ進ませておられたらしい。式典はその優しいお父様の気持ちが充分に表れたよい式典でした。
お父様以外にも、台風通過の交通トラブルの中、駆けつけてくださったみなさま、3時間を優に超える披露宴にお付き合いいただいてありがとうございました。みなさまのますますのご健康とご健勝を祈念して、両家を代表しての御挨拶に代えたいと思います。今後とも旅立つ二人をご支援ください。ありがとうございました(会場・拍手)。
2023/06/03 オークラ東京(2階「オーチャード」)にて
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わたしも、先生の娘に生まれたかったです。