【増補改訂版】今日の大学教育の衰退について ― あるいは、学力論、動機論、試験論、そして教育の組織性についてver15.0 2022年10月18日
今日の大学教育の衰退について ― あるいは、「学修成果の可視化」について
教授する術を心得ていることや知を教授すること、さらには知識を生みだす術を心得ていることは、私たちが問うている古典的かつ近代的な伝統においては、作品を生みだすこととは異なる。教員自身がその作品に署名するわけではない。彼ないしは彼女の教員としての権威は、作品に対する作者の権威とは異なる。(ジャック・デリダ)
※文中に出てくる(●●●)などの表記は、その直前の語句の上に付く傍点ルビを意味します。悪しからず。
【目次】
偏差値格差をどう乗り越えるか ― 多様性教育の害悪について(〝優秀な〟学生はどんな大学のどんな教員の下でも存在している)/成果の継続的な拡大 ― 「組織的な」教育の必要性について/〈修得〉主義と〈履修〉主義について ― 試験主義と出席主義の起源/拡張された学力概念の害悪(1) ― 科目教育の軽視と履修主義/拡張された学力概念の害悪(2) ― 内発的な動機論(意欲主義)は、カリキュラムと試験を形骸化する/拡張された学力概念の害悪(3) ― カリキュラムこそが〈動機〉の形式であることについて/生涯学習と学校教育との違いについて/反多様性論としての「学修成果の可視化」について ― 低さの標準性、高さの標準性/杜撰な大学の杜撰な試験 ― あるいは、終わりのない動機論の杜撰さについて/60点未満の「落伍者」にしか関心のない大学/就職の現象学 ― 学内退学者を抱えたままで就職の質が上がるはずもない/中等教育と大学の自己点検・自己評価/パワポ授業の現象学 (1)― 箇条書きでは何もわからない/パワポ授業の現象学 (2)― 箇条書きの反対語としての「narrative形式」/再論・授業改善はどうでもいい/試験調整(●●)を放置する最後の砦としてのメンター主義(担任主義)と卒論ゼミ主義/結語 ― 諸悪の根元としての試験の私物化について/参照・参考文献
⚫偏差値格差をどう乗り越えるか ― 多様性教育の害悪について(〝優秀な〟学生はどんな大学のどんな教員の下でも存在している)
今日の大学の序列化は、入学時の偏差値(入学試験のレベルとその解答のレベル)でほとんど決まっており、入学後卒業までの4年間の教育力がその入口の偏差値格差を相対化するところにまでは至っていない。文字通り、東京大学の入学試験は「とても難しい」という評価に伴って、そしてまたその入学試験を解ける大学生の〝基礎学力〟の高さによって大学の教育評価の大半が決まっている。
企業が一般的に当てにしているのは、残念ながら、偏差値による大学ヒエラルキーであって、このヒエラルキーは、基礎学力の高さ、特には苛烈な受験勉強で形成された基礎学力の高さ、その高低の選抜にとどまっている。「大学の選抜性(入学偏差値)によって就職状況が異なること」(小杉礼子)は昔も今も変わらない。入学後の大学教育(4年間、124単位以上の教育)は、このヒエラルキーにほとんど抗えていない。
授業自体、教育自体は一流大学も三流大学もそんなには変わらない。教員の教育能力に大きな違いはない。どこの大学でもやりっぱなしの授業、講演のような授業をやっていることに変わりはないが、〝一流〟大学では、二つの担保がある。一つ目は、教員の不親切な授業を補う学生の基礎学力が担保されていること。二つ目には、わからない授業が続いても、卒業する価値(ブランド)は担保されているということ。好き勝手な授業をやる個性的な(●●●●)教員の授業などほとんどまともに聞かずそれ以外の学内外の活動が活発な個性的な(●●●●)学生の多様性が生きるのも、基礎学力の標準性と大学ブランドの社会性(歴史性)があってこその話である。
むろんどんな若者でも、20歳をまたぐ18歳からの4年間は大学が何もしなくてもかなり〝成長〟する時期に当たる。その上で言えば、二つの担保のない「多様性」は人の顔は百人百様という、教育以前の多様性(個性)、成長の自然的な多様性のことでしかない。そんなことを再認するために人は、高い授業料を払って高等教育を受けるわけではない。
文科省が使う「多様な学生」という場合の「多様」を「ダイバーシティ」と同義のように理解する人がいるが、この「多様な学生」とは、勉強の〝できない〟学生が大学に進学してくる時代の学生の特質を意味している。つまり「多様な学生」とは、従来の大学教育に付いていけない、勉強が不得意な学生のことを言う※。
※文科省が「多様な学生」という言葉を使った最初の答申は、(私の知る限り)1991年の大学審答申「平成五年度以降の高等教育の計画的整備について」だったが ― まさしく中曽根臨教審直後の答申 ― 、そこでは「高等教育の規模が拡大し、多様な学生が学ぶ状況で、学生の学習意欲の向上を図り、学習内容を着実に消化させるためには、学生の学習に配慮した教育プログラムの開発・提供に取り組むことが重要である」と指摘されている。「学生の学習意欲の向上を図り、学習内容を着実に消化させるため」の「多様な学生」ということだ。アメリカ的な「ダイバーシティ」(ある種「生物多様性」論的な)とは異なる「多様な」という言葉の使い方で導入したことは明らかだ。
アメリカの大学の「ダイバーシティ」は、留学生であれ、経済的に恵まれていない学生であれ、学力は高くて当たり前というような風潮があるが(『ハーバード大学はどんな学生を望んでいるのか?』栄陽子)、日本のように受験偏差値による大学間格差が(一部の超エリート校との格差を除いて)大きくない分、一つの大学内での学生格差はむしろ大きく、リメディアル教育の必要性はアメリカの方が深刻な面もある。R・ホーフスタッターは、第一次世界大戦前後から始まる「大津波のように押し寄せてきた移民の子どもたち」への教育の取り組みを指摘しているし、ギデンズは17世紀まで遡って、ピューリタン的な「子どもの訓育」がアメリカの学校教育の起源だとしている。元々母国語が異なる移民の国だったアメリカの言語的・文化的な「アングロサクソン化」の移行機関が「学校教育」だった。「それに加えて」とギデンズは続ける。「それに加えて、学校は機会均等というアメリカ社会の理想を教え、移住者に新たな生活を築きはじめるよう奨励していった。誰もが平等に生まれているという観念は、他の国で同等の制度が確立されるかなり前に米国における大規模な大衆教育の発達を結果的にもたらした」(『社会学』改訂第三版)。苅谷剛彦が「アメリカでは一部の超エリート大学を別にすれば、学生の学力の分散は日本以上に大きい」(『アメリカの大学・ニッポンの大学』)と言うのも、ヨーロッパ型と異なるアメリカの大学の特殊事情を物語っている。その意味ではアメリカの大学の方が日本の中途半端な(研究もできない、教育もできない)大学よりはるかに「教育」の大学である。
文科省はすでに「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」=「四六答申」(1971年)において、アメリカ型に倣うような教育重視の大学組織論を提案していたが、「この改革構想は大学関係者の強い反発を買うものであり、政策としては具体化されることなく終わった」(天野郁夫『大学改革を問い直す』)。アメリカでは、学生の所属する組織は「カレッジ」と呼ばれ、教員組織は「デパートメント」と呼ばれている。日本では〈教育〉と〈研究〉とが一体化したヨーロッパタイプの「ファカルティ」(学部)に教員と学生の双方が属している(同前)。そのため日本における大学は、〝一流〟から〝三流〟まで、すべて「教育も研究も」というマインドに充ちている。昨今の「学長ガバナンス」論は、この「四六答申」の半世紀後の展開ともなっている。なんといっても「多様な学生」の現状は1971年(四大進学率20%以下)と今とでは比べようがない。大学=大学生「多様性」論の詳しい言及については、拙著『シラバス論』57頁以降参照のこと。
もちろんどこの大学にも優れた教育を行う教員はいるし、どの低偏差値大学の学生にも、偏差値の高低にかかわらず入学後の成長度の高い学生はいる。どこの大学のパンフレットにもその種の教員や学生が登場している。個人的な成果としてみれば、したがって低偏差値大学(〝三流〟大学)であれ、高偏差値大学(〝一流〟大学)であれ、どこでも同じ〝成果〟を出している。
これらの成果は、〝一流〟大学の場合には、「さすが」と言われることになるが、〝三流〟大学であれば、世間的には例外扱いになる。入学前、高校生が大学選択を行う際に、「私もこうなりたい」「私もこうなれる」と(偏差値を超えて)保護者共々確信してもらえるような大学を作るには、大学側が個人の(多様な)成果の一つとしてではなくて、大学の組織的な教育の成果だと示せるもの ― まさに「学修成果の可視化」 ― が必要になってくる。入学した誰もが、入学した時点から、大学の教育目標(授業目標)に向かってどこまで前進できるか。これが「組織的な」成果で問われている。
⚫成果の継続的な拡大 ― 「組織的な」教育の必要性について
個人的な成果と組織的な成果との違いは二点ある。一つには、卓越した教育実績や就職実績が継続的に(●●●●)生まれているかどうか。二つ目には、その成果が継続的に増えていく(●●●●●)かどうかということである。この二点の継続性がない成果は、個人的な〝才能〟や〝性格〟の成果であって、カリキュラム(科目教育)の成果ではない。カリキュラムやシラバスやそれに基づく「組織的な」教育の成果であれば、成果は必ず継続的に拡大する。
〝一流〟大学であれば、個人的な成果は入学後の教育の組織性と関係なく偏差値の担保があるため、「なるほど」「当たり前でしょ」となるが、〝三流〟大学では「なんで?」と問い返される。専門学校では、飛び抜けた成果は既卒の学生の成果であったり、大学を退学後、あるいは卒業後に再度専門学校に入学してきた学生がその成果の担い手であったりもする。それもこれも、個人の才能(あるいは入学時の偏差値)を超えて組織的な成果を生みだすノウハウが大学にも専門学校にも欠如しているからだ。
挙げ句の果てに、就職実績は「科目勉強ではなく、本人の経験や性格で決まる」とうそぶく就職担当者まで出てくる。送り出し側の就職担当者までそう言うのだから、企業側も「人物重視」ということになる。しかしそう言う企業も、〝一流〟企業の面接の場合、東大、早稲田・慶應は〝クラス〟分けなどをしながら対応している。SONYの盛田昭夫の「学歴無用論」企業も面接では学歴情報を隠して評価を行ったが、蓋を開けたらすべて〝一流〟大学の学生たちだったという笑えない現実に直面した。これは確かに大学教育4年間の「組織的な」成果ではないのだが、入学時の偏差値分類(ある意味での全国的な「組織」性)が効いているのである。
大概の〝一流〟大学の大学生は、受験勉強に費やした努力とノウハウを四年後に再現し、再度就職戦線に乗り出し、そして成果を勝ち取っていく。彼らにとっては、就職活動も受験勉強だったのである。一流企業ほど〝ロジック〟を聞いてくるからだ。
「人物」だというのは、したがって二重の意味を持っている。一つはやはり学生らしいキャリアを企業は求めているということである。新卒採用なのだから、そのキャリアは勉強のキャリアでしかない。文科省さえも「即戦力」は中途採用の指標だと言っている※。入学時であれ、卒業時であれ、新卒採用が基礎学力(●●●●)を期待しているのは明らかなことだ。新卒採用とは学生の(●●●)採用だからだ。学生のキャリアとは科目のキャリアでしかない。リベラルアーツ(「自由7学科」)とは、元々は職業教育(神学、法学、医学)に従属する基礎科目でもあった※※。つまり、勉強の〝できない〟学生たちをそのままにして「キャリア教育」をやっても意味はないのである。
二つ目には、「人物」評価は、その意味で大学入学の手前で、あるいは大学入学以後も勉強しなかった人の人物論、つまり素の人物論だということ。別の言い方をすれば、学生に「即戦力」を求める企業は、新卒人材を使い捨ての対象としか見ていない。職場のスキル要求、専門知識要求自体の偏差値が低いのだ。まともな企業であれば、学生を〝お客様〟の前に簡単に出したりはしない。
※文科省『学士課程教育の構築に向けて』(2008年)は、「即戦力」という言葉について、以下のように言っている。「我が国の学士課程教育は、かねてから入難出易と評され、評価の厳格化が求められてきた。しかしながら、進学率が上昇し続け、大学全入に至ろうとする今日、入学生の約八割が修業年限で卒業し、卒業までに退学する者は一割程度にとどまるという状態に目立った変化はない。OECDの調査によれば、日本は最も大学生の修了率が高い国となっている。大学卒業生全体の学力が低下したという実証的な分析結果はないものの、産業界のそうした印象、さらに言えば不信感を払拭できるような具体的な根拠を、大学も国も十分に持ち合わせているとは言えない。大学が学生に身に付けさせようとする能力と、企業が大学卒業生に期待する能力が乖離しているとの指摘もなされている。近年、『企業は即戦力を望んでいる』という言説が広がり、学生の資格取得などの就職対策に精力を傾ける大学が目立っている。しかしながら、実際に企業の多くが望んでいることは、むしろ汎用性のある基礎的な能力であり、就職後直ちに業務の役に立つような即戦力は、主として中途採用者に対する需要であると言われる。こうした例に示されるように、大学は、企業の発する情報を必ずしも正確に理解しているとは言えず、企業も、自らの求める人材像や能力を十分明確に示し得ていない」。
小方直幸(当時は広島大学)の『専門学校教育と卒業生のキャリアに関する調査』も ─ この調査には私も関わったが ─ 次のように言っている。「職業教育でよく『即戦力』という言葉が使われますが、『即戦力』というのは基本的に『ウソ』ではないかと思います。20歳~22歳あたりで即戦力だなんて、あり得ないだろうと感じています。悪く言えば、すぐ使えるけれども、それは業務が高度化していないのでその程度の力でも対応できてしまうといった意味で『即戦力』という言葉が使われている場合も多いのではないでしょうか?」(「『専門学校教育と卒業生のキャリアに関する調査』から見えてきた課題」)。〈人材〉とは、長い時間をかけて育てるもの。新卒即戦力論は、結果的には「使い捨て人材」を意味しているに過ぎない。
※これに、「理性の自律」という観点から反旗を翻したのは ― 広くはフンボルト(ドイツロマン主義)にも影響を与えることになる ― 、ルソーとフランス革命に影響を受けたカント(『諸学部の争い』)だったが、詳しくは拙著『シラバス論』53頁以下、および坂部恵『理性の不安』を参照のこと。
アルバイト経験やボランティア経験の話が活きるのは、高偏差値担保の結果に過ぎない。〝三流〟大学の学生を迎える採用担当者が〈人物〉を口にするのは、勉強する癖が付いていないのなら「せめて性格のいい子が欲しい」「せめてボランティア活動くらいは」という〝せめても〟要求に他ならない。マナー教育なども同様のもの。誰が東大や早稲田の大学生にマナー教育を行うというのか。もちろん〝一流〟〝三流〟という既存の秩序 ― ある種の差別 ― を超えて、伸びる学生は伸びるが、それは、個人論、人物論でしかない。
つまり「人物」論は、反カリキュラム、反教育の徴表に他ならない。採用担当者が採用理由を「人物」だと答える企業(〝一流〟企業であれ、〝三流〟企業であれ)の採用は、いつまでたっても継続的に拡大しない。その(●●)大学の教育がその(●●)人物を作ったとは考えていないからである。
もしその関心が少しでもあれば、担当者は、個人としての人物よりはその(●●)大学(の教育)に関心をもって、むしろ大学の就職支援室や教学部門(学部長・学科長)を訪れるに違いない。「優秀な学生が欲しい」と。もはやこの「優秀な」は、脱人物 ― 「せめて」性格がいい子としての「人物」を超えているという点で ― なのである。どんな教育やどんなカリキュラムやどんな科目が、この(●●)学生を作ったのか、それが教育の組織性の意味なのだから。こんな学生を作ることのできる大学なら、この大学からもっと学生を取りたいと思うのは、企業の自然だ。この段階では、企業は個人的な人物評価を捨てて、その大学の教育を信頼しているのである。
言うまでもなく、この場合の「組織的な」成果とは、大学を含めた〈学校〉が学校の方針やリーダーシップを体現する成果のことであって、個人的で多様な成果はどこの大学でもどこの専門学校でも、いくらでも存在している。その意味での〝教育〟や〝学習〟はそこかしこに存在している。放っておいても、子どもたちは学び続けている(いい意味でも悪い意味でも)。
〈多様〉論の〈学校〉の認識は「できる子はできる子なりに、できない子はできない子なりに」という〝多様性〟の認識になる。この〝多様性〟を一旦認めると、組織としての個性(マーケット競争性の実質的な鍵を握るもの)は後方へ消え去り、社会的には偏差値の担保が前面化するだけのことになる。街をただ歩くだけでも学ぶことはいくらでもあるのだから、「できるなりに」「できないなりに」は、この個人の学び ―「教育改革における疑わしき個人モデル」(苅谷剛彦)― に学生たちをふたたび放置することになる※。つまり多様論と個人論(個性論)では、偏差値格差を跳ね返すことはできない。「組織的」とは偏差値(ブランドと高偏差値大学)の反対語である。多様論はぐるっと一周して〝できない〟学生を差別しているのである。
※個人モデルの代表格のような教育心理学者・市川伸一は、苅谷剛彦との対談で(特に苅谷に指摘された心理学者、教育心理学者の「俗流」性について)以下のような興味深い発言をしている。
【苅谷剛彦】新しい学力観の時の文部省の解説書を見たって、その時の考え方の中に、どれだけ教育心理学的な「学習モデル」が入っているかは、これも探していけば容易にピックアップできる。それぞれの審議会にどんな教育心理学者がいたかは知らないけれども、しかし、少なくとも教育心理学者の書いたものを読んで発言した人がいたことはたぶん間違いないし、文部省の担当の行政官の中にも、その影響を受けた人がいた可能性はありますよね。
【市川伸一】その頃から、文部省をはじめとして教育界で言われたことの中で、僕がとにかく一番不満で、本当にもっと言っておけば良かったって後悔しているのは、「これからの時代は、知識を獲得することよりも自分の頭で考えることが大切だ」ということがしきりに出された時です。「これからは、知識はコンピュータの中に入っているんだからいいではないか。人間は考えることがむしろ主要な役割になってくる」。認知心理学から見たら、そんな変な話はないわけですよ。人間は知識をもとにして人の話を理解したり、新しいことを考えたりする。これは認知心理学者だったらまずそう言うはずなのに、その頃ああいう言説が完全にまかり通ってしまった。そこから知識軽視が始まって、「教え込みはよくない」が始まって、自分で考えろと言われる。そうすると、もう小学校ではとんでもない授業になるわけですね。単元の最初から、ほとんど予備知識もないまま、「さあ、皆さん、考えましょう」と。そうすると、とにかく共通の知識なしにただ考えを述べ合うだけの授業になって、力はほとんどつかない。しかも、生徒が間違えたことを言った時に正さない授業までだんだん見かけるようになってきて…」。(……)
【苅谷剛彦】教育雑誌のようなところで、たとえば今だったら、「総合的な学習をいかにサポートするか」という形で教育心理学の研究者が書くとすれば、それはやはりネガティブなことを書くよりは肯定するようなことを書く。 理論を使っているにしても、実証研究を基盤に使っているにしても、そういう現場の人にわかりやすく、しかも元気づけるような書き方をするじゃないですか。だからそこの部分で、これは「俗流化」と言っていいのか、「実践に向けて近づいていった」と言っていいのかちょっとわかりませんけど、少なくとも教育言説に取り込まれるような形で、教育心理学者自身が書くものは、学会の出す学術雑誌とかに書くものとは違ってきますよね。
【市川伸一】はい、わかります。 それはその通りで、教育心理学者のほうは、他の一般の心理学と違って、単に真理を追究すればいいというふうには思っていないんですよね。やはりどこかで望ましい教育を目指して、そのために教育心理学を役立てたいという気持ち、それなのにあんまり役立っていないという気持ちを実はずうっと抱き続けてきたところがあると思うんですよ。そういう教育心理学者が、「望ましい教育について、自分たちのやっている研究がこう生かせます」みたいな論調になりがち。それがたぶん、たとえば教育哲学のような人から見ると、「これは望ましい」と言っている望ましさがどれだけ吟味されているのかをもっと考えてほしいという不満がきっと出るでしょうし、教育社会学者から見ると、そこでそういう教育をサポートすることが、だれにとって有利になって、だれにとって不利になるのかということを、もうちょっと考えてからやりなさいと。どっちにしても、ちょっと素朴すぎるのではないかというふうにたぶん見えちゃうんだと思いますね。
苅谷剛彦】それはそう思いますね。その素朴さみたいなことを言い表すと、「俗流」ということになるんです。つまり、いろいろ希釈されたり、あるいは逆に誇張されたりする、実践向けに書かれたもの。教育心理学者が善意で、実践をサポートしようとしてヒントになるようにと思って、実践に近づけば近づくほど、ある意味ではさっき言ったような、ある価値前提をすでに含んでいる教育学的な言説の特徴が入り込みやすいわけだし、読者もそれを居心地よく読むわけですよ。実践家にしても教育学者にしても。(以上すべて、市川伸一『学ぶ意欲の心理学』)
苅谷剛彦自身は、この「強い個人」幻想について、以下のように結論していた。
「『子ども一人ひとりのよさや可能性』(教育課程審議会答申)を尊重する教育は、百人の子どもがいたら百通りの『よさと可能性』を尊重した教育をめざすことになる。だが 、果たして学校にそんなことができるのか。それが原理的に不可能なことは、論証するまでもない(百人分の本当のよさや可能性を発見すること自体、無理なことだ)。ところが、この論理的な矛盾を曖昧にしたまま、できるだけ子どもの主体性を尊重した教育を行おうとする。そうなれば、当然のことながら、学校や教師が見なす限りでの『よさや可能性』を生かした教育にしかならない。(……)『本当の自分』というフィクションを相手に、税金を使って強大な学校システムを動かすことなど無理ばかりか、まやかしでしかない」(『なぜ教育論争は不毛なのか』)。
⚫〈修得〉主義と〈履修〉主義について
ところが、「できない子はできないなりに」は、何も単なるあれこれの教育関係者の考え方にとどまらず、文科省の政策にまで及んでいる。
苅谷剛彦は、「新学力観」「観点別評価」(1989年)、大学大綱化(1991年)と並行して、「履修」と「修得」という言葉の使い分けが起こったことを指摘している。臨教審直後の1989年の学習指導要領においてのことだった。その使い分けは「『授業に参加し、授業を受けること』さえ満たせば、そこで何を身につけたかは一切問われることなく、必修科目は『履修』したことになる」(『教育再生の迷走』筑摩書房、2008年)というものだ。1978年の文科省「高等学校学習指導要領解説 総則編」においては、「必修科目」は「修得させる各教科・科目として定められることが適切である」と「解説」されていた履修=修得論が、「必修科目は(…)学校においてそのすべてを卒業までに修得させる各教科・科目として定めることが従来多かったが、地域、学校及び生徒の実態に応じて、これを見直すことも必要である」(文科省「高等学校学習指導要領解説総則編」、1989年)となった。一言で言えば、修得主義とは試験主義、履修主義とは出席主義のことである。文科省の政策そのものが「できる子はできる子なりに、できない子はできない子なりに」となったのである。
ここから始まる、90年代以降の「新学力観」「観点別評価」「多様な評価」、そしてまた「ゆとり教育(厳密には「新ゆとり教育」)」「アクティブ・ラーニング」「対話的・主体的で深い学び」 ― 「対話的・主体的で深い学び」とは市川伸一の言葉らしい ― などは、すべて〈修得〉と分離された〈履修〉の正当性を説明する言葉でしかないことになる。「わかってはいないけれども熱心に勉強している、態度はいい」という評価の言葉が前面化しはじめたのである。受験勉強しなくても合格できる全入大学の存在がますますその種の施策を裏打ちすることになった。
というより〈修得〉と〈履修〉との分離は全入大学の教育放棄を正当化することになったのである。「アクティブ・ラーニング」とは〈履修〉授業の代表格なわけだ。騒いでいるだけで(寝てはいないが)何も身につかない授業のことである。実験・実習・演習が好きな教員や学生も同じ体質を持っている。「…知識軽視が始まって、『教え込みはよくない』が始まって、自分で考えろと言われる。そうすると、もう小学校ではとんでもない授業になるわけですね。単元の最初から、ほとんど予備知識もないまま、『さあ、皆さん、考えましょう』と。そうすると、とにかく共通の知識なしにただ考えを述べ合うだけの授業になって、力はほとんどつかない。しかも、生徒が間違えたことを言った時に正さない授業までだんだん見かけるようになってきて…」(前掲書)と市川伸一が自己反省していたとおりに事態は進んだわけだ。
やがて、〈修得〉と〈履修〉との分離は、〈知識(知力)〉と〈学力〉との分離を意味することになり、文科省「生きる力」(1996年)、内閣府「人間力」(2003年)、OECD-PISA「キー・コンピテンシー」(2003年)、厚労省「就職基礎能力」(2004年)、経産省「社会人基礎力」(2006年)など、本田由紀が「ハイパー・メリトクラシー」と呼んだインビジブルな能力議論に〝発展〟していく。
⚫拡張された学力概念の害悪(1) ― 科目教育の軽視と履修主義
〈科目〉教育から〈修得〉性を引き抜いたらどうなるのか。抽象的な「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」(2003年以降の文科省の〈学力〉概念の拡張)の登場である。教員も「科目教育ばかりが大学教育じゃないでしょ」とか言いながら科目相対論的な科目教育目標(試験)の難易度調整(●●) に走る。
※「調整」という言葉の意味については、この論考の中盤(「杜撰な大学の杜撰な試験 ― あるいは、終わりのない動機論の杜撰さについて」以降詳論する。
しかしこれらの拡張された学力概念であってさえ、「知識・スキル」の基盤の上で花咲くもの、と文科省は何度も喚起している。それが証拠に、〈学力〉をどんなに拡張したところで「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」などという科目は存在しないからだ。そもそもそんな「科目」を誰が何の名目の下に担当できるというのだろうか。大人であっても研究者であっても、そういった拡張された学力概念(ハイパー・メリトクラシー)を体現している人など滅多にいない。だからこそ、そんな名称の科目は存在し得ないのだ。馳文科大臣(第20代文部科学大臣)が、インビジブルな拡大学力論を危惧して、これらの拡大概念は「教科・科目活動を通じて育成するもの」と注釈を加えたのは実に正しい判断だった。
文科省は2000年代に入って、拡大学力施策を一時反省し、中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」(2008年)において「多様性と標準性との調和」と言う。それを受けて2010年代以降「学修成果の可視化」=「学修成果の評価(アセスメント)」という言い方をし始めた。馳文科大臣の発言も、2008年の学士課程答申(「学士課程教育の構築に向けて」)、2012年の「質的転換」答申(「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」)の流れのことだった。学力概念を拡大すればするほど、具体的な科目目標(日々の授業目標)は後景に退き、試験調整(●●)動機は高まる。皮肉なことに、科目を、そのように粗雑に扱えば扱うほど、主体性も多様性も花咲く機会を失う。
入学時の学力格差はあるにしても ― つまり底辺大学では、学生選抜していると経営的に持たない事情はあるにしても ― 、その受け入れ後、学生をどう伸ばしたかという入学後の教育成果の評価が必要というのが、「学修成果の可視化」という言葉の意味だった。それは拡張された学力概念の反省の下に始まったものであって、〈標準性〉とは入学時の学力格差を入学後の学力向上によって相対化すべきだという思想のキーワードだったのである※。
※「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(2018年)においては、ふたたび「多様性と柔軟性の確保」となり、個人主義的な多様性論(履修主義)に立ち戻っている。この答申は「多様性」という言葉がインフレするほどの答申。多様性論は、中曽根臨教審から始まる個人主義(教育心理学者が好きな〈学びの主体論〉)と学校民営化論にその根を持っており、文科省はほぼ10年置きに、〈標準性〉論と〈多様性〉論との間を揺れ動いている。この動揺は、学校派と生涯学習派の対立を意味している(『臨教審の軌跡』内田健三)。そして生涯学習派の本質は、学校教育民営化論である。
⚫拡張された学力概念の害悪(2) ― 内発的な動機論は、カリキュラムと試験を形骸化する
拡張された学力概念としての文科省「生きる力」(1996年)、内閣府「人間力」(2003年)、OECD-PISA 「キー・コンピテンシー」(2003年)、厚労省「就職基礎能力」(2004年)、経産省「社会人基礎力」(2006年)と並行して前面化したのが、学校現場における内発的な動機論(やる気論)だ。目標が抽象的になれば、それに取り組む教員の学生を見る目も抽象的になる。専門的な勉強をする前に、まずやる気を起こさせないと、というもの。試験調整(●●)のきっかけもそこに発している場合が多い。
一年生の前期くらいは少しは採点を甘くして合格点を付けてやり(「やればできる」という自信を付けてやり)、〝その後で〟本格的な教育に取り組むという動機主義がそれだ。90分の一授業内でも、余談や時事ネタを適度に入れて(笑いを取って、教員も笑顔で)その後にコアの内容に進むというのも同じ類の考え方。これも「俗流」心理学者の考え方。しかし、この考え方の間違いは明白だ。
この種のやり方は、どこまでが導入過程で、どこからが真剣にやるプロセスなのかの判断(境界)が曖昧になり、その分教員と学生との個人的な関係が前面化するため、カリキュラム教育に馴染まないということ。その上、本気を出すのが、90分の授業時間中のどこからなのか、一科目の中のどこのコマからか、科目の外での補講からか、次の科目からか、後期の科目からか、それとも2年次からかなどなどの時期決定(境界)は、すでにそれ自体がカリキュラムの外に追い出された、まさにその意味で教員の個人的な決意(あるいは善意)にとどまるため、最後の目標(期限を切った目標) ― 卒論のみならず、期単位の(試験調整(●●)なしの)期末試験目標も含めて ― は、最初から宙に浮くことになる。積み上げの結果の期末試験の水準、積み上げの結果の卒論の水準が、すでに様々な動機論で相対化されるため、結局は目標の存在は棚上げされてしまう。
学校教育における相対論(個人論)の原則は、60点(最低合格点)~100点(最高合格点)の間の相対論(クラス標準偏差)であるにも拘わらず、試験調整(●●)主義において、一気に個人丸出しの個人主義(心理主義)に堕してしまう。学校教育の基本単位はクラス(=教室)であるにも拘わらず。「勉強が得意な子どももいる、不得意な子どももいる」と(評論家のようにではなく)教育する側が言えるとすれば(●●●●●●●●●●●●●)、60点~100点の分散の多様性以外に、その「多様」はない。〈学校〉は、個人指導のような家庭教師の場処ではない。
たとえば、国家資格試験などの第三者試験 ― 期限が客観的に存在している目標 ― が存在している学科であれば、導入教育(動機教育)は、長期に渡れば渡るほど、積み残しの課題(教育・学習課題)が多くなり、ますます動機の敷居が高くなり結局目標倒れの体制になる。不合格者が大量に出ることになる。言い換えれば、長い助走で動機を待っていると、ますます高い動機を形成しなくてはいけない大量の課題を抱え込むことになる。これが動機主義の矛盾である。
もちろん、「内発的動機」が一度発生すれば、強制的に「やれ」と言わなくてもやるようになり、もろもろの生産性や能率は高くなるから、一概に「矛盾」ではないのでは、という反問も起こりそうだが、時間割教育(時間を限った集団教育)の中の科目の目的は、そもそもが(学生一人一人の)時間外学修への誘導(予・復習への誘導)のためにあるのだから、矛盾であることに変わりはない。どんな教育も先生(指導者)から離れたときの学生の行動(ビヘイビア)(しかも知的・専門的行動)をコントロールするためにあるのだから、動機と科目の授業時間(授業の目的そのもの)とを分離すると支離滅裂な理論になる。
そもそも「一度」発生したらという、その「一度」はいつそうなるのかの目処が立たない純粋な〝内発〟性に拘わっているのだから、ますます当てにならない動機論なのである。意欲が生じた途端に、課題(〝やる気〟が生じるまで待ったがために積み残した課題)は膨大に溜まっていてふたたび学生は挫折してしまう。つまり内発動機を尊重すればするほど、いつも同伴しないと勉強しない学生(親切で楽しい(●●●●●●)教員の同伴の時間を期待する学生)を再生産することになる。ますます本来の内発性(授業時間内で発生する学習意欲)から学生を遠ざけることになる。これをくり返すのが動機主義教育の矛盾である。教室時間割教育が嫌いでゼミ的な同伴好きの教員は、結局は個人の実情(●●)に応じて目標を下げるしかないことになり、試験調整(●●)に走る。
動機を尊重する教育は、「はじめが大切」と言いながら、いつも終わり(目標=カリキュラム)の見えない教育をやる※。最後には「学生が満足していればいい」という心理主義に終わる。しかし「満足度」が満点の授業でも学生が何一つ理解出来ていない授業(objectに達していない授業)はいくらでもある。カリキュラム(目標)の否定という意味では、この種の心理主義は、目標の曖昧な演習=卒論大好き教員の特徴でもある。
※学習動機論は、臨教審以降の「関心・意欲・態度」を期末試験の点数と切り離して考える思考と同根。科目教育と切り離された学力論とも相補的。「俗流」心理主義者の「俗流」動機論が国家施策にまで展開されたため、市川伸一が反省したときにはもはや遅かったのだ。苅谷剛彦はこの局面での内発動機論について以下のように言う。
「人びとが何かを行おうとするとき、その動機がどれだけ心の内側から発するものか。教育心理学の用語を使えば、『内発的に動機づけられているか』どうかによって、私たちの社会はその行為を価値づけることに慣れ親しんできた。強制や慣習に従うよりも、自発性が尊ばれる。金儲けや権力・名声の獲得といった、自分の外側にある目標をめざして行動するよりも、自分自身の興味・関心に従った行動のほうを望ましいと見る。個性を尊重する社会では、自分の内側の奥底にある『何か』のほうが、外側にある基準よりも、行動の指針として尊ばれるのである。個性尊重とセットになって語られることの多い自己実現も、自分の内側の『何か』が満たされた (to fulfill) 状態である。個性の尊重とは、このような自己の内側にある『何か』を大切にする考え方にほかならない。個性の尊重と個人の自立を求める私たちの社会は、ますます個人の心の内なる声に価値を置こうとしている。
このように、私たちの社会を突き動かすルールの源泉に、教育心理学の提供する人間の行動モデルや学習モデルがある。その影響の一端は、子どもたちにとって意味のある学習を求める昨今の教育界に深く広く浸透している。
『何のために勉強するのか』『この知識は何の役に立つのか』。教育改革や子どもたちの学習離れをめぐって、子どもの年齢を問わず、このような問いが頻繁に登場するのも、裏返せば、学習の意味が問われているからであり、意味ある学習が求められているからである。しかし、実のところ、そもそもこうした問いにだれもが納得のいく解答などあるはずがない。(……)面白い/つまらない、楽しい/苦痛、すぐ役に立つ/役に立ちそうもない ― 「面白くて役に立つ」授業が求められるのは、性急に意味を求める問いが社会に充満していることの裏返しである」(「中流崩壊に手を貸す教育改革」in『論争・中流崩壊』苅谷剛彦)。
苅谷が指摘するこの事態(市川伸一さえもが「非常に重要な問題」だと言うこの事態)もまた「強い個人」 、意味を問うことができる、意味を問う資格・権利がある「強い個人」を前提にした内発論なのだが、皮肉なことに、学校現場では、〝弱い〟個人こそ動機論 ― 「子どもはみんな学びたがっている」という内発的動機論 ― で救済しようとするために、動機論が教育放棄に直結してしまう。昨今指摘される教育格差の元凶も、このすれ違いに端を発している。市川伸一自身も「『弱者の味方』のはずが、『強い個人のモデル』に転化してしまう」事態を指摘している(『学ぶ意欲の心理学』)。苅谷の2001年「インセンティブ・ディバイド」論(『階層化日本と教育危機』)が文科省含めて社会的な影響力を持ったのも、この内発的な動機論に対する批判としてだった。回りくどい苅谷剛彦の心理学者への批判は置くとして、私からすれば、〈動機〉に内発も外発もない。すべてが内発とも言えるし、すべてが外発とも言える。速水敏彦は「自律性」の「矛盾」、つまり「自律」を他律的に支援するという「矛盾」あるいは「パラドクス」を指摘しはするが(『内発的動機づけと自律的動機づけ ― 教育心理学の神話を問い直す』)、それ以上は踏み込めないでいる。彼が参照しているデシが「個人と環境の間の『弁証法的』な相互作用」などと自律における「有機的統合理論」を唱えるためだ。デシ自体はこの企ての中で、スキナーの観察主義から一歩歩を進め「個人の内部」(『人を伸ばす力』)に切り込もうとしたわけだが、デシの〝理論〟は、スキナー以前の、そしてスキナーが激しく揶揄した形而上学的な幻想(「弁証法的」な「有機的統合理論」に至っては100年前の旧態依然たる形而上学だ)に、〈行動科学〉を後退させた気がする。形而上学の訓練を受けていない心理学者が語る〝形而上学〟ほど粗雑なものはない。アホな理論ほど、〈動機〉と言っても「色々あるんだよ」とか〈自律〉と言っても「色々な程度があるんだよ」と言う。これでは形而上学にすらならない。スキナーは「行われている行動のゴールとか誘因とか目的とか意味などと言われるもののうちで考慮に入れるべきものは何もない」と言っている。動機論はスキナーからすれば無駄話に過ぎない。スキナー的に言えば、彼(学生)は才能(能力)と強い動機があるから点数が取れたのではなく、点数が取れたから才能と強い動機があった(●●●)のである。
※※ソーンダイクをスキナーが批判したのもこの点に関わっている(『科学と人間行動』)。「彼は演奏が上手だ」ということと「彼は音楽の才能がある」という説明は行動主義的にはトートロージーだからである。「満足」という「感情」がスキナーの批判する「内部状態」ではないとしたら、科目の名称自体(科目の教育目標自体)を「満足」という科目にするとき以外にはありえない。
⚫拡張された学力概念の害悪(3) ― カリキュラムこそが〈動機〉の形式であることについて
そもそも〈カリキュラム〉というのは、動機論を科目配置論的に構成したものなのだから ― さしたる動機がなくても学べるもの(まさに認知行動療法的に学べるもの)から徐々に難易度を上げて諸科目を構成したものを〈カリキュラム〉と呼ぶのだから ― 、その科目の一つ一つの目標の敷居を動機論的に下げてしまったら、もはや〈カリキュラム〉は崩壊する。
期限を切った動機論、目標を守る動機論がカリキュラムなのだから。カリキュラムとはそもそもが動機の形式主義 ― 動機の型としての ― なのである。
「俗流」心理主義的な動機論のたちが悪いのは、動機の動機、動機の動機の動機の……というようにどんどん目標を延期してしまうため、いつまで経ってもカリキュラムの難易度の梯子を登ることができないことだ。すべて未達のまま終わる。それが補講になったり再試になったりもするのだが、補講も再試もやればやるほど目標は下がっていく。動機論に基づいているからだ。それらは能力のない教員の、単なる学生いじめに過ぎない。
※典型的な「俗流」心理学者、奈須正裕は未達の目標延期について以下のように言う。
「一斉指導は先生の指示と命令によって進行します。『はい、○○ページを読みなさい。5分で読みなさい』『終わりましたか。 終わっていない人も手をおいて。それでは問題を解きなさい。3分でやってみましょう』『終わりましたか。終わっていない人も鉛筆をおいて。それでは答えてください』といった具合です。 どうですか。こんな授業を受けた経験、あるでしょう。
さて、この一斉指導で頻繁に現れる 「終わっていない人も」という言葉、一見何げないようですが、じつは当の終わっていない人、すなわち作業中や考え中の生徒にとっては決定的な意味をもちます。だって、このひとことで彼らは取り組み中のすべての活動を断念しなければならないのです。そして中途半端なまま、指示された次の活動へと向かうことを強要されているのです。 この瞬間それまでの努力もむなしく、 学習破綻します。
さらに、ある活動を中断させることは、次の活動への実質的参加資格をも奪いかねません。 読み終わってないのに問題は解けませんし、解き終わってないのに話し合いに加わるなんてこと、 どう考えたってできるわけがないじゃないですか。
そこで『きりのいいところまでやってしまおう』とノートに向かっていると、こう言って先生に注意されるんですね。『鉛筆をおいてこちらを向きなさい。 今は話し合う時間です』。
みんな『授業ってそんなもんだ』と思い込んでいるのでしょうが、よくよく考えてみれば、 じつに不合理で不条理ではないでしょうか。しかも、それが毎時間、毎日くり返されていくのです。
これじゃあ、どんどん意欲がなくなっていくのも無理はないと思います。だって、行動と結果の随伴性のあるなし以前の問題として、十分な行動をとる時間さえ完全には保障されていないんですから。これでは、望む結果もなかなか得られないでしょう。要するに、できるように、 わかるようにならない。さらに、これを毎時間、毎日くり返していくわけですから、わからないことが雪だるま式にどんどん増えていく。すると、ますます授業がわからなくなる」(『やる気はどこから来るのか』)。
奈須は目標に期限がある ― 「十分な行動をとる時間さえ完全には保障されていない」 ― こと自体を「不合理で不条理」と言う。だとすると、その子どもが一つの課題を完遂するところまで待つ時間を奈須はどう考えているのだろう。一日待っただけでも、その子どもには、他の多くの課題が積み残されたことになる。一つの課題を完遂した自信とやる気で一気に他の課題も「内発」学習(自学習)でクリアできるというのだろうか。それは、何時間待てるか何日待てるか何ヶ月待てるかの時間(●●)でしか決まらない。待てば待つほど高い「内発」力が求められることになるため、この種の期待は奇跡が起こることの期待にしかならない。待つ時間分、その子どもは待たないでできた子供よりも長生きできるか、それとも人生に時間割教育(「主要5科目」と言ったような)は存在せず、ただ一つの課題のみ解けばそれで許されるのか、どちらかの解決不能な選択しか残らない。
もう一つ、奈須には決定的に欠けている観点がある。なぜ教員は、その子どもが時間内にその課題を完遂できるように指導できなかったのかということだ。時間(パンクチュエーション)のない学校教育など存在しないのだから ― アーレントも、「教育(education)は、学習(learning)と異なり、予見できる終わり(predictable end)を持たなければならない」(『過去の未来の間』)と言うとおりのことだ ― 時間切れの子どもは、子どもの〝内発性〟の程度、〝才能〟や〝能力〟の程度から生じたものではなく、教員の教育力と相関している。時間切れの子どもは、別の教員の指導下にあれば時間内に課題を完遂したかもしれない ― これが教育におけるクリプキ的〈可能世界〉論(『名指しと必然性』)。〈可能世界論〉的には、素質・才能論や動機論は、むしろ学生差別論であって、ありもしない(厳密に言えば〈記述〉できない)素因をでっち上げながら、教育を延期し続ける思想にとどまっている。〈可能世界論〉的には、子ども、あるいは〈人間〉は、いつでもそのつど〈自由〉だ。そもそも学校教育の教員の教育は、寝食を共にする徒弟制教育でもない限り、〝時間との闘い〟に関わっている。教材開発は〝時間との闘い〟なしには生まれようがない。「昨年まではこのことを教えるのに5時間かかった内容を今年は3時間で脱落者なしに教えられるようになった」というように授業改善の行動主義が存在する。余った(●●●)2時間はより高い教育目標の設定に関わっている。授業改善は落伍者を出さないことだけではなく、教育目標の更新に関わっている。奈須は、教育目標は子どもの才能次第という個人主義(デシ的な自己実現主義)に陥っているため、この〝時間との闘い〟という観点が逆立ちしても出てこない。だから彼は「教室は、一般に信じられているほどには、行動と結果の随伴性は高くない。つまり、必ずしも『為せば成る』環境ではありません」と言い、「一斉指導や相対評価に代表される伝統的な教室システム」自体を否定するわけだ(奈須の原理が個人主義だからこの結論は月並みなもの)。「行動と結果の随伴性」を高くすることこそが教員の教育行為であるという課題を棚に上げるのである。現場の教員の俗耳に訴えるこのそぶりこそ「俗流」心理学者のそれだ。
そもそも、動機(やる気)とはなにか? 動機論は、たとえば科目教育を離れて、「人間力」とか「問題発見・解決能力」とかを抽象的に分離して議論することと同じ傾向から発している。たとえば、専門書を読むには、「〝専門書を読むとはどういうことか〟という解説が必要」というのも同じ動機論の抽象性に属している。読むべき専門書(object)とは別に、それへの梯子(方法)があるという対象と方法との分離論だ。一年次の「基礎ゼミ」という動機論の固まりのような科目がこの分離論の掃きだめのような科目になりがちだ。しかし、そのもの(●●●●)(object)を離れて万能ハサミのような動機(導入)というものが存在するのだろうか。
たとえば、「わからない言葉があってもそれを気にしないであせらないで。先へ進めばわかるようになるよ」と(「基礎ゼミ」で)優しく言っても、最後までわからなかったらどうするのだろう。最初からその文献のどの頁の言葉でも、助詞単位の解読レベルで、前置詞単位の解読レベルでわかるように準備する以外に授業は成功しない。その解説はもはや「基礎ゼミ」ではなく、具体的な一つ一つの科目本体でしかない。動機の形成は本体にしかない。文献へ向かう動機は抽象的な〝勇気〟ではなくて、その文献自体が「わかる」ことなのだから。
たとえば、マルクス主義者にとっては『資本論』読解への動機は動機もりもりの対象だろうが、私は資本論を読んでいるマルクス主義者に会ったことはない。話を聞いていると、どの著作のどの頁でマルクスはそんなことを言っているの?と聞き返したいことばかりを彼らは話す。ただし彼らがどんな解説書を読んでそんなことを言っているのかは大概の場合予想が付く。それはハイデガーの『存在と時間』の場合でも変わらない。アリストテレスの『形而上学』の場合でもその事情は変わらない。
しかし『資本論』への動機は、『資本論』に向かうことにしかない。『資本論』を解説できる唯一の書物は『資本論』である(●●●)。そういうものを、人は〈古典〉と言う(〈古典〉とはそれ自体があらゆる〈始まり〉であるような書物のことを言う)。その『資本論』〝に向かう〟のも結局動機ではないか、という反問が立ち上がる。もちろんそれも動機だ。その動機は何か。それが大学教育だ。大学教員の科目授業は、教員自身が自ら解説書になって ― 諸々の解説書の水準や研究史的な推移を評価・解説しながら ― 、『資本論』の一行一行、一語一語を解説する授業である。教員は媒介変数のようにその過程に付き従い、最後には『資本論』のテキストそのものの前で消え去る。フッサールの〈志向性〉という概念の〈向かう〉が空間・時間的な距離とは異質なものであるのと同じこと。 テキストと教員との間は大学においては不即不離の関係(一言で言うと超越論的な、つまり非空間的・非時間的な志向性)にある。『資本論』を解説できる唯一の書物は『資本論』である(●●●)ということに気付いた人が大学の先生なのだから。良書ほど閉じていて、悪書ほどその外を参照しなければ「理解できない」。前者は広いが故の内包、後者は狭いが故の外部参照性だ。サブカルチャーとは、外部参照なしには評価が難しいジャンルのことなのだから。
そもそも一つ一つのコマや科目がその動機内容(導入内容)、動機科目(導入科目)なのだから、コマや科目にも誘い水が必要と言い始めると、誘い水(動機)の入れ子状の膨張が起こって、ふたたび目的(object)を逸してしまう。いつまで経っても、『資本論』の頁、段落、行に辿り着けない。必要とあれば、一科目(15コマ)を解読するために一頁、しかも厳選された一頁(たとえば『資本論』の、あるいは『存在と時間』の中の一頁)に限定してカリキュラムを構成してもいい訳だ。しかしそれをやるには教員の専門性もよほど高くないといけない。そもそもどの頁が決定的な一頁なのかを知るためには、原典(元本)をくまなく(何度も)読み切っていなければならない。
「あれもこれも」ではなくて、内容を絞って書こうという方針を何度掲げても、シラバスが網羅的になりやすいのは、絞ったら絞ったでより高い専門性が要求されることと無関係ではない。原典一頁で15コマの授業をやるのは至難の業だ。動機論のカリキュラム的意義は、この科目の微分と積分に関わっている。しかしその作業の中にしかカリキュラム上の動機論は存在しない。カリキュラムとは動機の形式そのものだからだ。
教員の専門性の諸段階ははっきりしている。頁単位で解説できるのが研究者初級。段落単位で解説できるのが研究者中級。行単位で解説できるのが研究者上級。一語単位(助詞、あるいは前置詞単位も含む)で解説できるのが研究者超級だ。この専門教育の諸レベルが、唯一、専門書の解読を動機付けている(下級の教員になればなるほど「俗流」動機論的になる)。この解説の解像度の諸段階が、〝入門(動機)〟 ― そんなものがあるとして ― の門戸の広さを意味している。頁レベルでしか解説できないのだとしたら、そこでは落ちこぼれる学生も幾人か出てくるというように。〈入門〉、あるいは〈動機〉という概念がいかさまなのは、人は入門書を読んで、入門を諦めることもあるし、難しいものに興味をもって、難しいからこそ始める場合もあるということだ。人はいつでも始まっているし、いつでも終わっているのである。
中等教育と高等教育の差異も専門書解読の経験の有無に過ぎない。両者の教員の差異もそこにある。専門書とは何か。答えは簡単。大学教員がそばにいないと読めない文献のことだ。専門書は決して自分一人では読めない。解説書を参考にしながら読んだ気になることはあるにしても。
もしその大学教員が彼自身解説書を読んで(解説書しか読まずに)教壇に立っているとしたら、どうだろう(実際、そういう授業は多いのだ)。そんな授業で専門書(の面白さ)がわかるはずがない。教員は解説書を解説しているに過ぎない。隔靴掻痒状態だ。教員はそのもの(●●●●)(object)の面白さをわからないまま教壇に立っているのだから学生が面白さをわかるはずもない。「授業はまずは面白くないと」「まずは関心を持たせないと」と言う教員に限って、解説書や孫引きで授業を構成し ― あるいはさしたる授業準備もせずに ― 、動機論を吹聴する。これでは学生をますますobject(目標)から遠ざけてしまう。動機論こそが学生の始まりを殺いでいるのである。
授業をつまらないものにしているのは教員であって、学生の基礎学力の低さではない。むしろ教員の基礎学力が足りないだけのこと。動機論の高低は専門性の高低に反比例する※。
※アーレントは、「近代心理学の影響とプラグマティズムの教義のもとで、教育学は教授法一般の科学となってしまい、本来学ばれるべき内容から完全に遊離してしまった」と指摘している(『過去と未来の間』)。アーレントは続ける。この事態は「(……)教師が自分の専門科目に習熟する努めを目に余るほど蔑ろにする結果を生み出している。教師は自分の専門科目を知る必要がないため、授業の始まる一時間ほど前に知識を詰め込むことなどめずらしくもない。このことは翻って、生徒(student)は実際には放置されていることを意味するだけでなく、教師の権威の最も正統な源となっているもの ― つまり教師とはどんな方面であれ生徒よりも知識があり、生徒自身が為しうる以上のことができる者である ― がすでに効力を喪失していることを意味する」(『過去と未来の間』)。『過去と未来の間』の中の「教育の危機」というアーレントの論文はそれほどできのいいものではないが、この危機感は共有できる。アーレントは言う。「第一に、学校の機能は子どもに世界がどのようなものであるかを教えることであって、生きる技法を指導することではない。世界は先在するものであり、子どもにとってつねに所与として存在する以上、いかに生が現在に関わるものであっても、学習は過去に向かわざるを得ないからである。第二に、子どもと大人の間の線引きは、誰も大人を教育できないし、子どもを大人のように扱うこともできないことを意味するだろう」。アーレントの言う「過去」については、注釈が必要だ。彼女の言う「過去」は、教育における「権威」 ― この場合の「権威」は、アーレントにとって「子どもの安全な隠れ場所」を確保するための「権威」である ― に関わっている。「生ける者がもつ権威は常に本源からの派生によるもの(……)、つまりもはや生ける者の間から去った創設者たちの権威に基づくものであった」(同前「権威とは何か」)のである。彼女からすれば、「子どもの世界」などというものなどあるはずもなく、子どもは〈世界〉と〈生きる技法〉との間に存在するものなのだ。そもそもアーレントこそが、アイヒマンの犯罪の意味は、彼の〈人格〉や〈動機〉を問うところからは何も出てこないと喝破したのだから(『イェルサレムのアイヒマン』)。ただし、彼女は既在としての〈世界〉と〈生きる技法〉としての〈現在〉との関係を師匠のハイデガーほど緻密に議論しているわけではない。この点については別稿に譲りたい。
⚫生涯学習と学校教育との違いについて
「欠席する学生は、教員の責任ではない(寄ってくればどんな学力の低い学生でもいくらでも教えてやる)」という教員もいるが、これは〈学校教育〉の外にある生涯学習(消費型学習)の考え方。成人以後の教育であれば、目的と手段選択(何かの目的で何かを学びたいと思ったときに、どんな講師の、どんな講座を、どのくらいの受講料を払って受講すればいいのかの選択や評価の能力)は受講者側にあるのだから、その講義を聴いて、何に役立てようが、何に納得しようが、すべては満足度評価で済む。もちろん欠席も自由(自分で講座を買い取っているのだから)。
つまり「学びの主体」(受講する教育内容と教育方法と講師のキャリアなどを評価する主体)はすでにできあがっているのだから、態度責任は受講者側にあると言ってもよい。「こんな講座とこんな講師をこんな受講料で買ったあなたが悪い」というもの。これが生涯学習(消費型学習)の考え方。
ここでの教員や授業は、学ぶ側からすれば手段(●●)に過ぎず消費(●●)の対象でしかない。実務家教員が大学で成功しないのは、「やる気のない学生になぜ教えなくてはいけないのか」という生涯学習論 (成人教育)の立場に立っているからである。
一方、大学までの学校教育の全体は、何をどう学べばいいのかわからない学生(学生、生徒、児童)たちの、学びの主体を形成する(●●●●●)ためのものであって、その学びの主体を前提にするものではない。目標も内容も方法もすべて大学側に委ねてられている(また授業料を受講者から取って、学生に試験を行い点数まで付けて落第者を出したりする権利もある)。中等教育までなら、内容の全ては科目名まで指定されて学習指導要領に委ねられている。そんなもの(目標、内容、方法)を自ら評価できない人間を、われわれは、「児童」「生徒」「学生」と呼んでいる。だから、「児童」「生徒」「学生」は、まだ人物論的な対象としての〈個人〉ではない。もちろん〈学びの主体〉でもない。その無力の故に教員も公共的な資格(大学であれば研究専門性)によって、全国津々浦々標準化されている。
教育心理学者が好きな「学びの主体」論は、特に中曽根臨教審以降(あるいは「新学力観」以降)、学校教育=生涯学習論に立っているため、生産型教育(学校教育)と消費型教育(狭い意味での生涯学習)との区別に鈍感になりがちだ。そもそも中曽根臨教審は、土光臨調の民営化志向と並行して、学校教育民営化の立場に立っていたのだから(私塾さえ〈学校〉にしてもいいというのが香山健一たちの民営化論の立場だった)、〈学校教育〉をそもそも否定している。
学校教育を生涯学習論的に否定する人たちは「強い個人」(苅谷剛彦) ― もともとこの言葉を使用したのは経済学者の金子勝(『反グローバリズム』)らしいが※ ― を前提しているのだが、「児童」「生徒」「学生」という学校教育が相手にする受講者の特性は、まだ家族や地域の庇護にある個人、〝弱い〟個人を ― 〈学びの主体〉の主体以前の個人 ― を意味している。この前提を崩すと、今度は家族や地域の文化格差が前面化してしまう。
※「強い個人」の「強い」が経済学者の金子から出てきたのは偶然なことではない。私の考えでは、中曽根臨教審以降(85年以降)の消費社会の成熟に関わって、子どもまでも「消費」の主体とみなすことが「強い個人」の台頭の歴史的な意義だ。子どもマーケットの誕生が、「学ぶ主体」の起源であって、それは「強い」「弱い」の軸ではなくて、子どもの財布が駄菓子屋のお小遣いを超えて広がったことに由来する(今ではそれがスマートフォンの子ども利用にまで広がっている)。〈消費者〉として、子どもは〝おとな化〟したのである。80年代後半以降の学校下の子どもたちの様子を「オレ様化する子どもたち」と指摘したのは諏訪哲二だった(『オレ様化する子どもたち』)。学校教育=生涯学習という同一視(臨教審)も、生涯学び続ける人間と言うよりも、生涯にわたる消費者である人間という消費者概念の拡張に起源を有している。患者(病院)や学生(学校)が〝お客さま〟扱いされるのも「オレ様化」現象のひとつ。その意味では「多様性」も学力概念というよりは、学生=消費者扱いの結果に過ぎない。そのように〈知識〉もインターネットによる〈検索〉の対象として消費される。もはや学校教育よりも豊かな情報を与えられているかのように。学校教育=図書館の意味が軽薄になる分、学校教育の意義も軽薄化される。カラーバス効果とフィルターバブルの相乗効果のような情報化が進めば進むほど、知見はどんどん狭くなる。「見たいものを見て何が悪い」というのは高齢者のアタラクシアのようなものだが、若年者でこういったことが起こると、内面ばかりが肥大して自己存在は不安定になり、逆に他者への承認要求は過度に高くなる。ツイッターの炎上現象も、承認要求が過度に高い〝お仲間〟ばかりが集って炎上しているだけのこと。だから小さな意見が大きく見える。知見が広がらないために脊髄反射のような、抑制の効かない応酬になる。反学校教育としての「オレ様化」の進行は、SNSによってもっと大衆化したと言える。Twitterのおける〝短い時間(140文字)〟のやりとりは、知性の有無を超えたオレ様化を呼んだ(詳しくは拙著『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』第九章「ツイッター微分論」を参照のこと)。政治概念としての「反知性主義」(ホーフスタッター)には一定の意味があるが、反学校主義としての反知性主義(知識の消費主義)にはまだまだ大きな課題が存在している。いったいWikipedia情報の真偽の評価をだれがどんな教育の下に行えるようになるのか。たとえ、下手な科目教育や下手な大学教育や下手な大学教授の解説よりもはるかにまともなWikipedia項目の記述があるにしても、そのことを含めて、それを評価する主体を誰が教育するのか。大量の情報が簡単に手に入れば入るほど、真偽の分別も難しくなる。メタ真偽サイト自体が間違っていたりもする。学校無用論者が高学歴、高大学歴者であることを忘れてはいけない(ホリエモン、茂木健一郎、成田悠輔、古くは香山健一など)。インターネットを(「たとえ田舎にいても」と言いながら)使いこなしている者たち自身が、「強い個人」なのである。ましてやアクティブ・ラーニングの先にその答えは見出せない。
コロナで学校に通えなくなっても、〝強い〟家族は、塾や家庭教師によって、あるいは充実したIT環境によって、あるいは高学歴な親の教養によって〝弱い〟子どもを守れたが、〝弱い〟家族は、〝弱い〟子どもたち(「児童」「生徒」「学生」)を、そのまま放置することになる。この子どもたちに「子どもは多様、教育も多様」「勉強する気のない子どもに無理矢理勉強させるのはかわいそう」「やる気のないやつは立ち去れ」などなどと(本気で)言ってしまうと〈学校教育〉の意義は半分以上なくなるわけだ。コロナ禍で学校に通えない時間が長く続いた最大の犠牲者は、貧困家庭、あるいは文化的な貧困家庭の子どもたちだった。だからこの子どもたちは、家庭の貧困に加えて、この種の教員の貧困、授業の貧困、学校教育の貧困に過敏に反応する。
つまり多様論と個性論とで露呈するのは、〈個人〉ではなくて〈階層〉に過ぎない。文化的な家庭(諸々の意味で〝裕福な〟家庭)は、それ自体が学校機能を有しているが ― 今日的な〈教育education〉とはその古層の意味としては〈産育〉のことであって(寺崎弘昭)、ギリシャ語のオイコス(οἶκος)に基づいた家政学のことを意味した(詳しくは拙著『シラバス論』273ページ以降参照のこと) ― 、〝弱い〟家庭の〝弱い〟子どもは、学校自体が子どもを守らないと社会的に自立できる子どもにならない。〈学校〉は、元来、親(家庭=階層)をあてにできない〝弱い〟子どものためにある。東京の名門私立の家庭は、教員よりも大学歴の高い親で構成されているのだから。
2008年(「学士課程」答申)~2012年(「質的転換」答申)、そして馳文科大臣(2015年就任)とその「教科活動」重視発言の流れは、その意味で言えば、「学校派」― 「生涯学習派」に対する ― の台頭だったのである。内閣改造で、馳さんが悔し涙を出していたのが印象的だった。
⚫反多様性論としての「学修成果の可視化」について ― 低さの標準性、高さの標準性
三つのポリシー(アドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシー)など書いた本人さえ忘れているような状況を文科省も認めて、今度は「アセスメント・ポリシー」なしには3Pは意味をなさないという認識が「学修成果の可視化」=「学修成果の評価(アセスメント)」という言葉だった。そして、この「学修成果の可視化」=「学修成果の評価(アセスメント)」の具体化の核心が「組織的」という言葉だった。「学修成果の可視化」の組織性こそが、〝弱い〟個人 ― そもそも学生というのは、〝弱い〟ものだが ― を〈カリキュラム〉で育てることの意味だったのである。「多様な学生」教育と〈カリキュラム〉教育とはほぼ同義だ。
私の知る限り、「学修成果の可視化」=「学修成果の評価(アセスメント)」という言葉が文科省の文書に最初に出てきたのは、先にも触れた2012年の「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」答申。「成熟社会において学生に求められる能力をどのようなプログラムで育成するか(学位授与の方針)を明示し、その方針に従ったプログラム全体の中で個々の授業科目は能力育成のどの部分を担うかを担当教員が認識し、他の授業科目と連携し関連し合いながら組織的に教育を展開すること、その成果をプログラム共通の考え方や尺度(「アセスメント・ポリシー」)に則って評価し、その結果をプログラムの改善・進化につなげるという改革サイクルが回る構造を定着させることが必要である。また、学位授与の方針に基づいて、個々の学生の学修成果とともに、教員が組織的な教育に参画しこれに貢献することや、プログラム自体の評価を行うという一貫性・体系性の確立が重要である」というものだ。
これこそが、入口の偏差値主義(〝一流〟大学主義)を超えて、入学後の四年間の「一貫性・体系性」の教育競争(全入大学の生き残り競争)、つまり「組織的な」教育競争を行いなさいということの意味である。個々の学生の学修成果、言い換えれば個人主義的な成果の評価だけではなく、その成果と組織的な取り組み(特にカリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシー)との関係のPDCAサイクルを回すことが「アセスメント・ポリシー」という言葉の意味になる。「一貫性・体系性」の教育とは、したがって教育の論理性・合理性というよりは、入学すれば誰もがここ(●●)(教育目標)までは行けるという〈標準性〉を示している※。この〈標準性〉の反対語は、〈多様性〉ではなくて、入学時の偏差値格差のことを意味する。入学後の学生の〈標準性〉を示せない大学は、大学の偏差値格差を相対化できないのだ。個人的な学生(多様な(●●●)学生)の成果、個人的な教員(多様な(●●●)教員)の成果は、その無力を覆い隠すように機能してきた。〝熱心な〟教員がいればいるほど、「組織」性は薄れる。〝熱心な〟教員の成果は成果の継続的な拡大をかえって阻害するのである。
特に地方の小規模・低偏差値大学は、受験勉強に代わる、そして受験勉強を超える内実を持つような入学後の四年間の教育を実質化するしかない。このような実質化を文科省は「学修成果の可視化」と呼んだわけだ。
※この〝ここ(教育目標)まで行ける〟というのは、何も〝できない〟学生の下限目標にとどまるものではない。この種の議論は、いつも〝できない〟大学、つまり「教育の大学」の「標準性」の ― 代表的なものであれば専門学校の資格主義のような ― 目標設定と誤解されがちだが、それは全くの間違い。この種の組織的な標準性を踏まえたカリキュラム作りができれば、〝できない〟学生、〝できる〟学生ともどもの標準性が見えてくる。標準性とは、できる高低を標準化する(●●●●●●●●●●●)ということである。低さの標準性があるのなら、高さの標準性も存在している。たとえばより基本的なテクニカルタームを〝できない〟学生のすべてが(●●●●)知っている。たとえばより高度なテクニカルタームを〝できる〟学生のすべてが(●●●●)知っているというように。取りたてて称揚される〝できる〟学生の成長や成果を個人主義化しないことが、カリキュラム教育の成果でもあるように教育を組織すること、それがカリキュラムによる教育だったのだから。
⚫杜撰な大学の杜撰な試験 ― あるいは、終わりのない動機論の杜撰さについて
しかし、実際は「学修成果の可視化」とはほど遠い事態を辿っている。二つの担保(ブランドと偏差値)がない地方の小規模、低偏差値大学も〝素〟の学生を〝個性的に〟再認するばかりの「多様な」大学を目指し、解体寸前である。
だから、偏差値と退学率とは相関している。東大の退学率は1%を切り※、低偏差値大学の退学率は優に20%を超えている。教育の内実が仮にゼロであっても、東大や〝一流〟私大なら卒業するだけで価値があるかもしれないが、偏差値の低い大学は、内実がゼロなら何も残らないからである。退学するのも個性(多様な生き様)ということになる。ぐるっと一周して個性がインフレするだけのことだ。
※国立大学(旧帝大)の退学率は、東京大学0.5%、名古屋大学1.2%、東北大学1.5%、北海道大学1.5%、九州大学 1.9%、大阪大学2.1%。私立大学では、慶應大学2.6%、早稲田大学2.8%、上智大学2.9%、法政大学3.2%、明治大学3.3%と続く。なお、私立大学の平均は11.0%、国公立大学の平均は2.9%である。低偏差値大学の退学率が20%を「優に」超える実態は『大学の実力2019』(讀賣新聞)を参照して頂きたい(いずれも『大学の実力2019』讀賣新聞)。
なぜ入学時の教育格差を相対化する力を、現代の大学は持てないのか。その要因の大きなものは、大学内での単位認定〝システム〟が全国ほとんどの大学で杜撰だからだ。
杜撰になる理由は、二つある。
一つ目は、1980年代中後半の中曽根臨教審答申を受けて1990年代以降始まった大学〈大綱化〉〈新学力観〉施策によって「多様な評価」「観点別評価」が前面化し、単位認定上の履修判定全体における期末試験評価の比重がかなり下がったということ。ひどい大学になると期末試験比重が30%しかない大学もある。残りの70%は、実質的には「関心・意欲・態度」評価になっている。これが修得評価(試験主義)と分離された履修評価(出席主義)の実態である。これをマーチン・トロウは、日本的な大学の「請負sponsored」主義と呼んだ(「高等教育の構造変動」in『高学歴社会の大学』※)。
※トロウがこの論文を書いたのは1973年だから、まだ日本の大学の進学率が20%前後の時代だが、その段階でも講座徒弟型の「請負sponsored」主義は色濃く存在しており、大学全入時代の今日では形を変えて非試験主義的な「請負sponsored」主義が残っている。教員は相変わらずゼミ・演習授業にしか興味を持っていない。
〈標準性〉なしの「多様な」AO入試を行う全入大学では、入学後の期末試験もまた〈標準性〉なしの「多様な評価」を行って落とさない(●●●●●)学内体制を敷いている。入口で落とさないのなら、入学後も落とさないのは当たり前のことでしょうと言うかのように。
たとえば、「線形代数」という数学科目の「達成度評価」が、「試験30%、小テスト30%、レポート15%、その他25%」となっている工業大学がある(文科省に、大学改革における先進事例シラバスとして評価の高い大学なのだが)。この場合、期末「試験」は、満点を取っても30%(30点)の評価しかない。逆に0点でも30%(30点)の打撃しか受けない。期末「試験」0点でも、他の要素(他の「観点」)で70点取れる可能性は残るため、合格できる場合があることになる。
そのシラバスの「達成すべき行動目標」を読んでみると以下の5項目が挙げられている。
① ベクトルを理解し、その演算を計算し応用することができる。
② 行列の意味を理解し、行列を用いて計算することができる。
③ 連立1次方程式を「掃き出し法」を用いて解くことができる。
④ 1次変換を理解し、それを行列で表現することができる。
⑤ 毎回の授業に出席し、授業内容の理解に努め、演習や宿題をやり遂げることができる。
①~④まではなにも小テストやレポート評価を入れなくても、期末試験で普通に計算問題を出題すれば済む「行動目標」指標にすぎない (そもそも数学で「行動」目標とは、いったいなんのことだ。「できる」表現と「行動」とは何の関係もない)。⑤のわけのわからない「行動目標」がいわゆる〈意欲〉評価の眼目である。「試験30%」以外の「小テスト30%、レポート15%、その他25%」(そもそも「その他」とは何か)の70%分はすべてこの⑤の「行動目標」に関わっている。工業大学の「数学」でさえもこんな評価をやっているのだから、他の文系の講義科目はもっとひどい現状にあると言ってよい。全国の大学で20年以上前からこんなことが起こっている。
二つ目の理由は、もっと深刻かもしれない。
たとえ、「多様な評価」「観点別評価」を排除し、90年代以前のような期末試験一元主義を取ったにしても、その試験の難易度や採点基準が曖昧なままにとどまると、「多様な評価」や「観点別評価」が期末試験自体に内在化(●●●)されるだけで、杜撰さの実質は何も変わらないということだ。
この期末試験自体に内在化してしまった試験の杜撰さは、
①出題箇所の事前開示
②採点基準の事前・事後調整
この二点にある。
① 出題箇所の事前開示については(特に偏差値の低い小規模大学に多いケース)
1. 初回の授業から頻繁に「ここから試験に出る」「この個所は試験に出る」といったよう指示を何度も行う。
2. 試験直前の授業回などで、試験内容を圧縮したアンチョコプリントなどを学生に開示する。
3. 試験直前の授業回などで、出題内容を強く想起、暗示させるようなダイジェスト版授業を実施する。
4. 模擬試験のようなものを行い、同じか類似の問題を出すと暗示(あるいは明示)しつつ授業を行う。
5. 特に合格しそうにない学生だけを集めて試験主義的な補習(前記4項を総動員したような補習)を行う。
6. その他
※これらの事前開示傾向が低偏差値大学に多いのは、普通に(●●●)試験をすると大量落伍者が出て授業の不備が目立ってしまうためだ。〝優秀な〟学生は、教員の授業の不備 ― たとえば、思い付きの箇条書きに充ちたパワポ〝語り〟しかない授業(この「パワポ授業」については後述する) ― を補ってくれるが、〝できない〟学生は、教員の授業準備不足がそのまま反映する点数しか取れない。
② 採点基準の事前・事後調整については(どこの大学でもありがちなケース)
1. 短文記述解答の試験を(たとえば)10問出題し、(たとえば)配点を一問10点として、評価の厳密性や客観性が曖昧な問題を出してしまう。全問一応書いてあれば、60点の裁量評価(努力賞評価)を行ったりする場合もある。期末試験のレポート試験もその種の曖昧評価に満ちている。
2. 「自由記述欄」のようなものを設けておいて、60点に満たなかった学生などについて、その欄の記述内容に点数を与えて救済する。
3. 「持ち込み可」の試験を行い、ノートや資料類さえ持ちこめば、点数が取れる試験を行う。
4. 配点を明示しない出問を行い、試験結果に応じて点数調整する。
5. 配点に応じて、たとえば最高点60点~最低点20点で分布する試験の素点結果が出た場合、たとえば30点底上げして90点~50点で点数調整したものを教務に提出したりする。これほど極端にではないにしても、素点において大量落伍者が出た場合について、あるいは60点前後の学生については何らかの仕方で素点を個別に調整しながら単位認定を行う。平均点よりは中央値主義(得点分布の下位末端を無視しやすい中央値重視)の教員によくある。
6. その他
これら二つのタイプの試験〝調整〟の内、二つ目のもの(採点基準の事前・事後調整)は、試験問題自体を見れば、試験の杜撰さがよくわかるため課題抽出はやりやすいのだが、一つ目の事前開示型の試験は、試験自体が、〝一流〟大学の試験なみに立派な難易度の高い、構成的にも立派な試験であっても起こりうる〝調整〟であるため、課題点を抽出するのが難しい。期中の小テストの成績分布と期末試験の成績分布の相関係数がおよそ0.4以下か、毎回の小テストがゼロ点でも期末試験60点以上の予測値 ― 小テスト点数を説明変数(X軸)、期末テスト点数を目的変数(Y軸)とした回帰直線の切片 ― を持つ結果が出るかなどすれば、なんらかの事前開示があったと考えるしかない。しかもこういった〝推測〟も小テストデータがあってこその話だ。ほとんどの大学では小テストなど継続的にやりはしないのだから、事前開示型の試験調整は大学教育の闇そのものである。
そもそも〈試験〉とは、何が出題されるかわからないからこそ〈試験〉である。試験の現象学としては、〝この〟一つの問題が解答できるのであれば、別の同じ難易度の問題も解けること、一つの試験問題を解けることは、他の多くの理解(他の多くの試験問題)の蓄積の結果でもあることを含意している。
よい試験問題とは、一つの出題によってその他の理解をも多く含む問題のことを意味している。試験とは、限られた時間の中で、限られた出題形式の中で、90分×15回分(2単位「講義」授業の場合、厳密には一回90分の前後に予復習の90分が前提されているから90分×45回分)の大量の内容の理解度を、たった90分の試験で確認するため、一つ一つの出題は、その出題の外にある理解を問うものなのである。したがって「この問題が出る(これに類した問題が出る)」と、試験主義的に事前開示すること、試験主義的に補習することは、試験と教育と教員の自殺行為なわけだ。それは結果的に試験に受かりさえすればいいという合格主義(●●●●)になってしまい、知識の実質(知識の修得)を問う試験にならない。
この種の事前開示を一度やり始めると、その教員の担当する科目は一夜漬けで済むことになり、誰も勉強しなくなる。特に成績下位の学生は補習期待の受講態度になり、ますます勉強しなくなる。小テスト点数(普段の理解度ヒエラルキー)と期末試験点数分布の相関も乱れるため、中上位学生と下位学生との点数も開かない(標準偏差が一桁にとどまる試験結果が多くなり、下手をすると90点以上率が50%を超える試験も多くなる)。開かないだけではなく、場合によっては特に入念な試験主義的補習を受けた下位学生が中位学生の点数を超える場合も出てくる。普段から頑張って勉強していた学生ほど期末試験結果に不信感を持つことになる。ひどい試験になると毎回の小テストがゼロ点でも期末試験60点以上の予測値 ― 小テスト点数を説明変数(X軸)、期末テスト点数を目的変数(Y軸)とした回帰直線の切片 ― を持つ結果が出ることになる。決して少なくはない事例として。つまり日頃の授業をほとんど聴いていなくても試験は合格してしまうということだ。これが大学試験の実態である。
この切片60点現象について、試験調整(●●)をする教員は、「さすがに期末試験を前にして頑張ったんですよ、学生たちは。小テストとは緊張感が違います」とうそぶくが、それはおかしなことだ。〝できない〟学生は日頃怠けているわけではない(一部の慢性的な居眠り(●●●)学生を除いて)。〝できない〟学生は〝できる〟学生よりも必ずしも勉強時間が短いわけでもない。
〝できない〟学生とは、どんなに時間をかけても、どんなにグループで学習しても、たとえノートを色分けして丁寧にとっても(〝できない〟学生ほど色とりどりのペンを使いたがるが、本来のノートは映像的にではなくて聴覚的に取るものだ)、授業のポイントがわからない学生のことを言う。そもそも試験前の一週間で真剣に(●●●)勉強すれば合格する試験もまた試験調整(●●)現象の一つでしかない。「わからない」学生の場合は特に〝一夜漬け〟も効かない。〝一夜漬け〟とはそれ自体が中級以上の学生の技(わざ)である。
「わからない」学生が一夜漬けで合格する試験(●●)とはそもそもなんなのだろうか。「わからない」授業、と簡単に言うが、逆に「わかる」授業とは理解すべきことと附帯的な事項との境界が明確な授業のことを言う。「わからない」授業とはその境界が曖昧な授業なわけだ。「わからない」授業は、全部が大切なことのように見えたり、全部が無駄話のように聞こえたりする。
この「わからない」授業が小テストの一回一回の授業を超えて、15回(2単位)講義のすべてが試験範囲になれば、その境界はますます曖昧になる。試験前の緊張や努力は〝できない〟学生にとっては混迷でしかない。〝できない〟学生にとっては、授業で教員が話したことのすべて、資料のすべてが重要なことに思えて、試験前の緊張(頑張り)と長時間の試験対策をやっても成績は上がらない。試験前に(集団で)〝奇跡〟が起こって切片が60点以上になることなどあり得ない。
したがって教員と学生の実力(教員の教育の実力と学生の学習の実力)は、むしろ小テストの点数(点数分布)にあると言ってよい。なぜか。「最後(の期末試験)にはなんとかする」という試験調整主義の教員が思いのままのやりっ放しの授業を90分やって ― 「出題箇所の事前開示」も「採点基準の事前・事後調整」も意識しないまま授業をやって ― 、出た点数が小テストの生(なま)点数だからである。それは掛け値なし(=「調整」なし)の点数だと思っていい。授業と小テストとの間には調整する(●●●●)暇がない。調整できるとすれば難易度調整くらいだろうが、60点未満の落伍者を怖がって難易度を下げると標準偏差が一桁になるため、小テストこそ真剣勝負の場処だと言える。
⚫60点未満の「落伍者」にしか関心のない大学
さて、①出題箇所の事前開示 ②採点基準の事前・事後調整の二つの傾向を試験の試験主義的な(●●●●●●)運用(なんであれ、一夜漬けであっても試験に合格さえすればいいという運用)ととりあえず呼んでおこう。
試験の試験主義的な運用は、大学の管理者が落伍者にしか関心がない場合に起こる試験の杜撰な運営である。普通、試験(シラバスに基づいて作成された試験)に落伍者が出ないということは、シラバスに記載された授業計画に基づく教育目標が達成されたということを意味するわけだから、たしかにこの関心は正しいかもしれない。
しかし試験が多様な評価や試験主義的な〝成果〟に基づく限り、シラバスをいくら詳細化してもほとんど意味がないことだ。どちらも落伍者ゼロが、教育目標の達成を全く意味しないからだ。むしろ「学修成果」は「可視化」に反して闇の中にとどまる。
だからこそ、「大綱化」以降のシラバス詳細化運動は、「学修成果」を何一つ生み出せなかった。シラバス詳細化は科目選択の便宜程度のものにとどまったのである。潮木守一はこのシラバスを「電話帳シラバス」と呼んでいた。それは「学生に役立たないだけではなく、教師にも役立たない」(『大学再生への具体像(第二版)』)。大学教員は、「こんなものいくら書いても意味ないよ」と思いながら30年経ったということだ。30年も大学教員は無駄なことをやり続けている。この意味で内田樹のシラバス無用論は全く正しい((『街場の大学論』)。
しかしこの無用論は、杜撰な試験運用を前提している。なぜか。授業の出口(成果)の評価を棚上げにすれば、もとから授業計画(シラバス)などどうでもいいからだ。まして授業回毎に行う小テストですらももっとどうでもいいものになる。小テスト点数がどんなに低くても、受講クラス内の標準偏差がどんなに大きくても、期末試験はなぜかほとんど〝合格〟するからだ。
カリキュラム・ポリシーに基づく授業計画や教育目標が形骸化するのは、すべて、この、「なぜか」合格してしまう試験体制にある。「なぜか」合格というのではなくて、〝なぜか合格〟と呼んだ方がいい。
これでは、入学時の試験体制が形成する学力評価がますます前面化するばかりで、大学四年間の学力評価は後景に退くばかりだ。「教育成果の可視化」が求められるゆえんである。
今日の大学において単位履修判定が曖昧になる要素は、二つある。
一つ目は、落伍者を出して留年予備群、退学予備群を出すわけにはいかないというもの。多くの大学、特に私立大学では、この対策としても選択科目を増大させ(大綱化以降、この傾向は一気に加速した)、いくつかの科目を落しても再履修可能な体制を敷いている※。何より時間割が組みやすい。しかしこの体制では単位を取るための履修が前面化するため、より合格しやすい科目が選択される傾向も強くなる。もっと問題なのは、科目の出口の成果から、次の科目への入口へとつながる必修の積み上げ体制が希薄になるため、専門性のストック形成が阻害されてしまうこと。「4年間の大学教育」というボリュームに対応する出口の質の確保が難しい。早稲田大学の某学部のように1000科目も選択科目を用意すれば、学力は全く積み上がらない。そんなふざけたものを〈カリキュラム〉と言えるのは、早稲田大学ブランドを食い潰すだけの貯金が〈早稲田〉にあるからに過ぎない。
※この〈選択制〉の拡大も、生涯学習論的な〈学びの主体〉(から派生した選択の主体)を前提にしてカリキュラム評価、授業評価を学生に投げるという杜撰な大学の衰退をますます加速する役割を果たした。〈選択制〉の元祖は、エリオット学長下のハーバード大学らしい。元々は「単位制」とセットで導入された。エリオット学長(1869年学長就任)は「学生が足並み揃えて同じ科目を履修するのは、あたかも『兵士の行進』のようだなどと揶揄して選択の自由のなさを批判した」(土持ゲーリー法一『戦後日本の高等教育改革政策』玉川大学出版部、2006年)。「単位制の起源は選択制が導入されたことによる必然的な帰趨であった(…)単位制は選択制によるカリキュラムの自由化の副産物であった」(同前)のである。
しかしこのような「多様な学生」対策のための選択制導入は大概が失敗する。ハーバードの内外から「ごうごうたる批判の炎が燃え上がった」と潮木守一は報告している(『アメリカの大学』1993年)。イエール大学のポーター(エリオット学長就任の二年後1871年にイエール大学学長就任)などは「我々はこのプラン ─ エリオットの選択科目主義(引用者註)─ が、比較的真面目な学生に、束の間の満足感を与えることを否定しようとは思わないが(…)学部生の大部分は各科目の重要性を判断し、それらが将来の職業とどのようにかかわっているのか、それを判断できるほど成熟していないし、それだけの知識を持ち合わせてはいない」と喝破している。潮木は言う。「自由選択下のハーバードでは、ある学生は特定領域の科目ばかり学習し他の領域については四年間何も学習しないで卒業していったし、またある学生は無秩序に手当たり次第にあちこちの専門の講義をとり何が専門だったのかわからないような状態で卒業していったし、ある学生はやさしい入門コースばかりを選んで卒業していったし、ある学生は点の甘い教師の講義だけ選んで卒業していった。(…)多くの学生はたくみにこの制度を利用し、最小のエネルギーで卒業に必要な科目数だけそろえて卒業していった」(詳しくは拙著『シラバス論』136頁以降参照のこと)。
二つ目には、どんな科目を担当しても完璧な授業計画(シラバス)のみならず、完璧な授業などできないのだから、〈試験〉だけを厳密化して、落第を学生の「勉強不足」に帰すわけにもいかないという、教員の配慮(●●)という観点からの試験調整(●●)もある。
これはもっともなことだと思うが、いくつかの疑問も残る。授業計画もそれに基づく授業も試験もすべて教員自身が実施したもの、しかも4ヶ月ものスパンの中で実施したもののはず。「厳密化」の〝けじめ〟は、何も最後の試験実施だけがその対象ではないということ。毎回の授業評価自身が授業担当者の〝けじめ〟でなければならない。毎回自分で作った小テストなどを実施して、平均点が60点以上になかなか上がらず、標準偏差も20以下に縮まらない授業を行った上で(全国の大学授業で小テストを毎回やれば、実際の数値はこの程度のものになるに違いない)、試験だけ「厳密にやるわけにもいかない」というのは、日々の授業評価の棚上げにも繋がりがちだ。
その上、不合格の水準は60点未満であって、全員100点を目指すというものでもない。この60点(履修の最低水準)は、したがって教員の、学生への配慮の対象ではない。「完璧でもない」という認識は、60点を切る落伍者が5%~10%くらいはいるかもしれないという点ではありうる話だが、「厳密に」やれば半分以上は落ちる現状で(日々の小テストで平均点が60点未満、そのクラス内の標準偏差が20を超えていれば、期末試験は半分以上落ちないとおかしい)、「完璧でもない」と言うのは、だらしないだけのことだ。「試験だけを厳密にするわけにもいかない」と言うのなら、「せめて授業をきちんとやることを先行させないと」という〝次の〟言葉があってこその学生への配慮の本来の在り方だ。
ところが、試験調整(●●)が前提される限り ― 「シラバスも大切」「小テストも大切」など、何だかんだ言ったって、学生を通すのも通さないのも私(教員)の胸先三寸という単位認定権の私物化を前提にしている限り ― 、日々の授業が厳格になることなどあり得ないわけだ。毎週の授業は、期末試験での仕上がり評価以外に何も「可視化」する要素は無いからだ。だから順序としては、〝よい〟試験をやることが〝よい〟授業を生むのであって、その逆ではないということ。その点で「試験だけを厳密にするわけにもいかない」という言葉は、〝よい〟授業への取り組みを永遠に棚上げにすることになる。「学生サービス」と言いながら、授業改善自体には手を付けない自分(教員)へのサービスでしかないわけだ。
たとえば、「この問題(出問)をクラス全員が解けるとはすごい」とか、「こんな問題(出問)、ウチの大学では難しくてとても出せない」とか、「こんな問題が出せる授業って、どんなシラバスなの? どんな授業なの? どんな教育なの?」というように、試験内容(難易度、運営、採点)は教育力の可視化の鍵を握っている。教育方法論(授業法論)が有意味になるのも、試験問題が高度化することに対応して授業のやり方をどこまで変えることができるかという課題を担うときでしかない。だから、試験の〝けじめ〟なしには何も始まらないのだ。
⚫就職の現象学 ― 就職は学内処理だけでは戦えない
そもそも、「試験だけを厳密にするわけにも行かない」ということを4年間続けて、学生サービスを続けると、サービスの恩恵を受け続ける成績下位の学生は、4年間の教育バネが全く効かないままに就職活動を行うため、大卒条件(=受験勉強くらいの勉強は最低でもやっておいて欲しいという条件)を要求する企業の就職戦線で勝てない。期末試験までは学内〝調整〟で済む話だが、就職活動はその種の調整のない他流試合のためまともな就職に繋がらない。4年生まで単位を100単位以上積み重ねてきた学生が就職活動を行うわけだが、学内調整で単位を重ねてきたために、「何を勉強してきたの?」という問いかけにまともに答えられないからだ。そもそも会話自体が成り立たない。
企業が喜びそうなボランティア活動、部活動、アルバイト経験なども ― この種の経験話はまともな企業なら辟易としている面接話題だが ― 、同じ経験をしていても基礎学力のある学生の方が一般的には〝コミュ力〟があるため、「勉強ができない」新卒学生はどんな「キャリア教育」を受けても意味がないのだ。小杉礼子(労働政策研究・研修機構)も「就職担当教員が多く、キャリア支援の講義・学内推薦での応募を行っている大学ほど未内定の学生や無活動の学生が多い」(文科省「キャリア教育・職業教育特別部会」報告書)と言っている。最近では元々職業教育を行っている専門学校までが、大学を含む学校教育の課題であった「キャリア教育」を、そのコアカリキュラムとは別に行っているのだから、もはや混乱の極みなのである。
大学の「キャリア教育」もまた ― 「アクティブ・ラーニング」と並行して ― 、教育の機能不全(=試験の機能不全)を棚に上げるようにして登場したのであって、就職の質を上げることには繋がっていない。そもそも大学内の就職支援センターが提供する「キャリア教育」科目やその他の「プログラム」自体に、ほんとうに来て欲しい学生自体は出席もしない。相談の窓口(就職支援センター)にさえ立ち寄らない。卒論ゼミ指導の先生の言うことも聞かない。「就職」も広く言えば「科目(subject)」の一つであって、科目指導が効かないまま四年間過ごした学生が就職の時だけはまともに大学の言うことを聞くはずもないのだ。「わからない」授業、思い付きの箇条書きパワポ授業を続け、勉強しないまま単位を100単位以上もくれた(●●●)大学に対する不信ももちろんそこには含まれている。この不信は、正確に言えば、勉強した自覚も無いまま卒業する不安につながっている。実質的な学内退学者なわけだ。
「学生サービス」に配慮した試験調整(●●)もキャリア教育も、日常の授業改善を棚上げしながら進む今日の大学教育の現状、児美川孝一郎がかつて「潜在的な失業人口のプール」と呼んだ大学を物語っている(『若者はなぜ「就職」できなくなったのか?』)。
もともと、科目軽視の〝大学教育〟が一般化したその政策的要因こそ、〈修得〉と〈履修〉とを分けた1989年以降のことだ。1990年以降、「大綱化」(1991年)を経て、このことが〈知識〉教育と〈学力〉とを分離することに繋がっていく。
まず「知識」教育をわざわざ狭隘化して暗記教育と倒置する。ダメな教員が、「大学教育って言ったって、何も科目教育だけじゃないだろう」と言い出すのは、昔からのことではなくて、履修と修得とが分離し、学力と知力とが分離し始めて以後、1990年代以降のことだ。たしかに〈修得〉と〈履修〉とが分離すれば、〈修得〉の教育バネ(科目教育バネ)が効かないため科目以外の附帯的な教育要素を持ち上げるしかない。科目教育から〈修得〉が外されれば、底の浅い〈キャリア教育〉か、ボランティア活動などの課外活動支援に逃げるしかないのである。
⚫中等教育と大学の自己点検・自己評価
中等教育までなら、日々の授業や生徒の仕上がり評価を第三者評価する仕組みがいくつも存在している。業者の模擬試験、塾、予備校、家庭教師、すぐれた参考書、すぐれた問題集などなど。これらは教員自身が不断に参照して自己評価できる意匠でもある。仮に教員自身が授業に失敗しても第三者的に補う仕組みが何層にも存在している。
こういった仕組みが(自然に)存在するのは、大学進学という目的、しかも長年に渡って形成された偏差値ヒエラルキー(難易度別教育目標、学習目標)が存在しているからである。どの高校で授業を受けていても、A大学に合格するためにはどのくらいの勉強が必要か、B大学に合格するためにはどのくらいの勉強が必要かということが、自分が所属している高校のランクに関係なく、また受講している授業のどこに不備があるかとは関係なく明白だからだ。目標(教育目標=学習目標)がこのように学校や教室の中を超えて社会的に共有されていれば、それを補う環境はいくらでも作られていく。
大学ではこのような第三者性は皆無だ。それは教員の研究専門性による自己点検・自己評価に委ねられている。第三者が関与できないことと〈専門性〉とはほぼ同じことを意味している。それを文科省は〈教育研究〉とも言ったりする。だから大学教育自体には、予備校も家庭教師も参考書も問題集もない。あったとしても資格教育プログラムに関わる限りだが、資格教育は本来の大学教育ではない。教員の専門性自体が大学本来の教育目標だからだ。
このことは、大学には第三者評価は不要ということではない。むしろ大学教員(大学教育)こそが積極的に、不断に自己点検、自己評価を継続し更新する必要があるということだ。大学教員は、第三者の誰が見ても評価できない高度で専門的な授業の内実を内外に向かって説明し、解説し、評価し続けていく義務を担う必要がある。言い換えれば、自分自身で自分の授業の参考書を書き、問題集を作り、その水準を不断に更新して上げていく義務を背負うということである。諸々の学生アンケートの手前で。これは、「教育か、研究か」以前の、大学や大学教員の社会的倫理とも言える。
したがってその大学教員が、大学教育の中核を担う科目教育において試験調整(●●)しはじめると、大学教育全体は闇の中。入学後の「学修成果の可視化」課題は消え去る。
学修成果の可視化はもはや絶望的なくらいに教育力を失い、毎日のように「わからない」授業は続いている。そして「わからない」授業を棚上げするようにして、楽しい授業、満足度(学生アンケート)にしか関心のない授業、わいわいがやがやのアクティブ・ラーニング授業が続いている。
⚫パワポ授業の現象学 (1)― 箇条書きでは何もわからない
では、授業の何がわからないのか。厳格な期末試験を避けなければならないほどの、授業の何が教育力を殺いでいるのか。
昔の教員なら分厚い講義ノートなどを用意して授業に臨んだものだが、昨今の教員は、パワポという便利な〝プレゼン〟ツールがある。
スライド毎に3~5くらいの箇条書きを書き込んで10~15枚程度スライドを用意すれば、90分授業くらいは充分〝間を持たせる〟ことができる。この場合の箇条書きは、既存の資料(教科書に類したものや別のところで使ったパワポ原稿)の、足したり引いたりのパッチワークにとどまる場合も多い。ひどいものになると箇条書きの冒頭が「・」で始まるものも多い※。
※箇条書きの冒頭が「・」で始まるパワポはパワポの箇条書きプレゼンの最悪な部分を象徴した表記と思っていい。まずは順不同を意味するほどに構成的に思い付きの箇条書きですよ、と自己吐露しているようなものという点で。さらには参照指示性に劣る。教員が授業中どの箇条書きをみてもらいたいかを指示する場合、「三つ目の・を見て」という相対指示になってしまうという意味で。授業中の参照指示性を配慮するという大学教員は残念ながらほとんどいないが(だから「・」教員は多くなる)、授業中には、教科書、資料、教材、パワポ、板書など様々なメディアが存在しており、それらについて「○○の何を見て」と指示しても、学生のすべてがその箇所を(指示されたと同時に)共有することはほとんどない。見ようとしないのではなくて、見ようとしている内に時間が経ってしまい、教員のトークはもはや別の箇所に飛んでいるというのが実態だ。念入りに作り込まれた教材もその時の(●●●●)参照指示性が弱いと有効に機能することはない。そもそもその参照指示をする教員自体が、その時これを指示する(●●●●●●●●●●)というところまで計画を組むことなどほとんど神業に近い。質問対応(における参照指示)ならそもそも予想もできない。その意味で、一つの資料や教材に連番を付けたり、その資料内や教材内の頁番号は必須としてそのページ内の通し行番号を付ける(「通し行番号」を打つ機能はMS-Wordの基本機能として存在している)、また図版などにも連番を付けるなどの工夫が必要となる。この種の工夫が足りないのは、〝語り〟パワポ授業が蔓延しているからだ。学生は内容的にも指示の共有という点でも置き去りにされている。
この種の、参照性さえ配慮しないパワポ授業の何が問題なのか。箇条書きのそれぞれは、それ「について」語るトークの始点を意味しているだけのことであって、その内実は、時間と共に消え去るトークの方にあるからだ。消え去るトークの方に授業内容の実体があるのだとしたら、これを理解することは至難の業である。一つ一つの箇条書きの一行についての理解にとどまらず、その一行と次の行との行間の意味も、もちろんトークに消え去っている。またいくつかの箇条書きをまとめた一枚のスライドと〝次の〟スライドとの間の意味もトークに消え去っている。ひどい授業になると一枚目のスライドで盛り上がりすぎたトークが次のスライドの内容にまで及び、次のスライドを開いたら、「もうこの話は終わったから」と言って三枚目のスライドになる場合も多い。要するに、「スライド」という単位が授業(教育)にはそぐわないのだ。
学生は行間、スライド間の意味をすべて、消え去るトークを媒介にしてしか理解できない状態に追い込まれている。これではよほどのノート取りの名手でない限り、授業内容を理解できない。その上、ノート取りは優等生でも難しい知的作業になる。学力のない学生ほどノートを丁寧に(色分けしながら)〝映像〟として写し取ろうとするが、できる学生ほどポイントしかノートには取らない。この知的な経済原則をわきまえている学生はほんの一握りの上位学生にとどまる。後の学生は、帰宅してパワポを見ても、取り損ないのノートをみても「なにもわからない」ことになる。
学会などのパワポ発表を見ても、何百インチもの大スクリーンに、大きなグラフや図表などが映し出されて、発表者はひたすらそのグラフや図表「についての」意味や解釈を語り続けているわけだが、その語り自体は巨大なスクリーンであってもどこにも記されていない。質問は、その〝語り〟を含めたグラフや図表の意味についてのものだが、〝語り〟のどの点についての質問かも、場合によっては話者自体が覚えていなかったりもするため噛み合わない場合も多い。研究者同士であってもそうなのだから、授業での教員と学生とのやりとりはもっと噛み合わない。〝語り〟はクリッピング(マーク)できないため、質問も抽象的になってしまう。また箇条書きの「・」の抽象性のために、否定的な意味で書いていることが肯定的な意味で学生に理解(誤解)される場合も多い。
⚫パワポ授業の現象学 (2)―箇条書きの反対語としての「narrative形式」
最近知った話だが、アマゾンでも、会議資料はパワポ禁止らしい。その理由は箇条書きの行間の意味の曖昧さ、解釈の多様性による理解のズレの問題とともに、箇条書きによる「やっつけ仕事」傾向にある。佐藤将之はその間の事情を次のように説明している。「文章の資料を何枚も書くのは骨の折れる作業ですが、パワーポイントによる箇条書きの資料は、比較的容易にすぐ作れます。枚数を気にせず思いついたことをスライドに列挙していき、会議当日は適当に飛ばしながら口頭で説明することも可能です。いわば 『やっつけ仕事』での資料作成が可能なのです。しかしきちんとした文章にするとなると、読んだときに辻褄が合わない部分が出て来ないように、最初から整合性をとらなくてはなりません。そのため、吟味に吟味を重ね、適切な情報を用いて推敲を重ねなければなりません。エッセンスだけを凝縮して、それを文章にまとめようとすると、必然的に何回も書き直しをしなくてはならなくなります。おそらくベゾスは、そのようにじっくり検討して推敲するプロセスも期待して、この会議の資料作りのルール(パワポ禁止)を考えたのだと思います」(佐藤将之『アマゾンのすごい会議』)。
発表者と聴取者との能力がそれほど違わない会社組織のプレゼンでさえ、パワポを使うと〝ズレ〟が生じているのだから、専門的な研究者である大学教員と専門的には何も知らない学生との間でのやりとりにパワポを使うことがいかに危険なことであるかよくわかる。授業は、支持者のたくさん集まる講演プレゼンではないのだから。
その上、教員は、90分の一授業当たり文字にするとなんと20,000字~25,000字話している。昔風に言うと400字詰め原稿用紙50枚以上の内容を、教員は消えゆくトークで語っている。それに対してパワポの箇条書きの文字数(書字数)は多くても2,000字前後だろう。そもそも文字数(書字数)の多いパワポほど、パワポプレゼンとしてはできの悪いプレゼンとされているのだから、2,000字もないかもしれない。学生は20,000字の内容をその10分の一にもならない文字数(書字)で推論(●●)しなければならない。
90分×15回にわたる2単位「講義」科目であれば、学生は400字詰め原稿用紙750枚もの文字数で語られる内容を〝経験〟することになる。これは博士論文二本くらいになるだろうか。さらに厳密に言えば、講義「2単位」というのは、一般的には90分一回一回の「講義」前後の予習と復習、それぞれ90分の自己学習を前提するため(大学設置基準に基づいて)、90分×45回の時間量を充たす必要がある。その意味では「講義」2単位科目というのは、単なる一科目に過ぎないと言えばそうだが、実際はかなりの内容を伝授(●●)できる機会でもある。
しかし時間に追われるトークで消え去って、手許には解釈のズレを内包した「・」パワポの箇条書きしか残らないとすれば、「講義」前後の予習や復習に学生はどう備えればいいのか、皆目見当が付かないことになる。授業中でさえ、聞き逃すこと、見逃すこと(参照箇所の見逃し)の多いパワポ〝語り〟状態で、授業外の自己学習(予習・復習)を喚起することなどほとんど不可能だ。
このことが深刻さを増すのは、先述したとおり、大学の授業では参考書が存在しないということである。参考文献、参照文献というものはあるにしても、先述したように高校の授業のような、教科書に準じた内容を持つ参考書は存在しない。もちろん塾も予備校も無い。パワポ〝語り〟の不備を補う第三者は何一つない状態で、学生は放置されることになる。
そもそも、大学における「参考文献」、「参照文献」と授業の90分(あるいは科目の全体)との間には千里の径庭がある。パワポの不備は、特に大学においては教員が埋める以外にはない。「参考文献」、「参照文献」とパワポの箇条書きとの間を埋めることさえ、大部の「narrative形式」(アマゾン) ― アマゾンがここで言うnarrativeとは、書字の反対語としての「語り」の意味ではなく、あくまでも「箇条書き」の反対語としてのnarrative、つまり箇条書きの行間を埋める〝連続的な記述〟という意味 ― が必要になる。
現状の大学のシラバスでは、全15回全体(一科目全体)の「参考文献」、「参照文献」がシラバスの最後に(あるいは最初に)記載されている場合がほとんどであって、学生が予習や復習をしようと思ってもとりつく島のない状態になっている。本来は授業回毎に「参考文献」、「参照文献」は指示されるべきなのに。授業回を超えて指示されている「参考文献」、「参照文献」 ― 教員さえまともに読み込めているかどうかわからないほどの「参考文献」、「参照文献」 ― とパワポ箇条書き授業(この授業回(●●●●●)の箇条書き)との間をnarrativeな教材なしに埋めることができる学生が存在するとすれば、それはもはやその授業を聴く必要もないくらいの卓越した学生だ。
⚫再論・授業改善はどうでもいい
このパワポ問題の本質は、「丁寧な」授業をやろう、「わかる」授業をやろうという意味ではない。このような状態が全国の大学で蔓延し慢性化しているのは、教員が怠惰なわけではなく、授業の目標が明確でないからだけのこと。「わかる」授業に教員が関心を持たないまま講演のような授業をやり続けるのは、〈目標〉がないからなのである。
普通、それはシラバスに書かれている、試験に表れていると思われているが、シラバスと試験との間にも大きな乖離がある場合も多い。また〈試験〉と言っても先述したとおり試験調整(●●)の問題も残っている。その意味で言えば、この科目は何を教える授業なのか、何を学べる授業なのかを「客観的に」、あるいは「narrativeに」示す資料が大学には何も存在していないのだ。
シラバスを何万字書いても、試験指標をどんなに詳細化しても、大学や教員のミッションとしての教育目標は、現在の大学では闇の中だ。それは教員の〝心の中〟にあると言えばいいのだろうか。しかし〝心の中〟にあるだけでは教育にならないだけではなく、特にディプロマ・ポリシー、カリキュラム・ポリシーとの関係も見えない。カリキュラム・ポリシーという点では、他科目との接合のnarrativeな関係が必要になるからだ。しかし一つの科目の中においてさえ目標が曖昧なままでは、カリキュラム体系は科目配置にとどまる。カリキュラムもまた科目名止まりの〝箇条書き〟に終わっていると言わざるを得ない。
この種の杜撰さが放置されるのは、この科目で少なくとも60点が取れる程度の標準性 ― 少なくともこの程度のことは単位認定の基準にしたいという標準性 ― が何であるのかが明らかになっていないこと、また明らかになっているとしてもその遂行性が担保されていないことに関わっている。計画は「単に」計画に過ぎないとでも言うのだろうか。これはしかし、計画(目標)はあるが実際にはできていないということではなくて、できているのか、できていないのかさえわからないため、先述したとおり「落伍者数」だけがひとり歩きし、あとは目をつむるという状態が大学教務の実態になっているということだ。
このような複雑な(●●●)話になるのも、計画とその遂行との結節点である〈試験〉(単位認定試験)が試験調整(●●)によって曖昧なままだからだ。〈試験〉を念頭に置かない授業のアンケートをいくら重ねても授業評価はできない。〈試験〉を念頭に置かないシラバスや小テストも評価の対象にならない。よい(●●)授業はよい(●●)試験の結果に過ぎないのだが、試験体制を棚に上げてしまえば、シラバスの詳細化も小テストの日常的な実施も無駄になるのは明らかなこと。逆に言えば、厳密で厳格な試験を実施する体制が確保できれば、教員は〝上から〟何も言われなくても、シラバスを詳細化する意義、小テストを実施する意義を理解するに違いない。
シラバスを詳細化したり、小テストを詳細化したりする意味は、それらを見れば、〈試験〉(単位認定試験)がどんなものになるか、学生のみならず〝第三者〟が分析・評価できる状態を作ることと同義だ。ここにこそ、シラバス詳細化の意義がある。つまりそれは〈試験〉の客観性(履修判定の客観性、および目標評価の客観性)を担保するためにこそ存在している。詳細シラバスが無意味であること、そして毎回の小テストが無意味であることを訴える教員は、「試験調整(●●)を私はやります」と宣言しているようなものだ。
よい(●●)授業=よい(●●)試験の結果というこの体制ができあがれば、(とりあえずは)落伍者数から分析を始めればいいことになる。現状は、落伍者が多いからダメな授業、落伍者ゼロだからよい授業とは言えない状態が続いている。落伍者ゼロの授業の方がずっとたちが悪い(●●●●●)場合も多い。だからシラバスも小テストによる吟味(教育評価)も、いくら改善(●●)を重ねても宙に浮くことになる。試験調整(●●)が自分の手中にあるという前提は目標を棚上げにすることを意味するため、目標のない授業をやることと同じことを意味する。自分で作ったシラバスや小テストの点数さえ気にする必要がなくなる。自己管理ができないのであれば、試験を第三者化するしかないわけだ。それがシラバスや小テストが実質化するいちばんの近道かもしれない。シラバス研修、授業法研修、アセスメント・ポリシー研修などを重ねるくらいなら、学内に期末試験センターを開設した方が、はるかに「働き方改革」になる。
⚫試験調整(●●)を放置する最後の砦としてのメンター主義(担任主義)と卒論ゼミ主義
試験調整(●●)の動機は、できない学生を救済しないと留年者だらけになる、退学者だらけになるというものだが ― またその動機こそが、「わからない」ままの授業が継続する原因を作り出しているわけだが ― 、それを裏面で支えているのがメンター主義(担任主義)だ。
メンター主義とは、学生との、科目授業を超えた個人的な交流(コミュニケーション)を密にすること、個人的な苦情や不満や不安に〝寄り添うこと〟、そのことによって留年、休学、退学を減らすことができる(さらには教育促進が図れる)という思想である。
言わば〝お客さま苦情相談室〟のような体裁によって教員個人(メンター=担任)が学生個人個人に対応することになる。この場合、優秀な(●●●)相談員の本質は、苦情や不満や不安を〝上(学科長、学部長、学長など)にあげない〟ことである。商品の欠陥についてクレームがあったとしても、相談員は商品(●●)を作り直すことはできない、また〝お客さまの声〟を企画・生産側に上げたとしても、今現在の目の前のクレームに対応できるわけでもない。相談員はそのクレームをそこで抑えなくてはならない。その意味で現場の対応で処理することができるのが優秀な(●●●)相談員の評価指標となる。
たとえば、「授業がわからない」「授業がむずかしい」と、メンター教員が学生から苦情を受けても、「しっかり聴いていればわかるから」「今はわからないかもしれないけど後でわかるようになるから」「あの先生の授業は難しいんだよ、だから気にすることはない」「まずは授業を休まないように」「もし不安なら僕が教えて上げるから遠慮なく研究室に来て」などなどの指導(●●)が続く。したがってメンター指導は、学生に我慢を強いる指導である。苦情の発生源である「わからない」授業は全く手付かずに終わるからだ。挙げ句の果てに「わからなくても大丈夫、試験なんて気にしなくていいよ」と教員自らが言い始める。これがメンター指導の末路だ。
メンターの丁寧な指導(●●)を受けても、ふたたびその学生は「わからない」授業に一人で戻っていく。〝できる〟学生なら「この教員のこの授業に期待してはいけない」という優等生的な〝良識〟が働くが ― できる学生の方が教員評価、授業評価は甘い場合も多いが ― 「わからない」学生は日夜苦渋が続くため、我慢が続かない。我慢すれば大卒という〈学歴〉だけは残ると言っても、高大学歴の学生と出口のところで戦える自信はほとんど何もないのだから、大学に我慢してまでとどまる意味はなくなる。だから大学偏差値と退学率は相関(逆相関)するのである。
低偏差値の大学の学生はクラブ活動をやめるようにして、そして人間関係、友人関係などを理由にして退学する。「この大学とはミスマッチ」だったと。「わからない」授業(=教員)が変わる、改善されるなどと学生は思っていないからだ。できる学生なら、教員の出来をみて、自分の態度を変えることができるが、〝できない〟学生はその種の態度変更ができない。全部自分の所為にして、自分を追い込むばかりだ。「何を言っても言うことを聞かない学生がいる」という教員の認識は、この〝内閉〟の結果に過ぎない。学生の心が閉じる前に授業が閉じているのである。授業を改善するきっかけはこの指導からは何も生まれない。
メンター主義が授業改善の契機にならない理由は、したがって二つある。一つは、メンター教員は授業評価や授業指導のラインではないということ(そもそも同僚の授業にケチを付けるわけにもいかない)。二つ目には、苦情があってもなくても、試験調整(●●)によってほとんどの学生が期末試験には合格するため、「(授業がわからないことなど)気にしないでいい」という含意でもって指導に当たるからだ。つまり「わからない」授業がただちに大量不合格者を意味しないため(そのことがわかっているのは学生ではなく、慢性的に試験調整しているメンター教員だけなのだが)、「わからない」という学生の悲鳴を知的に(●●●)理解するチャネルが教員には存在しない。学生を慰めること、学生に勇気を与えることばかりに集中する。
しかもメンター主義的なヒューマンな指導(慰めること、勇気を与えること)にも実際は成功していない。というのもヒューマンな指導には相性(教員-学生の関係を超えた相性)がつきものだからだ。大学教員の採用の際、ヒューマンな指導に期待して教員を採用することなどしない。そんなことを言い出したら街のNPOのお兄さんやお姉さんの方がはるかに指導の〝専門性〟は高い。それは、「大学教員はヒューマンな指導が不得意だから」という理由からではない。ヒューマンな相性など、人それぞれだからだ。仮に「元気な」先生や「面倒見がいい」先生が成果を出す場合が多いにしても、何人もいるメンター教員の「成果」を合算すれば、成功数と失敗数の差し引きはプラマイゼロの成果(●●)にしかならない。「うまくいくときはうまくいく、うまくいかないときはうまくいかない」ということを毎年くり返しているのが、メンター指導の実態なのである。
大学教員は、「教育」と言えば、学生との熱心な(●●●)(個人主義的な)接触をイメージする。上(成績)の学生についても、下(成績)の学生についても、教室外、授業外の接触の〝熱心〟さを〈教育〉と勘違いしている教員も多い。こういう指導の熱心さを見ていると、大学の教員の授業そのものは、いい意味でも悪い意味でもこの種の個人指導を経由する学生フィルター装置(修士院生作りのため)のようなものなのだと思う。これが、〝卒論ゼミだけが命〟という古典的な、講座主義の大学論である。その種の卒論主義の本質は学生選別主義的な「終わり良ければすべてよし」の反カリキュラム主義、反「組織」主義教育でしかない。その実態は、終わりも始まりもない(何も始まらないし何も終わらない)。それは内発的な動機主義が始まりも終わりもしないのと並行した事態だ。
縮まりそうもない標準偏差20以上の授業をやり続けることによってクラス内に〝二級国民〟を作り、後は試験調整(●●)込みの個人指導(=動機指導)に逃げるという体質が、未だに普通の(●●●)大学教員の体質だ。まるで大学院のゼミ指導のように学生を囲い込みたがる。科目クラスなどもとから眼中にない。
⚫結語 ― 諸悪の根元としての試験の私物化について
教員が試験調整(●●)するということは、教員の単位認定権(成績評価権)にからんでいる。「…大学教員が成績評価を行う権利又は利益は」、「大学における教授の自由」との関連で議論がある。これについては、大阪高裁の平成28年の判例(結審)がある。学生の「単位を認めない」担当教員の成績判定について「卒業させる方向での」修正を学部長が求めたものだ(いずれも『判例時報』平成29年8月21号)。
「…大学教員が成績評価を行う権利又は利益は、大学における教授の自由と密接な関係を有するが、成績評価を行うことが専門の研究結果を教授することの不可欠な内容をなすとまではいえず、教授に伴って付随的に生じるものであるから、教授の自由とは保障の程度が異なるとし、他方、学校法人は学生との在学契約上、適切な教育を行う義務を負い、組織体として自主的な秩序維持の権能も認められる必要がある…」(同前)。
「教授の自由」という点で授業の凸凹はあるにしても、単位認定の凸凹に関しては、「組織体として自主的な秩序維持の権能」を働かせることが重要であること、「学生に対し、安心できる就学環境を与え、教育を提供する義務を(学校法人は)負っている」ということ、「成績評価権は、教授の自由から当然に導き出されるものではなく、憲法上保証された権利ではない」(同前)ということがこの判決の趣旨である。
また、「成績評価権は、教育の自由から派生したものではあるが、学部の有する単位認定権限や秩序維持権限などによって合理的な制約を受けるものであって、学部長の要請に違法性はないとした判例(東京高裁平成2年)」(同前)も存在している。
「成績評価権」「単位認定権」などと硬質なことを言わなくても、教員の成績評価に関わる尺度が科目毎にまちまちだとしたらどうだろうか。単位認定権を振りかざす教員からは「多様な教員がいてもいいではないか」という声も聞こえてきそうだが、それは、一つ一つの科目を順次的に積み上げて履修を全うする学生からすれば、とんでもない多様性だ。その多様性はカオスに過ぎない。
なぜか。単位認定に関わる履修の難易度は、学生の学習ペースを形成するものだからだ。学生や保護者の立場からすれば、成績評価の水準が教員や科目によってまちまちな現状はたまったものではないだろう。それは、学生の日常の学習ペースをかき乱すものでしかない。これこそが学生たちの〝内発的動機(やる気)〟を阻害しているのである。
試験に合格するのも落第するのも〝運の問題〟にまで落ち込んでいるわけだ。この問題はGPAの標準化にかかわっているが、この標準化はどこの大学にとっても、単位認定権(厳しくも易しくも教員が個々に振りかざす単位認定)と試験調整(●●)(ふしだらに合格してしまう試験調整(●●))との壁に阻まれて手付かずのままになっているのである。
教員による履修判定の難易度の凸凹が許されるとすれば、それはカリキュラム上の難易度であって、教員人物論(教員個性論、教員多様性論)的な凸凹であるはずもない。
カリキュラム論からすれば、〈科目〉は、カリキュラム上の〝部品〟に過ぎない。その点でも科目は教員個人の「教授の自由」に属しているものではない。したがって、学生の学習ペースも個人的なものではない。学生は、カリキュラム・ポリシーの下で、カリキュラムによる学習ペースを1年次前期から4年次の卒業研究に向かって形成していくのである。
「GPAの標準化」という課題は、単なる難易度の標準化(=平板化)ではなくて、カリキュラムにおける科目の位置付けという課題から取り組む課題だと言える。
カリキュラムの全体(1年次から4年次へと進む時間的な進行の全体)は、それを作った教員しか分析・評価できない。学生は入学した時点から順次的に(前から)学んでいく。前からしか学べない者を学生と言う。前から受講を進めていく中で学習ペースを掴んでいく。最後に完結する全体(カリキュラム)、つまり後(うしろ)(end)を知っている教員からすれば、前の部分での(たとえば一年次の前期での)躓きは「後からどうにでもなる」ものかもしれないが ― この元凶が動機主義、ゼミ・演習主義 ― 、その後(うしろ)(end)が見えない学生には決定的で絶望的な躓きでしかない。この後先の断絶と対立が退学要因を形成している。それは、結局のところ、この「後からどうにでもなる」という試験調整(●●)による単位認定権の私物化に発している。それは、学生の学習ペースの調律に失敗している反カリキュラム主義なのである。大学教員は、試験の私物化をどう自己返上するのだろうか。そういう自己返上を大学が組織として支援する方法はないのだろうか。(了)
⚫参照・参考文献(言及順)
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『諸学部の争い』カント(岩波版カント全集18巻)
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『判例時報』平成29年8月21号
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