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 【註】シラバスとは何か ― コマシラバスはなぜ必要なのか ver.5.0 2019年07月12日

【註】シラバスとは何か ― コマシラバスはなぜ必要なのか 

この記事の本文を含む全体は120,000字を超えたところでブログサーバーの一記事容量制限を超えた模様でアップできなくなったためのやむなしの(本文との)分離掲載です。加筆分は実際出版される11月までお待ちください、と断念しかけましたが、折角700バージョンを超える加筆にあきもせずフォローしていただいた読者のために、【本文】と【註】を分けて無限に加筆掲載できるようにしました。両者に【註】の通し番号を打ち照合できるようにしています。その形で両者とも出版まで加筆し続けようと思います。本文(http://www.ashida.info/blog/2019/05/post_444.html#more)と合わせてお読みください。この註だけで50,000字前後あります。註+本文で122,000字くらいです。根気よくお読みください。二ヶ月で120000字書き殴りましたので(頭の中が燃えさかっていますが)、文中なお誤字脱字あるかと思いますが、ご指摘していただけると助かります。よろしくお願いします。なお註の文中●●●などがある場合はすべてその●●●の前の語に付いた傍点を意味します。●が三個ある場合は、その●●●の位置の三語前の語までに傍点が付いていることを意味します。→大学カテゴリーランキング

※1
カリキュラムの「大綱化」=「自由化」と選択科目の増加とは必ずしも同じことを意味しないが、中曽根臨教審に発する「個性重視の原則」に発する「新ゆとり教育」 ― 臨教審の第一次答申「個性重視の原則」1985年は、10年後の1996年中教審第1次答申における「生きる力」養成における「個性尊重」という言葉に引き継がれていく ― が選択科目の増大に影響を及ぼしたことは否定できない。

「個性重視」の教育がどんな害悪を生んだかについては本稿第5章で触れる。なお、この答申を契機に、「シラバス」「オフィスアワー」「セメスター制」「GPA」「授業評価」など、「アメリカで開発されてきた、あまり勉強したがらない学生、あまり教育したがらない教員を学習と教育に向けて動機づけ、さらには強制する様々な装置がわが国の大学にも導入されるようになりました」と天野郁夫は指摘し、これらの「装置」を横文字の「小道具」とも言っていたが(天野郁夫『大学改革を問い直す』慶應義塾出版会、2013年)、私のシラバス論の全体はそれとは別の観点からのものである。

※2
この「転回」の意味については、後述する。


※3
「専門」教養とか「一般」教養、あるいは専門教育と一般教育などのありそうでなさそうな区分ももう一度考えるべき時なのかもしれない。4年間全体が教養教育だと言えば言えるし、4年間全体が柔軟な職業教育だとも言えるこの時代に、学部教育(学士課程)のカリキュラムをどう考えるのか、そこにしか〈専門〉と〈一般〉との区別を考える手がかりはない。

佐藤学によれば、大綱化までは日本の大学は、アメリカの大学の教養課程+ヨーロッパの大学の専門課程を足して2で割ったような体裁(アメリカ型4年教養教育の2年縮減型+ヨーロッパ型4年専門教育の2年縮減型)を取っていたが、設置基準の「大綱化」により、「教養教育が軒並み衰退」した。「それほどに教養教育の教官が恵まれない状況に置かれてきた…予算といい教育の状況といいノルマといい弱い立場に置かれてきた。そのために一挙に崩れた」ということになる(「教養教育と専門家教育の接合」東京大学教養部第一回FD講演会、2004年)。

そもそも教養教育 ― エリート教育としての「リベラル・アーツ」と厳密に区別される ― は「大量殺戮の戦争」だった第一次世界大戦以降生じたものだと佐藤は指摘して次のように続ける。「その衝撃の大きさから、大学は大学教育のありかたを見直さなくてはいけなくなった。つまり大学の学問や知識は社会にとって進歩にとってどのように有用でありうるのか、そのことを教育においておこなうべきだという議論が出てきた。そこからアメリカでは1910 年代から、社会的な課題にこたえる教養教育として出てきた。『リベラル・アーツ』が西洋古典を基礎とする人文教育の伝統的エリート教育であったのに対して、ここで登場した『ジェネラル・エデュケーション』としての『一般教養』は原理が違うのです。社会が提起する課題に答える教養教育、市民のための教養教育といったらいいかもしれません。民主的な市民の教育のための教養教育として『ジェネラル・エデュケーション』という概念が登場します。その当時の大学の『一般教育』に関する文章や論文などを見てみると、フリーダム、リベラル、ピース、デモクラシー、これらの言葉のオンパレードです。いかに民主主義の社会を建設するか、平和を維持する学問になるのか、大学がそこにどのように貢献していくのかということを大学が自ら使命として自覚し、それを教育の構想の中に入れていく、この『一般教育』としての教養教育を大学で最初に始めたのはデューイであり、コロンビア大学にそのコースができます。平和と民主主義のためのコースで、専門の先生方が皆でチームを組んで、今でいう総合科目を開始したわけです」(同前)。

佐藤の指摘はここでは月並みなものにとどまっているが、重要なことはそういったアメリカ型の教養教育がなぜ大綱化以降、日本ではもろくも崩れたかということだ。それは「講座制」を取っていることにあると佐藤は言う。「第2次世界大戦後、ヨーロッパ型大学のシステムである講座制の旧制大学のシステムを引き継ぎました。アメリカ型の大学の場合は、教員組織はカリキュラム組織によって組織されます。日本の教員人事の一番困難な点は、教養教育や専門家教育を考える場合、講座制をとっていることでしょう。ヨーロッパ型を取りながら違ったものに対応しようとしているのです。つまりカリキュラムに対応しようとしていますから、講座制ですと専門のディシプリンでとりますよね、だけど教育で担当するところが違うわけじゃないですか。そこにズレが生じたりするわけです。アメリカ型はこれが起こりません、講座で人を取らずカリキュラム組織で取っていきますので、カリキュラム担当者として人事が組織され予算もすべてその配分になりますので、もともと教養教育・専門家教育の接合ということが問題にならない組織になっているのです」。

佐藤のレクチャーのこの指摘は、講座制はカリキュラムの反対語であるゆえんを上手く説明している(なお日本の大学制度における〈講座制〉の経緯については後に触れる)。

ただし、教養教育とリベラル・アーツの問題はエリート教育か市民教育か以前のもっと根源的な視点が必要になる。

かつての教養教育は、「上級学部」の職業教育(神学部、法学部、医学部)に従属する、その基礎教育としてのリベラル・アーツ(「自由7科」)だったが、カントが『諸学部の争い』(岩波版カント全集18巻、1798年) ― カントの最晩年のこの著作は、教会との関係も含めて長い間検閲にひっかかって日の目を見ることができなかった著作だが ― において、後者の従属性を自立的なものに変えたところから、大学の「理性の自由」における「自律」という議論が始まる。カントは、神学部、法学部、医学部をそれぞれ「永遠の(●●●)幸せ」を目指す神学部、「市民的な(●●●●)幸せ」を目指す法学部、「身体的な(●●●●)幸せ」を目指す医学部とし(いずれも傍点はカント)、これらは「文書」主義の学部にすぎないと断じる。

そして「聖書神学者はその教説を理性からではなく聖書(●●)から、法学者はその教説を自然法からではなく国法(●●)から、医学者は公衆に施される治療法(●●●●●●●●●●)を人体の自然学からではなくて医療法規(●●●●)から汲み取る」とする(いずれも傍点はカント)。たとえば「聖書」は「歴史の事柄」に過ぎないため、神の存在など「証明」などできないとカントは言う。下級学部の哲学部が拠って立つ〈理性〉のみがその証明を可能にする。カントは下級学部(哲学)と上級学部(神学、法学、医学)との関係を以下のように揶揄している。「これら3学部の一つが、その教説に何かを理性から借りてきたものとして混入しようものなら、たちまちその学部は、その学部を通じて命令している政府の権威をそこない、哲学部の領分に入ることになる。

こうなると哲学部は、政府から借り受けたその学部の光輝ある羽根飾りをすべて容赦なくむしり取り、平等と自由という立場でその学部を扱うことになる。 ― だから上級諸学部が最も留意しなければならないのは、下級学部との釣り合わない縁組みにかかわり合わないで、下級学部を敬遠して身のまわりに寄せ付けず、下級学部の行う自由な理性的詮索によって自分たちの規約の威信に傷がつかないようにすることである」。この時代、こういった感じで教会批判を続ければ確かに発禁処分になるだろう。

デリダは、カントの言う下級学部の〈哲学〉の「理性」 ― 「自律(Autonomie)によって判断する能力、すなわち自由に(思考(デンケン)一般の原理にしたがって)判断する能力は理性と呼ばれる」(カント前掲書) ― を、上級学部の権力を脱(デ)・限界画定(リミテ)(de-limiter)するものとして捉える(『条件なき大学』月曜社、2008年)。

デリダにとってはカントの上級・下級の議論はそれらの脱構築(デコンストリュクシオン)(déconstruction)のためのものに映るが、「大学の内部と外部を区別しまたその内部で上級学部と下級学部を区別するさいに直面する困難」を、シェリングの、カント大学論へのコメント「一切であるものは、まさにそれゆえに、特殊なものではあり得ない」(『学問論』岩波文庫、1957年) ― シェリングの結論は、「哲学はその個々のどれによっても総体としては客観化されない。総体としての哲学の本当の客観性は芸術のみである。

それゆえ哲学の学部は決してあり得ず、ただ芸術の学部があるのみであろう 」(同前)ということだが、デリダによる、シェリングのカント批判の要点は結局「カントは哲学にあまりに少なくかつあまりに多くを与えている」(『他者の言語』法政大学出版局、1989年)ということなのである ― という「大学の場所論(トポロジー)のパラドックス」から論じ、そのパラドックスゆえにこの「闘争」は「終わりがないし、解決がない」としている(『哲学への権利(2)』みすず書房、2015年)。

こういったデリダの脱(デ)・限界画定(リミテ)(de-limiter)や脱構築(デコンストリュクシオン)(déconstruction)は、カントの〈理念〉の「統制的原理」によく馴染むが、ここではその詳論はできない。

しかしいずれにしても、中世以来の大学は「教会の道具」(クルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』みすず書房、1971年)でしかなかったのだから、カントのこの著作の偉大さがよくわかる。教会の社会性を中心にした「上級学部」の「実務家」教育(「聖職者」「法務官」「医者」)からの自律が、カントの言う大学の「自律」の意味だった。これは哲学的な大学論というよりは、近代的な〈市民〉やナショナリズムの成立と国家権力(社会生活全般に及ぶ権力)と結びついた上級学部との対立が軸になっているのである。

いずれにしてもカントのこの著作も、フランス革命(1789年~1799年)の「熱狂」(リオタール)と無関係ではない(ビル・レディングズ『廃墟の中の大学』法政大学出版局、2000年)。カント自身は「熱狂」とは言わず、「熱狂と紙一重の願望としての参加、つまり共感」(前掲書)と慎重だが。カントにとってフランス革命は、「革命」そのものよりも「啓蒙の過程そのものを完成させ継続させるもの」だったとフーコーは解説している(『ミシェル・フーコー講義集成(12)』筑摩書房、2010年)。

カントのその理性(の自律)論からフンボルト理念も由来し、19世紀末から始まるハーバード大学(エリオットやローウェル)やシカゴ大学(ハッチンス)による教養教育への取り組みにもそれらは大きな影を落としているが(エリオットの大学改革については後述する)、今となってはその検討は「多様な学生」(文科省)の大学における教養教育の在り方から始まるに違いない。私のシラバス論もその「多様」性の議論に関わっている。

文科省が様々な答申の中で「多様な学生」の時代という場合の「多様」は「ダイバーシティ」の多様のことのようにもみえるが ― アメリカの大学の「ダイバーシティ」は留学生であれ、経済的に恵まれていない学生であれ、学力は高くて当たり前というような風潮があるが(栄陽子『ハーバード大学はどんな学生を望んでいるのか?』ワニブックス、2014年)、日本のように受験偏差値による大学間格差が(一部の超エリート校との格差を除いて)大きくない分、一つの大学内での学生格差はむしろ大きく、の必要性はアメリカの方が深刻な面もある。苅谷剛彦も言うように「アメリカでは一部の超エリート大学を別にすれば、学生の学力の分散は日本以上に大きい」(『アメリカの大学・ニッポンの大学』玉川大学出版部、1992年)。

その意味ではアメリカの大学の方がはるかに「教育」の大学である ― 「大学格差」の「多様」と「学生格差」の「多様」とは自ずから意味が違う。もしアメリカ的な大学の「ダイバーシティ」を言うのなら、日本の大学の一大学内の学生は「多様」でもなんでもない。偏差値で輪切りされる大学間格差と多様な選別(あえて言えばアメリカ的な人物評価選別)における「多様」とは、意味が違う。

垂見裕子は、2006年のPISA調査から、日本の高校の格差が学校内格差ではなくて学校間格差が大きいことを指摘している(「家庭背景による学力格差 ― PISA調査の分析から」日本教育社会学会大会発表要旨集録61、2009年)。「家庭の社会的地位の勾配を学校内勾配と学校間勾配に分けて分析」すると「日本学力格差は、学校間格差が大きく(回帰係数131.95)、学校内格差が小さい(回帰係数7.12)こと」がわかる、と。PISA3加国平均で言えば、前者は59.32、後者は17.39であるから、学校間格差の大きさは日本の際立った特徴になる。

垂見の結論は、「学校内格差が大きい教育システムでは各学校内で低学力の子供に適した教授法などの導入が考えられるが、日本のように学校間格差が大きい教育システムでは、まず低学力校を特定し、それらの学校に特別な財政・人材措置が必要である」としている。日本の大学の偏差値輪切り型の体制もこの高校段階での日本的な(●●●●)学校間格差(の異常な大きさ)が大きく影響している。「リメディアル教育」と一言で言っても日本とアメリカで言うそれとは全く質が異なるということだ。

文科省が「多様な学生」という言葉を使った最初の答申は、(私の知る限り)1991年の大学審答申「平成5年度以降の高等教育の計画的整備について」だったが、そこでは「高等教育の規模が拡大し、多様な学生が学ぶ状況で、学生の学習意欲の向上を図り、学習内容を着実に消化させるためには、学生の学習に配慮した教育プログラムの開発・提供に取り組むことが重要である」と指摘されており、「学生の学習意欲の向上を図り、学習内容を着実に消化させるため」の「多様な学生」という言葉の使い方になっている。アメリカ的な「ダイバーシティ」(ある種「生物多様性」論的な、あるいは進化論的な)とは異なる「多様な」という言葉の使い方で導入したことは明らかだ。

ドイツなどは原則入試選抜が存在していないのだから、日本のような偏差値格差による大学間格差自体が存在していない。フランスはドイツと同じように入試選抜はない。リセの卒業資格であるバカロレア資格(受験者の80%程度は合格する)は必要だが。そして入学してもイタリアのように進級・卒業認定が厳しい。同じく無試験で入学できるイタリア大学卒業率は20%前後と低いので「多様」な学生問題は生じない。しかもフランスの場合は、IUT(Institut universitaire de technologie)やSTS(Sections de techniciens supérieurs)のように大学自体が「多様」化して「多様な」学生問題に対応しようとしている。これは日本の短期大学が1990年代後半以降こぞって4大に変貌を遂げ、専修学校も減少傾向にあるのとは対照的な動きだ ― 「短期大学は1950年当時に149あり、1996年に598とピークに達してからは減少し続けており、2016年には341となっている。専修学校は発足時893だったが、2016年には3183、ただしこちらは1999年にピーク(3565)を迎えて以降、漸減傾向にある」(中澤渉『日本の公教育』中公新書、2018年) 。日本では4大1元主義が進み、専門職大学が新設されたにもかかわらずそれもまた「学術」「学芸」の大学であることに変わりがない状況だ。

ドイツの「多様」化の大きな特長は専門大学(Fachhochschule)の存在だ。高等教育全体の中で4分の1強の高校生が行く職業教育大学だが、日本の専門学校(および専門職大学)と違うところは偏差値的な「多様」の大学ではないということだ。職業大学と通常の大学の卒業者の年収差が日本ほど大きくはないということである ― 「総合大学卒業者の平均値が4763ユーロに対して、専門大学卒業者は4334ユーロで、ほとんど差はない(数値は2001年のデータだから少し古いが ― 引用者註)」(潮木・前掲書)。おそらく18世紀以来のドイツ職業教育の伝統 ― 貴族の権威主義的なマナー教育と堕した大学よりもはるかに質が高い教育を行っていたのがドイツの職業教育「アカデミー」(あるいはフランスの「コレージュ」なども含む)の伝統 ― がそうさせているのだろう(クリストフ・シャルル&ジャック・ヴェルジェ『大学の歴史』白水社を参照のこと)。

このアカデミーの「『アカデミックな知』が敵対していたのは、今日の奇妙な思い込みが信じるような『ジャーナリスティックな知』ではなく、むしろ中世的な大学に端を発する『スコラ的な知』である。中世はアリストテレスを新しい知の先導者として召喚したが、17世紀までにアリストテレスは、新しい時代への欲望とは対極に位置する権威となっていた。このときむしろアリストテレスではなくプラトンが再び召喚され、そのプラトンの教育の場であったアカデミーこそ、新しい知の先導者となるべきだと人々は考えていたのである」とまで吉見俊哉は言っている(『大学とは何か』岩波新書、2011年)。

とはいえ、マーチン・トロウは、「マス」化、「ユニバーサル」化、「情報化」した今日の段階では、アメリカと異なり、ヨーロッパの大学は国家管制型である分、「社会に変化に対応して」〝多様な〟学生に対応するのが難しいと言う(『高度情報社会における大学』玉川大学出版部、2000年)。

一方、日本の専門学校(専修学校専門課程)は議員立法(1975年)でできあがったに過ぎない ― 自民党早稲田文教族議員たちの議員立法「私立学校振興助成法」の付録のようにできあがった。日本では、高卒・専門卒・短大卒と4大卒との間に収入格差の「学歴分断線」(吉川徹『学歴分断社会』ちくま新書、2009年)があって、前者と後者とでは生涯年収5000万円~6000万円の格差があるが、ドイツの大学(Universität)と専門大学(Fachhochschule) ― 最近はFachhochschuleをHochschuleとも言う ― とは「2つのタイプ」の差に過ぎない(潮木守1・前掲書)。まさに「多様な」大学をなしている(ただし中等教育以下でのHauptschule、Realschule、Gymnasiun3段階の選別はあるので1概には言えないところがあるが、その点はまた別稿に譲りたい)。

しかし日本のポスト中等教育の進路は、「多様」というよりは偏差値格差による多様に過ぎない。その上、40%近くの私立大学が選抜さえまともにできない定員割れの状況では、その「多様」も一様(●●)(大学内「一様」)でしかない。それでもなお「多様」という言葉を使うのなら、「大学は勉強するところだ」と1概には言えない(●●●●●●●●)という「多様」でしかない。アベノミクス以前の大学は「潜在的な失業者人口」の「プール」(児美川孝1郎『若者はなぜ「就職」できなくなったのか?』日本図書センター、2011年)とまで言われていたのだから。

特に90年代以降(つまり中曽根臨教審→大綱化以降)、「自分探しの幽霊船」(古市憲寿『希望難民ご1行様』光文社新書、2011年)に乗る若者が増え、本田由紀(『若者と仕事』東京大学出版会、2005年)の言う「ダブル・トラック」化が起こり、「学校経由の就職」が「縮小」したこと、つまり社会的な学校圧 ― 「学歴社会という認識は、『生まれ変われるものなら生まれ変わりたい』という人びとの願望を強化し、その願いを教育へ、学校へと水路づけするイデオロギーとして作用した」(『大衆教育社会のゆくえ』中公新書、1995年)と苅谷剛彦が言う意味での学校圧― が減少したことが日本的「多様」の本質なのだと思われる(この学校圧の弱化については後述する)。

いずれにしても、日本的な大学の「多様」とは、勉強が好きでも得意でもない学生が入学してくる今日の大学の実態を意味している。そんな「多様な学生」の時代における大学において、選択科目を増大させると、何が起こるのかは明白だ。

一つに、科目が積み上がらないため深く学ぶ機会がなくなる。多様な学生が多様なまま卒業することになる(手付かずの自然みたいなもの)。高等教育である大学教育をわざわざ受ける意味がないことになる。

二つ目には、科目管理がすべて個々の教員任せになるため、4ポリシー(アドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシー、アセスメント・ポリシー)の形成がますます宙に浮く。

三つ目には、授業評価が大概のところ登録学生数の多少でしか目安にならないため、知的な評価から遠ざかる。結論。選択科目の多い大学は授業改善とカリキュラム開発が全く進まない教学組織でしかないということ(これらの問題については第5章で再論する)。

なお、金子元久は、「授業のプラクティス」という言葉を使ってシラバスを説明しようとしている。それは、「もともとアメリカの公教育システムには地域的な多様性が著しく、大学入学者の学力に大きなバラツキがある」(『大学の教育力』ちくま新書、2007年)という認識から来ている。シラバスはアメリカ的な契約社会の要素と言うよりは、そのバラツキの補正を「制御」する「道具」(金子元久)でもある。

日本の学生の「基礎学力不足」を嘆く教員がいるが、アメリカでもドイツでも(進学率が急激に上がっていく「大綱化」の1991年以前から)日本の大学の学生以上に「多様な」学生に対応してきたことを忘れてはいけない。日本の大学は私学助成 ― 「私立学校振興助成法」(1975年) ― と引き換えに厳しい定員規制を受けてきて(この間の経緯は、天野郁夫『日本の高等教育システム』東京大学出版会、2003年と吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書、2011年とを参照のこと)、1993年までは4年制大学の進学率は30%を切ってきた。なんと1971年から1993年の22年間も進学率は20%台にとどまっていたのである。

93年までの大学の平和(●●)と「大綱化」の生涯学習論とが相俟って、「多様な」学生対応に遅れ、「授業のプラクティス」が日本では前面化しなかったのだ。ただし、1990年代半ば以降進学率が急激に上がったとは言え、(「マクロな視点から」は)「学力下位層からの進学者が際立って増加しているわけではない…大学進学率の上昇により直ちに学生の学力水準の低下がもたらされているとは言えない」という濱中義隆の報告(『大衆化する大学』岩波書店、2013年)もある。「最近の学生は…」という「多様」性論は単なる世代論なのかもしれない。「知識人は、明治以来1貫して『学力低下』を嘆く存在なのです」とは蓮実重彦の言葉だ(『私が大学について知っている2、3の事柄』東京大学出版会、2001年)。


※4
※もっともこの「講座制(チェアシステム)」が実際「実現する」のは明治26年のことである(文部大臣は井上毅)。天野は先の著作のずっと後の著作で次のように続けていた。「当時の帝国大学では、まだ各教授が担当する専門分野が明確に定まっていなかった。法科大学を例にとれば、1人の教授が「国法モ私法モ国際法モ」すべてに精通していることを前提に、カリキュラムが組まれていた。それは教員が不足していた時代の「1時止ムヲ得ザルノ変通」であったのだが、「学者モ此変通ニ慣レ、世人モ怪シマ」なくなってしまった。その結果、教授たちは「雑駁ニ流レ、1科専攻ニ心ヲ寄スルニ遑」がなくなり、「講義モ、精到タルヲ得サルノ嫌」がある。井上はそうした帝国大学の寒心すべき状況を打破すべく、「講座制ヲ定メ、其職務ニ対シテ専攻ノ責ヲ表明シ、以テ後進ヲ負ハシメ」ることをはかったのである(木村匡『井上毅君教育事業小史』)」(『帝国大学』中公新書、2017年)。要するに「教授」人物主義のような体裁が講座制の本質であり、その人物性が結果としてカリキュラムにもなっていたということである。しかしもちろん人物主義ではカリキュラムなど作れはしない。

立花隆は講座制を確立したのは東大総長2回目就任時の山川健次郎だとしている(『天皇と東大』文藝春秋、2005年)。大正7年の大学令において、帝国大学以外の大学も公式に認知され当時専門学校でしかなかった早稲田や慶応もはじめて大学として認められ、そして東京帝国大学も法科、文科大学、工科大学、理科大学などの分化大学に分かれていたのがはじめて1つの大学の中の学部という形を取ることになった。

山川がやったことは、この複数の学部からなるユニバーシティとしての大学の確立ともう1つが講座制だったと立花は言う。「それを ― 「講座を」引用者註 ― 大学組織の構造的な単位とし、人事のポストも財政資金も講座単位で配分されるようにして、講座主任教授の権力が圧倒的に強いものになるように制度化されたのはこのときからである。いわゆる講座制の弊害もこのような講座の独立王国化から生まれた」と。立花は、同時にこの講座制の「独立王国化」は「講座を外部の干渉から守る」「学問の自由を守ることにも役立った」としているが、近代国家の成立以前に起源をもつヨーロッパの大学の「学問の自由」と最初から国家主導で進んだ日本の大学の「学問の自由」とは比べる術(すべ)もない。

金子元久は、「講座」という言葉は、もともとは「ドイツの大学における正教授のポストを意味していた」と言い、帝国大学における「制度的に標準化された単位組織としての講座は、日本独特のものである」としている。講座制は「先端的な専門分野をひととおり急速に導入し、さらに後継者を養成するうえでは大きな役割を果たした」と指摘している(『大学の教育力』岩波新書、2007年)。また潮木守1は、その「講座」の語源となったドイツの大学について、その学長や学部長 ― アメリカの、「理事会から全権委任された」学長や学部長と違って ― は「こまごました学務を処理する事務屋」であって、「学部教授会とは…夜店を張っている教授たちの既得権益を保護するためのギルドであった」とまで断じている(『ドイツの大学』講談社学術文庫、1992年)。


※5
「学長ガバナンス」強化の今日の大学では、〈教授会〉こそが大学全体の求心性を殺ぐものとされて、教授会すら〈学部〉単位に置く必要はないと文科省は言い出し始めているが ― 「大学のガバナンス改革の推進について」(2014年2月12日 中教審大学分科会)― 、その言い方に倣えば、その学部・学科さえも相対化する講座制(教授主義)こそがカリキュラムの求心性を阻害しているのである。カリキュラム開発と表裏の関係にある「詳細な」コマシラバス書式の提案などは、各学部からの積み上げの議論でやろうとするとほとんど何もできない。「教育ばかりが教員の職務ではない」と1蹴されて終わる。シラバス記載は教員にとっては〝負担〟でしかないからだ。

それに比べると「カリキュラム改革」はかえってやりやすい。「科目」の概念的な配置(再配置)で済み、シラバスの内実(授業の実体、履修判定の実体)をそれほどには問われないからだ。もちろんそんなものを「カリキュラム改革」と呼んではいけないのだが。「カリキュラム改革」はシラバス(コマシラバス)の中身に組織的に入り込まないかぎり存在する意味はない。がしかし、「カリキュラム改革」がそこかしこで行われているというのは、科目名(●)をいじっているだけの「カリキュラム改革」でしかないということである。シラバス(コマシラバス)の中身をいじることなど現在の大学では不可能なのだ。つまり「カリキュラム改革」ではなくて、「シラバス改革」こそが「学長ガバナンス」において以外に執行不能な事態にあると言える。

アメリカでは、学生の所属する組織は「カレッジ」で、教員組織は「デパートメント」である。日本では教育と研究が1体化したヨーロッパタイプの「ファカルティ」(学部)に教員と学生が属している。この「ファカルティ」タイプの組織ではコマシラバスの中身までおりて、「カリキュラム改革」を行うことなど不可能なのである。

文科省はすでに「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」=「46答申」(1971年)で、アメリカ型に倣うような教育重視の大学組織論を提案していたが、「この改革構想は大学関係者の強い反発を買うものであり、政策としては具体化されることなく終わった」(天野郁夫『大学改革を問い直す』慶應義塾出版会、2013年)。昨今の「学長ガバナンス」論は、この「46」答申(1971年)の半世紀後の展開ともなっている。なんといっても「多様な学生」の現状は1971年と今とでは比べようがないくらいなのだから。


※6
昔の大学では、〈概論〉を担当する教員はその学部・学科を研究者として代表する教員だった。その理由は若手教員では専門的過ぎて(●●●●●●)概論を論じるだけの能力がなかったからである。〈概論〉科目は専門を脱する力、専門を大所高所から論じる力がないと担えない。そして〈専門〉を脱するには専門の頂点(End)に立った研究者以外には無理なことだ。頂点(End)からしか、すそ野の広がりと入り口(入門)は見えないから。ヘーゲルもまた「ミネルヴァのフクロウは黄昏時に飛び立つ」(『法の哲学』、1820年)と言ったし、ドゥルーズもまたそれとは別の意味で「『哲学とは何か』という問いを立てることができるのは、ひとが老年を迎え、具体的に語るときが到来する晩年をおいておそらくほかにあるまい」(『哲学とは何か』河出書房新社、1997年)と言っている。


第二章 「概念」型シラバスと「時間」型シラバスと

※7
※ご存じのように中世神学「3位1体Trinitas論」の言葉であるが(父と子と聖霊の3位1体)、天空の父が大地の子であるイエスに肉化するincarnationという比喩をここでは借りることにする(私はクリスチャンでも何でもないが)。In-carnationのcarnation語源のcaroはflesh(肉)を意味する。ちなみに、花のcarnationはその色が人間の肌(肉)の色に似ていることから来ているらしい。インカネーションの〈肉〉は、「受肉した神の子」としての身体と「罪人の身体」との両面を持つ(コルバン・クルティーヌ・ヴィガレロ監修『身体の歴史』藤原書店、2010年参照のこと)。神の顕現はインカネーションの肉化において、計画(シラバス)の、その実際との泥だらけの格闘(計画の教室化)を意味する。この私の論考全体は、シラバスのコマシラバス化の泥だらけの格闘、「多様な学生」との格闘の運動(「概念の時間化」の運動)を多面的、総合的に扱うことにある。

ちなみに、この論考全体は、以下の9つのインカネーション(→)の諸相を扱っている。

1) シラバス→コマシラバス
2) コマシラバス→科目単位に教場配付、毎回の授業で使用
3) 主題概要→細目レベルの記述
4) 主題概要→教材参照地図の完成
5) 教科書→教材・資料
6) 授業目標→履修判定指標
7) 履修判定指標→学生による模擬試験作成
8) 履修判定指標→期末試験の点数分布(平均点80点前後で標準偏差が12~15に収まること)
9) 期末試験の第3者作成(これは「聖霊」=教員の「魂」段階の、シラバスとコマシラバスが「1体」化した最後の段階)

「項目8)」の「標準偏差」について言えば、点数分布が平均点80強を山のピークにして100点と60点へと広がった正規分布に近い形になると標準偏差はおおよそ12~15くらいになる。これは、科目クラスの知的な(●●●)経営が上手くいっている指標。中域を中心に、下位学生も諦めていない、上位学生もお互い競い合っている。中域は下には落ちたくない、少しでも上位に入りたいという状態。このようにクラス全体が知的な緊張力を維持している状態が試験の点数分布が標準偏差12~15の状態。標準偏差が1桁にとどまると、上位学生と下位学生との点数差がないためにどちらもやる気がない状態。教員の教育目標の解像度が低いか、それとも落5者が出るのを恐れて試験の難易度を人為的に下げているかのかのどちらか。標準偏差が18くらいを超えると、2山(ふたやま)現象になっており、下位グループが完全にやる気を無くしている状態。厳密には学生がやる気がないのではなく、教員が下位グループに見向きもしないで授業をやっている状態だと言える。

この原因は学生の基礎学力不足ではなくて、教材(授業中の教材、予復習の教材)が不足している状態に過ぎない。授業中の小テストで標準偏差が18を超える状態で本試験に突入すると大量落5者が必ず出る(もしくは少数であっても再起不能な落5者が出る)。こういった判断は平均点やGPAばかりを意味もなく記録し続けている今日の成績評価では出てこない。クラスが教育目標と関連してどんな状態で運営されているのかは、平均点やGPAだけではわからない。「学びの共同体」(佐藤学)とか「学び合い」(西川純)とか、そして「アクティブ・ラーニング」とか色々と学生の反応を大切にした「学習者中心の学びStudent-centered Learning」が昨今声高に提唱されているが、試験の標準偏差が12~15の間にあることこそ、学生と教員との間に、そして学生同士の間に知的な共同性(●●●●●●)が形成されているもっとも実質的な指標だといえる。

わいわいガヤガヤと「アクティブ」であっても、その教育目標を測る試験の成績分布の標準偏差が1桁であったり、18を超え始めたりするとクラス経営としては失敗している。逆に沈黙の支配する授業であっても、まともな(●●●●)試験をやって学生点数の分布が正常ならそのクラスは「アクティブ」な状態にあると言っていい。


※8
ただし、中島(たち)には、「初回配布用」シラバスという概念がある。これは、しかし「シラバス」と言うよりは、「学生の学習支援のため」のものだ。科目全体の履修ガイドのようなものだと思えばいい。従って、「コマ」シラバスという観点からは遠く離れている。ついでに言えば、鈴木が自ら書いた「講義シラバス例」においては、コマシラバスは授業全体の「スケジュール」表示 ― 映画館の放映スケジュールのような ― にまで堕している。


※9
単位認定権(成績評価権)については本稿第5章で言及する。


※10
※それを突き詰めれば1冊のオリジナル教科書になるだろう。シカゴ大学以来の大学「出版局」の使命はその意味でのシラバス=コマシラバスを出版することにある(出版と大学との関係は後述する)。だからこそ、教育「と」研究は「教育研究」なのである。


※11
※レーザーポインターが教育的(●●●)に(●)ダメなのは、指示された瞬間を見落とすとどの箇所かわからなくなるという点だ。また小刻みに、あるいは大きく揺れ動くレーザーポインターでは何を指しているのかさえわからないことも多い。レーザーポインターも話者の自己満足ツールに過ぎない。


※12
参照についてどうでもいいようなことにこだわっているかもしれないが、実は授業中の、教員による参照指示行為(板書への指示、パワポスライドへの指示、教材・資料への指示など)については、配慮される必要がある。20年前に50科目の授業を回って気がついたことなのだが(このときの授業評価については第5章でも触れる)、「資料~を見てください」と指示して1斉にそこを見るまでにかなりの時間がかかっている。優れた資料を作っても、学生すべてがそこを見ることを確認して授業を進める教員は実際多くはない。もったいないことだと思う。せっかくの資料を作っても参照指示性が悪いのだ。

90分で基礎学力の低い学生を目標まで持ち上げるのは難しいと言う教員に限って、参照させるまでに2分、3分と貴重な時間を無駄に費やしている。これを私たちは授業における「ノイズ」と呼んできた。出席チェックの時間、資料配付にかかる時間、板書の時間(板書は、自分の言いたいことのすべてを書き尽くした資料を用意しても、なお実際の授業ではそのメタの説明が出てくるものであってその意味では無くすことのできないものだが、ここで言う「板書」のノイズは、前もって内容が見えていることの板書については授業内でいちいち板書せず資料化すべきだ、という意味)、参照指示にかかる時間、プロジェクター投射の準備にかける時間などに配慮することによって、肝心の「教育そのものの時間」を確保すれば、相対的に90分授業を100分にすることも可能だと。

実際、基礎学力の凸凹を憂慮する教員ほど正味の教育時間は80分以下にとどまっている。それではなおさら基礎学力の凸凹を放置することになる。90分を純粋に教育的な時間(●●●●●●●●●)として構成するには、事前にどんな準備が必要なのか、授業中の指示や準備をどう効率化すべきかにもう少しの配慮があってもいいと思う。


※13
※予習や復習などの学生便宜のためだけではなく、教員たちが〈カリキュラム〉を更新する場合もその主題に関して細目レベルの掘り下げがここまで指導できる教員がこの科目を担当しているのであれば、連接する科目の目標はもっと高度なところまで展開できるといった判断もできるようになる。概念概要的な主題主義に充ちたシラバスを検討するだけでは、こういった判断はできない。


※14
※ここで言う「教材」とは、教科書(そんなものが在るとすれば)を含め、レジュメテキスト教材(パワポなどを含めた)はもちろんのこと、使用する実習機材・設備なども全て含んでいる。


※15
※この苅谷剛彦の著作は彼の「インセンティブディバイド」論である『階層化日本と教育危機』(有信堂、2001年) ― この著作については後で触れる ― の10年前のもので、先の中島(名古屋大学)、佐藤(愛媛大学)、鈴木(熊本大学)たちの著作に比べても10年以上前のものだが、かれらのシラバス論よりもはるかにまともなシラバス論になっている。シラバスを授業法や学生支援の1部としてしか考えない教育学者たちのシラバス論 ― しかも海外のシラバス文献に頼っているだけ ― には役に立つものが一つもない。

なお苅谷の、イギリスの大学を論じた著作(先の『アメリカの大学・ニッポンの大学』の10年後の『イギリスの大学・ニッポンの大学』中公新書ラクレ、2012年)では「シラバス」という言葉は1回しか出てこない。「シラバス」は主にはアメリカの大学の言葉だからだ。理由ははっきりしている。イギリスはアメリカに比べればまだまだ階級的な社会なのである。苅谷が、2012年のその著作で「教育された市民(an educated citizen)」(と「ただの市民」)というイギリス社会の言葉に気を止める議論の通りのことである。

D.H.ロレンスが嘆いたイギリス社会の階級性に比べればアメリカはまだましで、日本はもっとまし。むしろ日本の大学ははるかに「多様な学生」の大学だ。ピケティによれば(『21世紀の資本』みすず書房、2014年)、ハーバード大学の学生の親の平均年収は5000万円弱(45万ドル)となるらしい。両国の平均年収は、大学進学の子どもを抱える40代男性で日本が600万円、アメリカが680万円くらいとそれほど変わらない(女性の年収を加えて世帯年収となると100万円~150万円の差が付くが(いずれの数値も「平成26年度国税庁「民間給与実態統計調査」より」。一方、東京大学が実施している「学生生活実態調査の結果」(2016年)では年収1550万円以上は12.6%しかいない。経済格差がそのまま学歴格差だという議論はよくある話だが、アメリカに比べれば日本ははるかにメリトクラシーが生きている社会だと言える。

しかしそうではあっても、あるいはだからこそ、シラバス論については苅谷がレポートを書くぐらいにはアメリカでは活発だ。シラバス論は、日本においては、そのアメリカの10倍の議論があってもいい。私は、アメリカのシラバス論をありがたがって借用することしかできない日本の教育学者たち(苅谷はその中でははるかにまともだが)の10倍のシラバス論をこの論考で展開したいと思っている。


(※16)
※したがってこの差分の意識(●●●●●)に関わるコマシラバスの機能はPISAの言う、最も教育=学習効果の高い「制御方略」にかかわっている。これについては最終章で再度触れる。


(※17)
井上理の次の「シラバス」論は、昨今のシラバス論の錯誤の〝総合商社〟のような解説になっている。
「詳しい説明書にあたるシラバスは学生にとって重要な情報源となるはずであり、大学はそうした形での情報提供を学生から求められている日本では、大学の授業料は学期の初めに納付する。定額方式で科目数によって授業料が変化するわけではないのが一般的なあり方であろう。一般的には、購買者がこれから購入しようとする製品やサービスの中身について情報を欲しがるのは当然である。シラバスが学生にもたらす情報価値は高いはずである。シラバスの配布は、学生の満足度を左右すると考えられる。

一方、顧客が購入したサービスに満足したかどうか、購入後、不満は残ったのかどうか。これらは今後の販売動向にも影響する。したがって、購買後の購買者の状況を把握することが、教育サービスの売り手としての大学には求められる。自分たちの行動の成果を確かめるためにも情報収集活動は不可欠である。大学にとって顧客情報の収集活動のひとつが「学生による授業評価」である。学生による授業評価をまだ実施していない大学では、しばしば学生による授業評価の実施に反対する意見が出るという。その反対の論拠のひとつが「学生に評価能力がない」というものである. しかし、企業では消費者に製品やサーピスの購買後の意見や感想を聞くというのはほとんど常識となっている。企業の場合、顧客満足(C. S. = Customer Satisfaction)推進室という専門部署を常設しているところも多い。消費者の満足や不満、問い合わせや苦情などを多角的・ 組織的に調査分析し、次の製品開発や販促活動 に活かしているケースも多い。顧客中心の事業展開、顧客重視の発想はいまや常識となっている。経営手法の導入にも積極的で、TQM (全体的品質管理) やCRM (顧客関係重視の経営)といった経営手法の導入は、企業だけではなく大学においても今後ますます検討し導入すべき方法であろう。交換は交換相手を無視して成立しない。大学教育もその購買者である学生が、購買後、その交換行動をどう評価しているのか、重要な関心を向け、学習者を中心にした視点から教育改革をみなおす必要がある」(「『実学』再考 ― 教育改革の動向」、高等教育研究・第4巻、2001年)。私のシラバス論の全体は、こういったシラバス論調全体を破壊することにある。この議論である限りは、内田樹のシラバス不要論は全く正当なものだ。教員は契約文書(●●●●)を書くために大学に存在しているわけではない。


(※18)
「単位制」は、元々はハーバード大学で選択科目制が導入されたときに導入されたものらしい。当時の学長のエリオット(1869年学長就任)は「学生が足並み揃えて同じ科目を履修するのは、あたかも『兵士の行進』のようだなどと揶揄して選択の自由のなさを批判した」(土持ゲーリー法一『戦後日本の高等教育施策』玉川大学出版部、2006年)。つまり「単位制の起源は選択制が導入されたことによる必然的な帰趨であった…単位制は選択制によるカリキュラムの自由化の副産物であった」(同前)のである。

エリオット学長就任直前の「ハーバードのカリキュラムでは1年生のカリキュラムはすべて必修カリキュラムで充たされており、2年生の場合には約半数が必修科目で残りが選択科目、3、4年生でも半数弱は必修科目で構成されるという形をとっていた」(潮木守1『アメリカの大学』講談社学術文庫、1993年)。ドイツの大学のように国家試験のための予備校のような明確な目的を有していたわけではない当時のアメリカのカレッジでは「勉強文化」(潮木)は育ちづらい状況があった。

当時のカレッジは卒業生の半数くらいが牧師になり、あとは法律家・医師になるものが10%~40%くらい。それくらいの進路なら「伝統的なカリキュラム」であってもなんとかなったが、エリオットが学長に就任するときには牧師になるものは10%台に減少し「学生の多様化」対応に迫られていた。エリオットのいくらかは個人主義的な傾向はあるにしても ― 潮木はエリオットを「個性尊重主義者」(同前)と言っている ― 「自学自修の精神」による選択科目制の導入はそういった伝統的なカリキュラムの形骸化に対してのエリオットの決断だった。

しかしこのような「多様な学生」対策のための選択制導入は大概が失敗する。ハーバードの内外から「ごうごうたる批判の炎が燃え上がった」と潮木は報告している。イエール大学のポーター(エリオット学長の2年後1871年にイエール大学学長就任)などは「我々はこのプラン ― エリオットの選択科目主義(引用者註) ― が、比較的真面目な学生に、束の間の満足感を与えることを否定しようとは思わないが…学部生の大部分は各科目の重要性を判断し、それらが招来の職業とどのようにかかわっているのか、それを判断できるほど成熟していないし、それだけの知識を持ち合わせてはいない」と喝破している。潮木はこのエリオットの選択科目主義をまるで今日の日本の学生の様子を描くように以下のようにまとめている。

「自由選択下のハーバードでは、ある学生は特定領域の科目ばかり学習し他の領域については4年間何も学習しないで卒業していったし、またある学生は無秩序に手当たり次第にあちこちの専門の講義をとり何が専門だったのかわからないような状態で卒業して行ったし、ある学生はやさしい入門コースばかりを選んで卒業して行ったし、ある学生は点の甘い教師の講義だけ選んで卒業していった。…多くの学生はたくみにこの制度を利用し、最小のエネルギーで卒業に必要な科目数だけそろえて卒業していった」(同前)。早稲田の(とある学部のカリキュラムの)ように選択科目を1000科目以上も用意すればこうなることは目に見えている。歴史はくり返すのである。

いずれにしても「単位制」の起源としての本質は学生の「自学自修の精神」に基づいており、その「自学自修の精神」は科目選択の自学自修と授業時間外での自学自修(予習・復習)の2つから構成されている。

その意味では、カリキュラム(科目相互の組織性や順次性)を重視するということと単位制を重視するということとは矛盾する。単位制は科目単独の重力を高める要素として働くからだ。別の言い方をすれば、単位制は科目相互の価値を〝時間〟を媒介にして交換可能な価値 ― 「単位の互換性」などという交換性 ― として認めることであって、カリキュラムにおける「ナンバリング」の思想、つまり科目は有機的な体系の要素として組み込まれていて交換できないという考え方と相容れない。「カリキュラム・ポリシー」の有無を問いながら「単位制の実質化」を求める文科省の施策もなかなかまともに受け入れるのは難しい。

マーチン・トロウは、「マス段階」(進学率15%~50%)から「ユニバーサル段階」(進学率50%以上)へと進む大学における単位制の隆盛とカリキュラムとの関係をうまく説明している。「マス段階になると、教育はずっと弾力性に富んだものに変わる。教育課程の構造性は弱められ、単位制による選択履習が優勢になり、コースの弾力的な組み合わせが認められるようになる。また学生は簡単に、専門分野や教育機聞に自由に出入りし、またその聞を移動することができるようになる。こうした弾力的な教育課程の編成は、いま姿をあらわしつつあるユニバーサル高等教育にもひきつがれるが、しかしそこでは教育の構造性は失われ、段階を追って進む学習方式がくずれ、さらにコース聞の境界自体があいまい化していく。

このように高等教育とはなにかについて支配的な概念が姿を消し、教育の形態・構造・基準などの否定が試験や評価の面にまで影響を及ぼすようになり、また学習と生活とをわける壁がうすいものになると、定められたコースの履習を求めるとはむずかしくなる。(…)ユニバーサル段階になれば、大学で学んだからといって特定の職業に必要な資格がえられるわけではないから、成績評価の必要性もますますあいまいになっていく」(「高等教育の構造変動」in『高学歴社会の大学』東京大学出版会、1976年)。トロウは現代の預言者のようにまとめている。

いずれにしても、現在の文科省が言う「単位制の実質化」というのは、自学自修の第2の局面である「予習・復習」の実質化に特に向けられているが、それこそがシラバスのコマシラバス化なしにはできないことだ。「単位制の実質化」は、一言で言えばそのコマ(授業1回分)のシラバスの内容と同じくらいの詳細度で予復習の中身を書き込むことである。予復習の単なる時間を書き込むくらいでは「単位制の実質化」は不可能だ。

カリキュラムの重視ということと単位制の重視ということとをもし矛盾することなく理解するとすれば、各科目の仕上がりを可視化することと単位時間というものを内容の深化の時間性として理解すること、この2つを押さえることである。K.P.リースマンは、「近代化とはすなわち計量化である」と言い、「単位互換制」をマルクスの労働価値説の「復活」になぞらえて「世界史の皮肉」とまで揶揄している(『反教養の理論』法政大学出版局、2017年)。

リースマンも単位制を「学生の成績が1連の授業の成り立ちから切り離されてく傾向が生じる」と指摘しながら、単位制とカリキュラム ― リースマンは私がここで〈カリキュラム〉と呼ぶものを「特有の学問の体系性と方法論」と言っているが ― との齟齬を指摘している。その結果は「教育者と学修者との共同体」の崩壊である。「関心の中心を集めているのはもはや講義のテーマではなく、クレジット・ポイント ― ヨーロッパ単位互換制度(ECTS)に基づくドイツの単位数名称(引用者註) ― や帰属モジュール、単位互換数の算入法であることがわかる(…)そこから感得されるものはほとんどない(…)学生たちが真に熟練の域に達するのはクレジット・ポイントとモジュールの組み合わせを用いた曲芸の手腕においてということになりかねない」とリースマンは単位制に厳しい。リースマン自身は「教育者と学修者との共同体」のイメージをシェリングやフンボルトの大学論に基づいて、いくぶん教授主義(●●●●)的に展開しているが、本稿では、単位制とカリキュラムとの関係をエリオットからもリースマンからも離れて、(あえて言えば)ヘーゲル的な時間性に基づいて「労働価値説」的に理解しておくことにする。


(※19)
小方直幸が、工学系、法学系、経済学系の大学教員を対象に実施した「大学教員の授業観と教育行動」調査による。調査対象は2205名。回収率は31%(「大学の授業の何が課題か」in「高等教育研究 第17集」玉川大学出版部、2014年)。


第三章「教員は授業機械か? ― 教育と研究の接点としてのコマシラバス」

(※20)
たとえば、先の「人間環境学」一五コマ講義の場合、6回目と11回目に〝復習コマ〟として、1回目~5回目、7回目~10回目の進行スピードを調整するコマを置いている。単位制の授業コマで「復習」コマという言葉を本気で使うわけにはいかないが、緩急をつけるという意味でバッファーコマを挿入するということだ。こうすると〝生きもの〟としての授業の〝機械化〟〝形式化〟も避けられる。

(※21)
「行動主義behaviorism」 ― 私なら「外貌主義」と訳すが ― についてのより進んだ言及については拙著『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』ロゼッタストーン社、2013年)を参照のこと。


第四章 期末試験(履修判定試験)とシラバス ― シラバス体系の一部としてのアセスメント・ポリシー

(※22)
ちなみに、私はこの「観点別評価」自体が中等教育、高等教育の教育力を大幅に殺いだものだと思っているが、すでにそれは別稿で詳しく論じているので ― 「大学入試改革の時代錯誤について ― 『人物本位入試』は階層格差を拡大する」(「教育と医学」慶應義塾大学出版会、No.733号) ― 、ここではその問題に触れないことにする。


(※23)
なお、私たちの大学では、この「シラバスアンケート」を含めて2種の〈学生アンケート〉を取っている。期末のアンケートが「シラバスアンケート」、期中のアンケートが「授業アンケート」となっている。「授業アンケート」は「期中」7回目~8回目に取るアンケートで、期末で大量落5者を出すような気配のある授業に対して授業改善を求めるためのものだ。期末アンケートで「まったくわからない授業だった」と学生からの評価の結論を得ても、それは〝後の祭り〟。15回の苦渋の受講を放置するわけにはいかない。そのための「期中」アンケートである。授業の翌日には集計結果がでて全学で共有する体制ができている。


第五章 「コマシラバス」という言葉と一〇年後のシラバス論

(※24)
なぜかと言えば、学校教育では、〈学ぶ主体〉などまだ完成していないのだから。むしろ〈学ぶ主体〉を形成するのが学校教育全体の目的であって ― 教育基本法では「人格の完成」いう言葉があるが、これは第1条「教育の目的」に属している言葉であって、まだ人格として完成していない子どもたちを前提とした言葉である ― 、〈学ぶ主体〉を前提にするのであれば、〈学校教育〉は存在する意味がない。〈学校教育〉に〈学ぶ主体〉が存在するかのように思えるのは、家族や地域の文化環境(〝裕福な〟環境)のせいであって子どもそのものの力によってではない。学校教育は、家族や地域の文化環境をとりあえずは括弧に入れて、クラスに入れば子どもたちを公平平等に扱うところにある。すべてはこれからというところにしか学校教育の存在意味はない。そこで初めて、次世代を担う子どもたちは親の世代や階層(家族や地域の文化環境)を超えてあらたな階層を形成していくのだから。

学歴社会(メリトクラシー)というのはもともとそういう意味だった。一言で言えば、学歴主義とは(家族や地域の文化環境をリセットし続ける成金(●●)主義である― このリセット装置を竹内洋は「敗者復活装置」「過去の達成の御破算主義」と呼んだが(『日本のメリトクラシー』東京大学出版会、1995年)。

「学歴貴族」(竹内洋)、「グロテスクな教養」(高田里惠子)という言葉をかみしめればいい。いい意味でも悪い意味でも。大学教授会ほど「多様な」人々が集まる組織はないが、それは学歴主義の恩恵をもっとも受けた人たちの組織だからだ。テッドネルソンが前提する学びの主体とは、すでに充分に家庭的文化的な恩恵を受けている〝裕福な〟主体に過ぎない。そんな〝裕福な〟主体の教育は東京の名門私立学校に任せておけばいい。

この議論は中曽根臨教審の「学校派と生涯派の論争」(内田健3『臨教審の軌跡』第1法規出版、1987年)から今でも延々と続いていると私は思う。そもそも、1991年の大学「大綱化」は中曽根臨教審の思想(「学校教育は生涯学習の1部」という思想)に基づいて始まったものだ。有田1寿たちの学校派は生涯派(香山健1たち)に敗北する。2013年に、私はこの「学校派と生涯派の論争」について以下のようにまとめている。

「(……)結局、『学校中心主義からの転換』としての生涯学習論は、〈学校教育〉否定論であり、 〈学校教育〉以前に〈学びの主体〉を想定する家族=地域論=社会的ニーズ論(キャリア教育)である。臨教審全体は、内田健3も言うように「学校派と生涯派の論争」 (『臨教審の軌跡』)の場所だったと言える。

高等教育が学生顧客論(学生消費者論)に立つのは、90年代に始まる少子化現象がマーケット主義を増長させるからではない。生涯学習はもともとが顧客=消費者主義。〈学ぶ〉ことは、学ぶ者の〈手段〉にすぎない。通常、生涯学習的な講座の受講者傾向は、学ぶ目的は受講者の側にあり、カリキュラムや科目は手段にすぎないということにある。何のために役立てるかは、受講者の受講目的次第ということになる。生涯学習マーケットの大半を構成する社会人がいまさら何の役に立つかもわからないものを自費で受講したりはしないからだ。したがって生涯学習講座評価の根拠は受講者の側にある。この種の講座評価が受講生アンケートでなされるのはその意味でのことだ。

しかし〈学校教育〉が対象とする児童・生徒・学生は、まだ社会人のようには〈目的〉を自律的に持てない。この「持てない」というのは何らかの限界や無能力を意味しているわけではない。何にでもなれるし、何を目的にすることもできるということが若者(児童・生徒・学生)の、つまり次世代を形成する人材の特質だということだ。〈学校教育〉の対象である若者(児童・生徒・学生)は、〈学校教育〉を通じて目標を見出すのであって、そこに〈学びの主体〉は(まだ)存在しない。 〈学びの主体〉を形成するところが〈学校〉であって、〈学校教育〉は〈学校学習〉ではない」(『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』ロゼッタストーン、2013年)。


(※25)
(※)逆に〝資格の専門学校〟においては、補習や追再試の慢性化が学期末試験の厳粛な判定全体を形骸化することによって、本来のカリキュラムは空洞化し、第3者試験としての官許試験(非文科系の国交省、厚労省、経産省がらみの)に対して正規カリキュラム外の〝集中対策〟講座や〝集中対策〟補講でこなすという本末転倒した事態に陥っている。あまりに主観的な(●●●●)学期末試験とあまりに客観的な(●●●●)外部試験との股裂きにあっているのである。そんな事態に陥るのも学生に対する授業情報が決定的に欠けているからだ。

専門学校がそうなるのは、1994年の「専門士」タイトルが付与されるまでの学校運営の基本が「出席率」を中心に回っていたからである。専門学校は、1994年の「専門士」タイトルが付くまでは時間制(反対語は単位制)の〝学校〟だった。そのときの〈専門士〉の付与条件は3つあり、その2つは従来通り授業時間の規定であるが、3番目に「試験等により成績評価を、その評価に基づいて卒業認定を行っている」が加わったところが新たな規定だった。

質的な評価を新たに加えることを条件に初めて〈学校〉扱いされたのがこの1994年の〈専門士〉付与だったのである。一言で言えば「資格の専門学校」に変わる内実を持ちなさい、という文科省からの励まし(●●●)の設置要件だったが、いまだに学期末試験の厳粛性を構成するシラバスや履修判定指標などに無頓着な学校は多い。


(※26)
※Docendo discimus は、セネカの言葉とされているが真偽のほどは分からない。「教えることによって学ぶ」という意味だが、これは西川純(上越教育大学)たちのくだらない『学び合い』教育とは何の関係もない。いつでもどこでも最高判断、最高認識が露呈する仕方で学ぶ者に接しなさいということだ。

学ぶ者の程度を考えることは教える者自身の堕落に他ならない。「程度を考えて」教える教員は大概がその「程度」の教員に成り下がる。「わかりやすく言うと」と言いつづけて教える教員は、いつの間にか、わかりやすいことしか考えられなくなることも多々ある。それは啓蒙主義の限界でもある。

一方、留保なく教えることができるときにこそ、〈教育〉と〈研究〉は重なることが可能になる。そもそも学ぶ者の程度を選ばないためにこそ専門性探求は存在するのではなかったのか。できない研究者ほど、学ぶ者(の程度)を選びたがる。そんなに偏差値の低い学生が嫌いなら、偏差値の高い大学へ行けばいいじゃないかと言いたくなるくらいに。そもそも〝できない〟子供たちほど本質的な理解を欲している。〝できない〟子供たちに必要なのは(程度の低い教員による)機械的な暗記教育や中学校教育の形式的な反復教育ではなくて、大学教員の専門性からする〈基本〉教育なのだ(このことについては後述する)。

そもそもフンボルト理念の大学における〈研究〉重視の志向も、「『すべての知識を未だ解決していないものとして扱え』という知識観に基づいている」(潮木守1『世界の大学危機』中公新書、2004年)のであって、研究と教育とをご都合主義的に分離するためのものではない。そもそもベルリン大学創設以前までは ― もっともベルリン大学の創設も、(梅根悟によれば)フィフィテの意向に沿ったものであって、フンボルト自体は地方大学(既存のフランクフルト大学、ケーニヒスベルク大学)の改善と拡充を考えていたらしい ― 、「大学教員の職務は学生を教えることであって、研究することは必ずしも教授の職務の中には入っていなかった」(潮木守1・前掲書)のだから。「すべての知識を未だ解決していないものとして扱え」は、まさにその意味でDocendo discimusの精神そのものである。

フンボルトは言う。「学校というものは既存既成の知識を教え学ぶところであるのに反して、高等教育施設は学問をつねにいまだに完全に解決されていない『問題』として、したがってたえず研究されつつあるものとして扱うところにその特色をもつものである。したがってここでは教師と学生との関係はそれ以前の学校におけるそれとはまったくおもむきを異にする。すなわちここでは教師は学生にためにそこに居るのではなくて、教師も学生も学問のためにそこにいるのである。教師の職分は学生がそこに居ることにかかっている。学生が居ないことにはどうしようもない。そこでもし学生たちが自発的に自分の回りに集まってこないなら、彼は自分の熟達した、しかしそのゆえに偏ったものになりがちの、そしてすでにいききした力が弱くなっている力と、まだ弱いが、なお偏ることなくあらゆる方向に向かって進んでゆこうとしている力とを結びつけることによって、少しでも自分の目的に近づこうとして学生さがしに出かけるであろう」(「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」in『大学の理念と構想』明治図書、1970年)。

したがって、シラバスを〈教育〉(あるいは教育サービス)と割り切って、毎年授業内容や授業方法を更新もしないこと自体がフンボルト的な〈知識〉に基づいた研究者ではないのだ。フンボルトは〈研究〉を重視したのではなく、教育こそが研究でなければならないと考えたのである。ハイデガーにも大きな影響を与えたフンボルトの『言語と精神』(法政大学出版局、1984年)などを読んでいると、言語を、生命や精神、そしてアリストテレス的なエネルゲイアとして捉える彼にとっては、〈知識〉さえも1つの息吹(ヘーゲル的な精神(ガイスト)=Geist)だったというのがよくわかる。

もっとも「フンボルト理念」という言葉自体は、1810年のベルリン大学創設時の「理念」ではなくて「フンボルトという存在は1903年までは世間では知られていなかった。彼が書いた大学についての構想は100年ほど倉庫の中で眠っていた」というパレチェクの研究を潮木はこっそり紹介している(アルカディア学報「フンボルト理念」とは神話だったのか?-自己理解の“進歩”と“後退”」2235号、2006年)。そして、「1910年、ベルリン大学創設100周年記念の席上、当時のドイツ皇帝は『フンボルト理念』とはまったく逆の『研究と教育の分離』を主張した。

本来ならば『フンボルト理念』の栄光をたたえるべきその瞬間に、すでに『フンボルト理念』は死亡宣告を受けていた。これほど、われわれの歴史はパラドックスに満ちている。われわれの自己理解は進んでいるのか、それとも後退しているのであろうか」(同前)と潮木は自分自身のフンボルト論に疑惑を投げかけるように自問している ― このパレチェクによるフンボルトショックから2年後潮木は『フンボルト理念の終焉? ― 現代大学の新次元』東信堂、2008年)を上梓することになる。

たしかにフンボルトの構想した大学は「教育の機関ではなく陶冶の機関」だった。「学問の探究それ自体は諸個人の自己陶冶以上に優先されるものではなかった」と伊藤敦広は指摘している(「個別的理想と大学の理念」in「シェリング年報」2018年26号)。「大学で」自己陶冶に励むのは、そもそも学問の世界に憧れを抱くごく少数の自立的人間だけである…そこに見られるのは教養人同士で自由な社交の行われるサロンのような風景である」(同前)。その意味では「フンボルト理念」は元から大学組織論の理念ではなかったとも言える。

ゲーテ(1749年生まれ)、シラー(1759年生まれ)、フンボルト(1769年生まれ)、ヘーゲル(1770年生まれ)、シェリング(1775年生まれ)などの〈陶冶〉=〈教養〉主義の大きな思潮 ― 「疾風怒濤のドイツ啓蒙主義者達」と吉見俊哉(前掲書)は言っている ― の中での出来事だった。これらの文化主義に見られる天才5人の共通の要素は、自然としての人間が「生まれ変わる」こと、精神の自然=〈教養〉を得ることだったのである。これについては別稿を用意してまた詳論したい。


(※27)
※授業アンケート情報を(教授会においてさえ)公開するのは、「人権侵害だ」と訴える教員をかかえる大学もあると聞くが ― 未だに学生アンケート情報をFD委員会などで管理している大学も多いが、本来は教学委員会マターだと私は思う ― 、授業は教員個人のものではないし、教員のものであるにしても、学生のものでもある。教員の〝人権〟もあるが、学生の〝人権〟もある。

また大学としては、組織として授業を提供している立場から、双方の評価(教員による学生評価、学生による教員評価)を組織として評価できる体制を築く必要がある。そうでないと科目の配置と教員の配置ができない。学内の組織的なアンケート評価はもとより、その学内外の公開と公開の一環としてのアンケート情報の評価検討における第3者の3加(「各学部等の授業評価結果の分析・検討内容を受けて、授業改善に向けて、学生の代表者や企業等学外者から意見を聴取する活動等」)を文科省は推奨している(「平成30年度私立大学等改革総合支援事業」における文科省の第26コメントより)。

ただし、このコメントの前後でも文科省は学生アンケートをFDがらみの「授業改善」どまりの課題としてしか考えていない。学生アンケートは、現在の大学で授業評価を(学生の力を借りずに)自己管理できる大学など存在していないのだから、カリキュラムマターでもある。その意味で、授業改善課題は教学委員会マター(あるいは学部長・学科長マター、延いては全学教学マネジメント委員会マター)だ。


(※28)
※2008年12月24日の中央教育審議会答申「学士課程教育の構築に向けて」(※※) ― この答申は2000年以降の文科省の答申において最も印象に残る答申である。特に2000年をまたいで長く続いてきた大学「特色」「多様」化施策を自己反省して「多様性と標準性(●●●)との調和」(傍点は引用者)ということを言い出し始めた答申だった(この答申については最終章でも触れる)。Inter-disciplineな(=学際的な)取組にもdisciplineがなければならないというように、遠山文科大臣以降の「特色GP」取り組み ― 私もこの「特色GP」の審査員を長い間やらせていただいたが ― に見られたハイパー・メリトクラシー傾向(語句の最後に、「コミュニケーション力」育成などの〝~力(りょく)〟が付く能力育成)の強い学際的な取り組みをdiscipline 無き取り組みと喝破したのがこの答申だった ― において、この種の「即戦力」論は次のように言及されている。

「近年、『企業は即戦力を望んでいる』という言説が広がり、学生の資格取得などの就職対策に精力を傾ける大学が目立っている。しかしながら、実際に企業の多くが望んでいることは、むしろ汎用性のある基礎的な能力であり、就職後直ちに業務の役に立つような即戦力は、主として中途採用者に対する需要であると言われる」。

また2008年に専門学校の卒業生調査を行った小方直幸(当時は広島大学)は ― この調査には私も関わったが ― 次のように言っている。「職業教育でよく『即戦力』という言葉が使われますが、『即戦力』というのは基本的に『ウソ』ではないかと思います。20歳~22歳あたりで即戦力だなんて、あり得ないだろうと感じています。悪く言えば、すぐ使えるけれども、それは業務が高度化していないのでその程度の力でも対応できてしまうといった意味で『即戦力』という言葉が使われている場合も多いのではないでしょうか?」(『キャリアエデュ』No.26 、「『専門学校教育と卒業生のキャリアに関する調査』から見えてきた課題」、2009年)


(※29)
※大阪高裁の平成28年の判決(確定された判決)でも、教員の単位認定権(「成績評価を行う権利」と、この判決文では言われているが)は「専門の研究結果を教授することの不可欠な要素を構成するものとまではいえず、教授に伴って付随的に生ずるものというべきである」(「判例時報」判例時報社、No.2335)とされている。


(※30)
※「標準性」の問題は、中曽根臨教審以降の「個性重視(多様性)の教育」への反省から来ている、と思っていい。市川昭午は、「個性重視(多様性)の教育」について、それが「受容される理由」を4つ(思い付きのような書き方で)あげている。

一つは「子供たちが楽になる。…内容が難しい科目は履修しなくてもよくなる…無理に学校に行かなくてもよくなる…嫌なことを強いられることはなくなる」。二つ目には「学校やコースを選択する自由が拡大する…好きな教育をする自由、受ける自由が期待できる」、三つ目には「評価基準がなくなれば偏差値も使えなくなる…到達目標がなくなるわけだから、教育水準の維持や教育目標の達成ができないからといって責任も追及されることもなくなる…教職員は生徒に学業を達成させる責任を解除されるし、生徒も目標達成のための努力を要求されなくなる」。四つ目に「個性主義ということになれば、学校への入学資格や資格卒業というのは事実上存在しなくなる。従来の基準であれば到底入学を認めることができないような資質・能力の者でも入学させることができるようになる。これは、青少年人口の減少に伴って入学者の確保に苦しむ学校関係者にとっては救いである」(『未来形の教育』教育開発研究所、2000年)。そして、「学校教育の形骸化・空洞化がいっそう進展する」。

その結果、「社会に出てから、最低限の学力さえ身につけることなしに学校から放り出されたことに気づくことになる…個性では飯が食えないことがわかってくる…個性主義というと大変聞こえはいいが、しばしば学校が一定水準確保の責任を放棄した無責任体制である場合も少なくない…学校教育と個性主義は本来あい容れぬところがある」(同前)。

市川は、この「一定水準」のことを「ディシプリン(学問と規律)」とも言っているが、これが「学士課程教育の構築に向けて」答申で言う「標準性」のことである。この担保なしには学校教育は「崩壊」するしかない。シラバス反対派が好きな「観点別評価」「演習」「アクティブ・ラーニング」などの原則は個性重視、多様性重視であり(だからといって何かその趣旨にそった工夫がなされているわけでもないのだが、私にとってはそれらは「手抜き」授業にしか見えない)、「シラバスには書けない」授業になっている分、「ディシプリン(学問と規律)」と「標準性」が雲散霧消している。必修集中とシラバス集中は、「ディシプリン(学問と規律)」と「標準性」との担保なのである。


(※31)
※何度も言及している先の中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」では、「各科目の授業時間内及び事前・事後の学習の充実の観点から、各セメスターで履修する科目の数・種類が過多とならないようにする」として、「例えば、細分化された2単位科目(週1回開講)を多数履修する在り方を見直し、3単位又は4単位科目(間に休憩を入れた2コマ続きの授業又は週複数回開講する授業)を標準形態とする。科目登録等に際し、各学生の実情に応じて登録の適否等に関する履修指導を積極的に行う」という提案がなされている。まともな提案だと思う。

こういう議論をすると大学内では、「熱心な教員の2コマ連続授業、3コマ連続授業ならいいが、不熱心な教員の連続授業は学生に負担がかかりすぎる」という意見が必ず出てくるが、そういうことがわかるだけでも一歩前進だと私は思う。3コマ目には誰もいなくなれば3コマ連続授業の出席率推移をみているだけでもFDになるのだから。

またもう一つの意見は、3コマ連続授業だと1回(1日)休むと3コマ分欠席となり、その内容を埋めるのが難しくなるというもの。しかし一コマ授業で話しっぱなしの一方通行授業をやり続けて欠席(計画的な欠席)を誘発する授業を放置するよりは、科目への集中度を増し「多様な」授業方法を組み込むことの方が欠席率対策には効果的ではないのか。それにたとえ欠席があったとしても、科目数全体が減っているのだから3コマを埋める補習もやりやすくなるに違いない。

学生の期毎の集中度を増し、出席率を上げること、さらには、教員の授業準備への集中度を上げることが科目数削減の目的なのだから、一コマの持つ意味も変わってくる。従来の一コマを単純に2連続させたり3連続させたりするわけでもないのだから ― そもそもそうあってはいけない ― 、欠席が3倍になるという憂慮は本末転倒の憂慮でしかない。ついでに言えば、「授業の進行が早すぎて大変だ」というのも、内容を厳選せず、1+1=2みたいな2コマ授業をやっているだけのこと。年間で4単位だった授業(前期週一コマ×15回=2単位の授業と後期週一コマ×15回の授業=2単位の授業)を前期(あるいは後期)に集中して2コマ連続授業にするような外面的な処理をやると集中講義の亜種に過ぎないため、「授業の進行が早すぎて大変だ」といったわけの分からない苦情が出てくる。2コマ連続でやると一コマでしかできない授業の場合と違って何ができるのかの検討なしに2コマ連続授業を増やしても意味はない。しかしこのようなくだらない苦情であってさえ、一コマ科目授業がたくさんあるよりははるかにましだ。

(※32)
※ついでに言って置くが〈暗記〉なんてコンピュータの方が得意だから、これからの時代には〈暗記〉や〈知識(の詰め込み)〉など重要ではなく、「主体性」「創造性」「人間的な感性」などを磨くことだと言ってセンター入試を廃止し、人物評価入試を用意した文科大臣がいたが、それを言うのなら、泥棒も主体的、創造的に感性を磨きながら泥棒をしているのであって、これらのハイパー・メリトクラシー能力は、それ自体では学校教育の目標になどできない。そもそも〈暗記〉はコンピュータの方が得意だからやらせても意味がないと言うのなら、100メートル走るのも車の方がはるかに速い。にもかかわらず、100メートルを10秒切ることに世界中のひとたちがみんな関心を持っている。それはその〝性能〟自体に関心があるのではなくて、その性能自体を出すことに至る「主体性」「創造性」「人間的な感性」に関心を持っているからだ。

〈人間〉は自ら機械を真似たり植物や動物を真似たり円周率を何千桁も覚えたりもする。それらはすべて〝性能〟の問題ではない。〈暗記〉も ― 暗記さえも ― 暗記の仕方や何を暗記するのかという選択性の中に、「主体性」、「創造性」、「人間的な感性」がたえず機能している。「暗記」の外に「主体性」、「創造性」、「人間的な感性」があるわけではない。たぶん、この文科大臣は、暗記と「主体性」「創造性」「人間的な感性」を対立させることによって、逆に〈人間〉を〝性能〟主義的に、つまり機械的に(●●●●)理解しているわけだ。

さらに〈知識〉データベース論について言えば、たとえば必要に応じてその知識を〈検索〉利用する知識利用と、それなしにその知識を身につけている人との違いを考える必要がある。1人の人間が知識を「たくさん」有しているということとデータベースにはさらに「たくさん」の知識が存在しているということとは別のことである。データベースには知識に伴う〈人格〉(あるいは歴代の文科大臣が好きな〈個性〉)がない。

もちろん特定の個性を予想した知識の在り方をその都度データベースは構成することができるだろうが ― その意味ではAIデータベースは万人をシミュレートできるだろうし、そしてそのシミュレートは、チューリング・テストやジョン・サールの「中国語の部屋」的には実際の人間と区別できないかもしれないが ― 、人が検索なしに知識のある人(●●●●)を〈尊敬〉するのは、それだけの知識を1人の(●●●)人間が得ることに至る〈コンピテンシー〉や〈ハビトゥス〉 ― 「ハビトゥス」という言葉自体はアリストテレスの、「態度」や「姿勢」を意味する「ヘクシス(hexis)」がスコラ哲学でラテン語に翻案された言葉だが、ここでは後述するブルデューの概念として使っている ― を背後に感じるからである。。その意味で人は、AIデータベースに〈感謝〉する ― 「便利だ」と言って感謝する(●●●●) ―ことはあっても〈尊敬〉することはない。AIデータベースにその種の背後はないからだ。あったとしてもそれらを作ったアーキテクトの背後性にすぎない。

だとすると、AIデータベースもいくら万人をシミュレーションすることができるにしてもそういう1人の人間に過ぎないということでしかない。人間の、AIに対する尊厳の本質は、欠如(●●) ― ハイデガーなら〈有限性(Endlichkeit)〉とでも言うのだろうが ― から生じるのであって、万能性とは何の関係もない。教育における教員と学生との関係を形成する〈尊敬〉 ― 学生の教員への〈尊敬〉 ― は、教員の知識量(●)それ自体が形成しているものではなくて、知識の背後(●●)(メタ機能)に関わっている。個体に結びつかない知識は意味がないのだ。特に〈教育〉においては。学校とは〈知識〉に出会う場処ではなくて、尊敬できる〈教師〉に出会う場処であったのだから。学校教育以後に出会う先輩諸氏は、すべて学校における恩師の影みたいなものだ。

たとえば私事に渡って恐縮だが、私の場合、高校時代の松本純先生、塩見甚吾先生、大学・大学院時代の永坂田津子先生、岩波哲男先生、高橋允昭先生、伴博先生、川原栄峰先生と言った人たちが恩師に当たる人だが ― 先生たち、勝手に名指してスミマセン ― 、これらの方々と、私が知識としてもつ「吉本隆明」「ベケット」「ヘーゲル」「カント」「ハイデガー」「デリダ」たちとの関係は不即不離の関係をなしている。どちらが原因と結果というわけではないように、これらは「構造化する構造(structures structurantes)」(ブルデュー)として、あるいは知識の「ハビトゥス」として存在している。つまりブルデューの「構造」や「ハビトゥス」はそれ自体「有限性」に刻印されている(この点でブルデューのハイデガー論『ハイデガーの政治的存在論』は全く見当違いなものになっている)。AIデータベースにはこの「有限性(Endlichkeit)」や「非性(Nichtigkeit)」 ― いずれにしてもハイデガー『存在と時間』のキーワードより ― が決定的に欠けているのである。

一方ブルデューは、「社会的出自を否定する論理に基づいて機能しながら、社会的分類選別を実現してしまう」支配者のふるまいを指摘する(『国家貴族(Ⅰ)』藤原書店、2012年)。「学校評価を表現し実践の中でそれを構造化している評価用語は、支配者の評価用語を無色化し見分けがつかなくなるような形式、すなわち表現が婉曲になった形式をとる」(同前)。彼らは「被支配者」(「大衆」)には「自主性の欠如」などといった「婉曲」表現を使う、とブルデューは言う。たしかに「主体性」「創造性」「人間的な感性」などは「無色化」された「評価用語」でありその意味で誰も反対しない評価用語だが、それは下位階層を「構造化」する言葉なのである。


(※33)
※垂見裕子は、PISAで調査されている学習方略が3つある(〈記憶方略〉 ― たとえば教科書に書かれてあることをすべて記憶するというような方略 ― 、〈精緻化方略〉 ― 新しい情報を既知の知識や経験と結びつけて考える方略、〈制御方略〉 ― 自分の学習方法を達成するために学んだことを整理し、自分が何を学ばなければならないかを明確にする方略)として、以下のようにまとめている。「記憶方略はわずかな効果しか見られないのに対し、制御方略は大きな学習効果があることがわかりました。また、学習方略の使用に家庭的背景の影響があるか分析したところ、記憶方略においては上位層と下位層の子どもの使用はわずかな差ですが、制御方略においては上位層と下位層の子どもの使用に大きな差があるということがわかりました(垂見は調査結果の数値データを図示して「わかりました」と言っているがここでは省略しておく。ネットで検索しても出てくるようなので関心のある方はそちらを見られたい― 引用者註)。(…)これらデータをより詳細に分析すると、家庭的背景が学力に及ぼす影響のうち、30%が学習方略の使用によることがわかりました。

つまり階層によって学力差が生じるのは、上位層では制御方略の使用が高く、下位層では制御方略の使用が低いことによって一部説明されるということです。

さらに上位層と下位層では学習方略の効果が異なるという結果が出ました。

実際に制御方略をあまり使わない上位層と下位層の学力テストの差は60点にも及ぶのに対し、制御方略を多く使っている上位層と下位層の差は30点以下になります。これは、家庭的背景の恵まれた層では、制御方略をあまり使用しなくても学力が保証されている一方、家庭的背景の恵まれない層では、学習方略の有無により学力が形成されるということです。言葉を変えれば、制御方略の獲得により学力格差が小さくなることを示唆しています」(「PISAから日本の学力格差をみる―家庭的背景・学習方略を中心に― 」早稲田大学高等研究所、2012年)。

「家庭的背景の恵まれない」「下位層」は「記憶方略」によってますます学力向上の芽を摘み取られているのである。「学習方略」の何を選ぶかは「下位層」にこそ有意味だということだ。

※※冠詞や不定詞や代名詞を単独で掘り下げても、「それだけでは英語がわかったことにはならない」という人もいるだろうが、これらのどれか一つだけでも掘り下げれば、ジグソーパズルの埋まった数は少ないかもしれないがそれが何の絵であるかくらいはわかるようになる。私は「コンピテンシー」論には何の期待もしていないが、英語コンピテンシーというものがもしあるとすれば、冠詞や代名詞を深く掘り下げて頁の英語文の〈絵〉が見えてくる瞬間が〈知識〉と〈コンピテンシー〉が一致する瞬間だと思う。

下手な中学英語を最初の頁から始めて行くより、「冠詞とは何か」を2単位授業(90分×15回)でやる方がはるかに効果的だ。もともとは1970年代のアメリカで政府機関の人材登用に用いられたのが「コンピテンシー」評価らしいが、小方直幸によれば、「知識・技能」の「運用」される文脈に依存する能力だという(「コンピテンシーは大学教育を変えるか」in『高等教育研究』第4集、2001年)。しかし深い知識 ― 一つ一つの単語、そして一行、一行の意味を長い時間をかけて究明していくという知識の在り方に関わる深い(●●)知識 ― は、それ自体において「運用」そのものを含んでいる。大学の〈知識〉とはそういうものだ。


(※34)
※※冠詞や不定詞や代名詞を単独で掘り下げても、「それだけでは英語がわかったことにはならない」という人もいるだろうが、これらのどれか一つだけでも掘り下げれば、ジグソーパズルの埋まった数は少ないかもしれないがそれが何の絵であるかくらいはわかるようになる。私は「コンピテンシー」論には何の期待もしていないが、英語コンピテンシーというものがもしあるとすれば、冠詞や代名詞を深く掘り下げて頁の英語文の〈絵〉が見えてくる瞬間が〈知識〉と〈コンピテンシー〉が一致する瞬間だと思う。

下手な中学英語を最初の頁から始めて行くより、「冠詞とは何か」を2単位授業(90分×15回)でやる方がはるかに効果的だ。もともとは1970年代のアメリカで政府機関の人材登用に用いられたのが「コンピテンシー」評価らしいが、小方直幸によれば、「知識・技能」の「運用」される文脈に依存する能力だという(「コンピテンシーは大学教育を変えるか」in『高等教育研究』第4集、2001年)。しかし深い知識 ― 一つ一つの単語、そして一行、一行の意味を長い時間をかけて究明していくという知識の在り方に関わる深い(●●)知識 ― は、それ自体において「運用」そのものを含んでいる。大学の〈知識〉とはそういうものだ。


(※35)
※デリダは、「教授であるêtre professeur」ことのプロフェスすることの意味を「無条件の自由」に基づくものとしているが、それは「作品を生み出すことではない」「教員自身が作品に署名することでもない」(『条件なき大学』月曜社、2008年)。こういったメタ化の「脱・構築déconstruction」こそがプロフェスすることの意味である。カントが「哲学とは可能な学の単なる理念にすぎない…人が学びうるのは哲学ではなくて、哲学することのみである…理性の才能を、その普遍的原理を遵守しながら、目の前にある或る種の試行に即して訓練することのみ学ぶことができる」(『純粋理性批判』第3章「純粋理性の建築術」作品社、2012年)というのもこのメタ化の運動の中に学ぶことの意味を見出している。この前文でカントは模造(Nachbild)を原像(Urbild)に倣う試みとしての哲学(哲学すること)に触れており、ロマン派の教育=陶冶(Bildung)の概念もそこにまた予告されている。

ドイツ語のBildには元々神の「似姿」という意味も響いているが。その意味ではカント哲学のキーワードである〈構想力(アインビルドゥングスクラフト)(Einbildungskraft)〉にもBildが潜んでいる。そしてまた「建築術(Architektonik)」という言葉の中にもプラトンやアリストテレスが従来から「哲学者」を「建築家」に喩えてきた歴史も透けて見える。しかしハイデガーが言うように、このテクネーは工学的に技術的な技術ではなくて、ポイエーシス(ποίησις)としての技術である。「技術の本質は芸術である」(『技術への問い』平凡社ライブラリー、2013年)という点でシェリングの「哲学の学部は決してあり得ず、ただ芸術の学部があるのみだ」(シェリング『学問論』岩波文庫、1957年)と呼応しているかに見えるが、ロマン派の陶冶(Bildung)=建てること(Bildung)とハイデガーのポイエーシスとの違いは別稿に譲りたい。


(※36)
※※テレビ番組で面白い実験をしていた。京大出身のタレント(以後「Aさん」と略す)と大学も出ていないタレント(以後「Bさん」と略す)が歴史講義を1時間ほど受講して直後に試験で何点取れるかという実験だったが、そこでは教員の板書と授業トークについてノートを取る取り方がずーっとカメラに映し出され着目されていた。Bさんは教員の板書をひたすら写し取る、しかも耳で写し取るのではなくて顔を上げたり下げたり目で写し取るのが特徴。しかも文字に色を付けてマーキングしながらカラフルなものになっている。Aさんはあまり顔を上げない耳で聞き取るノートの取り方。色など付けるとペンを取り替える時間が無駄という感じのノートの取り方だった。

この限りでは、Bさんは板書通りにノートを取り、写し取るノートとしてはAさんよりも完璧だった。まずは目重点で板書をノート化するか ― これを私は「鶏水飲み型」ノートと呼んでいるが ― 、耳重点でノート化するかの違いが大きかったが(そもそも〈視覚〉は〈聴覚〉よりも知的に劣る器官であることをヘーゲルは論じていたが)、それより私が関心を持ったのが、Aさんのノートに少なからず登場する斜め書きの記載だった。後でその斜め書きの意味を誰かが聞いたら、それは「先生が板書に書かずに、でも重要なことを話していると思ったことを斜め書きで書いています」とAさんは答えていた。

斜め書きする理由は2つあって、一つは視覚的にすぐポイントがわかるということ、2つ目にはペンを持ち替えずに素早く書き取れるというものだった。受講直後のテスト結果は、きれいなノートのBさんは50点にはるかに届かず、Aさんは99点。なぜ一点足りなかったのかと言えば、用語の書き取り(表記)の間違いがあって、耳で聞いていた音が聴覚的に外れただけのことだった。ポイントは、板書の意味(●●)を活性化する斜め書き、つまり教員のメタトークを聴き取る力なのだ。メタトークはしかし典拠する可視化するテキスト ― そのプラットフォームが「コマシラバス」であることは言うまでもない ― なしには見えてこない。場合によっては教員にさえ見えてこない。コマシラバスと教材を書いて書いて書きまくって始めて浮かんでくるようなトークの質がメタトークを生みだしているのである。それがはじめてAさんの「斜め書き」に結実する。こういうコミュニケーションが生じる場処(●●)を教場というのである。


第6章 終わりに代えて ― 新しい人材像とシラバスとカリキュラムと

(※37)
※「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」、あるいは「問題発見・解決能力」「コミュニケーション力」「人間力」などの能力がなぜ「ハイパー(ハイパー・メリトクラシー)」と呼ばれるかと言うと、それらは、成人の大人であっても身につけられているかどうか怪しい汎通的な(生涯を通しての)課題だからだ。それを「教える」教員自体にこの種の能力が欠けている場合が多いのもこのハイパープログラム固有の傾向である。もちろん心理学者ならこれらの〝概念〟を「構成概念」と見なしてあれこれ議論したがるだろうが、それは単に彼らの飯の種だからに過ぎない。どうでもいいことだ。

社会学者の佐藤俊樹は「コミュニケーション能力」について、それは「幽霊や亡霊みたいなもの」と言っている。「コミュニケーションは本来、特定の誰かに個体化できないからこそコミュニケーションなのですが、それをあたかも個体の性能として特定できるかのように語る。…その言葉に乗って、あたかもそういう能力が実在し、それで人が選別できるかのような話しまで出てきた。実在しない点では幽霊や亡霊みたいなものですが、実在しないからこそ、いったん『ある』ことになれば、みんながその影におびえたり、身につける努力をしなければならなくなる。そういう意味で、『コミュニケーション能力』や『ハイパー・メリトクラシー(超業績主義)』の議論は、根本的に誤っていたと今は思っています」。

教育学者の広田照幸はこの佐藤の議論に応えて「ハイパー・メリトクラシー論で言われるような、個人の意欲や創造性、コミュニケーション能力といったものは測定できない。心理学者がある尺度として作ることはできるのでしょうが、現実の選択の場で作動しているのはまったくちがうものです」(『自由への問い(6) ― 労働』岩波書店、2010年)と言っている。佐藤は「社会学もコミュニケーション能力をめぐる変な幻想を作った共犯ではある」と今頃反省している。


(※38)
※文科省の悪名高き『我が国の高等教育の将来像』答申(2005年)は、大学の「機能的分化」という言葉を使って、大学を以下の7つに分けていた。「1.世界的研究・教育拠点、2.高度専門職業人養成、3.幅広い職業人養成、4.総合的教養教育、5.特定の専門的分野(芸術、体育等)の教育・研究、6.地域の生涯学習機会の拠点、7.社会貢献機能(地域貢献、産学官連携、国際交流等)」。これが悪名高い分化論であるゆえんは、よくみるとほとんど既存の大学の偏差値格差、都市大学と地方大学格差を「機能的分化」という言葉でまぶしたような分化論にみえるからだ。20年前の中曽根臨教審のなれのはてがこの『将来像』答申だと言ってもよい。なぜかと言えば、その20年間であれだけ手垢の付いた「個性」「特色」という言葉をこの「機能分化」にことよせて、「個々の学校が個性・特色を一層明確にしていかなければならない」と言うのだから。2008年の「学士課程教育の構築に向けて」答申はそういった悪評判を踏まえて出直したような印象がある。そして2018年の「将来構想部会」(文科省)では、この「機能別分化」が3つになり、「①世界的研究・教育拠点」「②高度な教養と専門性を備えた人材の育成」「③職業実践能力の養成」と変化する。ほとんどの大学は②(ときどき③)を自認するだろうから、『将来像』答申のような反撥は起こらないだろうが、これでは大まかすぎて意味がない。要するに「機能」という言葉を濫用しているだけのことだ。

専門職大学の設置の時も「これまでの大学とどこが違うのか」という関係者の問いかけに、「何も違わない、機能が違うだけ」と言いつづけたのが文科省だった。学校教育法の第83条の「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」の「応用的」あたりの中身をまさに「機能」的に読み替えたのかもしれない。

同じようなことは、この専門職大学の設置の前段のところで専門学校の「一条校化」という議論があったとき起こっている。「一条校化」を断念した結果、「職業実践専門課程」という〝新しい〟課程ができた。これは従来の専修学校にあった「一般課程」「高等課程」「専門課程(=専門学校)」の3つに新たに付け加わる4番目の「新しい」課程のように思われたが、タイトル名称は「専門課程(専門学校)」卒の〈専門士〉、〈高度専門士〉と変わらないということになった。これも「機能」が違うだけと言いたげな変更だった。「一条校化」を断念したおみやげのような職業専門課程にとどまったのだ。

〈機能(function)〉の反対語は〈実体(substance)〉である。〈実体〉を変えるには法律の変更も含めて作業が膨大になる。だから面倒くさいということなのだろうか。法律を変えてまで新しいものを作るときには財務省の締め付けもある。しかし文科省はいつまでこの「機能別分化」という曖昧な大学施策を続けるのだろうか。たとえば、この問題は、「機能別分化」論の悪評を受けて提出された「学士課程教育の構築に向けて」答申では、以下のように総括されていた。「これまで大学設置の規制を緩和したり、機能別の分化を促進したりすることで、個々の大学の個性化・特色化を積極的に進めてきた結果、大学全体の多様化は大いに進んだ。しかしながら学士課程あるいは各分野の教育における最低限の共通性があるべきではないかという課題は必ずしも重視されなかった。

例えば、学位に付記する専攻分野の名称は年々多様化し、その種類は平成17年度時点で約580に達する。また、その名称の約6割は、専ら当該大学のみで用いられている。このように過度に細分化された状態が真に学問の進展に即したものなのか、学生の学習成果を表現するものとして適切なのか、能力の証明としての学位の国際的通用性を阻害するおそれはないのか、懸念を持たざるを得ない状況である。こうした状態は今後進めていこうとする留学生交流についても、隘路となってしまうおそれがある」。「多様性と標準性の調和」という画期的なテーゼを打ち出した「学士課程教育の構築に向けて」答申ならではの「懸念」が表明されている。ここでいう「標準性」 ― 「最低限の共通性」 ― というのは、「機能別分化」(個性・多様性)の反対語なのである。「機能別分化」は大学施策の「隘路」でしかない。

もっとも「機能的分化」の反対語は「種別化」だというのが天野郁夫の解説である。たぶん『将来像答申』は大学の種別化のように見えたのかもしれない。しかし制度上の種別化はすべて終わっていると言ってよい、と天野は言う。「『大学』、『大学院』、『専門職大学院』、『短期大学』、『高等専門学校』、『専門学校』という制度の枠組みがそれ」だと。「問題になっているのは、そうした制度的に種別化された学校間の境界の再確認だと言える」(天野郁夫『大学改革を問い直す』慶應義塾出版会、2013年)。

天野によれば、「機能別分化」は「種別化」の後の事態であって、その逆ではないということである。アメリカのような「多様な」大学の伝統、ヨーロッパの「アカデミー」における職業教育の伝統を持たない日本の大学において、「機能的分化」も「種別化」も、ましてそれらの内外の「境界の再確認」も容易でないことは、「専門職大学」設置におけるドタバタの経緯をみているとよくわかる。余談だが、シラバスもろくに書けない「教員」ばかりが集まりつつある専門職大学で、どこに「高度」な職業教育が展開される可能性があるというのだろう。


(※39)
※※寺脇研は中曽根臨教審以降20年近く経った2004年においても次のように言っていた。「『ゆとり教育』へと進む方向は、明らかに時代の要請であり流れです。そもそも、こうした流れは、1984年に中曽根首相の主導のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)で確立されました。いまの『錦の御旗』は臨教審なのです。そこで『生涯学習』という理念が決まりました。学校中心主義からの転換、教師による『教育』から生徒中心の『学習』への転換です。この理念の延長にいまの教育改革がある。ですから『ゆとり教育』の枝葉については否定できても、その根本理念を否定できる人はいないはずです」(「『ゆとり教育』は時代の要請である」in「中央公論」2004年2月号)。

『ゆとり教育』の問題やその後のPISAショックの問題などについてここでは直接触れることはできないが、学校教育=生涯学習という思想は、いまだに「錦の御旗」であることに変わりはない。ハイパー能力論はそもそもが生涯学習論だからだ。


(※40)
※ヨーロッパの大学論における印刷術の発見の意義はよく言及されるが、中国には『清朝古今図書集成』という705万頁以上にもなる世界最長の印刷本がある。そもそも中国において紙が普及し始めたのは、魏晋南北朝時代(184年-589年)にまで遡れるらしい。中国には早くも3世紀初頭には傭書(ようしょ) ― 「人に雇われて鈔書(しょうしょ)すること」 ― の需要があった、と井上進は言う(『中国出版文化史』名古屋大学出版会、2002年)。

これは「晋代以来、貴族の個人蔵書」の「著しい発達」とともに生じたらしい。そして中国において「図書集成」的な百科事典が必要とされたのは大学論に関わるものというよりは、唐朝における「官僚組織での官職を得るための試験を受ける受験者の必要に応えるためだった」(ピーター・バーグ『知識の社会史』新曜社、2004年)。そもそも科挙試験による貴族の世襲制を解体できたのも宋朝の出版先進国中国 ― 大量の試験用紙印刷だけではなく、それに備えるための大量の教科書・3考書の印刷技術を前提した先進性 ― だからこそできたことだった。日本でも律令制の再編は進みつつあったが、〈紙〉が貴重品にとどまり印刷技術もない当時の日本では、「藤原氏を頂点とする大貴族による官位の家職化、家産化」を食い止めることはできなかった(与那覇潤『中国化する日本』文藝春秋、2011年)。「暗記」試験や4択試験は意味がないと言いながら紙(ペーパー)試験の意義を理解できない文科大臣が数年前にいたが、マルチ(●●●)メディアに依存すれば依存するほど〝人物主義〟になり「家職化、家産化」が進むのは目に見えている ― これについては拙論「大学入試改革の時代錯誤について ― 『人物本位入試』は階層格差を拡大する」(「教育と医学」慶應義塾大学出版会、No.733号)を参照のこと。


(※41)
※特に中曽根第2次答申(1986年)の第2章には「家庭の教育力の回復」と独立して章があてられ、「…教育を学校のみの問題としてとらえがちであったことについて、家庭が反省し自らの役割や責任を自覚することがなによりも何よりも重要である」とある。自民党保守派の家族主義が独立した章にあてがわれるほどに臨教審のイデオロギー色は強い。私はこれを臨教審の曽根綾子主義と呼んだことがある。

教育現場では〝できない〟学生が発生し欠席が連続し退学予備軍が生まれると、保護者と連係を取ろうという動きが生まれるが、〝できない〟学生の保護者は保護者自体が困難な事情にある場合も多く、「家庭が反省し、自らの役割や責任を自覚すること」余裕などほとんどない現状である。答申から30年以上経って、その現状は日増しに高まっている。「教育現場(学校)が教育だけではどうしようもない」と根を上げたときに、子どもたちが戻れる家庭などもはや存在しないのだ。


(※42)
※※本田由紀は、この個人の「むき出し」状況を次のように表現していた。「ハイパー・メリトクラシー下では、個々人の何もかもをむき出しにしようとする視線が社会に充満することになる。常に気を許すことはできない。個々人の一挙手一頭足、微細な表情や気持ちの揺らぎまでが、不断に注目の対象となる。ちょっとした気遣いや、当意即妙のアドリブ的な言動が、個々人の『ポスト近代型能力』の指標とされる。その中で生き続けるためにはきわめて大きな精神的エネルギーを必要とする。

ハイパー・メリトクラシーのもとでは、個々人の全存在が洗いざらい評価の対象とされるのである」(『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版、2005年)。そしてこのような能力は、「学力」という「近代型能力」よりもその格差が「覆しにくい」として、次のように結論づけている。「個々人の内面の深い部分に根ざしている『ポスト近代型能力』の形成には、幼い頃からの日常的な家庭環境がきわめて重要である」(前出)と。

苅谷剛彦は、戦後教育(日本型学歴主義)の平等感(●)を、「画一的な平等化(生徒を分け隔てなく同じように扱う)」→「教育機会の拡大(高校全入運動)」→「メリトクラシーの大衆化(〝生まれ〟によらず誰にも教育において成功するチャンスが与えられている社会)」→「競争条件の均質化、平準化(偏差値による「客観的」「可視的な」基準による選別の公平性)」→「特権意識のない…学歴エリートの誕生(特定の文化的アイデンティティを持たない、大衆との連続線上に存在する学歴エリート)」→「不平等問題への視線の弱化(差別感を持たない教育への配慮)」と6段階に整理して、以下のように言っている。

「形式的な平等性によって、選抜の公平さを確保してきた戦後の日本では、これまで主観的な評価を受け入れる伝統が弱かった。従来の入試のように日本では形式的に人びとを公平に扱う手続きが、選抜の公正さを支えてきたのである。そのような社会で、『個性』のように解釈に幅のある基準を選抜に用いる場合、階層文化から『中立的』に見える学力というものさし以上に、子どもの育つ家庭の影響を受ける可能性がある。個性を重視するといっても、すべての個性に価値が与えられるわけではない。

また、どの子どもも、高い価値が置かれる個性の持ち主とはかぎらない。個性もまた不平等に存在している可能性がある。高く評価される個性の持ち主は、どんな家庭の子どもか。子どもの育つ家庭の文化的環境のみならず、稽古ごとやスポーツ教室への3加経験がものをいうようになるかもしれない。稽古ごとやスポーツ教室への3加が、親の学歴や職業と関係していることはすでに知られている。そうだとすれば、多様な評価基準を選抜に用いることは、学力とは違うかたちで、社会階層の影響を選抜に持ち込む可能性がある」(『大衆教育社会のゆくえ』中公新書、1995年)。

苅谷はこの著作の後、学歴主義の公平感を支えていた努力主義を実は「母親の学歴相関」によるものとして、1970年代後半から1990年代後半までの20年間に生じた「努力の階層差(インセンティブディバイド)」(『階層化日本と教育危機』(有信堂、2001年)を指摘し、それは努力主義(メリトクラシー)の公平感「イデオロギー」を単に批判するためではない。「だれをも競争へと巻き込む圧力が減り、学校の後押しが弱まると、努力の階層差が拡大する条件が生じる。いわば、受験競争に向けた動員力が弛緩することで、学力や教育達成における階層間の不平等の拡大・顕在化の可能性が出てくる」ということだ。

そして苅谷は、この著作をこう締めくくっている。「今後、努力の総量はさらに減少し、その階層差もより拡大するだろう。その結果、基礎学力の低下、学力の分散の拡大が予想される。進行中の教育改革はこのような問題を抱えている。教育改革に3画する研究者・政策立案者は、この問題をどう受け止めるのか…」(前出)と。「努力の総量」の「減小」とは、「受験競争に向けた動員力が弛緩」することによる「学校の後押し」の弱体化のことだ。この「努力の階層差」と本田由紀の指摘したハイパー・メリトクラシーの家族主義を重ねて考えれば、両者に共通するのは、今日における家族主義に依存した学校論、つまり反〈学校教育〉論への危惧なのである。

苅谷に影響を受けた木村元は消費社会化と高度情報化がらみで、〈学校〉という「リジッドな空間」を「緩める」動きを指摘している。「大衆消費社会や高度情報化の進展はその影響力を年々強めていく。モノやサービスの消費を自己のアイデンティティと感じ、他者と同一の処遇を忌避したり、将来のために今を我慢することに価値をおかない人びとの意識は、それとは逆の価値のもとにある学校の規範を緩める方向にはたらく。また、高度情報化社会は時間と空間の制約を受けずに人間関係をつくりあげるため、人びとの結びつきはより柔軟になり、学習のためだけに組織された学校というリジッドな空間の特殊性を、より浮かびあがらせることになったのである」(『学校の戦後史』岩波新書、2015年)。苅谷や本田の議論をこの木村の議論に重ねて考えるとすれば、〈学校〉がかつて「リジッド」であった(●●●)とすれば、〈家庭〉も「リジッド」であった(●●●)のだろう。消費社会化と高度情報化は〈学校〉と〈家庭〉との双方を「緩める」動きなのである。

その結果、木村は次のように続けている。「産業社会からは一線を画す文化の防波堤を築いていた学校も、90年代に入るとそれを維持できなくなる。子どもを『教える─学ぶ』の関係につなぎ止めていた学校文化が大きく揺るぎ、『学びからの逃走』(佐藤学) ともいうべき状況が進行していった。

藤沢市において、1965年代以降5年ごとに実施されてきた市内の中学校3年生への学習調査では、平均の一日の勉強時間が1965年から2005年の40年間の間で、「毎日2時間以上」が20・8%から7・8%へ、他方「ほとんど勉強しない」という者が1・6%から14・1%へと推移している。「勉強への意欲」ということでは、「もっと勉強をしたい」は65・1%から24・8%、「勉強はもうしたくない」4・6%から22・1%となっており、子どもやその環境の変化が明確にうかがわれる( 2010年実施の「第10回「学習意識調査」報告書藤沢市立中学校3年生の学習意識」)。苅谷剛彦の言う「努力の総量」の「減小」と並行した事態がこの藤沢市の長年にわたる調査で明らかになっているが、木村自身は「学校文化と情報・消費社会化のせめぎ合いにおいて、後者が前者を凌駕していく過程で、子どもを学校に囲い込むことが困難になっている」と結論づけている。

一方、1990年から5年おきの調査を行ってきたベネッセ教育総合研究所の調査(2015年「第5回学習基本調査」)では、偏差値帯域のどのレベルでも2006年以降学習時間は増えつつある。偏差値55以上では105.1分→119.1分に、偏差値50以上55未満では60.3分→84.5分に、45以上50未満では62分→65.5分に、偏差値45以下では、43.2→44.6にいずれも上がっており、偏差値55以上の119.1分というのは、90年時点の114.9分さえも超えている。

大綱化以降の大学全入時代の流れを考えると、これらの3者の統計調査の妥当性を議論するまでもなく、学習時間が減少するのは当たり前のようにも思えるが、最近の学習時間の増加は、ベネッセによれば、2006年の調査で明らかになった増加する「宿題の影響がある」とコメントしている。もちろんこれは単に「宿題」の増加によるものばかりではない。
ベネッセのこの調査に巻頭のコメントを寄せている耳塚寛明は次のように言う。「1990年代終盤から怒った学力低下論争は、新学習指導要領導入後の学力低下に対する激しい不安を世論に惹起した。そのため文科省は『学びのすすめ(確かな学力の向上のための2002アピール)』を公表し、その後も学力向上のための施策を矢継ぎ早に放った。『学力向上フロンティア事業』や『学力向上アクションプラン』が導入され、全面実施されてまだ一年経たにすぎない新学習指導要領の一部改正が告示された。『ゆとり』から『脱ゆとり(学力向上)』へと実質的な路線変更がなされた。学力の国際比較調査(PISA2003、TIMSS2003、2004年公表)も日本の学力低下を印象づけ、脱ゆとり路線の定着に一役買った」(「子どもの学びの4半世紀(1990年~2015年)」in『第5回学習基本調査』巻頭言)。

そして「脱ゆとり」主義による新しい学習指導要領が、小学校では2011年度(平成23年度)、中学校では2012年度(平成24年度)、高等学校では2013年度(平成25年度)から実施されることになる。この論考でたびたび言及してきた中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」(2008年)の「標準性」概念の導入もこういった流れの先鞭をつけたものと言えるかもしれない。

苅谷剛彦たちの2000年前後の「ゆとり」批判の提言(1995年『大衆教育社会のゆくえ』から2001年の『階層化日本と教育危機』、2002年の『調査報告「学力低下」の実態』への展開)は、「脱ゆとり教育」への転回だけではなく、学力テスト(「全国学力・学習状況調査」)の復活(2007年)を準備したという指摘もある ― 中澤渉は「学力テスト復活のきっかけとなったと思われる対談がある。1999年7月5日と19日の『朝日新聞』朝刊の教育面に掲載された当時東大助教授の苅谷剛彦と当時文部省政策課長の寺脇研のものである(この対談は後に『論座』1999年10月号に掲載される)」(『日本の公教育』中公新書、2018年)と、苅谷たちとの提言と文科省との微妙なからみ具合を指摘している。

文科省も財務省の財政的な締め付けがきつくなってきているため、データを取ることなしにはなにもできない状態になってきているのだと思う。中曽根臨教審のようなデータなしのイデオロギー色の強い答申に基づいて展開した90年代施策を反省した上での旋回だった。苅谷剛彦たちの報告の意義は、データでものを言え、ということだったのかもしれない。たとえ意欲=学習時間という等式が危ういものであったにしても。

しかし2009年から上がってきたPISAの成果後も親の学歴相関の値はそれほど変わっていない ― そもそも2007年のPISA調査では日本は「親の学歴や親の職業など、家庭的背景による学校格差が3加国60カ国の中で最も高い」ことを垂見裕子は指摘している(「PISAから日本の学力格差をみる」早稲田大学高等研究所、2012年)。高校生で言えば、1990年時点で87分の学習時間が2015年では73分となっている。比率で言えば、前者の時点では親の大卒学歴家庭の方は非大卒系のそれより122%だったが、後者のそれでは126.3%(同前)とその差が開いている。大学進学への影響が高い高校における親の学歴による意欲格差は縮まっていない。耳塚も先のコメントの中で「保護者の学歴等による学習時間の格差が大きい」とまとめている。

さらには、厚労省の行った「21世紀出生児縦断調査(平成13年出生児)」では、中学校3年生のとき学校外で勉強を全くしない中学生は6%しかいなかったが、その中学生たちが高校生になると学校外で勉強しない学生は25.4%にまでかなり増加している。これは最新の2017年の数値だから、文科省の脱ゆとり主義が依然として機能していない領域があるということだ。「努力の階層差(インセンティブディバイド)」は依然として存在している。「文化貨幣」(コンリンズ『資格社会』東信堂、1984年)としての学歴の文化性はかなり怪しくなっていることだけはたしかだ。

とはいえ私は、学校圧はまだそれなりに機能していると思っている。2つの(視聴率の高い)テレビ番組を見ていると特にそう思う。ナインティナインの岡村隆史(もう終了したがフジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』)が「先生」になって〝勉強の出来ない〟老若男女タレントを教室に集め、中学校程度の英語、国語、数学、理科などの問題を彼ら・彼女らに解かせる「抜き打ちテスト」シリーズがあったが、その中で評価も実績もある有名タレントたちが簡単な問題を間違うと顔を赤らめてとても恥ずかしそうな顔をするのだ。そもそもが〝勉強ができない〟ことをみんなで(●●●●)バカにする番組なのである。形式的な学歴でではなく、まさに〝努力〟と〝人物(キャラクター)〟で実績を築き上げてきた地位のある人たちなのに、とても恥ずかしい顔をする。

ということは、この人たちは「学校圧」の中で同級生や同世代の人たち、あるいは世間に対して恥ずかしがっていて、それは〈社会人〉になっても消えないメリトクラシー社会の圧を感じているということだ。自分は親や家庭や地域のせいで勉強しなかったのではなく、純粋に怠けていたからこんなことになったという感性 ― つまり苅谷剛彦が言う「意欲(インセンティブ)」の平等感 ― がなければ、あれくらいのバラエティー番組で、しかも〝実績〟ある人たちが恥ずかしがることなどないにもかかわらず。というか番組自体がメリトクラシーを前提にしないと笑えない番組になっている。

もう一つの番組はテレ朝の『あいつ今何してる?』。これも〝実績〟あるタレントが中学時代や高校時代の同級生の、気になる「あいつ」の「今」を当時の卒業アルバムを見ながら特定し、番組で探し出す番組。同級生と本人は、ビデオでしか対面しないが、その「あいつ」が自分のことを覚えてくれていただけで、タレントの方が泣いてしまう場面も多々あるほどにタレント自身が素の姿を露呈してしまう、という番組だ。普通は逆で、素人の同級生が〝有名になって〟〝出世した〟タレントが自分を覚えてくれていて感激という絵がこの番組では逆の絵になる。これも同級生は、どこまでいっても「あいつ」で、仮にエリートであっても「手に届く」エリート(苅谷剛彦)であるという日本的な学校圧 ― クラス内の平等感 ― の番組なのだ。

特に〝有名になって〟〝出世した〟タレントが当時〝頭のよかった〟「あいつ」を未だによく覚えていて尊敬していることである。これも「めちゃイケ」と同じで、日本のメリトクラシー(学校圧)現象の一つだ。もちろん『めちゃ×2イケてるッ!』は、既に数年前に終わった番組だし、現役の『あいつ今何してる?』も10年後20年後の同級生に出会う番組であるために、少なくとも2003年以降の「学校圧」減小のを語るには不適切かもしれないが。いずれにしても苅谷剛彦の言う「努力の総量」の「減小」というのは、こういった学校時代の「あいつ」との平等感が消える事態を意味している。


(※43)
※「印刷革命」によって ― 「印刷術の出現以後は、書かれた情報の方がはるかに効率的になった。新しく独学するチャンスを得て得をしたのは大学の外の職人ばかりではなかった。頭のよい大学生がその先生の理解を超えるチャンスを得たこともそれに劣らず重要である。才能ある学生は、外国語とか学問的技能を体得するのに特定の先生の足もとに座っている必要がなくなった。そうするかわりに時には先生の目を盗んでこっそり本を手に入れることによって、ひとりで素早く専門知識を獲得することができた。(…)専門技術の教科書は物言わぬ教師であり、これを利用する学生には伝統的な権威に従わず、革新的風潮を受け入れる傾向が見られた」と、印刷時代の知識の息吹をアイゼンスタインは伝えている(『印刷革命』みすず書房、1987年) ― 中世の大学が解体した後、後進国ドイツにおいてフンボルトが大学を再生させた経緯をレディングズは「一度普遍的理性という概念が大学に生命を与える原理としての国民文化の理念にとって代わられるやいなや大学は国家へ奉仕するように強要される。したがって文化に訴えることを通して国家は、事実上大学の制度的構造の方向を定めその社会的関連を指揮し、事実上研究と教育の両方を支配するのである」(『廃墟としての大学』法政大学出版局、2000年)と解説していた。

後進国ドイツにとって〈文化〉(あるいは〈陶冶〉としての〈教養〉)自体が国家的な課題だったのだが、インターネット世界からみれば、今では〈国民国家〉という概念自体が後進国ドイツ状態になっていると言える。すべての〝国民国家〟が後進国なわけだ。今や〈大学〉の理性自体が貧相になり孤立している ― 学生が「多様」化しているだけではなく ― のである。私はそのことを踏まえて、大学のミクロ化としての〈カリキュラム〉に大きな意味を見出したいと思っている。「カリキュラムの文化性」というのは、そこに「研究と教育の両方を支配する」マネジメントを結集するということだ。レディングズはアラン・ブルーム(『アメリカン・インドの終焉』みすず書房、1998年)の『高等普通教育という冒険』と呼ぶ物語には、もはやヒーローがいない」という結論を引いて、「その冒険に乗り出す学生のヒーローもいなければ、学生の目標としての教授のヒーローもいない」(同前)と言う。私からすれば、「エクセレンス」(レディングズ)だらけの現代の大学においてはカリキュラム(の文化性)がヒーローを作るとしか言えない。一方、吉見俊哉の大学論は「大学とはメディアである」という立場からのものであるため、人材論が欠けている。そもそも〈情報〉と〈知識〉を区別しない ― この点については、「大学の使命は、教育においても研究においても情報を乗り越え知識に肉薄しなければならない」と言ったヤーロスラフ・ペリカンの『大学とは何か』法政大学出版局、1996年を参照のこと。しかしどんなに知識が情報化しても、その情報をたえずメタ化する人間の場処(時間と場所 ― 漱石が「2個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」といった意味での)は消えはしない。

この場処の「有限性」論 ― ハイデガーにも繋がる ― は、カントの〈理念〉が統制的(●●●)原理であることと関係している。私は〈授業〉とはトークの場処ではなくて、メタトークの場処だと思う。情報が〝肉体を持つ〟 ― まさに「身につく」 ― というのは、メタトークが機能するときでしかない。〈授業〉が科目の授業時間(科目のインカネーション)のことを指し、コマシラバスがシラバスのインカネーションだとすれば、コマシラバスの課題は授業におけるメタトークがどのように効果的に機能するかを案配することでしかない。授業とカリキュラムの「ヒーロー」はそこからしか生まれてこない。


(※44)
※先ほど議論した科目数の削減を前提にすれば、80単位と言っても科目数は4年間で20~30科目にとどまるだろうから科目管理もそれほど難しくはない。また厚労省系の資格がらみのカリキュラム(たとえば看護学部の一部など)についても特には科目(=科目名)自体の規制や一科目あたりのコマ数の規制などはないのだから、もっともっと特徴あるカリキュラムがあってもいい。それぞれの分野で80単位の必修カリキュラムを組むには教員配置が問題になるだろうが、そのためにこそ最近声高に叫ばれている地域の大学間ネットワーク(教員の貸し借り(●●●●))を活用すべきだろう。


以上。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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