●シラバスとは何か(2) ― コマシラバスはなぜ必要なのか ver.20.0 2019年07月15日
※なお、この論考は、他の論考も含めて『シラバス論 ― 大学教育と職業教育と』(仮題)として2019年11月に刊行決定(その他に人物入試批判、キャリア教育論などの原稿を併載)。このシラバス論だけで137000文字(昔風の言い方をすると400字詰め原稿用紙で約342枚)ありますが、途中で投げずにしっかり最後まで読んでください。教育関係者以外にも役立つはず。
この「シラバス論は120,000字を超えたところでブログサーバーの一記事容量制限を超えた模様でアップできなくなりました。もう増補分は実際出版される11月までお待ちください、と断念しかけましたが、折角700バージョンを超える加筆にあきもせず期待していただいた読者のために、【1(第1章~第3章)】と【2(第4章~第5章)】に分けて掲載することにしました。両者に【註】の通し番号を打っています。この形で両者とも出版まで加筆し続けようと思います。よろしくお願いします。→大学カテゴリーランキング
※文中、書籍の縦書きを想定してほとんどすべての数値を漢数字にしています。悪しからず。
※本文中、(●)などの表記が見られる場合は、その前に来る言葉の傍点ルビや読みがなルビを意味している。●が一個だと前の文字一つのルビ、●●と2個だと前の文字二つのルビなどを意味しています。
※以下目次表記の中で※印と共に連番が打たれたものは、本文註に連番を付けて見出しを付けたものです。本文の註には見出しを付けずに連番しかありません。あしからず。註は註1~註52まであります。
(前節から続く)
(四)「コマシラバス」という言葉と一〇年後のシラバス論
① 教員の自己管理のためのコマシラバス
私が「コマシラバス」という言葉を最初に使ったのは、一九九八年だった。その時にはインターネットで検索しても三つしかその検索がヒットしなかった。その三つは、主には小学校の「教案」に使われていたものだった。
しかし、私が「コマシラバス」という言葉を思いついたのはそれとは全く別個の動機からだった。
あるとき、カリキュラム議論ばかりしていないで実際の授業をみんなで見てみようという提案があり、五〇クラスの授業(五〇科目)を、学科を超えて見学。見学者も当該学科を超えた教員が含まれていた。毎回一〇人くらいの教員が見学に入った。授業終了後、授業担当教員を交えて、「この授業をどう思うか」と見学者に振ったが、意見はまちまち。「いい」と言う教員もいれば、「これはまずいでしょ」という教員もいて、評価が決まらない。話を聞いていると、ほとんどの発言は授業法に関わるものばかりだった。「板書が下手だ」「教壇にばかり張り付いてないで教室の後ろにも回れ」「教材の使い方がよくない」「声が小さい」「授業にメリハリがない」「早口でよく聞き取れない」などなど。
これらの評価は、評価者が「私はそうではない」と言っているだけのこと。声の大きな人は小さい声の人に「小さい」と非難する、板書のうまい人は「板書が下手だ」と指摘する、そんなことの応酬になる。そのように大概の授業評価会は、「私はそうではない」という議論に終始する。そしてその反対現象を少し整理して列挙すると、「インストラクショナルデザイン」体系ができあがることになる。全く不毛な。
大概の教員が自分の授業に受講生以外の他人を入れたがらない理由は、メモ帳以外にろくな資料も持たずに入室してくる見学者の授業評価が自分の方法を押しつける授業法議論にとどまり、それ以上のまともな感想を聞いたことがないからだ。この拒絶反応は健全なものだ。そんな経験をしたのが、二〇〇〇年を前にした私の授業評価初体験だった。しかしなぜそんなことになるのか。おそらくそれは、見学した授業のその回の授業目的を示す文書や資料が授業内はもちろんのこと学内のどこにも存在していないからだ。
当時存在していたのは、旧来型の科目説明としての「授業概要」(授業計画)でしかなかった。ところが見学の対象としての授業評価は、個々の毎回の授業に対して行われるものであって、科目概要(●●)の批評ではない。科目概要の批評など大学教員同士でやり始めたらつかみ合いの喧嘩にしかならない。何時間かけても決着は付かない。その意味でも、〈概要〉にとどまる限りは、評価の手前で終えることができる。粗(あら)が目立たない。というより〈概要〉だけでは評価に手を付ける方法が存在しない。普通に授業見学しても、この授業が何をどの程度教えれば教員の本望を果たした(果たせる)ことになるのかの資料や情報が存在していないからだ。たとえ「講義ノート」が存在しているとしても開示されてはいない(開示を前提にしていないからこそ、それは「ノート」と言われている)。つまり科目(●●)目標はあっても、授業評価できるだけの授業(●●)目標が存在していない、共有されていない状態だった。あっても一、二行、概念概要的に書かれているだけだったのである。
授業目標の開示のない、その資料が不在の授業を何回見学しても授業法議論にとどまるのは明らかなことだった。授業法議論は、そもそも授業目的、授業目標にしか従属しない。「その教育目的なら、この方法はまずいよね」「この試験に合格点を取らせるつもりなら、この方法はまずいよね」と指摘しない限り、授業法議論は成り立たない。どんなに「アクティブ」に授業が盛り上がっていても厳粛な試験に合格しない限り意味はないからだ。目的に応じて方法も変わる。目的の数だけ方法も多種多様だ。授業法議論は授業目標の自己管理としてしか意味を持たないわけだ。
したがって、授業評価を有効に効かせるには、毎回の授業目標ができうる限り具体的に開示される必要がある。「シラバスではなくて、コマ(●●)シラバスが必要なのだ」と。「コマシラバス」という言葉は、そのときに浮かんだ言葉だった。もちろん、それは授業評価に終わる授業評価(評価主義的な評価)のためだけではなかった。教員も学生も、今日の授業で何を教えるべきか(学ぶべきか)の情報共有がない。だから評価の基準がない。こんな段階で学生アンケートを何回取っても授業改善につながることはない。学生アンケート自体が授業法評価 ― 「授業の進行は適切でしたか」などの ― か、心理主義的な評価 ― 「授業に満足していますか」などの ― に終始するだけのことだ。〈学校(大学)〉が組織的に授業評価できる環境にないという結論は、教員自身が授業評価(授業自己評価)できる環境にないということを意味している。
これは私にとって深刻な事態だった。干渉主義的な、そして管理主義的な授業評価を招来する原因はむしろ自らの授業目標を具体化したり、詳細化したりしていない教員自身にあったのだから。またそういった体制を取ることなく、〝神聖な〟教室に土足で入るかのような(無益な)授業評価会を重ねる管理職や同僚教員にも問題があった。授業評価の前に取り組むべきなのは、コマシラバスだったのだ。コマシラバスのない授業評価はすべて干渉主義でしかない。言い換えれば、「インストラクショナルデザイン」FD研修を教員が受講して、自分が担当する科目のコマシラバスに変化がない研修は全く意味のない研修なのだ。そこから、私たちのコマシラバスの書式開発が始まった。これは時間単位の教育目標を共有する方法だったのである。まず何よりも教員の自己管理のための。
② 生涯学習的なコマシラバス
②-一 学校教育の学生は生涯学習的な受講主体ではないということ
もう一つの私のコマシラバス動機は、生涯学習論に関わっている。私は一九九五年から約五年間、生涯学習(狭義の社会人教育)カリキュラム&マーケット開発に責任者として関わっていた。学校教育の附帯教育部門として。
最初は、社会人向け初心者パソコン教育カリキュラム程度のものにとどまり、「Excel初級」「中級」「上級」などの難易度パッケージ(各レベルで九〇分×一〇回程度のパッケージ)で受講者を集めようとしたが、これが全く不人気。ほとんど受講者は集まらなかった。原因は、「難易度」と言っても人それぞれだからだ。「人それぞれ」ということは、難易度パッケージされた一〇回の講義の内に三回~五回は自分にとって不要な講義が存在しているということだ。その上、受講料はパッケージ化されている分=一〇回分取られることになる。これでは損だ。
そこで私はパッケージ化そのものが無駄だと思うようになった。難易度とはゼロから始める学校教育体系からの発想であって、受講者がすでに一定の目的を有する社会人教育には向かないということに気付いたからだ。学生教育の主体は〈学校〉にあるが、社会人教育の主体は受講者の目的に属するのであって、前者の教育の特徴がその生産性にあることに対して後者の教育の特徴はその消費性にあるわけだ。社会人教育の鍵をなす資格学校に〝同窓生〟組織が生まれづらい理由もそこにある。
したがって社会人教育の場合、何が〈初級〉で何が〈上級〉かの難易度自体は、つまり何をどんなときにどんなふうに学ぶべきかは受講者が決めるものであって〈学校〉が決めるものではない、というのがその時の私の判断だった。これはテッドネルソンが一九六〇年代に「ハイパーテキスト」という言葉で表明したものとほとんど同じ思想だった。学ぶ者の数だけ学ぶ順序がある、というものだった。テッドネルソンは、秩序だった(=単線的な)学校教育体系そのものを破壊するために「ハイパーテキスト」という概念を持ちだしたのだったが(『リテラリーマシン ― ハイパーテキスト原論』アスキー出版局、一九九四年)、それはむしろ生涯学習の概念でしかない(※28)。
※28 なぜかと言えば、学校教育では、〈学ぶ主体〉などまだ完成していないのだから。むしろ〈学ぶ主体〉を形成するのが学校教育全体の目的であって ― 教育基本法では「人格の完成」いう言葉があるが、これは第一条「教育の目的」に属している言葉であって、まだ人格として完成していない子どもたちを前提とした言葉である ― 、〈学ぶ主体〉を前提にするのであれば、〈学校教育〉は存在する意味がない。
〈学校教育〉に〈学ぶ主体〉が存在するかのように思えるのは、家族や地域の文化環境(〝裕福な〟環境)のせいであって子どもそのものの力によってではない。学校教育は、家族や地域の文化環境をとりあえずは括弧に入れて、クラスに入れば子どもたちを公平平等に扱うところにある。すべてはこれからというところにしか学校教育の存在意味はない。そこで初めて、次世代を担う子どもたちは親の世代や階層(家族や地域の文化環境)を超えてあらたな階層を形成していくのだから。学歴社会(メリトクラシー)というのはもともとそういう意味だった。一言で言えば、学歴主義とは(家族や地域の文化環境をリセットし続ける成金(●●)主義である― このリセット装置を竹内洋は「敗者復活装置」「過去の達成の御破算主義」と呼んだが(『日本のメリトクラシー』東京大学出版会、一九九五年)。「学歴貴族」(竹内洋)、「グロテスクな教養」(高田里惠子)という言葉をかみしめればいい。いい意味でも悪い意味でも。大学教授会ほど「多様な」人々が集まる組織はないが、それは学歴主義の恩恵をもっとも受けた人たちの組織だからだ。テッドネルソンが前提する学びの主体とは、すでに充分に家庭的文化的な恩恵を受けている〝裕福な〟主体に過ぎない。そんな〝裕福な〟主体の教育は東京の名門私立学校に任せておけばいい。
この議論は中曽根臨教審の「学校派と生涯派の論争」(内田健三『臨教審の軌跡』第一法規出版、一九八七年)から今でも延々と続いていると私は思う。そもそも、一九九一年の大学「大綱化」は中曽根臨教審の思想(「学校教育は生涯学習の一部」という思想)に基づいて始まったものだ。有田一寿たちの学校派は生涯派(香山健一たち)に敗北する。二〇一三年に、私はこの「学校派と生涯派の論争」について以下のようにまとめている。
「(……)結局、『学校中心主義からの転換』としての生涯学習論は、〈学校教育〉否定論であり、 〈学校教育〉以前に〈学びの主体〉を想定する家族=地域論=社会的ニーズ論(キャリア教育)である。臨教審全体は、内田健三も言うように「学校派と生涯派の論争」 (内田健三『臨教審の軌跡』)の場所だったと言える。
高等教育が学生顧客論(学生消費者論)に立つのは、九〇年代に始まる少子化現象がマーケット主義を増長させるからではない。生涯学習はもともとが顧客=消費者主義。〈学ぶ〉ことは、学ぶ者の〈手段〉にすぎない。通常、生涯学習的な講座の受講者傾向は、学ぶ目的は受講者の側にあり、カリキュラムや科目は手段にすぎないということにある。何のために役立てるかは、受講者の受講目的次第ということになる。生涯学習マーケットの大半を構成する社会人がいまさら何の役に立つかもわからないものを自費で受講したりはしないからだ。したがって生涯学習講座評価の根拠は受講者の側にある。この種の講座評価が受講生アンケートでなされるのはその意味でのことだ。
しかし〈学校教育〉が対象とする児童・生徒・学生は、まだ社会人のようには〈目的〉を自律的に持てない。この「持てない」というのは何らかの限界や無能力を意味しているわけではない。何にでもなれるし、何を目的にすることもできるということが若者(児童・生徒・学生)の、つまり次世代を形成する人材の特質だということだ。〈学校教育〉の対象である若者(児童・生徒・学生)は、〈学校教育〉を通じて目標を見出すのであって、そこに〈学びの主体〉は(まだ)存在しない。〈学びの主体〉を形成するところが〈学校〉であって、〈学校教育〉は〈学校学習〉ではない」(『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』ロゼッタストーン、二〇一三年)。
そこで私がやったことは、九〇分単位の講義の単独切り売りだった。Excelであれば「データ入力講座」「数式作成」「表作成」「グラフ作成」「ワープロ活用」「関数(数学関数編)」「関数(論理/情報関数編)」「関数(日付/時刻関数編)」「関数(財務関数編)」「関数(検索/行列・文字列操作関数編)」「関数(関数複合編)」「データベース活用(内部リソース編)」「データベース活用(外部リソース編)」「非統計処理データ分析講座」「統計処理(ヒストグラム・代表値編)」「統計処理(相関係数・回帰分析編)」「統計処理(t検定編)」「統計処理(分散分析編)」「統計処理(多変量解析編)」「VBA(文法編)」「VBA(オブジェクト操作編)」「VBA(オートメーション編)」「経営分析」「システムダイナミクス(複雑系)」などなど、難易度パッケージからすべて開放してこれら「」内の講座それぞれにおいて九〇分講座の切り売りができるようにした。Excelの最後半の講座などは当時、一橋大学の経営系の教授たち(主には新橋の「統計研究会」系)の講師支援も得て展開していた。
この細分化と同じやり方で、Word、PowerPoint、Access、SQL Server、Oracle、Photoshop、Illustrator、「ネットワーク環境」「ホームページ作成」「DTP&DTV&DTM&CG講座」「CAD&3DCG講座」、プログラミング言語各種(C、 C++、 JAVA、 Visual Basic.NET、 C#.NET)講座(一九九〇年代後半~二〇〇〇年代当時のプログラミング言語各種)なども細分化していったのである。
これなら、講座名と講義概要(シラバス)、および「受講の前提」を見ただけで自分の学びたいこと、および学べる講座が何であるのかを受講前に理解することができる。
受講料はその分単独受講料も設定したが、それを積み重ねるとパッケージ料金よりも一回分が高くなるために、一ヶ月、三ヶ月というように期間定額受講料にし、それを払えばどの分野のどんな講座も受講数制限なしで単独で受講できるようにした。期間内において、自分で自由にカリキュラムを形成できるカリキュラム、まさに「ハイパーカリキュラム」が誕生した瞬間だった。受講生はそれ以後、爆発的に増えていった。資格を一切目指さない「ユーザーコンピューティング」カリキュラムで成功した社会人教育としては国内初のものだったと思う。
このハイパーカリキュラムの運営の課題は明白だった。「九〇分」単独受講で切り売りする分、九〇分のシラバス通りの授業がやれるかということ。学校教育なら、三学期とか前期・後期とか、修業年限という比較的長い時間で〝つじつま〟を合わせることも可能だが、社内の会議をわざわざ欠席してこの講座(の授業時間)のためにのみ駆けつける忙しい社会人を満足させるのは、九〇分で終わりと始まりの〝ケリを付ける〟ノウハウの形成が必須だった。九〇分のシラバスを詳細化すること、詳細化したシラバス通りの授業をやること、それも機械的にではなく身につくようにやること(受講目的を成就させること)、この三つがハイパーカリキュラムの成立の要件だった。四つ目があるとすれば、その三要件を支える全編書き下ろしの教材テキストの開発だった。「受講目的」などについては、学生のように「基礎学力(偏差値)」のばらつきよりは、「受講目的」がばらばらな受講生が多い ― 社会人学習の特徴 ― こともあり、学生教育とはまた別の苦労も多かった。
③ -二〝後がない〟社会人教育の緊密感
この時、私が思ったことは、学校教育は、学年や履修単位の卒業要件で学生を閉じ込めている分、前から一コマずつ進む受講がいかに問題の多いものであってもそれが見えづらいということだった。授業に失敗しても試験認定するのは、その失敗した教員であるため、失敗した分、試験基準(履修判定基準)をゆるめれば、その失敗は見えなくなる。学生も最終(あるいは最低)目標は〝卒業(学歴取得)〟だから、試験基準が緩むことにそれほどの不満は生じない(※29)。
※29 逆に〝資格の専門学校〟においては、補習や追再試の慢性化が学期末試験の厳粛な判定全体を形骸化することによって、本来のカリキュラムは空洞化し、第三者試験としての官許試験(非文科系の国交省、厚労省、経産省がらみの)に対して正規カリキュラム外の〝集中対策〟講座や〝集中対策〟補講でこなすという本末転倒した事態に陥っている。あまりに主観的な(●●●●)学期末試験とあまりに客観的な(●●●●)外部試験との股裂きにあっているのである。そんな事態に陥るのも学生に対する授業情報が決定的に欠けているからだ。専門学校がそうなるのは、一九九四年の「専門士」タイトルが付与されるまでの学校運営の基本が「出席率」を中心に回っていたからである。専門学校は、一九九四年の「専門士」タイトルが付くまでは時間制(反対語は単位制)の〝学校〟だった。そのときの〈専門士〉の付与条件は三つあり、その二つは従来通り授業時間の規定であるが、三番目に「試験等により成績評価を、その評価に基づいて卒業認定を行っている」という条件が加わったところが新たな規定だった。質的な評価を新たに加えることを条件に初めて〈学校〉扱いされたのがこの一九九四年の〈専門士〉付与だった。一言で言えば「資格の専門学校」に変わる内実を持ちなさい、という文科省からの励まし(●●●)の設置要件だったが、いまだに学期末試験の厳粛性を構成するシラバスや履修判定指標などに無頓着な学校は多い。
その上、学生教育と社会人教育との違いは、学生はゼロから学ぶために何を学べなかったか(●●●●●●●●●)の判断が薄くなるが、自分で受講目的を有している社会人受講生は目的満足度の評価に厳しいということだ。社会人受講者は授業評価基準を自分の中に最初から有しているが ― したがって、受講者アンケートがそのままほぼ一〇〇%の授業評価(教員への評価)と重なるが ― 、ゼロから目標なしに教室で静かに座って受講する「学校教育」下の学生(による授業)評価は、学生アンケートだけではすまない難しさが存在している。教育内容を主導権を持って作る者、それに基づいて授業を行う者、その履修判定をする者の三者が同じ(同じ教員)だからだ。三者が同じである分 ― そして「学校教育」における学生は〈顧客〉ではない分 ― 、教員は自己管理に厳しい体制を取る必要がある。
〈学校教育〉の教員は学生に自分の教育を買ってもらっているにもかかわらず、その学生をしかりつけることができ、挙げ句の果てに〝落第〟を宣明できるというきわめて特殊な(学生との)関係に入り込んでいる。これを〈顧客〉論で、「学生もお客様なのだから大切に扱おう」と言うのは少し筋が違う話なのだ。顧客論の本質は顧客〝満足〟だが、学生と教員(師匠)との関係は(教員への)〈尊敬〉でしかない。わざわざ学生から授業料をもらって、その上〈尊敬〉されるのだから不思議な関係だと言える。尊敬関係に値する(最低限の)組織的な(●●●●)自己管理文書が、〈コマシラバス〉でなければならない。
内田樹が大学教育に「シラバス」は不要と言うのは(『下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉』講談社文庫、二〇〇九年)、学校教育を消費モデル、つまり生涯学習モデルで考える傾向を批判してのことだが ― それはそれでもっともなことだが ― 、しかし「尊敬」に関わる片務的な(●●●●)学校教育にこそ、シラバス開示が必要な局面もある。片務的だからこそ尽き果てぬ説明がいるというように。生涯学習型のシラバスなら受講者(消費者)が「満足」すれば済むが、片務的な学校教育では、Docendo discims(ドケンドー・ディスキムス)の精神※30においてこれでもかこれでもかとシラバス=コマシラバスを書き続けなければならない。シラバスが嫌いな内田さえも「『学ぶ』仕方は、現に『学んでいる』人からしか学ぶことができない。教える立場にある者自身が今この瞬間も学びつつある学びの当事者であるということがなければ、子どもたちは学ぶ仕方を学ぶことができません」(第七講「踊れ、踊れ続けよ」in『待場の教育論』ミシマ社、二〇〇八年)と言っている(※31)。
※30 Docendo discimus は、セネカの言葉とされているが真偽のほどは分からない。「教えることによって学ぶ」という意味だが、これは西川純(上越教育大学)たちのくだらない『学び合い』教育とは何の関係もない。いつでもどこでも最高判断、最高認識が露呈する仕方で学ぶ者に接しなさいということだ。
学ぶ者の程度を考えることは教える者自身の堕落に他ならない。「程度を考えて」教える教員は大概がその「程度」の教員に成り下がる。「わかりやすく言うと」と言いつづけて教える教員が、いつの間にかわかりやすいことしか考えられなくなることも多々ある。それは啓蒙主義の限界でもある。一方、留保なく教えることができるときにこそ、〈教育〉と〈研究〉は重なることが可能になる。そもそも学ぶ者の程度を選ばないためにこそ専門性探求は存在するのではなかったのか。できない研究者ほど、学ぶ者(の程度)を選びたがる。そんなに偏差値の低い学生が嫌いなら、偏差値の高い大学へ行けばいいじゃないかと言いたくなるくらいに。そもそも〝できない〟学生たちほど本質的な理解を欲している。〝できない〟学生たちに必要なのは(程度の低い教員による)機械的な暗記教育や中学校教育の形式的な反復教育ではなくて、大学教員の専門性からする〈基本〉教育なのだ(このことについては後述する)。
そもそもフンボルト理念の大学における〈研究〉重視の志向も、「『すべての知識を未だ解決していないものとして扱え』という知識観に基づいている」(潮木守一『世界の大学危機』中公新書、二〇〇四年)のであって、研究と教育とをご都合主義的に分離するためのものではない。そもそもベルリン大学創設以前までは ― もっともベルリン大学の創設も、(梅根悟によれば)フィヒテの意向に沿ったものであって、フンボルト自体は地方大学(既存のフランクフルト大学、ケーニヒスベルク大学)の改善と拡充を考えていたらしい ― 、「大学教員の職務は学生を教えることであって、研究することは必ずしも教授の職務の中には入っていなかった」(潮木守一・前掲書)のだから。「すべての知識を未だ解決していないものとして扱え」は、まさにその意味でDocendo discimusの精神そのものである。
フンボルトは言う。「学校というものは既存既成の知識を教え学ぶところであるのに反して、高等教育施設は学問をつねにいまだに完全に解決されていない『問題』として、したがってたえず研究されつつあるものとして扱うところにその特色をもつものである。したがってここでは教師と学生との関係はそれ以前の学校におけるそれとはまったくおもむきを異にする。すなわちここでは教師は学生のためにそこに居るのではなくて、教師も学生も学問のためにそこにいるのである。教師の職分は学生がそこに居ることにかかっている。学生が居ないことにはどうしようもない。そこでもし学生たちが自発的に自分の回りに集まってこないなら、彼は自分の熟達した、しかしそのゆえに偏ったものになりがちの、そしてすでにいきいきした力が弱くなっている力と、まだ弱いが、なお偏ることなくあらゆる方向に向かって進んでゆこうとしている力とを結びつけることによって、少しでも自分の目的に近づこうとして学生さがしに出かけるであろう」(「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」in『大学の理念と構想』明治図書、一九七〇年)。
したがって、シラバスを〈教育〉(あるいは教育サービス)と割り切って、毎年授業内容や授業方法を更新もしないこと自体がフンボルト的な〈知識〉に基づいた研究者ではないのだ。フンボルトは〈研究〉を重視したのではなく、教育こそが研究でなければならないと考えたのである。ハイデガーにも大きな影響を与えたフンボルトの『言語と精神』(法政大学出版局、一九八四年)などを読んでいると、言語を、生命や精神、そしてアリストテレス的なエネルゲイアとして捉える彼にとっては、〈知識〉さえも一つの息吹(ヘーゲル的な精神(ガイスト)=Geist)だったというのがよくわかる。
もっとも「フンボルト理念」という言葉自体は、一八一〇年のベルリン大学創設時の「理念」ではなくて「フンボルトという存在は一九〇三年までは世間では知られていなかった。彼が書いた大学についての構想は一〇〇年ほど倉庫の中で眠っていた」というパレチェクの研究を潮木はこっそり紹介している(アルカディア学報「フンボルト理念」とは神話だったのか?-自己理解の“進歩”と“後退”」二二三五号、二〇〇六年)。そして、「一九一〇年、ベルリン大学創設一〇〇周年記念の席上、当時のドイツ皇帝は『フンボルト理念』とはまったく逆の『研究と教育の分離』を主張した。本来ならば『フンボルト理念』の栄光をたたえるべきその瞬間に、すでに『フンボルト理念』は死亡宣告を受けていた。これほど、われわれの歴史はパラドックスに満ちている。われわれの自己理解は進んでいるのか、それとも後退しているのであろうか」(同前)と潮木は自分自身のフンボルト論に疑惑を投げかけるように自問している ― このパレチェクによるフンボルトショックから二年後、潮木は『フンボルト理念の終焉? 一 現代大学の新次元』東信堂、二〇〇八年)を上梓することになる。
たしかにフンボルトの構想した大学は「教育の機関ではなく陶冶の機関」だった。「学問の探究それ自体は諸個人の自己陶冶以上に優先されるものではなかった」と伊藤敦広は指摘している(「個別的理想と大学の理念」in「シェリング年報」二〇一八年二六号)。「大学で自己陶冶に励むのは、そもそも学問の世界に憧れを抱くごく少数の自立的人間だけである…そこに見られるのは教養人同士で自由な社交の行われるサロンのような風景である」(同前)。その意味では「フンボルト理念」は元から大学組織論の理念ではなかったとも言える。ゲーテ(一七四九年生まれ)、シラー(一七五九年生まれ)、フンボルト(一七六九年生まれ)、ヘーゲル(一七七〇年生まれ)、シェリング(一七七五年生まれ)などの〈陶冶〉=〈教養〉主義の大きな思潮 ― 「疾風怒濤のドイツ啓蒙主義者達」と吉見俊哉(前掲書)は言っていた ― の中での出来事だった。これらの文化主義に見られる天才五人の共通の要素は、自然としての人間が「生まれ変わる」こと、精神の自然=〈教養〉を得ることだったのである。これについては別稿を用意してまた詳論したい。
※31 内田はラカンの言葉 ― 「教えるということは、非常に問題の多いことで、私は今教卓のこちら側に立っていますが。この場所に連れてこられると、少なくとも見掛け上は、誰でも一応それなりの役割は果たせます。(…)無知ゆえに不適格である教授はいたためしはありません。人は知っている者の立場に立たされている間は常に十分に知っているのです。誰かが教える者としての立場に立つ限り、その人が役に立たないということなど決してありません」(ラカン『自我(下)』岩波書店、一九九八年) ― を引いて「教壇の上には誰が立っていても構わない」という結論を導き出しているが(第六講「葛藤させる人」in『待場の教育論』ミシマ社、二〇〇八年)、ラカンがここで言いたいことは「無知ゆえに不適格である教授はいたためしはありません」ということだ。ラカンは、この内田が引いたテキストの直後で次のように言っている。「真の教育とは、たんに聴いている人々だけではなく、教える側にもある種の執拗さを呼び覚ます教育をおいて他にはありません。つまり自分がどれ程知らないかをきちんととらえた時にしか現れない ― 無知は無知として実り豊かなものですから ― 知りたいという欲望を呼び覚ます教育です」(ラカン・同前)。つまり「人は知っている者の立場に立たされている間は常に十分に知っているのです」の「十分に」は、「無知は無知として実り豊かなもの」、つまり無知の豊かさを受けている。〈豊かさ〉というのは、知らないということにおいて教える側も教わる側も平等だということだ。「知りたいという欲望」においてこそ、内田の言うように「教壇の上には誰が立っていても構わない」。つまりラカンもまたここでDocendo discimsの立場に立っているわけだ。
さて、会議を休んでかけつけた社会人受講生が「看板に偽りあり」と九〇分単位でクレームの声を上げ始めたらどうだろう。実際そう言って、受講後、私の面前に駆けつけてきて私の座る机の幕板を蹴り破り、立ち去っていった受講者もいた。その種のクレームは、これだけ細分化して二ヶ月間で一〇〇〇講座以上も管理する状況では少なからず何回かあった。要するに一回勝負で取り返しが付かないわけだ。学校教育なら〝次回〟があるし、〝補習〟もあるが、社会人教育ではそれは許されない。忙しい人たちばかりだからだ。「九〇分で教える、学べると書いてあるだろう」と言われたら言い訳ができない。
そういう言い訳なしに一〇〇〇講座以上のシラバスと授業運営を管理して、この「ハイパーカリキュラム」はたくさんの受講者(最盛期で月間一万人以上)に恵まれた。「ワープロ(MS-Word)くらいはできるようになりたい」と、このカリキュラムで学ぶことになった四〇才くらいの失業中の女性が、一年も経たないうちにMicrosoftの(何十万円もする)開発ツールを御自身で購入されて立派なリレーショナルデータベースシステムを構築するようになった、みたいな事例はいくつもこのカリキュラムから生まれていた。どこから入ってもOK、どこを目指しても果てしなく上っていくことができるハイパーカリキュラムだったからだ。
そして、もしこの〝後がない〟緊密感 ― 確実に踏みしめることのできる階段(緩やかではあるが、長時間かければかなりの高さまで登れる階段) ― を、〈学校教育〉に持ち込めばどんなことが起こるのだろうというのが当時の私の感慨だった。そのためには、何を学べなかったのかがわからない学生でも(社会人のように)授業評価できる資料を用意することが必要になる。それが「コマシラバス」という言葉に私がこめた意味だった。教員もたとえ二単位一五回授業でも、一コマ一コマを切り売りするつもりでシラバスを書いたらどうなるだろう、それに基づいた授業成果を積み上げたらどうなるのだろうかというのが、私が考えたことだった。それができれば、元々異質な学生教育と社会人教育との関係はぐるっと一周して同一化する。大学のカリキュラムもまた科目等履修生も含めて切り売り可能な、出入り自由な科目体制となる。
大学の地域連携、企業・組織連携、そして社会貢献の本質は、大学の本旨であり最も豊富なリソースである日々の授業情報を透明化する ― 内外からアプローチできるように透明化する ― ことである。そのためには、授業一コマ一コマの計画、実行、評価を学生による授業評価が可能な情報提供によって練り上げるしかない。授業一コマ一コマの精度を上げること。大学の多産な生産性の基礎はそこにしかない。
② -三「アクティブな」授業評価者としての学生の育成
教育判定の期間単位が期末(二単位、四単位、六単位、八単位)や一年、二年、三年、四年と比較的長い時間で括られる学校教育の在り方、つまり厳粛な結論(履修判定)を補習や追再試によって後回しにしていく〝次回先送り〟型教育が、大学の本来の社会開放を遅らせ、何よりも〈カリキュラム〉の実質化を阻害してきた。
補習や追再試は、場合によっては学生サービスの一環のように扱われたりもするが、教員が(時間内で)「多様な学生」に対する教育目標を達成できなかった〝ツケ〟でしかないとも言える。それらは、一五回(二単位授業の場合)も取り戻しのチャンスがあったにもかかわらず、やるべき何がやれなかったのだろうという(教員の)反省のきっかけを奪う処置でもある。
選択科目が多いカリキュラムにも同じ問題がある。ある科目の履修判定は厳しい、ある科目の履修判定は緩い、この凸凹も、そのような凸凹がたくさんあることによって、履修上は平均化され、履修判定のいい加減さが目立たない。補習や追再試の慢性化も選択科目のたくさんあるカリキュラムも、それを学生サービスのように語る大学には〈教育〉が存在していない。この履修判定上の緩みは、トロウが日本の大学における入学後の「請負的なsponsored性格」と指摘したものだが(「エリート高等教育の危機」in『高学歴社会の大学』東京大学出版会、一九七六年)、それは入学競争性が極めて高い日本の「エリート」高等教育においての指摘だった。今では日本の大学の上から下までが請負性格を強めている。入学競争性が低い大学の弊害ははかりしれないと言える。
さて、履修判定を緩めず長い時間の教育の効果を期待するためには、一回毎の階段(授業コマ)を実質化することが必須である。現在の「長い時間」の教育への期待と成果は、科目自立型の〝曖昧〟で〝個人的な(教員個人的な)〟裁量主義によって雲散霧消している。授業外の補習や追再試を主観的に(●●●●)処理することによって落伍者を出さない裁量主義は、授業時間内で(●●●●●●)何ができるのかという根本の課題に目を塞いでいる。毎年同じ箇所で同じように躓く学生を毎年授業時間外で(●●●●●●)処理する。時間をどれだけかけたかという時間主義的な補習やレベルがコントロールされた追再試を学生「サービス」だと称しながら、実際は教員である自分自身の授業改善課題を棚上げにする自分へのサービスを行っているにすぎない。しかも学生たちには(補習を時間外でもわざわざやってあげているというように)恩着せがましく。
こういったことを回避するためには、まずは本質的に受動的な学生(=学校教育における受講者)を社会人による授業評価のような「アクティブ」な評価者に変えなければならない。「アクティブ」な評価者を形成するには、授業情報の系統だった詳細化が必要になる。その情報開示の核が「コマシラバス」だった。社会人講座の成否が受講生アンケートに帰趨し心理主義的評価が前面化するのは商業主義的にも仕方のないことだが、学校教育ではコマシラバスを強化すると、学生による授業評価もより知性化し「満足度」評価で終わらない教学マネジメント体制ができあがる(※32)。
※32 授業アンケート情報を(教授会においてさえ)公開するのは、「人権侵害だ」と訴える教員をかかえる大学もあると聞くが ― 未だに学生アンケート情報をFD委員会などで管理している大学も多いが、本来は教学委員会マターだと私は思う ― 、授業は教員個人のものではないし、教員のものであるにしても、学生のものでもある。教員の〝人権〟もあるが、学生の〝人権〟もある。また大学としては、組織として授業を提供している立場から、双方の評価(教員による学生評価、学生による教員評価)を組織として評価できる体制を築く必要がある。そうでないと科目の配置と教員の配置ができない。学内の組織的なアンケート評価はもとより、その学内外の公開と公開の一環としてのアンケート情報の評価検討における第三者の参加(「各学部等の授業評価結果の分析・検討内容を受けて、授業改善に向けて、学生の代表者や企業等学外者から意見を聴取する活動等」)を文科省は推奨している(「平成三〇年度私立大学等改革総合支援事業」における文科省の第二六コメントより)。ただし、このコメントの前後でも文科省は学生アンケートをFDがらみの「授業改善」どまりの課題としてしか考えていない。学生アンケートは、現在の大学で授業評価を(学生の力を借りずに)自己管理できる大学など存在していないのだから、カリキュラムマターでもある。その意味で、授業改善課題は教学委員会マター(あるいは学部長・学科長マター、延いては全学教学マネジメント委員会マター)だ。
「シラバスは学生による授業評価と密接な関係がある」(前掲書『アメリカの大学・ニッポンの大学』)と苅谷剛彦が言うのはそのためである。シラバスは学生サービス以前に、学生による授業評価の資料であるべきなのだ。学生による授業評価に知的に(●●●)貢献しないシラバス項目を長々と書いても意味がない。大学教育における学生の育成という観点に従来欠けてきたものは、授業評価ができる学生の育成という視点だった。なぜそれが困難だったかというと、内田樹が言うように学生たちが授業評価できるのならばそもそもその学生たちは授業を受ける必要がないからだ。今から初めて学ぶ者が、これから学ぶ内容を評価などできるはずもない。この道理の軽重は、シラバスの位置付けに関わっている。シラバスの、授業における活用比重が重ければ重いほど学生の授業評価力は上がってくるからだ。
学生アンケートの点数が高いことが、その授業が「よい」ことと必ずしもリンクしないのは、そしてまたシラバスが「よい」ことと授業が「よい」こととも必ずしもリンクしないのは、シラバスが「使う」コマシラバスとして展開していないからだ。さらには、そのコマシラバスの記載が履修判定試験と実質的に一体化していないからだ。それらの分節がしっかりと透明化すれば、学生評価(学生による授業評価)はより知的なものとなる。なによりも学生アンケートはそれらの分節を透明化するためのものだった。そのことによって、教員にも、自学の学生に対して九〇分で何ができるのか、何が二単位の実質化なのかの自己管理課題が見えてくる。そのためにこそ、シラバスはコマシラバスでなければならなかったのである。
④ 一〇年後のコマシラバス論 ― 試験センターの創設と科目数の削減
③-一 最もリアルな授業評価としての学生模擬試験作成
さて、ここまで議論してきたコマシラバスがそれでも教員によってまちまちな仕上がりになることはいくらでもある。書式が充実することとその中身が充実することとは直接関係のないことだからだ。中身の充実があるとすれば、実際の試験内容を第三者化して作成実施するしかない。コマシラバスを詳細化し、履修判定指標も詳細化するということは、当該分野の他の教員(第三者)がそれらを見て実際の試験を作ることができることを意味している。そのような志向がなければ、両者を「詳細化」する意味はない。詳細化の実質はそこまで練り上げられなければ意味がない。
さて、そんなことができるのかということについては、以下の三つの段階を経ることが必須の要件になる。
最初の段階は、受講クラスの上級学生を中心に ― あるいは、上・中・下それぞれの受講生から代表を選んで(これも教員による選抜か、学生による他薦、自薦、どれでもよいが) ― 、期末テスト前の最終授業回において予想試験発表をさせるということだ。先生はどんな試験を出すだろうか、という模擬試験・模範解答を学生自身が作成(場合によってはグループ発表でもよい)、それをクラス内で発表し、学生同士で検討するという仕組みの導入である。「詳細なシラバス+詳細な履修判定指標+実際の授業+実際に受講した学生の評価(試験予想)=授業の実体」である。このとき、担当教員がそれらの発表を聞いて自分が作成しようとしていた試験問題と解答を学生たちがシミュレーションできていれば、その授業は成功だったと言える。「アクティブ・ラーニング」というものが流行っているが、授業における「アクティブ」の最上級は、授業の模擬試験・模範解答を受講学生が作成できることである。ルーブリック評価などをいくら積み重ねても意味はない。
そして、これらの発表された模擬試験をどう処理するかが最後の授業課題になる。それを真似て当該教員が期末試験を作るわけにも行かない。試験に通ればいいというものでもないからだ。なぜなら、〈試験〉とは、授業で教えたかったことの全体を一側面からえぐったものでしかないからである。一つの授業(コマシラバス+履修判定指標+実際の授業)には、多様な何種類もの試験問題が潜在的に含まれている。「この問題」が解けたということは、それに関わる多数の別のことも理解しているというように試験問題は存在しているからだ。「この問題」を最初から教えてしまうと、「それに関わる多数の別のこと」の理解は消え去る。それでは試験を実施する意味はない。「よい」試験問題とは、それに答えるために多数の別のことも知っていなければならない問題のことを言う。したがって、試験を試験主義的に処理してはいけない。学生の模擬試験を担当教員が評価する難しさは「それに関わる多数の別のこと」の処理が難しいということだ。
模擬試験・模擬解答発表を評価する教員は、自分自身に対する授業評価をいちばん厳しく受け止めなければいけない立場に立たされる。あまりにもずれた発表をされたときには落伍者がたくさん出ることを覚悟しなければならないが、しかしそこで教えるわけにもいかないというように。ただし、そんな不安は躓きやすいところで小テストなどを実施していれば、不断に補正できることでもある。授業(●●)を(●)行う(●●)ということは元からそういうことなのだから。最後の模擬試験・模擬解答発表はその補正の連続の集大成でしかない。
模擬試験・模擬解答発表会は、まさに最もリアルな授業評価会である。計画通り授業が実施されたかどうか、教育は効果的に機能したかの。学生アンケートで「シラバス通り授業は実施されたか」「計画通り試験は実施されたか」などの問いには学生の未熟な判断がまだまだ残るが、模擬試験・模擬解答発表会はその不備を補う機能を有している。授業計画とその実際との「差分の意識」は、この学生による模擬試験作成において、もっとも具体的に先鋭化して表れる。
③ -二 〝できる〟評価の解像度再論
実習模擬試験などでは学生自身が試験官になり、解像度が高い厳密なジャッジができるかどうかの模試をやらせればいい。教員から見て不合格のジャッジを間違えて合格ジャッジする学生がいるとすれば、教員の授業自体が不合格判定されているのとほぼ同じ事態だが、それより試験官である学生が合格と不合格とのそれぞれにどれくらいの点数差(点数の度)を保持しているのかが、実習模擬試験会(実習授業の最終回)において教員が問われることになる授業評価の内実になる。学生試験官が留意することは、実習のこの〝行動(behavior)〟において、わかっていなければならないことは何かである。行動(ビヘイビア)上は同じ(●●)であっても、わかっていなければならないことの程度は、一〇段階、二〇段階とあるだろう。それを取り出すには、「あなたは何に注意してこの行動(behavior)を取りますか?」ということになる。この時の注意点が、一〇段階、二〇段階と挙げられるかどうかが、「知的な」実習課題だ。むしろ専門学校や大学教育の実習において課題となるのは、このペーパー試験的な注意点の解像度の方だ。実際その行動が〝できる〟かどうかは実は大きな課題ではない。その〝できる〟目標が前人未踏の行動目標でもない限り。
どんなに知的でない人でも経験(●●)(実務)を経れば〝できる〟ようになることについて、時間を充分に取れない、設備にも限界のある学校教育の中でなぜわざわざ〝できる〟評価を行うのか。「頭の中でわかっているだけではダメで、実際に手が動かないと」とうそぶく実習教員もいるが、そんな授業の学生に行動の中身(●●)についてあれこれと聞くと、頭の中でわかっていることなどほとんどない。ただ〝できる〟だけ。行動に質がない教育(ルーブリック評価など)を学校教育の中でいくらやっても不毛であって、むしろ(少しくらい不器用でも)わかっている学生を作っておくことの方がはるかに大切なことなのである。行動の細目指標(質)の体系性こそが実務現場にないものなのだから。どんな職場(どんな小さな事業所)に入っても、どんなに経験主義的な上長に指導されても、そのことを相対化できる基礎能力(体系性)を有していることが文科省の言う〈自立〉した職業人の育成課題だったからである。その〈自立〉意識なしに実務主義(●●)(行動主義)の実習をやり続けることは、実務現場の使い捨て要員を育成していることを意味する。高等教育の実習教育は、〈即戦力〉人材を作ることのためにあるのではない。新卒で即戦力になるという評価を得るとすれば、それはその職場の実務偏差値が低いだけのことだからだ(※33)。
※33 二〇〇八年一二月二四日の中央教育審議会答申「学士課程教育の構築に向けて」において ― この答申は二〇〇〇年以降の文科省の答申において最も印象に残る答申である。特に二〇〇〇年をまたいで長く続いてきた大学「特色」「多様」化施策を自己反省して「多様性と標準性(●●●)との調和」(傍点は引用者)ということを言い出し始めた答申だった(この答申については最終章でも触れる)。Inter-disciplineな(=学際的な)取組にもdisciplineがなければならないというように、遠山文科大臣以降の「特色GP」取り組み(私もこの「特色GP」の審査員を長い間やらせていただいたが)に見られたハイパー・メリトクラシー傾向(語句の最後に、「コミュニケーション力」育成などの〝~力(りょく)〟が付く能力育成)の強い学際的な取り組みをdiscipline 無き取り組みと喝破したのがこの答申だったが ― 、この種の「即戦力」論は次のように言及されている。「近年、『企業は即戦力を望んでいる』という言説が広がり、学生の資格取得などの就職対策に精力を傾ける大学が目立っている。しかしながら、実際に企業の多くが望んでいることは、むしろ汎用性のある基礎的な能力であり、就職後直ちに業務の役に立つような即戦力は、主として中途採用者に対する需要であると言われる」。また2008年に専門学校の卒業生調査を行った小方直幸(当時は広島大学)は ― この調査には私も関わったが ― 次のように言っている。「職業教育でよく『即戦力』という言葉が使われますが、『即戦力』というのは基本的に『ウソ』ではないかと思います。二〇歳~二二歳あたりで即戦力だなんて、あり得ないだろうと感じています。悪く言えば、すぐ使えるけれども、それは業務が高度化していないのでその程度の力でも対応できてしまうといった意味で『即戦力』という言葉が使われている場合も多いのではないでしょうか?」(「『専門学校教育と卒業生のキャリアに関する調査』から見えてきた課題」in『キャリアエデュ』No.二六、二〇〇九年)
その意味で学生試験官が行動評価するとき、どの程度の(知的な)注意点を頭に入れてジャッジするかがその実習授業の成否をはかる鍵になる。講義であれ実習であれ、いつも「よい」授業とは何かとよく聞かれるが、それは(とりあえずは)シラバス読解とその実際の授業を経て学生の作る模擬試験(あるいは実習模擬試験官判定)が、教員が思い描いていた本試験の水準と同じものになる授業のことだ。授業に失敗していれば、甘い模擬試験(あるいは実習判定)、あるいは的外れの模擬試験しか出てこない。いずれにしても、しかしこの学生第三者評価試験では試験主義的な処理 ― 模試の内容を実際の試験内容に誘導するような ― を根本的に無くすことはできない。
二つ目の段階は、その模擬試験・模擬解答評価会(最終授業回の一部)に、学内の教職員を一名以上参加させることだ。そうすることによって、その最終回授業の試験主義をかなり軽減させることができる。第三者の教員の試験作成が運営上考えられない場合には、この二つ目の段階を実施するだけでも第三者性の効果はかなり上がる。
④ -三 第三者試験を実施することなしにはシラバス記載の凸凹は防げない
そして最後の段階が試験問題を第三者の教員が作成することだ。そのときのレフェランスが詳細なコマシラバスと詳細な履修判定指標になる。第三者の教員は実際の授業を受けずに ― 実際の授業には無関心であればあるほどいい ― 、詳細なコマシラバスと詳細な履修判定指標に基づいてのみ文献的に履修判定試験を作ることになる。「詳細な」という意味は単に文字数が多いことではなく、他の教員がそれを見て試験を作った場合、ほぼイメージ通りの試験ができあがるかどうかまで練られたコマシラバスと履修判定指標になっているかどうかだ。特に「細目レベル」などが徹底して書き込まれていないと試験の難易度にかなり影響が出ることになる。逆にそこが「詳細に」書き込まれていれば、試験問題は第三者が作成してもそれほどずれることはない。
第三者の教員が学内にいるかどうかの問題は残るが、コマシラバスと履修判定指標の本来の充実は、この授業外の第三者の試験作成者を準備するときに完成する。授業担当教員から履修判定試験の作成管理を取りあげれば、シラバス文書(履修判定指標を含む)は放っておいても「詳細化」する。シラバス記載の教員による濃淡は、その大学の教学マネジメントの程度を一番端的に示すものだが下限文字数制限をつければ解決するというものでもない。シラバスの解釈としての期末試験という立場に立って、シラバス作成と試験作成を分離するしかない。その解釈の齟齬の大小はシラバス記載の質に関わっているのだから。「こんなシラバスでは試験は作れない」ということになれば、単なる試験の正否だけではなく授業の内容も含めての評価になるに違いない。
試験作成(と採点管理) ― もちろん最終の履修判定権=単位認定権は担当教員が有している ― は、元から教員がやる必要などないのかもしれない。教員は授業計画(履修判定指標の作成や教材開発を伴う)と授業そのものに集中できる体制を取った方がいいのではないか。「単位認定権」が担当教員にあることは言うまでもないが、その権利の強弱は授業計画の中身とそれに基づいて行う授業の実態のそれぞれと相関している。その相関性を吟味することが担当教員の単位認定権の在り方であってもいいのではないか。学生の点教は教員の点数でもある。試験点数こそがその意味で「双務的」なのだから、単位認定権の在り方ももっともっと多面的に検討される必要がある(※34)。もちろんこの第三者の教員が学内にいる可能性は低いかもしれないが ― しかし厳密なカリキュラム体系(諸科目の詳細なナンバリング体制)が存在しているとすれば、その科目の次の科目担当者が試験を作成するのがもっともまともな作り方だとは思うが ― 、大学ネットワーク、大学地域連携、あるいは大学院のオーバードクターなどを組織してやればやれないこともない。
※34 大阪高裁の平成二八年の判決(確定された判決)でも、教員の単位認定権(「成績評価を行う権利」と、この判決文では言われているが)は「専門の研究結果を教授することの不可欠な要素を構成するものとまではいえず、教授に伴って付随的に生ずるものというべきである」(「判例時報」判例時報社、No.二三三五)とされている。
大学には、たくさんの非常勤講師が出入りしている。試験作成非常勤(授業は主業務としてはやらずに試験作成だけを行う教員、つまりコマシラバス+履修判定指標をひたすら文献批評する教員)を公募して試験作成させるというのも一つのやり方かもしれない。もちろんその作成をそのまま鵜呑みにして実施するわけにはいかないだろう。授業担当教員がその試験をみて(試験後でも、試験前でも)、どんなズレを表明するのかをきちんと文書記録していけば、それがもっともまともなFD文書になるだろう。いずれにしてもそういった第三者試験の実施と評価を管理する〈試験センター〉こそ、教学組織の要(かなめ)になるに違いない。
現在の大学は、履修判定試験の質的な管理に関心が薄すぎる。だからこそ、「アセスメント・ポリシー」も問われることになった。「カリキュラム改革」などいくら重ねても、肝心の履修判定試験の内実を保持する仕組みが用意されていなければ広報上のカリキュラム改革にしかならない。バケツの底に穴が空いたまま水を入れ続けているようなカリキュラム(と授業)を思案しても大学教育の展望は見えない。もちろんそんな〝無責任〟な試験作成をして学生が大量不合格したらどうするのかという懸念(●●)も出てくるだろうが、素点処理(●●)を終えた試験成績表を提出する ― 実点数(=素点)が四〇点であっても、最高点が六〇点しか取れていない分布の試験を実施した場合などに、その教員が素点四〇点の学生に下駄を履かせて合格を付けるようなことを〝素点処理〟と言う ― 大学教員の方がよほど(試験作成に関して)無責任だとも言える。素点処理をやっている教員の「単位認定権」も、すでに自分自身の中で他者化し二重化しているのだ。このような二重化を許す限り ― 「観点別評価」もこの二重化に手を貸しているが ― 、「アセスメント・ポリシー」も宙に浮き、なによりGPAの標準化も進まない。
第三者が作った試験の「素点」処理はあり得ても、自分がシラバスを計画し実際の授業もやり、学生と一五週(九〇分×一五回)に渡って付き合った教員が素点処理するというのもおかしなことなのだ。素点処理はその教員自らが試験作成のノウハウがないか、授業に失敗したことの隠蔽に過ぎない。いずれにしてもこの「第三者の教員」による試験というのは、当面理念(●●)にとどまる。教員は、自分が書いたコマシラバスと履修判定指標を第三者の教員(同じ分野の)が読み込んで試験を作成するとすれば自分が作ろうとしている試験と同質で同程度のものができるだろうかと自問すべきなのだ。それをたえずシミュレーションしながら書き込んでいけば、「詳細化」は質を有した詳細化になる。なによりそれは、学生を教育(●●)することの実質に応える授業計画(コマシラバス作成+履修判定指標作成)になっていると言える。
従来、シラバスが「学習支援」シラバスというように学生向けサービス(●●●●)でしかないことが、シラバスの詳細性の凸凹の要因になっていた。そうなるのは、計画と実施とその評価(試験)の三要素がすべて同じ教員によって担われているからだ。それらを一人で厳粛にやれる者が大学教員(研究者としての教員)ではないかと言われればその通りであるが、そのときだけ理想論(理念)を唱えるわけにもいかない。入学試験さえ自分たちで作ることができず業者に任せる大学もある中で、「多様な学生」の時代には多様な(●●●)教員がいることを忘れてはいけない。
③-四 科目数の削減と必修科目の拡大 ― 五年後にできること
シラバスの詳細化の課題は、苅谷剛彦も言うように(前掲書『アメリカの大学・ニッポンの大学』)、日本の大学における科目数の多さの問題とからんでいる。たとえば、週持ちコマ数六コマ(九〇分授業を週六回担当する状態)の教員がいるとする。その六コマのすべてが別の科目である場合と、たとえば三科目×二コマの場合(同じ授業を別クラスでくり返すか、一科目が二コマ連続で実施されるか、など)だと教員の負担感(●●●)は前者の方がはるかに多い。週に六回別々の質を持った教材作成を余儀なくされるからだ。その分、シラバス=コマシラバス記載の集中力も相対的に落ちることになる。問題は持ちコマ数の負担ではなくて、科目数の負担なのだ。六コマ一科目と六コマ六科目では、前者のシラバス精度ははるかに上がることになる。逆に六コマ六科目では概要しか書けない。書く気も起こらない。もちろん、これは学生側にとっても同じ問題だ。週に一〇~一五科目以上も(特に初年次)履修科目を登録すると、まともな予復習などほとんどできない。教員が集中できないのに学生が集中などできるはずがない。しかも大綱化以降、バイキングメニューのように選択科目が増えた今日の大学のカリキュラムでは、教員も学生も自分たちが何に向かって教えているのか、学習しているのかさっぱりわからない状況が続いている。
一二四単位以上が日本の大学の卒業要件最小単位数だが、たとえば二単位(九〇分×一五回)の講義科目でその要件を満たすとすれば、六二科目をコントロールしなければならない。しかし科目数を減らして、四単位(二コマ連続か、週に二コマ開講)でそれらを展開すれば、コントロールすべき科目は四年間で三一科目に減る。実習などはもともと二コマ連続のものも多いが、肝心の講義の集中感がないようでは、大学らしい知性に基づいた実習体系にもならない。実習は寝ないが講義は寝るというのも、手を動かすか、机上に張り付いたままかの動作の違いではなくて、授業時間の組み立て(二コマ以上の連続授業か、単発一コマか)の問題の方が大きいのかもしれない。
もちろん二コマ連続の講義と言っても、従来型の講義をただ外面的に二コマ連続となるように足しただけでは弊害も多い。一コマ目はINPUT中心型の授業を行い、二コマ目にはOUTPUT型の授業(質問や議論、小テストを織り交ぜて学生の理解を固めつつ先へのステップを準備するような)を組み込むなどの工夫が要るが、そのためには内容を厳選して「あれもこれも」型の授業計画を避ける必要がある。このような科目の厳選、内容の厳選を積み重ねれば、シラバスへの集中度はかなり上がってくる。そして科目数が半減すれば、そこではじめて〈カリキュラム〉を組むことが可能になる。少なくとも一〇〇科目以上もある科目群を放置して、〈カリキュラム〉など組めるはずがない。仮に組めたとしても一〇〇科目以上の科目仕上がりをコントロールすることなど不可能だ。
科目数の削減に加えてもう一つの前提は、必修科目を増やすこと。五〇単位~八〇単位の必修科目がないと「多様な学生」を「標準性」(「学士課程教育の構築に向けて」中央教育審議会答申、二〇〇八年)をクリアして卒業させることなどできない(※35)。
※35 「標準性」の問題は、中曽根臨教審以降のへの反省から来ている、と思っていい。市川昭午は、「個性重視(多様性)の教育」について、それが「受容される理由」を四つ(思い付きのような書き方で)あげている。
一つは「子供たちが楽になる。…内容が難しい科目は履修しなくてもよくなる…無理に学校に行かなくてもよくなる…嫌なことを強いられることはなくなる」。
二つ目には「学校やコースを選択する自由が拡大する…好きな教育をする自由、受ける自由が期待できる」。
三つ目には「評価基準がなくなれば偏差値も使えなくなる…到達目標がなくなるわけだから、教育水準の維持や教育目標の達成ができないからといって責任を追及されることもなくなる…教職員は生徒に学業を達成させる責任を解除されるし、生徒も目標達成のための努力を要求されなくなる」。
四つ目に「個性主義ということになれば、学校への入学資格や資格卒業というのは事実上存在しなくなる。従来の基準であれば到底入学を認めることができないような資質・能力の者でも入学させることができるようになる。これは、青少年人口の減少に伴って入学者の確保に苦しむ学校関係者にとっては救いである」(『未来形の教育』教育開発研究所、二〇〇〇年)。そして、「学校教育の形骸化・空洞化がいっそう進展する」。その結果、「社会に出てから、最低限の学力さえ身につけることなしに学校から放り出されたことに気づくことになる…個性では飯が食えないことがわかってくる…個性主義というと大変聞こえはいいが、しばしば学校が一定水準確保の責任を放棄した無責任体制である場合も少なくない…学校教育と個性主義は本来あい容れぬところがある」(同前)。市川は、この「一定水準」のことを「ディシプリン(学問と規律)」とも言っているが、これが「学士課程教育の構築に向けて」答申で言う「標準性」のことである。この担保なしには学校教育は「崩壊」するしかない。シラバス反対派が好きな「観点別評価」「演習」「アクティブ・ラーニング」などの原則は個性重視、多様性重視であり(だからといって何かその趣旨にそった工夫がなされているわけでもないのだが、私にとってはそれらは「手抜き」授業にしか見えない)、「シラバスには書けない」授業になっている分、「ディシプリン(学問と規律)」と「標準性」が雲散霧消している。必修集中とシラバス集中は、「ディシプリン(学問と規律)」と「標準性」との担保なのである。
必修科目を大学が減らしたいのは、落伍学生の苦情を受け付けたくないことと無関係ではない。選択科目だらけにしておけば、どんなに単位認定権を振りかざして教授が横暴であっても一方で緩い判定の授業もたくさんあるため単位取得に障害はなくなり、苦情はいつの間にか消えていくからである。大学が選択科目を増やすことは、なにも学生サービスや広報上のことばかりなのではない。科目管理ができないのに必修科目を増やすわけにはいかないからだ。しかし必修科目が二〇単位もない今日の大学(特に私立大学)の現状においては、カリキュラムが存在する余地などない。「多様な科目から場当たり的な選択がなされる、あるいは中核となる科目の位置付けが曖昧であるならば、学生の学びは、狭く偏るか、逆に散漫になり、学生の到達すべき学習成果として想定していたものは達成されない」と、「学士課程教育の構築に向けて」答申(同前)が言うとおりである。
そのためにこそ、二コマ連続や一日一科目(たとえば午前中二コマ+午後一コマ、あるいはその逆)のような講義科目の「多様な」展開が必要になる。ここで「多様な」というのは、INPUTとOUTPUTとの多様な組み合わせということだ。「学士課程教育の構築に向けて」答申もすでに科目数の削減という提案(※36)をしていたが、その一方で「多様な」授業の展開にも言及していた。逆に「多様な」授業は、科目数削減なしにはやれないからだ。九〇分一コマの授業で「多様な授業」をやると即興脳力(●●●●)だけが問われるようなグループワーキングとかグループディスカッションとか、頭を動かさない「アクティブ」型の講義だらけになってしまう。これらの授業のコマシラバスはその分空欄だらけのものが多い。シラバスの空疎はその授業の空疎と同じものだ。学生にワークさせて、教員は適当なコメントをくり返すだけの授業になっている。「学習者中心の学びStudent-centered Learning」の実態である。
※36 何度も言及している先の中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」では、「各科目の授業時間内及び事前・事後の学習の充実の観点から、各セメスターで履修する科目の数・種類が過多とならないようにする」として、「例えば、細分化された二単位科目(週一回開講)を多数履修する在り方を見直し、三単位又は四単位科目(間に休憩を入れた二コマ続きの授業又は週複数回開講する授業)を標準形態とする。科目登録等に際し、各学生の実情に応じて登録の適否等に関する履修指導を積極的に行う」という提案がなされている。まともな提案だと思う。こういう議論をすると大学内では、「熱心な教員の二コマ連続授業、三コマ連続授業ならいいが、不熱心な教員の連続授業は学生に負担がかかりすぎる」という意見が必ず出てくるが、そういうことがわかるだけでも一歩前進だと私は思う。三コマ目には誰もいなくなれば三コマ連続授業の出席率推移をみているだけでもFDになるのだから。
またもう一つの意見は、三コマ連続授業だと一回(一日)休むと三コマ分欠席となり、その内容を埋めるのが難しくなるというもの。しかし一コマ授業で話しっぱなしの一方通行授業をやり続けて欠席(計画的な欠席)を誘発する授業を放置するよりは、科目への集中度を増し「多様な」授業方法を組み込むことの方が欠席率対策には効果的ではないのか。それにたとえ欠席があったとしても(就職活動による欠席集中の場合も含めて)、科目数全体が減っているのだから三コマを埋める補習もやりやすくなるに違いない。学生の期毎の集中度を増し、出席率を上げること、さらには、教員の授業準備への集中度を上げることが科目数削減の目的なのだから、一コマの持つ意味も変わってくる。従来の一コマを単純に二連続させたり三連続させたりするわけでもないのだから ― そもそもそうあってはいけない ― 、欠席が三倍になるという憂慮は本末転倒の憂慮でしかない。ついでに言えば、「授業の進行が早すぎて大変だ」というのも、内容を厳選せず、一+一=二みたいな二コマ授業をやっているだけのこと。年間で四単位だった授業(前期週一コマ×一五回=二単位の授業と後期週一コマ×一五回の授業=二単位の授業)を前期(あるいは後期)に集中して二コマ連続授業にするような外面的な処理をやると集中講義の亜種に過ぎないため、「授業の進行が早すぎて大変だ」といったわけの分からない苦情が出てくる。二コマ連続でやると一コマでしかできない授業の場合と違って何ができるのかの検討なしに二コマ連続授業を増やしても意味はない。しかしこのようなくだらない苦情であってさえ、一コマ科目授業がたくさんあるよりははるかにましだ。教員にとっても学生にとっても。
「多様な」授業という意味は、INPUT型授業(従来の講義型授業)にはOUTPUT要素を、OUTPUT型授業(従来の演習型授業)にはINPUT要素を取り込めということだ。どちらの授業にも求められていることは、授業内容の定着ということ。そのためにこそ、科目数は削減されねばならない。私の経験では、科目数が四年間で三〇科目以下になれば(たとえば、二時間連続授業での四単位必修科目が二〇科目として)、本格的なカリキュラム構築が可能になる。科目数が厳選されると、シラバスの内容(履修判定指標や試験の在り方を含む)についての、学内外の注目度や共有度も上がることになるからだ。なにより、教員自身のシラバスへの集中度も上がる。苅谷剛彦は、日本においてシラバス作成が難しいのは科目数の多さにもあると言っていたが(前掲書『アメリカの大学・ニッポンの大学』)、その通りのことだ。そもそも一週間の科目数が半減するだけで、学生による授業評価はいまよりももっと厳しいものになるに違いない。このような注目度と共有度が上がっていけば、期末試験の在り方や単位認定権の在り方も、試験センター構想(第三者試験構想)の手前でかなり改善していくかもしれない。
④ 「それでもシラバスは詳細化する意味がない」という教員のために
④-一 〈理解〉のない単調な暗記指導がますます〝できない〟学生を作る
シラバスを詳細化しようという話をしているとこんな教員によく出会う。「今時の学生たちは、文章が少しでも長いと全く目を向けようとしない」「そもそも詳細なシラバスを書き込んでも、その文章を理解することさえできない」というものだ。「ではそんなあなたはどんな授業やっているの?」と聞くと、「簡単ですよ。教科書をひたすら書かせます」とのこと。「では、書道みたいな授業をやっているのね」「まあそんなものかな。書かせないと覚えませんから」とのこと。またそれとは別に教科書を読み上げさせる教員もいる。その場合には「せめて読み上げさせるくらいのことをしないと学生たちは寝ますから」とのこと。
この種の教員についていくつか指摘しておかなければならない。まずは「教科書」でわかるくらいなら誰も苦労しないこと。それに大学教員であれば、どんな教科書の記述にも満足できないはず。「こんな書き方ではわからない」「解説が間違っている」「私ならこんなふうには書かない」と言えるのが大学教員の矜持。その意味で、教科書(教科書程度)を読んでも「わからない」という事態は、学生の基礎学力のせいにするより、教科書の著者のせいにした方がいい。学生の偏差値の上下にかかわらず。そもそも既成の教科書でわからなかった学生たち(「多様な」学生)を受け入れている大学も多い中で、既存の教科書を中心にした授業を行うということになれば学生たちもなんのために大学に進んだのか意味のないことになる。もちろん教員自身が書き下ろした教科書ならまだしもだが、自分の受講学生しか買わない「教科書」も世の中にはたくさん〝出版〟されていることもあって、大学における教科書使用は色々と問題が多い。
二つ目。仮にまともな教科書であっても、「今日は一〇頁から二〇頁までやります」と言ったところで、その一一頁全体の解説(メタ情報)が必ず必要になるに違いない。授業とは、どんなに詳細な教科書や豊富な教材であっても、教員が無口なままでは授業にならない。そして教員の〈話すこと〉は、すべてそれらの書かれたもの(教科書や教材資料)「についての」トークになる。つまり教員のトークとは、どんなときでもメタトークなのである。それはどんなに資料を用意しても板書が必要な場合があるのと同じこと。〈板書〉もルーティン情報を書くところではなくて、メタ情報を書く場所でしかない。だとすると、たとえわかりきった教科書に書いてあることを話すにしても、同じ一〇頁を読み込んでその感想をまとめても十人十色。ポイントの置き方も、読み込みの深さも、一つ一つの言葉の理解についても十人十色。学生同士一〇人でも十人十色だが、その中に一人教員が入ったらもっと違う話が展開するだろう。教員が一〇人その同じ一〇頁を読んだら、その差異はもっと大きくなるかもしれない。要するに、教科書は誰が教えても教科書だということなどあり得ない。言ってみれば、教科書もまたPowerPointのスライドに書き綴られた言葉のように、今から解きほぐされる言葉の羅列でしかない。特に授業の中においてはそうだ。
教科書だけで授業がわかるようであれば誰も苦労しないし、「資格対策」だからといって(メタ情報なしに)「暗記しろ」というのも、大学の授業としては芸のない話だ。予備校の日本史の授業でさえ、「暗記しろ」なんてバカなことを言う教員はいないし、まして書道みたいな授業はやらない。〝暗記〟という素朴な学習方法では、大学受験くらいになると〝情報量〟が膨大になってたくさんのことを覚えることなどできないからだ。まずは事柄を〈理解〉させること ― 日本史の〈理解〉とは日本史の流れ(●●)を掴むことだろうし、英語では文法や語源の少しばかりは専門的な〈理解〉のことだろう ― なしには、暗記の効率さえも上がりはしない。こういうときに、〈流れ〉もまた〈暗記〉だろうと言い出す人がいるにはいるが、もはやよほど貧相な教員にしか教わったことがない教員なのだろうと憐れにさえ見えてくる。(※37)
※37 ついでに言って置くが〈暗記〉なんてコンピュータの方が得意だから、これからの時代には〈暗記〉や〈知識(の詰め込み)〉など重要ではなく、「主体性」「創造性」「人間的な感性」などを磨くことだと言ってセンター入試を廃止し、人物評価入試を用意した文科大臣がいたが、それを言うのなら、泥棒も主体的、創造的に感性を磨きながら泥棒をしているのであって、これらのハイパー・メリトクラシー能力は、それ自体では学校教育の目標になどできない。そもそも〈暗記〉はコンピュータの方が得意だからやらせても意味がないと言うのなら、一〇〇メートル走るのも車の方がはるかに速い。にもかかわらず、一〇〇メートルを一〇秒切ることに世界中のひとたちがみんな関心を持っている。それはその〝性能〟自体に関心があるのではなくて、その性能自体を出すことに至る「主体性」「創造性」「人間的な感性」に関心を持っているからだ。〈人間〉は自ら機械を真似たり植物や動物を真似たり円周率を何千桁も覚えたりもする。それらはすべて〝性能〟の問題ではない。〈暗記〉も ― 暗記さえも ― 暗記の仕方や何を暗記するのかという選択性の中に、「主体性」、「創造性」、「人間的な感性」がたえず機能している。「暗記」の外に「主体性」、「創造性」、「人間的な感性」があるわけではない。たぶん、この文科大臣は、暗記と「主体性」「創造性」「人間的な感性」を対立させることによって、逆に〈人間〉を〝性能〟主義的に、つまり機械的に(●●●●)理解しているわけだ。
さらに〈知識〉データベース論について言えば、たとえば必要に応じてその知識を〈検索〉利用する知識利用と、それなしにその知識を身につけている人との違いを考える必要がある。一人の人間が知識を「たくさん」有しているということとデータベースにはさらに「たくさん」の知識が存在しているということとは別のことである。データベースには知識に伴う〈人格〉(あるいは歴代の文科大臣が好きな〈個性〉)がない。もちろん特定の個性を予想した知識の在り方をその都度データベースは構成することができるだろうが ― その意味ではAIデータベースは万人をシミュレートできるだろうし、そしてそのシミュレートは、チューリング・テストやジョン・サールの「中国語の部屋」的には実際の人間と区別できないかもしれないが ― 、一人の人間が、検索なしに知識のある人(●●●●)を〈尊敬〉するのは、それだけの知識を一人の(●●●)人間が得ることに至る〈コンピテンシー〉や〈ハビトゥス〉 ― 「ハビトゥス」という言葉自体はアリストテレスの、「態度」や「姿勢」を意味する「ヘクシス(hexis)」がスコラ哲学でラテン語に翻案された言葉だが、ここでは後述するブルデューの概念として使っている ― を背後に感じるからである。その意味で人間は、AIデータベースに〈感謝〉する ― 「便利だ」と言って感謝する(●●●●) ―ことはあっても〈尊敬〉することはない。AIデータベースにその種の背後はないからだ。あったとしてもそれらを作ったアーキテクトの背後性にすぎない。だとすると、AIデータベースもいくら万人をシミュレーションすることができるにしてもそういう一人の人間に過ぎないということでしかない。人間の、AIに対する尊厳の本質は、欠如(●●) ― ハイデガーなら〈有限性(Endlichkeit)〉とでも言うのだろうが ― から生じるのであって、万能性とは何の関係もない。教育における教員と学生との関係を形成する〈尊敬〉 ― 学生の教員への〈尊敬〉 ― は、教員の知識量(●)それ自体が形成しているものではなくて、知識の背後(●●)(メタ機能)に関わっている。個体に結びつかない知識は意味がないのだ。特に〈教育〉においては。学校とは〈知識〉に出会う場処ではなくて、尊敬できる〈教師〉に出会う場処であったのだから。学校教育以後に出会う先輩諸氏は、すべて学校における恩師の影みたいなものだ。
たとえば私事に渡って恐縮だが、私の場合、高校時代の松本純先生、塩見甚吾先生、大学・大学院時代の永坂田津子先生、岩波哲男先生、高橋允昭先生、伴博先生、川原栄峰先生と言った人たちが恩師に当たる人だが ― 先生たち、勝手に名指してスミマセン ― 、これらの方々と、私が知識としてもつ「吉本隆明」「ベケット」「ヘーゲル」「カント」「ハイデガー」「デリダ」たちとの関係は不即不離の関係をなしている。どちらが原因と結果というわけではないように、これらは「構造化する構造(structures structurantes)」(ブルデュー)として、あるいは知識の「ハビトゥス」として存在している。つまりブルデューの「構造」や「ハビトゥス」はそれ自体「有限性」に刻印されている(この点でブルデューのハイデガー論『ハイデガーの政治的存在論』は全く見当違いなものになっている)。AIデータベースにはこの「有限性(Endlichkeit)」や「非性(Nichtigkeit)」 ― いずれもハイデガー『存在と時間』のキーワードより ― が決定的に欠けているのである。
一方、ブルデューは、「社会的出自を否定する論理に基づいて機能しながら、社会的分類選別を実現してしまう」支配者のふるまいを指摘する(『国家貴族(Ⅰ)』藤原書店、二〇一二年)。「学校評価を表現し実践の中でそれを構造化している評価用語は、支配者の評価用語を無色化し見分けがつかなくなるような形式、すなわち表現が婉曲になった形式をとる」(同前)。彼らは「被支配者」(「大衆」)には「自主性の欠如」などといった「婉曲」表現を使う、とブルデューは言う。たしかに「主体性」「創造性」「人間的な感性」などは「無色化」された「評価用語」でありその意味で誰も反対しない評価用語だが、それは下位階層を「構造化」する言葉なのである。
たとえば私事に渡って恐縮だが、私のほぼ五〇年前の高校英語(研究社の悪名高き『英和中辞典』が跋扈していた時代)では、「rememberが目的語にto不定詞(の名詞用法)を取ったら、「これからやるべきこと」を覚えている。rememberが目的語に~ingの動名詞を取ったら、「すでにやったこと」を覚えているということ。「rememberは、to不定詞を取る場合と動名詞を取る場合とでは意味が異なるからちゃんと覚えておいて(●●●●●●)ください」としか言われてこなかった(地方の公立高校で進学校ではあったが)。この指導方法だと実際の試験においては暗記でしか覚えていないため、両者の意味が逆になって解答を間違ったりする場合も多くなる。
しかし良質な辞書や良質な参考書のおかげで、今時こんな教え方をする英語授業は存在しない。この用法はrememberという動詞の用法の問題ではなく、remember が取る目的語がto不定詞であるか、動名詞であるか、それらの理解と関わっている。toは基本的に方向や未来やその意味で仮定を示す前置詞だから、そもそもが未来のことを志向している。動名詞はそもそもが名詞だから、既にあるものにしか名前は付かない。名詞の時間性は既在、過去である。ハイデガーは「無はある」とまで言い換えているくらいだ。そこを〈理解〉させておけば、この両者(remember to~とremember ~ing)を間違うことはない。半世紀前の高校の「書き換え」問題では、「百聞は一見に如かず」Seeing is believing.をTo see is to believe.と書き換えると正解になっていたが(正解なはずがない)、これも厳密には、後者は「見ると信じてしまいそう」という感じが出てくる。ついでに前者の動名詞文を訳せば「見てしまえば、信じてしまう」だろうか。
このレベルも「暗記だ」という教員に学ぶ高校生は覚えることが膨大になってしまって、itさえも「天候のit」「時間のit」「代名詞のit」とか言うようにたくさんの〝意味〟を覚えなくてはいけないことになる。toも前置詞の他に、名詞用法、形容詞方法、副詞用法があるというように。中学英語で最初に出てくる冠詞の意味などもいまだに単数のaと複数の~sという対立で教えている教員がいるが、a(不定冠詞)が対立しているのは定冠詞のtheだということをちゃんと教えておかないと、英文読解に限界が来るのは目に見えている。代名詞のheも「彼」ではなくて、(敢えて訳せば)「その彼」だ。heが単独の名詞(たとえばa man)を受けるなんてことはありえない。雪が積もっていくように意味が重層的に変容していくのが代名詞のheの意味だ。これもまた代名詞とは何かの理解に関わっている。
つまり、「記憶」がすべてという教員に教わる高校生(あるいは大学生)は、まともな教員が教える授業よりははるかに単調でかつ記憶負担の高い授業を受け続けることになる。そうやって〝できない〟学生はますます勉強嫌いになっていく。それは当然のことだ。名門校の学生は「頭がいい」のではなくて、「頭がいい」教員に教えてきてもらったから「頭がいい」だけのこと。その逆ではない。百歩譲って「頭がいい」のが教員のせいではないのだとしたら、家庭の文化性によって育まれたものに過ぎない。
大学に入学してくる〝できない〟学生たちは、中等教育までの暗記教育の犠牲者(特には「〝できない〟学生」と一括される学生たち)なのだから(※38)、大学の教員はその専門性の高さをフルに駆使して〈理解〉を中心にした教育を行う義務があると私は思う。to不定詞や定冠詞だけで一科目二単位授業(九〇分×一五回)をやれるのが大学教員 ― itなら四単位(九〇分×三〇回)の授業もやれるかもしれない ― なのだから。英語の嫌いな学生も、「暗記しろ」という高校までの授業と違う文法の授業を受けて英語を好きになるに違いない。まともな文法教育をやれば、勇気と馴れだけのくだらない英会話教育よりも実践的な英語教育になる(※39)。
※38 垂見裕子は、PISAで調査されている学習方略が三つある(〈記憶方略〉 ― たとえば教科書に書かれてあることをすべて記憶するというような方略 ― 、〈精緻化方略〉 ― 新しい情報を既知の知識や経験と結びつけて考える方略、〈制御方略〉 ― 自分の学習目的を達成するために学んだことを整理し、自分が何を学ばなければならないかを明確にする方略)として、以下のようにまとめている。「記憶方略はわずかな効果しか見られないのに対し、制御方略は大きな学習効果があることがわかりました(垂見は調査結果の数値データを図示して「わかりました」と言っているがここでは省略しておく。ネットで検索しても出てくるようなので関心のある方はそちらを見られたい― 引用者註)。また、学習方略の使用に家庭的背景の影響があるか分析したところ、記憶方略においては上位層と下位層の子どもの使用はわずかな差ですが、制御方略においては上位層と下位層の子どもの使用に大きな差があるということがわかりました。(…)これらデータをより詳細に分析すると、家庭的背景が学力に及ぼす影響のうち、三〇%が学習方略の使用によることがわかりました。つまり階層によって学力差が生じるのは、上位層では制御方略の使用が高く、下位層では制御方略の使用が低いことによって一部説明されるということです。さらに上位層と下位層では学習方略の効果が異なるという結果が出ました。実際に制御方略をあまり使わない上位層と下位層の学力テストの差は六〇点にも及ぶのに対し、制御方略を多く使っている上位層と下位層の差は三〇点以下になります。これは、家庭的背景の恵まれた層では、制御方略をあまり使用しなくても学力が保証されている一方、家庭的背景の恵まれない層では、学習方略の有無により学力が形成されるということです。言葉を変えれば、制御方略の獲得により学力格差が小さくなることを示唆しています」(「PISAから日本の学力格差をみる―家庭的背景・学習方略を中心に― 」早稲田大学高等研究所、二〇一二年)。「家庭的背景の恵まれない」「下位層」は「記憶方略」によってますます学力向上の芽を摘み取られているのである。「学習方略」の何を選ぶかは「下位層」にこそ有意味だということだ。
※39 冠詞や不定詞や代名詞を単独で掘り下げても、「それだけでは英語がわかったことにはならない」という人もいるだろうが、これらのどれか一つだけでも掘り下げれば、ジグソーパズルの埋まった数は少ないかもしれないがそれが何の絵であるかくらいはわかるようになる。私は「コンピテンシー」論には何の期待もしていないが、英語コンピテンシーというものがもしあるとすれば、冠詞や代名詞を深く掘り下げて頁内の英語文の〈絵〉が見えてくる瞬間が〈知識〉と〈コンピテンシー〉が一致する瞬間だと思う。下手な中学英語を最初の頁から始めて行くより、「冠詞とは何か」を二単位授業(九〇分×一五回)でやる方がはるかに効果的だ。もともとは一九七〇年代のアメリカで政府機関の人材登用に用いられたのが「コンピテンシー」評価らしいが、小方直幸によれば、「知識・技能」を文脈に依存して「運用」する能力だという(「コンピテンシーは大学教育を変えるか」in『高等教育研究』第四集、二〇〇一年)。しかし深い知識 ― 一つ一つの単語、そして一行、一行の意味を長い時間をかけて究明していくという知識の在り方に関わる深い(●●)知識 ― は、それ自体において「運用」そのものを含んでいる。大学の〈知識〉とはそういうものだ。
以前、新学科の文科省への設置申請において「英語」科目のシラバスが中学校英語の内容にとどまっており「不適切」と文科省に断定された大学があったが、それは「一般動詞と三単現のS」などと月並みな動詞論に終始した内容をシラバスに記載していたからだ。まさに直接的に中学校英語を〝くり返す〟体(てい)のシラバスになっていたのである。これではたしかに大学英語ではない。文科省がそう断定するのは、基礎英語をやるなということではなくて〈基礎〉教育にも大学の教員らしい教え方があるはずということだ。「語学とは記憶だ」というような教員に偏差値四〇の学生は教えられない。むしろそれは教員自体が教育偏差値四〇以下なのだ。
数年前に亡くなった吉本隆明が言っていたことだが、算数嫌いを無くそうと思えば、大学を引退した数学の名誉教授が「かけ算とは何か」「割り算とは何か」などを地域の小学校に教えにいけばいい、と。たしかに小学校で算数や数学が得意な先生はそんなにはいないのだ。〈理解〉を先行させないまま、九九の暗記を強要しても辛い子どもには辛い。要するに、〈理解〉を先行させることはE.マッハふうに言えば「学習の経済」なのである。そして〈理解〉とはメタ情報を与え続けることである。〈理解〉が先行しない〈記憶〉を〈暗記〉というが、それでは結果として暗記できる情報量は極小化し、学習の効果も上がらない。そうやって〝できる〟学生との差はどんどん広がっていく。
④-二 〈答え〉もまたメタトークを必要としている ― どんな〝詳細な〟教材資料も授業の終点にはならない
できあいの教科書にしろ、教材にしろ、いずれにしてもそれらは「詳細な」コマシラバス(=「コマシラバス」、「時間型シラバス」)よりははるかに「詳細」なわけだ。コマシラバスを「〝詳細〟に過ぎる」と言うのは、従来のシラバス(三行くらいの概要コマシラバス)に比べて「詳細」なだけのこと。そのことを、「詳細な」ものは「今どきの学生は読まない、読めない」と言うのなら、教科書も教材・資料も今となっては何の役にも立たないと言っているのと同じことになる。つまり適当な思い付きのトークをくり返して、今日の授業の目標については教科書の頁数くらいを反芻するだけの目標意識のない教員だということになる。コマシラバスは「暗記」の対象ではない。
コマシラバスさえ「〝詳細〟に過ぎる」と言う教員は、自分が話し続けて口にする言葉の膨大な数について無神経な人たちなのだ。教員が九〇分授業で語る言葉の文字数はだいたい二五〇〇〇字から三〇〇〇〇字、A4紙で二〇枚以上の分量になる。もしシラバス程度の文字数を多すぎるというのなら、そんな分量のトークの言葉を学生はどうやって処理しているというのだろう。それとは別にもちろん教科書や教材・資料の言葉もまた存在することになる膨大な言葉の中で〈何を〉学ばなければならないと学生たちは判断するのだろうか。
結局、コマシラバスを「〝詳細〟に過ぎる」として、そんなものは学生が授業を理解する手立てにはならないという教員は、「今日の授業」は、教科書を使おうが、教材・資料を使おうが、「(少なくとも)これとこれとをわからせて授業を終える」という目的意識の希薄な人たちなのだと思う。通常の教科書や教材・資料などは、どこにもその〈目的〉というものは書き記されていない。それらはすべて教育目標の〈手段〉にすぎない。そしてその一方で〈目的〉を詳細に記したものがコマシラバスである。〈目的〉も教科書や教材・資料からすればメタ情報の一種だ。
シラバスの「詳細」度は、教員の教育目標&学生の学習目標の「詳細」度である。それを「詳細」に書いても学生は読まないし、読めない、わからない、というのは、学生に向かって目標を提示できない授業ということになる。「読まないし、読めない、わからない」ということがもしあるとしたら(授業の前にそういうことはありうるかもしれないが)、授業の後には(●●●●●●)わかるようになっていなければならない。それが、教員が「授業を行った」、学生が「授業に出席した」ということの意味(●●)だ。
たしかに目的を詳細に書くとかえって曖昧になるということはあるかもしれないが、主題を示し、主題を細目化しても、この二つは全体で五〇字もない。だらだらと三行くらい書いてある概要型のコマシラバスよりははるかに短いものだ。授業目標を記載する長さとしてはむしろ簡潔な方だ。「細目レベル」は一つの主題に付きおおよそ一〇〇文字~二〇〇文字くらいだが、これらは目的の解説(メタ情報)であって、一〇〇文字~二〇〇文字で解説が長いとしたら目的の程度が低いだけのことだ。大学教員ならもっと書きたがってもおかしくはない。コマシラバス書式の諸項目は簡潔性と詳細性をこのように構造化しているために、「今日の授業は教科書一〇頁~二〇頁をやります」というよりははるかに〈理解〉に貢献するシラバスになっている。
一方、潮木守一は「最近では『わかりやすい授業』とは『勉強しなくてもわかる授業』、『予習しなくてもわかる授業』、『先生が答えを教えてくれる授業』になってきている…人間が長年にわたって学問にかけてきた努力と情熱を真っ向から否定している」という「ベテラン高校教師」の言葉を報告している(前掲書『大学再生の具体像(第二版)』)。しかし、これはためにする批判のような気がする。板書論のところでも書いたが(二章五節)、授業という場所はどんなに資料(シラバスを含めて)を「詳細」化してもメタ情報 ― それ「について」語るというように ― が絶えず発生する場所である。詳細化の度合いは、そのメタ情報の質をどんどん高めてくれる。詳細に書き出した内容(の水準)を踏まえて(●●●●)メタ化が発生するからである(※40)。詳細化すればするほどメタ情報は高度化する。書物、教科書、文献、教材資料、あるいは実習設備など、それらがどんなに教場を満たしてもそれら「について」語る教員のメタトークは存在する。たとえ「答えを教えて」もそれについてのメタトークは存在する。「答え」は終わり(●●●)を意味しはしない。教場はもともとがメタトークの場所なのだから(※41)。
それでも「詳細すぎる」という教員がいるとすれば、肝心な事はすべてトークに任せるという、中世の教養エリートに対してのような「口頭の伝達に依存する」授業 ― 印刷技術誕生以前の ― を行う教員だということになる。二〇〇文字でも「詳細過ぎて」難しいという学生にトークと板書だけでわかる授業をやれる大学があるとすれば、その学生たちは逆に偏差値七〇は超えていなければならない。逆にノートを取ることの天才たちに、「詳細」な授業情報を与えればそのノートの質は大学教員の講義ノートに匹敵するものになるだろう。
※40 デリダは、「教授であるêtre professeur」ことのプロフェスすることの意味を「無条件の自由」に基づくものとしているが、それは「作品を生み出すことではない」「教員自身が作品に署名することでもない」(『条件なき大学』月曜社、二〇〇八年)。こういったメタ化の「脱・構築déconstruction」こそがプロフェスすることの意味である。カントが「哲学とは可能な学の単なる理念にすぎない…人が学びうるのは哲学ではなくて、哲学することのみである…理性の才能を、その普遍的原理を遵守しながら、目の前にある或る種の試行に即して訓練することのみ学ぶことができる」(『純粋理性批判』第三章「純粋理性の建築術」作品社、二〇一二年)というのもこのメタ化の運動の中に学ぶことの意味を見出している。
この前文でカントは模造(Nachbild)を原像(Urbild)に倣う試みとしての哲学(哲学すること)に触れており、ロマン派の教育=陶冶(Bildung)の概念もそこにまた予告されている。ドイツ語のBildには元々神の「似姿」という意味も響いているが。その意味ではカント哲学のキーワードである〈構想力(アインビルドゥングスクラフト)(Einbildungskraft)〉にもBildが潜んでいる。そしてまた「建築術(Architektonik)」という言葉の中にもプラトンやアリストテレスが従来から「哲学者」を「建築家」に喩えてきた歴史も透けて見える。
しかしハイデガーが言うように、このテクネーは工学的に技術的な技術ではなくて、ポイエーシス(ποίησις)としての技術である。「技術の本質は芸術である」(『技術への問い』平凡社ライブラリー、二〇一三年)という点でシェリングの「哲学の学部は決してあり得ず、ただ芸術の学部があるのみだ」(シェリング『学問論』岩波文庫、一九五七年)と呼応しているかに見えるが、ロマン派の陶冶(Bildung)=建てること(Bildung)とハイデガーのポイエーシスとの違いは別稿に譲りたい。
※41 テレビ番組で面白い実験をしていた。京大出身のタレント(以後「Aさん」と略す)と大学も出ていないタレント(以後「Bさん」と略す)が歴史講義を一時間ほど受講して直後に試験で何点取れるかという実験だったが、そこでは教員の板書と授業トークについてノートを取る取り方がずーっとカメラに映し出され着目されていた。Bさんは教員の板書をひたすら写し取る、しかも耳で写し取るのではなくて顔を上げたり下げたり目で写し取るのが特徴。しかも文字に色を付けてマーキングしながらカラフルなものになっている。
Aさんはあまり顔を上げない耳で聞き取るノートの取り方。色など付けるとペンを取り替える時間が無駄という感じのノートの取り方だった。この限りでは、Bさんは板書通りにノートを取り、写し取るノートとしてはAさんよりも完璧だった。まずは目重点で板書をノート化するか ― これを私は「水飲み鶏型」ノートと呼んでいるが ― 、耳重点でノート化するかの違いが大きかったが(そもそも〈視覚〉は〈聴覚〉よりも知的に劣る器官であることをヘーゲルは論じていたが)、それより私が関心を持ったのが、Aさんのノートに少なからず登場する斜め書きの記載だった。後でその斜め書きの意味を誰かが聞いたら、それは「先生が板書に書かずに、でも重要なことを話していると思ったことを斜め書きで書いています」とAさんは答えていた。
斜め書きする理由は二つあって、一つは視覚的にすぐポイントがわかるということ、二つ目にはペンを持ち替えずに素早く書き取れるというものだった。受講直後のテスト結果は、きれいなノートのBさんは五〇点にはるかに届かず、Aさんは九九点。なぜ一点足りなかったのかと言えば、用語の書き取り(表記)の間違いがあって、耳で聞いていた音が聴覚的に外れただけのことだった。ポイントは、板書の意味(●●)を活性化する斜め書き、つまり教員のメタトークを聴き取る力なのだ。メタトークはしかしそれが典拠し可視化するテキスト ― そのプラットフォームが「コマシラバス」であることは言うまでもない ― なしには見えてこない。場合によっては教員にさえ見えてこない。コマシラバスと教材を書いて書いて書きまくって始めて浮かんでくるようなトークの質がメタトークを生みだしているのである。ラカンのようにそれを無知の豊かさと呼んでもいい。それがはじめてAさんの「斜め書き」に結実する。こういうコミュニケーションが生じる場処(●●)を教場というのである。
ヤスパースは、このメタトークの「状況」を次のように言っている。「講義の状況は、実際語られた言葉においてのみ、講義の関連においてのみ立ち現れ得るものなのです。講義の状況は、教師自身の中にも、講義をしなければ隠され続けているものを引き出すのです。教師は、彼の思索、真面目さ、問い、驚きの中で意図しないままに自己を示すのです」(『大学の理念』理想社、一九九九年)。これが〈授業〉における「斜め書き」のダイナミクス― 教員と学生とのあうんの呼吸のような ―である。
(五)終わりに代えて ― 新しい人材像とシラバスとカリキュラムと
① ハイパー・メリトクラシー論と大学の「機能別分化」論の隘路
最後に触れておかなければいけないのは、「大綱化」以降(厳密には中曽根臨教審以降)の大学改革と並行して進められた「新学力観」のことだ。「新学力観」において、「豊かに生きる力」の資質としての「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」が「観点別評価」と共に前面化されたが、これらの「ハイパー・メリトクラシー」(『多元化する「能力」と日本社会』本田由紀、NTT出版、二〇〇五年)は、カリキュラム開発の動機を殺ぐものでしかない。なぜかと言えば、「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」などは結果の能力であって、目的にするほどの固有性はないからだ。たとえば、この「新学力観」が嫌うペーパー試験 ― とりあえずこの「新学力観」が嫌いな「知識」だけを問う試験 ― の点数は、そもそもが「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」の成果でないとしたらなんなのだろう。そんなものを伴わない「丸暗記」などあり得ない。「丸暗記」でさえも様々な工夫があるのだから。むしろ、「関心・意欲・態度」が満点なのに、ペーパー試験点数が六〇点を切ることの弊害の方がはるかに大きい。教員が各科目の教科指導に注力しなくなるからだ。自分の教科指導の不備を「観点別評価」で補うことになってしまう。「点数は悪いが態度は良い」などと。
大学でもハイパー・メリトクラシー、あるいはコンピテンシー論は大はやりだが、これらの能力育成を前面化すると、カリキュラムはなんでもいいことになる。どんなカリキュラムでも、どんなシラバスでもそういった人間的な、普遍的な素性にかかわる側面を有しているからだ。カリキュラムもシラバスも現状のまま全く変えなくても、いくらでも理屈は付けられることになる。作文と書類のヤマが増えるだけのことだ。
教員をつかまえて、この科目、「ここまで教えて欲しい」と具体的な知識目標を課すと、大概の教員は、「無理ですよ、学生の基礎学力が不足している」と言うか、「無理ですよ、一五回では難しい」と言うかどちらかだ。けれども「『関心』を持たせて欲しい」と頼めば、「なんとかがんばります」になる。
つまりこれらの能力論は、反カリキュラム論なのである。科目ヒエラルキー、コマヒエラルキーを持たない。ハイパー・メリトクラシー論、あるいはコンピテンシー論の取り組み ― 以後両者を含めて「ハイパー」論と表記する(※42) ― は、大抵は「Inter-disciplineな(=学際的な)取組」になるが、そういったInter-disciplineな(=学際的な)取組にも「disciplineがなければならない」と指摘したのも、先の「学士課程教育の構築に向けて」答申だったことを思い起こすべきだ。
※42 「関心・意欲・態度」「思考力」「判断力」、あるいは「問題発見・解決能力」「コミュニケーション力」「人間力」などの能力がなぜ「ハイパー(ハイパー・メリトクラシー)」と呼ばれるかと言うと、それらは、成人の大人であっても身につけられているかどうか怪しい汎通的な(生涯を通しての)課題だからだ。それを「教える」教員自体にこの種の能力が欠けている場合が多いのもこのハイパープログラム固有の傾向である。もちろん心理学者ならこれらの〝概念〟を「構成概念」と見なしてあれこれ議論したがるだろうが、それは単に彼らの飯の種だからに過ぎない。どうでもいいことだ。
社会学者の佐藤俊樹は「コミュニケーション能力」について、それは「幽霊や亡霊みたいなもの」と言っている。「コミュニケーションは本来、特定の誰かに個体化できないからこそコミュニケーションなのですが、それをあたかも個体の性能として特定できるかのように語る。…その言葉に乗って、あたかもそういう能力が実在し、それで人が選別できるかのような話まで出てきた。実在しない点では幽霊や亡霊みたいなものですが、実在しないからこそ、いったん『ある』ことになれば、みんながその影におびえたり、身につける努力をしなければならなくなる。そういう意味で、『コミュニケーション能力』や『ハイパー・メリトクラシー(超業績主義)』の議論は、根本的に誤っていたと今は思っています」。教育学者の広田照幸はこの佐藤の議論に応えて「ハイパー・メリトクラシー論で言われるような、個人の意欲や創造性、コミュニケーション能力といったものは測定できない。心理学者がある尺度として作ることはできるのでしょうが、現実の選択の場で作動しているのはまったくちがうものです」(『自由への問い(六) ― 労働』岩波書店、二〇一〇年)と言っている。佐藤は「社会学もコミュニケーション能力をめぐる変な幻想を作った共犯ではある」と今頃反省している。
一方、自己啓発本の隆盛という観点から、牧野智和は次にように言う。「自己啓発メディアは純粋な自己反省を促すのではなく基底的な参照項(再帰性の打ち止まり地点)を残したうえでそれを促している(…)。つまりかなり多くの啓発書においては、仕事における習熟・卓越を目指す男性(性)、女性(性)という前提が驚くほど何も顧みられることなく自明のものとされている」(『日常に侵入する自己啓発』勁草書房、二〇一五年)。牧野が「基底的な参照項」というものこそが佐藤の言う「幽霊や亡霊みたいなもの」であって、むしろ「幽霊や亡霊みたいなもの」だからこそ「再帰性の打ち止まり地点」 ― 再帰性が打ち止まったら再帰性ではないが ― として「何も顧みられることなく自明のもの」のように反復するのである。
私はこの答申を中曽根臨教審以降の文科省の取り組みの自己反省文書だと思うが ― おそらくこの答申の書き手は、中曽根臨教審以来冬眠し続けてきた「学校派」の書き手が目を覚まして書き上げたものだと思うが ― 政権交代のドタバタで雲散霧消してしまった。さらには馳浩文科大臣(二〇一五年)のときにも、教科活動を通じての(●●●●●)ハイパー能力育成という重要な指摘があり ― 馳文科大臣の背後にも「学校派」がいたと私は思う ― 、「学士課程教育の構築に向けて」答申の二段階目の反省が七年ぶりに始まるかと思っていたら大臣が替わりまたハイパー論だらけになっている(※43)
ポスト産業社会の人材キーワードがハイパー・メリトクラシー論の諸々(文省の「生きる力」一九九六年、内閣府の「人間力」二〇〇三年、OECD-PISAの「キー・コンピテンシー」二〇〇三年、厚労省の「就職基礎能力」二〇〇四年、経産省の「社会人基礎能力」二〇〇六年、文科省の「学士力」二〇〇八年)なのだが、それは〈学校〉という枠組みを超えて知識獲得の機会が広がることを意味している。それが、特には中曽根臨教審以降「学校教育は生涯学習の一部」とされたことの意味だった。つまり〈学校〉と〈教員〉の地位が相対的には低下したということだ。教員は「指導」者ではなく、「支援」者になってしまったのである(木村元『学校の戦後史』岩波新書、二〇一五年)※44
これは学校の権威の象徴である〈図書館〉の蔵書が、〈情報〉や〈データ〉に成り下がった現象と並行している。今やインターネットによって「いつでも・どこでも」学べるわけだ。それはシラバスもまともに書けない大学の教員の授業に通うよりはるかにましなのかもしれない。事実そうであるように「大学改革」は進んでいる。シラバスの書けない教員こそアクティブ・ラーニングや演習授業が大好きだ。
ろくなことも教えられないのなら、せめてマナー教育くらいは、せめて討論術くらいは、せめてコミュニケーション力くらいは、というように事態は進んでいる。大学に期待されていることは、「せめても」能力育成なのである。数々のハイパー論がその徒花なのだ。
※43 文科省の悪名高き『我が国の高等教育の将来像』答申(二〇〇五年)は、大学の「機能的分化」という言葉を使って、大学を以下の七つに分けていた。「一.世界的研究・教育拠点、二.高度専門職業人養成、三.幅広い職業人養成、四.総合的教養教育、五.特定の専門的分野(芸術、体育等)の教育・研究、六.地域の生涯学習機会の拠点、七.社会貢献機能(地域貢献、産学官連携、国際交流等)」。これが悪名高い分化論であるゆえんは、よくみるとほとんど既存の大学の偏差値格差、都市大学と地方大学格差を「機能的分化」という言葉でまぶしたような分化論にみえるからだ。二〇年前の中曽根臨教審のなれのはてがこの『将来像』答申だと言ってもよい。なぜかと言えば、その二〇年間であれだけ手垢の付いた「個性」「特色」という言葉をこの「機能分化」にことよせて、「個々の学校が個性・特色を一層明確にしていかなければならない」と言うのだから。二〇〇八年の「学士課程教育の構築に向けて」答申はそういった悪評判を踏まえて出直したような印象がある。そして二〇一八年の「将来構想部会」(文科省)では、この「機能別分化」が三つになり、「①世界的研究・教育拠点」「②高度な教養と専門性を備えた人材の育成」「③職業実践能力の養成」と変化する。ほとんどの大学は②(ときどき③)を自認するだろうから、『将来像』答申のような反撥は起こらないだろうが、これでは大まかすぎて意味がない。要するに「機能」という言葉を濫用しているだけのことだ。
専門職大学の設置の時も「これまでの大学とどこが違うのか」という関係者の問いかけに、「何も違わない、機能が違うだけ」と言いつづけたのが文科省だった。学校教育法の第八三条の「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」の「応用的」あたりの中身をまさに「機能」的に読み替えたのかもしれない。同じようなことは、この専門職大学の設置の前段のところで専門学校の「一条校化」という議論があったとき起こっている。「一条校化」を断念した結果、「職業実践専門課程」という〝新しい〟課程ができた。これは従来の専修学校にあった「一般課程」「高等課程」「専門課程(=専門学校)」の三つに新たに付け加わる四番目の「新しい」課程のように思われたが、タイトル名称は「専門課程(専門学校)」卒の〈専門士〉、〈高度専門士〉と変わらないということになった。これも「機能」が違うだけと言いたげな変更だった。「一条校化」を断念したおみやげのような職業専門課程にとどまったのだ。
〈機能(function)〉の反対語は〈実体(substance)〉である。〈実体〉を変えるには法律の変更も含めて作業が膨大になる。だから面倒くさいということなのだろうか。法律を変えてまで新しいものを作るときには財務省の締め付けもある。しかし文科省はいつまでこの「機能別分化」という曖昧な大学施策を続けるのだろうか。
たとえば、この問題は、「機能別分化」論の悪評を受けて提出された「学士課程教育の構築に向けて」答申では、以下のように総括されていた。「これまで大学設置の規制を緩和したり、機能別の分化を促進したりすることで、個々の大学の個性化・特色化を積極的に進めてきた結果、大学全体の多様化は大いに進んだ。しかしながら学士課程あるいは各分野の教育における最低限の共通性があるべきではないかという課題は必ずしも重視されなかった。例えば、学位に付記する専攻分野の名称は年々多様化し、その種類は平成一七年度時点で約五八〇に達する。また、その名称の約六割は、専ら当該大学のみで用いられている。このように過度に細分化された状態が真に学問の進展に即したものなのか、学生の学習成果を表現するものとして適切なのか、能力の証明としての学位の国際的通用性を阻害するおそれはないのか、懸念を持たざるを得ない状況である。こうした状態は今後進めていこうとする留学生交流についても、隘路となってしまうおそれがある」。「多様性と標準性の調和」という画期的なテーゼを打ち出した「学士課程教育の構築に向けて」答申ならではの「懸念」が表明されている。
ここでいう「標準性」 ― 「最低限の共通性」 ― というのは、「機能別分化」(個性・多様性)の反対語なのである。「機能別分化」は大学施策の「隘路」でしかない。
もっとも「機能的分化」の反対語は「種別化」だというのが ― 「種別化」という言葉自体はすでに「三八答申」(一九六三年)において登場している ― 天野郁夫の解説である。たぶん『将来像答申』は大学の種別化にかかわる議論のように見えたのかもしれない。しかし制度上の種別化はすべて終わっていると言ってよいと天野は言う。「『大学』、『大学院』、『専門職大学院』、『短期大学』、『高等専門学校』、『専門学校』という制度の枠組みがそれ」だと。「問題になっているのは、そうした制度的に種別化された学校間の境界の再確認だと言える」(天野郁夫『大学改革を問い直す』慶應義塾出版会、二〇一三年)。天野によれば、「機能別分化」は「種別化」の後の事態であって、その逆ではないということである。アメリカのような「多様な」大学の伝統、ヨーロッパの「アカデミー」における職業教育の伝統を持たない日本の大学において、「機能的分化」も「種別化」も、ましてそれらの内外の「境界の再確認」も容易でないことは、「専門職大学」設置におけるドタバタの経緯をみているとよくわかる。余談だが、シラバスもろくに書けない「教員」ばかりが集まりつつある専門職大学で、どこに「高度」な職業教育が展開される可能性があるというのだろう。
※44 寺脇研は中曽根臨教審以降二〇年近く経った二〇〇四年においても次のように言っていた。「『ゆとり教育』へと進む方向は、明らかに時代の要請であり流れです。そもそも、こうした流れは、一九八四年に中曽根首相の主導のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)で確立されました。いまの『錦の御旗』は臨教審なのです。そこで『生涯学習』という理念が決まりました。学校中心主義からの転換、教師による『教育』から生徒中心の『学習』への転換です。この理念の延長にいまの教育改革がある。ですから『ゆとり教育』の枝葉については否定できても、その根本理念を否定できる人はいないはずです」(「『ゆとり教育』は時代の要請である」in「中央公論」二〇〇四年二月号)。『ゆとり教育』の問題やその後のPISAショックの問題などについてここでは直接触れることはできないが、学校教育=生涯学習という思想は、いまだに「錦の御旗」であることに変わりはない。ハイパー能力論はそもそもが生涯学習論だからだ。
② カリキュラムの文化性こそが格差社会を相対化する
① -一 むきだしの個人と階層格差、そして人物評価入試
しかし、「いつでも・どこでも」学べる分、「いつでも・どこでも」有益に学ぶチャンスと「いつでも・どこでも」無益に学ぶチャンスは等分に広がっている。また「いつでも・どこでも」学べる分、学びと無縁に過ごすチャンスも増えてくる。学校へ通っていても「わいわいガヤガヤ」型の授業で終わるように。結局、知識フィルターとしての教員、編集者、出版社などが介在しなくなった分、有益/無益のメタ情報自体も軽薄化してくるわけだ。書籍自体もA5版/四六版/新書/文庫の区別自体が軽薄化し、テレビ放送もYouTubeやAbemaTVに変わる。これらの変化は、学校フィルターの軽薄化と並行した事態だ。
では、そのフィルターはどうやって形成できるのだろう。それは、学校教育以外にないと私は考えている。長い時間、長い射程を有した教育以外に、知識フィルターを形成することは不可能だ。そしてこの「長い時間、長い射程を有した教育」は社会的には〈学校〉にしか存在していない。
市川昭午は、学校を印刷術(※45)が普及した時代の〈教会〉 ― 印刷術の普及によって「それまで子牛皮紙の聖書一冊が五〇〇クラウンしていたのが五クラウンで手に入るようになった…もはや人々はそれまでのように教会に行って聖職者からラテン語訳の神の言葉を聞く必要はなくなった」 ― となぞらえて、「人びとが教会に行く回数は減少した。それと同じような現象が、これからの学校にも生じるだろう」(『未来形の教育』教育開発研究所、二〇〇〇年)と言っている。今となっては、「印刷術」はインターネットだとでも言いたげに。
※45 ヨーロッパの大学論における印刷術の発見の意義はよく言及されるが、中国には『清朝古今図書集成』という七〇五万頁以上にもなる世界最長の印刷本がある。そもそも中国において紙が普及し始めたのは、魏晋南北朝時代(一八四年-五八九年)にまで遡れるらしい。中国には早くも三世紀初頭には傭書(ようしょ) ― 「人に雇われて鈔書(しょうしょ)すること」 ― の需要があった、と井上進は言う(『中国出版文化史』名古屋大学出版会、二〇〇二年)。これは「晋代以来、貴族の個人蔵書」の「著しい発達」とともに生じたらしい。そして中国において「図書集成」的な百科事典が必要とされたのは大学論に関わるものというよりは、唐朝における「官僚組織での官職を得るための試験を受ける受験者の必要に応えるためだった」(ピーター・バーグ『知識の社会史』新曜社、二〇〇四年)。そもそも科挙試験によって貴族の世襲制を解体できたのも宋朝の出版先進国中国 ― 大量の試験用紙印刷だけではなく、それに備えるための大量の教科書・参考書の印刷技術を前提した先進性 ― だからこそできたことだった。日本でも律令制の再編は進みつつあったが、〈紙〉が貴重品にとどまり印刷技術もない当時の日本では、「藤原氏を頂点とする大貴族による官位の家職化、家産化」を食い止めることはできなかった(与那覇潤『中国化する日本』文藝春秋、二〇一一年)。「暗記」試験や四択試験は意味がないと言いながら紙(ペーパー)試験の意義を理解できない文科大臣が数年前にいたが、マルチ(●●●)メディアに依存すれば依存するほど〝人物主義〟になり「家職化、家産化」が進むのは目に見えている ― これについては拙論「大学入試改革の時代錯誤について ― 『人物本位入試』は階層格差を拡大する」(「教育と医学」慶應義塾大学出版会、No.七三三号)を参照のこと。
しかし、〈学校〉は印刷術を更新するメディアの一つなのではない。〈学校〉は、長い滞留の時間、子どもの成長にとっての時間性(●●●)を意味している。それは、短期でくり返される刺激と反応に耳を塞ぐことを意味している。その耳を塞ぐ時間が長ければ長いほど、フィルターの質は上がっていく。〈学びの主体〉というものがあるとすれば、その形成はこの種の隔離なしには不可能だ。「学校はもういらない」「学歴主義はもう古い」という大人達もたくさんいるが、そういう大人達は大概が高学歴か家庭の文化性の高い人たちだ。すでに知識フィルターのある人たちなら、この時代は大学図書館の昔に比べて有益な情報に満ち満ちているに違いない。しかしそれらは、〝成功した〟大人の身勝手な意見にすぎない。
〈カリキュラム〉とは、その種の長い時間に関わっている。大学であれば、四年間の時間にどんな階段(論理的な時間、あるいは知的な時間)を上らせることができるのかが知識フィルターの質を決める。子どもの文化性(まさに長い時間の環境)、つまり子どもと社会とのフィルターの最後のよりどころであった〈家庭〉も解体してしまった今、学校が社会的な家庭となる以外にどんな子どもたちの砦があるというのだろうか。
一方で東京の名門私立学校が形成する家族主義的に選抜された学生群 ― この子どもたちの親は一般的に言ってその子どもたちが通う学校の教員よりも学歴(学校歴)と識見が高い ― が存在し、一方でメリトクラシー(努力主義)によって非家族主義的(点数主義的)に這い上がってきた「グロテスクな」学生群 ― 「それなりに才能がある、つまりそれなりの才能しかない」(高田里惠子『グロテスクな教養』ちくま新書、二〇一四年)と高田が指摘した文化人(●●●)たち― とが存在している。天皇制の反対概念がメリトクラシーだと言ってもよい。
不思議なことに、名門私立学校と偏差値も付かない学校の入試選抜とはどちらも人物(●●)評価であるが、前者は中高一貫校選抜での家族(親)への評価、後者は学生個人への評価である。どちらも偏差値だけでは選ぶことができない選抜という点で共通している。
人物評価入試が新入試方式として間もなく始まることになるが、この二つの入試は点数主義批判としてすでに人物評価入試である。前者は家族がまとも(●●●)か、後者は個人がまとも(●●●)かである。しかし前者の個人(子ども)が家族の文化性 ― ブルデューふうに言えば家族の「ハビトゥス」(『実践感覚』みすず書房、一九八八年)かもしれない。「ハビトゥス」は、ブルデューの「無思考なカテゴリーの社会学」に属しており、それは「解釈学的なものだ」というスコット・ラッシュの指摘(「再帰性とその分身」in『再帰的近代化』而立書房、一九九七年)は実に正しい ― に守られている点で後者の不利(●●)は明らかである。もともとそれを跳ね返すためのものがメリトクラシー(※46)だったのだから。「学習者中心の学びStudent-centered Learning」の思想的起源は中曽根臨教審にあったが、一方で臨教審は「家庭の重視」(※47)ということも忘れなかった。子どもの主体性(=学び)に一番影響力を持っているのが「家庭」だからだ。九〇年代以降(特に一九九五年以降)、核家族が核個人(あるいは超個人)になって家庭の崩壊 ― 親子が揃って食事をする時間がなくなり、自宅にいても部屋に引きこもってスマートフォンで社会にむき出しになり(※48)、恋人同士(家族の起源)でデートしていてもスマートフォンで内外と通信する事態 ― が加速する時代の学校教育論に「家庭の重視」と言うのだから、よほど〝文化的で〟〝裕福な〟家庭以外に、子どもの主体性(=学び)を育てる場所はなくなる。
その意味で人物評価入試は、再度格差社会の格差を固定化するものでしかない。「新学力観」=「観点別評価」のなれの果ての人物評価入試は、〝勉強ができない〟ことまでも個性(●●)であるかのように〈教育〉の価値を貶めている。
※46 「メリトクラシーが成り立つためには ― と本田由紀は言う ― 、社会の構成員が能力を伸ばす機会とそれを証明する手段を、少なくとも形式的には均等に与えられていなければならない。それを実現する場としての学校教育への社会成員の包摂が近代社会においては進んできた。学校教育では、同じ教室で、同じ教育内容を与えられ、同じ試験によって教育内容の習得度が計測される。むろん、その習得度には個々人の出身家庭がもつ諸資源の量によって差が生じるが、メリトクラシーに基づく社会と学校はそうした属性主義的な差異を皆無にする責任までは負おうとしていない。つまりメリトクラシーは能力の開発と証明に関する手続き的な公正さを準備することを最大の責務としている」(『軋む社会』双風舎、二〇〇八年)。
つまり「学校教育への社会員の包摂」 ― いわゆる学校圧 ― の反対語は、人物・家庭論的な「属性主義」であるにしても、学校教育がやれることは「手続き的な公正さを準備する」こと、つまり「機会の平等」を確保することでしかない。がしかし、その「属性主義」 ― ハイパー・メリトクラシー論、コンピテンシー論、または人物評価入試など ― によって、「手続き的な公正さを準備する」こと自体が困難になってきているということだ。
※47 特に中曽根臨教審第二次答申(一九八六年)の第二章には「家庭の教育力の回復」と独立して章があてられ、「…教育を学校のみの問題としてとらえがちであったことについて、家庭が反省し自らの役割や責任を自覚することが何よりも重要である」とある。自民党保守派の家族主義が独立した章にあてがわれるほどに臨教審のイデオロギー色は強い。私はこれを臨教審の曾野綾子主義と呼んだことがある。教育現場では〝できない〟学生が発生し欠席が連続し退学予備軍が生まれると、保護者と連係を取ろうという動きが生まれるが、〝できない〟学生の保護者は保護者自体が困難な事情にある場合も多く、「家庭が反省し、自らの役割や責任を自覚する」余裕などほとんどない現状である。答申から三〇年以上経って、その現状は日増しに高まっている。「教育現場(学校)が教育だけではどうしようもない」と音を上げたときに、子どもたちが戻れる家庭などもはや存在しないのだ。
そもそも〈教育〉という言葉の意味はなんだったのか。寺崎弘昭は、『孟子』の「得天下英才而教育之三楽也」の「教育」にまで遡る(「歴史のなかの教育」in天野郁夫編『教育への問い』東京大学出版会、一九九七年)。しかし、「それが漢字文化圏たる日本においてその注釈というかたち以外で使われるのは江戸時代中期以降のことに属する」と、藤原敬子の研究(「我が国における『教育』という語に関しての一考察」三田哲学会『哲学』第七三集、一九八一年)を参照して指摘する。「『教』一字や『育』一字あるいは『教化』という言葉は頻繁な使用例が見出されるにもかかわらず、『教育』という言葉はどうしたわけか馴染みのない言葉であり続けた」が、その理由は「得天下英才而教育之三楽也(天下の英才を得て之を教育するは三の楽なり)」という用例が、「『教育』をすぐれて君子にとってのいわば秘儀的ないとなみとして用いていたことが与っていたであろうと推測される(…)まさか庶民のいとなみにその語を適用するわけにはいかなかったのだ」と寺崎は言う。
孟子の文脈を離れた日本における「教育」という言葉の用法は、常磐潭北『民家童蒙解』(一七三七年)における「教育」という語の用法 ― 「子を育(そだて)るには先其身を正しうし、妻や乳母(めのと)を戒て、あしき言(こと)をいはせず、あしき戯れをさせず、仮にも嘘をいはせず、万事正しかるべし。(…)如レ斯にして生質の美醜は論に及ばず、若(もし)その身正しからずんば、子の教育(かういく)は何ともいふべからず。これ子を育る道によりて、其身を修め人を修(おさむ)る道を得るなり」 ― に見られると寺崎は続けるが、これも「君子ならぬ父のいとなみとして語られた『教育』」であって、「『育』一語で互換可能なものとして出現している」と寺崎は言う。「そしてこのいわば『育』に傾斜した『教育』は、一九世紀に入るとむしろ『教』ないし『教化』と重なりを増しつつ、『学校ハ教育ヲスル所』(辛島鹽井『学政或門』、一八一六年)というような用法」を寺崎は指摘している。しかし江戸期を通じて「『教育』は教育事象を排他的にいい表わす唯一の言葉ではありえなかった」と寺崎は結論する。
そして〈教育〉という言葉が日本において定着するのは、箕作麟祥(一八四六- 一八九七年)によるeducationの翻訳プロセスでのことだった。箕作麟祥 ― 箕作は、日本最初の法学博士(一八八八年)であり、「憲法」「権利」「義務」などの言葉も彼の翻訳によるものである ― は、『チェンバースの百科事典(Chambers‘s Information for the People,1833-35)』の一項目であるeducationを最初〈教導〉と訳していたが(一八七三年) ― ただし、藤原敬子によれば、箕作が編集に関わっていた『英和対訳袖珍辞書』(一八六二年)では、最初educationを「養育すること」と訳していた ― 、『チェンバースの百科事典』再版(一八七八年の有隣堂版、一八八四年の丸善商社版)では〈教育〉と訳し、「ここに『教育』はeducationの訳語として確立することになる」(寺崎・同前)。Educationは、「箕作という一人の人物においても、養育→教導→教育と改変されたのである」(藤原・同前)。
一方、educationという言葉自体の意味について、寺崎は、ルソーが『エミール』(第一編)の中で前一世紀ローマの学者ワローの言葉を引いていることに言及する。「『産婆は引き出し、乳母は養い、師傳はしつけ、教師は教えるEducit obstetrix, educat nutrix, instituit, poedagogus, docet magister.』とワローは言っている。このように、教育すること(éducation)、しつけること(institution)、教えること(instruction)の三つは、養育者、師傳、教師がちがうように、それぞれちがう目的を持っていた」(『エミール、またはéducationについて』、一七六二年)。 そして寺崎は、前二者の「産婆は引き出し、乳母は養い…」を、「教育することéducation」という一つの言葉で受けていることに注目する。寺崎は言う。「『引き出す(不定詞educereをもつ三人称単数現在形educit)』という言葉も、「『養う・太らせる(同じく、educare, educat)』という言葉も、ともに動詞〝educo〟の変化形であり、それらは同時に〝educatio〟という名詞で自然に承けられるのだ。それゆえ、『産婆(obstetrix)』の仕事と『乳母(nutrix)』の仕事が一つの〈教育(éducation)〉という名詞で承けられることに、書き手も読み手もなんの違和感も抱くことはなかったのである」(寺崎・同前) ― ただし、ルソー自身はこれらのワローの区別を「よい区別とは思えない」(『エミール』第一編)と言っていたのだが、ルソーの教育論については別稿に譲りたい。
そして、寺崎は次のように結論する。「それゆえに、いわば教育関連ラテン語彙につながる世界においては、〈産〉・〈育〉・〈訓〉・〈教〉はそれぞれ別の意味をもって語られていたのであって、そして〈産〉と〈育〉という二つのいとなみが同じ一つの名詞《education》で承けられ語られたのであった。逆に、いま私たちが『教育』の本体だと考えてしまっている〈訓〉や〈教〉といった学校的ないとなみには、まったく別の言葉、《institution》や《instruction》という言葉があてられていたのである」(寺崎・同前)。
つまり今日的な〈教育〉educationは、その古層の意味としては〈産育〉のことであって、ギリシャ語のオイコス(οἶκος)に基づいた家政学のことを意味した。「家政学」のことを近代的にはHome Economicsと言うが「経済学」のEconomicsも含めてギリシャ語語源オイコス(οἶκος)から来ており、ギリシャでは奴隷労働も含めて労働自体が家族共同体に内属し、〈家族〉があらゆる(●●●●)生産の単位であったという点でHome Economics(家政学)とEconomics(経済学)との区別はない。家政学=経済学だったわけだ。「ところが 」と寺崎は続ける 。「この古層をなしていた〈育〉の文化世界 ― 食物を与え、肉体的欲求を充足することによって、子ども・動物を育むこと ― は徐々に〈教〉の世界によって古語の領域へと押しやられ、あげくに飼い馴ら(domesticate)されていくことになる(…)。このプロセスは、一七世紀以降、とくに一八世紀をつうじて、それまでの《education》の場だとは認められてはいなかった学校が、いやむしろ自分こそが〝education〟の場だと強烈に主張しかつその地位を獲得していくプロセスとしてとらえられる」(寺崎・同前)。したがって、近代的な学校教育は「《education》という言葉の意味をめぐる争奪戦の果てに成立したメカニズムであった」(寺崎・同前)と寺崎は言う。その意味で「家庭教育」という近代的な(●●●●)言葉は、考えてみれば不思議な言葉なのである。それは臨教審的な復古主義と言うよりは、近代的には、家庭を学校教育化するという意味でしかない。そしてまさにその意味でこそ、〈学校教育〉の力が弱体化しつつあるということである。
※48 「無意識の不在」(立木康介)とも言えるこの事態について、本田由紀は、この「むき出し」状況を次のように解説する。「ハイパー・メリトクラシー下では、個々人の何もかもをむき出しにしようとする視線が社会に充満することになる。常に気を許すことはできない。個々人の一挙手一投足、微細な表情や気持ちの揺らぎまでが、不断に注目の対象となる。ちょっとした気遣いや、当意即妙のアドリブ的な言動が、個々人の『ポスト近代型能力』の指標とされる。その中で生き続けるためにはきわめて大きな精神的エネルギーを必要とする。ハイパー・メリトクラシーのもとでは、個々人の全存在が洗いざらい評価の対象とされるのである」(『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版、二〇〇五年)。そしてこのような能力は、「学力」という「近代型能力」よりもその格差が「覆しにくい」として、次のように結論づけている。「個々人の内面の深い部分に根ざしている『ポスト近代型能力』の形成には、幼い頃からの日常的な家庭環境がきわめて重要である」(同前)と。
苅谷剛彦は、戦後教育(日本型学歴主義)の平等感(●)を、「画一的な平等化(生徒を分け隔てなく同じように扱う)」→「教育機会の拡大(高校全入運動)」→「メリトクラシーの大衆化(〝生まれ〟によらず誰にも教育において成功するチャンスが与えられている社会)」→「競争条件の均質化、平準化(偏差値による「客観的」「可視的な」基準による選別の公平性)」→「特権意識のない…学歴エリートの誕生(特定の文化的アイデンティティを持たない、大衆との連続線上に存在する学歴エリート)」→「不平等問題への視線の弱化(差別感を持たない教育への配慮)」と六段階に整理して、以下のように言っている。「形式的な平等性によって、選抜の公平さを確保してきた戦後の日本では、これまで主観的な評価を受け入れる伝統が弱かった。従来の入試のように日本では形式的に人びとを公平に扱う手続きが、選抜の公正さを支えてきたのである。そのような社会で、『個性』のように解釈に幅のある基準を選抜に用いる場合、階層文化から『中立的』に見える学力というものさし以上に、子どもの育つ家庭の影響を受ける可能性がある。個性を重視するといっても、すべての個性に価値が与えられるわけではない。また、どの子どもも、高い価値が置かれる個性の持ち主とはかぎらない。個性もまた不平等に存在している可能性がある。高く評価される個性の持ち主は、どんな家庭の子どもか。子どもの育つ家庭の文化的環境のみならず、稽古ごとやスポーツ教室への参加経験がものをいうようになるかもしれない。稽古ごとやスポーツ教室への参加が、親の学歴や職業と関係していることはすでに知られている。そうだとすれば、多様な評価基準を選抜に用いることは、学力とは違うかたちで、社会階層の影響を選抜に持ち込む可能性がある」(『大衆教育社会のゆくえ』中公新書、一九九五年)。
苅谷はこの著作の後、学歴主義の公平感を支えていた努力主義を実は「母親の学歴相関」によるものとして、一九七〇年代後半から一九九〇年代後半までの二〇年間に生じた「意欲の階層差」(『階層化日本と教育危機』(有信堂、二〇〇一年)を指摘していたが、それは努力主義(メリトクラシー)の公平感「イデオロギー」を単に批判するためだけではなかった。「だれをも競争へと巻き込む圧力が減り、学校の後押しが弱まると、努力の階層差が拡大する条件が生じる。いわば、受験競争に向けた動員力が弛緩することで、学力や教育達成における階層間の不平等の拡大・顕在化の可能性が出てくる」ということだ。そして苅谷は、この著作をこう締めくくっている。「今後、努力の総量はさらに減少し、その階層差もより拡大するだろう。その結果、基礎学力の低下、学力の分散の拡大が予想される。進行中の教育改革はこのような問題を抱えている。教育改革に参画する研究者・政策立案者は、この問題をどう受け止めるのか…」(同前)と。「努力の総量」の「減小」とは、「受験競争に向けた動員力が弛緩」することによる「学校の後押し」の弱体化のことだ。この「意欲」や「努力」の「階層差」と本田由紀の指摘したハイパー・メリトクラシーの家族主義を重ねて考えれば、両者に共通するのは、今日における家族主義に依存した学校論、つまり反〈学校教育〉論への危惧なのである。
苅谷に影響を受けた木村元は消費社会化と高度情報化がらみで、〈学校〉という「リジッドな空間」を「緩める」動きを指摘している。「大衆消費社会や高度情報化の進展はその影響力を年々強めていく。モノやサービスの消費を自己のアイデンティティと感じ、他者と同一の処遇を忌避したり、将来のために今を我慢することに価値をおかない人びとの意識は、それとは逆の価値のもとにある学校の規範を緩める方向にはたらく。また、高度情報化社会は時間と空間の制約を受けずに人間関係をつくりあげるため、人びとの結びつきはより柔軟になり、学習のためだけに組織された学校というリジッドな空間の特殊性を、より浮かびあがらせることになったのである」(『学校の戦後史』岩波新書、二〇一五年)。苅谷や本田の議論をこの木村の議論に重ねて考えるとすれば、〈学校〉がかつて「リジッド」であった(●●●)とすれば、〈家庭〉も「リジッド」であった(●●●)のだろう。消費社会化と高度情報化は〈学校〉と〈家庭〉との双方を「緩める」動きなのである。
その結果、木村は次のように続けている。「産業社会からは一線を画す文化の防波堤を築いていた学校も、九〇年代に入るとそれを維持できなくなる。子どもを『教える─学ぶ』の関係につなぎ止めていた学校文化が大きく揺るぎ、『学びからの逃走』(佐藤学) ともいうべき状況が進行していった。藤沢市において、一九六五年代以降五年ごとに実施されてきた市内の中学校三年生への学習調査では、平均の一日の勉強時間が一九六五年から二〇〇五年の四〇年間の間で、「毎日二時間以上」が二〇・八%から七・八%へ、他方「ほとんど勉強しない」という者が一・六%から一四・一%へと推移している。「勉強への意欲」ということでは、「もっと勉強をしたい」は六五・一%から二四・八%、「勉強はもうしたくない」四・六%から二二・一%となっており、子どもやその環境の変化が明確にうかがわれる(第一〇回「学習意識調査」報告書「藤沢市立中学校三年生の学習意識」)。苅谷剛彦の言う「努力の総量」の「減小」と並行した事態がこの藤沢市の長年にわたる調査で明らかになっているが、木村自身は「学校文化と情報・消費社会化のせめぎ合いにおいて、後者が前者を凌駕していく過程で、子どもを学校に囲い込むことが困難になっている」と結論づけている。
一方、一九九〇年から五年おきの調査を行ってきたベネッセ教育総合研究所の調査(二〇一五年「第五回学習基本調査」)では、偏差値帯域のどのレベルでも二〇〇六年以降学習時間は増えつつある。偏差値五五以上では一〇五.一分→一一九.一分に、偏差値五〇以上五五未満では六〇.三分→八四.五分に、四五以上五〇未満では六二分→六五.五分に、偏差値四五以下では、四三.二→四四.六にいずれも上がっており、偏差値五五以上の一一九.一分というのは、九〇年時点の一一四.九分さえも超えている。
大綱化以降の大学全入時代の流れを考えると、これらの統計調査の妥当性を議論するまでもなく、学習時間は減少するのが当たり前のようにも思えるが、最近の学習時間の増加については、二〇〇六年の調査を行ったベネッセによれば、増加する「宿題の影響がある」ことが明らかになったとされている。。もちろんこれは単に「宿題」の増加によるものばかりではない。
ベネッセのこの調査に巻頭のコメントを寄せている耳塚寛明は次のように言う。「一九九〇年代終盤から起こった学力低下論争は、新学習指導要領導入後の学力低下に対する激しい不安を世論に惹起した。そのため文科省は『学びのすすめ(確かな学力の向上のための二〇〇二アピール)』を公表し、その後も学力向上のための施策を矢継ぎ早に放った。『学力向上フロンティア事業』や『学力向上アクションプラン』が導入され、全面実施されてまだ一年経たにすぎない新学習指導要領の一部改正が告示された。『ゆとり』から『脱ゆとり(学力向上)』へと実質的な路線変更がなされた。学力の国際比較調査(PISA二〇〇三、TIMSS二〇〇三、二〇〇四年公表)も日本の学力低下を印象づけ、脱ゆとり路線の定着に一役買った」(「子どもの学びの四半世紀(一九九〇年~二〇一五年)」in『第五回学習基本調査』巻頭言)。
そして「脱ゆとり」主義による新しい学習指導要領が、小学校では二〇一一年度(平成二三年度)、中学校では二〇一二年度(平成二四年度)、高等学校では二〇一三年度(平成二五年度)から実施されることになる。この論考でたびたび言及してきた中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」(二〇〇八年)の「標準性」概念の導入もこういった流れの先鞭をつけたものと言えるかもしれない。苅谷剛彦たちの2000年前後の「ゆとり」批判の提言(一九九五年『大衆教育社会のゆくえ』から二〇〇一年の『階層化日本と教育危機』、二〇〇二年の『調査報告「学力低下」の実態』への展開)は、「脱ゆとり教育」への転回だけではなく、学力テスト(「全国学力・学習状況調査」)の復活(二〇〇七年)を準備したという指摘もある ― 中澤渉は「学力テスト復活のきっかけとなったと思われる対談がある。一九九九年七月五日と一九日の『朝日新聞』朝刊の教育面に掲載された当時東大助教授の苅谷剛彦と当時文部省政策課長の寺脇研のものである(この対談は後に『論座』一九九九年一〇月号に掲載される)」(『日本の公教育』中公新書、二〇一八年)と、苅谷たちの提言と文科省との微妙なからみ具合を指摘している。
文科省も財務省の財政的な締め付けがきつくなってきているため、データを取ることなしにはなにもできない状態になってきているのだと思う。中曽根臨教審のようなデータなしのイデオロギー色の強い答申に基づいて展開した90年代文科省施策を反省した上での旋回だった。苅谷剛彦たちの報告の意義は、〝データでものを言え〟ということだったのかもしれない。たとえ〈意欲〉=〈学習時間〉という苅谷たちの等式が危ういものであったにしても(これについては本書「人物評価入試の時代錯誤について」で触れるが)、苅谷の議論と私の議論とでずれが生じ始める原因は、彼にとって〈意欲〉の反対語が〈個性〉や〈才能(生まれつきの能力)〉であるのに対して、私にとっての〈意欲〉の反対語は〈知識〉であるからだ。私にとって〈知識〉は、苅谷の言う「家庭環境」であれ「意欲」であれそれらのゼロ地点から発生するものでしかない。カント的な〈理念〉の統制原理のように。
さてしかし二〇〇九年から成績が上がってきたPISAの調査後も親の学歴相関の値はそれほど変わっていない ― そもそも二〇〇六年のPISA調査では日本は「親の学歴や親の職業など、家庭的背景による学校間格差が参加国六〇カ国の中で最も高い」ことを垂見裕子は指摘している(「PISAから日本の学力格差をみる」早稲田大学高等研究所、二〇一二年)。高校生で言えば、一九九〇年時点で八七分の学習時間が二〇一五年では七三分となっている。比率で言えば、前者の時点では親が大卒学歴の家庭の学習時間は非大卒系のそれに対して一二二%だったが、後者の時点では一二六.三%(同前)とその差が開いている。大学進学への影響が高い高校在学時における親の学歴による意欲格差は縮まっていない。耳塚も先のコメントの中で「保護者の学歴等による学習時間の格差が大きい」とまとめている。
さらには、厚労省の行った「二一世紀出生児縦断調査(平成一三年出生児)」では、中学校三年生のとき学校外で勉強を全くしない中学生は六%しかいなかったが、その中学生たちが高校生になると学校外で勉強しない学生は二五.四%にまでかなり増加している。これは最新の二〇一七年の数値だから、文科省の脱ゆとり主義が依然として機能していない領域があるということだ。「意欲の階層差」は依然として存在している。「文化貨幣」(コリンズ『資格社会』東信堂、一九八四年)としての学歴の文化性はかなり怪しくなっていることだけはたしかだ。
とはいえ私は、学校圧はまだそれなりに機能していると思っている。二つの(視聴率の高い)テレビ番組を見ていると特にそう思う。ナインティナインの岡村隆史(もう終了したがフジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』)が「先生」になって〝勉強の出来ない〟老若男女タレントを教室に集め、中学校程度の英語、国語、数学、理科などの問題を彼ら・彼女らに解かせる「抜き打ちテスト」シリーズがあったが、その中で評価も実績もある有名タレントたちが簡単な問題を間違うと顔を赤らめてとても恥ずかしそうな顔をするのだ。そもそもが〝勉強ができない〟ことをみんなで(●●●●)バカにする番組なのである。形式的な学歴でではなく、まさに〝努力〟と〝人物(キャラクター)〟で実績を築き上げてきた地位のある人たちなのに、とても恥ずかしい顔をする。ということは、この人たちは「学校圧」の中で同級生や同世代の人たち、あるいは世間に対して恥ずかしがっていて、それは〈社会人〉になっても消えないメリトクラシー社会の圧を感じているということだ。自分は親や家庭や地域のせいで勉強しなかったのではなく、純粋に怠けていたからこんなことになったという感性 ― つまり苅谷剛彦が言う「意欲(インセンティブ)」の平等感 ― がなければ、あれくらいのバラエティー番組で、しかも〝実績〟ある人たちが恥ずかしがることなどないにもかかわらず。というか番組自体がメリトクラシーを前提にしないと笑えない番組になっている。
もう一つの番組はテレ朝の『あいつ今何してる?』。これも〝実績〟あるタレントが中学時代や高校時代の同級生の、気になる「あいつ」の「今」を当時の卒業アルバムを見ながら特定し、番組で探し出す番組。同級生と本人は、ビデオでしか対面しないが、その「あいつ」が自分のことを覚えてくれていただけで、タレントの方が泣いてしまう場面も多々あるほどにタレント自身が素の姿を露呈してしまう、という番組だ。普通は逆で、素人の同級生が、〝有名になって〟〝出世した〟タレントが自分を覚えてくれていて感激という絵になるのだ+- がこの番組では逆の絵になる。これも同級生は、どこまでいっても「あいつ」で、仮にエリートであっても「手に届く」エリート(苅谷剛彦)であるという日本的な学校圧 ― クラス内の平等感 ― の番組なのだ。特に〝有名になって〟〝出世した〟タレントが当時〝頭のよかった〟「あいつ」を未だによく覚えていて尊敬していることである。これも「めちゃイケ」と同じで、日本のメリトクラシー(学校圧)現象の一つだ。もちろん『めちゃ×2イケてるッ!』は、既に数年前に終わった番組だし、現役の『あいつ今何してる?』も一〇年後二〇年後の同級生に出会う番組であるために、少なくとも一九九〇年代以降の「学校圧」減小を語るには不適切かもしれないが。いずれにしても苅谷剛彦の言う「努力の総量」の「減小」というのは、こういった学校時代の「あいつ」との平等感が消える事態を意味している。
②-二 〈方法〉と〈実体〉が一致する場処としての〈学校〉
格差社会とは、特に子どもたちにとっては家庭の格差、家庭の属する階層の格差のことだ。個人が露呈すれば露呈するほど ― SNSなどで個人が剥き出しのまま露出すればするほど ― 、家庭格差は深刻化する。土井隆義は、剥き出しで断片化する自己を必死で繋ぎ止めようとする少女たちの「濃密手帳」について言及しているが(『個性を煽られる子どもたち』岩波書店、二〇〇四年)、そんなときにこそ、家族の文化性とは同じでないにしても長い時間の累積と静かな滞留 ― 〈選択〉のない時間 ― が子どもたちに必要なのである。
それをカリキュラムの文化性と取りあえず呼んでおこう。〈カリキュラム〉とは知性化された「濃密手帳」のことだ。教養教育であれ、職業教育であれ、カリキュラムに文化性(●●●)のないカリキュラムはこの時代には不毛でしかない(※49)。
※49 「印刷革命」によって ― 「印刷術の出現以後は、書かれた情報の方がはるかに効率的になった。新しく独学するチャンスを得て得をしたのは大学の外の職人ばかりではなかった。頭のよい大学生がその先生の理解を超えるチャンスを得たこともそれに劣らず重要である。才能ある学生は、外国語とか学問的技能を体得するのに特定の先生の足もとに座っている必要がなくなった。そうするかわりに時には先生の目を盗んでこっそり本を手に入れることによって、ひとりで素早く専門知識を獲得することができた。(…)専門技術の教科書は物言わぬ教師であり、これを利用する学生には伝統的な権威に従わず、革新的風潮を受け入れる傾向が見られた」と、印刷時代の知識の息吹をアイゼンステインは伝えている(『印刷革命』みすず書房、一九八七年) ― 中世の大学が解体した後、後進国ドイツにおいてフンボルトが大学を再生させた経緯をレディングズは「一度普遍的理性という概念が大学に生命を与える原理としての国民文化の理念にとって代わられるやいなや大学は国家へ奉仕するように強要される。したがって文化に訴えることを通して国家は、事実上大学の制度的構造の方向を定めその社会的関連を指揮し、事実上研究と教育の両方を支配するのである」(『廃墟としての大学』法政大学出版局、二〇〇〇年)と解説していた。後進国ドイツにとって〈文化〉(あるいは〈陶冶〉としての〈教養〉)自体が国家的な課題だったのだが、インターネット世界からみれば、今では〈国民国家〉という概念自体が後進国ドイツ状態になっていると言える。すべての〝国民国家〟が後進国なわけだ。今や〈大学〉の理性自体が貧相になり孤立している ― 学生が「多様」化しているだけではなく ― のである。私はそのことを踏まえて、大学のミクロ化としての〈カリキュラム〉に大きな意味を見出したいと思っている。「カリキュラムの文化性」というのは、そこに「研究と教育の両方を支配する」マネジメントを結集するということだ。レディングズはアラン・ブルーム(『アメリカン・マインドの終焉』みすず書房、一九九八年)の『高等普通教育という冒険』と呼ぶ物語には、もはやヒーローがいない」という結論を引いて、「その冒険に乗り出す学生のヒーローもいなければ、学生の目標としての教授のヒーローもいない」(同前)と言う。私からすれば、「エクセレンス」(レディングズ)だらけの現代の大学においてはカリキュラム(の文化性)がヒーローを作るとしか言えない。
一方、吉見俊哉の大学論は「大学とはメディアである」という立場からのものであるため、人材論が欠けている。そもそも〈情報〉と〈知識〉を区別しない ― この点については、「大学の使命は、教育においても研究においても情報を乗り越え知識に肉薄しなければならない」と言ったヤーロスラフ・ペリカンの『大学とは何か』法政大学出版局、一九九六年を参照のこと。しかしどんなに知識が情報化しても、その情報をたえずメタ化する人間の場処(時間と場所 ― 漱石が「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」といった意味での)は消えはしない。この場処の「有限性」論 ― ハイデガーにも繋がる ― は、カントの〈理念〉が統制的(●●●)原理であることと関係している。私は〈授業〉とはトークの場処ではなくて、メタトークの場処だと思う。情報が〝肉体を持つ〟 ― まさに「身につく」 ― というのは、メタトークが機能するときでしかない。〈授業〉が科目の授業時間(科目のインカネーション)のことを指し、コマシラバスがシラバスのインカネーションだとすれば、コマシラバスの課題は授業におけるメタトークがどのように効果的に機能するかを案配することでしかない。授業とカリキュラムの「ヒーロー」はそこからしか生まれてこない。
短時間のやりとりにまみれない精緻なシラバス=コマシラバスと ― ここで言う「短時間のやりとり」のメディア論的な意味は「ツイッター微分論」in『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』を参照されたい ― 、それに誘導され、それを誘導するカリキュラムは、〈知〉が軽薄化(インフレ)するこのインターネット時代にとってこそ不可欠な存在である。
財務会計で八〇単位の必修カリキュラム、データサイエンスで八〇単位の必修カリキュラム、キリスト教史で八〇単位の必修カリキュラム、大乗起信論で八〇単位の必修カリキュラム、夏目漱石で八〇単位の必修カリキュラム、フォークナーで八〇単位の必修カリキュラム、ハイデガーで八〇単位の必修カリキュラム、サイバネティクス(機能主義)で八〇単位の必修カリキュラム、ヴェーバーで八〇単位の必修カリキュラム、各語学、あるいは古典語で八〇単位の必修カリキュラムなど(※50)、これらは、今日の新卒人材への期待に充分応えられるものであるはずだ。しかも入学時の偏差値に関係なく八〇単位の階段があれば、卒業時にはその差は大したものではなくなる。実際、私の経験では、偏差値の高低にかかわらず必修カリキュラムの階段を整備すれば卒業年次の四月末で ― 早期就職率は質の高い就職とほとんど同義である ― 就職率一〇〇%の実績は充分可能だ。小方直幸はコンピテンシー能力は「長い時間」をかけての評価や絶えざる見直しが必要になると言っているが(前掲書「コンピテンシーは大学教育を変えるか」in『高等教育研究』第四集、二〇〇一年)、それを真面目にやろうとすると必修八〇単位くらいないと無理な話なのだ。短期間の、たとえ一年間かけてやる研修屋さんたちの「コンピテンシー研修」であっても、それをお金を取ってやる研修屋さんたち自体 ― あるいはそういった研修を企画するFD委員会や企業の人事部自体 ― に「コンピテンシー」理解が欠けていると言える。逆に言えば、ハイパー・メリトクラシーでもコンピテンシー論でも、必修八〇単位の体系的なカリキュラムなら〈人格〉を形成できるくらいに学生たちを変えること ― そもそも〈体系〉と〈人格〉の陶冶(Bildung)を同じものだとみなしたのがヘーゲルだったのだから ― ができる。街のMBAスクールに期待する前に、大学の可能性はまだまだいくらでも残っている。
※50 先ほど議論した科目数の削減を前提にすれば、八〇単位と言っても科目数は四年間で二〇~三〇科目にとどまるだろうから科目管理もそれほど難しくはない。また厚労省系の資格がらみのカリキュラム(たとえば看護学部の一部など)についても特には科目(=科目名)自体の規制や一科目あたりのコマ数(単位数)の厳格な規制などはないのだから、もっともっと特徴あるカリキュラムがあってもいい。それぞれの分野で八〇単位の必修カリキュラムを組むには教員配置が問題になるだろうが、そのためにこそ最近声高に叫ばれている地域の大学間ネットワーク(教員の貸し借り(●●●●))を活用すべきだろう。
もちろんこれらはスペシャリストや研究者を作るカリキュラムである必要はない。本田由紀ならばこれらを「柔軟な専門性」養成(『教育の職業的意義』ちくま新書、二〇〇九年)と呼ぶかもしれないが ― ただし四年間かけて八〇単位も積み上げれば修士論文程度のものは確実に書けるようになるが ― 八〇単位の厳密なナンバリング、つまり学習の手順をしっかりと踏む経験こそが結果として期待されるハイパーな諸能力を育成することにつながるのである。二四時間グローバルに生みだされ続ける〈情報〉や〈データ〉を処理することの本質は、手順を踏む訓練(我慢する(●●●●)訓練)をいかに積むかにかかっている。それは汎用的な方法論(ノウハウ) ― ヤスパースが、「誰でもが図式に従って『同じことを行うこと』が出来るようになる」「通俗的で皮相な『方法論』」(『大学の理念』理想社、一九九九年)と呼んだような ― を訓練することなのではなくて、一つのテーマを掘り下げ、そのテーマに則した(●●●●●●●●●)方法を通じて、つまり長い時間を通してしか得られない方法を通じて〈知識〉を獲得することの課題である。〈方法〉と〈実体〉とが一致するときにしか、カリキュラムの文化性は生まれない(※51)。それは、ドイツ啓蒙主義の百年前にもヴィーコが「知恵の華」と呼んだものにも関わっている(※52)。百年の時代背景としては、前者は〈市民〉論としての文化性、後者は独断論に対する批判的な態度の文化性(ヴィーコ的に言えば〈クリティカ〉+〈トピカ〉)の違いはあるが。
※51 「メンバーシップ」的なキャリア形成の文化(濱口桂一郎『新しい労働社会』岩波新書、二〇〇九年)が解体し雇用の流動性が高まる今日においてこそ、カリキュラムの文化性の意義が見えてくる。それは、河合隼雄が言ったように文化の「拘束性」と言ってもいいし(『子どもと自然』岩波新書、一九九〇年)、フロイト=ラカン的には社会的な「ωシステム」のような「緩衝系」を構成するものだ(ジャック・ラカン『自我(上)』岩波書店、一九九八年)。
※52 ヴィーコはたとえばソクラテスを念頭に置きながら「古代においては、哲学者たちは、自らの教説と一致したふるまい方を身につけていただけではなく、それに適合的な表現方法をも持つほどに首尾一貫していた」と語り、次のように嘆いていた(『学問の方法』岩波文庫、一九八七年)。「今日では、学生はおそらく論述法においてはアリストテレス主義者から、自然学においてはエピクロス主義者から教えられ、形而上学においてはデカルト主義者から教育を受け、ガレノス主義者から医学の理論を、そして実践のほうを化学者から学び、アックルシウスの徒から『法学提要』を、ファーヴルの徒から『学説彙纂』を、アルチャートの徒から『勅法彙纂』の書を読まされる。このように教育が無秩序で、しばしば歪んでいるので、彼らは部分的にはきわめて博識であっても、しかし知恵の華をなすべき全体においては首尾一貫していない」。これは「あらゆる学科における講座」(ヴィーコ) ― またしても「講座」(引用者註) ― を統合する(●●●●)(論理的に統合する)ことにヴィーコの関心があるわけではない。むしろ「教説と一致したふるまい方」と、単に一致するだけではなく「それに適合的な表現方法」を持つことが、ヴィーコの関心だった。
じっさいフンボルトと同時代を生きたヘーゲルが「真理を実体(Substanz)としてではなく主体(Subjekt)として把握する(ベグライフェン)」(『精神現象学』一八〇七年)と言ったのもその意味でのことだった。それは、『精神現象学』の中でも盛んに使われるフンボルトの〈陶冶(Buildung)〉の概念を、ゲーテやシラーの〈教養〉概念と連動しながら練り上げた実体=主体論だった。方法を実体として、実体を方法として理解する(ベグライフェン)ということだ。それは知識論ではなくて「知恵の華」論なのである。
要するに今日の高等教育の課題は、一般教育か、専門教育かという戦後のCIE(Civil Information and Education)以来の課題を超えて、長い時間をかけてしか見えてこないdisciplineを学生たちにどう経験させるかということなのである。
そういった訓練を経た人材こそがInter-disciplineのdisciplineを見出すことができる。どんな話題にも飛びついて、軽薄なお喋りをし続ける学生たち ― 「選択科目」の好きな学生たち ― は、社会人になってもノウハウ本やノウハウ講座やモデル論に走り、流動性の高いこの社会を担う「自立した」人材(文科省)にはなれない。大学は、今こそ、大学の「自律」(カント)としてのシラバスとカリキュラムに自覚的でなければならない。(了)
※ ※ ※ ※
最後に、私のつい最近の、入学生への御挨拶を付記して、この論考を終わりたいと思います。
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ご入学おめでとうございます。教職員を代表してご挨拶させていただきます。
ご挨拶代わりに、大学とこれまでの高校までの勉強のどこが違うのか、そのことに限ってお話させてください。
まずは、この学生生活の四年間、〈検索〉するなと言いたい。もちろんWikipediaも使うなと。
高校までの学習は、教科書(と参考書)による学習です。誰が書いているのかの著者名は書かれているが、その誰かがどんな思想の持ち主かは書かれていない。Wikipediaになるともっとその洞察はやっかいなものになる。
大学の勉強は、その「誰か」の言うこと、書くことを評価し、吟味するためのもの。あるいは、一つのテキストや解説をみただけで、それを、誰が、どんな思想の持ち主が書いたのかを洞察する能力を身につけること。それが大学で勉強する意味です。
誰かが、〈人間〉という言葉を使った、〈動物〉という言葉を使った、〈環境〉という言葉を使った。
はてさて、それは、誰が使っているそれらの言葉なのか、単に誰の言葉かではなく、その誰かがいつの著作のどのページで書いていることなのか、それを特定しなければならない。
Wikipediaだけではなく、皆さんが日常的に開いている、これと言って引用原典が開示されていない書物のページの中にも数々の先行者の言葉や解説が書き込まれているわけです。
これは、それほどに一つの言葉の意味には「いろいろな」意味があるということではない。
なぜか。「いろいろ」というのも「いろいろ」あるからです。アリストテレスの「いろいろ」とハイデガーの「いろいろ」とでは全く意味が違う。ヘーゲルとではもっと違います。
それはだから、〈定義〉の問題でもない。〈定義〉という言葉も定義しなければならないからです。だから、定義を画定することは、問題の解決ではなく、むしろ、紛糾の原因なのです。「ほんとかよ」というように。
そういう「いろいろ」を一つ一つ解きほぐしていくのが大学の勉強です。
その鍵は、それらの言葉がどの著作のどこのページに書かれているのかを明らかにすることから始まります。その言葉を聞いただけで、一八二ページの三行目に書いてあると言えれば、とりあえず六〇点なわけです。むろん、これは、〈暗記〉の話ではない。
そこからは(特にテキストの読解においては)、教員も学生も、平等です。与えられているものは同じテキストだし、たくさん他の解説書を読もうが、同じテキストを何回も読もうが、まともな洞察をそのテキストに沿って示せば、それでいいわけです。テキストに背後はないのです。テキストそれ自体が背後を背負っているからです。
その意味で、大学の勉強で大切なことは、自分の意見を言うことではなくて、何年、何十年、何百年、何千年の読解にも耐えた書物の具体的なページに基づいたテキスト、他者の言語について意見を(その他者のテキストへ返すように)言うことです。
そのためには、何十冊、何百冊、何千冊もの本を読む必要があるかもしれない。同じテキストを一〇〇回は読む必要があるかもしれない。
本来の自分の意見は、死ぬ直前の一言か二言でいいかもしれないくらいに。
というのも、優れた著作は、自分の意見を言う必要がないくらいに、自分の意見を既に言い尽くしてくれているからです。そこまで実感できれば、充分です。テキストを〈読む〉というのは、そのような実感を得ることと同じです。
大学の四年間はその何冊かを見つけるための四年間でもあります。
フィールドワークやインターンシップや実験や、そういったテキストに直接関わらない勉強においても事情は同じです。
たった一つの言葉、たったの一行に多くの意味を見いだせない人は、〈外〉に出ても、〈経験〉を積んでも、なにも得られないまま多くのものを見逃しています。それらのものを豊かなものにするためにこそ、目と耳を鍛える必要があるのです。
そもそもそんな〈外〉と〈経験〉なら、誰の外も経験も平等に豊かで平等に価値のあるものです。
私のこと(私の育った場所)をあなたは知らないし、あなたのこと(あなたの育った場所)も私は知らない。今日、どこからどんな道を通ってここにきたのかもあなたは知らない。私もあなたのそれを知らない。この「知らない」、「知っている」は平等です。そこに大きな価値の違いはない。「わたしは、わたし」「あなたは、あなた」と言っているだけのこと。そこでは〈学ぶ〉意味などないのです。
したがって、目と耳の経験こそが〈手〉や〈足〉に先行するテキストの経験なのです。あるいは、言い換えれば、目と耳を大切にする人こそが大学を選んだあなたたちの選択なのです。
平凡な日常、平凡な言葉の中に二〇〇〇年の歴史を読み解けない人が、どんなに特異な経験やどんなに遠い異国の経験を重ねても、お金と時間の無駄使いなわけです。〈外部〉はなにも窓やドアの外にあるわけではない。〈外部〉はわざわざ外に出て行かなくても、いつもそこかしこにある。
今日ここにいるわが大学の教員たちはそのためのアシストをします。友達を作ることに急ぐのではなくて、教員を捕まえてください。大学の友達との共同体は、教員を経由した共同体です。友達と仲良くなる前に、まずは、教員に近づき仲良くなってください。
そして大学の教員の背後には一つ一つ書物が貼りついています。教員に貼り付くというのは、教員を通してその書物に貼りつくということです。
そうやって、この四年間で、あなたたちに一生涯同伴する書物を見つけていただきたいと思います。
簡単ですが、新入生歓迎の言葉に代えます。
(二〇一八年四月五日、愛知県蒲郡市にある「ホテル竹島」で行われたフレッシュマンキャンプにて)
●参照文献表
※特に学術論文でもないので大ざっぱに掲げておきます。
※欧語文献における年数の()内表記は欧語原典が出版された年数を意味します。
(1) 1991年「大綱化」以降のシラバス(3頁)
1. 大学審議会答申「大学教育の改善について」、1991年
2. 臨教審第一次答申「個性重視の原則」、1985年
3. 天野郁夫『大学改革を問い直す』慶應義塾出版会、2013年
4. 潮木守一『大学再生の具体像(第2版)』東信堂、2013年
5. 中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」、2008年
6. 佐藤学「教養教育と専門家教育の接合」東京大学教養部第1回FD講演会、2004年
7. カント『諸学部の争い』(角忍・久保光志・遠山義孝・池尾恭一・竹山重光・北尾宏之・樽井正義・宮島光志訳)岩波版カント全集18巻、2002年(1798年)
8. 天野郁夫「新制大学の教育課程編成問題」in国立教育政策研究所「プロジェクト全体研究会第二部」、2017年)
9. デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳)月曜社、2008年
10. シェリング『学問論』(勝田守一訳)岩波文庫、1957年(1803年)
11. デリダ『他者の言語』(高橋允昭訳)法政大学出版局、1989年
12. デリダ『哲学への権利(二)』(西山雄二・立花史・馬場智一・宮﨑裕助・藤田尚志・津崎良典訳)みすず書房、2015年
13. クルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』(南大路振一・岸本通夫・中村善也訳)みすず書房、1971年
14. リオタール『熱狂』(中島盛夫訳)法政大学出版局、1990年
15. ビル・レディングズ『廃墟の中の大学』(青木健・斎藤信平訳)法政大学出版局、2000年
16. ハンナ・アーレント『カント政治哲学講義録』(仲正昌樹訳)明月堂書店、2009年
17. ミシェル・フーコー『ミシェル・フーコー講義集成(12)』(阿部崇訳)筑摩書房、2010年
18. 栄陽子『ハーバード大学はどんな学生を望んでいるのか?』ワニブックス、2014年
19. 苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学』玉川大学出版部、1992年
20. R.ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』(田村哲夫訳)みすず書房、2003年
21. 垂見裕子(「家庭背景による学力格差 ― PISA調査の分析から」日本教育社会学会大会発表要旨集録61、2009年
22. 中澤渉『日本の公教育』中公新書、2018年
23. クリストフ・シャルル&ジャック・ヴェルジェ『大学の歴史』(岡山茂・谷口清彦訳)白水社、2009年
24. 吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書、2011年
25. マーチン・トロウ『高度情報社会における大学』(喜多村和之訳)玉川大学出版部、2000年
26. 吉川徹『学歴分断社会』ちくま新書、2009年
27. ユースフル労働統計-労働統計加工指標集-、2017年
28. 潮木守一『世界の大学危機』中公新書、2004年
29. 児美川孝一郎『若者はなぜ「就職」できなくなったのか?』日本図書センター、2011年
30. 古市憲寿『希望難民ご一行様』光文社新書、2011年
31. 本田由紀『若者と仕事』東京大学出版会、2005年
32. 苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中公新書、1995年
33. 金子元久『大学の教育力』ちくま新書、2007年
34. 天野郁夫「成熟するマス高等教育」in『日本の高等教育システム』東京大学出版会、2003年
35. 金子元久「教育の政治・経済学」in天野郁夫編『教育への問い』東京大学出版会、1997年
36. 吉見俊哉「戦後日本と大学改革」in『大学とは何か』岩波新書、2011年
37. 濱中義隆『大衆化する大学』岩波書店、2013年
38. 蓮実重彦『私が大学について知っている二、三の事柄』東京大学出版会、2001年
39. 天野郁夫『大学の誕生』中公新書、2009年
40. 天野郁夫『帝国大学』中公新書、2017年
41. 立花隆『天皇と東大』文藝春秋、2005年
42. 潮木守一『ドイツの大学』講談社学術文庫、1992年
43. 内田樹『タルムード四講話』国文社、1987年
44. 中教審「大学のガバナンス改革の推進について」、2014年
45. 中教審「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」、1971年
46. 天野郁夫『大学改革を問い直す』慶應義塾出版会、2013年
(2)「概念」型シラバスと「時間」型シラバスと
1. コルバン・クルティーヌ・ヴィガレロ監修『身体の歴史』(鷲見洋一監訳)藤原書店、2010年
2. 中島英博編著『授業設計』玉川大学出版部、2016年
3. 佐藤浩章編著『大学教員のための授業方法とデザイン』玉川大学出版部、2010年
4. 鈴木克明『教材設計マニュアル』北大路書房、2002年
5. 内田樹『街場の大学論』角川文庫、2007年
6. 内田樹『先生はえらい』筑摩プリマー新書、2005年
7. 苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学』玉川大学出版部、1992年
8. 苅谷剛彦『階層化日本と教育危機』有信堂、2001年
9. 苅谷剛彦『イギリスの大学・ニッポンの大学』中公新書ラクレ、2012年
10. ピケティ『21世紀の資本』(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)みすず書房、2014年
11. 内田樹『最終講義』技術評論社、2011年
12. 井上理「『実学』再考 ― 教育改革の動向」、高等教育研究・第四巻、2001年
(3)コマシラバスによるカリキュラムの構築 ― 教員は授業機械か?(31頁)
1. 土持ゲーリー法一『戦後日本の高等教育施策』玉川大学出版部、2006年
2. 潮木守一『アメリカの大学』講談社学術文庫、1993年
3. マーチン・トロウ「高等教育の構造変動」in『高学歴社会の大学』(天野郁夫・喜多村和之訳)東京大学出版会、1976年
4. コントラート・パウル・リースマン『反教養の理論』(斎藤成夫・齋藤直樹訳)法政大学出版局、2017年
5. 小方直幸「大学の授業の何が課題か」in「高等教育研究 第一七集」玉川大学出版部、2014年
6. 苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学』玉川大学出版部、1992年
7. 蓮実重彦『私が大学について知っている二、三の事柄』東京大学出版会、2001年
8. 拙著『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』ロゼッタストーン社、2013年
9. 川添信介『哲学の歴史(第三巻 ― 神との対話)』講談社、2008年
10. 拙稿「大学入試改革の時代錯誤について ― 『人物本位入試』は階層格差を拡大する」(「教育と医学」慶應義塾大学出版会、No.733号)
(4)「コマシラバス」という言葉と一〇年後のシラバス論(47頁)
1. テッドネルソン『リテラリーマシン ― ハイパーテキスト原論』(竹内郁雄・斉藤康己訳)アスキー出版局、1944年
2. 竹内洋『日本のメリトクラシー』東京大学出版会、1995年
3. 竹内洋『日本の近代 12 学歴貴族の栄光と挫折』中央公論新社、1999年
4. 高田里惠子『グロテスクな教養』ちくま新書、2005年
5. 内田健三『臨教審の軌跡』第一法規出版、1987年
6. 拙著『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』ロゼッタストーン、2013年
7. 内田樹『下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉』講談社文庫、2009年
8. 内田樹『待場の教育論』ミシマ社、2008年
9. 潮木守一『世界の大学危機』中公新書、2004年
10. フンボルト「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」in『大学の理念と構想』(梅根悟訳)明治図書、1970年(1809年)
11. フンボルト『言語と精神』(亀山健吉訳)法政大学出版局、1984年
12. 潮木守一「アルカディア学報『フンボルト理念』とは神話だったのか? ― 自己理解の“進歩”と“後退”」2235号、2006年)
13. 伊藤敦広「個別的理想と大学の理念」in「シェリング年報」2018年26号
14. ラカン『自我(下)』(小出浩之、鈴木國文、小川豊昭、南淳三訳)岩波書店、1998年
15. マーチン・トロウ「エリート高等教育の危機」in『高学歴社会の大学』(天野郁夫・喜多村和之訳)東京大学出版会、1976年
16. 中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」、2008年
17. 小方直幸「『専門学校教育と卒業生のキャリアに関する調査』から見えてきた課題」in『キャリアエデュ』No.26、2009年
18. 「判例時報」判例時報社、No.2335
19. 苅谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学』玉川大学出版部、1992年
20. 市川昭午『未来形の教育』教育開発研究所、2000年
21. ブルデュー『実戦感覚(1)』(今村仁司・港道隆訳)みすず書房、1988年
22. ブルデュー『ハイデガーの政治的存在論』(桑田礼彰訳)藤原書店、2000年
23. ハイデガー『存在と時間』(高田珠樹訳)作品社、2013年(1927年)
24. ブルデュー『国家貴族(Ⅰ)』(立花英裕訳)藤原書店、2012年
25. ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』(山本貴光・吉川浩満訳)朝日出版社、2006年
26. 小方直幸「コンピテンシーは大学教育を変えるか」in『高等教育研究』第四集、2001年)
27. 潮木守一『大学再生の具体像(第2版)』東信堂、2013年
28. デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳)月曜社、2008年
29. カント『純粋理性批判』第三章「純粋理性の建築術」(熊野純彦訳)作品社、2012年(1787年)
30. ハイデガー『技術への問い』(関口浩訳)平凡社ライブラリー、2013年
31. シェリング『学問論』(勝田守一訳)岩波文庫、1957年(1803年)
(5)終わりに代えて ― 新しい人材像とシラバスとカリキュラムと(71頁)
1. 本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版、2005年
2. 佐藤俊樹『自由への問い(六) ― 労働』岩波書店、2010年
3. 牧野智和『日常に侵入する自己啓発』勁草書房、2015年
4. 木村元『学校の戦後史』岩波新書、2015年
5. 中教審答申『我が国の高等教育の将来像』、2005年
6. 天野郁夫『大学改革を問い直す』慶應義塾出版会、2013年
7. 寺脇研「『ゆとり教育』は時代の要請である」in「中央公論」、2004年
8. 井上進『中国出版文化史』名古屋大学出版会、2002年
9. ピーター・バーグ『知識の社会史』(井山弘幸・城戸淳訳)新曜社、2004年
10. 与那覇潤『中国化する日本』文藝春秋、2011年
11. 拙論「大学入試改革の時代錯誤について ― 『人物本位入試』は階層格差を拡大する」(「教育と医学」慶應義塾大学出版会、No.733号
12. 高田里惠子『グロテスクな教養』ちくま新書、2014年
13. ブルデュー『実践感覚(1)』(今村仁司・港道隆訳)みすず書房、1988年
14. スコット・ラッシュ「再帰性とその分身」in『再帰的近代化』(松尾精文・小幡正敏・叶堂隆三訳)而立書房、1997年
15. 本田由紀『軋む社会』双風舎、2008年
16. 中曽根答申二次答申第二章「家庭の教育力の回復」、1986年
17. 寺崎弘昭「歴史のなかの教育」in天野郁夫編『教育への問い』東京大学出版会、1997年
18. 藤原敬子「我が国における『教育』という語に関しての一考察」三田哲学会『哲学』第73集、1981年
19. ルソー『エミール』今野一雄訳、1962年(1762年)
20. 立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』河出書房新社、2013年)
21. 本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』NTT出版、2005年
22. 苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中公新書、1995年
23. 苅谷剛彦『階層化日本と教育危機』有信堂、2001年
24. ベネッセ教育総合研究所「第五回学習基本調査」、2015年
25. 耳塚寛明「子どもの学びの四半世紀(1990年~2015年)」in『第 5 回学習基本調査』ベネッセ教育総合研究所、2015年
26. 厚労省「21世紀出生児縦断調査(平成13年出生児)」2017年
27. 苅谷剛彦、清水睦美、志水宏吉、諸田裕子『調査報告「学力低下」の実態』岩波書店、2002年
28. 中澤渉『日本の公教育』中公新書、2018年
29. 垂見裕子「PISAから日本の学力格差をみる ― 家庭的背景・学習方略を中心に ― 」早稲田大学高等研究所、2012年
30. コリンズ『資格社会』(新堀通也訳)東信堂、1984年
31. 土井隆義『個性を煽られる子どもたち』岩波書店、2004年
32. アイゼンステイン『印刷革命』(別宮貞徳訳)みすず書房、1987年
33. ビル・レディングズ『廃墟としての大学』(青木健・斎藤信平訳)法政大学出版局、2000年
34. アラン・ブルーム『アメリカンマインドの終焉』(菅野 盾樹訳)みすず書房、1998年
35. ヤーロスラフ・ペリカン『大学とは何か』(田口孝夫訳)法政大学出版局、1996年
36. 拙著「ツイッター微分論」in『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』ロゼッタストーン、2013年)
37. 小方直幸「コンピテンシーは大学教育を変えるか」in『高等教育研究』第四集、二〇〇一年)
38. ヴィーコ『学問の方法』岩波文庫、1987年(1708年)
39. 本田由紀『教育の職業的意義』ちくま新書、2009年
40. ヤスパース『大学の理念』(福井一光訳)理想社、1999年
41. 濱口桂一郎『新しい労働社会』岩波新書、2009年
42. 河合隼雄『子どもと自然』岩波新書、1990年
43. ジャック・ラカン『自我(上)』(小出浩之、鈴木國文、小川豊昭、南淳三訳)岩波書店、1998年
44. ヘーゲル『精神現象学』作品社(長谷川宏訳)、1998年(1807年)
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