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 新入生歓迎の言葉(フレッシュマンキャンプにて) — 大学を選ぶことは、テキストを選ぶこと 2018年04月06日

新入生歓迎の言葉(蒲郡にあるホテル竹島にて)

ご入学おめでとうございます。教職員を代表してご挨拶させていただきます。

ご挨拶代わりに、大学とこれまでの高校までの勉強のどこが違うのか、そのことに限ってお話させてください。

まずは、この学生生活の四年間、〈検索〉するなと言いたい。もちろんWikipediaも使うなと。

高校までの学習は、教科書による学習。

誰が書いてるのかの著者名は書かれているが、その誰かがどんな思想の持ち主かは書かれていない。Wikipediaになるともっとその洞察はやっかいなものになる。

大学の勉強は、その誰かの言うこと、書くことを評価し、吟味するためのもの。あるいは、一つのテキストや解説をみただけで、それを誰が、どんな思想の持ち主が書いたのかを洞察する能力を身につけること。それが大学で勉強する意味。

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誰かが、〈人間〉という言葉を使った、〈動物〉という言葉を使った、〈環境〉という言葉を使った。

はてさて、それは、誰が使っているそれらの言葉なのか、単に誰の言葉かではなく、その誰かがいつの著作のどのページで書いていることなのか、それを特定しなければならない。

これは、それほどに一つの言葉の意味には「いろいろな」意味があるということではない。

なぜか。

「いろいろ」というのも「いろいろ」あるからです。アリストテレスの「いろいろ」とハイデガーの「いろいろ」とでは全く意味が違う。

それはだから、〈定義〉の問題でもない。〈定義〉という言葉も定義しなければならないからです。だから、定義を画定することは、問題の解決ではなく、むしろ、紛糾の原因なのです。「ほんとかよ」というように。

そういう「いろいろ」を一つ一つ解きほぐしていくのが大学の勉強。

その鍵は、それらの言葉がどの著作のどこのページに書かれているのかを明らかにすることから始まります。その言葉を聞いただけで、182ページの三行目に書いてあると言えれば、とりあえず60点なわけです。むろん、これは、〈暗記〉の話ではない。

そこからは(特にテキストの読解においては)、教員も学生も、平等です。与えられているものは同じテキストだし、たくさん他の解説書を読もうが、同じテキストを何回も読もうが、まともな洞察をそのテキストに沿って示せば、それでいいわけです。テキストに背後はないのです。テクストそれ自体が背後を背負っているからです。

その意味で、大学の勉強で大切なことは、自分の意見を言うことではなくて、何年、何十年、何百年、何千年の読解にも耐えた書物の具体的なページに基づいたテキスト、他者の言語について意見を(その他者のテキストへ返すように)言うことです。

そのためには、何十冊、何百冊、何千冊もの本を読む必要があるかもしれない。同じテキストを100回は読む必要があるかもしれない。

本来の自分の意見は、死ぬ直前の一言か二言でいいかもしれないくらいに。

というのも、優れた著作は、自分の意見を言う必要がないくらいに、自分の意見を既に言い尽くしてくれているからです。そこまで実感できれば、充分です。テキストを〈読む〉というのは、そのような実感を得ることと同じです。

大学の四年間はその何冊かを見つけるための四年間でもあります。

フィールドワークやインターンシップや実験や、そういったテキストに直接関わらない勉強においても事情は同じです。

たった一つの言葉、たったの一行に多くの意味を見いだせない人は、〈外〉に出ても、〈経験〉を積んでも、なにも得られないまま多くのものを見逃しています。それらのものを豊かなものにするためにこそ、目と耳を鍛える必要があるのです。

そもそもそんな〈外〉と〈経験〉なら、誰の外も経験も平等に豊かで平等に価値のあるものです。

私のこと(私の育った場所)をあなたは知らないし、あなたのこと(あなたの育った場所)も私は知らない。今日、どこからどんな道を通ってここにきたのかもあなたは知らない。私もあなたのそれを知らない。この「知らない」、「知っている」は平等です。そこに大きな価値の違いはない。わたしは、わたし、あなたは、あなたと言っているだけのこと。そこでは、〈学ぶ〉意味などないのです。

したがって、目と耳の経験こそが〈手〉や〈足〉に先行するテキストの経験なのです。あるいは、言い換えれば、目と耳を大切にする人こそが大学を選んだあなたたちの選択なのです。

平凡な日常、平凡な言葉の中に2000年の歴史を読み解けない人が、どんなに特異な経験やどんなに遠い異国の経験を重ねても、お金と時間の無駄使いなわけです。〈外部〉はなにも窓やドアの外にあるわけではない。外部はいつもそこかしこにあるのです。

今日ここにいるわが大学の教員たちはそのためのアシストをします。友達を作ることに急ぐのではなくて、教員を捕まえてください。大学の友達との共同体は、教員を経由した共同体です。友達と仲良くなる前に、まずは、教員に近づき仲良くなってください。

そして大学の教員の背後には一つ一つ書物が貼りついています。教員に貼り付くというのは、教員を通してその書物に貼りつくということです。

そうやって、この四年間で、あなたたちに一生涯同伴する書物を見つけていただきたいと思います。

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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