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 60歳も優に過ぎて郊外の戸建て住宅を建て替える暴挙について ― 自分の家庭を賢く捨てることについて 2016年07月18日

60歳もすぎて子供にも手がかからなくなり、仕事も徐々に減ってくると、人生の集大成のように家を建て替える人がいるが、自分が歳を取ると自宅内なのに2階にさえ上がれなくなるし、ちょっとした段差にも躓き始めるというのを忘れている人がいる。

要するに、子供に手がかからない分、自分自身に手がかかり始めるのだ。子供は成長して自立するが、自分はどんどん手がかかり始める。死ぬことさえ自分でできない状態に陥る。

超遅い自宅用エレベータは2階へあがるのがもっと面倒。2階へ上がる気それ自体を殺いでしまう。そもそも超高層マンションの最大の屈辱は、自宅に着いているのにエレベータを待つことなのだから。超高層の最大の恩恵は低層階の人があの一階共有エントランスや共有スペースの豪華な環境を自室から歩ける距離で満喫できることにある。私なら人工林にしても植栽で目隠しになる部屋を選びに選んで超高層の2階に住む(笑)。

そもそも戸建て住宅は門塀から始まって段差の集合体。戸建て住宅は段差の”総合商店”なのだ。車椅子では生活できない。直接道路に面した戸建ての場合、玄関からのアプローチは段差があればあるほどデザイン的な風格も上がるというもの。凝れば凝るほど段差は欲しくなる。

それにそもそも誰が、自分たち以外誰も住んでいない部屋の掃除をするというのだ。2階なんて蜘蛛の巣だらけになるに違いない(そもそも戸建て住宅は人間より虫が居着いているのだから)。

住み込みのお手伝いさんや24時間介護ヘルパーを雇える大金持ちならいざしらず、戸建て住宅は生活の前に掃除(手入れ)が存在している。これは衰退の果てにトイレさえも自分で行けなくなる老夫妻では対応しきれない。

世田谷時代の、同じマンションに住んでいた私の知人で、近くに戸建ての注文住宅を建てた”社長夫妻”がおられたが、建てて3年でご主人が癌を患われ、6年目に再度2LDKのマンションに引っ越しされた。

最初は近所の友達を集めてお料理教室を楽しんでおられたが(そのためにダイニング・リビングなどの間取りも凝りに凝られて)、それもつかの間、その「人生最後の」ご自宅を見限って、桜上水のマンションを再度購入された。本当の終わりは、もう一つ先にあったのだ。

戸建てなんてとんでもないよ、とあれだけ私が「やめとけ」と言ったのに、今更。たぶん、土地も含めて二億円は無駄使いに終わったと思う。引っ越し貧乏というのは、「人生(の終末)」を信じれば信じるほどリアルになる。

結局、人生の先が見えてきて、凝るものが”自宅の設計”くらいしかなくなるのだ。お金の使い道もそれくらいしかなくなる。年を取っての投資が老い先の短い自分にしかないというのを〈貧乏〉と言うのかもしれない。

そして、そんな意味不明な新築の造作に凝る親ほど、未だに結婚できていない30歳後半から40歳前半の娘と同居していたりもする。「娘のためにも」というのは、この場合、「要らぬお世話」に過ぎない。この親にしてこの娘、ということになる。

そんなかまい方をするから、娘も自宅に寄りつき、仕事もしないことになる。夜中にTwitterを始め、昼夜を問わずNetflixの24時間ドラマを見つづけることになる。親が老後の家にこだわればこだわるほど、娘は逆に家庭的ではなくなる。『時のないホテル』に描かれた世界のように、そんな娘は「蜂の巣になり広場で死す」しかないわけだ。

この親が、娘の不幸以前に、しかももっと無知なことは、今後大病を患い治療付けになって死ぬこともできない状態に10年も20年も陥ることについてだ。

病気にならないにしても、まずは、24時間ケア付きマンションにどちらかが先に、あるいは一気にお世話になることになる。そしてそれは、今回の新築の家で暮らすこと以上の長期に渡ることの確率の方がはるかに高い。一人暮らしになっただけで、今回の新築の造作は全く意味のないものになる。

高齢になって人生の集大成のように家を改築する人(男)は、相方より自分が先に死ぬと固く信じている人が多い。自然を求めて田舎暮らしを始めるのも大概がそんなご夫婦。一人になることを忘れているに過ぎない。いい歳をして一体何を学んできたのだろう。

60歳や70歳になっての環境の造作は病院かケア付きマンションの良質な選択でしかない ― 最近私の知人でお母様を介護付きマンションに預けた方がおられるが、戻ってこない入会金5000万円、月々の食費・介護料50万円というものだった。死ぬにもそんなにお金がかかる時代になったということだ。われわれ貧乏人はどんな治療も不可能な病に一気にかかってすぐ死ぬしかない。

郊外の家を一軒丸ごと建て替えるくらいなら、都心に出て、代々木公園か、芝公園の駅近くに2LDKくらいのマンションを買うしかない(これとても一人暮らしになった場合には広すぎるかも)。

出歩きやすいところに(移動がたやすいところに)、老舗のレストランやデパートがあり、それでいてよい病院が2,3存在していることが条件になる。それであれば、自分が亡くなっても、娘はいくらでもそのマンションを”活用”できる。郊外の物件なんて、建てて10年もしないうちに娘が涙を流しながら上物の解体シーンを目の当たりにすることになる。

娘がなかなか結婚をしなかったり(結婚ができなかったり、挙げ句の果てに自撮りしはじめたり)、それどころか幼児の時から携帯電話を持たせる家庭が増えてきている点では、すでに家族や家庭は充分に解体している。

だから二階建ても建てる前から充分に解体している。だから自宅で死ぬことも充分に解体している。だから”人生”もすっかり解体している。自分で死ぬことが解体してる。親が真っ先にすべきことは自分の人生を捨てることと、自分の娘を捨てることなのだ。そして、真っ先に自分の家庭を賢く捨てることなのだ。→「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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