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 朝日新聞GLOBEの「入試とエリート」(3月6日)、および日本経済新聞の「大学入試新テスト、記述式導入 有識者会議が最終報告」についての「識者の味方」(3月25日)の私のコメント補遺 2016年03月29日

朝日新聞GLOBEの「入試とエリート」(3月6日)の中の私の記事「点数主義の方が多様だ」 http://globe.asahi.com/feature/article/2016030300006.html?page=4 、および日本経済新聞の「大学入試新テスト、記述式導入 有識者会議が最終報告」 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG24H49_V20C16A3EA2000/ についての「識者の味方」(3月25日)の私のコメントで話しきれなかった部分を以下で補っておきます。

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〈学力〉とか〈知力〉とか〈思考力〉というのは、それらの能力が〈現在〉と〈個人〉に集約されているために、短い時間の紙試験であっても、あるいは一回の紙試験であってもそこそこの選抜が可能になりますが、人物評価における〈人物〉というのは、長い時間(=環境)によってできあがったもの。だからその評価は、〈個人〉と〈現在〉を超えたものの評価になります。一般的に言って、自他観察、自他評価の時間が短ければ短いほど個人性は高まり、長ければ長いほど環境性が高まります。

結局、ハーバードも、親の知性、親の文化、親のダイバーシティを選抜しているに過ぎないと言えます。

富の再配分ということを言う人たちがいますが、それは、すでに起こってしまった格差に対する後追いの配分(厚労省的な配分)。だから福祉的なコストがかかりすぎる。

それに対して〈学校教育〉は、前配分。〈学校教育〉は教室に入れば皆平等という前提に立っています。同じ教室で同じ教科書で同じ先生に学ぶ。この〈同じ〉は、親の違い、地域の違い、階層の違いを相対化する〈同じ〉なわけです。学校教育の教育力を高めることこそが前配分機能を高めることになります。

教育における〈多様性〉とは、個人的な多様性や個性のことを言うのではなくて、社会的なリーダー層の中に〈多様な階層〉から選抜された人たちが活躍している状態が作り出せるかどうかを言うのです。学校教育における〈多様性〉問題を、人物の個性や多様性、というふうに理解してしまうと、ふたたび厚労省的なコストが跳ね上がっていくことになります。

ハーバード大学のダイバーシティ選抜も、例えば留学生のTOEFL点数は、満点が「当たり前」というもの。ダイバーシティおける脱学力主義というのは、学力あって「当たり前」という前提だから議論がいつも噛み合わない。

結局、「学力だけで決めてはいけない」と言う場合の「だけ」の実体が問題なのです。人物が良ければ誰でも入学できるというわけでもないからです。ハーバード大学なんて、日本的な言い方をすれば同じ大学の「一般入試」ですらスイスイ合格できる優等生をさらに文化選抜するのだから。脱学力入試でよく取り上げられる東北大学でも、AO入学生の学力は、一般入試でも充分通用する学力を有しています。

結局、脱学力主義と言いながら、知識点数の成金主義(=メリトクラシー)を前提に、その上で、文化的な家族の出自を持ったものを、成金受験生を省いて選抜しようとしているのだから、もっとあくどい陰湿な階層主義が露呈しているわけです。

しかし、点数主義選抜の本質は、メリトクラシーであり、メリトクラシーの本質は成金主義であり、成金主義の本質は、親の文化的階層を子供の世代でシャッフルすることにあるのですから、受験世代を、点数とは別の人物評価選抜で重点化すると、文化格差(ハビトゥス格差)は一段と進むことになります。

つまり、ハーバード大学のダイバーシティ選抜の本質は、SMAP的な「オンリーワン」思想ではなく、ナンバーワンでなければオンリーワンは存在しないというダイバーシティ。人はみな生まれたときから個性豊かという平和なヒューマニズムとは何の関係もないのです。→「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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