来月4月下旬刊行予定の私の著作『努力する人になってはいけない』の「前書き」原稿 (話体表出の方法について)― 読んだ人は必ず買って下さい(笑) 2013年03月14日
★まえがきにかえて
「先生、先生」と言われ続けて何十年にもなる。そうすると「先生」は大体がバカになる。先生がバカになるのにはわかりきった理由がある。
自分より少しはバカな人(学生たち)を相手に教え続けるからだ。だから少しはバカな人はどんどん賢くなっていくけれど、自分自身はバカなままにとどまる。社会人なら「お前はアホか」と言われ続ける20代、30代でも、「先生」と言われ続けるのだから、おかしな大人になるに決まっている。そうして自分のバカが学生にばれそうなときに、選択科目は半期で変わり、担当学年が変わり、入学生と卒業生が変わり、学生は消えていく。先生のプレゼンスは長くても4年持てばいいわけだ。先生のバカはそうやって二重に守られている。
100歩譲って、“教え方”はどんどん賢くなっていくと言ったところで、知っている内容が変わらない点では一緒のことだ。教え方が変わることによって教える内容も変わるともっともそうなことを言う人もいるが、それは“教え方”という言葉の乱用に過ぎない。「教育」というのは、“教え方”の研究(文科省は「教育研究」という便利な言葉をよく使うが)でもって教える内容を棚に上げるシステムだと思った方がいい。「先生」と言われる以上は、それくらいの恥を覚悟しないと。
1000歩譲って、「先生」の相手は学会に集う研究者たちであってバカな人(学生)ではないと言っても、日本村のような学会で論文業績を作ることは、大学全入時代の学生を人材として育てるよりはるかに簡単なことだ。もっとも私の経験では、〈教育〉に関心のない教員より、〈研究〉に関心のない教員の方がはるかに教育力がない。100歩譲っても1000歩譲っても、しかしいずれにしても「先生」は変わらない。
昔、トロツキーは、ロシア共産党はすべてを変えたが唯一変わらなかったものは、そのロシア共産党自身だと言ったことがある(埴谷雄高は何度もこの言葉を紹介していた)。前衛主義や啓蒙主義が破綻するのは、自分が考えていることについていつも「知ったかぶり」をするからである。前衛主義や啓蒙主義の本性はいつも軽薄で保守的なものにすぎない。映画『ミッドナイト・イン・パリ』に出てくる大学教授やアメリカ文化もそれと似たところがあるのかもしれない。
ラテン語の格言でDocendo discimus(ドケンドーディスキムス)という言葉がある。「教えることによって学ぶ」という意味だが、これはくだらない『学び合い』教育とは何の関係もない。いつでもどこでも最高判断、最高認識が露呈する仕方で学ぶ者に接しなさいということだ。学ぶ者の程度を考えることは教える者自身の堕落に他ならない。留保なく教えることができるときにこそ、〈教育〉と〈研究〉は重なることが可能になる。そもそも学ぶ者の程度を選ばないためにこそ専門性探求は存在するのではなかったのか。できない研究者ほど、学ぶ者(の程度)を選びたがる。
「教えることによって学ぶ」とは、教えることによって自分を空っぽにするほどまでに最高判断で語りなさい、教える者自身が一から学び直さなくてはならないまでに教えなさいということだ。
私が大学の最初の教壇に立ったのは400名の受講者のいる階段教室だったが、一コマ目で話すことが尽きてしまったことがある。そのとき私は、10年以上哲学(ハイデガー・フッサール、および現代思想)の勉強に集中してきた私のストックの貧弱さに自己嫌悪しきりだった。10年はたかが10年でしかなかったわけだ。「有益な」情報が学生であってもすぐに手に入る昨今の状況では、当時の10年は今の1年。だから今の大学の教壇に立つには100年はかかるということだ。
トークというのは、研究者にとって通俗の極みのようなところがあるが(そんなものは政治家にでも任せればいいというように)、時として書き言葉よりははるかに圧縮率が高いことがある。500枚の論文の内容も90分のトークで語り尽くせることがあるように。
書き言葉はストックを積み重ねてどんどん観念的、体系的になってしまうが、トークは一言で認識を地べたに引きずり落とすことがあるのだ。若輩者の私にとってストックが足りないのはもちろんのことだが、トークの解体力というのはとてつもなく私自身の「学ぶ」姿勢を揺さぶり続けたと言える。
ところで、この本の諸々の記事は、2001年以来書き続けてきたブログと式辞・講演録からなっている。「ブログ」と言っても半分以上は仕事関連の記事だ。だからブログ本という趣とは少々異なる。それには理由がある。
もともと私がブログを始めたのは、1995年に私が学内にロータスノーツを入れたことが機縁になった。学生すべて+教職員すべてをノーツクライアントにしたのが1995年だから、全国の(大学を含めた)学校の中ではグループウエア導入の最初の組織的事例だったと思う。まだ高速LAN規格も決まっておらず、「イントラネット」という言葉がやっと出回り始めた頃の話だ(当時ITOKIなどは「内部インターネット」という言い方をしていた)。
1995年に全教室定員数の「情報コンセント」(懐かしい言葉!)が存在しているというのも日本で最初の校舎設計だったと思う。サーバーで全ての授業のシラバス・コマシラバス、および教材テキストを管理したかったのだが、当時テキストデータベースとしてはノーツが最良のものだった(全記事、全文フルテキスト検索ができるものは当時ノーツしかなかった)。
そのノーツの全学掲示板に、グループウエア活性化の演出も含めて日々書き込んでいたが、まだグループウエア掲示板に何を書き込めばいいのかわからない教職員から、「芦田さんの書き込みは管理職のくせに私事が多すぎて公私混同している」という風評が出回り始めた(今なら笑い事で済ませられるが)。その風評は大学時代の恩師の追悼記事を書き込んだときに頂点に達した。ネット時代の“公私”とはなかなか難しいものだというのがそのときの私の印象だった。それは今でも何も解決していない。
Twitterのように秒刻みで私事を“公表”するメディアが登場している今、その問題はもっと複雑なものになっている。論文にも教育にも関心のない暇な大学教授や仕事の少ない小企業の社長が空虚な“オフィスアワー”で“公”を交えてツイートするのも今では慣例に近いものとなりつつある。
現代の掲示板とも言えるTwitterでは公私共々偽装する傾向があるが、それは意識的なものばかりではない。旧来の公私の概念が崩壊しつつあるということだ。
そういった事態の萌芽とも言える掲示板騒動を10年以上前に経験して、私は学内掲示板への記事upを当分差し控えることにした。その結果が私のブログ『芦田の毎日』だった。それもあって、私のブログはほとんどすべてのものが仕事場の諸問題に関わって形成されたものとも言える。単なる学内掲示にとどまらなかったという意味では、内閉的になりがちな「学内」文章も少しはまともなものになったのかも知れない。
ブログで私が確かめようとしたのは、トークと書き言葉、私的な文体と公的な文体との接点だった。「公的な」とここで私が言うのは、20代~40代前半までの〈哲学〉学究時代の「論文」、ストックの文体のことだ(一部は拙著『書物の時間』にまとめられている)。
私の仕事を今でも支えているのはほとんどすべてこの時期に形成された思考だが、哲学論文の概念思考ばかりでは40代、50代以降の組織の思考を形成することはなかなか難しい。それは会社組織はもちろんのこと、大学を含めた〈学校〉組織でも同じことだった。
学究上の論文は長い溜めを待ってくれるが(最近ではそうとも言えず1年単位で論文業績を求められる即席ラーメンのような論文が増えているが)、組織文書では日常的に巻き起る案件に引き摺られた文体を強いられる。孤高を保つか、疲弊し続けるか。それとも両者の限界を同時に乗り越えることができるような文体を形成するか、そんなことが本当にできるのか、それが、私がブログに込めた思いだった。
昨年亡くなった吉本隆明は、太宰治の文体を評して〈構成的な話体〉と言ったことがある。「太宰のばあい自己の〈私〉意識の解体が意識されればされるほど話体表現は風化や横すべりに走らずにかえって構成的になるという逆説がはじめて成立した」(『言語にとって美とはなにか』)というものだ。
あと一歩外れると通俗に堕してしまう太宰の文体の彩をこんなふうに抉った評論に、当時高校生の私は衝撃を受けたが、その本来の意味については長い間わからないままだった。
inputとoutputとが同時に生じるネットの文章を書き続けていると、吉本が〈表現転移論〉でやろうとしたことの意味がよくわかる。フロー(話体)に文体がずーっと晒され続けるからだ。これは読者の多少を問わない。書き手の質も問題ではない。まさに話体を構成的に形成できるかどうかにかかわっている。ネットの書き手はいつでも「風化や横すべり」に晒されている。
特にブログは制限のない長文というフローを出現させたし、Twitterでは開き直った短文が大手を振って公共化された。「3.11では大いに役立った」「無名の者が一気に多数を獲得できる全く新しいメディア」というように。吉本が(太宰を)芥川よりも重要だとまで言って、守ろうとした文体の質 - 「話体表出の方法」と吉本は言っていたが ― はどこへ行ったのだろう。
この本の文体が、概念展開でもない、講演・講義録でもない、そしてブログの文体でもないとすれば、「話体表出の方法」に私が少しはこだわったからかもしれない。
もちろん「話体表出の方法」というのは、吉本が言語の〈像〉、「大衆の原像」(を知識の課題の中に「繰り込む」)と呼んだものに関わっており、彼のキー概念である指示表出と自己表出の交点の課題でもある。私が少しくらいこだわったところで思いが叶うものではないことは私が一番わかっている。
一方で「話体表出の方法」にこだわった吉本がいる。一方で秒刻みに根こそぎ「話体表出の方法」を解体するTwitter現象 ― 一つ一つの秒刻みの「つぶやき」にまでアドレスが存在するという情報化 ― が存在している。私の試み自体はどんなに脆弱でも、この事情がどうなっているのかに関心を持たないわけにはいかない。
私がこの本をまとめる気になった動機はそんなところだが、ヘーゲルは前書き(Vorrede)は、元々余分なものだと何度も繰り返していた。動機は〈本文〉の中にこそあるからだ。本文から離れた動機など存在しない。前書きなどほとんどはウソかもしれない。たしかにそうだが、しかし、ヘーゲルほど序文が好きな哲学者はいなかった。ドイツ本国では『ヘーゲル序文集』という本まで出ているくらいだ。
前書きは、出版社や編集者から言えば読者と本文とをつなぐ架け橋なのだろうが、自分で架け橋を作る著者というのもおかしなものだ。架け橋自身も〈本文〉の役目だろうからである。それに前書きだけで、前書きを読んだからこそ、そこで〈本文〉へと進むのを止める読者も多いに違いない。そうなると架け橋もまた、単なる本の体裁に過ぎない。結局、どんなに理屈を付けても前書きが存在する理由などない。
「でもねぇ」と言う著者がそこにいる。終わったときにこそ、人は何か一言言いたくなるものだ。終えたいという気持ちと続けたいという気持ちのあらわれが、前書きへと人を浮力のように誘う。生きること(生死)の余分のように前書きが存在している。ヘーゲルのように体系的な美を求めた哲学者でさえそうだった。よーく考えてみれば、「話体表出の方法」とは〈体系〉に出入りする過剰を組織することだったのかもしれない。そのことにこの本が成功しているかどうかは、私よりほとんどの人が若いであろうこの本の読者たちに委ねるしかない。
平成二五年三月十八日 東京北品川・御殿山にて 芦田宏直→「にほんブログ村」
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芦田先生のブログ、ツイッターを楽しく読ませてもらっています。
この序文には今まで私が読んだ内容が、感動的なまでに凝縮されていて、しかも読みやすいので驚きました。鳥肌とともに笑ってしまいました。
絶対に本買います。