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 接遇=コミュニケーション能力と専門教育と ― キャリア教育は本来の学校教育を衰退させる 2011年05月15日

1. 最近、通っている散髪屋が気になる。

2. 洗髪する度に、洗髪中は「かゆいところはありませんか?」、洗髪後は「目や耳に水は残っていませんか?」といちいち聞いてくるのだ。しかも親切で丁寧でさわやかに聞いてくる。

3. たぶん、「お客様に聞け」と“師匠”によってか“専門学校”で教えられたのだろう。そう言えば、散髪が終わって帰るときにも店の玄関先までその店主が送り出してくれる。これも教えられたに違いない。丁寧だ。

4. しかし、これはおかしい。この接遇=コミュニケーション教育は間違っている。

5. そもそも大概の客は、「かゆいところはありませんか?」「目や耳に水は残っていませんか?」と聞かれて、ここがかゆい、目に水が残っているなどといちいち言いはしない。わがままだと常々言われている私であっても(笑)、かゆいところはあるし、目にも一杯水が残っているが、一度も文句を言ったことはない。

6. お客様を獲得するのが難しいのは、お客様というものが実は声を上げないものだからだ。声を上げないままにどんどん判断を下しているのがお客様(消費者)というもの。アンケートで商品を作っても魅力的なものにならないのもそれが理由。

7. この場合の散髪屋とのやりとりでも、大概の客は、へたくそ、と内心思うだけだ。私でさえ我慢する。消費者のパワーがこわいのは声を上げるからではなくて、黙って立ち去るからである。

8. この散髪屋は、結局のところ、「かゆいところはありませんか?」「目や耳に水は残っていませんか?」と言うことによって顧客に甘えているわけだ。顧客の本当の怖さや要求をわかっていない。

9. しかし大概の接遇教育は、このレベルのコミュニケーションに留まっている。いわゆるコミュニケーション「スキル」というものだ。

10. 本来の接遇は、顧客にわざわざ聞かないで済むための接遇でなければならない。一流のレストランと三流のレストランの違いでも、顧客にテーブル上で足りないものを意識させてわざわざ手を上げさせてしまったらもう終わりだ。フロアマネージャーがお客様のテーブルの食事進行をいつも見続けていて対応できるかどうかが一流かどうかの鍵(の一つ)を握っている。

11. 結局のところ、この散髪屋の接遇対応は満点だが、満点であるが故に落第というものだ。

12. たとえば、目や耳に水が残らないための「拭き取り」とは何か。どうすれば目や耳に水が残らないための「拭き取り」ができるのか。それができれば、わざわざ顧客に聞く必要はない。

13. 「拭き取り」は、したがって接遇の対象ではなくて専門教育の課題だ。「拭き取り」という作業(スキル)を、どの程度の解像度(初級・中級・上級「拭き取り」)を持って教えているのかという専門性そのものの課題だ。

14. 接遇教育やコミュニケーション「スキル」教育は、こういった専門教育の衰退を加速させているだけなのである。

15. 「念のためにお客様に聞いてみよう」と教えながら、結局、「念のため」ではなく、〈基本〉(専門的な基本)ができていないのだ。「念のため」というのは〈基本〉ができていないことをいつも隠すように機能している。

16. 「単に専門知識や専門技術を教育するだけでは意味がない。接遇教育やコミュニケーションスキル教育も必要」と言われる場合の「単に」も同じ。

17. いったいいつ大学教育や専門学校教育が専門知識や専門技術を徹底して教えたことがあるというのか。

18. その検証もせずに、「念のため」「単に」とあいまいな言葉を並べながら、キャリア教育やコミュニケーション教育が屋上屋を重ねるように高等教育の諸課題を見えなくしている。

19. キャリア教育とは、本来「拭き取り」を完璧に遂行できる能力が前提でなければならない。それなしに理容師の「キャリアデザイン」などあり得ない。

20. お客様の顔に残った水を拭き取れない理容師、指先で頭皮のかゆいところを感じ取れない理容師に、どうキャリアデザインを描けと言うのだ。

21. ところが実際は、「拭き取り」教育の解像度が低い学校ほど、“キャリア教育”“コミュニケーション教育”に走っている。

22. 就職センターの充実がコアカリキュラムの衰退を招くように、「スキル」教育=“キャリア教育”“コミュニケーション教育”の充実は、むしろ専門性のストックの衰退(教員の専門性の衰退)を意味している。

23. あらゆるスキルやコミュニケーションは、専門性の研鑽と薫陶の結果出てくるものに過ぎない。

24. input(ストック)のないoutput(コミュニケーション)は存在しない。教育におけるoutputは、inputの強化のためにあるのであって、「スキル」そのものを磨くためにあるのではない。

25. 大学や専門学校がキャリア教育やスキル教育に走るのは高等教育の自殺行為でしかない。そんな学校は早晩滅びる。コミュニケーション能力や即戦力を期待する三流企業と共に。→「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

初めまして、竜崎ともうします。

コミュニケーション能力は社会で生きていく中で、
お金を稼ぐにあたって、

最重要項目の一つだと思っています。


投稿者 竜崎 : 2011年05月18日 14:28

>竜崎様

コールドリーディングにかけるオレオレ詐欺や占い師になるには、必要だと思うよ(笑)

投稿者 ashida : 2011年05月18日 15:05

「学び合い」教育の諸問題の記事から入り、さまざまな記事を閲覧させていただきました。

自分の中でぼんやりしていた課題が少し明確になりました。ありがとうございます。

貴ブログを拝見し、私なりに理解し、明確にしたことは、毎回の授業において、生徒の「満足度」と客観的指標に基づく「到達度」の両立を図らなければならない、ということです。

生徒の「満足度」指標に教員が逃げることなく、また、「学習到達度」に生徒を追い込むことでもなく、その両立を目指していきたいと思います。

投稿者 川嶋安起夫 : 2011年06月11日 00:56
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