Xさんよりの最後の返信 ― 「インターフェロンベータ1bは日本人の再発寛解型MS患者において有効である:ランダム化された多施設研究」論 2009年11月16日
●Xさんよりの返信(11/25/22:05)
Pさんへ
Fail Safeが大切である点について大いに同意致します。
繰り返しですが、現状の査読システムには問題点があります。
研究者自身がそれを知っていますが、なかなか改革は難しいものがあります。
雑誌によっては、例えば新しく作られたPLoS Biologyやその姉妹雑誌のように、(PLoSはPublic Library of Scienceの略です)当該論文を扱ったhandling editorの名前や、場合によっては査読者の名前も掲載することによって責任の所在をはっきりさせ、査読プロセスの透明化を図ることを試みている雑誌もあります。この雑誌はopen accessになっていて、
どなたでもコメントを付けることが可能です。
ご参考になれば幸いです。
大森さんへ
詳しいご説明を有難うございました。
研究者・科学者の倫理観については、「倫理観を持たなければならない」点についての合意はあると思いますが、具体的に、どういう場合にどうすると倫理的に逸脱しているか、については、現場の研究者の所属するコミュニティーによって、異なることが多いように感じます。
コンソート声明は1993年に制定されているのですから、当該論文が投稿された時点において、著者は当然そのことはご存じであったはずでしょう。
治験のデザインを考えた時点でどうなのかは、私にはわかりません。
そのときのインフォームドコンセントがどうであったのかも具体的には論文からは読み取れません。
ですので、ひとつ前のコメントでは「この論文の妥当性については雑誌編集部が負っている」と述べました。
これは、臨床研究でも基礎研究でも同様でしょう。またその妥当性の程度について、Editorial Commentsにはすでに「慎重に扱うべきである」と読み取れる内容が書かれていることも記しました。
現場の研究者は、それぞれの専門性の範囲において、忙しくしているのが現状であり、
他の研究者が行っている研究に関しては、分野が少しでも遠くなれば、ほとんどフォローできないと思います。また、そのことを咎めることはできない思います。
臨床研究などにおいては、よりメタ解析が必要なのでしょうし、可能な限り生データそのものに誰もがアクセスできるようなシステムを構築することが今後望まれるであろうと思います。
少なくとも、ネガティブデータでは論文が出せない基礎研究と異なり、「これは効かない」でも論文になるのが臨床研究ですから。
芦田さん
貴ブログ上でこういう議論が為されることには大きな意味があると思います。ただ、それが「何か」につながっていかないのであれば、私自身はこれ以上、同じようなやりとりを繰り返すことは避けたいと思います。
芦田さんの呼びかけによって当該論文を読み、「こういう解釈も可能です」ということを申し上げてきました。論点を浮かび上がらせることによって、誰かが、自分の利益誘導ではないかたちで、良い制度やシステムを構築してくれればと思います。
「誰かが」と書きましたのは、私自身が適任の守備範囲ではないからです。治験のデザインやデータの扱いをきちんと理解される方がリーダーとなり、情報科学の専門家とともに
医師や患者さんのエンドユーザが協力しあえるチームが作られ、今後の医学の進歩に合わせて臨機応変な対応が可能で、フリーアクセスのデータベースが構築されるべきと拝察します。情報科学はそれを可能にすると信じています。
私自身は自分に与えられた使命を、できる範囲でまず果たしたいと思っています。良い経験をさせて頂いたことを感謝しております。
末筆ながら、奥様のご病状が少しでも良くなることを心からお祈りしています。
(Version 1.0)
※このブログの現在のブログランキングを知りたい方は上記「教育ブログ」アイコンをクリック、開いて「大学」「専門学校教育」を選択していただければ現在のランキングがわかります)
この記事へのトラックバックURL:
http://www.ashida.info/blog/mt-tb.cgi/1186