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 twitterとは何か? ― ブログ、SNS(ミクシィなど)に続く第三のメディア 2009年11月01日

Twitterを使い始めて約1週間が経ちました。まだまだ五里霧中という感じですが、私なりの解説をしてみよう。

twitter.jpg

まずtwitterの仕組みを簡単に。

利用するには、登録画面にアクセスします。→http://twitter.com/

登録画面の右側「今すぐ登録」をクリックすると登録画面に移ります。→https://twitter.com/signup

登録画面では「名前」「ユーザー名」「パスワード」「メールアドレス」を打ち込んで「アカウントを作成する」をクリック。

「名前」も「ユーザー名」も勝手に付けることができます。ちなみに私の場合、「名前」は芦田宏直、「ユーザー名」はjai_anです。既に使われている名前だけははねつけられますが、後は自由に付けることができます。

これでtwitterの参加者となります(twitterになったわけです)。

ここまでで何ができたかと言いますと、世界中のtwitterの「つぶやき」を聞くことができるtwitterサーバーに登録され、自分自身も自由にtwitter(さえずる=つぶやく)ことができることになります。

「つぶやき」の受発信はどんな仕組みでなされるのかと言うと、キーワードは「フォローする」「フォローされる」というものです。

「フォローする」は、ある特定の人の「つぶやき」をその都度読み続けるということ。自分が関心ある人の「つぶやき」を追い続けるということです。「フォローする」人を「フォローワー」と呼んだりもします。

「フォローされる」は、そのように「フォローする」対象に自分自身が特定されるということです。

フォローする人物の特定は、検索で行います。twitterサーバーにある世界中の人の「つぶやき」を全文検索できますから、関心のある言葉(事柄)を「つぶやく」人をどんどん選んで「フォローする」というアイコンをクリックするだけで、その人物の「つぶやき」をリアルタイムでフォローできるようになります。

有名人のリストなどはTwitter社が人物の特定(偽者ではないということ)を公認しながら公開しています(http://twinavi.jp/populars)。それを見ながら「フォローする」こともできます。

さて、自分自身の「つぶやき」は自分を「フォローする」人にしか見えません。自分自身を「フォローする」人が誰もいないときには自分自身の「つぶやき」は誰にも読まれることはありません。またつぶやきを「非公開」にすることもできます。フォローする人同士で組織的に「つぶやき」を「非公開」にすることもできます(仕事のグループウエアで使っている人もたくさんいます)。

ミクシィ(MIXI)のようなSNSとtwitterが異なるのは、「フォローする」「フォローされる」という関係が双務的な関係になっていないということです。

ミクシィ(MIXI)では、このフォローの双務性を「マイミクになる」という言い方をします。この場合、基本的にはお互いの書き込みが読まれ得る関係に入ることになりますが、twitterではその関係はありません。フォローしても、フォローされることはない。相手にはフォローしたことがわかるにはわかりますが、特にフォローし返す必要はない。

そもそも「フォローされた人」がそのフォローした自分自身をも「フォロー」していない限り、自分自身のそのフォローした人への「つぶやき」を直接見ることはありません。twitterでは、反応(返信)自体が孤独な「つぶやき」なのです(自分をフォローしている人には、その孤独な返信が共有されていますが、フォローを拒絶することもできます)。

したがって逆に、ミクシィ(MIXI)のように、「書き込み(更新)したのにコメントがないのは冷たいじゃないか」というような(「社会」的な)プレッシャーがありません。

このフォローする、フォローされることの非対称性を、一言でいえば、「つぶやき」ということになります。「つぶやき」は、返事をされたり、賛否を問うことを期待していません。フォローする人に見られはしていますが、SNSのような堅苦しさはないわけです。

このフォローする、フォローされることの非対称性は、「つぶやき」の持っている短文性からもきています。twitterでは最大140文字しか入力できません。これでは応酬するだけの材料が出てきません。またつぶやく人もそれだけの短文であれば、何かを期待して書き込んでいるわけでもない。「つぶやき」の短文性が、フォローする、フォローされることの非対称性を構成しているわけです。

その上、短文であるために何十人か、何百人かを「フォロー」すれば、1時間単位、10分単位でいくつもの「つぶやき」が続き、あっと言う間に「つぶやき」が流れ消えていきます(追おうと思えば追えますが)。「つぶやき」の短文性(軽さ)は「つぶやき」の大量性に繋がり、その大量性がますます非対称性を強化していくわけです。無視されていることが大量になれば、無視されていることはインフレし、どうでもよいことになります。無視されることが気にならない。

また「つぶやき」がその本性からして短文であるために、作文力の個人差が、ブログはもちろん、ミクシィの場合と比較してもあまり前面化しません。これは発信だけではなく、発信の反応にも気を使う手間が省けることを意味します。「おはよう」さえ気兼ねなく書き込めるわけですから、「おはよう」で(返す気なら)返しておけばいいわけです。
※「つぶやき」を特定の人のつぶやきに対してつぶやく場合は発言の前に@IDネームが付きます。たとえば、私宛に対する「つぶやき」なら@HironaoSshidaが文頭に来てその後に「つぶやき」が来ます。
※一般的な使い方はこちら→ http://tweeter.jp/2009/08/11/twitter-567.html

この個人差がでないというメリットは、一個人の中でも書き込みの自由度を保証しています。短文書き込みは要するに個人の生活を微分化するわけですから、飲み食いの個人性、仕事の個人性、交友の個人性、家庭の個人性、行動の個人性等を含めて、何でも「つぶやき」得るわけです。「つぶやき」は、その内容の可否を問わない。作文力の個人差だけではなく、作文の内容(質)の高低も問われない。

たとえば、身体全体というスケールであれば、格好いい、格好悪い、と評価にさらされますが、その人物を細胞まで微分すれば、そこで「格好いい、格好悪い」という評価にさらされるわけではないだろう、という意味で「つぶやき」の短文性は参加者にある種の平等感を与えているわけです。

この平等感は、たとえば、長文の非日常的な中性性の反生活的な水準、公共的な活動性などの反生活的な水準を一気に身近なものに近づけます。

有名なあの人が「おやすみ」「おはよう」とつぶやいただけで、あの人はこんな時間に寝て、こんな時間に起きてるんだ、ということがわかる。また長文の整理された文章の背後でその構成の動機が「つぶやき」になることもある。ミクシィやブログの「日記」以前、また著作以前を垣間見ることができるわけです。

逆に書き手自身も自分の「つぶやき」を追っていけば、自分がどういうことを考えていたのかを後から整理することもできる。著作ノートにもなるわけです。Twitterデータベース自体が強大なKJ法の場なのです。

ミクシィなどのSNSでは、読み手(マイミク)を少しは考える、さらにリプライを少しは考えて書き込むためにすでに抑制の付いた書き込みになりますが、twitterは非対称的な短文であるために自由な書き込みができる。その分、自分自身に寄与する度合いは高いと言っていいかもしれない。

フォローしている人は、フォローされる人の思考の生成の現場に居合わせることができるわけです。出来上がった(=身構えた)長文を読む(理解する)のは誰でも辛いものですが、twitterでその人の思考を追うことはそれよりもはるかにたやすい。

twitterの最大の特長は、非対称性と短文性です。非対称性は、ブログの特長でした。この非対称性は、強力な発信の主体性を余儀なくされました。ちょうどRSS以前のインターネット利用が熟達した検索主体を前提したように、ブログもまた強力な発信主体(熟達した書き手)を必要としました。その分、自由ではあるが(世界に対して)孤独な主体でもあったわけです。

その次に出てきたのはミクシィに代表されるSNS。これはブログの孤独を払拭すべく双方向性を前提にしたのですが、その双方向性は「マイミク」の閉じた環なかでしか実現しないものでした。SNSは結局名電子的な村落を形成しただけのこと。「村落」でのキズのなめあいやいがみ合いは日常的に生じています。

twitterでは、非対称性と短文性によってブログの孤独とSNSの村落的な狭さは乗り越えられています。非対称性と短文性によってSNSよりもはるかに緩やかなコミュニティを形成できますが、同時に短文の時間性(現在性)がSNSよりもはるかに実在的なコミュニティにもなっているわけです。twitterは自由でありながら実在的な組織性を構成しているわけです。

ついでに言えば、最近、Googleが、twitterの全文検索を可能にしました。私の「つぶやき」も幾つか検索にひっかかるようになっています。世界開放的なSNSがtwitterと言ってもよいかもしれません。

以上で、twitterの「説明」はとりあえず終わり。次回はtwitterの文明論的な位置づけについて言及したいと思います。

なお私は、twitterをPCでは、HootSuite(http://hdphoto.blog102.fc2.com/blog-entry-420.html)で利用しています。HootSuiteが使いやすいのは、関心のある検索キータームを入れておくと、その関連語の「つぶやき」をアリルタイムで拾ってくるデータベースをタグ分類のようにして一覧できることです。「フォローする」人を見つけやすい。

iPhone 3GSでは、Twittelator Pro(http://www.appbank.net/2009/03/13/iphone-application/14702.php) を使っています。

人気のあるTweetie2(http://pisces-319.seesaa.net/article/129996113.html)よりもTwittelatorの方がはるかに便利ですよ。→「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

徳島大学のレポート課題にTwitterが選ばれたので、調べ物をしている最中にここへ足を踏み入れました。

ここでの説明はとてもわかりやすく、私はいままでTwitterを使ったことがなかったので、参考になりました。

ありがとうございます

投稿者 iori : 2010年05月29日 00:57
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