「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(中教審「キャリア教育・職業教育特別部会」)には何が書かれているのか(何が書かれていないのか)? ― 【その4】 2009年10月09日
このレポートは「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(中教審「キャリア教育・職業教育特別部会」)には何が書かれているのか(何が書かれていないのか)? ― 【その3】(http://www.ashida.info/blog/2009/10/post_380.html#more)に続いています。
97)91年の「大綱化」以降、日本の大学の「教養課程」は解体の危機に瀕してきた。
98)その間の事情を天野郁夫は次のように概略している。
「一般教育課程の設置と、その具体的な内容を定めていたのは、文部省令の『大学設置基準』である。そこには、一般教育の科目として、人文・社会・自然の3系列にわたる教科目、2つ以上の外国語、保健体育科目の開設と、履修の必要な単位数などが定められていた。
(…)設置基準の改正は、一般教育の開設科目数や履修単位数の削減、さらには自然科学系の「基礎科目」の開設など、一般教育を縮小する形で進められていった。
(…)伝統的な専門教育・職業教育重視の大学の中で、一般教育の課程も担当者も、一段低く見られ、予算面の措置も十分でなかった。また、教育よりも研究重視の大学文化の中で、いわば大学の底辺部分に位置付けられていた。学生の間にも、『一般教育』を、『パンキョウ』などと呼び、軽視する傾向が強かった。
設置基準の『大綱化・自由化』といわれた1991年の大学審議会答申『大学教育の改善について』に基づいて設置基準の大改正が実施されると、あっという間に一般教育課程の解体と教養部の消滅、担当教員の専門学部分属が進んだのは、そうした一般教育の現実があったからである」(「教養教育のリメーク」)。
※天野がここで言う「一般教育」というのは、アメリカの大学で言う「ジェネラルエデュケーション」(中流市民教育)のことを指している。それは厳密には階級的な「リベラルアーツエデュケーション」とは別のものだが、ここでは両者をひっくるめて「教養教育」と呼んでおく。
日本の大学教育では、ヨーロッパ型でもアメリカ型でもないウルトラ中流主義によって、厳密な「リベラルアーツエデュケーション」などというものは存在していないし、「官立」大学の出自としても「リベラルアーツエデュケーション」を標榜した大学などなかったから、この混同は許されても良いはずである。
そもそも天野が「専門教育・職業教育」と「専門教育」と「職業教育」とを「・」で並べるのは、「専門教育・職業教育」が「ジェネラルエデュケーション」との対立軸になる限りでのこと。そして「専門教育・職業教育」とは「ジェネラルエデュケーション」と対立する限りは「職業教育」のことを(アメリカ、あるいはハーバード委員会報告書では)意味している。。
99)しかし私は、日本的な文脈での「大綱化」による教養教育の縮小、あるいは解体は天野の言うように「伝統的な専門教育・職業教育重視」によるものではないと思う。
100)何よりも91年の「大綱化」以降、74年以来25%前後を推移していた進学率(17年間も大学進学率は変化がなかった)が堰を切ったようにして上昇し始める。
101)91年は25.5%だった大学進学率が2年後の93年には28%、3年後の94年には30.1%、4年後の95年には32.1%とたった4年間で7%近くも上昇している。そして今年はついに50%を超えた(50.2%)。
102)「ユニバーサル化」の基点ともなった「大綱化」が同時に「教養教育」の解体に繋がっていくのは、「教養主義」的な抽象性に付いていけない学生が増え始めたからだ。
103)したがって、この意味での「教養教育」の縮小は、同時に「専門教育・職業教育」の縮小にも繋がっていると言える。「教養教育」程度の抽象性に耐えられない学生が、従来の3年生、4年生の専門教養的な「専門教育・職業教育」に耐えられるはずがないからである。
104)日本の大学には天野の言う「ジェネラルエデュケーション」と対立する意味での「職業教育」(=「専門教育・職業教育」)などかつて一度も存在したことはない。
105)その意味で、「教養教育」の衰退は従来の大学教育全体の衰退でもあった。
106)それは進学率が上がれば上がるほど衰退の度合いが上がっていくような衰退だったのである。
107)そもそも戦後の「新制大学」において「学ぶ」ことと「働くこと(就職)」とが直接に結びついた教育など医学部か法学部のごく一部くらいしか存在していないだろう。
108)それ以外には、大学院進学だけが大学にとっての本来の「職業教育」であって、2009年の現在においても「就職(率)が大学の命」などと考えている大学教授など存在しない。3年生、4年生のゼミ教授さえ考えもしないことだろう。「一流」大学であればあるほどそうだ。
109)だから従来の1、2年課程と対比される専門課程の「専門教育」も「働くこと(就職)」と結びつかない限りは、「専門教養」でしかなかったわけだ。
110)私は常々、大学には「カリキュラム」が存在しないと言ってきた。正確には存在する必要がないと言っても良い。
111)なぜかと言えば、講座主義(従来の教授-助教授体制)で形成されてきたぶつ切りの科目配置(相互に連関のない科目配置)の抽象性の溝を埋めるのは、進学率20%台に留まる限りの実益関心のない教養主義学生(91年以前の学生)でしかなかったからである。一言で言えば、彼らは単に「勉強が好き」な学生(反スキル主義学生)だったのである。
112)「カリキュラム」(影のカリキュラム)を形成していたのは、大学側ではなくて、それを受講する学生の(受験マインドによって形成された)教養主義だったと言える。そのおかげで教授達は自分のシラバスにだけ関心を向けていれば良かった。
113)相互に関係のない科目配置(反カリキュラム)は、受験勉強の学習スタイルを経ている学生達には全く違和感のないものだった。優等生たちは、受験勉強で培った学習スタイルを大学で反復すれば良いだけだった。
114)そのうえ、高校や予備校の先生たちよりもはるかに各科目の「専門性」の高い、既成の教科書によらない含蓄ある「専門科目」を受講できる。それは「ジェネラルエデュケーション」か「専門教育・職業教育」かの区別なくそうだったのである。
115)その問題は「ジェネラルエデュケーション」か「リベラルエデュケーション」かの問題にも関わっている。アメリカ型の「ジェネラルエデュケーション」は、それ自体が一つの「市民」教育であったが(中等教育と結びついた「市民」教育)、その意味での市民教育は、社会的な同質性の高い日本の高等教育にはほとんど不要なものだったと言える。それが不要な分、「ジェネラルエデュケーション」と「リベラルエデュケーション」との区別も深刻なものにはならなかった。
116)91年以前の一般教養(General Culture)と専門課程との対立と区別は4年間の学生年齢の成長以上の大きな違いを生まなかったと言える。
117)日本の大学の「カリキュラム」は高校の授業「時間割」を高級にしたものに留まったのである。
118)その意味で、「ジェネラルエデュケーション」に対比される専門課程における「専門教育・職業教育」は専門教養主義にすぎないものだった。
119)では、91年以降教養科目の衰退に代わって拡大したのが天野の言う(アメリカ的な)「専門教育・職業教育」でないとすれば、それは何なのか?
120)たとえば、「哲学」が「ものの見方・考え方」や「人生論」になったり、「数学」が「数と生活」になったり、「英文科」が「英語コミュニケーション学科」になったりするような学生迎合型の軟化路線が、教養主義の代替物だったのである。
まだまだ長くなりそうなので、今日はここまで。→「にほんブログ村」
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芦田さん、2009年10月12日放送、TV東京のカンブリア宮殿でモード学園の放送がありました。
芦田さんが見ていましたら、芦田さんのコメントが読みたいのですが・・・・。
宜しくお願いいたします。