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 「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(中教審「キャリア教育・職業教育特別部会」)には何が書かれているのか(何が書かれていないのか)? ― 【その3】 2009年10月06日

このレポートは、「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(中教審「キャリア教育・職業教育特別部会」)には何が書かれているのか(何が書かれていないのか)? ― 【その2】(http://www.ashida.info/blog/2009/09/post_379.html#more)に続いています。

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※以後、この報告については「中教審経過報告」と略す。このレポートで断りもなく括弧内に数値を記入したものは、この「中教審経過報告」PDFファイルの頁数を意味する。この報告書は懸案の専門学校一条校化議論の帰趨を握っている。

67)「職業教育」と「キャリア教育」とは異なるものと「中教審経過報告」は考えている。

68)このレポートの第24項でも触れたが、再度、その違いについて触れておこう(第4項を再録する)。

69)「職業教育」とは「キャリア教育の中核をなすものであり、職業に従事する上で必要とされる知識、技能、態度を習得させることを目的として実施される教育」とされ、「キャリア教育」とは「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し、それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」と「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議」(平成16年1月文部科学省報告書)を引いて説明されている。「キャリア教育」の方が「職業教育」よりも広い概念として扱われているが、「中教審経過報告書」ではより詳細な説明がなされている。

70)「ここでいう『キャリア』とは、『個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積』であり、職業生活、市民生活、家庭生活、文化生活など、すべての生活局面における立場、役割を含むものである。このため、『それぞれにふさわしいキャリアを形成していく』ということは、言い換えれば、『社会的・職業的に自立していく』ということと同じである」。

71)「また、キャリア教育は、学生・生徒等の社会的・職業的自立を促す視点から、従来の教育の在り方を見直していくための理念と方向性を示すものである。このようなキャリア教育の視点に立ち、すなわち個々の教育活動が、社会とどのようなかかわりがあるのか、学生・生徒等の将来の社会的・職業的自立にどのようにつながっていくのかを念頭に置き、学ぶことと生きること、働くことを関連付けながら、普通教育・専門教育等を問わず、教育活動を改善・充実していくことが重要である。自己の将来と、現在の学びとを関係付けていくことは、学生・生徒等に学びの意義や楽しさを実感させ、その学習意欲を喚起する上でも有効であり、このようなキャリア教育の意義等について、教職員の意識を高めることが必要である」(9頁の註※1)。

72)「キャリア教育と職業教育との関係について言えば、職業教育については、単なる専門的な知識・技能の教授に終始しないよう、社会的・職業的自立を促すというキャリア教育の視点に立って行われるべきものである。また、一定の又は特定の職業に従事することを念頭に置かない一般的な教育活動(例えば、総合的な学習の時間等における職場見学や、職業調べ学習など)については、職業教育ではなく、将来の社会的・職業的自立に向けたキャリア教育として位置付けられるものである(9頁の註※2)。

73)要するに「特定の職業に従事することを念頭」においた「単なる専門的な知識・技能の教授に終始」する教育を「職業教育」、「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」に基づいた社会的・職業的な自立にかかわる教育を「キャリア教育」と位置づけている。「職業教育」は「キャリア教育」にとっては第一義的な意味を持つが、キャリア教育よりは狭い、というのが文部科学省の言い分。文部科学省というよりも1970年代に始まったアメリカの(マーランド達の)「キャリア教育」運動に色濃く影響を受けている。
※一部重複するがこの注釈の前提となっている「中教審経過報告」のコンテキストはこちら→http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo10/shiryo/attach/1282609.htm
※また「改正教育基本法」以前の文書では、2004年1月28日「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/023/toushin/04012801/002.htm)における「キャリア教育」の定義がある。ここでの説明は「中教審経過報告」でもそのまま引き継がれている。 
※さらにもっと遡れば、「キャリア教育」の初出は、1999年の中教審答申(平成11年12月「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」)。「望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身に付けさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育」 が初出時の「キャリア」概念。
※いずれにしても、これらは1970年代の「キャリアエデュケーション奨励法」(1977年)に繋がるアメリカの「キャリア」教育概念を(本質的には)なぞっているだけである。歴史的事情は違うにしても。

74)その狭い「職業教育」の代表格は、専門学校の技能主義的な職業教育だとも言える。

75)「即戦力」人材論は、この「中教審経過報告」(あるいは中教審答申「学士課程の構築に向けて」)では、「中途採用者」の人材論の概念であって、学校教育における「実践的な人材育成」には馴染まないとされているが(5)、それは何も「中途採用者」だけのものではない。

76)専門学校の学校案内パンフレットの中にも、あるいは「教育理念」「教育目標」の中にも「即戦力」(即戦力人材育成)という文言が数多く踊っている。

77)たとえば専門学校の卒業生調査を2008年に行った小方直幸(広島大学)は次のように言っている。「職業教育でよく『即戦力』という言葉が使われますが、『即戦力』というのは基本的に『ウソ』ではないかと思います。20歳~22歳あたりで即戦力だなんて、あり得ないだろうと感じてます。悪く言えば、すぐ使えるけれども、それは業務が高度化していないのでその程度の力でも対応できてしまうといった意味で『即戦力』という言葉が使われている場合も多いのではないでしょうか?(『キャリアエデュ』No.26 「「専門学校教育と卒業生のキャリアに関する調査」から見えてきた課題」p.8)

78)20歳そこそこの若い学生で「即戦力」の専門学校生を喜んで受け入れる企業があるとすれば、それはその企業の人材水準(あるいは仕事水準)が低いだけのことで、褒められたことではない、と小方は言いたいのである。

79)極端に言えば、高校生をマクドナルドが「即戦力」として採用するのと似ている。そのような「マニュアル職」に毛の生えたような「即戦力」論が専門学校の「職業教育」だったのではないか?

80)さらに極端な単純化を恐れないとすれば別の言い方もできる。専門学校の技能業職種は、もともとは大学生が相手にもしない業職種。技能主義的な教育が「手足」教育だとすれば、「頭」となる大学生の「手足」に留まるものだったと言えるかもしれない。

81)この「頭」と「手足」との区別は、結局は「メンバーシップ型雇用」と「ジョブ型雇用」との区別にも繋がっている。

82)「ジョブ型雇用」は、日本的な企業内と企業外の中間地帯を形成しており、非正規雇用やアウトソーシング部門の拡大・縮小、企業内における「スペシャリスト」の位置づけ等に深く関わっている。

83)専門学校の「スペシャリスト」的な「実力」主義論が空回りするのは、「スペシャリスト」というものが企業の本来の「メンバー」ではないからだ。ついでに言っておけば、「ジョブ型」人材の究極のモデルは、「大学教授」である。だから「大学教授」は人の言うことを聞かない(苦笑)。東大の教員以外は大学に対する忠誠心もない(更に苦笑)。

84)専門学校の「就職率」「100%」を誰も本気で褒めないのは、メンバーシップ雇用の周辺における「就職率」だったからである。専門学校は「職業教育」一般を担ってきたのではなくて、ある特定の(階層化された)職業教育を担ってきたに過ぎない。

85)しかし、吉川徹も言うように(http://www.gakuryoku.gakken.co.jp/pdf/articles/2009/10/p2-5.pdf)、最近では、この種の学歴差と業職域の平和共存が崩れてきている。

86)かつては大学生が見向きもしなかった業職域に大学生が進出してきている。大学進学率が50%を超えるというのは、「手足」教育と「頭」教育との明確な境界がなくなりつつあるということだ。「落ちこぼれの」大学生が増えてきている。

87)吉川徹の立論(『学歴分断社会』筑摩新書)の問題は、ご本人は平和な学歴論者であるにもかかわらず、その学歴的な「分断線」が「ユニバーサル化」によって曖昧になりつつあるという問題を結局は棚上げしているという点だ。

88)専門学校的な業職種の問題は、「大学生」の浸食を受けているばかりではない。外国人技能労働者の流入からも浸食を受けている。

67)技能実習生などの「特定活動者」は、2006年で9.5万人。これも10年前の1996年では1万人足らずだったという点で、10倍近くの伸びを示している。資格外活動(留学生等のアルバイトなど)は同じく3万人(1996年)から11万人(2006年)。いずれも急激に伸びている。「技能実習生」の業種で言えば(2008年の場合)、一番多いのは機械・金属業界の15,907人、服飾業界の14,868人、食品調理の6,791人、建設の5,275人、農業の4,045人、漁業の318人である。これらは、専門学校の古典的な分野(つまり衰退している分野)と重なっている。その上「技能実習移行者」(厚労省)は2004年の20,822名から2007年の53,999名(中国人が8割を占めている)。3年間で2.6倍も伸びていることから、この衰退は加速するに違いない。

68)専門学校の「即戦力」技能教育は、大学生からも外国人労働者からも浸食を受けている。

69)つまり専門学校生の就職という社会との「接続」は、「資格」という点でも、スキル(技能主義的なスキル)という点でも、「即戦力」という意味でも、入口接続に過ぎない。「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」(9)を担える「接続」になっていない。

70)資格教育、技能教育、即戦力教育は、この生涯型の接続という意味では、「汎用性」のない「使い捨て」人材教育にすぎなかったと言える。

71)人々の「職業教育」に対する(「普通教育」に対しての)「格下」扱いも根拠のない話ではなかったと言える(「中教審経過報告」7頁参照のこと)。

72)この「生涯」型の「接続」は、したがって「社会的・職業的に自立していく」ということと「同じこと」である。

73)この「生涯」型の「接続」を形成する職業教育を「中教審経過報告」は「キャリア教育」と言っている。

74)「キャリア教育」の中身に具体的に踏み込む前に、もう少しこの「生涯」型の「接続」について考えてみよう。

75)この「生涯」型接続の従来のモデルは、「職業教育」と対比されている以上、大学卒の社会接続である。

76)それを企業の採用側から言えば、「メンバーシップ」型採用ということになる。

77)「メンバーシップ」型採用は、スペシャリスト(パーツ型人材)を必要としない。テーマ主義的な「職能」よりは、パーソナリティ重視の採用になる。

78)一括採用、一括解雇(定年制)、職務ローテーション制、年功賃金=年功序列制、企業内組合などの「メンバーシップ」型徴表が描く日本企業型人材像のモデルは何か。

79)その人材モデルは教養主義に他ならない。

80)この教養主義については、「中教審経過報告」は次のように言及している。

81)「戦後の我が国の学校教育制度はいわゆる6・3・3・4の単線型の体系に整備された。高等教育については、戦前の高等教育機関が「普通教育を与える機会があまりに少なく、その専門化があまりに狭すぎ」(文部省『学生百年史』)たのではないかという反省の下、旧制の大学、高等学校、専門学校、高等師範学校などの諸機関をすべて単一の四年制大学に改編し、幅の広い教養の基盤の上に学問研究と職業人養成を一体化させた」(24)。

82)また「大学及び短期大学は、『学術の中心として、高い教養と専門的能力を培う』(教育基本法第7条第1項)ことを基本的な役割としている。教養教育と専門教育とがあいまって全人格的な発展の基礎を築くことを目的としており、高度専門職業人養成や幅広い職業人養成等を担っている」(27)とも「教養」について言及している。

83)一見すると「中教審経過報告」の本音はここに尽きているように思える。「キャリア教育」の生涯型接続(=メンバーシップ型)は、ここで言う「全人格的な発展の基礎」にかかわる「高度専門職業人養成や幅広い職業人養成等を担っている」ということで完結しているではないか。

※「メンバーシップ型」雇用の起源を濱口桂一郞は、ローマ的な「locatio conductio」に対比されるゲルマン的な「忠勤」契約にまで遡っている。日本的には「奉公」と言われているもの。最近では、労働者の移動を防止し、企業も勝手な採用や退職、あるいは解雇をさせないようにした、戦時中の「従業員雇入制限令」(1939年)、「従業員移動防止令」(1940年)、「労務調整令」(1942年)などの影響が「奉公」主義雇用の起源(と濱口は続ける)。当時の「賃金統制令」(1939年および1940年)では、「初任給や定期昇給の額を細かく決め、最終的には地域別、業種別、男女別、年齢階層別に細かいマトリックスを作って指導した」が、「それは皇国の産業戦士の生活を保障するという名目の年功賃金でした。さらに産業報告会という労使懇談会も企業ごとに作らせた。このように、戦時中、メンバーシップ型の仕組みが国家主導で大きく拡大したのです」。この戦時中の「奉公」主義をGHQは「職務給」主義(=ジョブ型雇用)へと転換しようとしたが、それに対しては「当時の組合代表がうんと言わなかった。『賃金とは生活を支える原資だ。だから、労働者の年齢と、扶養家族の数に基づいて決めるのが正しい』と主張し、できたのが電産型賃金体系だったのです。この電産の初代書記長が、後に民社党の委員長にもなった佐々木良作という人で、戦時中は電力会社の人事にいました。つまり、長期雇用や年功制、労使協議システムなど、戦時中に国家主導で作られたメンバーシップ体制を先導した人が、敗戦を境に、今度は組合という立場から同じ路線を推し進めたのです」(『三種の神器を統べるもの』濱口桂一郞)。戦後の労働運動そのものが「奉公」型保守主義だったのである。メンバーシップ型雇用に関わる終身雇用や企業内組合運動の根は深いと言える。最近の「非正規労働者」の問題は日本型労働組合では解決できないのだ。


84)しかも、その「全人」性教育は、戦前の高等教育機関が「普通教育を与える機会があまりに少なく、その専門化があまりに狭すぎ」たことの反省だと言われるのだから、余計に今日の「職業教育」と「キャリア教育」との断絶と接続の議論に並行した事態とも言える。

85)しかし一見、並行しているかのようなこの事態にも大きな断絶がある。

86)先の27頁の「教養教育と専門教育とがあいまって全人格的な発展の基礎を築くことを目的としており、高度専門職業人養成や幅広い職業人養成等を担っている」(27)にすぐに続いて「大学全入時代を迎え学生が多様化し、職業人育成の観点から大学及び短期大学に求められる機能も多様化している現状がある。学生の出口管理が厳しく求められる中、大学・学部、短期大学それぞれの機能別分化と養成する人材像の明確化と、専門分野と職業との関係を踏まえた職業教育の質の確保が課題である」(27)という文言が来ている。

87)「しかし」と冒頭にあってもいいくらい先の文章とこの文章とは違うことが書かれている。「教養教育と専門教育とがあいまって全人格的な発展の基礎を築くことを目的としており、高度専門職業人養成や幅広い職業人養成等を担っている」が、しかし「大学全入時代を迎え学生が多様化し」ているのである。

88)この「学生の多様化」が「高度専門職業人養成や幅広い職業人養成等を担っている」大学教育に変化を強いている。

89)「学生の多様化」とは何か?

90)それは「大学全入時代」を迎えた大学の「学生の多様化」である。従来の「基礎」教育主義(国語・算数・理科・社会)、専門教養主義(講座授業)に馴染まない学生が大学キャンパスを占めるようになることを「学生の多様化」と「中教審経過報告」は呼んでいる。言い代えれば、「学生の多様化」とは“勉強ができない”大学生が存在する事態である。

91)では、“勉強ができない”とは何を意味するのか? それは「基礎」教育とか、「教養」教育のような、具体的な目標のない教育(ある意味で「抽象的な」教育)に耐えられない無能力のことを言う。

92)そういった学習の極限のモデルは、日本では「受験勉強」。「受験勉強」が「大学生」の「大学生」としてのパーソナリティーを形成してきたが、このパーソナリティーが大学の教養主義教育(基礎教養教育-専門教養教育)の基盤だった。

93)またそれはどんな具体的な色にも染まらないという意味で、メンバーシップ型雇用の基盤にもなっていた。

94)リベラルアーツ型の教養主義が、日本的な雇用制度と親和的な関係を結んでいたのである。※「リベラルアーツ」は歴史的には極めて階級的な色彩の濃いものだが、ここでは「職業教育」と対立する意味での「教養」主義とほぼ同じものとしておく。これらについては、再度【4】の100番以降で触れる予定。

95)また今日的な「流動性の高い」グローバルにIT化された世界では、教養主義の方がはるかに生涯型の「キャリア」形成に適しているとも言える。「職業教育」はその意味でも「狭すぎる」のである。「教養」こそが「変化」に本質的に耐えられるものだからである。

96)しかし、その種の教養主義に耐えられる学生がいなくなりつつある。これがこの「中教審経過報告」が自らに課している「別の学校」の必要性の出所である。

また長くなりそうなので今日はここまで。乞うご期待。→「にほんブログ村」

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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