『おくりびと』、今頃見ました ― 広末涼子のあの演技(笑顔)は一体なんだ? 2009年09月22日
『おくりびと』(http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id330042/)をTBSが放送していたので遅ればせながら見ましたが、広末涼子のひどい演技が目について作品を半分以上ダメにしてましたね。
何ですか、あの意味不明の笑顔は。キャラクターの実在感がまったくない。永作博美あたりにやらせた方がはるかに作品をきちんと解釈できていたのではないでしょうか。広末涼子は『WASABI』(2001年)で、リュック・ベッソンと組んで以来、とっくに死んでいると思う。
どんな顔をすれば人に受けるのか、という方からしか演技ができない。作品が存在しているのではなくて広末が存在している。
山崎努の演技ももはやマンネリにしか見えない。仲代達也のような芸の固まり方をしている。たぶん、この二人は何をやってもこの二人でしかない。それは演技とは言わないだろう。同じ意味で広末の笑顔も意味不明。
その点、本木君の演技は立派だった。彼がこの作品に惚れ込んだ理由がよくわかった。死の凛とした儀式性(儀式性こそが有意義性の起源であるような)を身体の隅々にまでよく表現していたと思う。
それだけに余計に広末がその本木君の熱演に応えていない分、腹が立った。監督が、死に対して広末の笑顔を対置しているのはわからないわけではないが、しかしそれは広末の紋切り型の(アイドルふうの)笑顔ではないだろう。それは酒井法子の記者会見の笑顔(と涙)のように形式的なものにすぎない。
たぶん、本木君は、「違うだろ、広末」と心の中で言いつづけていたに違いない。
特にラストシーンに近いところで、「私の夫は納棺師です」という台詞の意味を広末は全く解釈できていなかった。この一言のために映画の全ての進行があったくらいの台詞なのに広末はそれを情けないくらい全く理解できていなかった。よくもまあ監督の滝田洋二郎は、この台詞の解釈でOKを出したものだ(滝田もわかっていない?)。「違うだろ、広末」と私でも言いたくなる瞬間だった。→「にほんブログ村」
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