「地球に優しい環境オリンピック」というテーマは、大学改革、専門学校改革の教育テーマに似ている(石原オリンピック招致員会の大きな勘違いはどこにあるのか) 2009年04月22日
「地球に優しい環境オリンピック」という東京「オリンピック招致委員会」の今回のプレゼンテーマは、大失敗だ。私はそう思う。
私がそう思うのは、「私たちは国連ではない」(http://www.jiji.com/jc/zc?k=200904/2009041600923)というIOCのフェリ五輪統括部長の発言だ。
報道では、「国連ではない」というところまでしか言及されていないが、評価委員会の趣旨は、「環境も大事だが、オリンピックはスポーツの祭典なのだから、オリンピックをスポーツの振興の契機とする取り組みはないのか」(芦田のまとめ)ということだ。
もっともなことだ。
私はこの意見を聞いて、思わず笑ってしまった。現在の大学改革や専門学校改革における「キャリア教育」への取り組みを、石原都知事「招致委員会」の取り組みに重ねてしまったのだ。
現在の大学改革や専門学校改革は、先の広島大学のように「コミュニケーション能力、課題発見・問題解決能力、分析力、IT力」といった文言に満ちている(http://www.ashida.info/blog/2009/04/post_341.html#more)。専門学校までもがそうだ。専門学校には、これらにさらにご丁寧に「マナー教育」までもが付け加わる(http://www.ashida.info/blog/2008/11/post_307.html)。
これらは、「地球にやさしい環境オリンピック」というキャッチとほとんど同じ発生構造を有している。
スポーツの祭典と環境とは何の関係もない。関係ないことはない、という程度の関係だ。そんなことを言い出せば、世の中に関係のないものなど何一つない。「コミュニケーション能力、課題発見・問題解決能力、分析力、IT力」も「関係ないことはない」。「マナー教育」も「関係ないことはない」。
石原都知事「招致委員会」が、肝心のスポーツ振興を忘れたように、大学も「学部」教育の具体的な目標を忘れ、専門学校も各実業分野の具体的な技術・知識目標を棚に上げている。そうすると誰もが反対しない=「関係ないことはない」目標が浮上する。それが「環境問題」であり、「コミュニケーション能力、課題発見・問題解決能力、分析力、IT力」「マナー教育」だ(苦笑)。
なぜ、そうなるのか。どちらの場合も、周辺の連中が騒いでいることが共通している。
「オリンピック招致委員会」の場合は、強大な利権集団。大学や専門学校の場合は、総務省や人事部優先の人材像がいつのまにか支配的になっている。特に大学の場合は、学部長や副学長が現場(専門家同士)の対立をいやがり、まとめ役に徹するため、事務方(総務省!)に成り下がってしまう。専門学校の場合は、大概の場合、周辺の教員しかいない。
「オリンピック招致委員会」にはたくさんのスポーツ選手が直接的、間接的に参加しているが、たぶん今回のプレゼンには芸能人のような扱いしか受けていない。日本スポーツ界の貧しい振興策を不満に思っている代表選手たちであるにもかかわらず、広告代理店やゼネコン=建築家たち、政治家たちのくだらない野望に掻き散らされている。石原都知事もスポーツ振興という観点がまったくない。プレゼンスだけが表立っている。
大学も専門学校もまた「コミュニケーション能力、課題発見・問題解決能力、分析力、IT力」「マナー教育」の「専門家」など1人もいないのに、いつのまにか「教育目標」(のひとつ)になっている。
それは水泳の北島康介に、ソフトボールで活躍したピッチャー上野由岐子に、「環境問題」の解決を期待するのと同じくらいにふざけたテーマなのだ。
大学も専門学校に「コミュニケーション能力」育成や「マナー」教育を期待するのも、それと同じくらいにお門違いなことなのである。そんなことをまじめに考えている方がバカなのだ。
「私たちは国連ではない」。その通りだ。大学も専門学校も具体的な課題や具体的な目標を見出さないことには、一歩も先に進めないところにいる。
(Version 1.0)
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