吉本隆明、NHK出演その後 ― 自己表出の「沈黙」は唯物論的(柄谷行人も蓮実重彦も間違っている) 2009年01月09日
※これは先に書いた吉本のETV特集出演に関する記事(http://www.ashida.info/blog/2009/01/post_318.html#more)の第2版です。倍以上に書き足しました。吉本については死ぬまで書くことはないだろうと思っていましたが、あの熱気ある語りが私の頭から寝ても覚めても離れず、ついつい書き足したくなっていきました。第三版、第四版と続きそうな気もしますが、今日はこれで。
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いやー、最初から最後までどきどきしながら見ていました。吉本は私の思想的なお父さんのようなものです(こんなことを告白するのはここが初めて)。彼の書くものは高校1年生(1970年)の頃からずっーと今まで読み続けてきました。
今日のETVを聞いていると、やはりこの人の思想のアルファにしてオメガは、『言語にとって美とは何か』(1965年)の「自己表出」「指示表出」がすべてなんだなぁ、ということがよくわかります。共同幻想論も自己表出論なわけです。
最近、この自己表出と指示表出との関係を吉本はもっと分かりやすい言い方で以下のように言っています。「文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけにしか分からない、と読者に思わせる作品です、この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作家だと思います」(『真贋』講談社インターナショナル、2007年)
吉本がこんなに分かりやすく「自己表出」「指示表出」との関係を語ったのは、私の40年近い吉本読書歴の中で初めてのことです。早くそう言っておいてよ、という感じ。
ここで「俺だけにしか分からない」というのが、自己表出性。しかし「俺だけにしか分からない」と誰もが思うわけですから、その「誰もが」思う表出性が指示表出性です。優れた作品(=優れた表現)というのは、ディスコミュニケーションを共有するものなわけです。これが吉本の〈表出〉概念の根源です。〈表出〉の本質は、まずもって〈沈黙〉としての自己表出にあるわけです。
『言語にとって美とは何か』の〈自己表出〉は、「マチウ書試論」(1954年)の「関係の絶対性」を言い代えたものです。「関係の絶対性」は「自己表出」の「絶対性」のことを先行的に示していたわけです。関係の「客観性」と言わなかったのは、そう言ってしまえば「指示表出」性と何ら変わらなくなるからです。「関係の絶対性」は自己表出性の特異な地位を暗示していたということ。
「自己表出」を吉本は昔は「疎外」(初期マルクスの言葉)とも言っていたし、「逆立ち」とも言っていた。この日は自然の方から「変化させられている」という言い方もしていました。
「人間の意志はなるほど、選択する自由をもっている。選択のなかに、自由の意識がよみがえるのを感ずることができる。だが、この自由な選択にかけられた人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。(…)人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである」(「マチウ書試論」1954)
私が生まれた年に書かれた「マチウ書試論」(吉本30歳の時の作品)はいつ読んでもみずみずしい。吉本は人間は選択をする前に選択を強いられていると言っている。「ルッター型」か、トマスアキナス型」か、「フランシスコ型」かは、それ自体が「相対的な」差異に過ぎない。
この「相対」性を「指示表出」と吉本は言い代えたのです。私の言い方で言えば、意味〈がある〉ということと意味〈を伝える〉ということとは全く別のことだということです。
私には、吉本の「マチウ書試論」の〈関係の絶対性〉から〈自己表出〉〈指示表出〉へ至る過程は「選択の自由」の手前にもう一つの大きな〈自由〉があることを感じさせるに充分な思想だった。またその自由は徹底的に強いられているが故にこそ根底的な自由であることを感じさせるに充分な思想だったと思います。
私が「生の」吉本を見たのは、1987年(9月12日14時から9月13日14時)、東京・品川のウォーター・フロントにある寺田倉庫T33号館4Fでのことでした。吉本隆明・三上治・中上健次三氏主催の『吉本隆明25時―24時間連続講演と討論・全記録』(http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%80%81%E5%90%89%E6%9C%AC%E9%9A%86%E6%98%8E25%E6%99%82%E2%80%9524%E6%99%82%E9%96%93%E9%80%A3%E7%B6%9A%E8%AC%9B%E6%BC%94%E3%81%A8%E8%A8%8E%E8%AB%96%E3%83%BB%E5%85%A8%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E5%90%89%E6%9C%AC-%E9%9A%86%E6%98%8E/dp/4896672240)のイベントに参加していらいのことだ。
私はその意味では吉本の熱心な「ファン」ではない。もっと早くから吉本の講演に参加していた人は多かったろう。しかし、どんな人生の転機の時にも(大した転機など私にはないが)、吉本の「関係の絶対性」=「自己表出」性の〈自由〉は、私にとって希望の原理だった。未だにそうです。
私の最初の吉本読書歴のほぼ3年後柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』(群像)の斬新なヴァレリー読解が私のこころを震撼させたが(20歳前)、その15年後、柄谷は吉本の自己表出論を「ライプニッツ症候群」としての「内面」病として糾弾した。
たしかに吉本の「疎外」や「逆立ち」はライプニッツの反映論と似ているように思えるが、しかし吉本の自己表出の本質論は存在論的な自由論としてのみ意味を持っている。「ライプニッツ症候群」と言うのなら、柄谷の「形式化の諸問題」の方がはるかに相対論だ。
吉本の自己表出は、柄谷の指摘する「内面」病とは全く別物です。自己表出論は後の吉本の言葉で言えば、〈悲劇〉論とでも言うものです。
吉本には〈大衆の原像〉という概念?があります。たとえば、〈表現〉=表出という次元に入ってしまったら、もうそれは〈部分〉であって、何もしていない人間(=大衆の原像)の方がはるかに「大きい」という考え方です。
「何もしていない」人間はなぜ表現過程に入るのか。それは誰にも伝わらないであろう自分の気持ち(事実)を伝えたいと思うからです。
「自分というのは、体験的に言えば、そのモチーフが決して人からわかられたり正解されたためしがない。人は喋ることによっても行為することによっても了解不可能だ。しかし、理解せしめられたことはないということ、あるいは、それをもっと敷衍化して言えば、人間というのは他者というものを理解することが出来ないのではないかという一種の不可能性の予感みたいなものをどこかでつき破りたい、どこかでそれを解消したいというモチーフがあって、それで書く人、読む人というのが文学に近づいていくんじゃないか」(「批評にとって作品とは何か」in『海』1980年7月号)
つまり〈表現〉=表出=文学というものは、不可能なものに賭ける営みなわけです。それを吉本は〈悲劇〉と呼んだ。この〈悲劇〉を読み解くことは、作者の〈内面〉に帰属するのではなくて、〈大衆の原像〉に帰属するわけです。吉本は〈大衆の原像〉を作者や言葉の〈帰属性〉とも後々言い代えています。
何への帰属か。それを吉本は〈歴史性〉と言ったり〈生活〉と言ったり〈現実〉と言ったり、誤解されやすい言葉でここ数十年何度も言い代えています。そういったものが〈個〉としての〈作者〉の言葉に乗っかったときにこそその文学は普遍的だ(〈類〉的だ)というように吉本は考えた。
誤解を恐れずに言えば、自己表出が「伝わる」というのは(これは矛盾です)、自己表出の〈類〉性が「伝わる」ということです(もっと矛盾です)。この矛盾が〈悲劇〉です。コミュニケーションの基盤は機能主義的ではなく、唯物論的なわけです。〈悲劇〉は初期マルクスに属しています。
従って、吉本の言う自己表出性は、柄谷の言うようにライプニッツや西田幾多郎的な「内面」の自己表出ではなくて、〈類〉の表出であって、それは小林秀雄的な「作品をだしにして自分を語る」こと(=自意識のロマン主義)ともはるかに異なっている。
つまり、吉本の自己表出論の〈自己〉=〈作者〉は、〈主観〉や〈主体〉なのではない。蓮実重彦は、吉本的な挙措、つまり作品の意味を作者に帰属させること、そしてまた帰属性そのものを柄谷と同じように糾弾したが、これも間違い。
吉本はその蓮実との先の『海』の対談の中で「読まれる作品と読む人とのなかには、もはや責任がないとうことですね。それはもう、それ以外のところからくる必然だという考え方が、ぼくにはあるんです」と言っている。
自己表出は、それがそうあらざるをえなかったという〈必然〉とともに存在しています。つまり〈個〉が〈類〉を担わざるをえない〈必然〉を吉本は〈悲劇〉と呼んだ。そのように自己表出は悲劇の自己表出であったわけです。
たいがいの言表は、指示表出に解体しているわけです。それを吉本は当日のETV特集出演では「ファンクショナリズム」(機能主義)とも言っていました(これまた誤解されやすい言い方で正確に分かる人は少ないと思いますが)。
それこそ、蓮実が糾弾して止まない「制度」「風景」に近いものです。ライプニッツ的な「主体」や「内面」も小林的な「自意識」もすべて吉本から言わせれば「機能主義」でしかない。それは〈大衆の原像〉=〈類)を忘れた認識論的な跳ね上がり現象なのです。
指示表出の解体浮力に抗うダイナミクス、つまり作者の〈往相〉(指示表出から自己表出へ)と〈還相〉(自己表出から指示表出へ)の動きを読みとることこそが吉本にとっての「悲劇の解読」だったわけです。あるいは、指示表出の中に自己表出への〈入射角〉を読みとる、自己表出からの指示表出への〈出射角〉を読みとるその営みを吉本は「悲劇の解読」と呼んだわけです。
漱石をめぐる吉本との先の対談の最後の発言で蓮実は次のように言っていました。
「漱石は、欠陥を埋めるためにではなくて、実際に自分に備わってしまっているものそのもの、いわば過剰なものに対する一つの姿勢、そのことにおいて彼は物を書いた、おそらくわたくしは、足りないもの、奪われたもの、あるいは欠けているものという方向に向かうのではなくて、あるもの、あるいはあり過ぎてしまうものに対して、その処理として書いているのではないかと思うのです。(…)あるものをあるがままに残したいということです」。
これがこの対談の最後の蓮実の発言。私は最初この条(くだり)を読んでいるとき、吉本か蓮実かどっちの発言だっけ?と思った(苦笑)。
私には世紀の対談と思えるくらいの『海』(1980年)の吉本=蓮実対談だったが、蓮実はまるで大学生か大学院生のように紋切り型のポストモダン作品論しか展開できない。学生のような対応に、吉本は「本気かね」と言いながらどんどん蓮実を追いつめていく。そこで自問自答のように答えたのが、この最後の蓮実の発言だった。
ここで言うポストモダンの常套句(=過剰)を留保するにしても、この「過剰」こそが吉本の言う「大衆の原像」=〈類〉のことなわけです。吉本が、NHKもETV特集の最後のところで、声を詰まらせながらも元気に訴えた機能主義に反する「芸術の価値」とは、まさにここで蓮実が言う「あるものをあるがままに残したい」という「過剰」にかかわっていたわけです。
柄谷の著作にも蓮実の著作にも「唯物論」という言葉の付いた著作がありますが、二人とも〈唯物論〉の思想家・吉本隆明の弟子でしかありません。
先の対談で、蓮実は、続けて最後の最後に「語れば語るほど、『本当かね?』と疑われそうですが…」と言います。そして吉本は対談の最後に「いやいや、ずいぶんよくわかりますよ」と答えます。ここで対談は終わり。私には最後の発言はわずかに吉本は笑っていたとしか思えない。私自身が「いやいや、ずいぶんよくわかりますよ」と言いたいくらいだった。
柄谷も蓮実(東大の総長にまでなっちゃった)も、吉本が言うように「お勉強の好きな」学生でしかなかったような気がする。
20代に、私の家内が神田の古書街でたまたま吉本隆明(らしき人)を見つけ、何を買おうとしているのか家内が追い回そうとしたことがあります。吉本は家内の尾行に途中から気付いたらしく、早足になり、しつこい家内を追い払うべく最後にはパチンコ屋に飛び込んだらしい。それでも家内は一度も入ったことのないパチンコ屋にも入り、最後には吉本はもう帰ろうと千代田線の電車に逃げ込んだ。ところが、その電車は空いており、両面の椅子は向かい合いで家内と吉本だけ。ついに吉本は家内のそばに近寄ってきたと言う。
「僕になぜかご用事でも?」と吉本。「吉本さんですよね」と家内(顔を赤らめて)。「そうですが」「私の友人(私のこと)が吉本さんの大ファンで、その吉本さん見つけた、と思ってついつい付けてしまいました。失礼の段、お許し下さい」「なんだぁ、そんなことか。今日はどうして神田なんかに」「その友人に本を頼まれて」「どれどれどんな本を買ったの?」そうして家内(まだそのときには結婚していないが)はその時買ったデリダの『ポジシオン』、ハイムゼートの『カント哲学の形成と形而上学的基礎』、リクール『解釈の革新』などを見せたが「この本の著者なら私も良く知っています」と吉本は笑いながら答えたらしい。「そうですか、友人も喜ぶと思います。私なんかお使いしているだけですから」と家内が言うと、吉本はとっさにまじめな顔をして「いやいや、お使いが出来るというのは大したものですよ。それはそれで大切なことです」と言ってくれたらしい。そうこうするうちに電車は千駄木(当時の吉本の自宅の駅)に着く。吉本は「あなたはここへ来るのが目的じゃないでしょ。送ってあげるよ」とわざわざ反対ホームにまで送ってくれたらしい。
なつかしい思い出だ。私は当時この話を家内から聞いて「あなたが会ってどうするのよ」とふざけていたが、私が会ってもどうしようもなかっただろうなぁと怖じ気づくばかりだった。今であれば、少しくらいは話せそうだが、会うにはまだまだ修練が足りない(悲)。
そんな吉本の肉声と映像がハイビジョン収録された。もう長くはないだろうが、時間も気にせず、途中、2度も司会の糸井重里に中断されても話しを止めずにしゃべり続けた吉本に脱帽だ。予定は1時間半だったところ3時間も話したらしい。最初は聴衆の方を見ていたが、話が盛り上がってくると目を上方の虚空に向け話し続ける吉本。私も倍くらいの虚空型時間延長講義はしょっちゅうだが、痰を喉に詰まらせながらの講演があれだけ出来るかどうか自信がない。話しながら倒れてもかまわないという熱気がひしひしと伝わってきた。まさに「沈黙」(=唯物論的な沈黙)の思想家にふさわしい吉本の「最後」の講演だった。「最後」だけども私には吉本がとても元気なように思えた。私には吉本こそが「マザーシップ」そのものだ。
(Version 2.2)
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「大衆の原像」と「表現」との関係が出てくるあたりからちょっと圧倒されました。
「大衆の原像」ってそういうものなのか~。
「悲劇」ってなるほどぉ~。
「類」ってのはそういうふうに(=「大衆の原像」)考えるのかぁ!?
「往相」と「還相」は「指示表出」と「自己表出」とそう関係しているんだねぇ。
最後の盛り上がりはちょっと涙です。
ものすごくよく分かる気がしました。ふにおちたといいますか。
自己表出というと表現するものが上だという成り上がりのぼくみたいな人間に錯覚を与えるものかと思っていたら、「沈黙がその幹だ」と言われているので、全然ちがうんですね。
そういえば、発言したり表現する手前でもどってしまうことのほうが圧倒的に多いですし。
どう考えても、そちらの方が大海だといまならわかります。
吉本さんの本少し読んでましたが、半分しかわかっていなかったなとかなり感動的に反省しました。
大変面白い。
人間の根幹に在る原初の頃のヒトの感性がヒトを人たらしめている。
言葉がヒトの美術表現の基礎としてあり
自己表出として行われている。
現代の社会システムの根幹を揺るがす何かがそこには在る。
自己表出は、その扉を開く鍵なのかもしれないですね。
世界に感謝します。