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 第2版「これからの専門学校を考える」(第四回補講)― 九州大学の吉本圭一レポートをどう考えるか(専門学校の「特長」はどこにあるのか) 2008年12月04日

ここで言う「吉本レポート」とは、専門学校の「一条校」化を昨年来議論している文科省「専修学校の振興に関する検討会議 」第3回(2007年12月21日)で発表された九州大学・吉本圭一の「高等教育としての専門学校教育」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/015/siryo/08011812.htm)を指している。

このレポートは元々は2003年に発表された「専門学校の発展と高等教育の多様化」(九州大学「高等教育研究」第6集)に基づいている。

吉本レポートは専門学校の部外者のものとしては全体的に大変素直なレポートになっている。私の第一印象は、たぶん部外者が専門学校にアプローチすれば、こんなふうにしか見えないだろうということである。

彼は、専門学校は大学に比べて「就職に強い」「教育熱心」という二つの専門学校関係者の自己認識を俎上にあげる。

少しデータが古いが1999年の「学校基本調査」を元にして彼は「専門学校の就職状況」について、70%が関連分野、8%が関連分野外、21.6%が無業者という現状に言及している。その上、専門学校の中退率15%、卒業率85%、就職率83%(1985~2000の5年置きの平均)、一方、短大の中退率は5%、卒業率95%、就職率72%、大学の中退率は7%、卒業率93%、就職率72%(同じく1985~2000の5年置きの平均)という現状もセットで指摘する。

これらを見ると「就職率100%とはよく聞くが…8割の卒業率、2割の中退率、無業が少ないと言えるのか」と吉本は反問する。「就職の専門学校」とは言うが数字からはそれは読み取れない。

吉本は、専門学校の中退率が多い理由を以下のようにまとめている。

「8割強という卒業率、2割弱の中退率は、一方で入学者の資質や必修システムによる再履修・留年が困難であるという問題と、他方で出口での教育成果についての質のコントロールがきちんとなされているという両義的な側面がある。たとえば、『しつけ』を含めた学習指導を徹底させ、卒業時の企業社会に対する質を保証して就職に結びつけようとする場合、18才から20才くらいの若者の価値観やその背後の若者文化と葛藤を起こすこともあるのだろう。反面では、専門学校教育の質が適切に確保されていないことによる中退もあるのだろう」(「専門学校の発展と高等教育の多様化」2003年)。

この吉本見解については私もずいぶんと言及してきたので(補講1~3)、ここでは触れない。

もう一つの問題は、専門学校は大学に比べて「教育熱心!?」というもの。吉本はそこでまた「学校基本調査」から、常勤教員1人あたりの学生数と週単位の教員持ち時間数(持ちコマ数)を算出する。

専門学校は教員1人あたり、18.3人。短大は、19.3人。大学は、18.7人。また、教員の週単位の授業時間数で言うと、専門学校は12.7時間、短大は8.4時間、大学は8.6時間。

この数値だけを見ると、専門学校が大学に比べて特に学生指導に熱心になれる環境にあるとは言えない、と吉本は見る。

ついでに言うと、論文の方では吉本は以下の指摘もしている。教養主義の大学に対する専門学校の「スペシャリスト」教育という一般論も実は根拠がないという指摘だ。

社団法人東京都専修学校各種学校協会の資料(「アンケートに見る専門学校卒業生のキャリア形成」1999年)を参照してみると、「望ましいと思う職業のコース」は、「『専門を活かして独立するコ-ス』(21.0%)、『ある分野に特化した専門職コース』(17.5%)を希望する者も一定数いるが、むしろ『他の分野も経験しながら専門分野も深めていくコース』がもっとも多く38.4%を占めており、『一般職コース』(11.2%)などを志向する者もいることがわかる」と吉本は言う。吉本は、ここでもまた「大学や短大との学生・卒業生の志向性と格段の違いはないようにみえる」と言い、専門学校の「スペシャリスト」教育について次のように結論する。

「今日、大学の『専門学校化』と呼ばれるように、大学側でも就職支援のための活動、資格取得のための活動や、カリキュラムが開発されつつあり、『職業専門性』だけで専門学校が勝ち残ったとはいえない」(同上)。

この問題は卒業生アンケートや吉本に指摘されるまでもなく、深刻な問題だ。現在の専門学校の教育展開も専門教育(「スペシャリスト」教育)に自らの特長を求めると言うよりは、選択主義的な教養主義やマナー教育(あるいは「人間性」「社会性」教育)を中心に進んでいるからだ。それを吉本のような大学関係者が見ると、「大学とどこが違うの?」ということになる。

大学教育改革の横綱とも言える金沢工業大学でも、その改革の眼目は「人間性」教育だという(藤本元啓学生部長の発言)。工業系の大学(要するに職業教育的な大学)であれだけの改革を行っても「人間性」教育だとしか言えないのだから、専門学校が「専門」教育を外すということになると何が専門学校のコアコンピタンスなのかは(外部からは)全くみえない。


専門学校は、大学全入の台風が吹いているさなかに大学化する「改革」に進んでいるのである。

これでは専門学校は高校生たちの「選択肢」に入らない。違いが見えないからだ。違いが見えないのなら、大学「キャンパス」ライフの方が楽しいに決まっている。その上、資格教育と実習教育しかできない専門学校の実績に「人間性」「社会性」「教養主義」「選択制」「コース制」教育を上積みしても説得力を持つことはないだろう。そこはそもそもが大学の領域だからだ。

先の補講でも示したように実際高校生の動きも過年度卒業生の動きも専門学校には向かわずにほとんどすべてが大学に回っている(http://www.ashida.info/blog/2008/12/post_309.html#more)。

こういった問題について、私の第一回目の研修では以下のような質問が出た。

「先生(芦田)ご自身は、この吉本報告=見解についてどのような見解をお持ちですか。データが1999年と古い、中退率の高い理由についても根拠不明、指導の熱心さは学生数、時間数ではかれるのかなど」(Kさん、K専門学校)。

まずデータが古いという問題については、現状でもそれほど変わりはない。

たとえば、私の手元にある2008年前半に調査された東京圏の卒業生アンケートでも(まもなく公表されるだろうが)、専門学校の就職率の現状は決して良くない。

●300人以上の大手企業就職率→ 32.4%
●正規就職率も低い→ 72.5%
●正規就職の継続率→ 64.1%
●初年度年収も低い→ 300万円以上24.6%
●収入の経年増大率も低い→ 仕事の経験年数の収入比例率 38.9%
●卒業後の無職率は高い→ 29.8%
●仕事への満足率→ 38.3%
●会社への満足率→ 42.9%
●学んだことが役立っている率→ 52.3%
●高校までの勉強で充分という就職率は→ 19.5%
(医療・農業系を除く全分野の1221人の専門学校卒業生に対するアンケート結果)

吉本の指摘はあくまでも就職率のボリュームの問題に終始しているが、このように質の問題を考えれば問題はもっと深刻になる。

こういった問題は、今となっては大学でも同じだろうという指摘もあり得るが、しかしそれは違う。吉本の指摘の仕方は、専門学校関係者は口を開けば「就職の専門学校」と言うが、就職率一つとっても大学と変わらない(か中退率を考慮に入れればそれ以下)というもの。確かにその意味で大学自らが「就職の大学」などと言ったことは一度もない(これからはあるにしても)。

だから、「大学も専門学校と大して変わらないだろう」と言うのは大学関係者にとっては特に自分たちの欠陥と課題を指摘されたということにはならない。専門学校は自分たちで「就職の専門学校」と言いつづけてきたのだから、そのことについて説明する義務は専門学校自身の方にある。

ところが、そのまともなデータは「学校基本調査」くらいしかない。あっても全専各や東専各の資料くらいだろうが、それも決して「就職の専門学校」を示すデータがあるわけではない。むしろ先に示したようにその反対のことを示すデータの方が多いくらいだ。

教員の「教育熱心」という問題も数値で見れば何も特に変わるものではない。「数値で熱心さがわかるのか」という質問ももっともな質問だが、しかしそう言う専門学校は何をもって教育「熱心」というのか。どんな状態を「熱心」と言うのか、どんな結果や実績を「熱心」と呼んでいるのか、それをきちんと説明する必要があるだろう。そもそもそんなに「熱心」なのなら、「中退者」が「15%」もいるのはおかしいだろう、そう吉本が考えてもおかしくはない。

吉本が言いたいのは、「学校基本調査」くらいしかデータがないというところに一番の問題があるということだ。専門学校が自ら「就職」や「教育熱心」ということを言うのなら、それが誰にでもわかる(=誰にでもアクセスできる)指標、資料、実績となっていなければならない。それがないと吉本は言いたいのである。つまり彼の専門学校判断を形式的な数値判断に追い込んだのは、我々専門学校関係者の方であって、彼の何らかの教育的な認識能力の欠如にあるわけではない。

先の論文の「注」で彼はこんなことを洩らしている(どんな論文も本音は「注」に書いてある)。

「文部科学省の『学校基本調査』にしても、専門学校の進路動向について、極めて簡便な印象的なデータしか収集しないのはどういう事情であるのか、理解しにくいところである」。また「各種学校」の校舎面積の設置基準とたった一坪(35坪と36坪)しか違わない事情についても「専修学校が議員立法で作られたため、他省庁へ政令づくりの相談に回っても自分たちに相談せずに勝手に作った法律だから、政令も勝手につくれなどとケチをつけられましてね」(『法制定10周年記念誌・専修学校のあゆみ』全国専修学校各種学校総連合会)との関係者の「述懐」を紹介している。

つまり、「就職の専門学校」も「教育の専門学校」もどこにもデータがない。報告もない。そもそも「就職率」も「退学率」も「進級率」も「資格合格率」もまともな定義がない。「教育熱心」な専門学校で、「就職と資格の専門学校」だと自らが言い張るのなら、それくらいの指標は自らの学校ではっきりさせるべきなのである。あるいは業界全体としてガイドラインやルールが存在するくらいのことはあってもいいはずだが、それもない。

現状は同一学校内であっても科毎に違ったり、科長や校長によって違ったり、3月末に急に退学者が増えたりと曖昧なままである。また業界の動きとしても、東専各が中心になって動いている「私立専門学校等評価研究機構」の「自己点検・評価」「第3者評価」もこういった教育の基本指標の厳密な定義があるわけではない。そこまで切り込めないでいる。「議員立法」のぬるま湯から未だに抜け出せないのである。

こういった諸々の諸事情が、吉本が「学校基本調査」で形式的にしか専門学校にアプローチできない理由になっている。この場合、吉本はひとりの大学教授として我々に対峙しているというよりは、ひとりの部外者(第3者)として対峙していると考えた方がいい。

専門学校は外部の人間から見ると何をやっているのかわからない学校(田中真紀子の言葉を使えば「伏魔殿」)だということである。自分たちが得意だと思っていることさえまともなデータもなければルールもない。これが私が今回の研修のキーワードとしてあげた専門学校の「公共性」課題です。その意味での「公共性」獲得にどんなアプローチがあるのかが第二回の研修テーマ(http://www.invite.gr.jp/news/2008/20081006mr_ashida02.html)になります。

※この項終わり

※ここまでの補講(次回12月17日18日研修会の予習)

1) 「これからの専門学校を考える」(第一回補講) ― 専門学校の「マナー教育」をどう考えればよいのか?(なぜ、早稲田や慶応の学生は「マナー教育」を免れるのか?) http://www.ashida.info/blog/2008/11/post_307.html#more

2)「これからの専門学校を考える」(第二回補講)― 専門学校の資格主義、実習主義、担任主義、教員組織の問題について http://www.ashida.info/blog/2008/11/post_308.html#more

3)第2版「これからの専門学校を考える」(第三回補講)― 大学全入は専門学校にとってどんな事態なのか?  http://www.ashida.info/blog/2008/12/post_309.html#more

(Version 4.1)

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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