「芦田の毎日」について twitter 私の推薦商品 今日のニュース 写真ブログ 芦田へメールする

 第2版「これからの専門学校を考える」(第三回補講)― 大学全入は専門学校にとってどんな事態なのか? 2008年12月01日

今回の補講は第三回目になります。

第一回補講(http://www.ashida.info/blog/2008/11/post_307.html#more)は、専門学校の「マナー教育」をどう考えればよいのか?(なぜ、早稲田や慶応の学生は「マナー教育」を免れるのか?) 2008年11月22日

第二回補講(http://www.ashida.info/blog/2008/11/post_308.html#more)は、専門学校の資格主義、実習主義、担任主義、教員組織の問題について 2008年11月25日

今回は大学全入時代というのは本当に専門学校の脅威なのかどうなのか、という議論についてのものです。対大学戦略の問題は集中的には今回の研修の第三回課題(1月21日22日)ですが議論を深く掘り下げるためにもここで予備的な議論をしておきたいと思います。

第一回目の研修(11月19日20日)で以下のような質問・疑問が受講者から投げかけられました。

●「対大学問題&これからの専門学校」
※対大学を考えた場合、制度的にも社会認知的にも勝てないような気がするのですが、どうなのか(Nさん、T専門学校)
※「一条校化」という話題がありましたが、実現しても運用し続けることが難しいのではないか感じました(Nさん、N専門学校)
※専門学校の一条校化をどう考えていますか(Aさん、H専門学校)
※大学全入は本当か。むしろ経済格差が埋まらない限り50%大きく超えていくということはないのではないか。県民所得と大学進学率とは相関している。全入傾向が本当なら大学卒業後(中退後)本学に入学する人が全入学者の30%前後を占めているという現象を説明できない(Kさん、N専門学校)
※「脱資格」という表現がありましたが、これからの専門学校の目指す方向性?(Nさん、K専門学校)。
※芦田先生の理想的「専門学校」のイメージがわからない。一条校化、大学化? (Yさん、T専門学校)
※専門学校の役割は、私たちが考えているところよりもずっと低いのではないか? そこが逆に生き残る「隙間」かもしれないという(前向きに考えたいとは思いながらも)ふと思う(Yさん、Y学園)
※大学の専門学校化に対抗するには、専門学校を大学化するということでしょうか。(Tさん、H専門学校)

●吉本圭一(九州大学)の「専門学校」認識について
※吉本氏の中退率の原因について「葛藤可能性」があるという見解に疑問を感じる。分野によって受け入れ側の要望(求める)人材があり、その特性にあった教育をしていくのは当然と言える。しつけ教育もマナー教育も職業教育の中には必要であると思う。大学の中退率も年々増加しているように思うので、大学の中退率も明示していただきたい。(Wさん、K専門学校)
※先生(芦田)ご自身は、この吉本報告=見解についてどのような見解をお持ちですか。データが1999年と古い、中退率の高い理由についても根拠不明、指導の熱心さは学生数、時間数ではかれるのかなど(Kさん、K専門学校)


【質問に答える】― 大学全入問題は本当に専門学校課題なのか?

大学全入時代は、一般に言われているほどには専門学校経営を苦しめないのではないか、という問題提起があった。

一番大きな理由は、4年間にわたって総額500万円以上支払える家庭が50%以上になることはないのではないかというものである。所得格差が進学率を決めている要素があるというものだ。

今手元に全国都道府県の所得データが平成17年度版しかないため、平成17年度の全国都道府県の所得と大学進学率、専門学校進学率との相関を見てみよう。

17年度の大学進学率の一番高いところは、京都の58.4%(64.5%)、第2位が東京の56.2%(63.8%)、第3位は広島の55.1%(61.6%)。逆に大学進学率の一番低いところは、沖縄の31.1%(36.1%)、第2位は岩手の34.4%(39.0%)、第3位は熊本の36.3%(41.7%)。括弧内は、20年度「学校基本調査」データ。17年度と順位が変わるのは、進学率の低い第3位が熊本ではなく北海道(40.4%)になっている。熊本は最低位から数えて6位に上昇。しかし全体に傾向は変わらない。

この状況を踏まえて、所得のデータを見れば(17年度)、一番所得の高いのは(すべて1人あたりの平均所得)、東京都478万円(56.2%)、二位が愛知の352万円(54.1%)、三位は静岡の334万円(49.2%)。一番所得の低いのは、沖縄の202万円(31.1%)、二位は高知の214万円(40.7%)、三位は青森の218万円(37.0%)。括弧内は17年度大学進学率。

所得一位の東京都、所得最低位の沖縄とは、それぞれ大学進学率2位の東京、進学率最低位の沖縄で相関がありそうだ。愛知の54.1%は第五位の進学率。静岡の334万円は少し落ちるが18位。所得の低い二位の高知の214万円は31位(下位から17位)。三位の青森の218万円は進学率42位(下位から6位)。

そこでこれら47都道府県の大学進学率と所得との相関係数を求めると(統計の勉強を一切していない私のレベルではエクセルの相関関数を使うのが精一杯です)、0.67となり、非常に高い正の相関がある。これだけを見れば、大学か専門学校かの選択は(大学全入時代においては)所得差が決定的な要素であるようにみえるが、では、偏差値との相関はどうなるのか。

全国の高校の偏差値を都道府県毎の平均値で見てみると(20年度)、偏差値一位は54.1で東京、二位は53.2で埼玉、三位は52.3で千葉。最低位は沖縄で42.4、二位は44.1で高知、三位は44.2で岩手となる。47都道府県全体での大学進学率と偏差値との相関係数は、0.61。これも所得相関と同じほどに高い正の相関がある。※偏差値データは17年度のものが手元になかったために20年度の最新データと17年度進学率データで相関を取っているが、お許し頂きたい(それほど違いは無い)。なお偏差値データは全国全ての高校の偏差値を都道府県単位で単純平均して算出している(随分杜撰なやり方だが臨時補講としてはしようがない)。

就職率(17年度)も見ておこう(括弧内は17年度大学進学率)。高校卒業後の就職率が一番高いのは秋田県の31.95%(38.5%)、二位は宮崎県の30.8%(38.4%)、三位は佐賀県の30.7%(40.0%)。逆に一番低いのは、東京の7.0%(56.2%)、二位は神奈川県の9.0%(57.8%)、三位は京都府の9.7%(58.4%)。47都道府県全体での就職率と大学進学率も0.68という非常に高い負の相関がある。

では最後に専門学校進学率との相関はどうか(17年度)。専門学校進学率が一番高いのは新潟県28.1%(40.3%)、二位は高知県25.9%(40.7%)、三位は長野県25.7%(45.1%)。逆に一番低いのは、石川県12.1%(50.4%)、二位は東京都14.9%(56.2%)、三位は愛知県15.4%(54.1%)。47都道府県全体での専門学校進学率と大学進学率の相関も0.65と大変高い負の相関がある。20年度では、専門学校進学率が一番高いのは沖縄23.9%、新潟23.2%、高知22.0%と続く。低いのは東京11.1%、奈良・愛知が11.2%、岐阜12.8%と続く。若干の変動はあるが、全体の傾向は変わらない。

大学進学率と所得、偏差値、就職率、専門学校進学率との相関は、それぞれ所得0.67(正の相関)、偏差値0.61(正の相関)、就職率0.68(負の相関)、専門学校進学率0.65(負の相関)となる。これらはすべて極めて高い相関を形成している。

苅谷剛彦(『大衆教育社会のゆくえ』中公新書)は1968年に文科省が行った調査について、「家庭の所得水準、父親の学歴といった要因は、子どもの成績と強い関係を持っている。家庭の所得が高いほど、また父親の学歴が高いほど、子どもの成績は良くなる」という文科省の見解を紹介する。しかし、この文科省のまとめでは所得と学歴との関係が曖昧だ。

森口兼二(『進学機会の規定因子に関する一研究』京都大学教育学部紀要1960)はそれより10年前の1958年に10年後の文部省の調査と同じように親の職業や学歴、あるいは所得の高いものほど進学機会が高まることを指摘していたが、しかし森口の指摘の重要性はそこにはない。「所得水準が同じでも、親の学歴が高いほど進学チャンスも大きくなる」と苅谷は森口の指摘を受け止める。

親の経済力の違いだけが進学のチャンスを決めているわけではなく、親の学歴が示すような家庭の文化的環境の差異が子どもの成績を媒介として進学チャンスを決めている、というのが森口の指摘だった。

これは私の認識では日本の高度経済成長を活性化させた日本的学歴社会の重要な論点だ。高度経済成長の日本社会の一流層(一流企業、官僚組織)には単に富裕層のみでなく学歴ヒエラルキーを中心とした多種多様な階層が存在し得たのである。所得と学歴との間には明確ではないにせよ(当時)微妙な差異があった。

私は昭和29年生まれだが、当時から「頭の良い子」はたとえ田畑を売ってでも大学へ行かせるという話はどこででも良く聞いた。イギリスなどは今でも大学進学者の内中産階級の学生は2割にも満たないと言うからいかに日本の「学歴」社会が特殊かわかる。

苅谷剛彦は、そこで潮木守一の研究を取り上げる。「家庭の所得水準、父親の学歴といった要因は、子どもの成績と強い関係を持っている。ここでは所得と学歴との関係が曖昧だった文部省の1968年調査結果コメントを潮木守一は批判的に取り上げる。

潮木守一(「進路決定の過程のパス解析」in『教育社会学研究』1975)は同じ文部省のデータを「パス解析」(因子分析)し、学業成績が進学に直接影響を及ぼす影響の強さは、所得の影響力より小さいとする。さらに親の学歴や職業が進学チャンスに及ぼす影響よりも子ども本人の成績の方が進学の決め手になっているという結論を出してくる。

これは10年前に森口が漠然と「文化的環境」と呼んでいたものをもう一歩進めた議論だった。ちなみに成績と進学とのパス係数は0.491、所得とのパス係数は0.261、親の職業とのパス係数は0.019、親の学歴とのパス係数は0.110である。

村上泰亮の言う「新中間大衆」というのも森口や潮木の指摘と無関係ではない。所得(階層)と学歴(進学)との微妙な差異が村上の言う膨大な「新中間大衆」を生み出してきたのである。

その意味で言えば、文科省の1968年データから40年近く経った現在の大学進学率の相関が、偏差値0.61(正の相関)よりも、所得0.67(正の相関)、就職率0.68(負の相関)、専門学校進学率0.65(負の相関)の方が高いというのは、最近の格差社会論の傾向を示してるかも知れない(この程度の差異であれば誤差の範囲ではあるが)。

したがって、大学進学率が50%を超え始めると偏差値差異よりは所得差異の要素が高くなり、進学率はいずれ頭打ちになるというのは理解できない議論でもない。

しかし、偏差値と所得と就職率と専門学校進学率のどの要素が大学進学率を決めているのかと言えば、(重回帰分析レベルだが)、偏差値に関する係数0.058、所得に関する係数0.16、就職率に関する係数-0.47、専門学校進学率に関する係数-0.46となり、就職率と専門学校進学率が一番高い相関(負の相関)となる。これが森口や潮木が40年前、30年前に行った分析と大学インフレの現代との差異だ(もちろん森口や潮木の分析に比べれば私の思いつきの素朴な相関分析などほとんど厳密性に耐えないが)。

この原因(の一つ)は、専門学校進学と所得、偏差値、就職率との相関は0.47(所得)、0.41(偏差値)、0.20(就職率)と、大学進学率相関0.65と比べてかなり弱い負相関に留まっているからだ。弱いと言っても決して無視できない数値だが、大学ほどには強い相関がない。

つまり「所得が低いから」専門学校とは言い切れないし、「偏差値が低いから」専門学校とも言い切れない、「就職率が高いから」専門学校進学率が高いとも言えない。少なくとも「所得が高いから」大学、「偏差値が高いから」大学、「就職率が低いから」大学と言うほどの相関はない(大学はほとんどそう言い切れるが)。

つまり専門学校自体の進学率要素を決めているのは、所得でも偏差値でも就職率でもなく、大学進学率そのものなのである。

言い代えれば、所得、偏差値、就職のどの要素にも専門学校マーケットを決定づける要素はないということだ。はっきりしているのは、大学の進学率が高いところは専門学校進学率が低いということだけ(その負相関は0.65)。ちなみにたとえば、平成14年度のその相関は0.62だったから、最近の傾向としてますますその相関度は強まっている。すくなくともこの動向が止む気配はない。

つまり専門学校進学率は下がる要素の一番大きなものは大学進学率だということ。ここに大学全入時代の、専門学校の危機を見るのはごく自然なことです。少なくとも「頭のいい学生でもお金のない高校生は専門学校に来る」とは言い切れない。

たとえば、山本眞一(広島大学)は、平成17年度の大学短大進学率が「初めて50%を超えた、51.5%に達した」という事実を指摘しているが(いわゆるトロウの「大学のユニバーサル化」の基準値である50%を超えたという指摘)、一方で「このことにあまりこだわると、ことの本質を見誤る」と言う。

その理由は、大学進学率は50%を超えたが(51.5%)、対18才人口比で見れば依然として50%を切っている(47.3%)。「浪人生がいるおかげで進学率が下支えされているような状況になっているが長期的には浪人生も減少することであり、その意味ではこの志願率の動きが影響して、大学・短大進学率が50%をそう大きく超えることはないであろうと私は見ている」(『知識社会と大学経営』ジアース教育新社)。

「結果、2020年には今よりも10万人減少して60万人程度になる可能性が高い」とまで言っている。要するに山本は「分母に当たる18才人口が大幅に減少しているから」50%を超えただけのことだと言いたいのである。乱暴な議論をするものだ。進学率は「率」なのだから、18才人口が減れば、進学者数も減る。だから50%を超えるというのは、大学進学割合が変わりつつある、と素直に取るべきところを浪人でかさ上げになっているなどと「率」問題を回避しようとしている。

挙げ句の果てに、「要するに大学や短大に進学することのメリットとそのことによってかかる経費とのバランスを考えると、進学を躊躇する若者が増えているからであるというのが私の仮説である」とまで言う。これは60万人減少説の根拠の「仮説」になっている。これを読んで喜んでいた専門学校関係者もいたに違いない。

しかし2005年9月12日に書いたこの記事を山本はただちに修正する。次年度の2006年度には、「対18才人口志願率比も私の計算によると50.8%となり」、一挙に50%を超えたからだ。「一方高校新卒者の専修学校専門課程への進学率は18.2%で前年度よりも0.8ポイント低下」(アルカディア学報No.256:2006年10月4日)。たった一年で山本の仮説は自己崩壊した。

この理由を山本は自嘲気味に四つにまとめている。

一つは、「大学の教育内容や入試方法の改善による学生確保の努力」。
二つ目は、「景気回復」と「奨学金や授業料免除等の経営努力」。
三つ目には、「大学教育の実学シフト」(専門学校志向が大学回帰している)
四つ目には、「大学に行くこと自体に大きなメリットがなくても、大学に行かないことのデメリットの大きさの方が深刻である、と人々が本気で考え始めたからではないか」

たった1年でこれほど違ったことを言う研究者も珍しい。教育学というものが以下にデタラメな思いつきで成り立っているのかがよくわかる。この四つとも何の根拠もない思いつきだ。

1年前の9月12日の発言:「要するに大学や短大に進学することのメリットとそのことによってかかる経費とのバランスを考えると、進学を躊躇する若者が増えているからであるというのが私の仮説である」が「大学に行くこと自体に大きなメリットがなくても、大学に行かないことのデメリットの大きさの方が深刻である、と人々が本気で考え始めたからではないか」の10月4日の発言に変貌する。挙げ句の果てに、この四つ目の理由こそが大学進学率が上がった理由の「一番大きい」ものだとまで言う。

平成17年度(2005年)から高校生卒業生総数の推移を見ると120万(17年度)→117万人(18年度)→114万人(19年度)→108万人(20年度)と減っている(17年度比で今年9%減少)。しかし、大学進学者は56.8万人(17年度)→57.8万人(18年度)→58.7万人(19年度)→57.5万人(20年度)と増えている。確かに20年度は前年度比で1万人強減ったが、17年度から20年度の高校生が10%減少したにもかかわらず、大学進学者自体は1.01%増えている。

また高校卒業生数の内訳でも大学進学率は、47.3%(17年度)→49.3%(18年度)→51.2%(19年度)→52.8%(20年度)とこちらは明らかに増大し続けている。

その一方で、専門学校進学率は19%(17年度)→18.2%(18年度)→16.8%(19年度)→15.3%(20年度)と減り続けている。内訳率だけではなく、専門学校進学者数も22.8万人(17年度)→21.3万人(18年度)→19.3万人(19年度)→16.7万人(20年度)と17年度から20年度にかけて27%も進学者数は落ちている。

少子化とは言うが、17年度から20年度にかけて高校卒業生は9%しか落ちていない(1,202,738人→1,088,243人)。しかし27%も専門学校進学者は減り、大学は逆に1.01%増えている。少子化だから、専門学校入学者は減っているのではなく、単に大学に負けているのである。率でも数でも専門学校は大学全入時代の風をまともに受けていると理解するしかない。まさか専門学校の27%減は、それだけ所得の高い人が増えたのだと言うわけにもいかないだろう。


●18才層の減少という事態に際して何が大学と専門学校の減少率をわけているのか。

1)フリータ層の取り込みに失敗している

同じ18才層の減少という事態に際して何が大学と専門学校の減少率をわけているのか。

一つには、18才層(新卒層)の非進学組の動向だ。非進学層は、「学校基本調査」では「就職者」「一時的な就職に就いた者」「「左記(就職者、一時的な就職に就いた者)以外の者」「死亡・不詳の者」を指すが、このうち、就職者数は17年度から特に変化はない。平成15年度から20年度までほぼ20万人前後の数字になっている(高卒進路の16%~20%前後を占めている)。

非進学組の動向で大きな変化があるのは、「一時的な就職に就いた者」「「左記(就職者、一時的な就職に就いた者)以外の者」。「一時的な就職に就いた者」、いわゆるフリータ層が17年度からでは激減している。フリータ問題が叫ばれて久しいが、高校卒のフリータ層は縮小し続けている。22,854(17年度)→12,874(20年度)、約44%減少。「「左記(就職者、一時的な就職に就いた者)以外の者」、いわゆる家事手伝いや留学者も101,724(17年度)→66,711(20年度)、約35%減少。全体で3,5000人の卒業生がこの項目から減少している。専門学校は、この層の取り込みに失敗している。フリータと家事手伝いと留学組みは専門学校へは行かず、大学へ行ったと考えた方がいい。ここでも「実学」と「就職」の専門学校は負けている。

2)過年度生はどう動いているのか

もう一つの現象がある。過年度入学生を考慮に入れると大学等入学生は703,191(17年度)→684,498(20年度)と18,693しか減少していない。2.7%の減少に留まっている。18才人口そのものは1,365,804(17年度)→1,237,294(20年度)。9%減少(128,510人減少)しているにもかかわらずだ(高校卒業生全体の減少率とほぼ同じ)。それに対して専門学校は326,593(17年度)→254,688(20年度)。22%も減少(71,905人減少)している。

過年度生の多くは、大学の場合浪人生がほとんどだ。専門学校生の場合は、上記のフリータ層、大学からの流入組みなどを指す。大学について言えば、新卒(18才層)では1%の増加があったにもかかわらず(17年度対比)、ここでは2.7%の減少が見られるというのは、大学全入を迎えて浪人生の数そのものが減ってきたということだろう(その点では山本の指摘は正しい)。大学は17年度には80.8%だった新卒比が、20年度には84.0にまで上昇している。3.2%増。

一方専門学校は、新卒(18才層)比の増減が大学とは逆転している。17年度には70.1%だった新卒比が、20年度には65.6%に落ちている。

過年度を加えた総入学生数と新卒入学生数の対比で言えば、大学の場合、703,191/568,336(17年度)、684,498/575,018(20年度)、 専門学校の場合、326,593/228,858(17年度) 254,688/167,004(20年度)ということになる(数値の前半が過年度を加えた総入学生数、後半が新卒入学生数)。

これをどうみるか。普通に考えれば、大学は高校生(新卒者)取り込みに成功しているということだろう。575,018人の20年度新卒入学者は対17年度比で6,682人増えているが、約12万人新卒者が減っているにもかかわらず6,682人増えているのだから、少なくともフリータや家事手伝いが減少している分(約35,000人)の内をいくらかを吸収できていると考えるのが自然だ。もう一つの理由は浪人生が減っているということだろう。

専門学校は新卒割合を約5%落としている。新卒学生数も61,854人減らしている。全体のパイも71,905人落としている(17年度対比で22%減)。全体の減少数の最大の原因は、減少数の71,905人の86%を占める新卒学生数の減少(61854人の減少)であることは明らかだ。

所得格差が一番あらわれるのは就職率だが(所得と高校生就職率との相関は17年度都道府県データを付き合わせると0.55の高い負の相関がある)、これは17年度から20年度にかけて5%前後しか増大していない(実人数ではこの4年間ほとんど変わらず20万人前後)。一方、フリータや家事手伝いは大幅に減少しているが(35,000人減少)、この層は一概に高所得者とは言えないだろう。

その中で専門学校は新卒割合を約5%落とし、新卒学生数も61,854人減らしているのだから、所得問題が大学全入時代の進学率を停滞させるとは、少なくともここまでのデータでは言えない(データで言うとすればだが)。森口や潮木の40年前の指摘がまだ少しは生きている。専門学校は大学全入時代において大学に負けている、実学と就職の専門学校と言いながらフリータ取り込みにも失敗していると考える方が自然だ。それ以前に大学こそが専門学校層の取り込みに成功していると言える。

大学進学率は専門学校進学率、就職率、所得、偏差値の三要素ともそれぞれ、0.65、0.68、0.67と非常に高い相関があるが、専門学校は、就職率、所得、偏差値とも、それぞれ0.20(正相関),0.47(負相関)、0.41(負相関)と大学ほど高い相関はない。全体的に言ってやはり専門学校のマーケットが見えない状況にある。


●大学が低学力学生をまともに教育できない受け皿としての専門学校?

最後に言いたいことがある。大学の中退組み、あるいは卒業生が専門学校に入学してくる率が増えているということについてだ。これを大概の専門学校関係者は大学の教育力よりも「専門学校の方が上だから」と説明する。「しばらくすればできない学生をたくさん入れた大学のほころびが出てきて、その分、専門学校流入が増えてくるはず。またその意味で専門学校の新卒入学者も復活するはず」というものだ。「今は我慢の時だ」と言う専門学校関係者は結構多い。

まず、数値的にはこの状況は証明できない。平成17年度では97,735人いた既卒入学者が平成20年度では87,684人に減っている(約10%の減)。しかも平成17年度には24,749人いた大学卒業生(短大、高専を含む)からの専門学校入学者は平成20年度では19,847人に減っている。20%減少している。増えてはいない。正確に言えば、既卒者の減少率に比べて減少率が小さいというだけだ。相対的にはわずかに増えているが、大学の教育力低下の受け皿に専門学校がなりつつあるという事実はない。しかも大学の4年次卒業率は86%(20年度)。これは専門学校の卒業率平均に勝るとも劣らない数値だ。大学も落ちこぼれがいるが、専門学校にも落ちこぼれがいる。

今年の7月20日発表された『読売新聞』の特集「大学の実力」(http://www.ashida.info/blog/2008/07/720.html)には、退学率や定員充足率の貴重なデータが一般紙に登場したということで大きな意義があったが、私が計算したところ「退学率」の相関度は他の学内的な「自己点検・評価」指標より何より「偏差値」(これはさすがに読売新聞には出ていなかったが、私が埋めた)が一番高かった(0.61)。よく考えれば当たり前のことであって、苦労して入学した大学(=入学競争性の高い大学=偏差値の高い大学)の退学者が少ないのは当たり前。専門学校は入学競争性自体がないのだから、脱落者は大学よりもはるかに多いと考えた方がいい。

一方、専門学校から大学への編入者数は、17年度で2,319名いた者が20年度で2,636人に増大している。約14%の増大。「大学から専門学校へ」が20%減少、「専門学校から大学へ」が14%の増大だから、もし受け皿というのなら、大学の方が専門学校教育の受け皿になりつつあるのであって、その逆ではない。

二番目に指摘すべきなのは「専門学校の実力」というものだ。私の専門学校経験の範囲で言えば、大学の中退者、卒業生のほとんどは進路の変更者だ。大学文系の学生が建築やIT技術者や理美容、調理、服飾を目指すといった者が多い。工学部建築専攻を出たもの(あるいは中退者)が専門学校の建築科に再入学してくるといったことはほとんどない。大学の他分野に再入学する能力はない、その結果が大学からの入学者の専門学校選択の実相だと思う。これを「専門学校の実力」と呼んでいいのか。

それは「実力」の受け皿と言うよりは、「進路変更」組の受け皿と言った方がいい。その意味で言っても、それは教育力のない大学の基礎学力の低い学生を専門学校が再度引き受けるという構図ではない。この中には「優秀な」学生も入っている。大学から専門学校への再入学は、大学全入時代の副作用と言うよりは生涯学習の時代(終身雇用制の崩壊)の副作用であって、その恩恵は専門学校だけではなく、大学もまた職業人大学院などのような受け皿を何年も前から作りはじめている。大学生の専門学校流入は、その意味でも「実力の専門学校」の証にはならない。その上、その流入がどんどん減ってきていると言うのだから(先述のデータ)、専門学校は「進路変更」組の受け皿にもなっていない、生涯学習時代の教育受け皿にもなっていないと言うべきだろう。前方(高校生マーケット)、後方(生涯学習マーケット)全ての面において専門学校は遅れているのである。


●この項― 「大学全入問題は本当に専門学校課題なのか?」のまとめ


1976年(昭和51年)年の出発した専修学校専門課程(=専門学校)は(諸々の意味で)大学へ進学できない高校生の受け皿として出発した。51年当時の大学・短大進学率は38.6%。そこまで順調に伸びてきた大学進学率はこの専門学校の設置によって停滞期に入る。51年の38.6%を抜くのは、何とその後16年後の平成4年(38.9%)である。その間専門学校進学率は3.5%(昭和51年)から17.8%(平成4年)にまで伸びる。5倍強の拡大だった。

18才人口はその16年間で50万人以上ふえたが(1,542,904人→2,049,471人)、その50万人の内364,687人(平成四年の専門学校学生数)、なんと増加分のかなりの18才人口を吸収したのである。

私はここまでが専門学校が社会的に最も有効に機能した時期だと思う。大学はその後2000年(平成12年)までに一気に10%進学率が高まる。1990年代は専門学校の使命の終わりの始まりだった。

ちなみに1990年(平成2年)の大学進学率は36.3%、専門学校は16.9%。この10年後の2000年(平成12年)の大学進学率は49.1%、専門学校は20.8%。18才人口は、1990年(平成2年)の2,005,425人から 2000年(平成12年)の1,510994人にふたたび50万人前後減少しているが、それでも大学進学率は13ポイント上がり、専門学校は4ポイントの上昇に留まった。

高等教育への進学者は平成元年に初めて100万人を超え(1,021,670人)、平成18年まで100万人をきることはなかったから(さすがに19年度から991,664人となり20年ぶりに100万人を切ったが)、平成三年(1991年)まで続いた専門学校の高校生吸収は、平成四年(1992年)以降大学が吸収し始めたということだ。

90年代はバブル期以後の長い不況の時期だったが、それでも高校生たちは専門学校を選ばずに大学を選んだ。もちろんこの現象には1992年の18才人口のピーク時を見据えた文科省の大学定員増加策が対応している。80年代の18才人口の増加は「合法的な水増し入学」(天野郁夫)が吸収していたが、その一部を専門学校が担ったと言えないこともない。

しかし90年代は、80年代に規制されていた増員計画の頸木が一気に外れ、「合法的な水増し入学」が規制される分、量的拡大策が前面化する。それとともに大学の「多様化、個性化」施策が展開する。

というのも90年代はピークであると共に減少の始まりでもあったからだ。拡大施策は「大きな困難」(天野郁夫)を孕んでいた。「なぜなら、それは第二次ベビーブームの波を対象期間とするものであり、しかもブームの波の通過後には、18才人口の長期的な減少の時代がやってくることが予測されていたからである」(『日本の高等教育』天野郁夫)。そのあだ花が「多様化、個性化」施策(=大綱化)だった。

2000年以後も49.1%(大学・短大)、20.8%(専門学校)だった進学率は、それぞれ今年の段階で55.3%(大学・短大)、20.6%(専門学校)であり、傾向は変わらない。専門学校は2005年(平成17年)の23.9%を境に逆に減少し始めている。2007年が数値上の大学全入時代の始まりだから、結局1992年から始まった大学進学率の上昇は昨年で第一段階を終えたということ。それは1992年に始まった専門学校の終わりの始まりが、ついに本当に終わったということを意味する。

一体何が終わったのか? 「資格と実習の専門学校」が終わったということだ。「資格と実習の専門学校」に高校生たちは魅力を感じなくなった。それが1990年代初頭だ。それは文部省の大綱化施策(1991年)の始まりと一致しているが、大学改革の始まりと軌を一にしている。

大綱化施策は(今から思えば)少子化を前にした大学の専門学校化だった。大学の「多様化、個性化」とは、実体的には大学の専門学校化でしかなかった。だからこそ低位の大学は真っ先に「マナー教育」「社会人教育」に走り始めているのである。大学の受け皿は大学自身になる。それが大学の「多様化、個性化」ということだ。低位の大学は現代における「合法的な水増し」大学なのである。

では専門学校は90年代初頭から何を改革したというのだろうか。何もできていない。専門学校の最大の問題は、90年初頭の終焉を見抜けないまま何もしていないということだ。大概の専門学校経営もまた、学生数のピークが90年初頭だった。それは専門学校の実力でも18才人口のピークでも何でもなく、文科省の大学政策のあだ花だったに過ぎない。大学の定員増がそのまま大学進学率の上昇に繋がっているのだから。韓国の80%進学率とまでは行かないにせよ、日本の大学進学率の浮力もかなり大きいものがあると見た方がいい。

たしかに塚原修一の言うように「短期高等教育の規模が縮小するなかで専門学校の2年制課程は健闘している」(『日本労働研究雑誌』No..542/2005)と言えるかも知れない。たしかに90年初頭の大学の定員増と少子化の進行にもかかわらず、専門学校の進学率は大学ほどではないにしても下がりはしなかったからである。大学進学率が1976年以降16年ぶりに上昇傾向に展開する1992年以降も専門学校は17.8%(1992年の専門学校進学率)から下がりはせず、わずかではあるが上昇する。ピークの2005年には23.9%まで上昇する。ちょうど塚原がこのレポートを書いたときまでだ。さすがに18才人口が130万人を切り始めたると2006年以降は下降し、今年は20.6%まで下がる。

問題は大学「大綱化」=増員以後のこの20%前後の専門学校進学率をどう見るかだ。その場合この間の「短期高等教育」=短大の「縮小」は問題ではない。その縮小を超えて「大学等」の進学率は専門学校の進学率ピークの2005年以後もそれ以前にも増して伸びてきたのだから(20055/51.5%→2008/55.3%と3ポイントも伸びている)。つまり「短大」の縮小を吸収しているのは大学なのであって、専門学校ではない。短大の敗北=専門学校の勝利ということにはならない。前述したように、そういった数の20%の問題よりは、新卒層や既卒層からの吸収・流入率が、大学に比べてはるかに低いということの方が、私には問題に思える。

現に塚原は、左記の「健闘」発言の後、ただちに次のように続けている。「職業資格の取得を通して企業横断的な専門性を形成する教育内容であることを勘案すると、専門学校はいわゆる日本型雇用慣行からやや外れた位置にあると言える」。事実上の数値実績よりは、私にはこういった指摘の方がはるかに重要な気がする。山本眞一の「仮説」も一年で崩れ、塚原の論考もピークの年に書かれたものだという点では大学進学率も専門学校進学率もそれ自体では当てにならない。結局、「日本型雇用慣行からやや外れた位置にある」専門学校の教育スタイルそのものを問う必要があるということだ。

にもかかわらず、未だに「資格と実習の専門学校」(あるいは「マナー教育」)を標榜する学校が多い。要するに大学の「大綱化」、つまり高等教育の「多様化」路線の枠外に専門学校は落ちていったと言える。90年以降大学は大きく変貌していったのに、専門学校は何も変わらなかった。「短大に勝った」と言いつづけただけなのである。

特に「専門士」のタイトルが付与された1994年以降も特に大きな変化はなかった。「専門士」は留学生のものとまで言い切る関係者もいた。私には「専門士」の第三条件(最後の条件)に「試験等により成績評価を、その評価に基づいて卒業認定を行っている」が付け加わったことが印象的な出来事だったが(当事者として思わず笑ってしまったが)、この条件を大きな課題として認識した専門学校経営者たちは誰ひとりいなかった。90年代、大綱化で大きく動いた大学に対して、「専門士」のタイトルを得ることの意味を誰も理解しなかったし、何もしようとしなかった。

だから高校生たちは専門学校を選ばない。「多様化、個性化」施策(=大綱化)の前に専門学校の「資格と実習」教育は、ほとんど立ち位置を持てないでいる。大学内格差に専門学校自体がのみこまれてしまったということだ。まさに専門学校は「合法的な水増し入学」のサブ施策でしかなかった。今となっては「合法的な水増し」大学のさらに外にいるということだ。塚原の指摘はそれを上品に言い代えただけのことだ。

だからYさん(Y学園)の言う「専門学校の役割は、私たちが考えているところよりもずっと低いのではないか? そこが逆に生き残る「隙間」かもしれないという(前向きに考えたいとは思いながらも)ふと思う」という疑問もわからないわけではないが、大学全入問題は大学教育自体への世間の期待も下がるということと同じであり、大学自体が「隙間」(たとえば「マナー教育」のような)を考え始める時代でもあるという意味では、「低さ」も「隙間」ももはや専門学校の占有品ではないということ。シニカルにいえば「低さ」にも「隙間」にも「特長」が必要な時代だということだ。「低ければ専門学校」というわけにはいかないということである。

さて「資格と実習の専門学校」(あるいは「マナー教育」)をどう抜け出すのか? 新たな高等教育の柱の一つとして、専門学校には何ができるのか。それがこの研修の二回目(12月17日18日)、三回目(1月21日22日)の課題です。

※吉本圭一(九州大学)レポートについての私の見解は、次回に続く。

(Version 11.0)

にほんブログ村 教育ブログへ
※このブログの今現在のブログランキングを知りたい方は上記「教育ブログ」アイコンをクリック、開いて「専門学校教育」を選択していただければ今現在のランキングがわかります。

投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
トラックバック

この記事へのトラックバックURL:
http://www.ashida.info/blog/mt-tb.cgi/992

感想欄
感想を書く




保存しますか?