家内の症状報告(126)―多発性硬化症:『治らない』原因を特定する慶應大学グループの最新研究(OPC、NICD、TIP30分子) 2008年12月26日
9月21日のトピックで紹介したカナダモントリオールでの世界MS会議の中原仁氏たちの研究(http://www.ashida.info/blog/2008/09/ms_tip30.html)がこの間の12月23日、プレスリリースされました。その内容を手に入れましたので、ご紹介します。素人の私なりの解説文はまた後でUPします。対処療法ばかりのMS、NMO治療の限界を超える試みの一つとして大変注目されます。
●神経難病・多発性硬化症:『治らない』原因を特定
慶應義塾大学医学部神経内科及び解剖学教室の研究グループ(鈴木則宏教授、相磯貞和教授、中原仁講師)※1は、神経難病・多発性硬化症※2に対する再生医薬開発研究※3に取り組んでいます。多発性硬化症では傷ついた神経組織(髄鞘※4)の自然修復が乏しく重篤な後遺症が残存しますが、本症において髄鞘の自己再生能力が低い原因は明らかになっておらず、その解明は新たな治療薬開発の鍵として期待されていました。今回、同研究グループは、多発性硬化症において髄鞘の自己再生能力が低下する原因を特定することに、世界で初めて成功しました。多発性硬化症の脳では病変部位に髄鞘再生を妨げるTIP30分子が過剰に発現していることを特定し、その分子機序を解明しました。原因分子及び分子機序が特定されたことにより、本症の新たな治療薬(髄鞘再生医薬)の開発が期待されます。
本研究成果は国際医学誌「The Journal of Clinical Investigation」誌2009年1月号(電子速報版:2008年12月22日付公表)に掲載されます。
*本成果は「The Journal of Clinical Investigation」誌(電子速報版:http://www.jci.org)に発表されます。Embargo(発表禁止期間)の遵守をお願い申し上げます。
On line publication : 米国東部標準時12月22日午後5時(日本時間12月23日午前7時)まで発表禁止。
Embargo policyに関する照会先: Dr. Karen Honey, News and Reviews Editor, The Journal of Clinical Investigation TEL: 1-215-573-1850, E-mail: press_releases@the-jci.org
1. 研究の背景
世界で約250万人、本邦では約1万2千人の患者が、現在も神経難病・多発性硬化症※2による障害に苦しんでいます。多発性硬化症は若年女性に好発する原因不明の神経疾患であり、脳・脊髄・視神経(中枢神経系)に病変が多発性に出現し、四肢麻痺や失明などを含む多岐に渡る神経症状を一度に呈する、難治性疾患です。多くの患者が発病後約10年程度で車椅子生活又は寝たきり生活を余儀なくされています。
多発性硬化症では、神経機能を支える髄鞘※4が20歳代後半から30歳頃を起点に、脳・脊髄・視神経などで多発性に崩壊(脱髄※5)し、神経機能に支障が出ます。平均して半年から二年に一度、ミエリンの崩壊が生じ(再発)、神経機能は進行性に失われていきます。
多発性硬化症の治療目標は二点あり、①新たなる脱髄を止めるための「再発抑制治療」と、②発症により傷ついた髄鞘を修復し後遺症を回復させるための「再生治療」です。
諸外国の多くの研究機関は前者(①再発抑制治療)に注力しており、多数の臨床試験が展開してされています。しかしながら、これに比して、②再生治療については開発が遅れており、未だ確たる治療戦略も定まっていないのが現状です。
中枢神経系において髄鞘を形成しているのは、「オリゴデンドロサイト」と呼ばれる細胞です。多発性硬化症の病変では脱髄に伴ってオリゴデンドロサイトが死滅していることが知られていました。しかしながら、1998年以降の研究展開で、謂わば「未熟なオリゴデンドロサイト」である「オリゴデンドロサイト前駆細胞(OPC)」が、脱髄病変でも多数残存していることが判明しています。そこで本研究グループ※1は、体内に残存するOPCをオリゴデンドロサイトへ成長させ、髄鞘の修復を励起する戦略に着目しています。
本研究グループはこの戦略に基く髄鞘再生医薬の開発研究※3に1998年より取り組んでおり、その一端として2003年には、OPCをオリゴデンドロサイトへ成長させるための「鍵」となる分子を世界で初めて同定しました(2003年6月3日付読売新聞・毎日新聞、同11日付朝日新聞、同16日付日本経済新聞、他にて報道)。現在も同戦略に基く治療薬開発を進めております。
一方、本来OPCは能動的にオリゴデンドロサイトへ成長し、髄鞘をほぼ完全に修復する能力を有することが知られております。多発性硬化症において、なぜ同じくOPCが残存しているにもかかわらず、能動的にオリゴデンドロサイトへ成長することもなく、また髄鞘を修復できないのかは解明されておりませんでした。多発性硬化症においてOPCによる自己再生能力が障害される原因を特定できれば、新規の治療薬開発に繋がると期待され、世界中で研究が行われていました。
今回、鈴木則宏教授・相磯貞和教授・中原仁講師らのグループは、多発性硬化症脳を詳細に解析し、残存するOPCによる自己再生能力が障害される原因分子を特定し、その機序を解明することに、世界で初めて成功しました。
2. 主要な研究成果
OPCがオリゴデンドロサイトへ成長するには、その成長に関わる、DNA上の遺伝子情報を読み出すことが必須です。DNAは細胞内部の「核」と呼ばれる器官内に保管されています。DNA上の遺伝子情報を読み出す役割を担うのは、転写因子と呼ばれる蛋白質群ですが、OPCがオリゴデンドロサイトへ成長する際に使用される転写因子は、NICDと呼ばれる蛋白質であることが分かっていました。
OPCが脱髄した神経軸索を感知すると、OPC内部にNICDが出現します。NICDはOPC内部で、核の内部へ入りDNA上の遺伝子情報を読み出します。しかし、核は「核膜」と呼ばれる、強固な謂わば鉄壁で覆われており、細胞内の他の部位とは明確に隔離されています。NICDが核内部に入り DNA上の遺伝子情報読み出すためには、Importinと呼ばれる運搬蛋白質に乗って、核膜に空いた小さなゲート(核孔)を通る必要があります。このように遺伝子情報へのアクセスは強固な“セキュリティ”が敷かれています。
本研究ではまず、多発性硬化症脳を精細に解析し、幸運にも髄鞘の自然再生が成功した僅かな例外的病変に存在するOPCでは、このNICDが核内に移動し遺伝子情報の読み出しに成功しているのに対して、髄鞘の再生に失敗した大多数の病変では、NICDが核内に入れずに細胞質内に滞留してしまっていることが判明しました。
これらOPCにおいては、NICDは運搬蛋白質であるImportinに搭載される段階までは成功していましたが、このImportinの運搬能力を阻害することが知られているTIP30分子が異常に増加しており、結果的にNICDが核内へ移送されなくなっていることが解明されました。
本来TIP30分子は、不用意な遺伝子情報へのアクセスを制限する“核の門番”とも言える重要な蛋白質であり、例えばTIP30分子が障害されると癌細胞が生じることなどが知られています。しかし多発性硬化症脳に残存するOPCではこのTIP30分子が必要以上に増加しており、その結果として転写因子(NICD)が核内へ移動することができなくなり、オリゴデンドロサイトへの成長や髄鞘再生に必要な遺伝子情報を読み出せなくなっていることが分かりました。
以上のことから、多発性硬化症に残存するOPCには、TIP30分子が異常に発現し、このことが本症において髄鞘の自然再生能が乏しい原因と特定されました。
3. 今後の展望
多発性硬化症に残存するOPC内部で過剰に発現したTIP30分子を減少させる、或いはその機能を阻害する薬剤は髄鞘再生医薬の新しい候補分子となり得るものと期待されます。また今回の知見から、多発性硬化症では「遺伝子情報へのアクセス制限」という新しいパラダイムがその病理病態に隠されていることが明らかとなり、本症の原因解明の一助となるものと期待されます。
4. 論文名・著者名
“Overexpression of TIP30 and arrested nucleocytoplasmic transport within preserved oligodendrocyte precursor cells in multiple sclerosis”
Jin Nakahara, Kohsuke Kanekura, Mikiro Nawa, Sadakazu Aiso, Norihiro Suzuki.
<邦訳>
「多発性硬化症に残存するオリゴデンドロサイト前駆細胞におけるTIP30の過剰発現および細胞質核間輸送の阻害」中原 仁、金蔵孝介、名和幹朗、相磯貞和、鈴木則宏
※ 本資料は、文部科学記者会、科学記者会、厚生労働記者会に送信させていただいております。
【本発表資料のお問い合わせ先】
慶應義塾大学医学部 総合医科学研究センター 中原 仁(特別研究講師)
TEL: 03-3353-1211(内線63573), FAX: 03-5360-1524
E-mail: nakahara@sc.itc.keio.ac.jp
Homepage: http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~nakahara
慶應義塾大学医学部 内科学教室(神経内科) 鈴木則宏(教授)
TEL: 03-5363-3787, FAX: 03-3359-2843
E-mail: nrsuzuki@sc.itc.keio.ac.jp
Homepage: http://web.sc.itc.keio.ac.jp/medicine/neurology
慶應義塾大学医学部 解剖学教室 相磯貞和(教授)
TEL: 03-5363-8427, FAX: 03-5363-8428
E-mail: aiso@sc.itc.keio.ac.jp
Homepage: http://web.sc.itc.keio.ac.jp/anatomy/index-jp
用語の解説
※1:研究グループ
本研究は、鈴木則宏教授(神経内科)・相磯貞和教授(解剖学)の指導の下、中原仁講師(総合医科学研究センター)が中心となって行われました。中原仁講師は、平成20年度文部科学省科学技術振興調整費「若手研究者の自立的研究環境整備促進」事業によって運営される、「慶應義塾大学咸臨丸プロジェクト」(http://www.med.keio.ac.jp/kanrinmaru;代表=安西祐一郎塾長)によって採用された若手研究者であり、本研究も同プロジェクトの一環として行われております。
※2:多発性硬化症(Multiple Sclerosis;MS)
中枢神経系(脳・脊髄・視神経)の髄鞘が崩壊(脱髄)する原因不明の神経難病です。脱髄した部位に応じた様々な神経症状を呈します。多くは再発寛解型と呼ばれる病型を取り、半年から一年に一回の頻度で新たな脱髄(再発)が生じます。20~30歳台の女性に多く、本邦で約1.2万人、世界で約250 万人の患者が本症を患っています。原因不明のため根治的治療薬は開発されておらず、再発頻度を減らす治療薬の開発が現在主流となっています。再発によって生じた脱髄及びそれに伴う神経障害を回復させる治療薬は未だ開発途上にあります。参考:難病情報センター(http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/068.htm))
※3:髄鞘再生医薬開発研究
本研究グループ(上記)は、多発性硬化症で生じた脱髄に対して、髄鞘再生を誘導する医薬の開発研究を展開しています。髄鞘再生に対して効果を有すると期待されるシーズに対して、本学では特許を取得し、臨床応用を目指しております(日本国特許第4214249号「Fc受容体γ鎖活性化物質を含有する医薬組成物」、発明者:中原仁他、特許権者:学校法人慶應義塾)。
※4:髄鞘(ミエリン)
神経機能の基本は、神経細胞と神経細胞の間を継ぐ「軸索」における電気信号のやり取り(神経伝導)によります。軸索固有の伝導速度は秒速1m程度に過ぎず、これでは例えば「釘を踏んだ」という足の感覚が脳に伝わるまで数秒を要することになります。成人における実際の神経系では秒速100m(時速 360km)という高速の神経伝導が私たちの生命活動を支えています。このような高速な神経伝導を可能にしているのは、謂わば電気ワイヤに相当する軸索を “絶縁体”で包み込む「髄鞘(ミエリン)」と呼ばれる生体物質です(電線においてワイヤを包んでいるビニルに相当します)。
脳などでは出生後に多量の髄鞘が作られ、次第に神経伝導が加速していきます。この過程は赤ちゃんから始まる人の成長と相関性が認められ、生まれつき髄鞘形成に障害を持つ疾患では、高度の精神運動発達遅滞が生じ、逆に多発性硬化症のように成長後に髄鞘が崩壊すると、獲得した神経機能の喪失が生じます。中枢神経系(脳・脊髄・視神経)で髄鞘を形成しているのは、神経細胞を取り囲んでいる、「オリゴデンドロサイト」と呼ばれる細胞です。一般に髄鞘は自己再生能力が高いことが分かっており、逆に多発性硬化症における髄鞘再生能力の低さは本症に特徴的と考えられています。
※5:脱髄
髄鞘(ミエリン)が何らかの原因によって崩壊・脱落する現象を指し、脱髄を病態とする疾患を脱髄疾患と総称します。多発性硬化症は中枢神経系の脱髄疾患で最も患者数の多い疾患です。
●ニュース記事では26日付けで(私が調べたところ)ここが最初かな→http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=208095&lindID=4
(Version 2.0)
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