退職しました(その3)― 番外編:専門学校における学園祭の意味=放課後評価が学校評価の鍵を握る(4枚の写真付き) 2008年11月03日
11月冒頭の祝日連休は、わが学園の学園祭の日だった。毎年の恒例行事だ。専門学校にとって「学園祭」とは何か。これも私が教職員に投げかけた問いだった。
1998年秋から始めた改革の大きな動機は、専門学校が大学教育(から外れた高校生たち)の受け皿教育ではあってはならないというものだった。
10年もすれば大学全入時代が来る。それは大学と専門学校という学校群格差が大学内で格差吸収される事態を意味していた。大学の中で、大学化する大学と専門学校化する大学が出てくる。一言で言えば、専門学校が学校選択の枠外に置かれる事態である。
少子化で専門学校が大学内格差に吸収されるということの意味は専門学校教育に特色がないからだ。
「特色がない」ということの意味は、単調な資格教育(http://www.ashida.info/blog/2008/10/1.html#more)、単調な実習教育(http://www.ashida.info/blog/2008/10/2_1.html#more)、単調な就職指導(単調な就職指導については別項に譲る)などによって、大学教育(あるいは他の教育組織)が逆立ちしても出来ないというほどの内実を専門学校が形成してこなかったことによる。まさに「受け皿」教育でしかなかったのである。
この専門学校教育の単調さを抜け出すには、カリキュラムを抜本的に変える必要があった。この場合のカリキュラムというのは、単なる「授業時間」に従った時間割に留まりはしない。授業時間外でも何をさせるのかという課題を〈カリキュラム〉という言葉は含んでいる。
「授業時間外」ということの意味は、二つある。
一つには、実習の時間は、時間で割り切られた授業時間カリキュラム(=時間割)では指導不可能ということ。たとえば、実習作品などが出来上がる全体の経過にとって、授業時間内指導はほんの一部分をなすにすぎない。実際の経過は授業時間外で何をするか(何をさせるか)に関わっている。
特に創造的な能力を形成する場合には、等質的な時間割のようには教育指導は進まない。創造性は必ずしも累積的な能力(単純な足し算)ではないからだ。
しかしそれは時間割内で授業が無政府状態になってもよい、学生がバラバラになっても良いということを意味しない。
何が時間割教育に馴染むのか、どんなプロセスが創造性や自主性の時間を形成するのかに寄与するのか、この問いが決定的に欠けているのである。
言い換えれば、時間割教育(狭い意味のカリキュラム)の中に、創造性や自主性を育む契機をどう組み込むかがカリキュラム開発の中核を担わなければならない。
簡単に言えば、それは〈宿題〉をさせる喚起力を時間割教育(狭い意味のカリキュラム)の中でどう育むかに関わっている。
専門学校の学生の特長の一つは、「宿題をしない」ということだ。単調な資格教育の場合は、試験前に時間割授業の中で過去問をやり続けている。
先生は教壇に張り付いたり、うろうろと学生の机を回ったりしながら、まともな授業を全くしない。先生は「採点」と個人指導をやっているだけだ。授業ではない。
過去問をこなす時間をわざわざ時間割授業でやるというのが専門学校資格教育の「特長」をなしている。
なぜそんな無様(ぶざま)なことになるのか。それは「学生が『家でやってこい』と言ってもやらない」からということになっている。宿題(時間外勉強)をしない。
なぜ専門学校の学生は「宿題」をやらないのか。
実習授業が大半だからである。実習設備、実習教材、実習資料のほとんどは学校の〈教室〉の中にしかないからだ。だから教員も学生も何でもかんでも〈教室〉の中でやろうとする。そして時間(授業時間)が終わったら、さっさと〈学校〉からいなくなる。授業時間が終了すれば、勉強も終了するというように専門学校の教育の時間性が形成されている。
このことが「時間数」規制しかない専門学校の設置基準の意味なのである。これは労働者でいえば、ルーティンワーカー(マニュアル職)の仕事の仕方と同じだ。専門学校の教育が有為な人材を生み出せない限界がここにある。
私は、自分が校長になったときの各科教育評価の基準(裏基準?)の一つに、時間外(放課後)でどれくらいの学生が学校に残っているかという指標をもっていた。授業時間はもちろんのことだが、放課後もまた各科の教室をときおり見回っていた。
学生が授業終了後すぐに帰らずに、やり残した実習課題や予復習をこなすために先生や同級生・先輩と交流しながら教室や図書館に残ってる状態があるのかないのか、である。
教育力がない科ほど学生が学校に残らない。閑散としている。時間割内授業に喚起力がないため自主的に勉強をする気が起こらないのだ。そしてそんな科ほど資格試験前には「過去問」練習ばかりの授業を集中させる。いわば講義が実習化しているのである。「学ぶ」ことが「覚える」ことに変質している。
専門学校選択には〈授業〉を見ることが大切というが、本当は〈放課後〉を見ることが大切なのである。
そういった現状の中で、私は、学園祭の活用を考えた。従来の専門学校の学園祭は、高校の学園祭と何も変わらない。大学ほどの予算もない。場所もないからだ。くだらない学園祭だった。学生も教員も勝手に騒いでいるだけのものだった。
さて専門学校の技術教育の中で時間割教育内(狭い意味でのカリキュラム)に取り込めていないテーマがあるとしたら何か。
私の経験では、コスト(金儲け)と人集め(マーケティング)だ。専門技術教育の内容さえトータルに盛り込めていない状態で、この問題を取り扱うとすれば、「一般教養」の非常勤授業にしかならない。そんな授業は大概の場合、学生は寝ている。
学生は、自分の技術がどこで〈お金〉に繋がっているのかわからない。また高度な技術を身に付ければそれがそのまま〈お金〉=〈集客〉に繋がると思っている。
しかし大概の場合、技術と集客との間には深い溝がある。大企業と中小企業(下請け)との差異は〈集客〉ができるかどうかの差異。中小企業は〈作る〉ことは出来ても〈売る〉ことができない。「技術がある」ということはそれだけではビジネスにならない。高度な消費大国である日本では、〈売る〉感覚のない技術者は高度人材にはなれない。
そんな現状の中で、学園祭を、コスト(金儲け)と人集め(マーケティング)の勉強をさせるきっかけに出来ないか、と思ったのが2006年だ。
まずは学生1人につき5人の来場者を集めよう、という目標を学生に課した。ただ集めようというだけでは集まらない。「家族」のうち誰が、「地域(近所)の人」のうち誰が、「後輩」のうち誰か、「先輩」のうち誰か、「知人・友人」のうち誰かなどというように具体的な集計表を作り、「5人」の質的な目標を意識しながら、学園祭の始まる2ヶ月前(9月初旬)から各科各クラス単位で集計。
この集計は、そういった質的に違いのある客層の集客に対してどんな出し物を用意すればいいのかの検討材料にもなる。
11月の学園祭開始までに2週間おきに集計を更新し、クラス単位で集客評価が出来るようにした。
問題は、この事前数値の信憑度だ。出し物(コンテンツ)の整合性評価に加えて、信憑度評価のためには、各科各クラスの出し物の「前売り券」の売上げ状況とリンクさせる必要がある。「前売り券」は数値の信用度指標だけではなく、学園祭当日の天候などによって売上げが左右されるリスク回避にもなる。
結果的には、「5人」は難しく、2人から4人の間を動いていたが、総数目標をイメージ化するのに大いに役だった。
もう一方で、出し物(特にはたこ焼き屋や焼きそばやなどの)の収益性評価だ。各出店ごと学生達に集約目標、集客方法、損益表を作成させ学生大ホールでプレゼン発表させる。学園祭実行委員(50名くらい)が各出店プレゼンを審査員として評価する。審査員には教員も入っているが、学生審査員の中のone of themとして入っているに過ぎない。
プレゼン最初の一次案はすべて私が目を通し、参考評価として評価点を出しておいたが、それは参考に過ぎない。無視してもかまわないというように。
ここでお金を儲けそうな出店はどれか。屋号の付け方から、仕入れの方法、出し物の客層整合性も含めて多角的な検討に入る。
最高点を有したクラスチームの特典は、出店の場所を自由に選ぶことが出来るということになっていた。学内銀座や学内渋谷の一等地に店を出せるかという感じか。
●2007年 出店(模擬店)プレゼン=評価会場風景
こういった集客とお金の絡まる出店評価を重ねて、教員+学生が11月の学園祭のイメージを一体になって形成していくというのが我々の学園祭だった。
また出店(模擬店)だけではなく、学校内館内誘導の設計、来場者アンケートの回収方法(回収率を上げるための)、来場数カウントの厳密化など、広報ノウハウ(ポスター+新聞チラシ)などが学生+担当教員の検討テーマとして整理されていった。年次評価が出来る体制が徐々に出来上がってきた。目標数値の立て方と評価の方法が徐々に出来ていったのである。
もう一つの課題は、学生の作品評価。東中野校舎の場合は、建築系の作品評価が中心になる。
建築系の作品評価には、製図の設計評価と模型作品評価の二つがある。それは授業内で普段に行われているものだが、授業内評価で一番欠けているのは、教員の評価自体の評価。
授業内の講評で教員の評価トークは存在しており、授業参加した学生はそのトーク評価によって教員がどんな作品に対してどんな評価をしているのかをうすうす感じてはいるが、明確にはわからない。
あるいは作品の途中経過で赤入れなどが具体的に繰り返されてはいるが、提出後の全体の総合評価になると突然貧弱で抽象的な評価しか存在していない。褒めているのかけなしているのかわからないような講評もたくさんある。
上位作品の一部(上の上)、下位作品の一部(下の下)は講評を聞かないまでもわかるにしても、大きなボリュームを占める中間作品の評価は授業に参加している学生にもわからない。先生も自分が何を考えているのか曖昧なままだ。
この中間評価を公開化するまたとない機会が学園祭なのだ。公開化は、学生の作品作成の緊張感だけに留まらず、教員の教室内に閉じ込められた作品評価の厳密性にも影響を与える。
まず9月~10月までの授業科目そのものを学園祭での作品展示をOUTPUTにして再編成した。
全作品をいくつかの評価指標に分節化しながら、最低でも400字以上の評言(+5段階評価)をもって作品公開評価をしてほしいと各科目の教員(常勤、非常勤にかかわらず)にお願いした。これが専門教員の学園祭参加の一番大きな仕事だったのである。
何が起こったか。まずは保護者参加、企業関係者参加が増えたこと。そしてそれ以上に学生自体が展示物に関心を持つようになったことである。
専門学校には本来の意味でのゼミがない。少人数授業を行う余裕が経営的にあり得ない。少人数なのは学生が集まっていないからであって、教育上の選択として少人数授業があるわけではない。大学の教員1人あたりの学生数と専門学校とのそれとでははるかに大学の方が少人数授業が出来ている。
専門学校の建築系の先生は(自分が受けてきた)大学のゼミ授業のような作品講評(教授の印象批評)をまねているだけであり、それを専門学校の30人クラス、40人クラスでやることになれば、ほとんどまともな指導は出来ない。学生の一番の要望は、まともな講評をして欲しいというものだ。作品提出を急かせる割に一度出してしまえば、まともな評言は何一つ返ってこない。学生達が授業外学習をしないのは、実は授業内指導に手抜きがあるのである。
せめて学園祭のときくらいは、まともで平等な講評をやるべきだ。わずか400字の講評でも中間地帯の学生達には1000字にも2000字にも相当する講評に見えたのである。その実感をもった学生達が自分たちの作品展示に関心をもち始めた。必ず一通りの作品評価を読むようになった。これは大きな変化だった。
そういった通常の時間割教育では置き去りにされている諸テーマを学園祭の中で出来うる限り取り込んでいこうというのが、私の、専門学校学園祭改革だった。
参加人数も、2005年度までは2日間で400~500人止まりだった学園祭が一挙に1300人前後にまで増えた。
〈学園祭〉は〈カリキュラム〉の一部になったということである。〈学園祭〉は年に一度のイベントに過ぎないが、こういった契機を日常化することが私たちの次の課題だった。
(Version 4.1)
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「評価」をばりばり学園生活の中に活かしている。学生の動きが変わった。学園祭の客が増えた。教師陣の仕事ぶりも変わった(か)。
「学校評価」なんて、公立学校の世界では、ともすれば「形式的」になっている。
国立大学の大学評価だって、分厚い資料を作るが、現実を改善する力が薄い。
そこへいくと、ここで読んだ「評価」は生きている個々の細胞のように、体全体が動く方向を決めている。リーダーの方針がいいんだ。
うーむ。おもしろい!