家内の症状報告(125)― 身体障害者に対して「腹が立つ」5箇条(歩けない家内にタックルしたくなる瞬間) 2008年11月07日
身体が自由に動かせない家内と自宅に一緒にいて「腹が立つこと」「むかつくこと」は現在のところ、以下の5点です。夫婦は同時に身体が悪くなったり、同時に死んだりすることは出来ません。下記の5点はすべての夫婦が体験する「むかつき5箇条」です。良く心得ておいて下さい(苦笑)。
1) 寝ても覚めてもベッドの中に(=寝室に)いるために、リビングにいながらも「お父さ―ん、お父さーん」と呼び声がかすかに聞こえるときがある。これが腹が立つ。リビングにいるときはまだいいが、キッチンで食事の準備をしているときには「腹が立つ」を超えて「むかつく」。だから聞こえないふりをするようにしている。絶対に遠い呼びかけには応えない。本当に私が必要なら這ってでも出てくるだろう、と思っていてちょうどだ。
そもそも、私が“そのとき”自宅にいるというのは偶然でしょ。ベッドの中で(寝室で)何が起ころうと私には関係がない。いつもなら自分自身で黙ってやることを私がいることによってことさらに私を呼ぼうとする。私に関係あることなら、私はそのとき邪魔をされたくないのだから、無視する権利は私の方にある。
だから何度も呼ばれ続けるときは、「お父さんは、今、いませーん」と言うようにしている。
※そもそも息子も自立して巣立っているのに「お父さん」はないだろう。私は家内の「お父さん」ではない。
2) 食卓に用意した食事を出すまではいい。自分で作った料理を出すのだから忘れることはない。ところが、お箸、コップ類、取り皿、お茶ポット、ソースや醤油などの食事のためのオプションを出し忘れることがある。
ダイニングから移動して「さあ食べよう」と思って座った途端に、「お父さん、ご飯」「お父さん、お茶」「お父さんお箸がない」なんて(座ったままの家内に)叫ばれる場合がある。
これが腹が立つ。しかも「もう何も忘れ物ない?」とダイニングから声をかけつつ移動して座った途端に、「いけない、お箸がない!」なんて言われたときには、殴ってやろうか、とむかつく。全勢力をかけて作った食事の全ての労力以上に、たった一つのコップを取りに行くことの方が負担に思えてくる。
ダイニングで料理を作るときには、着座をゴールに描いて作業をしている。食卓テーブルに自分の作った料理が並び、食事を終えるまでのゆったりとした時間のイメージを最終ゴールに描くからこそ、バックヤードのダイニングで「料理を作る」ことができる。
それが座った途端に、「いけない、お箸がない!」とは何事か。しかも確認したじゃないか。それくらいは私に協力しろよ。動けなくても出来る仕事でしょ。
家内は、食事をするときにだけは自力でダイニングまで出てくるが、最近は(私のプレッシャーを感じて)無理をしてキッチンに立ち寄り、箸だけは自分で準備するように「努力」している。だからと言って、忘れ物がなくなるわけでもない。
3) 滅多にないことだが、自宅内ですれ違うとき。これは気を使う。歩いているというよりは、倒れそうになりながら伝い歩きをしているだけだから、ちょっと触れただけでも倒れてしまう。足の感覚がほとんどないから、倒れたときは骨折を覚悟しなければならない。足がどちらに曲がるかわからないからだ。
しかし、そもそもが歩くのが遅い。異様に遅い。亀より遅い。そのため、「すれ違う」というよりは障害物が存在しているのと同じ。特に廊下では最悪な状態になる。家内自身が避ける(よける)という「高度な」行動が出来ないため、私自身が気を使わねばならない。「元気」と愛想良く声をかけがてら手を肩にやるだけでも「やめてー!」と叫んでいる。風が吹いても倒れる程度の歩行感覚なわけだ。
息子であっても大きくなるに連れて私は邪魔に感じていた。特に廊下で出会う息子は170センチを超えた高校1年あたりから邪魔で邪魔で、自室から出てきただけでも鬱陶しい存在だった。廊下で「出会う」だけでも「なんだお前」とけんか腰ですれ違っていたくらいだ。その時にはわざと相撲取りのようにぶつかるつもりですれ違っていた。実際ぶつかっていた。
そのクセが私にはまだ残っている。息子のようには歩けない家内とすれ違うときにもぶつかりたくなる。スピードが遅い分、余計にぶつかりたくなる。タックルしたくなるくらいだ。でもそれができない。非常に辛い。
4) 私の家内は脊髄がやられているために体温感覚が狂っている。寒いか熱いか自分であまりわからない。低気圧の移動には人一倍敏感だが、体温制御が自立的に出来ない。実際からだが冷えているのに気付かない(場合がある)。血流が悪くなるから放っておくと大変なことになる。逆に熱くもないのに急に背中一面に汗が吹き出ることもある。寒いのにラーメンではなくて冷麺を食べたがるときがある。
これは一つ屋根の下で暮らすときにはとんでもないことになる。私がエアコンや扇風機を付けよう、窓を開けようというタイミングと家内のそのタイミングが合わない。
それでなくても私は夏が弱い。家内は寒さに弱い。これだけでも「対立」しているのに、体温感覚が狂っている家内と同じ室内環境では生きられないわけだ。できるだけ遠くにいるしかない。喧嘩をしている猫同士という感じか。だから「お父さーん」と遠くから呼び出されるのかもしれない。
5) ステロイドで太りやすい体質になっていることとほとんど寝たきり状態で余計に太りやすい体質になっていること、またそのために食欲が進まないこともあって、小食になりがち。その割に、お腹がすくと血流が悪くなり、身体のしびれが強くなったりすることもあって、「お腹がすいた」と急に寝室からふらりふらりと出てくる。私が呼んでも出てこないが、食事の(お腹がすいた)時は放っておいても食卓に出てくる。「お腹すいたの?」「そう」とか言って恥ずかしそうに笑っている。働きもしないで食事だけするのも確かに気が引けることだろう。
そこまではいい。しかしそう思って美味しい食事を作っても、ご飯半分、おかず4分一くらいしか食べない。すぐにお腹がいっぱいになって食べられないようだ。
これがまた面白くない。大概私が作ったものを残す。許せない。残さないように少なめに盛っていても残す。それ以上、少なくすると私がいじめているとしか思えない分量になる。それはさすがに私にとって心理的に良くない。私だけが食卓でがつがつ食っているように見えるではないか。
要するに分量としては一人分の調理といった感じだ。作る気が起こらない。
それにそんな小食な人と食事を共にしても何も楽しくはない。しかも顔を見るとステロイドのムーンフェイスになっているために食べそうな顔をしているのに、食べないから余計に腹が立つ。しかももうちょっと入れておこう、とわざわざ自分が食べたい分を我慢して入れた肉一切れを残すのだから余計に腹が立つ。むかつく。
以上5点が身体障害者との暮らしで「腹が立つこと」「むかつくこと」です。慣れれば何とかなりそうですが、しかし完全に慣れることはないでしょう。慣れるとしたら、私自身が呆ける時でしかありません。身障者に「腹が立つこと」「むかつくこと」は私が元気である証です。私が元気を無くしたら、一体、家内は誰に世話を見てもらうのでしょうか(オバマ調の反語で読んでください)。元気だからこそタックルもしたくなるのです。お互いが我慢するしかありません。
なお、家内は今日7日。一ヶ月ぶりの免疫グロブリン治療+定期検診です。免疫グロブリンは効いているような気がしますが、1ヶ月も持たないようです。せめて3週間くらいに一回は必要な気がすると言っています。現在は主治医の先生と相談しながら、リツキサン治療の出来る病院を探しています。
※なお、私の家内は「一種」「身体障害者」「2級」です。
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私は5月に発祥し8月末より 身体障害者になりました。
病気になっただけでは足りなく身体障害者にもなるのは とても悲しい事ですし、きっと芦田さんが反対になってたら 生きる意味をずっと探す事しか出来ないと思います。
他人の事なのにすいません。
今現在 私は家事などゆっくり出来ます。
もし再発して自分の事も出来なくなったら 生きる意味が無く殺して下さいと叫びたくなると思います。
病気の前は奥さんがあなたに同じ事思ってたのかもしれないですよ!
夕飯作っても帰ってこないとか色々積もってストレスでこの病気になったかも。
私自身 主人と結婚しなければ多発性硬化症になってないと心の奥にあります。今、思うと独身でもいい。
この病気にならなければ、そのくらい嫌な病気です。お互い様と思えないでしょうか?
何を言ってるんですか。私もそう思っていますよ。家内が元気な頃「おーい、おーい」と呼んでいたのは私自身だし、ダイニングテーブルにすわったまま、「お箸ないぞ」と言っていたのも私。普通の家庭なら、ご主人はみんな「身体障害者」のようなものでしょ(苦笑)。なるほどね、と思っていますよ。そのときも、家内は「じぶんでやってよ」と腹を立てていたのを思い出すわけです。入れ替わっているわけです。
だから、「身体障害者」というのは特に取りたててさわぐほどの事もない日常時なのです。みんな病気でなくても「身体障害者」になるのですから。
あるいは私の家内は自分の死後の夫の生活の様子を(生きている内に)見ているようなものでしょ。私自身は私の老化の進行を家内の姿に見ているわけでしょ。
私も家内も普通の夫婦に比べれば2倍人生を楽しんでいるわけですよ。これは核家族化した現代においては貴重な経験です。
だから「お互い様」でしょ。
それでいいではないですか。私はお互い様、と思っているから腹を立てているわけです。でもあなたこそ「お互い様」と言いながら、「心の奥底」では病気をご主人のせいにしているではないですか。私は自分が家内の食事を作ることを家内の所為になんかしていませんよ。恨んでもいない。やりはじめたら実際楽しいこともたくさんあります。だからといって「箸がない!」ことを許せはしない。そういう話ですよ。
私が「心の奥底」で家内に思っていることは、「箸がない!」とか「タックルしてやるぞ」という程度のことです。それ以外には何も思わない。あなたの「心の奥底」よりはるかに健全です。
あなたが自分のことを不幸だと思っているとご主人も不幸だと思いますよ。たぶんそれはご主人が不幸と思っていることと裏返しの関係であって、あなただけの所為ではないと思いますが。
まだ発症して数ヶ月のことですから、受け入れるのに大変だと思いますが、そんなことは「病気」でなくても色々と誰にでもあることです。自分だけが不幸、と思わない方がいい。私は腹は立ちますが、不幸とは思わないし、「嫌」とも思わない。
「お父さんは、今、いませーん。」で、職場にも関わらず笑ってしまいました。私も言ってみたい!
ちなみに家では電話の内線で呼び出されますので聞こえないフリが出来ません^^;
さあ食べようという時に忘れ物が発覚したり、時間によって食べられるものと食べられないものがある主人の(病気のせいかその時々で気持ちがコロコロ変わります)「これは食べられない。他におかずない?」の一言で自分の食事途中で他のおかずをつくる羽目になったり・・・。
私の分を減らして主人に多めに入れても残す事も多いですし。
「そう、そう!」と思いながら楽しく読ませて頂きました。
私も普通の夫婦の2倍人生を楽しめてるかも^^
今日は奥様の通院の日なのですね。病院まで車に乗って行くのは疲れて大変だと思います。帰宅されたらゆっくり休んで下さい。
「私はお互い様、と思っているから腹を立てているわけです。(途中省略)だからといって「箸がない!」ことを許せはしない。そういう話ですよ。」
「私が「心の奥底」で家内に思っていることは、「箸がない!」とか「タックルしてやるぞ」という程度のことです。それ以外には何も思わない。あなたの「心の奥底」よりはるかに健全です。」
芦田様の心情がよく分かりません。「お互い様」というのは、お互いに面倒を掛け合う可能性があるのだから(時間差はあったとしても)、腹を立てたりせずに目をつむりましょう、ということではないのでしょうか。
感想欄にある「主人と結婚しなければ多発性硬化症になってないと心の奥にあります」というのは、たしかに「お互い様」からはほど遠いと思いますが、芦田様の怒りも一般的な「お互い様」の精神(お互いの粗相や迷惑を許し合う精神)とは違うように思います。
ただ、芦田様夫妻の関係が(これは他人には絶対分からない)、怒り合う、腹立て合うという「お互い様」の関係だというならば、論理的には「お互い様」の関係と言えなくもないかもしれません。
それならば、(第三者には量りかねますが)きっと奥様も納得されていることでしょう。
いやー、みなさん、家族のことを書くのは難しいですね。私は何重にもレトリックを駆使しているつもりですが、私の現在の文体ではこなしきれない、というのを痛感しています。
江藤淳も慶子夫人について書くときは悲惨な文体だったし、島尾敏雄の『死の棘』も決して成功したとは思えない。
私は、私的なことを上手に処理した唯一の文体の持ち主は太宰治だと思いますが、そこまで行くにはまだまだ修行が足りません。もう一度出直したいと思います(苦笑)。
1番先に芦田様に伝えなくてはいけなかった事があります。
この病気になり、入院中 病気の事を知りたくて携帯電話のiモードで探した中で芦田様の記事が気に入り、眠れない夜日中など入院時の私のお友達か先生のようでした。
他人の芦田様に私は沢山救われました。有り難うございます。
これが1番先に伝えたい事だったのですが 感情的になり申し訳ありません。
今の私はまだ病気を受け入れていないみたいです。
まだ毎日朝起きると治っているのではないかと思ってしまっているので良いのか悪いのか。ただ難病でも治りたいの気持ちは強く持ち続けたいと思ってます。
わかっていたんです、芦田様の気持ちは。一生懸命に働いている主人に大変失礼な事も。
それをわかっているから言えなくて貯まっていったのかもしれないし私は自分の気持ちを上手く表現できなく21年も結婚生活を過ごしてきました。
何事も心の中で解決しないまま嫌な事だけ心に貯めてしまって、今 思うとパンクして当たり前です。
病気に勝つという事は己に勝つという事かもしれませんね。芦田様の奥様は幸せですね!あんなに病気について御主人が熱心に理解しようとしていて羨ましい。
うちの主人も形は不器用ですが何かは私の為にやってくれているので感謝をしなくてはいけませんね!
話し代わって入院中の事ですが毎日悪くなりある夜、呼吸するのが苦しくなり これが死ぬ時の胸の圧迫感なのかまでいきましたがパレス療法も効き、先生には「劇的な回復」と、今、通院中でも杖で歩いている私を見て言われてます。芦田様の注意事項のおかげも沢山あります。水も沢山飲みましたよ!
長くなってしまい申し訳ありません。 本当はこのことが伝えたくて。
リツキシマブ(ミトキサントロン)抗がん剤のことですかね~?
私も一度、考えたんですが、今のところMSでは実費のようで、躊躇してしまいました。怖いというのもありましたけど(笑)
私は、京都民医連中央病院で聞きました。東京からはちょっとありますね~。アルピナならOKじゃないですか(笑)高速で。
私はグロブリンしたことないですね~。一度、話はあったのですが。
「ピンク豚」さまへ
いつもこのブログを読んでくださっていたそうで、ありがとうございます。
私は「症状報告」を書かれる度に「ちがうよー」「もっと正確に書いて-」と叫んでいます。
今回も、「もっと、いろんなこと(家事)してるのにー」と怒りました。
でもこのブログのおかげでたくさんの方からいろんな情報をいただき、交信もさせていただけるようになり、治る可能性を感じられるようになりました。
「ピンク豚」さんが「毎日朝起きると治っているのではないかと思ってしまっている」と書かれていますが、発病したころの私も毎日全く同じことを思っていたので、読んでいて泣いてしまいました。
私は再発が多くて最初から入院をくり返す日々でしたが、主人が病室に来る度に、泣いてばかりいました。
「泣いてばかりいたら、もう病院には来ないよ」と言われたことがありました。
病室から聞こえる足音(元気に歩ける人たちの足音)を聞くのが辛くて耳栓をしたこともありました。
見かけは元気そうなのに胸から下にいろんな痛みがあり、足にはしびれや突っ張りがあり思い切り動かそうとしても力は入らないし、いっそのこと足がない方が楽なのかなとまで思ったこともありました。
主人はいつも私を病人扱いせず、(無様な様子の)私を笑って見守ってくれているようです。
「ピンク豚」さんのご主人もこの病気を理解をされようとしているしその表現や方法はちがっても家族として一番身近であなたを見ていてくださっていますよね。
私は、合併症をもたないために健康管理をしっかりして自分のからだを大切にして、自分の病気は最後は自分の力で良くするしかないんだと最近思えるようになりました。
これからもいろんな方の助けや励ましやドクターのお力を借りながら、いつかきっと主人と並んで歩いて、杖を使っても近くの公園まで散歩に行けるようになろうと思っています。
お互い頑張りましょうね。(芦田智美より)
こんにちは、始めて投稿させて頂きます。
NMO患者(女性)この11月で発病10年です。
ブログとても参考にさせて頂いてますヨ。
「歩けない家内にタックルしたくなる瞬間」。
おもわず、プッーーーって笑ってしまいました。
芦田さんはシンケンですよネ~。でも笑ってしまいました~スミマセン。
私は5年前夫(50代)を病死で亡くしました。
出来る事なら夫からタックルしてホシイーーー。
夫からムカついてくれてホッシイーーー。
ご飯を残してばかりで夫から腹立たしく思ってホッシイーー。
世の中には色々な事情の方がいらっしゃいますネ。落ち込んだり、悲しかったり、悔しかったり・・・。でも病気とはお付き合いしてく訳なんですよネ。
ガンバラナクッチャ・・・皆様お大事になさって下さい。
智美様へ
直接 NMO患者さんと知り合えたのは初めてです。宜しくお願いします!
私は三年半まえに視神経炎になり三回の再発後薬剤アレルギーで全身一皮むけてしまいました。
その七ヶ月後に多発性硬化症と判断され、その日は最初に入院した時の同じ日にちでした。
今回の入院はきつかったです。足に力が入らず ?にも看護婦さんにかかえてもらい トイレでは太ももにも力が入らないので看護婦さんにお尻まで拭いてもらいズボンまでも上げてもらいました。
智美さんは今の再発防止の為のステロイドだけなら 再発も余りしなかったと思います。薬は毒にもなるかもしれませんね!
私は今年だから救われたのかもしれませんね。胸の下の痛みはヒドイ時は胸から背中に矢を刺されたような痛みで息するのも耐えられない痛みで涙します。
最近は大分楽になりましたが 足の裏は動物の肉球みたいな感じ。太ももからギブスをしているような なんとも沢山の違う痛みがあり、他人には理解出来ない病気のような着がします。
病状聞きたいです! また教えて下さいね!
こんにちは。
私は、芦田さんの文章を読んで、ちょっと程度は違うけど、普通の夫婦がお互いに我慢してるのと同じ種類のものじゃないかと思いました。
そういう意味で、この文章は、私には、成功した、といえると思います。
ですが、これは、私が障害者(精神障害者ですが)なので、障害という言葉に
過剰反応してないからかもしれません。
芦田さんが、このような思いにまで辿り着くまでは、本当につらい日々が続いたと思います。私から言うのは偉そうですが、よく頑張られたと思います。
これからも、ご壮健でいらしてください。
芦田先生。私は交通事故で脊髄炎症し一時、寝たきりから車椅子でした。元夫のこんな気持ちでいたのだろうと考えます。
こうして 文字に表す事ができ、奥様と共に乗り越えておられることは とても素敵です。
私の元夫は耐えられず、離婚申し立てしてきたのですから(苦笑)
素敵な夫婦を感じる文章でした。
おふたりが末永く穏やかな時間がすごせますように。