家内の症状報告(120) ― パルス治療までさえ遠い治療(二枚の写真付き) 2008年08月13日
家内は、本日(8月12日)朝9:30、無事(?)入院できました。7日午前中保養先の蓼科で緊急入院(諏訪中央病)。諏訪中央病院で3日間(7日~10日)パルスを行い(=ワンクール)、10日の14:00前に自宅マンションに何とか戻り、再入院のために自宅待機。折しも今日8月12日は私の54歳の誕生日(日航機が墜落した日なので途中から誕生日を忘れることがなくなった)。幸か不幸か。
10日の日曜日は「入院手続ができない」、11日の月曜日は「部屋がない」というわけのわからない理由のために本日まで自宅待機。さすがに今日は憔悴しきった家内の様子を見て、病院中探して10階に二人部屋が空いているとのこと(それなら昨日から空いてたでしょ)。昨日の夜から今日の「朝一番で行きたい」と言っていた家内の思いが実ったのか。
足の感覚が全くなくなったのとやはり呼吸困難がひどかったらしい。簡便な血液検査をしたら酸素不足の数値は出ていなかったらしく呼吸器までは付ける必要がない、とのこと。要するに従来の慢性的な胸のしばりが首(頸椎)付近まで上がってきて息苦しくなっている。しかし今朝緊急のMRIをとっても炎症箇所はほとんど従来のまま。諏訪中央病院でのパルスがなんとか持ちこたえているのか。今日も朝すぐにツークール目のパルスを始めた。後1日入院が遅れていたら、脊髄の炎症は一気に広がっていたかも知れない(考えただけでも恐ろしい)。
この病気の治療の失敗の多くは、パルス(ステロイド)投与を躊躇することだ。炎症の急性期にはパルスを行うしかない。病気を知っている医師なら、パルス投与は常識だが、そうでない場合には、検査、検査で投与が遅れる。得体の知れない病気だから検査が長くなる。余計に検査で遅れる。諏訪中央病院でも「聞いたことがある」という医師がいたからパルス投与が一時間以内に開始された。これが今日の朝まで持ちこたえた要素の一つだったのだろう。諏訪中央病院の若林先生、本当にありがとうございました。私の家内がNMO(視神経脊髄炎)患者に実際に出くわした最初の事例であったにもかかわらず(全国、全世界のほとんどの先生は実際にこの病気の患者に出会うことなどないだろう)、少量の知見を活かして適切に処置されたことを感謝します。「免疫グロブリン」や「抗アクアポリン4抗体」などの言葉を患者の口から聞かれて、興味深そうにされていました(と家内が言っていました)。
これが諏訪中央病院正面。
病院内で恒例の「第18回ホスピタルコンサート」の準備に忙しい名院長の濱口實先生。
たとえ、「認定」患者であっても病院が違えば、一から検査をしたがる病院がある。緊急入院の場合でも(http://www.ashida.info/blog/2001/07/post_46.html)。
初めての発症の場合は、「難病」であるためパルス治療がそもそも遅れる。脳内に炎症がある場合には1日、2日の治療の遅れが命取りになることもある。間脳に炎症が起こっているにもかかわらず、「検査が先決」と“教授”に指示されて、呼吸不全で急死したこの病気の患者がいる(と聞いたこともある)。残酷なことだ。
たとえ、多発性硬化症 や視神経脊髄炎の患者であっても「心療内科」に回される場合も多いのだから、この種の残酷な事件は全国各地で起こっているに違いない。「パルス」治療に至ることさえもがこの病気には遠い道のりなのである。
今日の担当医の清水優子先生は「多発性硬化症」というよりは「NMO(視神経脊髄炎)」の専門家だったため、一層診断が適切で対応も早かった。MRI検査もベッド確保(=病室確保)も早かった。かれこれ3年お世話になっている病院でも、その時々に対応する医師の判断が生死を分ける場合も多い。諏訪の若林先生、東京の清水先生、二人の若い先生たちが家内の線の細い生命をつないでいる(それほど大げさではないが)。深謝します。
今回の再発の前兆は、体温の急激な上昇にあった。8月に入って以来、身体に熱がこもって食欲がわかない。水分摂取も十分できない。氷で身体を冷やしても熟睡できない日々が続いた。身体中から「熱が吹き出す」という感じらしい。脊髄の炎症が体温コントロールを不可能にしているということか。食欲もわかない、睡眠も充分とれない→体力低下→脊髄炎症(再発)→しびれが一気に強くなりいつもの慢性的な胸までのしばりが徐々に首の方にまで広がり呼吸困難→緊急入院。経緯としてはこんな感じ。幸いにも私の家内は、パルスが良く効く。ワンクール待つまでもなく、一回のパルスで、しびれはかなり治まる。足も少しは動くようになる。ステロイドの副作用は声が枯れる程度。それ以外には出ない。これでステロイドが効かないとしたら、私の家内はここ数年で4、5回は死んでいるだろう。
「しばりが強くなって、息もできないくらいに苦しくなるときには、お父さんに(私に)抱きしめてもらっているって思うことにしている。そうでないと耐えられない」と泣きながら訴える彼女の思いが、若林先生、清水先生の治療への熱意を生み出しているのだろう。今年の夏もやはり再発なしには乗り越えられなかった。何という病気なのか…。
(Version 2.0)
この記事へのトラックバックURL:
http://www.ashida.info/blog/mt-tb.cgi/941
ミクシィ(MIXI)上で、(夏休み中であるにもかかわらず)この記事に関してたくさんの励ましの言葉を頂いています。謝して再掲載します。
>コスモスさん 2008年08月13日 04:02
奥さま入院できて良かったですね。
ホッとしました。
きっと、奥さまと芦田さんの「良くなるんだ」「治すんだ」という気概が、若林先生や清水先生を引き寄せているのでしょう。
今回の治療で、残暑を乗り切る体力を回復できますように。
それから、芦田さん、お誕生日おめでとうございます。
奥さまも芦田さんも、がんばれー!
>ブシャモンテンさん 2008年08月13日 06:09
「しばりが強くなって、息もできないくらいに苦しくなるときには、お父さんに(私に)抱きしめてもらっているって思うことにしている。そうでないと耐えられない」と泣きながら訴える彼女の思いが・・・ という言葉は涙なしには読めません。
>綾子さん 2008年08月13日 07:14
お誕生日おめでとうございます。トモミンさんはきっと良くなりますよ。そう信じています。
>ママさん 2008年08月13日 07:50
入院出来て良かったですね。
どんなに本人が辛く、苦しいのか・・・。
そばで見ている芦田さんがどんなに辛いのか・・・。
涙が出てきます。
ファイト! ファイト!!パンチ
お誕生日おめでとうございます。
>えーさん 2008年08月13日 08:30
芦田さん
あなたの説明を聞いて私にもその病気の状況がなんとなくわかる気がします。
大変むつかしい病気ですね。
私の友人の奥様とよく似ています。
同じではないと思いますが
そのご夫婦もとても仲がいいのです
芦田さんと同じように
神様が焼餅やいているのかもしれませんね
お大事になさってください
お誕生日お芽出度う御座います。
私は6日なので同じ星でしょうかね
>miruruさん 2008年08月13日 08:33
無事入院されよかったです。
>しばりが強くなって~耐えられない・・泣いてしまいました。
痛い時苦しい時の辛さは、大事なひとが側に居てわかってくれて
いる事で本当に救われる気がします。私も痺れ痛み強く泣いてし
まう様な時いつもそう思います。どうかよくなりますように。
>ココP副隊長さん 2008年08月13日 09:09
早い治療・入院ができてよかったです。
お大事に。
>これんさん 2008年08月13日 10:04
ほんとうにむずかしいたいへんな病気だということが門外漢のわたしにもわかります。
ひとまず入院なさったとのこと、たいへんななかにも、適切な治療がなされたようで、よかったです。
奥様の症状の軽癒、ご回復をお祈りします。
>「しばりが強くなって、息もできないくらいに苦しくなるときには、お父さんに(私に)抱きしめてもらっているって思うことにしている。そうでないと耐えられない」と泣きながら訴える彼女の思いが・・・
他の方も書かれてますが、ほんとうにこの箇所は胸に沁みます。
>テリー横田 2008年08月13日 11:48
お医者さんの対応が的確だったことが幸運だったんですね。
何も出来ませんが、ご快癒をお祈りしております。
>ぶっちゃあさん 2008年08月13日 11:56
書く言葉を失いますが・・・芦田くんの奥さんに対する愛情がひしひしと感じられます。
奥さんは本当に大変でしょうが、これほど愛情を持って接してくれる貴方と一緒になれた事が本当に幸せだと思います。貴方にとって奥さんもそういう存在なんでしょう。
遅れましたが、お誕生日おめでとうございます。
貴方も、看病疲れが出ないようにくれぐれもお身体に気をつけて下さい。
>るみさん 2008年08月13日 14:27
お誕生日おめでとうございます。
奥様のお辛い状況は想像するだけでも泣きそうになります。
どうか少しでも楽になられますように!
>Lさん 2008年08月13日 20:26
芦田さんの言うとおりです。
この病気のことを知らない医師が多すぎるというか、難病だけに仕方のないことなのか、ほんともどかしい時が多々あります。
私も最近、足の力が入らず、困っている状態です。
でも、お互い頑張りましょう。
●芦田の上記記事への返信 2008年08月13日 23:08
>コスモスさん
「入院できて良かったですね」なんて言葉は本来おかしなものですよね。日本の医療はどこかおかしい。
>ブシャモンテンさん
あの家内の言葉は書こうかどうしようか迷ったのですが、私も印象に残った「しばり」の痛さの表現だったので書きました。神経内科に関わる病気は、痛さの悲痛感をどう他人に伝えるのかが鍵を握っている。治療は薬のやりとりと言うよりも言葉のやりとりが決定的。その意味でも家内の言葉を書き留めるべきだと思った、という感じかな。ただ私が疑問に思ったのは、私はそんなにも強く家内を抱きしめたことなど一度もないってことかな(苦笑)。
>綾子さん
ありがとうございます。
>ママさん
そばで見ているのが「辛い」というよりも、できるだけ見ないようにしています(素通りするようにしている)。見てもわからないし(苦笑)。
>えーさん
「そのご夫婦もとても仲がいいのです。芦田さんと同じように」。これはわが学園の教職員が読んだとしたなら、吹き出すような文言かも知れません。「あんなに自分の身内に冷たい奴はいない」と思っている教職員がほとんどです。事実、私もそう思います(反省)。
>miruruさん
やはり、「痺れ」がありますか。なぜ、ミエリンが炎症で障害を受けると「痺れ」や「しばり」が生じるのでしょう。私はその関係が未だによくわかりません。ちょっと勉強しようと思います。
>ココP副隊長さん
ありがとうございます。
>これんさん
良い先生に恵まれて良かったと思います。
>テリー横田さん
テリーさん、柄にもなく仰々しいよ(笑)。音楽の話しをしているときがお互い一番楽しいよね。
>ぶっちゃあさん
悪いですね。同級生にまで心配させて。家内はぶっちゃあさんと「テレジア幼稚園の時に一緒だった」といつも言っていますよ。「太郎を宜しく」とも。その太郎は爆笑問題の「雑学王」の担当から、9月から始まる火曜日七時の「学べるニュースショー」という番組(劇団ひとりの司会)の担当に変わりました。番組の立ち上げに関わるということで張り切っています。今後ともよろしくね。
>るみさん
私はいくら「想像」しても何がどうつらいのかさっぱりわからないのですけどね。ただ、足が動かない、歩けないというのは何となくわかるような気もしますが、別に〈外〉に出ても大したことはないし、歩けるからと言って何か楽しいことがあるとも限らないし、どんなに辛くても朝、職場へ急ぐ自分の方がはるかに不幸だな、と思ったりすることもあります。「いいなあ、あなたはいつも寝ていられるから」なんて、真顔で言ったりもしていますよ。どちらが不幸か、幸福かなんて誰にも(神様にも)わからないでしょ。でも痛いのは誰でも嫌だよね(苦笑)。
>Lさん
「この病気のことを知らない医師が多すぎるというか、難病だけに仕方のないことなのか、ほんともどかしい時が多々あります」。
だよね。医師の不勉強は本当に困るよね。いつも「忙しい、忙しい」と言って逃げている。ビジネスマンだって、寝る暇がないほどに忙しいのに(私の息子は4月から社会人ですが、すでに土日なしに働いています)、なぜ「医師不足」というように自分の忙しさだけを特権化するのか、わかっちゃないと思います。世の中、「先生」と言われる人たちは自分を特権化しすぎです。
「問題」が生じるのは、その「問題」を解決する時間がないからこそ生じるのです。したがって「問題」を前にして「時間がない」というのは、元から「問題」を解決する気がないのです。
>ぶっちゃあさん 2008年08月13日 23:21
こちらこそ、ありがとうございます。
太郎くんもドンドン仕事を任されるようになって、頼もしいですね。
何時か、時間を合わせて飯でも食べましょう。
>かあこ 2008年08月15日 07:58
8月8日の日記から読ませていただいていました。
奥様の病状が一日も早く良くなる事を願っていました。
いいお医者様の連携プレーと芦田さんの頑張りとで今は東京の病院で落ち着いてらっしゃるという事で安心しました。
奥様は本当にすばらしい方ですね。
芦田さんの奥様に対する愛情がとてもよくわかりました。(以前からそれはわかっていたのですが芦田さんはそれを余りあらわさないでそっけない言い方をされることが多いので。笑)
お大事になさってください。
>るみ 2008年08月15日 17:45
私の場合、痺れは足の感覚がなくなるほど長時間正座をした後にふいに立ち上がるときの、ジンジンする不快な感覚が寝ても覚めても途切れることなく続いています。
縛りというか締め付けについては、キツすぎるコルセットをずっと巻いているようです。
なぜそうなるかは、詳しいことはわかりませんが、神経が混線というか混乱している状態なので、外部からの刺激があるわけでもないのに、脳に間違った信号を送り続けているからなのだということを聞いたことがあります。
●芦田の上記記事への返信 2008年08月15日 19:37
>ぶっちゃあさん
そうですね。息子にも言っておきます。最近は特に忙しいようで(でも新番組の立ち上げ担当を任されて張り切っているようです)、家内の今回の入院についても「(看病には)行けないよ」なんて偉そうなこと言っているようです。
>かあこさん
そうですね。私は“古い人間”ですから、愛情表現なんてありえないですね(苦笑)。基本的には、人に助けてもらわないと生きていけないようなら死ぬしかないのですから。重要なことは、(医師や職業的な介護者を含めて)患者を取り巻く人間が「助けている」という意識を持つか持たないかが大切だと思います。その意味では私は家内を「助けている」なんて思ったことは一度もありません(冷たいかな)。そんなこと思ったら夫婦としてはやっていけないでしょう。
どんな人間(元気な人間)でも助けて欲しいことはいくらでもある。そのことについては、「難病」患者であれ、「五体満足」の人間であれ平等です。人間は病気になったときにだけ「死ぬほど辛い」わけではない。そんなことは日常的に起こっているのですから。病人だけが特権的なわけではない。結局、どんな場合にでも普通に接することが必要なわけです。“普通”という幅をどんなふうに担えているのか、それが重要だと思います。
>るみさん
そうですね。一度「パパ」さんに聞いてみようと思います。
昨年まで甥っ子が学校でお世話になりました。おかげ様で高校時代からは想像できないくらい成長して就職先で頑張っております。
当時から教育に関してだけではなく興味深くblog「芦田の毎日」を拝見していました。
実は私の姉が抹消神経の免疫疾患で奥様と似た病気で数年前から患っています。
姉は両足だけでなく両手の力もかなり弱いため一日中車椅子かベッドに座ったままです。足先や指に疼痛があります。
意識や言葉などは奥様と同じように全く正常ですので我が家では一番うるさい存在です。
病状が天候にかなり左右されるため今年は春先からいろんな症状が出て内臓を悪くしたりしてずっと入院しております。
来年もこのような異常気象が続き猛暑になるならどこか夏だけ療養できる施設がないかと真剣に探しましたが、そのような病院と施設はなかなかありません。
こういう病気は治療と療養がいっしょにできる病院がないかぎり 本人や家族の負担は莫大で、少しずつでも回復するはずの体力もなかなか付かないと思います。
校長先生と奥様、ご家族達の毎日は我が家同様いろんな意味で壮絶と思い、泣きながら笑いながら読ませていただきました。
今思えば芦田校長先生の学校に行かせたからこそ甥っ子は勉強で忙しいまとまな学生になり就職もちゃんとしました。
どうか お忙しい校長先生のお体を大切になさって、ますますのご活躍と奥様の回復を心よりお祈りいたしております。
>「郡山の田村」さん
そうですか。この病気は、日本の気候だと1年間に1ヶ月あるかないかくらいの生存域しかないですよね。ハワイあたりに行くしかないのでしょうか(苦笑)。
結局、体力が落ちると必ず再発する、という感じでしょうか。その体力の変化幅も極小状態。ちょっとした体力減にも耐えられない。50歳を超えているのに超お嬢様状態、シンデレラ以上です。
お姉様にもよろしくお伝え下さい。
甥っ子さんがわが学生とは、そして無事卒業、無事就職されたとは、嬉しい限りです。「勉強で忙しい」=「まともな学生」とは、ありがたい御評言。そんな学校を目指してここ10年頑張ってきました。これからの甥っ子さんのご活躍をお祈りします。