子育てとは何か ― 「イノセント」からの脱皮 2008年05月04日
今日(5月3日)は、ふと見たテレビ番組(日本テレビ『まっすぐに智華子 ― 全盲の少女と家族の13年』10:30~11:25) http://www.stv.ne.jp/tv/chikako/index.html から学ぶことが多かった。
全盲の少女(=智華子ちゃん)の成長の記録(ドキュメンタリー)だった。
双子だった彼女(妹)は800グラムの未熟児でかろうじて彼女だけが助かったが、生まれたときから全く目が見えない。
しかしお母さんは厳しい。彼女に、ひとりで何でもできるように手助けをしない。
2004年の夏、9才になった智華子ちゃんは700メートル先にある学校へ1人で杖を頼りに行こうとする。街の中の物音や電柱の数を頼りに。今にも歩道から車道に落ちそうになる。そして道を間違う。「ここにゴミなんかいつもないのに」と独り言を不安げに言う智華子ちゃん。「やっぱり違う道だよ。こんなに間違ったことないのに。どうしよう。どうしよう」。独り言を言いながら智華子ちゃんは泣き続けている。でも気づかれないように遠巻きにして見ているお母さんは決して声をかけない、助けない。お母さんもつらくて泣きそうになっているが助けない。
「見えないことは事実ですし不自由な部分はありますけど、やればできるということを本人に気付いて欲しい、挑戦していって欲しい」とお母さんは言う。
不憫さは、智華子ちゃん本人よりもはるかにお母さんの方にあるだろうに、“普通の”母親よりもはるかに子どもに厳しい。
こういうとき、親が子どもに不憫さを感じてしまうと子どもはまともに育たない。不憫さはかならず子どもに手を出す(=助ける)ことに繋がり、子どもがいつまで経っても自立しない。子どもも自分を可哀そうな子としか認知しない。いつまでも親を当てにするようになる。
5歳の時に、智華子ちゃんは普通幼稚園に入って、はじめて自分が目に見えないことに気付く。「お母さんが自分を早く(未熟児で)産んだから、自分は目が見えなくなった。お友達は運動会で私よりも速く走っていく。私は行けない。誰かに頼らなくては行けない。見えるようになるんだったら、手術して欲しい。目を見えるようにして欲しい」と。
どうすることもできない現実を親に突きつけられた瞬間だった。要するに私は好きでこんな自分(全盲の自分)に生まれてきたのじゃないと智華子ちゃんは訴えたのである。
これはどんな子どもでも持つ親への根源的な不信だ。子どもが成長して大人になるというのは、こういった生の根源的な受動性を自分の意志として受け止め直すという過程だ。
親は自分が勝手に子どもを産んだという〈責任〉にどう応えればいいのか。それは、子どもを全面的に信じることでしかない。自分が勝手に産んだのだから、何が起こっても引き受けるのは自分(親)の仕事、と思って自己観察するように子どもを見守るしかない。
これはなかなか勇気のいることだ。どうしても口を出し、手を出し援助しようとする。口を出すこと、手を出すことは、結局のところ、自分の都合のいいように子どもを育てることであって、それはむしろ責任の回避でしかない。子どもを勝手に産むということの親の責任は、子どもは親の勝手にはならないということを引き受け直すことであるのに、そのことを大概の親は回避しようとする。いつまで経っても自立できない子どもが育つ原因はそこにある。
智華子ちゃんのお母さんは、絶対に手を出さない、助けない。それがお母さんの愛情のありかだ。手を出す方がはるかにたやすいことだが、じっと堪えている。たとえ命にかかわるような事故に遭いそうなときでも手を出さない。「こういうこともあるのよ」と泣きじゃくる智華子ちゃんに平然と語りかける。事故に遭うことを見続けることの方が事故に会うよりもはるかに残酷な場合はいくらでもある。しかしこういった本来の親の非干渉は、子どもを勝手に産んだという親の“主体性”と裏腹の試練なのである。これに耐えられない親(大人)は子どもを作ってはいけない。そんな親に育てられたら子どもはいつまで経っても自立できない(私も自己反省)。
この2008年4月中学2年生になって智華子ちゃんは、次のような作文を書いた。
「大人になったら、親から離れて仕事をしたいです。看護士の資格を取って多くの人を救いたいと思っています。目の見えない看護士がいるなんていう話しは聞いたことはないけど、私はなろうと思います。もし看護士の資格を取ることができたら親を幸せにさせてあげたいと思っています。なぜなら今私はいろいろと親に世話をかけてしまっているから、私が仕事に就いたらまず母にお礼をしたいです。そして子供を作りたいと考えています。少し大変なことはあるかも知れないけど、でも普通の親と同じように子育てをしたいと思っています」。
智華子ちゃんは立派な“大人”になっている(泣)。自分の生の受動性をしっかりと自分の生の主体性に転換できている。自分の不自由を他人(親)のせいにしていない。
智華子ちゃんをこんなに立派に育てられたお母さんは番組の最後にこんなことを言っていた。
「智華子はたまたま目が不自由なだけであって、ただ普通に女の子を育てているって感覚です」。「(未熟児で死なずに)生きていてくれるということに感謝」。
その通りだろう。生への感謝、というのは、偶然の重みに対する祝祭なのである。自分自身が死にたいくらいにつらい日々を送られているお母さんだろうに、「今私はいろいろと親に世話をかけてしまっているから、私が仕事に就いたらまず母にお礼をしたいです」なんてその子どもに言われたらサイコーの子育てだろう。
「死にたいくらいにつらい日々」と「普通に女の子を育てている」ということは、このお母さんにとって全く矛盾していない出来事なのである。良かったですね、お母さん。番組を見ながら何度涙が出てきたことか。いい番組だった。
※関連記事http://www.ashida.info/blog/2006/03/post_132.html
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バカ親として、少年団と中学校の野球指導者として子供と付き合ってきましたが、子供にとっては怖い親だったろうと思っていました。
しかし、本当に子供の将来と人生を見つめる時には、まだまだ甘い親だったんだと気付かされた番組です。
すでに成人した長男と、今現在高校1年生で思春期に入った二男と一緒に、まだまだ迷い続けている親です。