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 2008年度入学式式辞(於・中野サンプラザ大ホール) ― 「正社員」とは何か 2008年04月05日

今回ばかりは、恐怖だった。前日の夜までに80%書き上げていた原稿をすべてすてた。朝学校へ行く車中でも何も浮かばない。

9:00始業の学校に7:30に着いたが、まだ何も浮かばない。そこでブログとミクシィ(MIXI)に「書けない」と書いたが、これもそう書くことによって逃げていたにすぎない。世界の果てに逃亡したい気分におそわれた。毎年話すとたとえ1年に一回(卒業式と合わせると2回)であってもネタが無くなる。

昔、大学の教壇(法政の400人受講生のいる「哲学概論」)にはじめて立ったとき、最初の一回目の講義で、自分が10年間学んできたことがすべて無くなった…。何と自分は薄っぺらい勉強をして来たのか、と自虐的になったことがある。次の週からの1年間の講義は地獄絵のようだった。

式辞もそれに似ている。ギリギリにならないと出てこない。プロボクサーの体力=体重管理のようなものか。今回は2日前のちょっとした出来事がふと浮かんで、そこから何とか始まった。以下、式辞全文です(全文見ないで話しましたが、実際に話せたのは70%くらいでしょうか)。職員に聞いたら25分間話していたそうです。「校長長すぎます」と毎年ですが怒られました。


入学おめでとうございます。

今日、ここに入学式を迎えるみなさんは、ほとんどの方がこの一年間の見学会における体験授業を通じて学校を選択された方々だと思います。

今日、この入学式を迎えるに当たって、この小山学園の各学校を選んで頂いたことに感謝します。と同時にその期待に真摯に応えなくてはならないと関係者一同身を引き締め直しております。

保護者の方々もたくさん列席して頂いています。「我が息子や娘は、本当にいい学校を選んだね」と卒業式で言って頂けるような学校でありたいと思っております。是非期待して頂きたい。

又来賓の方々も、この忙しい春先のお仕事の合間を縫ってたくさん来られています。みなさんが卒業後に就職する企業の方々です。今日のこの入学式の時点から、みなさんの成長を固唾を呑んで見守っている方々です。心してこの式典に臨んでもらいたいと思います。

さて、最近面白いことがありました。この入学式の準備でバタバタしていた4月2日、今から2日前に、わが校のWEBプログラミング科の女子学生が校長室に来ました。

「校長、NTTデータテクノロジーに内定が出ました」と言ってやってきたのです。

この科は、今のあなたたちと同じ場所で昨年入学式を迎えた1年生の90%を超える学生がすでに内定をもらっています。あと二人で就職率100%になります。全校の大学、専門学校含めてトップの実績かと思います。

NTTデータテクノロジーというのは、2チャンネルの就職偏差値ランクでも63点をとっている大変優良な企業です。

一方、その女子学生のWEBプログラミング科1年生のクラス内偏差値は53点。学校内の能力よりも社会的には10点以上高い企業に入ることが出来るのがわが学園の現在の教育力です。

その女子学生の話しによると、面接官達の前に我が女子学生が座ったら、着座した途端に、「モンスターが来た」と言われたそうです。

なぜか。

たった19才で総合職採用の面接を受けたのは彼女がはじめて。みんな大学3年生か4年生、そして大学院生。彼女より2つも3つも5つも年上の学生ばかりを相手にしている面接官たちだったからです。

私は、彼女にこう言いました。「そうだよね。一流企業に入ろうとしたら、みんな君より、2、3才上、みんな20才を超えている。敵は同級生ではなくて、大学生か大学院生、みんな蹴散らしてやれ。たぶん、君の同級生は大学へ行って2年生になってやっとこれから本格的に遊び始めるころ。大学生はたとえ、学んだとしてもそれを活かした仕事には就けない。でも君が若いのに内定を取ったのは、あなたが実際に学んだことを会社が評価してくれたから。それをNTTの人は『モンスター』と言ってくれたのよ」

「NTTデータテクノロジー」というのは大学を出てもなかなか入れない企業です。この入学式を迎えるみなさんの多くも後一年足らずで就職戦線に立ちます。「専門学校に入る」というのは、すでにその段階で企業の社員研修に参加するということと同じです。

その最大の意義は、学んだことを活かす会社を選択できるということです。大学では法学部を出たからといってみんなが弁護士や検事になるわけではない。工学部を出たからと言ってエンジニアになるわけではない。ほとんどの学生は学んだことと関係のない仕事に就きます。

だから大学生にとって企業選択はほとんどの場合、人生の賭のようなものです。自分の将来を決める仕事と会社の選択が賭であっていい訳がありません。

我が学校のカリキュラムは、1年後には企業の面接官と仕事の話しが対等に出来るように作ってあります。1年で「モンスター」と呼ばれるように作ってあります。それが、皆さんが大学を選ばずに我が専門学校を選んで頂いた最大の意義だと思っております。ぜひ学校を信頼して来週からの勉強を始めて頂きたい。

宮下(1)


さて、私は今日二つのことを皆さんに言いたいと思います。

まずは「正社員」とは何か、ということです。さきほどの女子学生は総合職の「正社員」として内定を得ました。「正社員」とは何でしょうか。

先々月、総務省が発表した非正規雇用者数は全労働者の33.7%となりました。全国の労働者数は5000万人を超えますから、全国で1500万人以上の労働者が「アルバイト」(より厳密に言えば、「非正規雇用」とは「アルバイト」を含めて、契約社員、派遣社員)などが含まれますが)。実に3人に1人が「アルバイト」ということになります。

しかも全労働者の内、1200万人が年収200万円以下です。

しかし、「正社員」か、「アルバイト」かの違いは、給料が高いかどうかということではありません。年収200万円であっても立派な「正社員」はいます。

会社が「正規雇用」として、いわゆる「正社員」としてあなたたちを迎えるということは、あなたのスペシャルな能力を評価しただけではなく、〈人材〉として迎えたということであります。

そして〈人材〉として迎えるというのは〈経営〉に参画する要員として迎えるということです。

つまり〈組織〉を担うのが〈人材〉です。

ただ単に目の前の仕事をやり遂げる、ただ単に目の前のお客さまに満足して頂けるのが、〈人材〉ではなくて、そのことが会社の利益を拡大することとどう繋がっているのか、会社が社会貢献することとどう繋がっているのか、それをいつも考え続けているのが〈人材〉であります。

そういった〈人材〉を作るための教育を行うのが専門学校です。専門学校はスキルを磨くところとよく言われますが、それは、結局のところ目先の技術教育や技能教育に自らを狭めて、結局のところ、他人に引き出しを開け閉めするようにして使われる〈スペシャリスト〉を作るだけです。古い専門学校はそうでした。未だにそんな専門学校もたくさんあります。残念なことです。

わが学園の学園理念には「高い技術力と豊かな人間性を備えたプロフェッショナルを目指す」とあります。

「プロフェッショナル」とは何か。これにはいくつもの答え方があるでしょうが、こう考えましょう。

「プロフェッショナル」という言葉の反対語は何か? と。

それは「アルバイト」ではなくて、「スペシャリスト」です。

「スペシャリスト」は、一つ一つの仕事に対して、まるで机の中の引き出しの中に分類・整理されてある文房具のように他人に使われる。それが「スペシャリスト」です。

ちょっと昔、山一証券という大きな会社が倒産したときも財務や経理の「スペシャリスト」たちは真っ先に転職していきました。〈スペシャリスト〉であるために、他の会社の同じ仕事がそう時間をかけることなくできるからです。

証券会社の風土を作っているのは、営業マン達なのですが、その人達はなかなか転職しづらい。風土で仕事をしてきたからです。別の会社の社風に合わない。実は会社の命運と共にする、そういった人たちこそ〈人材〉であったわけです。

そういった営業マン達と違って全く風土が違う別の会社や組織でも働くことができるというのは、〈スペシャリスト〉がまさに〈部品〉のように使われる人材だからです。〈部品〉という意味は、組織のDNAを共有していないということです。

人材の宝庫と言える官僚組織でも〈スペシャリスト〉と呼ばれる職務があります。この人達は、いわば大学教授のようなそれぞれの官庁の専門分野の研究職です。

大概の場合、官僚の出世街道を外れた人たちです。事務次官や審議官にはなれない人たちです(なったからといってどうということもないのですが)。

この官僚の〈スペシャリスト〉を外部化したものがいわゆる〈大学教授〉です。大学教授は官僚にとっては政策立案の〈スペシャリスト〉です。

国家が国立大学や私立大学に多額のお金を使って助成するのは、大学の教授を政策立案のスペシャリストとして使うためです。大学教授は〈使われる人〉たちであって、〈使う人〉ではありません。つまり〈人材〉ではない。

〈人材〉とは使う人であって、使われる人ではありません。大学教授が使うのはせいぜいのところ〈学生〉や〈院生〉くらいであって、それ以外ではありません。

したがって、彼ら(大学教授たち)は、どの大学や組織に属していても、同じ仕事をします。彼らにとって、大学という組織は、自分の仕事の価値を示す衣装にすぎず(彼らが大隈重信や福沢諭吉を学ぶのはせいぜい総長や塾長になったときくらいです)、大学のために働いているわけではないからです。つまり彼らは〈人材〉ではない。まさに〈スペシャリスト〉であるわけです。

組織がつぶれようが、無くなろうが、〈スペシャリスト〉は組織を横断して存在する。その意味では〈スペシャリスト〉とは“高級なフリータ”と同じです。〈人材〉ではない。

イラクで戦争が起これば、イラク問題の「専門家」がテレビに出てくる。地震が起これば、地震の「専門家」がテレビに出てくる。猟奇事件が起これば犯罪心理学の「専門家」がテレビに出てくる。

しかもいずれも(不幸な事件なのに)テレビに呼び出されたのがうれしそうな顔をして出てくる。それが大学の〈スペシャリスト〉というものです。単独で仕事をし、単独の事柄に回答する。それが〈スペシャリスト〉。官僚とテレビ・雑誌に使われる人、世間の幸不幸を超越している人、それが大学教授です。

結局のところ、〈スペシャリスト〉は、〈組織〉(の幸不幸)を担えない。

わが学園理念が〈プロフェッショナル〉を目指せ、というのは組織を担う〈人材〉になれ、ということです。会社と命運を共にする〈人材〉となれ、ということです。就職をする、正社員として採用されるということは大変重いことであります。それは「アルバイト」や「スペシャリスト」が1000年働き続けても理解できないことであります。そのことをこの入学式の日に、良く心得てもらいたい。

宮下(2)


二つ目に言いたいこと。

私は今年の8月で54才です。皆さんのお父さんよりも少し年を取っているくらいです。
年を取ると勉強しなくなります。大概は〈経験〉で何とかなるからです。今さら本を読んでも勉強しても頭に入らない。

それだけではなく、「本に書いてある通りにはうまくいかない。実際は厳しいのよ」なんて偉そうなことを言い始めるのが大人です。だから大人はつまらない。

経験を積んで物事を知るということは、積極的なことのように見えますが、知れば知るほど色んなことを考えるようになって、身動きできなくなります。〈知る〉ということは、実は保守的なことであります。

ドイツの文豪・ゲーテは「行動する人は良心を持たない」と言いました。行動できる、というのは、無知の結果であるからです。無知、他者への配慮を欠いた状態をゲーテは「良心を持たない」と言ったわけです。

その意味では、若い人は「良心」を持ちません。まだ知識も経験も何もないからです。けれども(あるいはそうであるが故に)若者は行動的です。

つまり学んだことを純粋に受け入れそれをそのまま行動に移すことができます。これは危険なことですが、大変重要なことです。

年を取ると〈理論(Theory)〉や〈原則(Principle)〉よりも〈現実〉を重視しがちです。
〈原則(Principle)〉を曲げるのが、〈大人〉の仕事みたいなものです。

それとは逆に若いときに学ぶというのは、理論や原則で現実を解釈する力がある。学んだことをすぐにでも実践できる純粋さがあなたたちにはある。

この(危険な)力が新しい文化を生むのです。

原則を手放さないという根性は年を取ってからでは学べません。生涯学習時代とは言いますが、原則的な思考はまだ世間にまみれない20代前後でしか身に付かない。

それ以降の大人達は、自分の経験と現実に都合の良いようにしか本が読めない。

この時期にその力を身に付けておかないと、一生お天気予報官のように周囲の環境や他人にこびへつらう人間にしかならない。つまり〈人材〉になれない。

先に触れた〈プロフェッショナル〉とは、語源的に、Pro-fessional、〈真っ先にー話す〉ということを意味します。Pro-fessionと言えば、通常〈信仰告白〉を意味します。「信仰告白」とは、誰にも強制されず、自分の内発的な意志として発言するということです。いわば純粋な告白です。それは結局のところ、〈原則(Principle)〉=先にあるものを保持すること、先にあるものをさらすことを意味しているわけです。

告白できる人、それはつまり正直な人であります。「告白」(と正直)は若者の特権です。若い者の「告白」は美しいが、年寄りの「告白」ほど醜いものはない。ついでに言えばキリスト教は基本的に“若い”宗教なのです。

そして、目の前の仕事ができるだけでは正直にはなれません。どんな現実にぶち当たってもそれにめげずに〈原則〉(と理論)を保持しつづける〈プロフェッショナル〉こそが正直な人であり、組織の人望を集める人、組織を担える人なのです。

羽鳥(1)

若者は、大人よりもはるかに正直であります。若者こそが、正直の真の担い手です。その意味でも〈プロフェッショナル〉になる基盤は今皆さんの年代に培われるものなのです。

これからの2年間、3年間、4年間は、あなたたちが、理論や原則をもって事柄を扱う訓練をする一生で唯一の、貴重な時間です。

生涯学習時代とはいいますが、それは今しか学べない。いつでも学べると思ったら大間違い。経験を積んでからの読書や勉強というのはつまらないものです。趣味・教養でしかない。勉強も趣味や教養になったらもうおしまい。「教養」とは耄碌(もうろく)の代名詞であります。

若い皆さんの勉強は、皆さんの血となり汗となる勉強です。人格そのものを作る「正直な」勉強です。

そして、そのことを何よりも良く心得ているのがわが学園のカリキュラムであり、教材であり、教員であります。

この大学全入時代において、よくぞ、わが学園を選んで頂いた、と感謝しております。あなたがたの選択が間違っていなかったことを証明するのが私の仕事です。ぜひ期待して頂きたい。ぜひ企業を震撼させる「モンスター」になっていただきたいと思います。

これをもって入学の祝辞に代えたいと思います。今日は本当におめでとうございます。

(Version 2.0)


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

機械メーカーで人事の管理職をしております。

正社員とは何かというタイトルが目に入り読ませていただきました。

スペシャリストと組織における人材という考え方に共感しております。

企業はお客様が喜ばれるだけではなく、企業が社会に貢献して価値があるものであり続ける事が重要と弊社でも教えています。

なかなか、若い人にはピンと来ていないようですが。

私は42歳になりますが、大人が本を読んでも素直に受け取れないというお話妙に共感しました。

私も、毎年新入社員(今年と来年は採用無し)に話をする時間を割り当てられることになるのですが先生のお話を少し参考にさせていただきます。

投稿者 田中 淳 : 2010年06月08日 00:37
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