家内の症状報告(111) ― 『ロレンツォのオイル/命の詩』 2008年03月01日
>Pさんへ
おすすめの『ロレンツォのオイル/命の詩』、先ほど見終わりました。
映画的にはスーザンサランドンの迫真の演技が印象的でした(最初から予想していましたが)。この映画は難病患者(重い病気の患者)とその家族の人たち(あるいはおまけにお医者さん達)はすべて見た方がいい。TSUTAYAレンタルでもすぐに借りられます。
映画中、「多発性硬化症」という言葉が、4回ほど出てきました。映画で「ミエリン」なんて言葉が出てくるのもあまりにもリアルすぎて。
家内は途中から(自分のことを忘れて)泣きっぱなしでした。ロレンツォのお父さんみたいな人が「ミエリンの再生」のきっかけを掴むのでしょうね。私などは足下にも及びません。
私がこの映画を見て一番面白かったのは、やはり患者団体と医学者達の保守性です(家内と何度この該当シーンで顔を見合わせたことか)。
Pさんは、症状報告(96)の記事(http://www.ashida.info/blog/2008/02/_evidencebased_medicine.html)で「映画の中に描かれるLorenzoの両親の姿が芦田さんと重なりました。Lorenzoのお父さんは今でも息子の為に治療薬を自ら主体的に開発しようと動いておられます(www.myelin.org)」と書かれていましたが、実は、私のことではなくて、医学者(専門家)とそれを取り巻く患者団体の保守性を指摘されたかったのだと思います(苦笑)。
私が(再度)この映画で学んだ7つの原則。
1)病気を治すのは、第1には、医者ではなくて、患者と患者家族と患者の友人達だということ。難病患者(重い病気の患者)の場合には特にそれが当てはまる。
2)患者団体(の幹部)は医学界の保守的な層と一体になりがちで、場合によっては患者治療に敵対する。特に新しい治療や新しい発見に対して保守的。患者団体は場合によっては慰安団体に変質する場合がある。ひも付きの「治験」や「セミナー」に参加すれば、治療に積極的に参加していると勘違いしている場合が多い。
3)難病治療は、専門性を狭く掘ると解決しない。隣接科学(あるいは予想もしない領域)の意外な功績が結びつく場合がある。それを結びつけるのは既成の科学や科学知見ではない。
4)難病治療は、確かな知識(証明された知識や実績)を積み上げても解決しない。思いつきをすぐにでも行動に移しながら、一つ一つ確かめていく以外にない。これは最初から〈証明〉や〈論文〉作成にこだわる科学者にはなかなか出来ない。
5)医者や医学者は、1人の(個別の)患者の治療については、最初のそして最後の判断者ではない。中間的にしかあてにならない。治療の中間のアドバイザーでしかない。意見を求め続けて、最初の判断、最後の判断を下すのは患者と患者の周囲のものでしかない。
6)医師や医学者と本来の会話をするには、患者、患者家族も勉強する必要がある。医師や医学者はある種の専門家ではあるが、患者は身をもって病気を“知っている”別の意味での専門家。その意味で対等に話そうとする気持ちと気概がないと医師も医療も動かない。
7)難病や重い病気からの生還(回復)は、ひとえに生命と生命力への信頼がなければ不可能。特に医師と患者本人があきらめる前に周囲の者があきらめないことが大切。特に多くの患者が衰えて死んでいくのを見ている医師や医学者は対面している個別の患者の将来を真っ先にあきらめている人種。中途半端な専門家医師や中途半端な知識を持っている患者家族、患者団体こそが物知りふうに患者の再起を真っ先にあきらめている場合が多い。
追伸:今、もう一度Pさんの貴重な記述を総まとめして整理しています。しばらく時間を下さい。
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本日、LorenzoのHPを久々に開き初めて知ったのですが、本年5月にLorenzoは亡くなったとのことです。
http://www.myelin.org/en/cms/?424
とても残念です。
上記のページに、Lorenzoの父親(未だにMyelin Projectをリードしている)の言葉が紹介されており、心に響きましたので転載します。
"Scientists should never forget that their mission is to relieve human suffering rather than win the Nobel prize"