家内の症状報告(96) ― Evidence-based medicine の“客観性”は、個々の患者の治療を狂わせる(ベータフェロンは本当に有効か) 2008年02月17日
家内の症状報告(95)http://www.ashida.info/blog/2008/02/post_264.html#more の第1の質問 ― あなたが「そこそこの神経内科専門誌」と言うNeurologyに発表された「治験結果」は一体誰の(どんな組織の)主導によって、どんなサンプル数の集め方によって報告されたものなのでしょうか ― についての回答が早速来ました(ありがたいことです)。全文紹介します。
●拝読しました(2008年02月17日 02:38)。
まず、深夜寝ておられたところをたたき起こされて(苦笑)、小生の読みにくい駄文にお付き合い頂いた奥様にどうぞ宜しくお伝えください。今回の議論を通して、芦田さんの、何としてでも奥様の状況を改善しようと希求される気迫に満ちた想いをかいま見て、ご夫婦の掛け値なしの愛情に感動を覚えております。Lorenzo's Oilは小生の大好きな映画ですが(ご覧になったことがなければ、是非ご高覧を…)、映画の中に描かれるLorenzoの両親の姿が芦田さんと重なりました。Lorenzoのお父さんは今でも息子の為に治療薬を自ら主体的に開発しようと動いておられます(www.myelin.org)。
本日はちょっと思考がスピードダウンしておりますので、誤解、論理矛盾、意味不明などがあればご指摘お願い致します。
では(1)に対する回答です。まず、当該論文の情報(タイトル・要旨)を和訳してみました。著者は原文ままにてお許し下さい。
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2005年2月22日号 Neurology誌 621~630ページ
「インターフェロンベータ1b(註:ベタフェロンのこと)は日本人の再発寛解型MS患者において有効である:ランダム化された多施設研究」
T. Saida, K. Tashiro, Y. Itoyama, T. Sato, Y. Ohashi, Z. Zhao and the Interferon Beta-1b Multiple Sclerosis Study Group of Japan(←註:このグループ内に多施設が入っています)
<目的>日本人の再発寛解型MS(RRMS)におけるインターフェロンベータ1b(IFNB-1b)の有効性を評価する。
<背景>RRMSにおけるIFNBの効果は主に白人集団において評価されてきた。日本人におけるMSは白人におけるそれとは、CMSとOSMSの二つの異なる臨床病型から成るということ、及び慢性進行型が少ないという点で異なっている。
<方法>合計205名の日本人RRMS患者を、ランダムに2群に分け、それぞれ50microG(1.6MIU)又は250microG (8.0MIU)のIFNB-1b隔日皮下注射を最長2年間行った。第一の評価事項は年間再発率とした。第二の評価事項は再発に関連する評価指標とMRI の評価指標、更にEDSS・NRS(註:神経障害のスコアリングのこと)の絶対値変化とした。効果は188人の患者において評価でき、安全性は192人の患者において評価可能であった。加えてサブグループ解析をOSMS患者とCMS患者に対して行った。
<結果>年間再発率は250microG投与群で0.763、50microG投与群で1.069であり、再発の相対減少率は28.6%であった(p=0.047←註:統計上よく出現する項目ですが、簡単にはこの結果が間違っている可能性が4.7%あるということですが、5%以下の場合は通常「統計学的に有意」と判断します)。すべての第二評価事項に関して、250microGのIFNB-1bを投与された群が勝っていた。サンプル数が少ないために統計学的有意ではなかったものの、サブグループ解析ではOSMSとCMSにおける本治療効果の程度や方向性が同等であることが示唆された。
<結論>日本人RRMS患者においてIFNB1b250microGは有意に再発率及びMRI上の病巣面積増加を減少させ、またそれは OSMS・CMSのいずれにも同等に効果を示していると思われた。日本人MS患者におけるIFNB1bの治療反応性の結果は、白人患者との間に共通の病因や背後の遺伝素因が存在することを示唆している。
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現在原文が手元にないため、205名の内訳(OSMS vs CMS)は分かりません。「サンプル数が少なく統計学的に有意とは言えない」ことはこの規模の治験でのサブグループ解析では良くあることですが、OSMS 患者にベタフェロンを打って皆が皆、再発率が増加すればさすがにこの結論は審査で認められないと思われますから、提示されたデータからは Neurology誌の審査としては問題ない帰結を導いていたものと思われます。
さて、この論文が与えた影響力についてですが、これには現在の医学界における「Evidence-based medicine(EBM)」について説明を加えねばなりません。
EBMは90年代初頭に登場しましたが、ともあれ、90年代後半からは日本を含めた全世界で合言葉のように使われるようになりました。例えば、OS「MS」と診断されて入院中の患者に、前述の「信念」を持った医師がステロイド維持療法を考え、その考えをカンファレンスで提示したとします。上級医からはこう切り返されるでしょう「その治療は有効であるエビデンスがないんじゃないの?(無効だというエビデンスがあるんじゃないの?)」。ここでいうエビデンスですが、国際的な定義があります。
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<エビデンスのレベル(上に行くほど、エビデンスが強い)>
Ⅰa:複数のランダム化比較試験のメタアナリシスで示された結果
Ⅰb:少なくとも一つのランダム化比較試験で示された結果
Ⅱa:少なくとも一つのよくデザインされた非ランダム化比較試験で示された結果
Ⅱb:少なくとも一つの他のタイプのよくデザインされた準実験的研究による結果
Ⅲ:よくデザインされた非実験的記述的研究による結果(比較試験、相関研究、ケースコントロール研究)
Ⅳ:専門家委員会のレポートや意見、権威者の臨床経験
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医師が「エビデンスがない」と言っているときには、客観性に欠けるということから、レベルIVをも含めています。かの「信念」も、「研究班の勧告」も、エビデンスレベルIV、つまり、エビデンスがありません。他方、ベタフェロン治験論文はレベルIbです。ベタフェロン治験論文の中の、OSMS vs CMSのサブグループ解析については、サンプル数制限で統計学的に有意とは言えないという点でIbとは言い切れないところですが、IVには勝ると判断されます。
欧米で、ベタフェロンのMSにおける有効性はIaのエビデンスがあります。「信念」を持っていた日本の医師達は、「ステロイドの反応性が欧米と日本では違うのではないか(ひょっとしたらベタフェロンも?)」、と感じていたかも知れませんが、その「考え」はレベルIVで、「エビデンスが無い」。固唾を飲んで待ちわびた日本での結果はエビデンスIbのお墨付きを出した。当該論文が影響力を持ったのは、端的には、そのエビデンスレベルが高かったからです。
EBMの考え方はすでに現代の医師に呪いのように浸透しています。本来は「医師の勝手な思い込みによる治療で患者を苦しめない」という患者保護の目的や、「無意味な治療を行わずに医療経済的な合理化を図る」といった観点で優れたシステムになるものだとは思うのですが、あまりにも「結果」だけが独り歩きする傾向にあります。これは疾患概念(原因・病理病態)が確立していないものでは重大な問題を来します。例えば、ベタフェロンは日本人のMSに有効である、とか、ステロイドはMSに無効である、と言ったものに「エビデンスがある」とされるのですが、ではそのMSとは何ぞや、と言った問題を希薄化してしまうのです。
即ち、MSは原因不明であり、「時間的多発性」・「空間的多発性」・「中枢神経系脱髄」というキーワードで一括りにされている「疾患群」であり、原因別分類になっていない、ということを以前記述しましたが、そういう「前提」を忘却の彼方においてしまい、あくまで暫定的な「診断基準」によって括られる集団において得られた結果をすべての個人に対して一元的に適応しようとする嫌いがあるのです。
そして、このEBM絶対主義は医師の個々の患者に対する観察眼を狂わせるように思います。EBMにおけるエビデンスは、結局、集団における統計学的根拠を求めます。生身の個人を相手にする医師にとっての、本来必要なエビデンスとは、その向き合う患者個人に対して行った診断治療に責任を持つための基礎であり、であれば、ベタフェロンがこの患者の身体に投与された時にどのように働くのか、そしてそれがその患者個人の病態にどういう利点があるのか、こういったことが最も重要なことであり、そこにエビデンスを求めるべきではないでしょうか。
EBM上はMSに対するベタフェロンの有効性にエビデンスがありますが、生物学的には、ベタフェロンがMSに効く作用機序は不明であり、そこにエビデンスはないのではないか、ということです。1981年の論文を引きあいに警鐘を鳴らしたのはベタフェロンの「生物学的なエビデンス」がないことについて十分に理解していない医師がいるのではないかと危惧しているからです。
医師はこの「(MSに有効であるという生物学的な)エビデンスがない」ベタフェロンに、「(MSに有効であるというEBM上の)エビデンスがある」という特殊な状況を決して忘却してはいけない。いわばブラックボックスのような薬を投与する訳ですから、自分の前に居る患者に再発率増加という異常を少しでも感じたならば、(EBM上の)エビデンスを前に、思いすごしかも知れない、と黙認することはあってはならないと、思うのです。ベタフェロンが体内で何を起こしているのか保証されていないからです。
※もう一つの回答は、また後日でご寛恕下さい…
●ここまでの私の返信(2008年02月17日 03:58)
私も映画は大好きですが、さすがに『Lorenzo's Oil』は見たことがありません。早速見てみます。
私のこの病気への関心は「掛け値なしの愛情」というよりは、むしろ医学の先端専門性というものが、どの程度の専門性なのかを、私自身の研究経験に重ね合わせながら確かめたい、という気持ちの方が高いと思います。
「掛け値なしの愛情」に見えるとすれば、病気の当事者というものは、実は医師とはほとんどまともな会話が出来ず、何も重要なことを聞き出せていないという一般的な事情から来ていると思います。
私も入院の経験がありますが、そうでした。家内の他人ごとの病気であるからこそ、聞くべきことを聞いてみたいという気になったのかも知れません。
私の経験では、病気の治療には代理人(家族であれ、友人・知人であれ)が必要なのだと思います。当事者は、医師との人間関係に気が散ってしまい、 何も出来ません。目の前にいる医師は、患者にとってはいつでも「名医」でしかないのです。これは悲劇ですが、避けられない悲劇です。
毎晩、付き合わせて、スミマセン。
私も、Evidence-based medicine の“客観性”がむしろ個々の患者の情況を直視することから目を背けさせているものだと思います。私もさすがにこの時間では頭が回らなくなっています。今日の日曜日、じっくり考えてみます。
(Version 1.0)
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