家内の症状報告(101) ― ベータフェロンの治験論文はなぜ2005年2月に登場したのか 2008年02月23日
先の症状報告(100)http://www.ashida.info/blog/2008/02/msnmo_1.html#moreの「P」さんの議論に対する私の質問です。回答が楽しみです。
●Pさん、お久し振りです。春先はお互い忙しいですよね。
本題の質問に行く前に、前回の質問を蒸し返すような質問を一つしておきたいと思います。
1996年7月にMayoの医師らが、Brain Pathology誌に発表した論文で、すでに「オリゴの生き死にパターンにはバラエティがある」ことが指摘されていた。これは私の記憶では、あなたの論文史の指摘にはなかった年代です。
特にその「バラエティ」の中には、細胞性免疫にかかわる炎症だけではなく、「免疫グロブリンと補体からなる炎症(=液性免疫)」も指摘されていた。
すでに、1996年のこの段階で「T細胞に対して何らかの修飾をする『免疫修飾能』があると推察されて」いたベータフェロンは、十二分に疑われても良かったにもかかわらず、なぜ、T細胞免疫論=ベータフェロン有効論は力を持ったのでしょうか。
1996年、オリゴ死の「バラエティ」という重要な発表の後、あなたの指摘は(2000年の脱随4タイプ論を経て)、2004年リンパ球のオリゴの因果関係の逆転、2005年の8月(液性免疫炎症に対する血漿交換の効能)、2008年の「バラエティ」自体の否定(すべては液性免疫)の指摘に繋がって行きます。この流れは、すべてベータフェロンの有効性を疑うもの(=疑っても良いもの)ばかりです。
このあなたのMS論の変遷の説明をまともに辿れば辿るほど、2005年2月の日本人達の論文「インターフェロンベータ1b(註:ベタフェロンのこと)は日本人の再発寛解型MS患者において有効である:ランダム化された多施設研究」(2005年2月22日号 Neurology誌)の意味が分からなくなります。この論文・研究動機は(結果はさておき)、私にはアナクロにしか見えません。
この論文の書き手達は、1996年~2004年の研究・論文の意義を踏まえてでも、なおMS=T細胞免疫炎症論(ベータフェロンの有効性)を主張しようとしたかったのでしょうか。そうだとすれば、何が彼らをそうさせたのでしょうか。1996年~2004年の間に何かまた別の発見があったのでしょうか。
(Version 3.0)
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