息子の帰省 ― 山田太一的な帰省か、なんと単純な息子であることか 2007年11月25日
22歳の息子の太郎(http://www.ashida.info/blog/2007/07/post_213.html)が、忙しい私の身代わりに、いとこ違いの結婚式のため、22~23日帰省していた。色々と思うことがあったらしい。どうも私の息子は単純すぎる。以下がそのブログだ。
実は昨日おとといと僕は京都に一人で行ってきました。
なぜか?
親戚の結婚式があったからです。
なぜ僕一人なのか?
親父は基本的に昔から実家に帰らない人間で、母親は病気のため遠出できる体ではないから。
そして、僕は来年から外界との通信を八割方遮断されるテレビ局環境に飛び込んでいくため、長らく会っていない祖父祖母、沢山の親戚の方々に顔見世するまたとない機会、いや、二度とない機会かもってことで、親父から「お前が行って来い」といわれ、僕は京都に向かったわけであります。
去年の夏に一人旅をしたときの日記にも少し書きましたが、うちの親父の実家は京都の貴船というところで「ふじや」(http://www.kibune-fujiya.co.jp/)という懐石料亭をやっています。
うちの親父の弟が後を継いでいて、おばあちゃんが女将をやってるわけですが、おとといの夜はその親父の弟=おじさんにお世話になり、この旅館に泊めてもらいました。
もちろん私は孫に当たるわけですから、無料ですよ!
で、まさにドンピシャ紅葉シーズンで非常に綺麗でした。今回はデジカメを忘れたため、写メールですが、上の写真がうちの旅館であります。
なかなか良いでしょ?
てなわけで、おじさんに迎えに来てもらい、おばあちゃんにも一人旅以来の再会。相変わらず元気でした。前よりはふけていたけど。
そして僕の従兄弟に当たる、おじさんの娘(小6)と息子(小2)。
塾講師のアルバイト以来、小学生の扱いに慣れた僕は、わりとすんなりこの少年少女と意気投合する。
決定的だったのが64のマリオカート。
最近のガキどもはDSメインの生活で、自分の殻に閉じこもってやがるわけで、案の定この二人もDS中心のゲーム観。
そこで、わが青春の任天堂64を発見した僕は、
「64のマリオカートで勝負するぞ。」
と、高らかに宣戦布告。
平成生まれのガキどもは、
「ふん、あんたゲームなんて出来んの?」
と言わんばかりに64をセッティング。
はっきり言って僕は64のマリオカートで負ける気がしない。
と言うか負けるはずが無い。
小学校高学年の7割はマリオカートに費やした。放課後うちに集合し、マリオカート三昧。
それぞれ切磋琢磨し技術を高めあい、ショートカットを模索した日々。
64のマリオカートが革命的だったのは、それまでの2人対戦ではなく、4人同時対戦が出来たこと!
まぁそれはおいといて。
とにかく、平成ジャンプだか平成生まれだか知らないガキ共二人に負けるはずが無い。
と言うか負けるわけにいかなかった。
わが芦田家で共にコントローラーを握り合った塚戸小学校の同級生全ての思いを背負っているのだ。
そして僕は圧勝した。
本当に圧勝だった。
ガキ共は手も足も出なかった。
そして少年少女と言うのは本当に単純で、神レベルのマリオカート使いである僕を一気に崇拝し始めたのだ。
これによって僕ら3人の信頼関係は確立された。
この後、僕は更に来年4月から就職するテレビマンとして重要な事実を知る。
関西人に東京の芸人は全くと言っていいほど受けていないこと。
実際関西で流れるテレビに東京の芸人は全く出てこなかった。全国放送の番組を除いて。
実際、小6の従兄弟、お笑い好きのおじさんの奥さんに聞いても、人力舎芸人を中心とする東京芸人を完全否定された。
おぎやはぎの何が面白いのかわからない。
アンタッチャブルの何が面白いのかわからない。
バナナマンの何が面白いのかわからない。
くりぃむしちゅーなんて全然面白くない。
さまぁーずも。
さまぁーずまで否定されると、もうこりゃ価値観・文化の違いだなってレベルまで割り切れたけど、一種のカルチャーショックを受けた。
別に「東京だから嫌い」とかいう関西人のくだらないプライドみたいなものじゃなくて、本当に「なぜおもしろいのか」がわからないらしい。
そりゃどうしようもない。
とか言いながら、小2の少年は「そんなの関係ねぇ!」と「ラララライ体操」をリピート再生し続けていたわけで。
そこらへんの年代まではインパクトあって、シンプルさが重要なんだなぁと学習。
笑いってのはやっぱり奥が深いなぁ、でもやっぱり関西にも関東にも通用する笑いってあるわけだし、そういう笑いを作りたいなぁ、いやでもやっぱ東京の笑いは笑いとしてアリだろー、関西人の親父も好きだぜ、とか考えながらその日は眠りにつく。
そんなこんなで一日目終了。
二日目は結婚式。
次の日=24日にバイトを入れていた僕は、21時半京都発の最終で帰らなければならなかったのでかなりのハードスケジュールであった。
おじさんと祖母と共に式場のある福知山へ。
今回の結婚式は、親父の従兄弟の息子の結婚式である。
この従兄弟の息子に当たる人は、僕が小学校低学年の時に、なぜかは忘れたが芦田家に居候していてそこで色々遊んでもらった。
とは言うものの、俺はそれ以来会っていない。10数年経っている。
でも結構記憶にある。
つまり今回の結婚式参加の目的は、初めにも書いたが、長い間実家に顔を見せない親父の代わりに、仕事柄もう二度と会えなくなる可能性もある親戚一同に就職の報告を兼ね、成長した(=身体が大きくなった)僕の姿を見せることなのだ。
式場には「芦田」がいっぱいいて面食らった。
なんとなーく顔を覚えていた親戚のおじさんやおばちゃんは当然ふけていたし、僕の成長振りに驚いていた。
そりゃそうだ。
最後に会ったのが小学校の頃なんだから。
色んな人に「宏直(うちの親父)に似てきたなぁ」と言われ、「宏徳(親父の弟)にも似てるなぁ」と言われ、今回の京都旅行でずっと一緒にいた親父の弟=宏徳さん=おじさんには、「(僕が)兄貴(=親父)に似てきて気持ち悪いわ」と言われ続けた。
そして祖母に連れられ、色んな人に挨拶しに行った。
なんせ十数年ぶりに合う人たちだらけで、最初はアウェー感がぬぐえなかったが、今回結婚する人の親父さん(=うち親父の従兄弟)の奥さんは、でかくなった僕を見て、「大きくなった。よく来てくれた」と言って涙を流していた。
今回結婚する人の親父さんはだいぶ老けておじいちゃんになっていたが、僕は覚えていたし、むこうも俺を覚えていてくれた。
その人も目を潤ませながら、「よう来てくれた。テレビ朝日で頑張れよ。」と繰り返し繰り返し言ってくれた。
とにもかくにも、十数年間空白だった時間をこの結婚式の数時間で全て埋めてしまった感じだった。
特に僕の母が病気をしてから、我が家は全く京都に帰らなくなった。
親父が忙しくて帰れないのもあるが、元々親父が親戚とベタベタするタイプではなく、僕が物心付いてから一家で帰省するということはなくなってしまったのだった。
だから今回の結婚式では今まで全く感じなかった「血のつながり」みたいなものをヒシヒシと感じた。
東京で生活していては全く感じない京都にある「血のつながり」。
「親父の従兄弟」なんて言葉にしたら遠い感じがするし、実際遠いと思っていた。
でも実際は全然違って、親子のように僕の成長を喜んでくれ、涙を流してくれ、本当に心から、「就職してもがんばれよ」と言ってくれる。
そいう血のつながりを、22年間生きて来て、その日初めて感じた。
完全アウェイだと思って最初は気乗りしなかったけど、行って良かった。本当に。
ある親戚の人が、
「働くようになっても、こうやって福知山には太郎のことを応援する親戚が沢山いるんだって事を忘れちゃいかん。」
と言った。
その言葉には本当に心がこもっていて、本当に心から僕にその言葉を伝えようとしていて、僕はこれほど心のこもった本心から出る言葉を久しぶりに聞いた気がした。
ちょっと泣きそうになった。
本当にテレ朝で頑張ろうと思ったし、幸運な事にテレビ局の制作という仕事は、「~の番組のADをやっている」という風にわかりやすく、伝わりやすい。
一刻も早くエンドロールに名前が出るようになって、こうやって遠くで応援してくれている親戚の人たちに、僕の頑張りを伝えたい。
心からそう思った。
そして式は終了。
次に急ぎ足で向かったのは、うちの母親の親の家(うちの父と母は中学校以来の同級生)。
母方の祖母祖父にはだいぶ長い間会っていなかった。
だからおじさんが気を使ってくれて、連れて行ってもらう事になり、車で母親の実家へ。
そして何年ぶりかわからないが、久々の再会。
母親の実家にも非常に懐かしさを覚えたが、祖母祖父ともに年をとっていた。
二人とも本当に喜んでくれて、目に涙を浮かべながら二人そろって、「太郎に会えて生きるエネルギーをもらった」と言い、何度も僕の手を握った。
なんていうか、僕が生きているだけで、僕が顔を見せるだけで、こんなにも喜んで、涙を流してくれる人たちがいて、僕は本当に幸せ者で、この人たちの分まで一生懸命生きなきゃいけないと思った。
ちっちゃい頃は、「おじいちゃん」「おばあちゃん」っていう存在は、「おじいちゃん」「おばあちゃん」でしかなく、特に感じることも、思うことも無かった。
でも22歳の今、僕はあの頃より少し大人になった。
祖父祖母は僕が知っていた祖父祖母ではなく、確実に年をとっていて、僕が知っていた祖父祖母の方が数倍元気だった。
時は確実に流れ、祖父祖母は年をとり、僕は就職する年になった。
これまで生きてこれたことを感謝し、そしてこれから。
僕はまだまだ生きなきゃいけないし、やらなければならないこと、やりたいことがたくさんある。
祖母や祖父、そして親戚の人たちはそんな僕に期待してくれていて、とても温かく見守ってくれている。
だから僕は頑張らなきゃいけない。
今回の日記はすげー綺麗ごとだらけだけど、こんなことを本当に感じ、思ったから書き留めた。
普段東京で生活していたら絶対に感じられないものを感じ、思い、考えることができた非常に有意義な時間だった。
笑いの勉強もちょっと出来たしね。
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