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 ついに虫を見つけた ― 蓼科騒動記 2007年08月14日

●この日記は先の日記に続く(http://www.ashida.info/blog/2007/08/post_218.html#more)。

その後、リビングでの謎の“虫”探しが始まった。

『24』を見ている場合ではない。

まず、殺虫剤を20畳ほどあるLDKの壁沿いに吹き付けまくり、追い出す作戦をとった。

こういったときは、不思議な気分になる。出てきて欲しいが、出てきたらどうしようとも思う。見つけたいが、見つけたくもない。

ところが台所の左手から、その“虫”は出てきた。

虫(4).JPG

はじめてその虫を見とどけた瞬間だった。虫ではなかった。ネズミか、リスか。こんなものが私の耳元(あるいは肩)に飛んできたのだから、今考えてもぞっとする。

背中に黒い筋が背骨沿いに走っている。尻尾は細くない。リスかもしれない。顔はリストもネズミとも取れる(写真全体を覧下さい)。

しかしそんなことを我々は考えている暇はなかった。とにかく捕獲するしかない。

息子の太郎を大声で呼んで、「何とかしろ」。息子は、何を思ったのか、紙コップを持って挑もうとする。

「そんなもので取れるのか」と私は思ったが、何で取るのかは近づく者の権利。近づく者の選択に任せることにした。私は逃げるしかない。

しかし写真も撮らなくてはいけない。ミクシィ(MIXI)写真大賞を取らなくてはいけない。大写しにしたいが、近づくのも怖い。これでも200ミリの望遠レンズで取っているが、これ以上近づくのは“危ない”。

そうこうするうちに、台所の左側面の壁のところで、息子が紙コップで捕獲に成功。

虫(5)捕獲.JPG

「やったー」と私は大声で叫んだが、問題は、ここから。

壁と言ってもログハウスなので、平坦ではない。丸い円形なので、紙コップの縁と丸太壁との間には、隙間がある。できるだけ隙間のない状態で並行移動し、壁の末端のところで底辺に当て紙をする必要がある。

ゆっくりと移動しながら末端のところまで来たときに、リスネズミは、大暴れした。息子もびびったらしい。「逃げた」と息子。「隙間から逃げた。力がすごい」とも。「お前、感心している場合じゃないでしょ」と私。

すぐさま、追ったが、暖炉の奥に入ったまま(と私たちにも思われた)、出てこない。ふたたび殺虫剤を吹きかけまくったが、うんともすんとも言わない。「おかしいな、絶対ここにいると思うけど」と言いながら、逃げてから10分くらいは経っていた。

でも、あれは、ネズミか、リスか。家内は「リスよ」と言う。「ネズミはもっと尻尾が細いでしょ。色もグレーじゃない。茶系でしかも背中の筋に色が付いている」。

息子は日本史と就職活動には強いが、動物には弱い。私は哲学と現代思想には強いが生き物(動植物)に弱い。

リスか、ネズミか、そんなことはどうでもいい。私には、このログハウスの中に、人間以外の生き物が存在していることが許せない。『24』のテロとの戦いは、このリスネズミとの戦いに変貌していた。もうこのリスネズミを捕獲する以外に、『24』を安心して見続けることはできない。

しかし、その夜は、結局見つけることができなかった。息子はリビングのオープンスペースに面した中2階に寝て、私はリビングに面した和室に寝ている。家内はトイレに近いリビングにマットを高く積んでベッドを作り、そこに寝ている(身障者だからしようがない)。

したがって、この夜の危険性は家内が一番危ない(次には息子か)。しかし三人の中で、虫に一番強いのは彼女。「昔から、私のお父さんのねずみ取りには一番つきあってたから」と言うのだから、本人も納得している。

もう深夜の12:00を過ぎていたが、そんな話しをしている間にもあのリスネズミは物音一つ立てない。不気味だ。私は内心、今夜の内にもう東京へ帰ろうか、とも思っていた。

とにもかくにも今夜は「私が一番安心だ」と言って、その和室の扉(リビングと和室のさかいの扉)を閉めて寝ることにした。

興奮の一夜を収めて、眠りに入ったのが、深夜の2:00すぎ。安全地帯の和室で、前日に撮った写真をミクシィ(MIXI)の写真日記にUPしたり、コメントをつけたりして、またこの騒動自体を日記に報告したりしながら、眠りに就いた。

ところが数時間経って(あとで考えたら3:30くらいだったと思う)、私の耳にかすかな音が入ってきた。カタコト、カタコトと。

「何だ?」と思ってがばっと起きる。まるで戦時の逃亡者のような身速さだった(と思う)。私はいやな予感がしたので、すぐさま、息子の太郎を呼んだ。いるかいないか、わからないが、息子を呼んでおくに超したことはない。

「太郎、太郎」と叫ぶ。こんな時くらいしか役立たない息子なんだから、呼ぶしかない。

私の狼狽に同時に気付いた家内も、「太郎、起きて、お父さんが呼んでるよ」とリレー中継。

前回と同じように、殺虫剤を和室の四方に吹き付けたら、出てきました、出てきました、数時間ぶりのリスネズミ。

虫和室(7).JPG

「出たー、いたぞー」と叫ぶ私。なんで絶対安全だった私の部屋から出てくるのよ。そちらの方がショックだった。

ところが、太郎がなかなかやってこない。21年間育ててやったのに、役に立たない。家内は「太郎、太郎」と呼び続けているのに、まだ来ない。身体障害者の家内はもっと役に立たない。私は孤立している。

こうなったら、私とリスネズミとの関係を写真に撮るしかない。

追加虫和室(2).JPG

追加虫和室(3).JPG

追加虫和室tuika(1).JPG

写真を撮るのにも勇気がいるが、このリスネズミ、何で私の周辺ばかりを攻め続けるのか、疑問で疑問でしようがなかった。

そうこうするうちに、息子の太郎が、また紙コップで武装して起きてきた。私は新聞紙を丸めてたたき殺すことだけを考えていた。

この和室は完全な密室だから、閉じこめれば、こちらが完全に勝つ。一時は、リビングの玄関口に息子が追い込んで外へ逃がそうとしたが、それでもこのリスネズミは逃げようとしなかった。だから捕獲するしかない。

和室で隠れるところは、テレビとちゃぶ台の背後しかない。われわれは攻めまくったが、このリスネズミ、足が速い。人の布団の上まで縦横無尽に逃げまくった。

いちど、私の丸めた新聞紙の鉄槌が当たって、ひっくり返ってお腹を見せて倒れた。「やったー」と息子共々叫んだが、二人で近づくと、数秒後にふたたびころりと身を直し逃亡。手強い。

というか、蟻やゴキブリではないので、どうしても手加減してしまう。こんな大きな虫をたたきつぶして血だらけにしてしまうわけにもいかない。私にも少しは“心”はある。

息子の太郎がふたたび追い込んで、再び紙コップ作戦。捕獲に成功した。

虫捕獲(1).JPG

畳の上に、紙コップを立てたまま捕獲。ここからさきどうするのか。太郎は、このまま床を平行移動して外で連れ出そうとしていたが、それでは前回の二の舞になる。

そこで私は畳の床にガムテープを逆さに貼り(のり面を上にして)、その上にまでこのコップを移動させることにした。「太郎、ここまで移動させろ」と。これは、私の「実用新案」だ。

虫捕獲(3).JPG

そうやって、太郎が慎重に移動を完遂。見事に捕獲に成功。なぜか必要以上にガムテープをぐるぐる巻きにした。

ここから先、「どうするの」と私は自問したが、中を見る気もしない。殺す気も起こらないが、逃がす気も起こらない。いつまた私への耳元“攻撃”を仕掛けてくるかわからないからだ。

そもそもが、このリスネズミは私の周辺に異様な関心がある。絶対安心だと思われた和室にどうやって忍び込んだのか。一回目の紙コップ捕獲から失敗して逃亡したとき、すでに和室への侵入、待機は済ませていたのだろう。私が寝入るときにはすでに“そこに”リスネズミはいたのだ。そう考えるとぞっとして、とても逃がす気など起こらない。「冷たい」「残酷」と思う人は、自分がその立場でないからそう思うのだ。

すべてが終わったのが、早朝近くの4:30。この夜はほとんど寝ていないことになる。が、私はなぜか元気だった。興奮と安心感が同在していたからだ。

とりあえず、家内のそばにその紙コップを置いて、この1日を終えることにした。

朝、8:00くらいに起きると、麦茶用のガラスポットに紙コップが入れてある。家内に聞くと、「あの後、紙コップから音がしていたのでも私も怖くなって、ポットに入れたの」とのこと。

「そうでしょう、怖いのよ、このリスネズミは」と私は答えておいた。

12日の日曜日に帰る間際、私たちは、このリスネズミの墓を作ることにした。この日は私の53歳の誕生日。私はリスネズミの生まれ変わりか。

怖くて怖くて中を見る気にはなれなかったが、まさか土の中にガムテープまみれで埋めるわけにも行かず、中を恐る恐る開けてみた。かわいい顔をしたリスネズミが寝入るように休んでいた。「かわいい顔をしてるじゃないの」と私も一安心。これでこいつも天国か、そう思った。あれだけ大の大人三人を騒がせたのだから、このリスネズミも本望だろう。

虫埋葬(8).JPG

「『リスネズミの墓』2007年8月没」と記して、墓とした。ひょっとしたらまだ死んではいないかもしれないが(また地上へ出てくるかもしれないが)、その時はあきらめるしかない。

虫埋葬(11).JPG

その後、日曜日15:00くらいに私たちは帰ってきたが、自宅にもどってからひどい風邪を引いていることがわかり、この火曜日まで寝続けていた。これもリスネズミの怨念か。お盆の時に出てくる生き物は、死者の蘇りだ(だから大切にしなさい)と教えてくださった人がいる。あのリスネズミは私が18歳の時に白血病で亡くなった父親のサインだったのか。だとしたら酷なことをしたものだ。それでも怖かったのだからしようがない。後は冥福を祈るばかりだ。

※ところで、勝手に名付けた、この「リスネズミ」。いったいリスなのか、ネズミなのか。この種の動物に詳しい人、ぜひ教えてください。

※ところが、今わかったことだが、この生き物は、リスでもネズミでもなく、とんでもない生き物だった。この騒動は最後まで結末が見えない(15日am1:20)。

※この記事の顛末はこちら→ http://www.ashida.info/blog/2007/08/post_220.html

(Version 2.0)


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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