吉祥寺の夜 ― 「並の大」とは何か 2007年06月07日
今日(6日水曜日)の帰りは、インターネットプログラミング科の先生・呉石(くれいし)先生を誘って、彼の自宅の街、吉祥寺でラーメンを食べることにした。
というのも、家内が先週末から調子が悪く再発直前の状況で入院したため、外食のチャンス到来ということになり、呉石先生を職員室で見つけた途端、「呉石先生、吉祥寺へ行こう」と叫んでしまったのだ。
私は、吉祥寺とは目と鼻の先、南烏山に住んでいるが、吉祥寺には全く土地勘がない。呉石先生が吉祥寺に住んでいるというのは前から本人に聞いていたので、呉石先生頼みで吉祥寺を支配するつもりだった。
それには車の安全な駐車場(=機械式駐車場)をまず確保する必要がある。それも一年前から呉石先生に頼んでおり、「見つけてありますよ」との返事をもらっていた。
なぜ、そんなに呉石先生は私に親切なのか。わけがある。吉祥寺の駐車場を見つけておけば、自分(呉石)も、車で送ってもらえる、というのはもちろんのことだが、ときどき無理矢理かれを私の帰り道の高井戸でおろしてそこからふたたび井の頭線で帰らせることが何度かあったからだ。「勘弁してくださいよ」「これだったら、最初から中央線で中野から帰った方が早いじゃないですか」が彼の口癖。
吉祥寺で駐車場を見つけておけば、安心して帰ることができる(=送ってもらえる)。これが呉石先生の魂胆だった。
それもあって、今日、男だけの吉祥寺ラーメン会となった。駐車場は吉祥寺駅の北側徒歩3分くらいのところ。完璧な機械式でこれなら安心。大通りに面しているから酔っぱらいに絡まれることもない。私は一度こういった駐車場を見つけると何度でも来る癖がある。
「やったぁ。これで吉祥寺は私のものだ。呉石、毎日来よう」と叫んだら、「勘弁してくださいよ」とうなだれる呉石先生。「ジャイアン(私のミクシィネーム)だよ、本当に」と内心つぶやいていたようだ。
そこで呉石先生、御用達のラーメン屋に。
「どんなラーメンがいいですか」
「そりゃ、味を確かめるのなら、醤油ラーメンだろ、とりあえず」
「醤油って言ったって、豚骨系とか…」
「そんなのあるわけないだろ、醤油は醤油だろ」
(このあたりで2分は歩いた)I
「おい、どこだよ。歩かせれば歩かせるほど、おいしいラーメン屋に連れて行かないと怒るよ」。
「どうしようかな」と言いながら急に細い道に入ったら、そのラーメン屋。
『ホープ軒』とある。呉石先生によれば「超有名な店」らしい。
ところが夜の8時前後だのに、店には客が3人しかいない。チャーシュー麺を頼んだが、一口食べたら、途端においしくないのがわかった。このラーメンのどこが醤油なんだよ(何ラーメンであれおいしくない)と腹が立って、食べている間は、呉石先生とは一言も話さず黙って食べていた。
外に出た途端、「どこがおいしいのよ。ふざけやがって。わざわざ学校の帰りに車で来て食べるほどのラーメンじゃないでしょ。次の店紹介しろよ」
「えっ、まだ食べるんですか。僕はもう無理ですよ」
「若いくせにもう食べれないの。だったら、家に帰って口直しのフランスパン食べるから、パン屋連れてって」
「駅ビルに行くしかないですね」
「じゃあ行こう」
パン屋ではフランスパンが売り切れていてチーズ付き(「フランス小麦のケーゼブロート」840円)しかなかったが、まず、それを手に入れた。
しかし吉祥寺は8時過ぎでも駅ビルが明るいし、若い子も多い。歩いているだけでも楽しかった。気持ちが浮き浮きしてきたので、急に口直しのフルーツゼリーが食べたくなり、『吉祥寺ロンロン』でモロゾフのグレープフルーツゼリー(240円)を買う。
「今日から二日以内にお召し上がりください」「どれくらいでおうちにお帰りになりますか」と決まったように(親切ぶって)若いアルバイトの女の子が語りかけてくるので、「すぐに帰るけれど、倒れてもこぼれないように袋に入れてセロテープでがんじがらめにしておいてください」と言ってみた。
袋に入れてくれたが、入れつつ、「倒さないようにしてください」と私に言って、セロテープに手をかけた途端、そのお姉さん自体がゼリーの入れ物を倒してしまった…。私と呉石先生はお互い顔を合わせて、笑いをこらえた。
「失礼しました。ゼリー変えます」ともう一度陳列しているものと交換。
その店を離れてから、「やっぱりなれないことさせると失敗するよね」と私。「いやー、僕も何かやると思っていました」。
「私はね、マニュアル通り客対応している娘をみると必ず予想もしないようなお願いをすることにしているのよ」
「いやな客ですねー」と呉石先生。
そう言いながら、駐車場へ向かっていると、なんと吉野家を見つけた。吉祥寺で吉野家。いいではないか。「おい入ろうよ」「えっ、まだ食べるんですか。無理ですって」「何言ってるんだよ。そんな豚みたいなカラダして。『並』なら食べれるだろ」
「無理ですって。持ち帰りにすればいいじゃないですか」
「そんなのおいしくないだろう」
「僕、外で待ってますから食べてくれば」
「1人じゃ寂しいだろ」
「いいじゃないですか」
「じゃあ、俺は中で食べるから、お前は中で持ち帰りを頼めよ」
それで久しぶりの吉野家の牛丼となった。
「久しぶりの吉野家の牛丼」と言ったが、これがいけなかった。
座った途端に、店長ふうの落ち着いた人が注文を取りに来た。私も落ち着いたふうに、なぜか「並の大」と言ってしまった。変な顔をされたので、この人、店長にもなって「並の大」がわからないのか、となぜか内心怒ってしまって、「並の大」と大声で2回目を言ってしまった。店長ふうの人、無言でどうしたらいいのかとまどっている。
私はその沈黙の意味を0.5秒わかるのが遅かった。隣の呉石先生は、何を言う、この校長、という感じか。
私には0.5秒がフラッシュモーションのように見えた。自分が言ったことがとてつもなく恥ずかしいことに気づいたが、もう遅い。どぎまぎして、「並のカツ丼」と再び大声で“訂正”した。なんとしたことか。大まじめに言ってしまった。
「カツ丼はありません」とまたその店長。私がそのつどくそまじめに言うので店長もとまどっている(私が正気かどうかをはかり損ねている感じだった)。私はもっととまどっていた。もう恥ずかしさを通り越していた。呉石先生は、どうなったの、この校長、という感じでポカンとしている。
たぶん吉野家に入って、酔ってもいないのに「並の大」と言い、それを訂正しても「並のカツ丼」と言い間違う客は有史以来ではなかろうか。私はいまだにその店長風の店の人の唖然とした顔を覚えている。馬鹿にしたり笑う前に、判断がつきかねるという表情だった。
この間、ほんの10秒くらいのできごと。なれない夜遊びをしている自分の空虚な一瞬だった。
いつも急いで夕飯を作りに帰っている時間が狂って、なれない夜、なれない吉祥寺がその数秒間で爆発した。
「並の大」って、どんな盛りだよ。吉野家で「カツ丼」が出てきたらどうするのよ、と自分でも大笑いだ。吉祥寺は新宿と渋谷を足して2でわったような感じの街か。楽しい吉祥寺の夜だった。
呉石先生、今日は一日お付き合い、ご迷惑をおかけしました。今度はもう少しゆっくりと吉祥寺を散策しましょう。今度こそおいしいラーメン屋を探しておいてください。
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墨田区の白髭団地の下にある珉珉(みんみん)のラーメンは最高ですよ。
醤油東京ラーメン。
取材拒否の店ですので、あまり混んでいないです。
5人くらいの列を待てば食べれます。
ぜひ、一生に一回は行ってください。スープ、麺、ネギ最高です。
2ちゃんでスレもたってますが・・・
「並の大」と、なぜ言ったのか、今でも分からない。あの日以来考え続けているが…。
一つ考えられるのは、その日はラーメンをすでに食べていたので、いつもは大盛りか特盛りを頼んでいたが、それを食べてはいけないという気持ちが、並を頼まなければいけないけれど心の奥底では大盛り。それを一言で言えば「並を頼むけれど本当は大盛り」→「並の大」となったのだと思う。
もう一つの謎。「並のカツ丼」という言葉。
これは、狂牛病騒動以来、吉野家は豚丼を出していたから、単に並と言っただけでは分からないかもしれないと思い、豚丼じゃないよな、豚丼じゃないよな、と心で繰り返す内に、豚丼じゃない=カツ丼となり、「並のカツ丼」と叫んでしまったということだ。普通、どんぶりと言えば「カツ丼」だろうから、そうなったのだと思う。
それにしても奇妙な数秒間だった。疲れていたのか、浮かれていたのか、ラーメンがまずすぎたのか。吉祥寺、激動の1時間だった。
久しぶりに感想を書きます。
テラハウスの社会人元受講生です。
並:牛肉(又はご飯)の品質(?)のこと。上、中、並といったところですか。
大:量のこと。大盛、中盛、小盛。
と考えると違和感がありません。
最も吉野家に並というのはないと思いますが・・・・。
寿司に近いでしょうね。
意外と新商品になるかもしれません。
女性客などは、小盛で十分ですから。