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 だんだん卒業式が近づく ― 1年の中で一番憂鬱な季節がやってきた 2007年03月14日

いよいよ今週16日金曜日は卒業式。一年間の内で、3月の卒業式、4月の入学式は私にとっては一番憂鬱な時期だ。式辞があるからだ。

私は、式辞を語るときには原稿を読み上げない。そもそも式辞は校長という職責にある者の講義。式辞で講義を行うのが校長という存在。卒業するまでにたった2回(入学式、卒業式)の講義ですべてを伝えなければならない。しかも学校の全知性を代表する講義でなければならない。入学式式辞は最初の講義。卒業式式辞は最後の講義。そんな重要な式辞で原稿で読み上げるなんてサイテーの校長だ。 大概の式辞は、原稿で読み上げるくせに月並みな根性論か努力論か心理的な激励で終わってしまっている。そんな月並みなら、原稿で書くことはないだろう。原稿で書くならもっと世俗を超えた式辞をやれよ(ここまでは独り言)。

だから私はすべてそらで話し続ける。原稿を読み上げるほどの超一級の内容はまだまだ語れない。大体30分くらいか。原稿はもちろん用意するが、MS-Wordのアウトラインモードを使い、何度も何度も書き直す。頭にたたき込んで、演壇に立つが、立った瞬間にすべて忘れている。大概は、考えていたことの3割か4割しか話せない。

実際では3割か4割しか話せないから、200%、300%くらいのパワーのあることを考えないとまともな話ができない。

大概の場合、後悔しきり。話す前も憂鬱、話した後も憂鬱。ろくなことはない。今年も先週から憂鬱モードに入っており、今、学内では「卒業式」という言葉は私の前で禁句になっている。

講演ならPowerpointを使えるから、るんるんで話ができるが、式辞にPowerpointを使うわけにはいかない。式辞は話すことそのもののような儀式だから、たぶんその人間の知性がそのまま浮き出る。普段意識している知識はほとんど役に立つことはない。読んだことも忘れていたような本の内容が突然わき出てきたりする。それも式辞の数時間前だったりする。浮かぶ直前までは、何と自分は薄っぺらな人間であることかと反省しきり。そうなるともはや式辞は賭けみたいなものだ。式辞の当日は平成の関東大震災でも起こって関東全域、日本全域が沈没すればいいのに、と思ったりもする。

今年も後、2日。どうなることやら。もちろんまだ何も浮かんではいない。

ちなみに昨年の卒業式式辞は以下のもの。これも当日の朝、中野区の南台交差点を横切った黄色いレガシーを見てふと思いついた内容が元になっている。この式辞を昨年語ったときには、もはや来年のネタは絶対に出てこないだろう、と思っていた。そして後2日後にその卒業式がやってくる…


● 2005年度卒業式式辞 ― イノセントであってはならない。

「古畑任三郎」で有名な脚本家・三谷幸喜の作品で『ラヂオの時間』という佳作(点数で言うと68点くらいの映画)があります。

主人公はラジオ番組の脚本作家です。若き三谷幸喜の分身と思われるその脚本家は、自分が渾身の力を込めて書き下ろした脚本に絶対の自信をもっています。でもプロデューサー(やディレクター)レベルでは、真っ赤っかに訂正の赤が入れられ、見るも無惨に原稿は修正されます。

若き脚本家は、こんなに直されるくらいなら、私の名前なんか出さないでいい、原稿もなかったことにして欲しい、なんてことを言い出します。新人であっても作家のプライドが許さない、というものです。

するとプロデューサーは半分怒りながら、こう言い始めます。あなたが本当に個性的で創造的であるのならば、どんなに手を入れられようと、修正を加えられようと、その中でも光り輝くものがあるはず。どんな有名な作家であっても、新人時代は原稿をいじられまくってそれでもそれに耐えて光る“自分”を有していた。

作家の“個性”とか“創造性”とか“オリジナリティー”とか言うけれども、そんなものは、実はいつも泥だらけで、泥だらけだけれども、その泥の厚みを跳ね返しても輝き続ける個性というものがある。

私の個性、私の特徴、あるいはそして〈私〉などというものは、純粋無垢なものではなくて、泥だらけであって、いつも対立を孕んだもの、ダイナミックで闘争的なものだというのを忘れてはならない。

そんな感じのシーンだったと思います(全くのうろ覚えですが)。かなり私が勝手にまとめていますが、『ラヂオの時間』のそのシーンは印象的でした。

同じ事を別の局面で考えてみましょう。

今から20年ほど前、日産で“BE1(ビーワン)”というクルマが大ヒットしたときがありました。

このクルマの特徴は、その色にありました。

黄色がそのイメージカラーだったのですが、どうやってその色が決まったかというと、その社外デザイナーは(たしか、このクルマの企画開発は社外のマーケティングチームによって遂行されていた)、「クルマの色の中で使われていない色は何?」と聞いたらしい。社内の関係者は「黄色かな」と答えた。

「よしでは黄色にしよう」と、黄色のBE1が決まったわけです。黄色といえば、今となってはレガシーの美しい黄色のように当たり前のようにマーケットに受け入れられていますが、その当時は本当に珍しかった。狂気じみた色でしかなかったのです。

社内の企画関係者のすべてを敵に回して、あるいはマーケットの常識的な感性を全て敵に回してBE1の黄色が決まり、結果、BE1は大成功を博した。

言い換えれば、黄色は、いわば“泥だらけの”黄色だったわけです。

同じように最近はiPodに押されがちなウォークマンですが、世界を席巻したこの商品も最初は誰ひとり社内で支持する者はいなかった。

当時カセットテープを使った機械というのは、すべて“テープレコーダー”という商品であり、カセットテープを利用した機械は録音機ではあっても再生機ではなかった(再生するということが中心ではなかった)。

約25年前にこのように登場したウォークマンは、はじめて再生専用の機械としてこの世に登場したわけですが、再生専用という“概念”がまだ誰にも理解されていなかったのです。つまり音楽(“ステレオ”)は自宅で、自宅のリビングでくつろいで聞くものだということ。そうみんなは思いこんでいた。ソニー社員のみならず、マーケットのど真ん中にいる私でもそう思いこんでいました。

新しいものが好きな私でも、さすがにこのウォークマンだけは手を出さなかったのです。私の後輩の学生が福島かどこかの実家へ帰郷したときに、このウォークマン初代機をさっそく買って使ったときの感想を今でも覚えている。

「芦田さん、このウォークマンさえあれば、どんなに長い旅の乗車も退屈しませんよ。2時間や3時間はあっという間に過ぎてしまいます」と興奮しながら話していたのを思い出します。

社内では誰ひとり賛成しなかったウォークマンも、ひとり盛田社長だけが「出してみようじゃないか」と支持したらしい。そうやって、“多数決”では明らかに負けてしまう社内環境の中で、ウォークマンは誕生し、世界風俗にまで成長していく。iPodもこの盛田の孤独な決断(=泥だらけの決断)なしには存在し得なかったのです。

会社の特徴やコアとなるコンテンツの形成は、あとからみれば理路整然としているし、すでに社会現象になっている状態では、すべてがそうなるべくしてそうなった、というように“説明”されたりもします。マーケティングや経営学の本でも“成功事例”の王道のように語られもします。

けれども実際の生成過程は紆余曲折ばかり。“泥だらけ”の過程だと言えます。

逆に言えば、社内に対してであれ、マーケットに対してであれ〈対立〉(やある種の受動性)を担わないような提案は、決して大きな影響力を与える仕事にはならないということです。

発達心理学には、“イノセント”という言葉があります。

この語は普通「潔白(無罪)」「無邪気」「無垢」「うぶ」と訳されたりします。

しかし心理学的には、この語は、親を否定したいという気持ちの青年期の心象を意味しています。

〈親〉は〈子供〉にとっては受動性(有限性)の最大の徴表です。〈子供〉は〈親〉を選ぶことができない。

だからどんなに自立しようと〈自我〉を形成しようと、そういった自立的自我は、親の存在の前では単なる幻想であって、自我の自立性は親の存在を前にしていつも相対化されます。

そうやって、人間の自立過程期では、「なぜ自分はこんな親の元に生まれたんだ」というふうに親を拒絶する傾向が強くなる。逆に言えば、いつも“純粋な自分”があると信じ続けている。あるいは純粋な、汚れなき自分になり続けようとする。

この状態を「イノセント」と言います。

「イノセント」とは、自分の受動性(や有限性)の側面を受け入れようとしない傾向のことです。

それに反して「大人になる」ということは、たとえ、飲んだくれで、お金を一切入れようとはしないふしだらなお父さんであっても、「この父でよかったんだ」とその父を受け入れることができるようになることです。どんなに“能力”のない親であっても、「お父さん、お母さん、私を生んでくれてありがとう」と言えることです。それを「大人になる」と言います。

子供が成長して自立する、大人になるということの最大のポイントは、自分の自由やポジティビティを阻害するものを、イノセントな仕方で排除せずに、きちんと担えるようになるということです。

『ラヂオの時間』の若き脚本家は、だからイノセントだった、と言えます。またそれとは反対に最初から“敵”を意識してそれを担おうとした“BE1”のマーケターやソニーの盛田社長たちは、“大人”だった、と言えます。

みなさんが、“社会に出る”というのは、そう言ったイノセント状態から脱皮して「大人になる」ことを意味しています。

このことと関連して、最後にもう一つだけ約束しておいてもらいたいことを言います。

これから入社式後の4月を迎えて、新人研修で忙しくなり、その後も(新人であるが故に)覚えなくてはならないこともたくさんあって、必ず「時間がない」と言うようになります。

そして、仕事を覚えて、ノウハウも蓄えて、そこそこの仕事ができるようになった後でも「時間がない」というようになります。そして、「時間がない」というだけではなく、「時間(とお金)があれば、もう少しいい仕事ができた」とまで言うようになります。

これは間違っています。こんなことを言ってはいけない。今日のこの日をもってわが卒業生たちは「時間がない」と言わないことを約束して下さい。

どんなプロの人間でもいつも時間がないこととお金がないこととの中で仕事をしています。6割、7割の満足度で仕事を終えています。悔いが残ることの連続です。プロの仕事というのは実は悔いの残る、不十分な仕事の連続なのです。

一見、すばらしい仕事に見える。お金もふんだんに使える、時間もたっぷりかけている、スタッフも充分だ、と外部から見えているにしても、プロの仕事には、それでいいということはありません。不満だらけで(穴があったら入りたいくらいの気持ちで)仕事を“終えている”。しかし外部評価は及第点を取れている。それがプロの実際の仕事のあり方です。

それは、どういうことでしょうか。

結局、6割、7割でも外部に通用するようなパワー(強力なパワー)を有しているというのが、仕事をするということの実際だということです。

皆さんが尊敬するプロの仕事は、その仕事をするための充分な時間(とお金)が与えられてできあがっている、と思ったら大間違いだということ。

「時間とお金があれば、もっといい仕事ができるんだけどな」というのは、だから“イノセント”だということです。そんな純粋な時間もお金も実務の現場には存在しません。時間もお金も実際は“泥だらけ”なのです。

6割、7割の時間とお金でも仕事ができること。それがみなさんがこの2年、3年、4年と、わが校の卓越したカリキュラムと先生たちによって勉強してきたことの本来の意味です。

〈能力〉とは60%の力で人々を満足させることのできることを言うのです。

みなさんがここ数年で学んだこと、知識と技術を身に付けたこと。それはまさに「お金と時間がない」ときにはどうすればいいのか、という知恵を付けたことにあります。そもそもそれが“勉強する”ことのもっとも実践的な意義です。

だから、みなさんはすでにイノセントではない。今日の卒業式を迎えて、もはやイノセントではあり得ない。

4月から始まる社会人1年生のあなたたちは、1年生であってももはやイノセントではありえない。「時間がない」と言ってはいけない。「お金(予算)がない」と言ってはいけない。そしてまた40%もの“赤入れ”にも耐えて、そういった“対立”や“否定”をしっかりと担える人材になって下さい。それが私がみなさんに言い渡さなければならない最後の言葉、東京工科専門学校の最後の授業の言葉です。

今日は本当におめでとうございます。これをもって祝辞に代えたいと思います(2006年・3月15日 於・中野ゼロホール)。


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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