『永遠の嘘をついてくれ』映像を今頃見つけました ― やっぱり拓郎と中島みゆきは“できている"… 2006年11月18日
かなり前の私の、拓郎&かぐや姫つま恋コンサートについての記事(http://www.ashida.info/blog/2006/09/_2006_1.html)に関連して、You Tubeが、『永遠の嘘をついてくれ』の映像を開放していることを今知りました(http://www.youtube.com/watch?v=-dEPiwVphPM)。再放送もみることが出来なかったので、始めて今見ましたが、やっぱりこの二人はあやしいことを確信しました。中島みゆきの目つきと立ち姿が異様です。じっくり見てください。
「永遠の嘘」をついているのは拓郎です。この詩のポイントは、「永遠の」の「の」にあります。永遠に嘘をついてくれ、ではなくて「永遠の嘘」をついてくれ、となっています。つまり嘘は、ただ1回の嘘(2回目の嘘がない1回)。大文字の嘘であるわけです。聖書のことをThe Bookという意味で言えば、この「嘘」は、「The 嘘」(嘘中の嘘)ということです。
それは“拓郎神話”のことを指しているのです。拓郎神話=「The 嘘」です。
中島みゆきのなみなみならない“恨み”(自分をもてあそんだ男への)がこの歌に込められています。これを見越して、この歌を歌い上げる拓郎は、やっぱり立派、なのではなくて、女性としての中島みゆきに依然として子供のように甘えているだけです。
それが中島みゆきのこの目つきと立ち姿の異様に現れています。それがわからない人は男女の出会いと別れがわからない人です(私だってまだまだ何もわかっていませんが)。「うっそー」なんて言っている場合じゃありません。
私は、このステージに二人が並んで立っているのを見ると、切なーい気になります。ぞーっとする一方で笑いたくなり、10秒ほどたつと笑えるわけないじゃん、と思って切なーくなります。
※なお、拓郎の2005年ライブは(それなりに)サイコーですよ。是非見てみてください。
(Version 3.0)
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ミクシィ(MIXI)でも同様の記事をUPしたところ、以下のような反応が得られました。一部まとめて報告しておきます。
ミクシィ(MIXI)反応①
なるほど!
何か納得して読んでしまい、映像もみてしまいました。
ミクシィ(MIXI)反応②
2回も映像見ちゃいました♪
とても引きこまれる・・
中島みゆきが拓郎への思いを書いた詩であるなら、過去にこんな思いもあったけど今は拓郎にこんな感情があった?と歌詞の内容は自分の感情ではないと否定するような冷めた雰囲気と感じますね。 拓郎は過去を引きずっている?
中島みゆきが断然カッコイイ
芦田さん、浅いですかね??
●私の返信
いやー、引きずっているのは、中島みゆきの方だと思いますよ。でなければ、この歌は作らなかったでしょ。普通の女性なら泣いて済ませるところをクリエータらしい抵抗として作品として残した、そして捨てた男に捧げた…。こんな感じでしょう。
拓郎がそれを受け止めたのは、抱いた女への単なる優越感からだけのことですよ。というか黙って歌わないままだと「永遠の嘘」つきであることを(二人の間で)認めてしまうことになりますから、それをパロディ化(真剣に歌うことによってパロディ化)するしかない。だから拓郎は歌った。
中島みゆきの方からは、拓郎に歌わせた、ということでしょう。というか、歌わざるを得ない、と思っていたのではないでしょうか。歌わないことは(「永遠の嘘」つきであることを)認めることですから。
だから、この歌の“やりとり"は複雑なんですよ。拓郎は真剣に歌わざるを得ない。その姿を中島みゆきは受け止めることも拒否することも出来ない(拒否は未練を意味する)。結局傷ついているのは中島みゆきです。
男は女性を(人前で)振ってはいけません。男が美しいのは捨てられるときであって、女性を拒絶してはいけないのです。貴乃花(→宮沢りえ)も小室哲哉(→華原朋美)もサイテーの男です。そういう離別は女性に一生深い傷を残す。
中島みゆきにはつらーい歌だと思います。本当は作るべき歌ではなかったのです。作ったのは、彼女のクリエータとしてのプライドだったのでしょう。それが逆に傷を深くさせた…。つらーい、つらーい歌なのです。
ミクシィ(MIXI)反応③
ん~。何度か見ましたがわかりませんでした。
指揮者の人の姿が異様に大きい気がしましたが。
●反応③への返信
「指揮者の人の姿が異様に大きい気がしましたが」。
その指揮者は瀬尾一三( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B0%BE%E4%B8%80%E4%B8%89 ) と言います。
知る人ぞ知る名プロデューサー(アレンジャー)です。今回のライブや2005年のライブ( http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=2578229&id=446349 )でも拓郎の作品とストリングスを見事にアレンジしています。ぜひ2005年のライブのDVD( http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=2578229&id=446349 ) を聞いてみてください。
拓郎ファンでない人でもこのDVDに収められた歌は好きになります。もし拓郎ファンでもない人が拓郎の歌を好きになったとしたら、この瀬尾一三のアレンジのおかげです。
ミクシィ(MIXI)反応④
わかりました!
芦田さんのおっしゃる通りでした。
あのコンサートの映像が頭から離れなく調べちゃいました。
そうしたらこんなサイトを発見しました。芦田さんの解釈が正しいことを裏付けています。
↓
http://www.begets.co.jp/doda/archive/064.html
また映像見たくなりました。
吉田拓郎さんと中島みゆきさんの関係は良く知りませんがこの曲は拓郎さんの数ある名曲の中では特に異彩を放っている曲だと思っています。
拓郎さんの字余り早口言葉風の唄に中島さんの詩が乗ること自体、40代後半の私にとっては違和感大有りですね、しかも詩の内容は中島さんワールド全開だし・・・
辛くて暗くて寒~いという中島さん一流の世界ですよね。
それでもこの曲は名曲です、つま恋のライブを見て改めてそれは感じました。でもつま恋での中島さんは正直キモかったというか怖い・・・と同時に拓郎さんは還暦過ぎてもカッコ良いオヤジで、イイ年のとり方してるなと思いましたよ。
こちらにも記事を見つけましたので、投稿してしまいますが。
しつこいですか。ごめんなさい。しかし、書いてしまいます。
中島みゆきの目つきと立ち姿が異様ですか? そうですか?
中島みゆきは”いつも異様”ですよ・・・。
彼女は、非常にナルシシズムの強いアーティストですから・・・。
まあ、アーティストやシンガーは皆、ナルシシズムが強いですけど。中島みゆきは特に凄いですね。他の映像も御覧になってはいかがですか?
「永遠の嘘をついてくれ」は拓郎側が、中島みゆきに制作依頼した歌です。若い頃の中島みゆきは、吉田拓郎のフォロワーでした。
中島みゆきの才能は、いわゆる”吉田拓郎らしい歌””拓郎っぽいメロディー”を生み出すことが出来ます。拓郎が好んで歌う「ファイト!」なんかも、そういう傾向があるでしょうか。
吉田拓郎のファンであり、”追っかけ”までやった中島みゆきは、拓郎と同じくアーティストとなって、或いは、同じ業界で接触していくなかで、”吉田拓郎”は、自分が昔に偶像化して憧れたいた”吉田拓郎”ではなかったと既に分かってはいるけれど、それでも、自分が勝手に偶像化し憧れた”吉田拓郎”であって欲しい、そういうメッセージを、拓郎側から制作依頼されて創った歌に込めたのではないでしょうか。というのが私の解釈です。
拓郎は、昔から自分のイメージが勝手に作られることを嫌がってます。でも、同じアーティストからのこの独善的なメッセージは、結構心地よく感じていて、それで、自らを振り返った30年ぶりの”つま恋”で競演の運びとなったのではないでしょうか?それだけでも充分ドラマティックですが・・・。
いづれにしても、「永遠の嘘をついてくれ」は男女の愛憎のみを歌ったものではありませんよ。男と女の事は字面上の表現手段でしかないと思います。中島みゆきが吉田拓郎に弄ばれたことへの恨み?非常に表面的な解釈ですね。これが分からないと男女の出会いと別れが分からない人ですか・・・。
何十年も”吉田拓郎”を聴き続けて、見続けた人達の解釈はどうなんでしょうね?自分の青春を”吉田拓郎”或いは”よしだたくろう”と一緒に生きた人達は、どう解釈するんでしょうね?
男女の出会いが分かる、分からない以前に、芦田さんは、”吉田拓郎”が分かっていないんじゃないですか?
御無礼を承知で、かなり嫌味な言い方をしました。御気分を害されたら申し訳ありません。
ただ、”吉田拓郎”の熱心なファンとして、”吉田拓郎”を聴き続けた者として、芦田さんの独善に対し、物申し上げる次第です。
忙しいときに、こんな面白いコメント、止めてくださいよ(笑)。
「永遠の嘘をついてくれ」は吉田拓郎では絶対に書けない詩です。曲は歌う吉田を意識して作られていますが、この詩は拓郎には書けない。拓郎らしくない歌です。体育会系の歌ではない。時にはロマンチックなそぶりを見せる拓郎の詩でもない。
「これが分からないと男女の出会いと別れが分からない人ですか・・・」。
そうだと思いますよ。そうでないとしたら、あなたは、この詩をどう解釈するのですか。それを教えてください。
私は拓郎を批判などしていませんよ。誰にでも、こんな事は起こるよな、と思ってるだけです。
歌(=詩)というものは、特異なことを語るものではなくて、そこにあるものを語るときにこそ、美しい。
だから、記事でも書いたように、世の中の女性は、男達すべてに「永遠の嘘」をついてくれ、と内心思い続けている、ということです。そう思うと人ごとではいられない。
いい歌です。褒めている、ということをなぜあなたはわからない。
初めまして。一度拓郎とみゆきはできているという妄想に取り付かれた人には何を言っても無駄でしょうが、昔から両者のファンであった私には、それは考えられませんね。
みゆきの目つきと立ち姿で判断されたのなら見当違いです。
演劇仕立ての「夜会」なるものを長年やってるみゆきは、歌っている時にその歌に入り込んだナルシズムな表情をするのは、いつもの事です。
又、歌詞についてですが、自分の経験や考えてる事しか歌詞にしない拓郎と違って、みゆきは嘘と本当を上手く織り交ぜて、さも本当であるかのような物語を歌の中で作り上げるのが非常に上手い(プロデューサー談)。
冒頭のニューヨーク云々なんて拓郎とは全く無縁に感じるわけ
で、私はむしろ過去みゆきと親しく噂のあった某アーティストのことじゃないかと思ったぐらいです。
確かに、みゆきは拓郎のファンだったのですが、拓郎と対等にちゃんと喋ったのは、この歌を依頼された時が初めてだったようです。それも二人共通のカメラマンを通してです。
>拓郎&みゆきファン様
あなたがファンなら、もっと「歌詞」を良く読んでみなさい。「プロデューサー談」だとか「二人共通のカメラマンを通して」などとくだらない近親の話を持ち出しながら(無能な芸能レポーターがよく使うモードです)、詩自体に向かおうとしてないのは、むしろあなたの方じゃないですか。
私は、この詩を通して、中島みゆきと拓郎はやはり“関係”があったのか、と思ったわけです。
それはこの歌の歌詞の喚起力を通じてであって、それ以外にはありません。
「自分の経験や考えてる事しか歌詞にしない拓郎」。これもひどい言い方です。みゆきの「ニューヨーク」がレトリックなら、拓郎の「アジア」もレトリックでしょう。「みゆきは嘘と本当を上手く織り交ぜて」と言うのなら、あながちこの詩も嘘ばかりではないとあなた自身が認めているわけでしょ。
だったら、あなたはこの詩の中でどこが嘘でどこが本当かを「プロデューサー談」を超えて、一つの歌詞論として提示すべきです。
私は、(たとえば)それを「永遠の嘘」の「の」の使い方に読んだわけです。1人のみゆき、拓郎ファンとして。
ファンを標榜する前に、歌そのものに向かうべきです。それがファンの努めというもの。「プロデューサー談」だとか「二人共通のカメラマンを通して」などと知ったかぶりをしている場合ではありません。
芦田さんが、単に歌の歌詞から彼らの関係を妄想してるのに対して、私は長年彼らのファンであったゆえに知り得た彼らの発言などから(ラジオ、ライブのMC)言ってるわけです。
「自分の経験や考えてる事しか歌詞にしない」云々は拓郎自身が言ってる言葉です。「二人共通のカメラマンを通して」というのも、拓郎自身がこの歌をみゆきに依頼したいきさつを喋っているのです。
みゆきの「ファイト」を気に入っていた拓郎は、カメラマンを通してみゆきに歌の依頼を頼んだ。呼び出して会った店で(カメラマンも同席)みゆきが歌を作りにあたり「拓郎さんは最近どんな生活をしてるんですか?」と聞いたので、拓郎は、毎日庭の手入れをしたり鳥に喋りかけたりといったチマチマした日常のこと等を酒のせいもあって色々喋ったそうです。
そして、でき上がった歌詞を見て「う~ん、やられた、こうきたか。俺はみゆきに色々喋りすぎた」と思ったそうです。実際、この歌のいきさつから、昔拓郎に憧れてたみゆきが、やる気を失って行き詰まっている拓郎に喝を入れた歌だとして快く思ってない拓郎ファンも今までいたくらいです。
歌そのものに向かうべきって・・・あなたは結婚してるシンガーソングライターが、切々とした不倫の歌を歌っていれば、実際その歌手が不倫をしてると思うのですか?それこそ、無能な芸能レポーターと変わらないじゃないですか。
私は、みゆきは拓郎のファンでもあったし、拓郎に対してある種の愛情も感じていたと思います。だからこの歌詞ができたのでしょう。しかし、あなたが言うような関係ではなかったと思います。
大体、昔別れた(捨てた?)女に公然と歌を作ってくれなどと依頼しますか?まるで昔別れた女に金を貸してくれと頼んでるのと同じじゃないですか。そういう関係ではなかったから頼めたことでしょう。
また、昔からの拓郎ファンなら当然知ってる「公然の秘密」だなんて、知ったかぶりも甚だしいです。古くからの拓郎ファンを大勢知ってますが、こんなことを考えてる人は知ってる限り一人もいませんよ。昔、みゆきが拓郎のファンだったという以外には聞いたこともありませんね。
>拓郎&みゆきファン様
あなた、何も分かっていないなぁ。とりあえず、歌詞の意味から逃走したがるあなたの尻馬に乗りますよ。
もし拓郎とみゆきの関係がほんとうにできている関係なら、「いきさつ」にすり替えることはいくらでもあります。もし拓郎とみゆきの関係がほんとうにできている関係なら「できている」ことなんて誰にも言いませんよ。それは、ふつうの男女の関係です。何でもかんでもミクシィ(MIXI)に語りたがる時代の男女じゃないですよ、拓郎とみゆきは。私とほぼ同時代なんだから。
そばにいても、わからない男女の関係なんていくらでもあります(あなたが分かっていないだけ)。男女の関係なんていつでもそうですよ。
あなたが仕入れているカメラマンの話というのは、誰でも知っている話ですよ。「遺書のような曲を」作ってくれ、って拓郎がみゆきに頼んだ、という話でしょ。
その経緯もよく知っていますが、それはますます私の詩の解釈を補強する材料であって、反証材料ではありません。私からすれば、それは拓郎の自己精算ですよ。
「あなたは結婚してるシンガーソングライターが、切々とした不倫の歌を歌っていれば、実際その歌手が不倫をしてると思うのですか?」
この歌は不倫の歌ではないですよ。どこでそんなこと私が言っていますか。あなたが「芸能レポーターになっているのです。それに不倫に“関心”のない歌手が不倫の歌など歌うはずがない程度には、疑いますよ。それは普通のことです。
「私は、みゆきは拓郎のファンでもあったし、拓郎に対してある種の愛情も感じていたと思います。だからこの歌詞ができたのでしょう。しかし、あなたが言うような関係ではなかったと思います」。
「あなたが言うような関係ではなかったと思います」と、またあなたはくり返して、何一つ歌詞に向かわない。私もすでに知っているネタを使っているだけ。
「大体、昔別れた(捨てた?)女に公然と歌を作ってくれなどと依頼しますか?まるで昔別れた女に金を貸してくれと頼んでるのと同じじゃないですか。そういう関係ではなかったから頼めたことでしょう」。
バカを言ってはいけません。「公然」と頼んだりするのが男女の関係の機微です(特に男のずるさの)。それは自分のしたことを恥じていることを隠すための「公然」なのです。そんなことはよくあることです。だから「そういう関係ではなかったから頼めたことでしょう」というのはあなたの恋愛知らずの“推論”です。
「古くからの拓郎ファンを大勢知ってますが」
それがどうしたのですか。なぜ、私を「古くからの拓郎ファン」の「大勢」からはじくのですか。「古くからの拓郎ファン」なら拓郎が女癖が悪いのは誰でも知っています。それは「公然の秘密」どころか、公然の事実です。
女癖が悪いのと、拓郎の歌が好きか嫌いかとは全く関係のないことです。女癖の悪いアーティストなんて捨てるほどいます(特に拓郎の周りには)。何度も言いますが、私は拓郎やみゆきを批判するために取り上げたのではない。この詩はすごいよ、と言っているのです。
最後に。あなたは「『自分の経験や考えてる事しか歌詞にしない』云々は拓郎自身が言ってる言葉です」と書いていますが、私はそんなくだらない反論を書かせるために「拓郎に失礼」と書いたのではありません。
どんなクリエーターであっても、「自分の経験や考えてる事しか歌詞にしない」ということは言いますよ。それだけのことです。たとえ「自分の歌は経験に基づいている」と言ったとしても、経験だけでは詩は書けない。
経験だけで詩が書けるとしたら、すべての人は詩人でしょ。そんなことあるわけがない。だから、拓郎は経験派だけれどもみゆきはそうではないという“分類”はくだらない推論です。あなたは詩が書ける、ということの意味が分かっていない。恋愛についても詩についても浅知恵しかでない自分を周辺の経験ネタ(ゴシップネタ)で粉飾しているだけです。
度々失礼します。確かに真実は彼ら以外にはわからない事です。当然あなたにもね。あなたは歌詞から推測し、私は彼らの発言から推測してるわけです。
しかし、あなたがこの歌詞から、そんなに断定的に推測する根拠がわからない。この歌詞はみゆきの男女の歌の中では非常に軽く、むしろ爽やかな部類に入る歌詞だと思うのです。
芦田さんは彼女の作品を多くご存知ですか?この作品はつま恋の共演で話題騒然となったけど、発表された時には、さして話題にもならなかった曲です。たまたま、共演したからと言って、あなたのように二人が関係があったと騒ぎ立てる意図がわかりませんね。
また、あなたはあまり中島みゆきを知らないようにお見受けします。彼女は過去別れた男と再び仕事で関わるようなことはしませんし、その後口にもしません。色々述べましたが、私には、この事がいちばん二人がそういう関係ではなかったという確信に至る理由です。
>この歌は不倫の歌ではないですよ
私も、この歌が不倫の歌だと言ったつもりは毛頭ないのですが。
最後に、真実を知り得るはずのないあなたが自分のブログとはいえ、こういう断定的な記事を書くことに、非常に不快感を感じた次第です。しかも歌詞からの推測だけで。芸能レポーターより醜いと思います。
>度々失礼します。確かに真実は彼ら以外にはわからない事です。当然あなたにもね。あなたは歌詞から推測し、私は彼らの発言から推測してるわけです。
だから、何度もいってるでしょ。「発言」からわかる関係(恋愛関係)なんて、そんなに多くはないって。あなたは、「私たちは関係がある」と言うまで信じないのですか。もちろん「関係がある」と言ったからと言って「関係がある」とは限りません。そもそも恋愛関係とはそういうものです。あなた、恋愛したことあるの?
>しかし、あなたがこの歌詞から、そんなに断定的に推測する根拠がわからない。この歌詞はみゆきの男女の歌の中では非常に軽く、むしろ爽やかな部類に入る歌詞だと思うのです。芦田さんは彼女の作品を多くご存知ですか? この作品はつま恋の共演で話題騒然となったけど、発表された時には、さして話題にもならなかった曲です。たまたま、共演したからと言って、あなたのように二人が関係があったと騒ぎ立てる意図がわかりませんね。また、あなたはあまり中島みゆきを知らないようにお見受けします。彼女は過去別れた男と再び仕事で関わるようなことはしませんし、その後口にもしません。色々述べましたが、私には、この事がいちばん二人がそういう関係ではなかったという確信に至る理由です。
結局、カメラマンの話がなくなったら、「中島みゆきを知らない」の? ということですか。「断定」ということでは、大して変わらないじゃないですか。
>この歌は不倫の歌ではないですよ
私も、この歌が不倫の歌だと言ったつもりは毛頭ないのですが。
そう書いたのはあなたです。
>最後に、真実を知り得るはずのないあなたが自分のブログとはいえ、こういう断定的な記事を書くことに、非常に不快感を感じた次第です。しかも歌詞からの推測だけで。芸能レポーターより醜いと思います。
わからないかなぁ。もしこの詩によって、拓郎とみゆきが出来ていなかったとしたら、それはそれ自身、中島みゆきの作詞家(あるいはクリエータ)としての勝利でしょ。中島みゆきが私の記事を読んだとしたら、返ってほくそ笑んでいるはずですよ。私がクリエーターだとしたらそう思います。私は確かに騒ぎましたが、あなた(たち)の二番目の騒ぎはくだらないだけのことです。「ファン」ほどくだらないものはいません。
はじめまして。
ここのブログを発見して以来、ずっと気になり、あの映像が脳裏から離れず、仕事にも手がつかない50代会社役員です。
わたしにも一言、言わせてください。
わたしはashidaさんの「過去に二人は出来ていた」説を支持します。
まず、「永遠の嘘をついてくれ」までのみゆきの詩です。明らかに不倫っぽい歌詞が多い・・例えば、「あした」これはもう経験したものでしかわからない。そして情念のこもった歌い方・どしゃぶりの一車線の道を・のところなど・これはすごいです。
それからのみゆきの歌はって言うと人生がテーマであったり、生き方や男達へのエールが中心の歌。「誕生」に代表されるような歌です。見事に過去を振りきったみゆき。
ビートルズの「レット・イット・ビー」に匹敵する名曲を発表するわけです。
つま恋のステージに話をもどしましょう。
ashidaさんの解説にあるように二人の立つ位置、目線は普通の間合いではなかった気がします。
間奏の時のチラっと拓郎を追う目線、一瞬少女みゆきに戻った瞬間です。
しかし、わたしはむしろ、拓郎の方に未練があったように思えます。
永遠の嘘をついてくれ・・名曲である。この曲をみゆきと歌えて拓郎はやっと区切りがついたのかも知れない。(不倫は男の方が後味が悪い)みゆきほどの女はそうそうはいない。
二人はつま恋で過去の清算を大観衆の前でやってのけたのである。
みゆきの大物ぶりのまえに拓郎は完敗した。
しかし、わたしは拓郎の負けっぷりに男を見た気がした。なんだか、拓郎がカッコよく見えてきた。
そうやってディベート風に言い争う人たちを見てると「男女の出会いと別れがわからない人」に見えてきて面白いですww
ごめんなさい、亀レスで。
「芦田さんの解釈が正しい(ほかの解釈は間違っている)」と判断する根拠は、このブログでは芦田さんをはじめ、だれも提示していない。
でも、根拠がないから芦田さんの解釈がつまらないというわけでもない。むしろ一つの解釈としてとてもおもしろい。なるほど、そういうハナシもあるのかと感心した。
詩の解釈には、根拠は必要ないということもできる。
詩の解釈をしなくても歌を楽しむ人もいる。中島みゆきのファンの中にも、中島みゆきそのものには興味を持たない人もいるだろう。
芦田さんの断定的な言い方には私も反発を感じるけれど、自分のブログで、実名で書いているのだから許されると思う。かっこいい。
「やっぱりこの二人はあやしいことを確信しました。中島みゆきの目つきと立ち姿が異様です」には大笑いしてしまいました。すみません、この部分は「妄想」かな(失礼!)。
どんな証拠を持ってきても(そんな証拠はわれわれの手の届くところにはないのでしょうが)、「目つきと立ち姿が異様です、それがわからない人は男女の出会いと別れがわからない人です」には、だれも反論できない。
「異様じゃないです、私には男女の出会いと別れがわかります」って言ったところで、「いーえ、異様です。あなたにはわからないんです」と堂々巡り。
とにかく、いろんな意味で面白い一連のやりとりだと思ったので書き込みました。