試験点数は個人情報か? ― 採点アルバイト問題について 2006年10月30日
朝日新聞の昨日土曜日の第2社会面(2006年10月28日東京14版)に「生徒に採点させ、バイト代」という記事が載っていた(http://www.asahi.com/national/update/1027/SEB200610270002.html)。
なんだろう、と思って読んでみたら、市立中学の社会科教員(59歳)が「忙しい」ことを理由に「2年生5クラス(計188人)の社会科の採点を2年生の女子生徒3人に頼み、一人あたり千~2千円を支払った」というもの。「軽率な行為で弁解の余地はない」と、その教員。
「市教委」(市の教育委員会)の大庭清明委員長は「採点結果が他の生徒に知られてしまうことになり、子供たちに申し訳ないと謝罪した」ことになっている。当の教員は「停職一ヶ月の懲戒処分」らしい。
この“事件”が意味するところは何か。
私は、採点は教員の仕事の重要な一部だと思っている。それは大庭(教育委員会委員長)の言うような、個人情報保護の意味ではない。
生徒の誰がどこを間違ったか、どんなふうに間違ったかは、生徒の問題ではなくて、その教員の授業の成果(正の成果、負の成果)であって、答案採点は、まず第1に教員の授業採点、授業自己採点なのである。
ここに関心がないということは、教員は学生評価をばかり考えている教員であって、自分の授業を反省・評価したり、その改善の契機を見出そうとしていない教員だということでしかない。
生徒が採点された答案用紙に飛びつくように(結果を知りたいがために)、教員もまたむさぼるように生徒が書き込んだ解答を採点しなければおかしい。授業全体が、教員にとって試験(自分の授業を採点される試験)なのである。試験=解答、試験の点数というのは、学生を採点するばかりではなく、学生によって採点されたその先生の評価である。
そのことがわかっていない先生だけが、他人に答案用紙の採点をさせようとする。
そのことが、この“事件”で暴露された、ということだ。教員ばかりではなく、教育委員会までもがそのことをまったくわかっていない。
そもそも答案が個人情報かどうかは、極めて高度な教育的問題だ。答案が個人情報だ、という見解は、試験点数が生徒個人のものだ、という認識が前提になっているが、それは、点数が悪いのは生徒自身が悪い、という前提に立たなければ出てこない認識だ。
しかし点数は、学校やその教員、その授業の点数でもある。したがって、それ自体公共的なものだ。
もしすべての授業ですべての学生が100点を取れば、「個人情報」という見解は出てこないだろう。
そんな点数は簡単な試験の結果であって学生を評価したことにならない、あるいは学校の教育力を示す試験になっていない、というのなら、たとえば、あの学校の、あの教員の授業で60点取れるなら、それはかなりの実力の持ち主だ、ということでもよい。
どちらにしても、点数(どんな学生にどんな点数を取らせたのか)は、学校の教育の公共性の重要な指標の一つなのである。
試験点数の個人情報性(あるいは“プライバシー”)を超えることが、学校の教育の本来の使命である。
そのことをこの事件の関係者たちは何もわかっていない。教育改革は(こんな基本的なことでさえ)何も進んでいない。
(Version 1.0)
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