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 『朝日新聞』天声人語は、なんて偏差値が低いのか ― 9月12日朝刊記事について 2006年09月13日

12日火曜日の『朝日新聞』天声人語。よほど暇でないと読まないが、今、学校から帰ってきたら、片付け損なってテーブルの上に置いてあったので目にとまった。

この忙しいのに、これがいけなかった。今、月曜日に作った例のカレー(http://www.ashida.info/blog/2006/09/sb.html#more)の残りを食べながら読んでいるが、12日の話題は、「古本探しの楽しみ」。「古本でも新刊でも、店頭での予想外の出会いがほしい」。これが言いたいことのすべて。特にインターネット書店などでの検索で本を探すこの頃のご時世に対して批判的だ。いかにも天声人語らしい“教養”だ(〈教養〉とは何かについては http://www.ashida.info/blog/2001/05/post_49.html を参照のこと)。

私はそんなくだらない比較にまったく関心はないが、そこで、京大の政治学者の故高坂正堯(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%9D%82%E6%AD%A3%E5%A0%AF)とその弟子の岩間陽子(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E9%96%93%E9%99%BD%E5%AD%90)とのやりとりの紹介が出てくる。

ドイツに住んでいた岩間陽子が「ミュンヘンは歴史を学ぶのによい街ですね。趣味の良い本がとりそろえてあるような、中くらいの本屋さんがあるので、ぶらぶらしていて楽しい街です」と高坂に語ったら、高坂はこう答えた。「あなたは運を信じていますね」。さらにこう言った。「すべての本を読むには、人生はあまりにも短く、歴史はあまりに複雑である」と。

なかなかいい恩師との会話だが、この天声人語子はバカなことに、このやりとりを、こうまとめる。先の高坂の「歴史はあまりに複雑である」という文章の直後の文章だ。

「確かに、本との出会いには運命めいたものがあるように思う。失恋、入試の失敗、親を亡くしたとき、不思議なことだが、慰めと勇気を与えてくれる本が、いつもどこからか現れる。人と同様、本との出会いも、効率では計れないものがある」。

これが、12日火曜日の天声人語の最後の文章である。高坂と岩間との関係は、こんなくだらないことを言うための主要な事例になっている。

なんと天声人語はバカなのか。高坂は、無能な弟子である岩間陽子(私は実際の関係にまったく関知しないが)をくさしているのである(そしてとんまな岩間陽子自身、そのことをわかっていない)。それを知るにはありありとした面白い会話だ。

研究者にとって書物を“予想外”に見つけるというのは、ほとんど無能に等しい。「すべての本を読むには、人生はあまりにも短」い。だから「運」なんて頼っていたら、ほとんど本など読めないのである。そもそも読むべき本でさえ、短い人生の中で全部読めるかどうか怪しいものだ。読むべき本とは、探さなくてもある本だからだ。それでさえ、短い人生の中で必ずしも読めたりはしない。ほとんど読めないことの方が多い。

それにも関わらず、異国の「中くらいの本屋」での本探しを「楽しい」というのだから、高坂には岩間陽子がサイテーの女に映ったに違いない。「あなたはよほど本を読んでいないのね」という代わりに、「あなたは運を信じていますね」と高坂は言ったのである。それは、弟子との決裂宣言のようなものだ。

「恩師」というものが、いちばん仲が悪い(あるいはいちばん無能だと見なしている)のは“弟子”である。民主党の前党首前原誠司(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%8E%9F%E8%AA%A0%E5%8F%B8)を「あなたは頭が悪いから大学院進学はやめた方がいい」と言ったのも高坂だが、岩間陽子にも「あなたは頭が悪いから本を読めないのよ」と言いたいのだろう。それを「あなたは運を信じていますね」と言っただけのことなのだ。

こんな面白い話がなぜ、「確かに、本との出会いには運命めいたものがあるように思う。失恋、入試の失敗、親を亡くしたとき、不思議なことだが、慰めと勇気を与えてくれる本が、いつもどこからか現れる。人と同様、本との出会いも、効率では計れないものがある」になるのか。『朝日新聞』というのは、この程度の知性しかないのか。

大学入試にいちばん出題されるのが『朝日新聞』らしい(たしか、『朝日新聞』自体がそんなコマーシャルをしていたような気がする)が、日本の大学生は、こんな文章を読まされて、大学生になっているということか。だとすれば、これは誤文訂正問題だろう。毎日毎日時間に追われて文章を書いている連中の“教養ある文章”なんて、すべてが誤文訂正問題だ。時間を与えたとしても、この人たちが“良い文章”を書けるとは思えないが。

(Version 2.0)

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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

爽快、実に爽快である。

「天声人語」を読んでいる人はあまたいるだろうが、その批評を持って読んだ人はどのくらいいるのだろうか。

案外芦田先生一人かもしれない。前原氏の落ちまでついて、今回大変おもしろかった。

投稿者 Jimmy : 2006年09月14日 09:33

昨日はお疲れ様でした。
お酒が入っていないとは言え、帰宅後『芦田の毎日』を更新するパワーに感服します。

FROM 昨日の夜を一緒に過ごした某専門学校関係者

投稿者 部外者 : 2006年09月14日 11:29

他を貶すことについては超一流の方だとよく分かった。
いや、解った。「判った」がよりいいのか。

>私は実際の関係にまったく関知しないが

と仰りながら、尚、その関係に対して、批評を加えるという姿勢が解せない。

多分に、<朝日に対して、大向こうを張る>という姿勢をアッピールして、世間有卦を狙っておいでるのであろうとしか読めない。

そのことにも、お気付きでないのかも知れないが・・・・

ま、人それぞれ。幸にも、わが日本では<言論の自由>は保証されていますからね。

投稿者 猫 : 2008年12月07日 01:05

>猫さん

バカを言ってはいけません。

とりあえず、3点指摘しておきます。

一つにはあなたの以下の発言。

「>私は実際の関係にまったく関知しないが

と仰りながら、尚、その関係に対して、批評を加えるという姿勢が解せない」。

「実際の関係にまったく関知しないが」というのは、「天声人語」子も私も全く同じ立場。私と「天声人語」子とは同じ高坂の発言の「解釈」をめぐって争っているのであり、どちらも「実際の関係」とは何の関係もありません。いずれも高坂発言現象の中での出来事に過ぎないと私は断っているのです。それがなぜいけない?

二つ目。「世間有卦を狙っておいでるのであろう」というのは間違い。そんなことなら、私はもっと大きな相手を敵に回します。あなたがそう思うのはあなた自身が「朝日新聞」を大きな意匠と思っているからでしょう。私はたまたま目にした内容に純粋にバカじゃないの?と思っただけです。そもそも「朝日新聞」が「世間」なわけないじゃないですか。「世間」以下でしょ(苦笑)。

三つ目。「言論の自由」とはそういうときに使う言葉ではありません。あなたが「解せない」と思うのなら、あなた自身が高坂の発言の解釈を披露すべきであって、また「天声人語」子の結論をどう考えるのか披露すべきであって、その披露の権利を「言論の自由」というのです。つまりあなたは何も(内容的に)発言していない。そんなことくらいは「言論の自由」と言わないでも充分に誰にでも「保証」されています。無知(や無研鑽)でいることもまた万人の権利です。

投稿者 ashida : 2008年12月07日 04:30

先ほど、懲りずに書き込ませて頂いた中で、忘れておりました。

1.愚猫の書き込みにResponse danke でした。
2.猫は、己自身、孫悟空と一般であると、任じています。
3.猫の書き込みから、そのIPを辿り、「アクセス禁止」や、「書き込みブロック」の手はずを立てずに、追加書き込みのチャンスを下さったことに感謝しております。

貴兄のResponse に対する、猫の反論は、前述のとおりです。

繰り返しになりますが、>そもそも「朝日新聞」が「世間」なわけないじゃないですか。「世間」以下でしょ(苦笑)。

という、貴兄の観点に誤謬があることは、孫悟空の喩えで、お話ししたとおりです。

貴兄も、「朝日」も、斯く言う猫も、<世間>の中の、歯車(こう云っても、猫は運命論者でありません。念のため)、大きな時代の流れの、輪廻転生の一部なわけですから。

投稿者 猫 : 2008年12月08日 20:17

>猫さん

意味不明。

投稿者 ashida : 2008年12月08日 23:56
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