亀田には重い勝利だった ― 亀田の世界戦ボクシング 2006年08月02日
亀田の試合は、誰が見ても負けていた。相手のランダエタには、前もって「倒してはいけない」と言われているかのように負けていた。
①打たれるとまっすぐにしか下がれない
②打った後のガードが甘すぎる(自分の攻撃に過信がある)
③息を抜くとき(呼吸)の間合いが相手に見えすぎている
④打ち合いになって劣勢になると、効果的なボディブローが出なくなる
⑤ピンチ時のクリンチがまったくできない(初級ボクサー以下)。
これでは世界戦で戦えない。
なのに、なぜ勝たせたのか。この試合であれば、負けていても誰も亀田を非難したり、ファンをやめることなどないのに、なぜわざわざ勝たせてしまうのか。
そこが馬鹿らしい。勝っても負けてもいいことなどいくらでもあるのに、勝たなければならない、というのはなんと(本当の意味での)“ドラマ”のないことか。負けた次のドラマを追うことのほうがはるかにドラマティックなのに(長い間、“お金が儲かる”のに)、なぜこうなるのか。
WCサッカーのオーストラリア戦をふと思い出した。0点に抑えて勝たなければ勝ったことにならないというのと今日の勝たなければ勝ったことにならないという形式的な美学とはどこか似ている。どちらも同点や負けて成長する息の長い戦いに耐えられない気質が見え隠れする。
そうやって本来の才能を見抜けない周囲が、日本チームや亀田を育てることができない。勝つことも負けることもいつも当事者が感じたり、考えていることほど単純なことではない。
この勝利のために、やっぱりボクシングって暗いんだと思い失望した新しいファン層がいるに違いない。そういった損失をなぜ関係者はわからないのか?
亀田なら、負けても、「ごめんな、やっぱり世界は強いわ、もういっぺん出直しや、みんなあきらめずに応援してな」と亀田が言えば充分“元は取れる”のに、なぜ無理やり勝たせるのか?
こんな汚れた「親父」(おやじ)への感謝など誰も聞きたくはない。
試合後のインタビューもしらけるばかり。その後のTBSのニュース番組でもいつもの強がりがさまにならない。こんな勝ち方では、インタビューに登場させるテレビ局側もしらけるしかない。聞いている視聴者側はもっとしらける。
この“勝利”を背負うことは、若い亀田には重過ぎる。大の大人が何人も群がって、一人の若者の将来を幾重にも傷つけた試合だった。
(Version 1.0)
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>勝っても負けてもいいことなどいくらでもあるのに、勝たなければならない、というのはなんと(本当の意味での)“ドラマ”のないことか。負けた次のドラマを追うことのほうがはるかにドラマティックなのに(長い間、“お金が儲かる”のに)、なぜこうなるのか。
>形式的な美学とはどこか似ている。どちらも同点や負けて成長する息の長い戦いに耐えられない気質が見え隠れする。
同感です。