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 藤原正彦『国家の品格』 ― 講演会を開催しました。 2006年04月23日

月曜日17日、ベストセラー『国家の品格』の著者:藤原正彦氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%AD%A3%E5%BD%A6)を東京工科専門学校にお呼びして講演会を開いた。

校舎地下のテラホールは満杯で、養老孟司(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%80%81%E5%AD%9F%E5%8F%B8)、寺島実郎(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B3%B6%E5%AE%9F%E9%83%8E)の講演会記録を抜いて大盛況だった。肝心の私はフレッシュマンキャンプ(http://www.ashida.info/blog/2006/04/post_142.html#more)で顔を出せなかったが、盛り上がったらしい。こんな文化人を呼べるのは、わが専門学校以外には存在しない。

この本は何でこんなに売れたのだろう。勘ぐりで言えば、ホリエモン騒動の後、金融グロバーリズムやIT革命の世界的な状況にうんざりしていたところに、“国粋”主義の藤原正彦が出てきて、よくぞ言ってくれた、という感じだったのだろうか。

しかし、こんな図式は通俗そのものだ。藤原は、30歳前後でアメリカに3年間、40代前半でイギリスに1年間滞在している。海外へ出た日本の知識人は、大概の場合、日本かぶれになる。「知識人」と言わないまでも、サラリーマンであっても、ほとんどの場合日本かぶれになる。

ちょっと高級な飲み屋にいて、カラオケの内容を聞いていると“一流”サラリーマンはアメリカかヨーロッパの歌を原語で歌う。“二流”サラリーマンは東南アジアに詳しい。北京語で歌ったりし始める。飲み屋にいても国際的な差別があるが、この連中(特に欧米出張サラリーマンの典型)と話をしているとやけに日本贔屓(ひいき)なことがわかる。武士道や四季の移ろいの日本的美意識にやけに肩入れしたがる。ドイツロマン主義と大して変わらない日本的美意識にやけに肩入れしたがる。

何のことはない。欧米の“顧客”のほとんどは通俗的な日本趣味家だからにすぎない。「“ブシドウ”について教えてくれ」「ゼン(禅)について教えてくれ」というのは、“向こう”の文化人(向こうの知識人のみならず、向こうの“一流”サラリーマン)ならば必ずと言っていいほど聞いてくる。

私は、デリダの初来日の時、10日間ほど同行したが(https://picasaweb.google.com/108264788874727478091/rZexkG)、彼は日本料理を食べたがって、その間ずーっと日本料理ばかりだった。箸を持つのが私よりも上手で刺身も大好き。私はデリダの日本食好みにうんざりしていた。彼との最後の日近かったが、京都の日仏会館の宿舎に彼を送りつけた後、「王将の餃子が食べたーい」と叫んで、同行の仲間と腹一杯餃子を食べたのを今でも覚えている。これが“国際交流”の実態だ。

デリダが一番関心を示したのは、判子。自分のものを作りたがって、わざわざ、カタカナで「デリダ」と書いた判子を判子屋に作ってもらった。

デリダのおかげで日本食(滅多に行かない京都吉兆にまで行った)にも判子の歴史にも強くなった。“日本”(あるいは“東洋”)を勉強させてもらったのである

大概の西洋通は、こういった西洋人とのねじれた交流を体験している。大学までは勉強しなかった日本の勉強を“国際的”社会人になってはじめて勉強し始める。急に“日本通”になる。それは日本人本来の向学心や自己研鑽なのではなくて、向こうの(顧客の)要求の結果なのである。それはナショナルな教養なのではなくて、単なる必要(=国際交流術)に過ぎない。

藤原の本が売れた理由の一つに、数学者のくせによくもまあ日本の歴史に詳しいこと! という読者の敬意があったが、そんなものは藤原の特権ではなくて、日本の“一流”商社マンなら誰でも語れる程度の(しかも飲み屋での)知識にすぎない。

私の分野で言えば、ヨーロッパの哲学を研究している日本の研究者が留学した場合、大概の場合、「ニシダ(西田幾多郎)について教えてくれ…」となる。ドイツ語が堪能であればあるほどそう聞かれる。せっかく、ヘーゲルやハイデガーを“国際的に”勉強するためにドイツ(フライブルグやハイデルブルグ)にやってきたのに、そう聞かれる。

なぜか? 極東の田舎ものに自国のヘーゲルやハイデガーがわかるはずがないだろう、というもっともな“差別”があるからである(逆に太宰治のアメリカ人研究者に太宰のことを語られる太宰ファンの気持ちを想像すればいい)。ドイツ本国でヘーゲルやハイデガーの論文をドイツ語で書いても“努力賞”にすぎない。大概は「良くドイツ語ができました」で終わる。そんなことより、ニシダやゼン(禅)を教えてくれ、と言うことになる。そうしてドイツ語ができればできるほど、日本文化研究者になって帰ってくる。そんな研究者は、日本の大学で50歳も超えれば、比較文化論研究に“転向”している。

サルトル(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB)にドイツ語とハイデガーを教えたのは、九鬼周造(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E5%91%A8%E9%80%A0)だとウソかマコトかわからないような逸話があるのも、欧米文化の日本研究者が海外でどんな扱いを受けているのかよくわかる。

日本の大学院の哲学専攻で、修士論文や博士論文に西田幾多郎を選択することはほとんど許されていない。理由は哲学的な理由ではなく、単に資料とする文献が日本語だからに過ぎない。哲学の修士論文や博士論文とは、まずは何よりも語学の研鑽度をはかる目安に過ぎない。晴れて海外留学をしてはじめてニシダを読む資格を得るのである。なんと皮肉なことか。

そうやって藤原正彦も遅れてやってきた日本主義者に他ならない。彼が称揚する新渡戸の『武士道』が英文で書かれていたことを忘れるべきではない。新渡戸も遅れてきた日本主義者だが、藤原は英語の『武士道』を外国人に紹介しやすかっただけのこと。紹介する内に自分もまたその読者になったに過ぎない。

私は、この種の日本主義をまったく認める気はない。その反対のグローバリズムを認めないのと同じように。

『源氏物語』だって、宮中の漢語文化(中国)に対抗して仮名文字・大和言葉で書かれていた。また『日本書紀』は漢文で書かれている限りは外国的(漢意的:カラゴコロ的)であり(そもそも『日本書紀』は唐への留学者達が編さんしたものだ)、それに反して仮名の文化の『万葉集』は“日本的である”と言えないわけではない。日本文化そのものと思われるものの中にも、すでに多くの亀裂は走っている。

武士道の徳川体制なんて朱子学=漢文体制に基づいているから、その限りでは全くの外国文化(中国文化)。賀茂真淵や本居宣長の仮名文化論=「国学」は朱子学批判(=徳川外国論)だったということだ(こんなことは“教科書”レベルの常識です)。

だから、藤原が言うような「日本文化」なんてもとから存在しない。2000年前から(あるいはそれ以上前から)、日本は外国文化に犯され続けてきた最初からの混血種だということ。漢心(からごころ)の天皇家はもとから“国際的”だったし、徳川の朱子学は宮中に対する裏返しのコンプレックスの体制だったにすぎない。万世一系というのは、“純血”のそれではなくて、“国際派”のそれだと言える。天皇家が日本文化の象徴だというのなら、それは“国際派”の象徴だと言えるし、それをこそ「日本的」と言うべきだ(言いたいのなら)。文化論はいつでも冷静であるべきであって、それこそが“日本人”の礼節というものだったのではないか。

※そんなに文句があるのなら、何で講演会へ呼んだの? と言われそうですが、大盛況だった、というのを聞いて、これは困ったものだと思い、少し「コメント」を入れておきました。藤原さん、あしからず。

(Version 5.0)


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投稿者 : ashida1670  /  この記事の訪問者数 :
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感想欄

はじめまして。

以前テラハウスICAでお世話になった社会人生徒です。

私が聴いた養老さんのテラハウス講演は「バカの壁」が出版される前でしたが、今回の藤原さんは「国家の品格」がベストセラーになった後ですね。芦田さんの人脈はすごいです。

失礼ですが、先生の哲学的な話だけはいつも難しいですね。

もっとわかり易く説明していただけないもんでしょうか。
哲学以外の話は精読しなくても分りやすいのですが・・・・。

投稿者 hamutaroumimi : 2006年04月25日 00:56

GWも仕事がありまして数年前に比べるとありがたいことですが、こんな晴天が続きますと少しひがみも出てきます。

今朝、テレビのワイドショー(テレビ朝日だったと思います)に藤原氏が映っていまして私は芦田校長が、けちょんけちょんに書いていた人は「こんな顔の人なのか」と何気なく座って見てしまいました。

すると藤原氏が小泉政権をご自分の理論で批判していて「独占インタビュー」なんてタイトルついてました。

今の日本には

①国語教育
②美しい自然を愛すること

が必要だそうで、いろいろな例を出されていて思わずなるほどなるほどを引き込まれてしまいそうでしたが、ふと気がつくとそれは政権批判でも何でもなく「これが、日本主義かー」と納得した次第です。

しかし、司会者もコメンテイターもみなさん藤原氏の言葉を絶賛されておりましたが、これはどういうものなんでしょうか。

テレビはいつも売れてるものや人を追っかけてるだけでそれがなんなのか説明してくれてないですね。

あーつまらない、つまらないと思い、今までかかって午前中の仕事仕上げました。

おじゃましました。

投稿者 のんべえの妻 : 2006年05月05日 13:02
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